僕とガレージロックとパンク
ハードロックについて書いた際に触れたように僕の中学時代は大まかに「ハードロック/90`sヴィジュアル系/速弾き派」と「ポップパンク/青春パンク/パワーコード派」に分かれていた。
で僕は「ハードロック派」だったわけで、その頃に触れたハードロックバンドをたらたらと振り返ってみたわけだ。
ハードロックと同時に聴いてた90'sヴィジュアル系はGLAYだったりL'Arc〜en〜CielだったりLUNA SEAだったりXだったりしたわけだが、決して「パンク派」と相入れなかったわけでもない。
この時(2003年ごろ)の「パンク派」というのはグリーンデイやオフスプリングやサム41らポップパンクやゴイステやガガガ等の青春パンクを好んで聴いていた連中のことだ。僕もこの辺は聴いていたし、あとはシュガー・カルトやアメリカン・ハイファイなんかもめちゃくちゃ懐かしい(いやほんまCD探そう)。このポップパンクから初期パンク、そしてガレージへと遡っていくことになる。
多分きっかけというか最初に初期パンクに触れたのはラモーンズのトリビュートアルバムだったように思う。
今調べてみるとこれが2003年にリリースされてて、レッチリ、U2、マリリン・マンソンにグリーンデイ、オフスプといった当時の人気バンドが参加したトリビュート盤で僕はオフスプの〝I Wanna be Sedated〟がお気に入りだった。
今見たらこのラモーンズトリビュート、トム・ウェイツも参加してるのね、また探し出して聴いてみようと思う。結局ラモーンズはこれっきりで、ラモーンズ本人の音源を聴いたのは随分時が経ってからだった。しかし当時流行っていたグリーンデイ等がパンクではなく「ポップパンク」であること、そしてパンクは70年代半ばに生まれその最初期のパンクを「初期パンク」というらしいことをこの一枚に教えてもらったわけだ。
「初期パンク」の存在を知った僕が次に触れたのはやはりセックスピストルズで、ピストルズには割と感化されてインサイドストーリーも読んだり。邦楽ではブランキージェットシティにどハマりし、中高にかけての僕はR&R精神がビンビンだった。
次はやはりクラッシュに手を出し『ロンドン・コーリング』をくらった。ピストルズよりもクリーンでレゲエやスカを取り込んだ洗練されたサウンドでありながら溢れ出る不良感に痺れさせられる。〝Spanish bombs〟や〝Lost in the Supermarket〟を特に気に入っていたような。
ただロンドンパンクはピストルズ、クラッシュで止まり、ダムドとかも未だにちゃんと聴いてなかったりする。高校に入ると本格的にロック探究心が芽生え、60's、70'sに触れ始めて鳥肌立ちまくりの毎日だったのでパンクの奥へと踏み入る余裕がなかった。
このロックにのめり込み出した頃の僕にとっての最重要作品はビートルズ『サージェント』、ピンクフロイド『狂気』、デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』、そしてヴェルベッツの1stだった。これらをランドマークに繋がりを辿りロックを漁っていったわけだ。「サージェント症候群」と呼ばれるアルバムを漁り、プログレにハマり、グラムロックやアートロックを漁り、という風に。そんな感じでヴェルベッツのジョン・ケイルがプロデュースしたパティ・スミスの1stにも手を伸ばした。
NYパンクの重要人物、パンクの女王に衝撃を受けたわけだが、そこからNYパンクに進むことはなく、パティスミスからは〝グロリア〟のオリジナルであるゼム、そしてヴァン・モリスンへと繋がっていったような。
あと、パティスミスから『ナゲッツ』を知ることとなる。パンクス達のバイブルとなった60'sUSガレージのコンピレーションアルバムだ。これを編集し72年にリリースしたのがパティスミスグループのレニー・ケイ。
13thFloorやElectric PlunesにSeedsやらUSガレージロック/サイケをこれで知り、そして苦手意識を持ったのを覚えている。しかし重要な歴史の片鱗がこのアルバムに封じられていることは感じていた。ただ謎なのがガレージとは真反対ともいえるソフトロックの重要プロジェクトであるサジタリアスが選出されてること。思えばナゲッツの正式タイトルは『Nuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era 1965–1968』で、そこに「ガレージ」という言葉はない。レニーケイは埋もれたUSサイケを集めてコンピレーションアルバムにしただけなのね。そしてその影響下でパンクが生まれ、自身もパティスミスグループでパンクを演り、『ナゲッツ』のUSサイケの大半を占めていたガレージロックが見直され、パンクスのバイブルとなったということなんだろう。
