ヒッピーとサイケ
《既存の形式や価値観からの解放》という大きなテーマを持ちビート文学を祖として60年代半ばにアメリカ西海岸で生まれたカウンターカルチャー、ヒッピー文化はベトナム戦争に対する反戦運動、脱キリスト教、マリファナとLSD信仰(より過激であるヘロインやコカイン、そしてアルコールは嫌っていた)、フリーセックス、自然回帰、東洋文化への傾倒、各種差別の廃止、などのいわゆる《ラブ&ピース》な主張を持っており、それに賛同する若者は皆西海岸サンフランシスコに集まった。
ロックミュージックとの関わりも強く、67年「モントレー・ポップ・フェスティバル」で『サマー・オブ・ラブ』が幕を開け、69年その集大成と言える「ウッドストックフェスティバル」では50万人のヒッピーが集まった。ヒッピー達が愛用したLSDによるサイケデリック現象を音楽化したサイケデリックロックがこの時期のロックミュージックの主流となっていく。グレイトフルデッドやジェファーソンエアプレインなどの西海岸サイケバンドとヒッピー文化は根っこでしっかり繋がっており、ロックとヒッピーは切っても切れない関係であった。
一方イギリスはというと、このカウンターカルチャーの輸入により若者たちは《既存の形式や価値観からの解放》という思想に共鳴し、ロンドンアンダーグラウンドが誕生、ピンクフロイドを中心にサイケデリック旋風が巻き起こる。ビートルズやドノヴァンなどのメインストリーム勢もLSDや東洋思想を受け入れサイケデリック作品を多数生み出した。ビートルズやストーンズもLSDを愛したし、シドバレットはLSDに取り憑かれたし、ソフトマシーンのデヴィッドアレンやケヴィンエアーズのようなヒッピー野郎も誕生した。そんな彼らが作り出したサイケデリック音楽は本当に素晴らしく、アメリカンサイケとはまた一味違う英国らしさを持ったサイケは一大ブームとなる。
しかしサイケの根底にあるヒッピー文化の方は正しく輸入されなったのかもしれない。
アメリカの67年モントレーポップフェスティバルに倣ってイギリスでも68,69,70年と『ワイト島音楽祭』が開かれ、特に70年の出演者の豪華さは異常でありウッドストックフェスティバルを越す60万人を動員したが、そこに集まった聴衆の劣悪さは有名である。それは《ラブ&ピース》とはかけ離れた暴徒の衆、ヒッピーファッションを身に纏った偽ヒッピー達の集団であった。
元来背景にヒッピー文化のないイギリスのサイケデリックブームの中次々と出てきたブリティッシュサイケ勢というのは「サイケデリックロック」に影響を受けてサイケデリックロックをやったわけで、その根底にヒッピー思想はなく、言わばヒッピーファッションを纏ったサイケバンドであり、つまりファッションとしてのサイケデリックロックというのがブリティッシュサイケの本性なのかもしれない。ヒッピー文化はアメリカという国の時代背景から発生したカウンターカルチャーであるので、イギリスの若者にすっぽり当てはまるわけもなくて、まぁイギリスはイギリスで階級制度なんかがあったりするけど、この辺のそれぞれの国の背景や政治状況やらは「世界史」とか「現代社会」の話で正直僕はそこら辺がちんぷんかんぷんなのでちゃんと勉強すべきなんだけど。
まぁとにかく根っこのない「サイケデリックロック」が一過性のブームとなるのは自然なことで69年には終わりを迎え、その表現の多様性はプログレッシブロックへと引き継がれていくわけだ。
といっても本場アメリカも69年「オルタモントフリーコンサート」での「オルタモントの悲劇」、ヒッピーの流れを利用したカルト野郎チャールズマンソンの無差別殺人、ジャニスジョプリンやジミ・ヘンドリックスの相次ぐオーバードーズ、なんかで《ラブ&ピース》を掲げ、理想の世界を目指すハズのヒッピー文化は徐々にボロを出し始める。何より溢れかえったヒッピー集団は「アメリカ国に対してのカウンター(反抗)」というよりは「社会をドロップアウトした人間の避難所」というような状態であったらしい。
それでもニールヤングが70年に「オハイオ」という曲で歌った、オハイオ大学で反戦デモを行った学生が州兵に銃殺される、というような悲惨な事件が度々起こる当時のアメリカではヒッピー文化が消え去ることはなく、70年代に入ってもジョンレノンなどの反戦活動にヒッピー達は賛同した。
