ケンジロニウスの再生

関連図を元にロックサーフィンを繰り広げたい所存。

5-3 Fairport Convention〜ブリティッシュフォークロックの雄〜

ペンタングルフェアポート・コンベンションという2つのバンドがブリティッシュフォークロックというジャンルを代表する2大巨頭であると言ったが、あえて一般的にどちらがより代表的かと問われたら恐らくフェアポート・コンベンションであるだろう(僕はペンタングルの方が好きだけど)。

ジャンルを代表するほどのバンドやミュージシャンってそりゃみんな大概は名前くらいは知ってるはずで、例えば、エルビスプレスリー(ロックンロール)、ビートルズ(ロック)、ボブディラン(米フォーク)、ピンクフロイド(英サイケ及びプログレ)、エアロスミス(米ハードロック)、レッドツェッペリン(英ハードロック)、T-REXグラムロック)、ボブマーリー(レゲエ)、セックスピストルズ(パンク)、なんかはロックファンじゃなくても知ってるんじゃなかろうか。

それと比べると彼らと同じようにブリティッシュフォークロックという1ジャンルを代表するフェアポート・コンベンションは、僕の周りのバンド仲間を見てもやはり知名度は低い。即ちブリティッシュフォークロック、ブリティッシュフォークというジャンル自体が日本においてあまりポピュラーなジャンルではないと言えるだろう。

 

5章の初めにアメリカ音楽とイギリス音楽の違い〟について触れた。ロックはイギリスで誕生したが、その成り立ちにはアメリカのロックンロール、ブルース、カントリーなどの影響が大きく、そこから生まれたロックもまたブリティッシュインヴェイジョンでアメリカに渡り、それから幾度となく英米感での密接なキャッチボールをしながらロックは育っていった。誕生はイギリスであったが2つの国が手塩にかけて育てあげたと言ってもいいだろう。

ではアメリカンロックとブリティッシュロックの何が結局違うのかというと〝国が違う〟と元も子もないことを5章初めに書いたが、国が違えばそのそれぞれの国が持つ文化や背景や空気感、そしてそこに生まれ育った人の魂に根付くものが違い、その違いはやはり音楽として現れるんじゃないだろうかということだ。簡単に言えば〝国民性〟というやつか。

そのそれぞれの国に生まれ育った人の〝魂に根付くもの〟という目に見えない抽象的なものを見事に表しているものが各国の《民謡(フォーク)》なのではないだろうかと思うのだ。

 

この話から調子に乗って飛躍するとこんなことが言える(イギリスを例に)。

  1. イギリスのミュージシャンはイギリスで生まれ育った以上、精通してるしてないに関わらずその音楽はブリティッシュフォークを含んでいる。
  2. つまりはブリティッシュフォークこそが1番《イギリス的》音楽である。
  3. 〝イギリスで生まれ育つ〟ことはもちろん我ら日本人には不可能な事であるがブリティッシュフォークを理解すれば僕らもイギリス音楽を演れる(かも)。

 

ブリティッシュロックは日本でもかなり人気のジャンルでありながら、ブリティッシュロックを演れる日本人が余りにも少ないのはブリティッシュフォークを通っていないからではないのか、という暴論である。

 

ブリティッシュフォークがあまりポピュラーでない理由はやはりブリティッシュフォークの保守的な1面にあるだろう。フォークリバイバルが起きた1930年代ごろにウディガスリーらによってアメリカではギターによる弾き語りスタイル、さらには民謡風のオリジナルフォークが作られたのに対しイギリスでは64年にシャーリーコリンズとディヴィグレアムの邂逅によりようやくフォークとギターが出会っているし、アメリカンフォークロックがバーズらによって65年に誕生したのに対してブリティッシュフォークロックは60年代後半にフェアポートコンベンションやペンタングルの登場によってやっと誕生する。

こうして伝統を守るあまり商業に乗れなかったのがブリティッシュフォークロックであるんだろうが、一方でブリティッシュフォークの保守性はロックと融合しても尚、その神秘性を守り続けるという効果を生んだ。そんな美しきブリティッシュフォークロックの世界を是非ブリティッシュロック好きのみんなに知ってもらいたい。そしてスミスへも、オアシスへも、レディオヘッドへも、全てのブリティッシュロックへと通ずるトラッドフォークへの扉を開いてほしい!

 

5-3 Fairport Convention〜ブリティッシュフォークロックの雄〜

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64年のアニマルズによる「朝日のあたる家」や65年ビートルズ「ラバーソウル」は間違いなくフォークロックであるが、「朝日のあたる家」はアメリカのトラディショナルであるし、「ラバーソウル」はディランやバーズらのアメリカンフォークロックの影響下にある。《ブリティッシュフォークロック》というジャンルは少しややこしくて、〝イギリス人によるフォークロック〟ではなく〝イギリスの伝統的なトラディショナルフォークとロックの融合〟という意味合いで使われることが多い。アニマルズやビートルズはイギリスのバンドであるが、フォークロック期の彼らの音楽は言うなれば《ブリティッシュアメリカンフォークロック》である。そういう意味でブリティッシュフォークロックの誕生はフェアポートコンベンションやペンタングルによるものであるとされている。

 

前回言ったようにペンタングルは68年デビューであるが、初期は《ジャズトラッドフォーク》の要素が強く、ブリティッシュフォークロックとはっきり言えるのはエレキギターを導入した70年4th「Cruel Sister」からだと言えるだろう。

同じようにフェアポートコンベンションも68年デビューであるが、彼らも実は最初はブリティッシュフォークロックバンドではなかったのだ。

 

イギリスのジェファーソンエアプレイン

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リチャードトンプソン(ギター)、サイモンニコル(ギター)、アシュレイハッチングス(ベース)を中心に67年にロンドンにて結成されたフェアポートコンベンションはアメリカのフォークロックやボブディラン、ジョニミッチェルなどのフォークシンガーに強く影響を受けたバンドであり、ジョーボイドによって見出されUFOクラブにてピンクフロイド等と同じステージに立った。

68年ジョーボイドプロデュースによる1stアルバム「Fairport Convention」でデビュー。

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ジョニミッチェルとディランのカバーを含むアメリカンフォークロックに大きく影響を受けたデビューアルバムであるが、ハードなサウンドとかすかなサイケデリック、女性ボーカル、似たメンバー構成などから《イギリスのジェファーソンエアプレイン》と呼ばれることとなる。

 

僕は《1st至上主義》的なとこがあって、とりあえず1stを聴いてからバンドを見定めるような癖があるんだけど、そのせいでしばらくフェアポートコンベンションを見誤っていた。そう、蓋を開けてみればこの1stだけ全く別のバンドと言っていいくらい異質だったのだ。完全にアメリカンフォークロックバンドなこの1stは別バンドとして聴けばこれはこれでカッコいいんだけれど…。

 

男女混声ボーカルのスタイルであり、女性ボーカルがジュディダイブル、男性ボーカルがイアンマクドナルドだったんだけど、この1stアルバムが発売する前にジュディダイブルが脱退し、当時の恋人であったイアンマクドナルドと共にキングクリムゾンの前身バンドGiles, Giles and Frippに加入する。これがややこしくて面白い話なんだけど、フェアポートコンベンションのイアンマクドナルドとジュディの恋人でありキングクリムゾンでの活動で知られるイアンマクドナルドは同姓同名の別人であり、「ジュディダイブルがイアンマクドナルドと共にバンドを去った」というニュースなどで混同することを避けるために、フェアポートのイアンマクドナルドは母方の姓をとってイアンマシューズに改名した。

