ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

5-12 Lindisfarne〜イングランド北東のホリー・アイランド〜(第86話)

ブリティッシュフォークは底なし沼

その意味を強く実感しております。リンディスファーンアラン・ハルについて軽く書こうと思い、少し調べてみる。すると気がつけば中世初期アングロサクソン七王国の1つノーサンブリア王国について夢中で調べてしまってるんだから怖い怖い。

1つの20世紀のブリティッシュフォークロックバンドを知ろうとして6世紀まで遡らされる流れがこう。リンディスファーンというバンドが結成されたのはイングランド北東部の工業都市ニューカッスル・アポン・タイン、通称ニューカッスル71年2nd「Fog on the Tyne」が英1位を記録するが、その後バンドは分裂。実質リーダーのアラン・ハルはメンバーを補充しソロ活動と並行してリンディスファーンを継続、離れた3人は新たなフォークロックバンドJack The Ladを結成。Jack The Ladに途中加入したIan 'Walter' Fairbairnは同じくニューカッスルのフォークロックバンドHedgehog Pieの元メンバー。このHedgehog Pieがトラッド臭が濃いプログレフォークでめちゃんこ良いので調べたらwikiによるとIan 'Walter' FairbairnはDave RichardsonとAlistair Andersonという2人のコンサーティナ奏者に強く影響を受けたよう。Dave RichardsonはThe Boys of the Loughというスコットランドケルト音楽グループのメンバーでノーサンバーランド州のミュージシャン。ノーサンバーランド州はニューカッスルの北に位置しスコットランドと面しており、かつてノーサンブリア王国があった地域らしい。Alistair AndersonはThe High Level Rantersというバンドのメンバー。ニューカッスルで結成された〈Northumbian traditional musical group〉であるらしい。聴いた感じでは素晴らしきケルト音楽であるが、ノーサンブリア・トラッドというものであるようだ。ノーサンバーランドニューカッスルイングランド北東部のトラッドの匂いがリンディスファーンの独自性の正体の一つなのかもしれない。で、ノーサンブリア王国という中世初期の王国の歴史について調べることに至ったというわけだ。

 

ブリティッシュフォークはブリティッシュトラッドを基調としている。ブリティッシュトラッドとはまぁアイルランド民謡、スコットランド民謡、イングランド民謡だ、くらいに浅く把握していたが、イングランド民謡を細かくみると北東部のノーザンブリアトラッドなるものがあるのね。同じように他のイングランド各地や、アイルランド各地、スコットランド各地にも細かいトラッドが伝わっているのだろうからそりゃ底なし沼だブリティッシュフォーク。音楽を知るためにその土地の歴史を知らなきゃいけないんだからあんまりハマると危険危険。

しかしJack The Ladは1stを持っているが、Hedgehog Pieという男女混声プログレフォーク、The Boys of the LoughとThe High Level Rantersというケルトグループはこの度初めて知った。そもそもイングランド北東地域という括りで音楽を探ったこともなかった。リンディスファーンの音楽の根底を少し探ろうとしただけでどぼどぼ出てきた、やはりインターネットは面白い、音楽探査はまだまだ続く。

 

5-12 Lindisfarneイングランド北東のホリー・アイランド〜(第86話)

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リンディスファーンを知るためにその出身地であるイングランド北東との関係性に少し踏み込んでみたわけだが、そもそもリンディスファーンというバンド名自体がイングランド北東ノーサンバーランドの小島の名称から引用している。

635年にアングロサクソン七王国ノーサンブリア王オズワルド (King Oswald) の招請によってアイオナ修道院から赴任した聖エイダン (Saint Aidan) がリンディスファーン修道院を創建し、ここが北部イングランドキリスト教化の拠点となった。(Wikipedia

とのことでリンディスファーン島は〈ホリー・アイランド〉とも呼ばれる神聖な島であるよう。

 

