今回は「青い影」で有名なProcol Harum!
プロコルハルムってどこに括られるバンドなんだろうか問題ってのが僕の中で長らくあって(別に括る必要がまずない)、明らかにプログレ臭はするけどプログレバンドに数えられないとゆータイプのバンドで。プロコルハルムの初期、つまりは67年「青い影」の頃は何に分類されるのか…時期的にはサイケ真っ盛りなんだけどサイケと呼ぶには少し不安。恐らくは67年と早い段階でアートロックと呼ぶべき領域の音楽性に辿り着いているんだろうけど、いやしかしあのオルガンと歌はシンフォニーロックと言えるだろう、とか難しいところではあるんだけど、ある1点の根拠によって初期プロコルハルムはサイケデリックバンドであると決め付けてしまおうと思う。プロコルハルムもロンドンアングラの聖地、サイケのメッカ、UFOクラブでライブをしてたのだ。ならロンドンサイケバンドでしょう。
4-4 プロコルハルムにまとわりつく“青い影”
プロコルハルムを語る上で避けては通れないのがご存知「a Whiter Shade of The Pale(青い影)」という名曲で、67年のデビューシングルでありながらイギリスのヒットチャートで6週連続1位を獲得し、アメリカで5位を獲得するなど、全世界でヒットを記録した曲である。イギリスのBBCラジオ2が2009年に発表した「過去75年UKで最もプレイされた曲トップ10」ではビートルズやクイーンをおさえて第1位に選ばれたらしい。イギリスで1番ラジオで流れた曲ということだ。
ジョンレノンが「人生でベスト3に入る曲」とか「今の音楽業界でこの曲以外聴く価値がない(67年当時)」とまで言ったとされる曲であり、後進の、特にプログレッシブロックに多大な影響を与えた。ジョンは「LSDをキメながら聞くと最高」という類の発言もしており、これでやっぱりプロコルハルムはサイケバンドだと再認識。
日本でも松任谷由実が「この曲で全てが始まった」と公言しており、特にユーミンのデビュー作「ひこうき雲」なんかは影響がモロに出ている。(2012年には実際にプロコルハルムをバックに青い影をレコーディングしていて、そのドキュメントでのユーミンはまさに乙女であった。)
とにかく誰もが一度は聞いたことがあるであろう「青い影」だが、この曲のせいでプロコルハルムの他の作品が過小評価されているという問題が発生している。彼らは常に世間から「青い影」を求められ続けられ、その後リリースした素晴らしい作品も「青い影じゃない」ことで正当な評価を受けていない(そこそこ売れてはいるが)。
「青い影」は67年当時、誰も思いつかないアイデアを使った前衛的な曲であった。ダブル鍵盤という編成、クラシックの引用、作詞家をバンドメンバーとして迎える、という試みは実に斬新である。プロコルハルムは常に「斬新さ」を持ったバンドであり、68年だって69年だって常に時代の先を行っていた偉大なバンドであるのだ。つまりは「青い影」を『斬新さの塊』であると捉えるならプロコルハルムは常に「青い影」を作り続けていたと言える。
そんなプロコルハルムについてバンドの始まりから見ていこう。
パラマウンツというビートバンド
59年に「The Paramounts」というR&Bバンドがイギリスエセックス州にて結成される。後にプロコルハルムを結成するゲイリー・ブルッカー(ピアノ)は当時14歳である。パラマウンツ結成メンバーにロビン・トロワー(ギター)、クリス・コッピング(ベース)がいた。
63年にB.J.ウィルソン(ドラム)が加入しシングル「Poison Ivy」でデビュー。以降66年に解散するまで6枚のシングルをリリースした。パラマウンツはミックジャガーに「最高のR&Bバンドだ」と賞賛されたがヒットには恵まれなかった。
このパラマウンツというバンドに在籍したゲイリーブルッカー、ロビントロワー、クリスコッピング、B.J.ウィルソンが後にプロコルハルムのメンバーへとなっていくわけだが、実はオリジナルメンバーではない。
66年、パラマウンツを解散した後ゲイリーブルッカーはキースリードという作詞家と出会う。2人は共同制作を始め、そこにオルガニストのマシューフィッシャーが加わり残りは適当なメンバー(失礼。)を集めてプロコルハルムを結成。
67年5月にシングル「青い影」でデビューするが、この大ヒットによりマネージメント的にごたごたが起きてギターとドラムを解雇し、元パラマウンツのロビントロワーとB.J.ウィルソンに声をかけて加入させる。ベースのデイヴィッド・ナイツはしばらく残ったが、70年にクリスコッピングと交代し結局プロコルハルムはほぼほぼパラマウンツとなるわけだ。ゲイリーブルッカーにとって14歳の頃からの付き合いである気心の知れたメンバー達へと戻っていくわけだ。