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ジュディダイブルは結局キングクリムゾンデビュー前に脱退し、イアンマクドナルドとも破局

 

歌姫サンディデニー加入

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フェアポートコンベンションはジュディダイブルの代わりに新たな女性ボーカル、サンディデニーを迎え入れて活動を続ける。

サンディデニーは65年にはジョーボイドと知り合っており、67年にストローブス(イエスのリックウェイクマンが在籍していたことでも有名)に少しの間参加してからソロ活動をスタートさせておりフォーク界ではすでに名の知れたシンガーであった。

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後のサンディデニーのソロ活動やレッドツェッペリンへのゲスト参加によって、恐らくフェアポートコンベンションというバンドを象徴する人物であるサンディデニーだが、実はバンドに在籍したのは68〜69年のわずか1年ちょいほどである。しかしその短い期間で3枚のアルバムをリリースし、彼女はその美声とソングライターとしての能力をしっかりと見せつけ、フェアポートコンベンションをブリティッシュフォークロックの代表格と呼ばれるまで押し上げた。

その69年にリリースされた3枚の素晴らしきアルバムを順に見ていこう。

 

69年1月リリース2nd「What We Did on Our Holidays」

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サンディデニーの加入でガラリとアメリカンフォーク路線からブリティッシュフォーク路線に変わったというわけでもなくて、まだディランとジョニミッチェルのカバーを演っていたり、ディランの「戦争の親玉」の元となったアメリカのトラディショナル「Nottamun Town」もカバーしている。

 

このアルバムがブリティッシュフォークロックなのかどうかなんだけど、結局アイリッシュトラディショナルが1曲だけであるので、後はオリジナルソングがイギリスのトラディショナルの影響下にあるのか、アメリカフォークの影響下にあるのかを判断するしかなくて、やはりそう考えるとアメリカ色はかなり強い。

しかしサンディデニー作曲の1曲目「Fotheringay」は明らかにブリティッシュフォークな美しき世界観を持っているだろう。ちなみにサンディデニーはフェアポート脱退後の70年にこの曲と同名のフォザリンゲイというバンドを結成する。それくらい思い入れのある曲なんだろうけど、特筆すべきはインストゥルメンタル曲としても成立するだろうリチャードトンプソンによるアコースティックギターのアレンジとプレイである。

ペンタングルにバートヤンシュとジョンレンボーンという偉大なギタリストがいたように、フェアポートコンベンションにはリチャードトンプソンがいた。彼はペンタングルの2人に比べるとかなりロック色が強いイメージではあるが、フォーク、クラシック、ジャズ的アプローチも素晴らしく、フェアポートコンベンションのサウンド面において最重要人物である。

 

69年7月3rd「Unhalfbricking」リリース。

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このジャケットの老夫婦はサンディの両親であり、奥の庭でメンバーがたむろしているとういかにもイギリスらしいユーモアに溢れたジャケットで僕もお気に入りな一枚である。

音楽の方は前作を最後にボーカルのイアンマシューズ(マクドナルド)が脱退し、男女混声バンドという構成からメインボーカルサンディデニーとバッキングコーラスといったような構成になっている。

このアルバムの目玉はやはりサンディデニー作の6曲目「Who Knows Where the Time Goes?」だろう。この曲は67年サンディのストローブス時代にデモが録られており、それがジョーボイドによってアメリカのフォークシンガーであるジュディコリンズの手に渡り、ジュディコリンズは68年にシングル「青春の光と影(ジョニミッチェル作曲)」のB面にこのサンディ作の「Who Knows Where the Time Goes?」を収録した後、さらにこの曲名を冠したアルバムもリリースしている。

そんなことでサンディデニーの代表曲と言える「Who Knows Where the Time Goes?」であるが、こちらはアメリカンフォーク色の強い曲である。元々サンディデニーはアンブリッグスやペンタングルのジャッキーマクシーのようなバリバリのトラッド歌姫ではなく、アメリカンフォークに大きく影響を受けたシンガーソングライターであり、フェアポートに加入する68,69年ごろからブリティッシュフォークに傾倒していったのではないかと考えられる。

アメリカンフォークなこの曲とやっぱりディランのカバーが3曲収録されており、まだまだアメリカンフォーク色の強いアルバムであるが、4曲目「A Sailor's Life」はブリティッシュトラッドを10分を超えるロックアレンジで仕上げた正真正銘のブリティッシュフォークロックであり、この曲の完成にてトラッドとロックの融合に可能性を感じたメンバーは次作の方針を固める。

さぁここからブリティッシュフォークロックの道を切り拓くぜ!って中、バンドを悲劇が襲う。レコーディングを69年4月に終えた後、5月にバーミンガムにてEclectionというバンドとライブが行われた。そのロンドンへの帰り道で自動車事故を起こし、デビュー時からのドラマーであるマーティンランブルとリチャードトンプソンの恋人が死亡、リチャードトンプソンとアシュレイハッチングスも重傷を負った。

悲劇に襲われたバンドは解散を考えたが、ジョーボイドの説得により、療養後9月に活動を再開。当初の予定通り、トラッドとロックの融合をテーマにしたアルバム作りに取り掛かった。

 

69年12月4th「Liege & Lief」リリース。

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事故で死んでしまったマーティン・ランブルの代わりにデイヴ・マタックスがドラムに、さらに前作でも数曲参加していたフィドル(バイオリン)のデイヴ・スウォーブリックも正式に加入した。

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※デイヴ・スウォーブリックはブリティッシュフォーク界の重鎮であるA. L. Lloydマーティン・カーシーのバックでもフィドルを弾いており、ブリティッシュフォーク界1のフィドル弾きである。

 

1曲目とラスト8曲目のみオリジナル曲で、他は全てトラディショナルソングである。ペンタングルの初期をフォークロックとみなさずジャズフォークと捉えるならば、この「Liege & Lief」が世界最初のブリティッシュフォークロックアルバムである。そしてフェアポートコンベンションの最高傑作と呼び声が高い。

サンディデニーは今作ではギターを弾かず、ボーカルに専念し、トラッドの神秘と美しさを十分に表現し、シンガーソングライターではなくトラッドの歌姫として君臨している。リチャードトンプソンのギターも相変わらず見事であり、新たに加入したデイヴ・スウォーブリックも見事な仕事を見せており、事故の影響を全く感じない完成度の高いアルバムだ。3「Matty Groves」,4「Farewell, Farewell」,5「The Deserter」なんかはブリティッシュフォークのみならずロック史に残る名曲。

 

