ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

10-7 Space Oddity〜通算10枚目にして念願の初ヒットシングル!〜(第68話)

ボウイ。前回は69年頭に撮影された(84年までお蔵入り)ボウイの自己紹介フィルム『Love You Till Tuesday』の話とフェザーズの話、そして69年春に恋人ヘルミオーネと別れてベックナムにて《アーツ・ラボ》に参加するところまで書きました。続きを。

 

King Beesで初めてシングルをリリースしレコードデビューしたのが64年、それから65年にマニッシュボーイズで1枚、66年にThe Lower 3rdで2枚、The Buzzを従えたソロ名義で2枚、67年デラムレコードに移り3枚のシングルと1枚のアルバム、64年〜67年7月までに計9枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしどれも鳴かず飛ばずだったボウイ。

67年,68年はチベット仏教に傾倒したり映画『The Image』に出演したり、リンゼイ・ケンプと出会い舞台に出演したりと音楽から離れていくかのように見えるが、68年末にフェザーズを結成。69年頭に自己紹介フィルム『Love You Till Tuesday』の撮影とレコーディングをし、春にはフェザーズのジョン・ハッチンソンと共にデモを録音、これをマーキュリーレコードへ持っていき契約成立、そして69年7月に2年ぶりとなるシングル〝Space Oddity〟をリリースしこれがボウイの音楽キャリア通算10枚目のシングルにして念願のヒット曲となるわけだ。

今回はこの会心のシングル〝Space Oddity〟について!

10-7 Space Oddity〜通算10枚目にして念願の初ヒットシングル!〜(第68話)

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68年公開のSF映画の金字塔2001年宇宙の旅からインスピレーションを受け作られ、69年世界中が注目したアポロ11号人類初の月面着陸に合わせてリリースされた〝Space Oddity〟!!

 
「Mercury Demos」と《ベックナム・テープ》

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The Buzzからのメンバーでフェザーズでもボウイの相棒だったジョン・ハッチンソンとの69年春のデモ録音をマネージャーのケネス・ピットがマーキュリーレコードに持ち込み契約が成立しこのシングルがリリースされるわけだが、この時のデモがThe Mercury Demos」として去年2019年にLPでリリースされたんだけどこれが前回最後に紹介した《ベックナムテープ》と同じなのか別なのかよくわからない。《ベックナムテープ》の音源は様々なタイトルで存在しているがその全てが非公式であり、その公式盤が去年「The Mercury Demos」としてリリースされた、と僕は解釈してるんだけど、曲目も同じだし。

何にせよこのデモには2ndアルバムDavid Bowie(Space Oddity)」に収録されることになる曲のアコースティックデモが多数収録されており、当時のボウイの音楽性はかなりフォーク寄りだったことがわかり、2ndアルバムは紛れもなくフォークロックアルバムであると証明する材料となっている。

もちろん〝Space Oddity〟も収録されており、一際異才を放つこの曲をアポロ11号人類初の月面着陸に合わせてシングルリリースする作戦が持ち上がったわけだ。

 

〝Space Oddity〟誕生!!

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2001年宇宙の旅

68年に公開されたスタンリー・キューブリックによるSF映画2001年宇宙の旅から着想を得てボウイは〝Space Oddity〟を生み出した。『2001年宇宙の旅』の原題は『2001: A Space Odyssey』であるがボウイは【Odyssey(放浪、旅)】【Oddity(奇人、変人)】に文字り、〝Space Oddity(宇宙奇人)〟とした。

最古の弾き語りデモは69年1月(たぶん)であり、前回書いたように2月に『Love You Till Tuesday』用にレコーディングとPV撮影、4月に「マーキュリーデモ」、《ベックナムテープ》でデモ録音、英フィリップス、米マーキュリーと契約成立し、7月にシングルリリース、11月にアルバムリリース。ボウイほどのスターになるとほんとにたくさんのバージョンが存在していて大変なんだけどシングルバージョンはアルバムバージョンを少しカットした編集音源でクレジットは同じよう。

『Love You Till Tuesday』に収録された初期バージョンを僕は前回割と褒めたと思うんだけど、やっぱり正式にリリースされたバージョンと比べると見劣りしてしまう。シングル〝Space Oddity〟のレコーディングは後にそれぞれ名を残すすんごい面子で行われた。69年6月にレコーディングを行ったその布陣を見て行こう。