つまりプロコルハルムのオリジナルメンバーでのレコーディングというのはシングル「青い影」のみであり、この曲の特徴はやはりオルガンであるが、それを際立たせる全く主張のないシンプルすぎるギター、ベース、ドラムも特徴と言えば特徴である。この後に加入する元パラマウンツのロビントロワーは後に「第2のジミヘン」と呼ばれるギタリストであるし、B.J.ウィルソンはジミー・ペイジがツェッペリン結成時に声をかけていたと言われる中々のパワー系ドラマーである。この2人がメンバーとなって「青い影」を求められてもそりゃ難しいか。
とにかくまずは青い影を。
青い影
ゲイリーブルッカーと詩人のキースリードがまず型を作り、そこにマシューフィッシャーがオルガンを付け、さらにコードをいじって出来上がった曲である。クレジットはブルッカーとリードになっていたが、その事に対して2005年にフィッシャーが裁判を起こして今は3人の作曲となっている。やれやれ。とはいえ明らかにマシューフィッシャーのオルガンが核となる曲であり、オンコードで降りていくコードもフィッシャーがアレンジしたものであるなら印税をもらうべきであると考えるのは妥当であろう。
さてこの曲を包み上げるそのオルガンだがバッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』を明らかに引用したものである。丸々引用ではなくメロディは変えてあり、オルガンの暖かみのある素朴な雰囲気を全体的に演出している。僕はこの素朴さが肝であると思っていて、クラシック音楽が持つ「神聖さ」や「重さ」そして、ある種の「緊張感」を省いてその「美しさ」のみを見事に抽出したところが親しみやすさを生んで大ヒットに繋がったんじゃないかと思っている。クラシックをロックに引用する手法はこの曲以降様々なロックバンドにて使われるがやはり緊張感が抜けない場合が多い。そしてその緊張感はプログレというジャンルそのものが持つ緊張感と同種であり、ロックを高尚なものへと高めて行くと同時にどこか「鼻につく」感じもしてしまうものとなっていく。しかし「青い影」はクラシックを取り入れながら決して嫌味のない素朴で軽ささえあるポップソングなのである。そして先程も書いたようにシンプル過ぎるギターベースドラム(ドラムは意外とシャンシャン?うるさいけど)、ゲイリーブルッカーの優しいピアノにソウルフルな歌声、キースリードによる詩、全てが上手く噛み合って名曲が誕生した。
難解だと言われる詩であるがまずタイトルの「青い影」は誤訳で「a Whiter Shade of The Pale」の「Shade」は影ではなく色調の意で、「青白い色調」という意味である。サビ終わりでは「that her face, at first just ghostly,turned a whiter shade of pale」とあり「彼女の顔はしだいに青ざめていった」となる。では何故彼女が青ざめていったのか、であるがその直前が「as the miller told his tale」である。ん…鏡が物語を語ったら彼女は青ざめたのか…あ、鏡はrか…わからん…と英語力皆無の僕にはちんぷんかんぷんだったが素晴らしい和訳を発見。
この人によると「the miller」とは「粉屋」のことでこれは「カンタベリー物語」の「粉屋の物語」を指しているというのだ。そしてその「粉屋の物語」とは「粉屋の主人が若者に妻を寝とられる話」であるらしく、つまりは「粉屋の物語(浮気の話)を語ると彼女の顔はみるみる青ざめていった」という詩になっているらしい。
浮気された男の歌だったのだ、知らなかった!
冒頭では
『We skipped the light fandango/turned cartwheels 'cross the floor
僕らは軽やかにファンダンゴを踊っていた/フロアを車輪が横切るように』
と仲睦まじい様子が歌われているのに…
そうやって聴くと美しく素朴で尚且つ切ない曲に聞こえてきた。やっぱり詩を知ることも大事だな。
「青い影」がチャートで1位を記録したこの時期にUFOクラブに出演したという文章がUFOクラブの海外wikiに記載されているがメンバー入れ替わり後なのか前なのか一回きりなのか何度か出たのか細かな詳細は不明。また細かなことがわかり次第追記したい大事なところである。
2ndシングル「ハンバーグ」?