素晴らしいブリティッシュフォークロックアルバムを作り上げたフェアポートだが、このアルバムを最後にサンディデニーとアシュレイハッチングスが脱退。

サンディデニーは「もっと自作の曲を演りたい」という理由で脱退しFotheringayを結成。

アシュレイハッチングスは「よりエレクトリックトラッドを」とSteeleye Spanを結成。

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Fotheringay

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フェアポート2ndアルバムの1曲目、フォザリンゲイ城をテーマに歌ったサンディデニー作の「Fotheringay」をそのままバンド名にしたFotheringayはフェアポートを脱退したサンディデニーデニーの恋人であり後の夫となる元Eclectionのオーストリア人、トレヴァー・ルーカスを中心に結成された。

※Eclectionは先述した自動車事故の際に共にバーミンガムでライブをしたバンドである。事故により2人が死亡、2人が重傷を負ったがデニーはEclectionの車に乗っていたため無傷であったという。

 

フェアポートやペンタングルと並ぶブリティッシュフォークロックの重要バンドである。

70年に1stアルバム「Fotheringay」をリリース。2ndアルバムの制作にかかるが財政難でわずか1年で解散。幻の2ndアルバムは2008年に「Fotheringay2」として見事にリリースされている。

解散後は72年にトレヴァールーカスのフェアポートへの加入を皮切りにフォザリンゲイのメンバーは次々とフェアポートへ加入していく。フォザリンゲイは何かとフェアポートと密接なバンドなのである。

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サンディデニーは3枚のソロアルバムをリリースし、71年にはツェッペリンの「Ⅳ」にゲスト参加。74年にフェアポートに復帰し、アルバムを1枚リリースするが再脱退。ソロアルバムをリリースした後78年に友人宅で階段から落ち、31歳という若さでこの世を去った。

 

Steeleye Span

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元々トラッド志向が強かったアシュレイハッチングスはより深みを目指してフェアポートを脱退。

イングランド人夫婦のマディ・プライアとティム・ハート、アイルランド人夫婦のテリー・ウッズとゲイ・ウッズと共に69年にSteeleye Spanを結成。フェアポートと同じくエレキギターとトラッドの融合を目指す音楽性であるが、基本的にドラムレスで多重コーラスなスタイルが特徴的である。ドラムレスで男女混声の多重コーラスは混声期のインクレディブルストリングバンドと共通するが、美しきスティーライスパンへろへろなインクレディブルストリングバンドといった感じで僕はなんとなく頭の中でセットにしている。

70年に「Hark! The Village Wait」でデビューするが、ウッズ夫妻が脱退。

ブリティッシュフォークの重鎮マーティンカーシーが加入し71年に2nd「Please to See the King」をリリース。これがチャートインする(45位)。

72年に3rd「Ten Man Mop, or Mr. Reservoir Butler Rides Again」をリリースするとアシュレイハッチングスとマーティンカーシーが脱退。

その後はあんまり聞けてないんだけど、未だ現役のバンドである。74年の6thアルバムではデヴィッドボウイがサックスで参加したこともある。スティーライスパンもブリティッシュフォークロック界の重要バンドの1つである。

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2人を失って

さて絶対的フロントマンのサンディデニーと創設メンバーのアシュレイハッチングスを失ったフェアポートコンベンションだが、デイヴ・ペッグを新たなベーシストとして迎えいれ活動を続ける。

70年に5thFull Houseをリリース。

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サンディデニーが抜けたことで空いたボーカルパートはフィドルのデイヴ・スウォーブリックが担当。

前作に続きトラッド路線のブリティッシュフォークロックアルバムであるが、フィドルがかなりフィーチャーされておりアイリッシュ要素が強まった印象。とにかく全編に渡りデイヴ・スウォーブリックが大活躍で、フィドルはもちろん、6「Flatback Caper」,7「Poor Will and the Jolly Hangman」では超絶マンドリンを、そしてメインボーカルまでやってるわけだからデイヴ・スウォーブリックのアルバムと言ってもいいくらい。

そしてやはりリチャードトンプソンのギターも聞きどころ満載で、デイヴ・スウォーブリックのフィドルとの絡みは圧巻。インストアルバムでよかったんじゃないかってくらい。とはいえブリティッシュフォークロックの名盤は女性ボーカルだらけなので、こういった男性ボーカルの名盤は貴重で嬉しい。でもやっぱりブリティッシュフォークは女性ボーカルなんだよなぁ…ってのが悲しいけど正直なところ。

いやしかしやはりフェアポートコンベンションはサンディデニー在籍時の2nd,3rd,4thが目立ちがちなんだけど、このアルバムは聴き逃してはならない。

 

リチャードトンプソン脱退

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このアルバムを最後にリチャードトンプソンが脱退。ソロ活動に入る。

リチャードトンプソンは恋人でありフォーク歌手であったリンダペーターズ(デニーとは友人)と結婚し、リチャード&リンダトンプソン名義でも74〜82年まで6枚のアルバムをリリースした。現在までソロ活動を続けておりブリティッシュフォーク界の巨匠の1人である。

 

フェアポートとジョーボイド

フェアポートを発掘したジョーボイドがプロデュースしたのもこの70年5thまでである。ジョーボイドは数々のブリティッシュフォークアルバムをプロデュースしたが、そのいくつかの作品でフェアポートのメンバーが参加した。

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ニックドレイクの69年1stではリチャードトンプソンがギターで参加。このアルバムにはペンタングルのダニートンプソンもベースで参加している(同じトンプソンだけど血縁関係ない)。

71年2ndアルバムではリチャードトンプソンに加えてデイヴペッグとデイヴマタックスも参加している。

 

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英フォークの女王ヴァシュティ・バニヤンの70年1st「Just another diamond day」にはデイヴ・スウォーブリックとサイモンニコルが参加。

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そういや創設メンバーの一人であるサイモンニコル…影薄いな…しかし目立たないが素晴らしいサイドギターを弾いてるし、途中少し脱退するものの現在までメンバーであり続ける《ミスター・フェアポート》なサイモンニコルである。

 

その後

フェアポートコンベンションはそこからもフォザリンゲイの面々が加入したり出て行ったりメンバーチェンジを繰り返しながら現在も活動中。30枚近くのスタジオアルバムを出しているので僕も全然まだまだ聞けてないんだけどね。

 

まとめ

おしまい!疲れた!

ブリティッシュフォークロックの代表、フェアポートコンベンションを是非一度!おススメはやはりサンディデニー在籍時の69年2nd,3rd,4thの3枚と70年5thであるが、特にブリティッシュフォークロックの幕開けとなった4th「Liege & Lief」は必聴。

2nd,3rdが気に入ったならサンディデニーのソロやフォザリンゲイも好きなはず!

よりトラッドを求めるならティーライ・スパンを!

英フォークシンガー系のニックドレイクヴァシュティ・バニヤンも是非!

 

フェアポート周りはこんな感じ!

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5-2 Pentangle〜革新の五芒星〜

 

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(ペンタングル)

 

5章はブリティッシュフォークロック!

