アメリカという国は広大であるので州が違えば国が違うくらいの感覚で各地のロックを受け止めるべきだ。そう思ってからブリティッシュロック贔屓な僕も「アメリカンロック苦手なんだよね」とは軽々しく言わなくなった。
そんなわけでこのブログでは割と州や都市にスポットを当てながら欧米のロックを書いてきた。特に67年にサンフランシスコを中心にアメリカ全土で起きた〈フラワームーブメント〉の下で生まれた各地のサイケバンドについては7章でグレイトフルデッドやジェファーソンエアプレインらサンフランシスコサイケを。
8章でLoveやストロベリーアラームクロックらLAサイケを。
9章では《その他USサイケ》として13thフロアエレベーターやレッド・クレイオラらイカれたテキサスサイケやストゥージーズやMC5らデトロイトヘヴィサイケ、ブルース・マグースやフリーク・シーンらニューヨークサイケと都市ごとにピックアップして書いてきた。
そのせいでUKサイケのほうが好きだと豪語しておきながらUSサイケの記事のほうが多くなってしまってるんだけど…ま、仕方ないか。
この間DJ(というよりBGM係か?)をする機会があったので空気を読まずとびきりサイケでアシッドなCDをセレクトしていた(ちょっと空気読んで美しきブリティッシュフォークも混ぜながら)時に久しぶりにThe Art Of Lovin'を棚から引っ張り出してきた。The Art Of Lovin'はマサチューセッツ州ニュートンの現役高校生が67年に組んだかなりジェファーソン・エアプレインに影響を受けたバンドである。68年に〈メインストリームレコード〉から唯一作をリリースしたが高校卒業のタイミングでメンバーは音楽の道を選ばず解散、でそれっきり。まぁマイナーUSサイケだ。
The Art Of Lovin'
とにかくジェファーソン・エアプレインの影響下にあるサイケバンドで、紅一点ボーカルのゲイル・ウィニックは17,8歳でありながらグレース・スリックにそっくりの堂々とした歌声である。68年唯一作の11曲中10曲のオリジナル曲はほとんどギター/ボーカルのポール・アップルバウムが作曲している。ガンダルフやナイスがカバーしたティム・ハーディンの名曲〝Hang On To A Dream〟をカバーしており、その影響力を痛感することもできる。グレース・スリック風な歌とファズの聴いたギター、チープなオルガン、確かに若く雑な印象は受けるが絶妙なB級サイケ感で個人的には好きなアルバムだ。特に2曲目〝What The Young Minds Say〟は名曲。とにかく楽器類が雑でもボーカルの力があればいい音楽ができるということを教えてくれる意味ではレーベルメイトであるジャニス・ジョプリンのビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーに通ずるところはある。
ジェファーソン・エアプレインの2nd「Surrealistic Pillow」が67年2月にリリースされ、アート・オブ・ラヴィンが67年後半に結成、すぐにリハーサルを重ねて68年頭に〈メインストリームレコード〉と契約、5月にアルバムリリース。ジェファーソンエアプレインに憧れてバンドを結成した少年少女にとったら夢のようなストーリーだ。が音楽の道を選ばず高校卒業と共に大学行きますってあっさり解散するってんだから30過ぎた売れないミュージシャンからしたらたまったもんじゃない。
この辺のマイナーサイケバンドは本当に情報がなくて。それは詳細が不明という意味ではなく、そもそも〈フラワームーブメント〉の流れの中で「バンド組んでアルバムリリースして解散した」だけのバンドが多数いるわけで、全貌が明らかなったところで情報量が少ないって感じの。特にアート・オブ・ラヴィンは誰もこの後音楽の道を進まなかったわけだから余計に。
なわけでこれ以上は特に書けることもなく、僕が持ってる2008年初再発CD盤のライナーノーツを書いた伊藤秀世氏もアートオブラヴィンについてほとんど書きようがなく、当時のボストン近辺の話を中心に書いている(ニュートンはボストンのすぐ側の街らしい)。
面白いのがマイク・カーブの話から書き始めてて、マイク・カーブの毒牙にかかったボストンのバンドとしていくつかの〈MGM/ヴァーヴレコード〉のサイケバンドを書いた後に、逆に毒牙から逃れたバンドとしてアート・オブ・ラヴィンを紹介しているところだ。マイク・カーブはこのブログではWestcoast Pop Art Experimental Bandのマイケルロイド関連で出てきた程度であるが少し彼の話を。
マイク・カーブ