 

70年代にエルトン・ジョンのプロデューサーとして有名になるガス・ダッジョンがプロデューサーさとなった。ボウイの67年デラム期2枚目のシングル〝The Laughing Gnomeでエンジニアとして奇妙なノーム(妖精)ボイスを作り上げた絡みもある。

『Love You Till Tuesday』の初期バージョンの時点で歌詞とコードワーク、曲の構成、スタイロフォンと12弦アコギはほぼ出来上がっておりボウイのアレンジ力とセルフプロデュース能力の高さに驚くが、ガスダッジョンはそこにさらなる装飾を施し宇宙の壮大さと奇妙さと孤独を表現することに成功した。素晴らしい。

 

同年11月の2ndDavid Bowie(Space Oddity)」、70年3rd「世界を売った男」《ベルリン三部作》など長きに渡ってボウイをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティだが、この〝Space Oddity〟に限ってプロデューサーをガスダッジョンに委任している。理由は僕の翻訳が正しければ「歌に圧倒されたため」とある。

フルート、木管楽器、としてこの曲にクレジットがあるがずっとどこで吹いてるのか不明だったんだけど公式にこの曲のマルチトラック音源が公開された(最高。)こともあってYouTubeにフルートを抜粋した音源を発見。冒頭から確認するとずっと無音でおかしいなぁと思ったらアウトロでむちゃくちゃ適当に吹いてるだけで笑ってしまった。なのでこの曲に関してはほぼノータッチと言っていい。

トニー・ヴィスコンティT-REXのほぼ全てのアルバムをプロデュースするなどグラムロックにおいてめちゃくちゃ重要なプロデューサー(ボウイのグラム全盛期は離れるんだけど)なのでまた後にどこかでまとめて触れます!

 

  • string arrangement:ポール・バックマスター

なわけでストリングスアレンジなんかもトニー・ヴィスコンティは担当せずポール・バックマスターがストリングスアレンジと指揮を担当。後述するがシングルB面の〝Wild Eyed Boy from Freecloud〟ではウッドベースを弓弾きで演奏した。

この後ストリングスやホルンのアレンジャーとして70年〝Your Song〟を含むエルトン・ジョンの楽曲やストーンズ71年スティッキー・フィンガーズの数曲、バッド・フィンガーのカバーで大ヒットしたハリー・二ルソンの71年〝Without You〟なんかも手がけた偉大な男。

 

後に鍵盤の魔術師と呼ばれロック界を代表するキーボーディストとなるリック・ウェイクマンがセッションミュージシャン時代にメロトロンで参加。《ベックナム・アーツ・ラボ》にも参加していたという話があるが詳細は不明。

リック・ウェイクマンはこの後、英フォークロックバンドストローブスに加入した後に71年にYesに加入しプログレ黄金期を駆け抜けるがセッションマンとしての活動は続け、ボウイ作品では〝Space Oddity〟を含む69年2nd、71年4thハンキー・ドリーにもピアノで参加(〝Life on Mars?〟の素晴らしきピアノ、ウェイクマンなのね)、72年5th「ジギー・スターダスト」でも〝It Ain't Easy〟でピアノを弾いている。

エルトン・ジョン71年4thでオルガン、T-REXの71年〝Get it On〟でピアノ、ルーリードの1st「ルーリード」でも鍵盤を弾いていて、ボウイ、エルトン・ジョンT-REX、ルーリード辺りは裏方の面子が被ってることが多いんだな。

 

  • Bass:ハービー・フラワーズ

英国で最も有名なセッションベーシストと言われる(wikiによると)男。

ボウイでは69年2nd「Space Oddity」74年8th「Diamond Dogs」に参加。他にもやはりエルトン・ジョンの初期作品やハリー・二ルソンのアルバムなどで活躍するがルーリード72年2nd「トランスフォーマー」収録の〝ワイルドサイドを歩け〟での印象的なベースプレイが1番有名だろう。末期T-REXには正式メンバーとして加入するなど、やはりこの界隈での活躍が目立つ。80年代にはジョージやリンゴのアルバムにも参加。

自らのバンドとしては69年にBlue Minkを結成し〝Melting Pot〟などのヒット曲を残した。

 