2章で少しジョーボイド関連で触れたブリティッシュフォークの図から続いていきます。

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前回言ったように、無伴奏で歌っていたトラッド歌手シャーリーコリンズとギタリストのディヴィグレアムが64年にコラボレートした「Folk Roots New Routes」によってブリティッシュフォークの革新が起こるわけなんだけど、このディヴィグレアムについて少し(僕もそんなには知らぬ)。

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デイヴィ・グレアム

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無伴奏で歌うというのがブリティッシュトラッドフォークの本来の姿であるので、純粋なトラッドギタリストなんてものはもちろん存在しない。スキッフルの影響でギターを始めたデイヴィグレアムはアコースティックギター1本でインストゥルメンタル曲を演奏するギタリストであり(たまーに歌う)、ジャズやブルースを好んで演奏していた。

62年デビューEP「3/4 AD」では「Anji」というアコースティックギターインストの代表曲となる曲を発表(バートヤンシュやポールサイモンなど多数のギタリストがカバーしている名曲)し、EPのタイトルとなっている「3/4 AD」では《ブリティッシュブルースの父》と呼ばれるアレクシス・コーナーと共演した。

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※アレクシスコーナーは61年にブルース・インコーポレイテッドというバンドを結成するが、そのバンドに多数の若手ミュージシャンを入れ替わり立ち替わり加入させ育てたことが《ブリティッシュブルースの父》と呼ばれる所以であり、その中にはクリームのジャックブルースストーンズチャーリーワッツブライアンジョーンズ、そしてペンタングルのニートンプソンテリーコックスらがいた。

 

63年1stアルバム「The Guiter Player」ではジャズを中心に演奏。

64年2nd「Folk,Blues&Beyond」ではジャズに加えてボブディラン(アメリカンフォーク)やブルースのカバー、そしてイギリス民謡をギターで演奏し、さらに同年にシャーリーコリンズとのコラボレイトを果たし、無伴奏で歌うのが常識であったブリティッシュフォークにギターを参入させ、伝統を重んじるブリティッシュフォークを革新の道へ乗せた。

このことからイギリスのフォークリバイバルにおいて最も重要な人物の1人に挙げられるが、彼の最も有名な偉業はドガドチューニングを発明したことだろう。ダドガドチューニングとはギターのチューニングを6弦から順にDADGADと変則にチューニング(本来はEADGBE)することによって開放弦を使ったドローン効果を発揮できるチューニングで、今となっては割とポピュラーなギター変則チューニングであるが、これの発案者がデイヴィグレアムである。

ブリティッシュフォークリバイバルのみならず多数の後続のギタリストに多大な影響を与えたデイヴィグレアムであるがその近々の影響下にいたのが67年にペンタングルを結成するバート・ヤンシュジョン・レンボーンであった。

 

バート・ヤンシュ

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ドノヴァンが「Bert's Blues」と「House of Jansch」という2曲を友人のバートヤンシュに捧げた。という話はドノヴァンの回で書いたが、バート・ヤンシュはドノヴァンと同じくスコットランド人であり1943年にグラスゴーに生まれエディンバラで育った。

10代の頃にギターを始め、『the Howff』というフォーククラブに通い始める。そこでスコティッシュフォークシンガーのアーチー・フィッシャーに出会い、アメリカンブルースの巨匠ビッグ・ビル・ブルーンジーアメリカンフォークリバイバリストのピート・シーガーウディガスリーを教わる。

後にインクレディブルストリングバンドを結成するロビン・ウィリアムスともこの時期に出会い、一時期ルームメイトであったそう。

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バートは63年にはロンドンに移り住み、そこで

ジョンレンボーンやデイヴィグレアム、ロイハーパー、ポールサイモンらの革新的なアコースティックギタリストと出会う。

65年に1stアルバム「Bert Jansch」、2nd「It Don't Bother Me」をリリース。ブルース、アメリカンフォーク、トラッドフォークを弾き語る姿はしばしば《英国のボブディラン(ドノヴァンと同じだ)》と称されることもあったが彼の持ち味はデイヴィグレアムと同じくインストゥルメンタルのギタープレイにある。

66年3rd「Jack Orion」はほとんどがトラディショナルソングで構成された正真正銘のブリティッシュフォークアルバムであると言えるものとなった。

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バートヤンシュのルーツはブルースやアメリカンフォークであったが彼をブリティッシュフォークの道に導いたのはアン・ブリックスの存在が大きいだろう。アンブリックスもまたブリティッシュフォークにおいて重要な歌姫であるが、アンがスコットランドエディンバラヒッチハイクで訪れた際バートと知り合い、以後親交が続いた。バートとアンはよく兄妹に間違われたらしい。そのアンに「Jack Orion」収録のバートの代表曲となる「Black water side」などのトラッドフォークを教わった。

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ちなみにジミーペイジはバートヤンシュのファンであり、ツェッペリンの1stで「Black water side」のギターをそのまま借りて「Black Mountain Side」という曲をレコーディングしている。ペイジもフォークリバイバルにかなり影響を受けており、ツェッペリンをロックバンドにするかフォークバンドにするか結成時に悩んだほどであるらしい。

 

66年にはジョンレンボーンとの共作アルバム「Bert And John」をリリース。ジョンレンボーンもバートと同じく65年にソロキャリアをスタートさせており、ロンドンでのバートのルームメイトでもあった。

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2人のアコースティックギターの交わりはよく《フォークバロック》と称されている。この後のペンタングルでも2人の素晴らしいギターはもちろん聴けるが、アコギ2本だけでの掛け合いを聞けるこの作品は貴重である。ジョンレンボーンもデイヴィグレアムの影響とフォークリバイバルの流れの中に出てきたギタリストであるが、古楽に傾倒していたのが特徴としてよく語られる。

 

バートとジョンの2人にジョンとすでにデュエットを組んでいたトラッド歌手のジャッキー・マクシーが参加。そこにアレクシス・コーナーのバンドであるブルース・インコーポレイテッドにてダブルベースを弾いていたダニー・トンプソンとドラムのテリーコックスが参加して67年にPentangle(ペンタングル)が結成された。

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5-2 Pentangle〜革新の五芒星〜

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トラッド歌手のジャッキーマクシー、ブルースとフォークのバートヤンシュ、古楽のジョンレンボーン、ジャズのダニートンプソンとテリーコックス、というそれぞれの個性がぶつかり合う超革新派のブリティッシュフォークバンドが誕生。ほんとに五芒星という意のバンド名がしっくりくる別の星の5人が集まって生み出す化学反応を楽しめる。

 

ペンタングルはフェアポートコンベンションと共にブリティッシュフォークロックの代表的なバンドであるが、ジョンレンボーンは《フォークロック》とカテゴライズされることに異を唱えていて、彼の言う通り62年ビートルズによる《ロック》誕生以降のニュアンスは全く取り入れていない。楽器も結成当初は電気類を一切使わないアコースティックのみである。ジャンル分けするなら《ジャズフォーク》と言ったところだろうか。

個人的な見解では、やはりトラッドフォークは無伴奏が本来の姿であるので歌さえトラッドであればそのバックのインストゥルメンタルはどんな形であれブリティッシュフォークと呼べると思っていて、その融合の自由度がこのブリティッシュフォークロックというジャンルの面白さであり、70年代にはプログレフォークなるものが誕生していくことに繋がっていくんじゃないかと思っている。まぁ言ってみれば歌がトラッドであるなら《メタルフォーク》や《ノイズフォーク》みたいなものも生まれてもいいってことで(多分探せばある)。

 