75年にベトナム戦争が終わると愛国的感情がアメリカに流れ始めヒッピーの大群は姿を消した。それでもヒッピー理想を追い求める一部のヒッピーは西海岸オレゴン州にて未だにコミューン(ヒッピーの集団)生活をしているらしい。
とはいえアメリカンサイケも69年には数を減らし、CSN&Yなどのフォークロックへの回帰、南部音楽に回帰したサザンロック、スワンプロック、カントリーロック、イギリスの影響を受けたプログレやハードロック、東で生まれるパンクロックなどロックの多様化への道へ進み出す。これは英米間の互いの音楽的影響の強さからくるものだと思っていて、イギリスでサイケブームが起きて終わらなければ、アメリカンサイケはヒッピー達と共に75年まで生き続けていたんじゃないかとか思ったり。
結局何が言いたいかというと、ブリティッシュサイケは見せかけだけのファッションであったということ。そしてそのカラフルサイケが音楽的に死ぬほど素晴らしいということ。つまりはLSD云々とかヒッピー云々とかを置いておいて音楽的に、芸術的に素晴らしいものであるということ。66年〜68年の短い時期に多数生まれたブリティッシュサイケバンドとその作品を4章のまとめとしていくつか紹介しとこうと思う。
4-6 カラフルブリティッシュサイケ
さぁまとめとしてブリティッシュサイケの名盤紹介をしようかと思いますが、すでに紹介したのを挙げておくと初期ピンクフロイド、初期ソフトマシーンとその関連、トゥモロー関連とトゥインク関連、ムーブ、プロコルハルム、そして前回のドノヴァン、くらいかな?
ビッグネームでいうと、ビートルズは66年「リボルバー」67年「サージェント」67年「マジカルミステリーツアー」が、ストーンズは68年「サタニックマジェスティーズ」がサイケにあたるかな。この2組は…ビッグすぎるしまぁいいでしょう。
じゃぁ…うん。クリームから繋がって見ていこうかな。
Cream
クリームはエリッククラプトンがヤードバーズ脱退後の66年に結成したスーパートリオで、ベースがジャックブルース、ドラムがジンジャーベイカー。ハードロックの祖であると言われることもしばしば。
ブルースロックを基礎としたサイケデリックロックが持ち味なんだけど1番サイケ比率が強いのが67年2nd「カラフルクリーム」だろう。
クリームの活躍は言うまでもないので次へ。4枚のアルバムを残し68年にクリームは解散、クラプトンとジンジャーベイカーはスティーブウィンウッドと共にブラインドフェイスを結成する。このスティーブウィンウッドがその前にやってたバンドがトラフィックである。
Traffic
スペンサー・デイヴィス・グループというビートロックバンドのオルガンだったスティーブウィンウッドが67年に結成したのがTraffic(トラフィック)で、デビューアルバム「Mr.Fantasy」がサイケの名盤である。
ビートルズのサージェントペッパーの影響をしっかり受けたサイケ作品。スティーブウィンウッドのソウルフルな歌が特徴的で、ブルースやソウルといった黒人音楽を基調としながら様々なジャンルを混ぜ込んだ感じがバッファロースプリングフィールドを感じるアルバム。トラフィックはブリティッシュバンドでありながらかなりアメリカの血が濃いバンドという印象。
「Dear Mr.Fantasy」で素晴らしいギターを弾くデイブメイソンもトラフィックの重要人物であるが、68年2nd「Traffic」をリリースすると脱退。スティーブウィンウッドもブラインドフェイスを結成するためトラフィックは分解。
トラフィックのデイブメイソンがプロデュースした68年「ミュージック・イン・ア・ドールズハウス」というサイケアルバムでデビューしたファミリーというバンドがいて、さらにそのファミリーのベースのリックグレッチがクラプトン、ジンジャーベイカー、スティーブウィンウッドと共にブラインドフェイスの創設メンバーである。
Family
バンド名からしてまさにヒッピームーブメントなFamily(ファミリー)は時代と共にサイケからプログレへと進んで行くこの時代の典型的なバンドの一つである。デビュー前の時期はピンクフロイドやソフトマシーンらと同じくロンドンアングラシーンを盛り上げた。
トラフィックのデイブメイソンプロデュースの68年デビュー作「ミュージック・イン・ア・ドールズハウス」はサイケ史に残る名盤。
管楽器やメロトロンを使った美しい世界観の演出とボーカルのロジャーチャップマンの過度なビブラートが独特なサイケポップ!