そんな島の名をバンド名に冠したのは68年のこと。元々はロッド・クレメンツ(Bass,Violin)が主導したThe Downtown Factionとして始まり、Brethrenと名を変えたところで68年にアラン・ハル(Vo,Gt,Piano)が加わりLindisfarneとなった。他のメンバーはレイ・ジャクソン(Vo, mandolin, harmonica)サイモン・カウ(Gt, mandolin, banjo, key)レイ・レイドロー(Dr)

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70年に〈カリスマ・レコード〉と契約し1stアルバム「Nicely Out of Tune」をリリース。カリスマ・レコードはGenesisVan der Graaf Generatorを輩出したレーベルである。

とにかく翌71年の2ndが英1位を記録し有名であるが、この1stも優るとも劣らない出来である。すでにソングライターとして活動していたアラン・ハルの見事な楽曲の数々がこの1stから存在している。使用楽器は6,12弦アコギにマンドリンバンジョーフィドルにハーモニカとアコースティック主体であることからフォークロックと呼べるがいわゆるブリティッシュフォーク、トラッド系フォークロックではない。使用楽器からもどちらかというとカントリーロックに近いようにも思う。アラン・ハルによる楽曲もカントリー風の曲や、ボブ・ディランやCSN&Y風のアメリカンフォークロック、〝Lucy in the Sky With a Diamonds〟をもじったAlan in the River With Flowers〟等からもビートルズらロック勢からの影響も強く感じる。シングルとしてもリリースされた〝Clear White Light 〟はアラジンの〝A Whole New World〟を彷彿とさせる(もちろんリンディスファーンが先だが)コーラスソングであるしアラン・ハルはトラッド系ではなくポピュラーミュージックど真ん中のメロディメーカーだと言えるだろう。

リンディスファーンと同じくニューカッスル出身にはブリティッシュロック第一世代のアニマルズがいる。アラン・ハルはリンディスファーンの前にThe Chosen Fewというバンドを組んでいて、そこで鍵盤を弾いていたミック・ギャラガという男は一時期アニマルズに参加していた男だったりするのだ。その辺りについては次回詳しく書こうと思うが、とにかくアラン・ハルはフォークリヴァイバルで出てきた人物ではなく、正統なロックフォロワーとして出てきたソングライターであるのだろう。そしてこの1stに収録された〝Lady Eleanor〟〝Winter Song〟といった名曲を生み出したわけだ。

アラン・ハルの抜群のソングライティング能力は次作71年2nd「Fog on the Tyne」でも遺憾無く発揮される。

フォグ・オン・ザ・タイン(紙)

フォグ・オン・ザ・タイン(紙)

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「Fog on the Tyne」、【タインの霧】。ジャケットは恐らくニューカッスル・アポン・タインとタイン川の絵で、それに紫の霧をかけたもの。これが英1位を記録し一部メディアから《70年代のビートルズ》とまで称賛されることになる(使い尽くされた常套句ではあるが)。ここでもアランハルは〝January Song〟やタイトル曲〝Fog on the Tyne〟といった名曲を披露。

しかしこのアルバムで特筆すべきはロッド・クレメンツが書いた〝Meet Me on the Corner〟だろう。この曲はシングルチャートで5位まで昇りリンディスファーンの代表曲となった。リードボーカルはレイ・ジャクソン。ハーモニカがフィーチャーされたカントリー風の曲であるがコーラス部はビートルズチックで、全体的にアイリッシュチックでもある超名曲。チャリチャリした12弦もリンディスファーンの特徴の一つだ。基本四分のビートでありコーラスで8分のピアノが入ってくるんだけど、それだけでベースもドラムも4分なのに倍テンになったように感じるんだよな、シンプルだけど感銘を受けた。そして2番のコーラスにはそのピアノが入ってないのよ、まるで1番のが「ここは倍テンパートですよ」とのヒントだったかのように。謎のアレンジ。リンディスファーンのほとんどの楽曲はアランハルが書いたが、この〝Meet Me on the Corner〟一曲でロッド・クレメンツはその才能を世間に知らしめることになる。この曲もトラッドではないんだけどちゃんとブリティッシュフォークと呼べる雰囲気を持っていて、ロッドクレメンツのこの後の活動からみてもリンディスファーンのブリティッシュフォーク感というのは彼がもたらしていたものであるように思う。ポピュラーミュージック側のアランハルとイングランド北東に根ざしていたロッドクレメンツ、といった感じだろうか。