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68年にアルバム「Pentangle」にてデビュー。

トラディショナルソングとオリジナルソングをほぼ半々ずつで構成されている。この半々のスタイルは3rdアルバムまで続くが、トラディショナルソングも洗練されたアレンジによってオリジナルに聞こえるし、オリジナルソングもトラッドが持つ神聖さをしっかりと備えていて、正直クレジットを見ないとどれがトラッドでどれがオリジナルかわからない。それくらいトラッドとオリジナルが上手く溶け合った絶妙なブリティッシュフォークである。

 

同年2枚組アルバムの2nd「Sweet Child」をリリース。

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Disc1がロイヤルフェスティバルホールでのライブ音源、Disc2がスタジオ音源という2枚組。

スタジオ音源とライブ音源を抱き合わせてリリースするなら、普通はDisc1がスタジオ音源だと思うんだけどこの「Sweet Child」は逆。ライブ音源こそがメインだと言わんばかりのこの2ndアルバムだがまさにそうで、このライブ音源12曲は1stのラストに収録された「Bruton Town」1曲以外スタジオ音源は存在していない(後にCD化された際にスタジオ版がボーナストラックとして公開されたものもある)。

バンドとしてはデビュー間もないとはいえメンバーそれぞれが結成前からすでにプロとしてのキャリアを積んでいるのでライブのクオリティは流石。

 

僕のペンタングルとのファーストコンタクトはYoutubeで見たライブ映像(2ndのライブ音源の時のとは違うが…)であり、ただ1点を見つめて微動だにせず椅子に座り、太古から語り継がれたトラッドを歌うジャッキーマクシー、ダブルベースを弓で弾くダニートンプソンとドラムを叩きながらグロッケンも叩くトニーコックスのジャズリズム隊、その土台の上で左右に分かれて座ってアコースティックギターを弾き散らし合うバートヤンシュとジョンレンボーン、その5人がまさに《五芒星》の形に陣取ったステージはとても神秘的で美しく、なおかつロックでないのにロックより熱を持ったものだった。それからCDを入手してペンタングルにハマっていったわけなんだけど、スタジオアルバムももちろん素晴らしいが、やはりペンタングルはライブバンドだと思っている。

てなわけで最初に買ったペンタングルのアルバムでもあるこの2ndはお気に入り。

Disc1,11曲目「The Time Has Come」はアン・ブリッグズ作曲である。

 

 

69年の3rd「Basket of Light」

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このアルバムは商業的にも成功し、全英5位を記録する。シングルとしてリリースされTVドラマの主題歌にもなった1曲目「Light Flight」は「Take5」を彷彿させるジャズナンバーで、5拍子と7拍子という変拍子で展開していくクールな曲であり、以後彼らの代表曲となった。

1st,2ndでジャズフォークスタイルを確立したペンタングルはそのスタイルを維持しつつもこのアルバムではさらに新たなニュアンスを取り込みトラッドフォークの革新を進めて行く。

B面1曲目「Hunting Song」はテリーコックスのグロッケンが全編に渡って美しく不気味に鳴り響き、B面2曲目「Sally Go 'Round the Roses」はR&Bのカバー、B面ラスト「The House Carpenter」はバートがバンジョーを、ジョンがシタールを弾く《ラーガフォーク》と呼べる名曲。前作まではジャッキーマクシーのトラッドとダニーとテリーのジャズセクションという基盤の上でバートとジョンの2人のアコギによる様々なアプローチで彩りを足していく面白さがあったが、このアルバムでは基盤はジャッキーマクシーのトラッドな歌のみで男4人が様々なアプローチを仕掛けるって感じ。なのでジャズの枠を飛び出る瞬間も多々あるんだけど、それでもペンタングルらしさみたいなものは全くブレないから凄い。

さらなる変化としては前作まででもバート、ジョン、テリーの3人がバッキングボーカルとして歌うことがあったが、今作からリードボーカルを取る場面も多く見られるようになる。紅一点ボーカルのフォークバンドから男女混成フォークバンドというスタイルに移り始めたのもこのアルバムの特徴だろう。恐らく一般的に1番おすすめされてるのはこのアルバム。

 

70年4th「Cruel Sister」

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ここまでトラディショナルソングとオリジナルを半々くらいのバランスでやってきたペンタングルだがここにきてこの4thは全てトラディショナル。がしかし、僕は今までで1番《フォークロック》なアルバムだと思っている。

まず〝ノー電気〟という暗黙のルールを破り、ジョンレンボーンが禁断のエレクトリックギターを導入したことは大きいだろう。さらにジャズ要素がかなりなくなった。このアルバムで《ジャズフォーク》バンドが《フォークロック》バンドになったと言ってもいいだろう。バートとジョンのアコギ2本の掛け合いの出番も減って、片方がアコギ、もう片方がダルシマーコンサティーナシタールといった楽器を互いに弾いているのも特徴。

 

1曲目「A Maid That's Deep In Love」ではドラムレスのアコギのコードストロークが主体の美しい曲であるが、このコードストロークを弾いてることがまず珍しいことである。バートによるダルシマーも印象的。

2曲目「When I Was In My Prime」はジャッキーマクシーの独唱であり完全なる無伴奏トラッド。原点回帰といった感じだが、このアルバムに差し込まれると、なんていうか《フォークロック》の中での一幕と感じれる。

3曲目「Lord Franklin」はジョンレンボーンの弾き語りにバートによるコンサティーナアコーディオン系の蛇腹楽器)とジャッキーマクシーのバッキングボーカルが美しく響く曲。そこに重ねたジョンレンボーンのエレキギターも秀逸。

4曲目タイトル曲「Cruel Sister」は物悲しく美しい雰囲気漂う曲、ってかトラッドは基本物悲しく美しいんだけど。特にって感じ。

バートのアコギアルペジオにテリーコックスのダルシトーン(鍵盤楽器なんだけど鉄琴のような音)が響き、背景でジョンのシタールが鳴っている。ドラムはこの曲がやっとこのアルバムで初登場であるが、ティンパニー的にタムを叩いている程度。

以上4曲がA面で、ほぼドラムレスと言ってもいい作りであり前作までに比べて静かでおとなしい印象だが、前作までより明らかに《ロック》が滲みでてる面白さ。

 

B面は「Jack Orion」1曲のみという構成。「Jack Orion」はバートヤンシュが66年のソロアルバムでタイトルにしたトラディショナルソングであるが、それを19分近くに及ぶアレンジに仕上げた。バート、ジョン、ジャッキーの3人の歌の交わり、中盤パートでのバートとジョンのリコーダーによるハモり、ダニートンプソンの弓で弾くダブルベースの不気味な響き、ジョンのエレキギターソロ、テリーのダルシトーンソロなど聞きどころ満載。後半の盛り上がり時のドラムは明らかにロックドラムと呼べるものであるだろう。

音楽的変化が見られ、やっとはっきりと《ブリティッシュフォークロック》と呼べる4thであるが、やはり《トラッド》という大いなる核があるので禁断のエレキギターを導入してもブレたとは思わないんだよなー。

 

 

71年5th「Reflection」、72年6th「Solomon's Seal」でペンタングルは解散するんだけど、この2枚恥ずかしながら持ってないのよね。Apple MusicとYoutubeで軽く聞いたけど、70年代に突入してもやっぱりペンタングルはペンタングルだった。70年代に入るとなんか嫌な感じに変わってしまうバンドたくさんいるんだけど、ブリティッシュフォーク界隈は安心。例えば70年の伝説の一枚だけで姿を消したバシュティバニヤンが2005年にいきなりアルバムリリースして、あいも変わらず美しいフォークを歌ってくれたり。

 

82年ごろに再結成して、85年にアルバムリリースしてからメンバー入れ替わりながらコンスタントにアルバムをリリースしている。

95年にはオリジナルメンバーがジャッキーマクシーのみになり以降Jacqui McShee's Pentangleとして現在まで活動している。この辺もまたゆっくり聞いていこうと思っております!