メンバー入れ替えの激しいバンドであり、ベースのリックグレッチが69年にブラインドフェイスに加入するため脱退。代わりにベースで入るのが後期アニマルズ(後期アニマルズもサイケなんだけどもはやアメリカのバンド)のジョンワイダーが加入。70年にはワイダーが脱退してジョンウェットンが加入。ジョンウェットンは72年にキングクリムゾンに引き抜かれて行く。
69年にファミリーに加入するマルチプレイヤー、ポリパーマーは加入前ブロッサムトゥースというバンドにいたが、これまた重要なサイケバンドである。
ファミリーはワイト島音楽祭にもしっかり出演。
(遥か彼方に居たわジョンウェットン…)
Blossom Toes
ロンドンにて結成されたサイケバンドBlossom Toes(ブロッサムトゥース)。67年リリースのデビュー作「We are so ever clean」がサイケロックの名盤。
ストーンズやヤードバーズを見出したジョルジオゴメルスキーによるプロデュースであり《ジョルジオゴメルスキーズロンリーハーツクラブバンド》と呼ばれることもあり、やはりこれも『サージェント症候群』の内の一枚。B級感は漂うものの独創的なサイケロックをプレイしている。アルバムには未収録だがシングル「Postcard」は極上のサイケポップ。
69年2nd「If Only for a Moment」は激しいサウンドにデスボイスと呼べるボーカルなど大幅に音楽性を変え、プログレと呼べるものになったが、70年には解散。ポリパーマーは途中加入で2ndにて1曲だけドラムを叩いた後にファミリーに加入する。
Kaleidoscope
もはや図を繋いでまつわることができなくなってしまった。
Kaleidoscope(カレイドスコープ)、《万華鏡》の名を持つバンドだが、アメリカに同時期に同名のサイケバンドが存在するので正直ややこしい。やはりサイケで《万華鏡》は被るか。
67年デビュー作「Tangerine Dream」はこれぞ英国サイケ!な抜群のカラフルサイケ。フォークロックの香りをしっかり残したハーモニーも気持ちいい。69年2nd「Faintly Blowing」もフォークサイケといった感じの1stと同じ方向性の作品であるが、これに収録されている「Music」という曲がドラムの音にフェイザーをかましたりかなり実験的でエグ味の強いサイケソングでクルクルパーで面白い。
70年にはメンバーは同じでバンド名をFairfield Parlourに改めて再デビューしている。唯一作の2枚組アルバム「From Home to Home」はプログレッシブロックに数えられることが多いが、音楽性はカレイドスコープ時代とあまり変わっていなくて70年にサイケロックが聴ける珍しいバンドでもある。ヴァーティゴレーベルからリリースされたことも注目ポイント。
彼らはこのFairfield Parlourでワイト島音楽祭に出演。
Andwella's Dream
天才メロディーメーカー、デイブ・ルイス率いる北アイルランド出身のAndwella's Dream(アンドウェラズドリーム)。68年にロンドンへ移りデビューとなった69年1st「Love & Poetry」がとにかく傑作サイケ。アイルランド人特有のアイリッシュな雰囲気とサイケが融合した音楽性は他で聞けない。
70年にAndwellaに改名し、2nd「World’s End」ではプログレ、ラスト作となった71年3rd「people's people」ではスワンプロックの傑作を残す。
Nirvana(uk)
アイルランド人のパトリックキャンベルを中心に67年にロンドンで結成されたソフトサイケバンドNirvana。90年代にアメリカに出現したカートコバーンのニルバーナが有名になると同名のバンド名を使うなとゆーことで裁判を起こすがあっけなく負けている。カートコバーンのニルバーナが有名すぎることで(UK)とつけられてしまうことの多い可哀想なバンドである。
しかし音楽は素晴らしく、正直B級感漂うバンドが多数存在するサイケブームの中で超S級のクオリティを誇るバンドである。「何故これが売れないんだ…」と思うバンドはたくさんいるんだけど、その中でも特に思うバンドである。