マイケル・ロイドはWestcoast Pop Art Experimental Bandを2ndアルバムリリース後脱退した後10代にしてプロデューサーとして活躍した天才であり、Smokeやオクトーバーカントリーといったソフトサイケなプロジェクトでもその力を見せつけた。その才能を見出したのがマイク・カーブであり、カーブはロイドにスタジオを自由に使う権限を与え、ロイドはキム・ファウリーと共に60年代末のLAのいくつかのサイケプロジェクトをプロデュースした。
マイク・カーブは63年に19歳でハリウッドで〈サイドウォークレコード〉というレコード会社を設立。映画音楽(作曲もこなした)を中心としたレーベルであったようだがリンダ・ロンシュタットが在籍していたStone Poneysやマイク・ブルーム・フィールドのElectric Fragをプロデュースし世に出すなど西海岸のロックに貢献した。
69年に〈MGM/ヴァーヴレコード〉の社長に就任。この時マイケルロイドを副社長に任命している。カーブは「ノードラッグ」をテーマに掲げヴェルベット・アンダーグラウンドやマザーズ・オブ・インヴェンションなどの大物でもドラッグの匂いがするバンドを次々と解雇し、オズモンズなどクリーンなイメージのグループを売り出す方針で70年代に突入していく(ロイドも共に、のようだがこの70年以降辺りは詳しく知らぬ)。
自身の音楽活動としてはマイク・カーブ・コングリゲイションという合唱グループを組織し、73年にはディズニーランドで知られる〝It's a Small World〟もヒットした。
79年〜83年にはなんとカリフォルニア州の副知事を務めてもいる。とにかくやり手の男。
そんなマーク・カーブがフラワームーブメント真っ只中の67年〜68年にボストン近辺のバンドを毒牙にかけたとかかけてないとかの話には60年代ロック最大の失敗とも言われる《ボスタウン・サウンド》が絡んでくる。
《ボスタウン・サウンド》
67年〈サマーオブラヴ〉の頃、アメリカ音楽市場の中心は西海岸であった。サンフランシスコかロサンゼルスか。シスコにはジェファーソンエアプレインとグレイトフルデッド、LAにはバーズやドアーズ、そしてそれに追随する無数のバンドがひしめき合い盛り上がっていた。ニューヨークはニューヨークでヴェルベット・アンダーグラウンドやファッグスら前衛的なバンドやラヴィンスプーンフルやヤングブラッズなどの良質なフォークロックが誕生していたが西海岸の勢いには届いていなかった。
そんな中でMGMレコードはサンフランシスコでもLAでもない新たなロック市場を開拓しよう考え、その地をボストンに定めるとスカウトを送り込み数十のボストン近辺で活躍するサイケバンドと手当たり次第契約し、それらを《ボスタウン・.サウンド(Boss-town Sound)》という名でまとめてムーブメントを起こそうと組織的に広告を打った。
その時の売り文句が
世界を揺るがす音の登場。全てが昨日のように聞こえる新しい音が聞こえる街、ボストン。1968年の新しい愛の定義や詩と音楽が生み出される場所、ボストン。
といった胡散臭さ満点のものであり、この人工的で営利的な匂いのする〈フラワームーブメントもどき〉はマーケティング対象であったヒッピー層から大きく反感を買い思いっきり嫌われた。カウンターカルチャー、フラワームーブメント、ヒッピー、そういったものの成り立ちや本質を理解していればこんな失態は犯さないものなのだが、MGMはそこを見誤り下品な行為をしてしまったのだ。
そんなわけで《ボスタウン・サウンド》の名の下MGMと契約した数十のボストンバンドの作品は評価されず、さらに可哀想なことに69年にマイク・カーブがMGMの社長に就任すると「ノードラッグ」を掲げ《ボスタウン・サウンド》勢は解雇され露頭に迷うことになった。
というのが60年代の汚点《ボスタウン・サウンド》の物語であるのだが、アート・オブ・ラヴィンの2008年再発CDのライナーノーツで伊藤秀世氏が書いた「マイク・カーブの毒牙にかかったボストン近辺バンド」というのはその《ボスタウン・サウンド》のことを指しているのだろう(このライナーノーツでは【ボスタウンサウンドというワードは出てこない】)。
しかしマイク・カーブがMGMの社長に就任するのは69年のことであるし、《ボスタウン・サウンド》の主導者はアレンジャー兼プロデューサーのアラン・ロアバーであるという話なので、「マイク・カーブが毒牙にかけた」というのは言い過ぎな気が。《ボスタウン・サウンド》を終わらせたのは69年に社長になると同時にMGMの「クリーン化」へ舵を取ったマイク・カーブであるが、そもそもボストンのみならずアメリカ全土で〈フラワームーブメント〉が終焉していく時期であるのでまぁ情はないが仕方ないっちゃ仕方ない。1番の問題は68年に〈フラワームーブメント〉を利用した誇張広告を行ったことであるだろう。マイク・カーブでもアラン・ロアバーでもなくMGMの広報担当が1番の戦犯かと。まぁこの辺の事情はよくわからない、僕はレコード会社の内情にまで詳しくはないし、とにかく僕がしたいのは《ボスタウン・サウンド》の下で歴史に埋もれてしまったボストン近辺のバンドの話だ。