その他の活動で言えばバートヤンシュ、ジョンレンボーンの2人はペンタングル結成前から始めていたソロ活動をペンタングル在籍中を含めて生涯通して続けた。この偉大なギタリストのソロ作品群はギタリストなら聞いておくべし!2011年にバートヤンシュが死去、2015年にジョンレンボーンが死去。

 

以上!

最後に、バートヤンシュとの関わりで出てきたアンブリックスなんだけど、64年にデビューEPをリリースしたがアルバムをリリースしたのは71年になってからである。この71年にリリースされた2枚のアルバム「Anne Briggs」と「The Time Has Come」がとにかくいいので一応おすすめして終わります!

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ブリティッシュフォーク界隈は今んとここんな感じ!

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5-1 ブリティッシュフォークとフォークリバイバル

洋楽について

10代の頃まず僕は「洋楽」に興味を持って、それから今日までロックを聴き続けているんだけど、気付いた時にはその「洋楽」を演っているのがアメリカのバンドかイギリスのバンドかを気にかけるようになっていた。それはごくごく自然な事で、やっぱり「洋楽」とか「欧米」で括られていてもアメリカとイギリスは遠く離れた全く違う国であるのだから音楽も違うに決まっている。

ザ・バンド(us)とプロコルハルム(uk)の違い、イーグルス(us)とピンクフロイド(uk)の違い、R.E.M(us)とスミス(uk)の違い、ニルバーナ(us)とオアシス(uk)の違い、レッドホットチリペッバーズ(us)とレディオヘッド(uk)の違いは一体なんなんだろうか。もちろんそれぞれ音楽的相違点は多々あり、それを一つ一つ紐解いていくことは可能であるがそれ以前にこれを言ったら元も子もないが何より「国が違う」。国が違えば文化、バックグラウンドが違うし、音に込められた空気感が違う。単純な話だ。

だからもうそろそろ「洋楽」って言葉、廃止しようぜって本当に思っている。洋楽邦楽じゃなくて、アメリカ音楽、イギリス音楽、日本音楽でいいじゃないの。少なくともアメリカ人やイギリス人はアメリカとイギリスの音楽をひとまとめにはしていない。はず。

 

とはいえここまで書いてきたようにアメリカとイギリスの音楽交流は密接に行われてきたのは確かである。ロック誕生からのアメリカとイギリスのキャッチボールを簡単に。

 

アメリカとイギリスのロック

 

🇺🇸アメリカ🇺🇸

50年代半ばにアメリカの黒人音楽であるブルース、ソウルR&B、ゴスペルと白人音楽のウエスタンカントリーやブルーグラスが融合してロックンロールが誕生。

🇬🇧イギリス🇬🇧

アメリカから輸入されたスキッフル(ジャグバンド)やロックンロール、ブルース、カントリーなどを吸収し、60年代頭にビートルズローリングストーンズ、キンクスザ・フーホリーズなどのロックバンドが誕生(ロックとロックンロールを別のジャンルとして捉えるならばロックの誕生)。

🇺🇸アメリカ🇺🇸

64年のビートルズアメリカ上陸を皮切りにイギリスで生まれたロックバンドがアメリカのチャートを占領する《ブリティッシュインヴェイジョン(イギリスの侵攻)》によって当時ロックンロールブームも冷めきっていたアメリカに「ロック」という新たな風が吹く。これによりアメリカンロックが幕を開ける。フォークシンガーであったボブディランはこの影響を受けてエレキギターを手にした。

65年デビューのThe Byrds『フォークロック』というジャンルを確立し、さらに66年3月のシングル「霧の8マイル」によってサイケデリックロック』の扉を開く。

そして60年代中頃から加熱し始めたカウンターカルチャーが西海岸で爆発し、66年にはグレイトフルデッド、ジェファーソンエアプレインといったサイケバンドが誕生、《フラワームーブメント》が花開く。

ビーチボーイズビートルズ「ラバーソウル」の影響でサーフロック(ロックンロール)を卒業し、より音楽の深みを目指し始め、66年に名盤「ペット・サウンズ」を完成させた。

🇬🇧イギリス🇬🇧

アメリカへの侵攻の手土産としてビートルズ等ブリティッシュインヴェイジョン勢はカウンターカルチャー、そしてサイケデリックロックを持ち帰り、66年8月にビートルズリボルバー」、ドノヴァン「Sunshine Superman」をリリース。

同時にロンドンアングラシーンが誕生し、67年にはピンクフロイドサイケデリックバンドも出現。ブリティッシュサイケブームが巻き起こる。

69年にはサイケデリックブームが終わり、サイケによる表現力の拡大をさらに押し進める形で「アートロック」プログレッシブロックが誕生。クリームやジミヘンなどのブルース色の強いサイケバンドの先にはツェッペリン、ブラックサバス、ディープパープル、フリーなどの「ハードロック」が誕生。

🇺🇸アメリカ🇺🇸

アメリカも69年にはフラワームーブメントが終焉。古き良きアメリカを取り戻すべくルーツミュージックに回帰していく流れの中で南部音楽に根ざしたスワンプロック、CSN&Yなどのフォークロック、カントリーロックやブルースロック。

ブルースロックから発展してアメリカンハードロックを切り開いていくエアロスミスも70年にデビュー。

70年前半にはイギリスのプログレッシブロックの影響からカンサスなどのアメリカンプログレハード」が誕生。

 

ってな感じがロック誕生から70年代前半までの簡単なアメリカとイギリスの音楽キャッチボールである。アメリカとイギリスは互いに影響し合ってロックを発展させてきたわけだ。

 

さ、見ての通り60年代後半から70年代前半のイギリスではサイケ、アートロック、プログレが盛り上がったのだが、同時期にそれとは別に盛り上がりを見せたのがイギリスのフォーク界隈、『ブリティッシュフォークロック』である。特に女性ボーカルのバンドが多数活躍したこの界隈を5章では見ていこうと思うが、その前にフォークリバイバルについて語る必要があるだろう。

 

 

5-1 ブリティッシュフォークとフォークリバイバル

🇺🇸アメリカ🇺🇸

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(ウディガスリー)

【フォーク】とは【民謡】を意味し、民謡研究家によってアメリカ各地で昔から歌い継がれた民謡を発掘する動きが1930年代のアメリカで起こったのがフォークリバイバルの始まりと言われている。それらは労働歌や皮肉に溢れた社会風刺がほとんどであった。40年代にはウディガスリーやピートシーガーがアコースティックギター 1本で弾き語るスタイルでそれらを世に広めると同時に、民謡を習ってオリジナルのフォークソングを作り出した。それは第二次世界大戦に対する反戦歌であったり、やはり労働者目線の歌がほとんどであり、この動きが注目を集め商業化に乗り出し、50年〜60年代にかけて世界中でフォークリバイバルブームが起こることとなる。