67年デビュー作の「The Story of Simon Simopath」はサイモンサイモパスの物語というタイトル通りのコンセプトアルバムであるが、ストリングスを効果的に使った素晴らしいサイケポップを繰り広げる。
「ソフトロック」というジャンルは未だに定義が曖昧であり日本と欧米とでも捉え方が違うようだが僕は
- 60年後半から70年前半
- スタジオワークに重点を置いたもの
- ブルースからの脱却
- ギターロックからの脱却
みたいな定義をなんとなく持っていて、そこにサイケのニュアンスが足されたニルバーナを「ソフトサイケ」と分類している。
68年2nd「All of Us」,70年3rd「 To Markos III 」と極上のソフトサイケ及びソフトロックを製作し、ヴァーティゴレーベルに移ってからの72年4th「局部麻酔」、73年5th「愛の賛歌」はプログレとして知られている。
90年代にコンピレーションアルバムを出す際に先ほど言ったカートコバーンのニルバーナ(US)に対する裁判を起こしており、負けると今度はカートニルバーナの「リチウム」をカバーしてみたりオッサンになってからの明らかな売名行為には苦笑いするしかない(でもこのリチウムがまた彼ららしくて面白い)。
僕は好きなバンドTop10にこのバンドを入れるくらい好き。
The Zombies
ソフトサイケで忘れてはいけないのがゾンビーズの68年2nd「Odessey and Oracle」(忘れかけてた)。
ゾンビーズは64年デビューのブリティッシュビートバンドでありブリティッシュインヴェイジョンの一員にも数えられる。64年デビューシングル「She's not there」や65年2ndシングル「Tell her no」が英米で大ヒットし、同年1stアルバム「The Zombies」をリリースするが人気は低迷。
67年にデッカレコードからCBSレコードに移籍して制作された2nd「Odessey and Oracle」がソフトサイケの名盤である。「Time of the seoson(2人のシーズン)」という曲がヒットしたことでとにかく有名であるがこのアルバムではこの曲だけ異色であり、もしこの曲だけでゾンビーズを聴き終えた人がいれば彼らのカラフルサイケを聴き逃していることになる。
全編に渡って活躍するメロトロンが特徴でメロディもキャッチーで名曲揃いのアルバム。アビーロードスタジオでレコーディングされ、エンジニアはジェフエメリック。非の打ち所がない。
このアルバムを作ってゾンビーズは解散となるが「2人のシーズン」のヒットにより、ツアーで金を稼ぎたい会社側の思惑から偽ゾンビーズが生まれたりもしたという逸話もある。
中心人物のキーボーディスト、ロッドアージェントはゾンビーズ解散後自らの名前を冠したArgentというバンドを結成。
ラスバラードというヒットメイカーも在籍し、70年代にプログレッシブバンドとして活躍した。74年5th「Nexus」が僕は好き。KISSのヒット曲である91年「God Gave Rock and Roll to You Ⅱ」のオリジナルである「God Gave Rock and Roll to You」も73年にヒットしている。
まとめ
まぁひとまずこんなとこ。重要なバンド山ほど忘れてる可能性もあるし、何よりペチャクチャ偉そうに語ってるけど僕なんかが知ってるブリティッシュサイケ作品なんて全体の10%、いや5%くらいでしょうし。まっだまだコアなブリティッシュサイケが山ほどあるんだけど、僕がオススメできるのはこれくらいかな。
紹介したバンドのいくつかを図で繋げれないのが悔しいんだけど、またどっかで繋がれば繋げるってことで!ヴァーティゴからリリースしたNirvanaとFairfield Parlour(その前身のカレイドスコープ)だけ繋いどこうかな!
またヴァーティゴレコード特集もやりたいな。ロックが多様化していく70年前半の中でもヘンテコな奴らをいっぱい抱えた面白いレーベルなんだよな。
全体図
(図をエクスポートしようとしたらアプリが落ちるのでスクリーンショットで…何がなんやら)
はい、4章ブリティッシュサイケ、ひとまず完!