ガレージロックってのは時期的にもほとんどが「ガレージサイケ」と呼ばれる音を出していて、パンクのルーツとなったことから「ガレージパンク」と呼ばれたり「プロトパンク」とも呼ばれたりするわけなんだけど、プロトパンクとして重要な役割を果たしたのが共に69年にデビューしたストゥージーズやMC5といったデトロイトガレージロックだろう。
初期パンクの熱はここから来てるんだ、と当時強く感じた。正直結局今の今までパンクの理念みたいなものはよくわかってなくて、MC5の「Mother fucker!」という叫びがパンクの全貌なんだろうと理解している。だから簡潔にいうと「危ない奴らだ」って思ってるのよね。笑
そう、ストゥージーズの1stもジョンケイルプロデュースなんだよな。で、MC5のフレッド・スミスはパティ・スミスと結婚するし。ヴェルベッツから連なるアメリカ東のパンクを作り出したこの一団の流れに少し思うところがある。僕はそもそもヴェルベッツをガレージだとは認識していない。まぁそれはジョンケイル在籍時のエクスペリメンタルな面が大きいんだけど、ドローンミュージックだったりミニマルだったり現代音楽的側面をR&Rと融合させた前衛的なバンドがVelvet Undergroundだろう。ジョンケイルという現代音楽家とルーリードというソングライターとニコというフロントウーマンとアンディウォーホールというパトロンがいて、あの奇跡のバナナ1stが誕生したわけで、R&Rの初期衝動から生まれたガレージロックとはだいぶん毛色が違う。そんなヴェルベッツの実験性を担っていたジョンケイルがプロトパンクの重要作であるストゥージーズの69年1st、NYパンクの代表作パティスミスの75年1st『Horses』をプロデュースしたことは、ある種パンクというのは現代音楽の流れの中で生まれた実験音楽の一つなのだという見解を与えるものでもある。現にロンドンパンクの後に続いたポストパンク/ニューウェーブというのは実験音楽へと接近していくし。パンクってのは肥大しすぎたロックをシンプル化し、過激な反骨精神を持った「危ない奴ら」であるが、確かに(特にNYパンクは)ヴェルベッツに準じたエクスペリメンタル性を持っているのかもしれない。
ロンドンパンクの成立にはニューヨークドールズのマネージャーを経てNYパンクの芽吹きを察知したマルコム・マクラーレンがロンドンに帰国しピストルズを作り上げたことが大きいが、デヴィアンツやピンクフェアリーズら70年前後のロンドンアングラで活躍したバンドがプロトロンドンパンクと呼べるだろう。あとこの70年ごろ同じコミュニティに属していたロンドンガレージとも言えるプリティシングスも。このアングラコミュニティはトゥインクの回で少し触れた。
あとはDIY精神や「反スタジアム」的な意味でパンクへとスタイルを継承した70年代前半のドクターフィールグッドやニックロウらパブロックの存在も大きいか。パブロックはあんまり聴けてないなー…
えっと、僕は60's〜70's前半を好む人間でパンク以降はあまり得意ではない。でも「まぁ一応パンクも通ってるよ、ピストルズのワッペン着いた革ジャンなんかも着てたし」なんてことをほざいてきたし、実際通ったつもりだった。しかしこうして振り返ってみると全くパンクを聴いてないことが明らかになった。お恥ずかしい。
パンク、そしてそれに連なるポストパンク/ニューウェーブ、そこらがすっぽり抜けていて…ダムドもジョニー・サンダースもテレビジョンもジャムもトーキングヘッズも。これが今さら聴けないんだよなージャムやトーキングヘッズなんかはCD何枚か持ってるんだけど…
パンクはともかくポストパンク/ニューウェーブを聴いてこれなかった理由はもちろん僕の好みの問題だが、若きころの僕の導き手であったロック雑誌に「80年代はロック不作」の時代と教えられたことが大きいように思う。それを鵜呑みにしちゃった。今思うと決して不作ではなく、ただMTV全盛でマイケルジャクソンやマドンナが売れまくった時代ってだけなんだよな。MTVの時代だからこそパンクのDIY精神、反産業精神を受け継いだインディロックが躍進したのが80年代。そしてそのインディ魂が90年代に再びメインストリームに押しあがってくるわけだ。
あぁ二巡目のロック史、オルタナティブロック史、面白いじゃない。気付くのが遅すぎた。
なわけで次は僕がすっぽり抜いてしまった「不作と言われた80年代」について!抜け落ちてるわけだから書けること少ないんだけど!それでも!
では!