忘れてはいけないのがレイ・ジャクソン。アランハルとリードボーカルをシェアし、見事なハーモニーを奏でた歌声は本当に素晴らしい。

翌72年に3rd「Dingly Dellをリリース。

英1位を獲った2ndとこの3rdをプロデュースしたのはディランの「追憶のハイウェイ61」「ブロンドオンブロンド」やサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」といった名盤を手掛けたボブ・ジョンストン

このアルバムも悪くないが前作のヒットには及ばず、メンバー感にも亀裂が走る。ロッド・クレメンツ、サイモン・カウ、レイ・レイドローの3人が脱退しJack The Ladを結成。アラン・ハルとレイ・ジャクソンはメンバーを補充しリンディスファーンを継続、それと並行してアラン・ハルはソロ活動に入る。

 

この後リンディスファーンは73年、74年に4th,5thをリリースして解散。76年にオリジナルメンバー5人で再結成してからメンバーを変えたりアランハルが死んだりしながらも現在まで活動を続けている。が、恥ずかしながら3rdまでしか聴けてない!とにかく1st,2ndが名盤(しかし長らく1stは探してるんだけど手に入れれてないんだよなぁ)。

 

ではアラン・ハルのソロは次回書くとして冒頭でも触れたがJack The Ladの方面を少し。

It's Jack the Lad

It's Jack the Lad

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〝Meet Me on the Corner〟を書いたロッド・クレメンツはサイモン・カウとレイ・レイドローと共にリンディスファーンよりフォーキーなバンドJack The Ladを結成。

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リードボーカルとしてビリー・ミッシェルを加えた4人で73年にいくつかシングルをリリースした後

74年に1stアルバム「It's Jack the Lad」をリンディスファーンと同じ〈カリスマレコード〉からリリース。〝Meet Me on the Corner〟ほどの名曲はないにせよ《プログレフォーク》と呼べそうな雰囲気の曲もあり割とお気に入りのアルバム。7曲目〝Song Without A Band〟にはティーライ・スパンのマディ・プライヤーがゲストボーカルで参加してることからも大分ブリティッシュフォーク寄りになったと言えるだろう。

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この1枚でロッド・クレメンツは脱退。クレメンツはその後ラルフ・マクテルバート・ヤンシュらと共演、やはりブリティッシュフォーク界隈で活躍する。代わりにJack the Ladに加入したのがHedgehog Pieというイングランド北東のフォークロックバンドのイアン・フェアバーンフィル・マレーの2人。

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Hedgehog Pieは75年にデビューして数枚アルバムを残すようで、2人がJack the Ladに加入したのが74年であるので残念ながらこの2人のHedgehog Pieでの活躍は聴けない(?)が、北東トラッドをしっかりと持ち込みJack the Ladで70年代半ばにブリティッシュフォークアルバムを数枚残した。75年の3rdはフェアポート・コンベンションのサイモン・ニコルがプロデュースした。

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が1st以外持ってないからこのトラッド期を聴けてないのよ…なんとか手に入れたいところだHedgehog Pieもね(CD化されてる?よね?)。

あと冒頭で触れたようにイアン・フェアバーンに影響を与えたという、The Boys of the LoughとThe High Level Rantersというケルト音楽グループ。この辺を聞けばイングランド北東部のフォークロックが見えてくるんじゃなかろうか。

 

リンディスファーンはアラン・ハルのポピュラーミュージック(ロック)テイストが強いが、やはり2ndのジャケットが示すようなイングランド北東独特の空気感というのは確かにあって、此度のネット探索でその正体にほんの少し近づけたような気がしております!

 

以上!次回はアラン・ハルのソロを!

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(5章ブリティッシュフォーク図)

では!

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