67年9月に2ndシングル「Homburg」をリリース。この曲ですでにギターとドラムがロビントロワーとB.J.ウィルソンに変わっている、はず。
とにかく「青い影」だけでプロコルハルムを終えている人はこの曲を是非聞いてほしい。方向性的には完全に「青い影」に近いものがあるが、オルガンをフィーチャーした「青い影」に対して「Homburg」ではピアノをフィーチャーしている。その他の楽器の身の潜め具合も似ていて、ピアノ版「青い影」とも言える曲である。美しいピアノのフレーズには明らかに「悲しみ」や「切なさ」といったものが含まれるが重たく暗くはならずこれまた絶妙な「軽さ」を持っている。この軽さがどういうわけか余計感動を生むんだよな。僕はなんだったら最近は「青い影」よりもこの2ndシングル「Homburg」のほうが好きだったりする。やはり「青い影」と同じ方向性だということもあってか全英6位と上々の売り上げだった。
「Homburg」とはハンバーグでもハンブルクでもなく「ホンブルグ」という帽子のことのようでハットの真ん中の部分が凹んでるやつのことらしい。
歌詞の内容はまたもや男女の別れをテーマにしており、今度は女に振られて落ち込んでる男を諭す友人の視点で書かれている。
サビの部分は「もう君はホンブルグハットを頭から取った方がいい。彼女と折り合う背丈にあわせるためにはオーバーコートは、あまりに長すぎる」と歌われており、去っていった女に見合った服装の象徴がホンブルグハットであり、もうそれを取りなよ、と友人を諭す歌である(しかし何回聞いてもハンバーグに聞こえる)。いいねぇキースリード。
少しキースリードについて。
ロックバンド専門の作詞家
ロックバンド専門の作詞家はプロコルハルムの前にも「クリーム」のピート・ブラウンの例があるが、バンドメンバーとしてクレジットされたのはプロコルハルムのキースリードが初ではないだろうか。この方式はキングクリムゾンも使用し、ピート・シンフィールドを作詞家としてメンバーにしている。
面白いというか何というか、ゲイリーブルッカーの79年のソロアルバムでピートシンフィールドが作詞してたり、ロビントロワーが81年に元クリームのジャックブルースと「B.L.T」というアルバムを作ったり、2017年にプロコルハルムがデビュー50周年を記念して作った12作目のスタジオアルバム「乙女は新たな夢に」の作詞をピートブラウンが担当したりと、演奏メンバーとは別に作詞家を抱えていたプロコルハルム、クリーム、キングクリムゾンに何かしら関わりがあったりする。
デビューアルバム「プロコルハルム」
「青い影」の爆発的ヒットによりバンドが急激に売れ、3日間でアルバムを製作しなければならない事態に陥って出来上がったのが67年「Procol Harum(プロコルハルム)」である。発売当初UK版には「青い影」は収録されなかったが、US版と再発版からは1曲目に収録されアルバムタイトルも「a Whiter Shade Of The Pale(青い影)」と改められたが、ここはあえて「プロコルハルム」で。
とにかく「青い影」を求めていた世間はこの1stでいきなり裏切られることになる。「青い影」にてまさに大英帝国!な美しさを披露した彼らは1stアルバムでおもいっきりブルースロックをぶちかました。「ホンブルグ」では大人しくしていたロビントロワーとB.J.ウィルソンも存在感を出しまくり、ゲイリーブルッカーのソウルフルな歌声とピアノも爆発。そして何より「青い影」と「ホンブルグ」にて穏やかで暖かいオルガンを奏でたマシューフィッシャーの超絶的なロックオルガンプレイに驚かされる。
基本的にブルースロックであるので目新しさはないが、やはりダブル鍵盤の利を活かしたプレイは他バンドでは聞けない面白味がある。「征服者」や「万華鏡」などの名曲も収録されているが、ラストの「ヴァルプルギスの後悔」が秀逸。インスト曲であるがプロコルハルムの特徴が全て詰まっており、この後続いて行くプログレッシブロックへの道が垣間見える(この曲でも実はバッハのピアノを引用している)。
しかし3日間しかレコーディング時間がなく雑さは確かに感じる仕上がり。全てモノラル録音であったことも失敗として語られることが多い。完全にマネジメントミスである。
それにしても「青い影」も「ホンブルグ」も収録しないという無謀さ、先に進むんだというバンドの意思には脱帽である。
2ndアルバム「月の光」
68年に2ndアルバム「Shine On Brightly(月の光)」をリリース。3日で作った前作を反省して2ndアルバムはしっかりと時間をかけて作られた。ブルースロックの要素は身を潜めつつもそれぞれが自分の持ち味をしっかり主張し、バンドとしてこのアルバムで完成したとも言える。キースリードの詩も色恋のテーマからより深いテーマへと変わり、重く暗く神聖な雰囲気が全体的に漂よっている。ジャンルとしてはすでに完全にプログレッシブロックである。クラシックの要素は強く感じれるもののこれは「青い影」とは全く違うベクトルの音楽性であるだろう。