  • Guiter:ミック・ウェイン

元々はthe Tickleというサイケバンド(知らぬ)のギタリストだったミック・ウェインは68年にJunior's Eyesを結成。デビューシングルをトニー・ヴィスコンティがプロデュース、ピアノでリック・ウェイクマンが参加した繋がりからボウイの〝Space Oddity〟でミック・ウェインがギターを弾いた。ディレイを駆使した宇宙的なギターはこの曲かなり重要なパーツである。

Junior's Eyesはそのまま69年から70年頭までのボウイのバックバンドとなり、BBCラジオショーなどで演奏。ベースのジョン〝ホンク〟ロッジはトゥインクの70年「Think Pink」に参加。ドラムのジョン・ケンブリッジは元The Ratsでバンドメイトだったミック・ロンソンをボウイに紹介し、ケンブリッジ、ロンソン、ヴィスコンティThe HypeがJunior's Eyesからボウイのバックバンドを引き継ぐことになる。

Junior's Eyesは69年にアルバムを1枚リリースしてるがちゃんと聴けてないのよね…

 

  • Drums:テリー・コックス

冒頭、遠くから静かに聞こえる12弦にスネアの「スタタタン」で〝Space Oddity〟の世界観に誘われるがそれを叩いてるのがペンタングルのテリー・コックス。ペンタングルでのグロッケンを叩きつつドラムを叩くスタイルがクールで好きなドラマーの1人。

元々アレクシス・コーナーバンドの出身でペンタングルやシャーリー・コリンズ、チューダー・ロッジなどブリティッシュフォーク界隈での活躍が目立つが69年ボウイの2ndエルトン・ジョンの初期作品でも活躍。

〝Space Oddity〟ではちょっっとサビでの金物がうるさいけれども凄まじくかっこいいドラムを叩き散らしている。

 

以上、そりゃヒットするだろうって感じの申し分ない面子が集まったが、これだけのメンバーが集まるきっかけとなった「マーキュリーデモ」を共に作った相棒ジョン・ハッチンソンが消えているのが気になる。僕はボウイに冷たい非情なイメージはないんだけどね。

 

さてボウイ自らが担当したのが12弦アコギとスタイロフォンである。

 

12弦アコギのストローク

「ロックの革命というのはほとんどリズムの革命である」的なことをどこかで聞いたことがある。僕はこれについて考え始めてから「ロックにおけるほとんどの発明はビートルズがすでにやっている」という誰もが知る文句を一旦封印している。

〝Space Oddity〟及び2ndアルバムでボウイが多用している12弦ギターのストロークビートルズにはないものだ。学がないので説明の仕方があってるか難しいが、16分のストロークで2拍目と3拍目の間がシンコペーションしてるストロークである。「ジャ〜ジャ/ジャ〜ジャジャ/〜ジャジャ〜/ 〜ジャジャジャ」である(わかりにくい)。これって今ではめちゃくちゃ普通なんだけど実は60年代にないストロークだと思うんだな(いや、よく考えれば山ほど出てくるかもしらんけど)。

ボウイが発明したとは言わないけど、どこから来たリズムなんだろうか、こーゆーのん辿ってみるのも面白いかも…

なわけで〝Space Oddity〟及び2nd「David Bowie(Space Oddity)」って60年代ロックな感がなくて、サイケとも言い難くフォークロックとも言い難くオルタナティブな空気感を持ってるのよねん。

 

スタイロフォン

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やはりスタイロフォンの使用は特殊な効果を生んでるだろう。

スタイロフォンは金属製のキーボード部分をスタイラス(タッチペンのようなもの)で触れると内臓スピーカーから音が鳴る当時イギリスで登場したばかりの小型電子楽器で、ボウイがこの曲で使用した他クラフト・ワークが使用したことでも知られる。

元々は子供用の玩具として設計されたものであり操作が簡単で非常にローファイなオルガンのような音(ファミコンみたいな)が特徴的だが、これを〝Space Oddity〟でボウイが効果的に使用した。ローファイな電子音が交信の不具合を表現してるかのよう。

これもマルチトラック音源公開によってスタイロフォンのみの音源を聴くことができる。なかなか面白いので興味ある方は是非。

 

続く!

ちょいと予想以上に長くなりそうなので2回に分けます!次回は歌詞についてとシングルB面〝Wild Eyed Boy from Freecloud〟にも触れれたら!

図は次回まとめて進めます!では!

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(シングル〝space oddity〟直前までの全体図)

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