ボストンサイケ
結局《ボスタウン・サウンド》は〈フラワームーブメント〉に乗っかり誇張広告をかました偽物のムーブメントであった。これがヒッピー層から思いっきり嫌われて歴史に埋もれてしまったわけだが、それではそのアラン・ロアバーが掻き集めたボストン近辺のサイケバンドも偽物だったのかというと実はそうではない。何度も言うように67年にアメリカ全土で〈フラワームーブメント〉が起こっておりボストンにもちゃんと〈フラワームーブメント〉の波は届いてはいるのだ。そこで生まれたサイケバンド達をMGMがあからさまに宣伝したことで偽物だと非難されたが、彼ら自体が偽物であったわけではない。そこまでヘヴィではなく絶妙なソフトサイケを鳴らすバンドがたくさんいたのよね。
そんなことで近年ボストンサイケはMGMからリリースしたか別のレーベルからリリースしたかにかかわらず《ボスタウン・サウンド》と括って再評価されている。その流れの中で〈メインストリームレコード〉からリリースしたアート・オブ・ラヴィンも2008年に再発されたってわけだ。このアートオブラヴィンのCDを買った当時はここまでの事情を把握してはいなかったが、いくつかのボストンサイケの情報をこのライナーノーツから入手し一時期YouTubeで聴き漁っていたんだが、実はそれらを盤で入手するまでには至らなかったわけで、この度Apple Musicで久しぶりに聴き直してる最中だ。めちゃくちゃいいのよ《ボスタウン・サウンド》、B級感満載で。ちょっとLPは多分エゲツない値段付いてるはずなので再発CDでもこれから集めてみようかと思うんだけど、意外とApple Musicにあるのよね。
では最後に素晴らしき《ボスタウンサウンド》、ボストンサイケをいくつか紹介しときます。
MGM/Verve毒牙勢から
Ultimate Spinach
こいつらが《ボスタウン・サウンド》で1番有名なんじゃないかな?LPも再発されてるわん。様々なサイケの姿をいいとこどりしたようなサイケバンド。エアプレインっぽい女性ボーカルまで登場したり。
Orpheus
ボストンサイケにはソフトサイケ気味のバンドが多いがOrpheusは最早《ソフトロック》。特に1stは完全にソフトロックであるが、2ndでアラン・ロアバーによる《ボスタウンサウンド》なサイケ色を着けられた感じか。
Beacon Street Union
ガレージっぽいがとにかく様々なサイケ効果音を使い分ける。
Chamaeleon Church
ガンダルフばりのメロウさに名前通りの神聖さも加えたソフトサイケ。プログレッシブな展開まで備えていてかなり好きな部類。
Phluph
とにかくヘンテコなオルガンが癖になるオルガンサイケ。
その他レーベル勢
Ill Wind(ABC)
もはやC級。
Eden's Children(ABC)
ガレージっぽいがソフトでもあり。
Earth Opera(エレクトラ)
めちゃんこいい。超おすすめ。
The Tangerine Zoo(メインストリーム)
これも好き。
そして
The Art Of Lovin'(メインストリーム)
こんなとこです。ちなみにWikipediaに【Bosstown Sound】のページありました!バンド一覧はこんなもんみたい。
どうでしょう?見覚えない名ばかりじゃないですか?これがボストンサイケです。僕もまだ2%くらいしか把握してないので偉そうなこと言えませんが、サイケ好きにとっては素晴らしいバンドの宝庫です。ゆっくりと集めていきたいものです。
終わり
アートオブラヴィンのCDを久しぶりに引っ張り出したことから《ボスタウンサウンド》を書いてみました。僕もアートオブラヴィン以外全く盤持ってません。そうなるとアートオブラヴィンとの出会いが謎。
あと、アートオブラヴィンのライナーノーツで面白かったのが当時ジェファーソン・エアプレインとピッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーは女性ボーカルロックバンドとして同じくらい影響力を持っていたが、明らかにエアプレインフォロワーの方が多いのはグレース・スリックの真似はできてもジャニス・ジョプリンの真似をできる女の子がいなかったからって話。納得。
では!
ボスタウンは図に起こせん…