「In Held 'Twas in I」は5章からなるロック組曲であり、既にプログレッシブバンドと呼ばれるバンドはムーディーブルースやナイスなど存在していたが、この曲が初のロック組曲であるとされている。
シングルカットされた「Quite Rightly So」やタイトル曲「Shine On Brightly」、美しいピアノが響く「Magdalene」など名曲揃いであるがイギリスではチャートインしなかった。イギリスのラジオで過去75年間で1番多くプレイされた「青い影」を作ったバンドが、その1年後のアルバムでチャートインしなかったんだよ?素晴らしいのに。アメリカでは24位を記録した。
とにかく早すぎたプログレという印象。同時期のムーディーブルースやナイスと比べても完成度は桁違いであるし、個人的にはELO74年の傑作「エルドラド」とオルガンかストリングスかの違いはあるが音楽的に同レベルの域に達していると思っている。
3rdアルバム「ソルティドッグ」
69年3rdアルバム「A Salty Dog(ソルティドッグ)」をリリース。個人的には1番好きなアルバムである。タイトル曲「ソルティドッグ」こそプログレッシブロックの重さと緊張感を持っているが全体的に前作に比べて軽く明るくなった。ロック界的にはまさに今からプログレッシブロックの幕開け、という時期にプログレッシブロックを早々と見限ったようにも感じる。ただし芸術的追求の手を緩めたという感じでもなく1曲1曲の完成度は前作に引けを取らない。壮大なスケールの曲はなくなり、コンパクトだがアイデアに溢れた曲で構成されたアルバムとなった。
前作まで作曲に関してほぼゲイリーブルッカーのワンマンであったが、今作ではマシューフィッシャーとロビントロワーも作曲に参加し、ボーカルも担当しているのも特徴である。
さらにマシューフィッシャーはアルバムのプロデュースも担当している。オルガニストのマシューフィッシャープロデュースでありながら、オーケストラの比率が増えていることもフィッシャーのトータルプロデュース能力が垣間見えて面白い。
ブルッカー作曲の「Too Much Between Us」は少しサイケデリックな香りを感じる美しく切ない曲であるがアウトロに突如登場する暖かなフィッシャーのオルガンは「大きすぎる2人の距離」をより際立たせ涙腺を刺激するし、フィッシャー作曲の「Wreck of the Hesperus(宵の明星)」なんかは3連で永遠に続くブルッカーのピアノのフレーズが印象的である。ブルッカーとフィッシャーの互いの曲に互いが絶妙な役割を果たし、2人の鍵盤弾きが素晴らしく機能していると感じる。
僕は同じダブル鍵盤という編成であるアメリカのThe Bandとプロコルハルムにずっと同じ匂いを感じているが、よくよく考えてみると「青い影」にThe Bandは感じないし、The Bandの68年1st「ミュージック・フロム・ビッグピンク」にプロコルハルムも感じない。僕が同じ匂いだと嗅ぎ取ったのはこのプロコルハルム69年3rd「ソルティドッグ」とThe Band 69年2nd「The Band」の2枚の匂いである。この2枚はかなり近い音楽をやっているように思うのだ。リリースはプロコルハルムが先であり、デビューも先であるので同じダブル鍵盤ということもありThe Bandが何かしらプロコルハルムから影響を受けていた可能性がある。
このアルバムを最後にマシューフィッシャーは脱退してしまうわけなんだが、アルバムの最後に「Pilgrim's Progress(巡礼者の道)」というとんでもない名曲を残してバンドを去っている。この曲を僕は「青い影2」と呼んでいるが、まさに皆が求め続けた「青い影」のその先である。これでしょ?これを求めてたんじゃないの?美しく暖かいオルガン、フィッシャーによる優しい歌、完璧でしょう。ブルッカーのソウルフルな歌声もいいが、やっぱり時折「マッチョ」に聞こえてしまって…正直フィッシャーの歌の方が断然好きだ。
イギリスで27位、アメリカで32位を記録。
マシューフィッシャー脱退
「ソルティドッグ」を最後にマシューフィッシャーとベースのデイヴィッド・ナイツが脱退。ブルッカーはベースも鍵盤も弾ける人物である元パラマウンツのクリス・コッピングを召還し、これでプロコルハルムは作詞家のキースリード以外が元パラマウンツのメンバーになった。そんなわけで原点に帰ったという意味をこめた70年4th「Home」,そして71年5th「Broken Barricades」をリリースする。音楽性は再びブルース色が強まりロビントロワーのギターが特に目立つようになるが、ここでロビントロワーは自分の方向性を定め脱退しソロへ転身、「第2のジミヘン」と呼ばれる活躍を見せ成功を収める。