50年〜60年代になるとアメリカは公民権運動やベトナム反戦運動真っ只中で、それらについて歌ったフォークシンガー達は『プロテストフォーク』と呼ばれることとなり、その到達点であり最終形態とも言えるのがボブディランであった。

そのディランが60年代半ばにイギリスのロックの影響を受けてエレキギターを持ち、同じくフォーク界隈にいた数人がビートルズの影響を受けてバンド結成を思い立ちThe Byrdsを結成し、アメリカでフォークロックが誕生した。

 

そもそもアメリカの民謡って何だって話なんだけど、それは先住民のインディアンが語り継いだ歌、ってわけではなくて。

みなさんご存知の通り、アメリカは極めて歴史の浅い新しい国である。コロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ諸国の人々がアメリカに移住し、植民地とした。アメリカ民謡の原点はヨーロッパ諸国、主にイギリスの民謡(アイルランド民謡、スコットランド民謡)にあり、そこから1776年にアメリカ合衆国独立宣言、そして1930年代にフォークリバイバルが起こるまでに長い年月をかけてイギリス民謡は徐々に形を変えてアメリカ民謡として歌い継がれていったわけだ。

 

🇬🇧イギリス🇬🇧

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(シャーリーコリンズ)

つまりアメリカ民謡の原点はイギリス民謡にあるわけなんだけど、イギリスでもアメリカで起きたフォークリバイバルに影響を受けて1950年代にフォークリバイバルが起きる。

イギリス民謡は伝承歌、伝統音楽、トラディショナルフォーク(トラッドフォーク)、もしくは単にトラッドと呼ばれることが多い。フォークリバイバルが起きた50年代のリバイバルトラッドフォーク歌手にはシャーリーコリンズなどがいるが、当時は無伴奏で歌うのが主流であった。確かに昔々はギターなんてなかったわけだから、その伝統を守るのならば無伴奏が正しいと言えるのか。

一方でスキッフルが流行しギターの弾き語りが一般化していく60年代頭にフォークギタリストとしてディヴィ・グレアムが姿を現わす。これは当時「異端」なことでありリバイバリストの中には反発する人もいたらしい。

そんな伝統を重んじるトラッド歌手のシャーリーコリンズと時代の流れに出てきた異端児ディヴィグレアムがコラボレートしたアルバム「Folk Roots New Routes」がリリースされる。

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これによってイギリスのフォークリバイバルは、単に伝統的なトラッドフォークを復活させただけで終わらず、革新への道へ進んでいくことになる。とはいえこの時点でまだブリティッシュフォークはアコースティックギターとやっと出会っただけである。

世間は64年であるので、イギリスではビートルズを始めとしたロックバンドが誕生し、アメリカへ侵攻する年であり、65年にアメリカにてディランやバーズによってフォークロックが誕生したことでイギリスのロックバンドもフォークニュアンスを取り入れ始めるがそれはあくまで「アメリカンフォークロック」のニュアンスであり、それは65年にデビューするスコットランド人のフォークシンガー、ドノヴァンも同じである。

この時点でブリティッシュトラッドフォークとロックの邂逅はまだ起きておらず、本当の意味での「ブリティッシュフォークロック」の誕生はもう少し先である。

その誕生はいつなのかというと、68年にフェアポートコンベンションとペンタングルという2つのブリティッシュフォークバンドがデビューした、その地点が「ブリティッシュフォークロック」の誕生と言えるのではないかと思っている。

 

サイケデリックブーム、そしてプログレッシブロックへと移っていく70年前後のイギリスロック界の裏で密かに誕生し、盛り上がっていくブリティッシュフォークロックを5章では見ていこうと思う。2章でブリティッシュフォークの重要人物、ジョーボイドというプロデューサーについて書いた際に少し触れたブリティッシュフォーク界隈だけれど、5章ではもう少し詳しく。

ブリティッシュフォークロックはとにかく美しい歌声の女性ボーカルを抱えたバンドが多数存在し、さらに70年ころには「プログレフォーク」と呼ばれるバンドも出現。トラッドとロックの融合を見事に果たしたバンド達をいくつか紹介していきたい!そして今回はその下地ということでフォークリバイバルを簡単に振り返ってみました!

終わり!続く!

 

4-6 カラフルブリティッシュサイケ

ヒッピーとサイケ

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《既存の形式や価値観からの解放》という大きなテーマを持ちビート文学を祖として60年代半ばにアメリカ西海岸で生まれたカウンターカルチャーヒッピー文化ベトナム戦争に対する反戦運動、脱キリスト教マリファナLSD信仰(より過激であるヘロインやコカイン、そしてアルコールは嫌っていた)、フリーセックス、自然回帰、東洋文化への傾倒、各種差別の廃止、などのいわゆる《ラブ&ピース》な主張を持っており、それに賛同する若者は皆西海岸サンフランシスコに集まった。

ロックミュージックとの関わりも強く、67年モントレー・ポップ・フェスティバル」サマー・オブ・ラブが幕を開け、69年その集大成と言えるウッドストックフェスティバル」では50万人のヒッピーが集まった。ヒッピー達が愛用したLSDによるサイケデリック現象を音楽化したサイケデリックロックがこの時期のロックミュージックの主流となっていく。グレイトフルデッドジェファーソンエアプレインなどの西海岸サイケバンドとヒッピー文化は根っこでしっかり繋がっており、ロックとヒッピーは切っても切れない関係であった。

 

一方イギリスはというと、このカウンターカルチャーの輸入により若者たちは《既存の形式や価値観からの解放》という思想に共鳴し、ロンドンアンダーグラウンドが誕生、ピンクフロイドを中心にサイケデリック旋風が巻き起こる。ビートルズやドノヴァンなどのメインストリーム勢もLSDや東洋思想を受け入れサイケデリック作品を多数生み出した。ビートルズストーンズLSDを愛したし、シドバレットはLSDに取り憑かれたし、ソフトマシーンのデヴィッドアレンやケヴィンエアーズのようなヒッピー野郎も誕生した。そんな彼らが作り出したサイケデリック音楽は本当に素晴らしく、アメリカンサイケとはまた一味違う英国らしさを持ったサイケは一大ブームとなる。

しかしサイケの根底にあるヒッピー文化の方は正しく輸入されなったのかもしれない。

アメリカの67年モントレーポップフェスティバルに倣ってイギリスでも68,69,70年と『ワイト島音楽祭』が開かれ、特に70年の出演者の豪華さは異常でありウッドストックフェスティバルを越す60万人を動員したが、そこに集まった聴衆の劣悪さは有名である。それは《ラブ&ピース》とはかけ離れた暴徒の衆、ヒッピーファッションを身に纏った偽ヒッピー達の集団であった。