73年6th「Grand Hotel」では再び鍵盤とオーケストレイションに重きを置いた方向性にシフトしまるで王宮音楽のような英国らしさを取り戻した。これを最高傑作とする声もある。
それから74年「異国の………ダメだ…マシューフィッシャーのいないプロコルハルムなんてプロコルハルムじゃない!あのオルガンがないとダメ!……こんなこと言ってる時点で僕も「青い影」の亡霊に囚われてる1人なんだな。
やはりゲイリーブルッカーとマシューフィッシャーの化学反応こそがプロコルハルムの醍醐味であると思うのだ。ロビントロワーはソロ転身後ギターヒーローとして大成するし、B.J.ウィルソンのボンゾばりのドラムも素晴らしいがプロコルハルムに必要不可欠かと言われると即答
はできない。ブルッカー主体で始まったバンドが「ソルティドッグ」にてようやくブルッカーとフィッシャーのパワーバランスが均等になったのに、ここで脱退はもったいない。やはり2005年に訴訟を起こすこととなる「青い影」の著作権の問題によっての亀裂だろうか。
マシューフィッシャーは73年に「旅の終わり」でソロデビュー。ベースドラム以外の楽器を全て自身で演奏するマルチプレイヤーっぷりも見せた。これがまた素晴らしくて、まさにプロコルハルムな雰囲気を持ったアルバムである。
てなわけで70年以降のフィッシャー不在のプロコルハルムにはあまりときめかないのが本音である。67年の「青い影」、68年には「月の光」にて早すぎるプログレ、ロック組曲の発案をしておきながら69年にはコンパクトな作風に、ととにかく時代の先を行ったプロコルハルムである。「75年以降聞けない病」の僕がプロコルハルムに限っては70年以降聞けないんだから、そこも5年早いってことだ(73年「グランドホテル」はいいけどね)。
プロコルハルムは77年に解散し、ゲイリーブルッカーはソロ活動、アランパーソンズプロジェクトにもゲスト参加した。
90年にB.J.ウィルソンが肺炎にて死去したことをきっかけに再結成し現在まで活動を続けている。
図のコーナー
最後にそうだな、少し図を繋いどこうか。
ジミー・ペイジがツェッペリン結成にあたり、B.J.ウィルソンをドラムに誘ったという話をしたと思うが、そのきっかけとなったのがジョーコッカーの68年の大ヒットシングル「With a Little Help My Friends」のレコーディングメンバーとして一緒だったことである。
「With a Little Help My Friends」はビートルズの67年「サージェントペッパーズロンリーパーツクラブバンド」に収録されたリンゴスターの歌う可愛らしい曲であるが、ジョーコッカーのカバーバージョンはもはや原曲の原型をとどめていないブルースロックバラードである。これがカッコいいのよ。全英1位を獲得し、69年にはウッドストックフェスティバルでもこの曲を披露しているが僕的にはウッドストックのベストアクトだと思っている(コッカーのエアギターが最高)。
ジョーコッカーはこのヒットシングルを冠したデビューアルバム「With a Little Help My Friends」を69年にリリースするが、そこに収録されているボブディランのカバー「Just Like a Woman」でもジミー・ペイジ、B.J.ウィルソンが参加し、さらにオルガンはマシューフィッシャーが弾いている。マシューフィッシャーはこの1曲、B.J.ウィルソンはタイトル曲と合わせて2曲だが、ジミー・ペイジは5曲参加しており彼らしいギタープレイがしっかり聴けるのもこのアルバムの魅力。他にもなんとスティーブウィンウッド(ブラインドフェイス、トラフィック)がオルガンで数曲参加している。
レコーディングが68年頭なので、本当にツェッペリン結成直前の時期であるが、B.J.ウィルソンもすでにプロコルハルムに加入しているので2人のバンド共演は叶わなかった。結果ボンゾという最強のドラマーでレッドツェッペリンは突き進むわけだ。
まとめ
とにかくプロコルハルムは69年3rd「ソルティドッグ」までがとにかくおすすめ。
2nd「月の光」は素晴らしいがやっぱりプログレッシブで中々の暗さと重さを持っているんだけど、プロコルハルムの良さは「美しく気高いけど軽い」ところだと思うのでやはり3rd「ソルティドッグ」とシングル「青い影」と「Homburg」が特におすすめ。
そしてプログレ好きには「月の光」。
ジミヘンが好きならロビントロワーのソロは要チェック!
プロコルハルムのオルガンにキュンときたならマシューフィッシャーの「旅の終わり」も!
おしまい!