元来背景にヒッピー文化のないイギリスのサイケデリックブームの中次々と出てきたブリティッシュサイケ勢というのは「サイケデリックロック」に影響を受けてサイケデリックロックをやったわけで、その根底にヒッピー思想はなく、言わばヒッピーファッションを纏ったサイケバンドであり、つまりファッションとしてのサイケデリックロックというのがブリティッシュサイケの本性なのかもしれない。ヒッピー文化はアメリカという国の時代背景から発生したカウンターカルチャーであるので、イギリスの若者にすっぽり当てはまるわけもなくて、まぁイギリスはイギリスで階級制度なんかがあったりするけど、この辺のそれぞれの国の背景や政治状況やらは「世界史」とか「現代社会」の話で正直僕はそこら辺がちんぷんかんぷんなのでちゃんと勉強すべきなんだけど。

 

まぁとにかく根っこのない「サイケデリックロック」が一過性のブームとなるのは自然なことで69年には終わりを迎え、その表現の多様性はプログレッシブロックへと引き継がれていくわけだ。

 

といっても本場アメリカも69年「オルタモントフリーコンサート」での「オルタモントの悲劇」、ヒッピーの流れを利用したカルト野郎チャールズマンソンの無差別殺人、ジャニスジョプリンジミ・ヘンドリックスの相次ぐオーバードーズ、なんかで《ラブ&ピース》を掲げ、理想の世界を目指すハズのヒッピー文化は徐々にボロを出し始める。何より溢れかえったヒッピー集団は「アメリカ国に対してのカウンター(反抗)」というよりは「社会をドロップアウトした人間の避難所」というような状態であったらしい。

それでもニールヤングが70年にオハイオという曲で歌った、オハイオ大学で反戦デモを行った学生が州兵に銃殺される、というような悲惨な事件が度々起こる当時のアメリカではヒッピー文化が消え去ることはなく、70年代に入ってもジョンレノンなどの反戦活動にヒッピー達は賛同した。

75年にベトナム戦争が終わると愛国的感情がアメリカに流れ始めヒッピーの大群は姿を消した。それでもヒッピー理想を追い求める一部のヒッピーは西海岸オレゴン州にて未だにコミューン(ヒッピーの集団)生活をしているらしい。

 

とはいえアメリカンサイケも69年には数を減らし、CSN&Yなどのフォークロックへの回帰、南部音楽に回帰したサザンロック、スワンプロック、カントリーロック、イギリスの影響を受けたプログレやハードロック、東で生まれるパンクロックなどロックの多様化への道へ進み出す。これは英米間の互いの音楽的影響の強さからくるものだと思っていて、イギリスでサイケブームが起きて終わらなければ、アメリカンサイケはヒッピー達と共に75年まで生き続けていたんじゃないかとか思ったり。

 

結局何が言いたいかというと、ブリティッシュサイケは見せかけだけのファッションであったということ。そしてそのカラフルサイケが音楽的に死ぬほど素晴らしいということ。つまりはLSD云々とかヒッピー云々とかを置いておいて音楽的に、芸術的に素晴らしいものであるということ。66年〜68年の短い時期に多数生まれたブリティッシュサイケバンドとその作品を4章のまとめとしていくつか紹介しとこうと思う。

 

4-6 カラフルブリティッシュサイケ

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さぁまとめとしてブリティッシュサイケの名盤紹介をしようかと思いますが、すでに紹介したのを挙げておくと初期ピンクフロイド、初期ソフトマシーンとその関連、トゥモロー関連とトゥインク関連、ムーブ、プロコルハルム、そして前回のドノヴァン、くらいかな?

 

ビッグネームでいうと、ビートルズは66年リボルバー67年「サージェント」67年「マジカルミステリーツアー」が、ストーンズは68年「サタニックマジェスティーズがサイケにあたるかな。この2組は…ビッグすぎるしまぁいいでしょう。

 

じゃぁ…うん。クリームから繋がって見ていこうかな。

 

Cream

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クリームはエリッククラプトンがヤードバーズ脱退後の66年に結成したスーパートリオで、ベースがジャックブルース、ドラムがジンジャーベイカー。ハードロックの祖であると言われることもしばしば。

ブルースロックを基礎としたサイケデリックロックが持ち味なんだけど1番サイケ比率が強いのが67年2nd「カラフルクリーム」だろう。

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クリームの活躍は言うまでもないので次へ。4枚のアルバムを残し68年にクリームは解散、クラプトンとジンジャーベイカーはティーブウィンウッドと共にブラインドフェイスを結成する。このスティーブウィンウッドがその前にやってたバンドがトラフィックである。

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Traffic

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スペンサー・デイヴィス・グループというビートロックバンドのオルガンだったスティーブウィンウッドが67年に結成したのがTraffic(トラフィック)で、デビューアルバム「Mr.Fantasy」がサイケの名盤である。

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ビートルズのサージェントペッパーの影響をしっかり受けたサイケ作品。スティーブウィンウッドのソウルフルな歌が特徴的で、ブルースやソウルといった黒人音楽を基調としながら様々なジャンルを混ぜ込んだ感じがバッファロースプリングフィールドを感じるアルバム。トラフィックはブリティッシュバンドでありながらかなりアメリカの血が濃いバンドという印象。

「Dear Mr.Fantasy」で素晴らしいギターを弾くデイブメイソンもトラフィックの重要人物であるが、68年2nd「Traffic」をリリースすると脱退。スティーブウィンウッドもブラインドフェイスを結成するためトラフィックは分解。

 

トラフィックのデイブメイソンがプロデュースした68年「ミュージック・イン・ア・ドールズハウス」というサイケアルバムでデビューしたファミリーというバンドがいて、さらにそのファミリーのベースのリックグレッチがクラプトン、ジンジャーベイカー、スティーブウィンウッドと共にブラインドフェイスの創設メンバーである。

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Family

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バンド名からしてまさにヒッピームーブメントなFamily(ファミリー)は時代と共にサイケからプログレへと進んで行くこの時代の典型的なバンドの一つである。デビュー前の時期はピンクフロイドやソフトマシーンらと同じくロンドンアングラシーンを盛り上げた。

トラフィックのデイブメイソンプロデュースの68年デビュー作「ミュージック・イン・ア・ドールズハウス」はサイケ史に残る名盤。

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管楽器やメロトロンを使った美しい世界観の演出とボーカルのロジャーチャップマンの過度なビブラートが独特なサイケポップ!

メンバー入れ替えの激しいバンドであり、ベースのリックグレッチが69年にブラインドフェイスに加入するため脱退。代わりにベースで入るのが後期アニマルズ(後期アニマルズもサイケなんだけどもはやアメリカのバンド)のジョンワイダーが加入。70年にはワイダーが脱退してジョンウェットンが加入。ジョンウェットンは72年にキングクリムゾンに引き抜かれて行く。

69年にファミリーに加入するマルチプレイヤーポリパーマーは加入前ブロッサムトゥースというバンドにいたが、これまた重要なサイケバンドである。

ファミリーはワイト島音楽祭にもしっかり出演。

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(遥か彼方に居たわジョンウェットン…)

 

Blossom Toes

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ロンドンにて結成されたサイケバンドBlossom Toes(ブロッサムトゥース)。67年リリースのデビュー作「We are so ever clean」がサイケロックの名盤。

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ストーンズヤードバーズを見出したジョルジオゴメルスキーによるプロデュースであり《ジョルジオゴメルスキーズロンリーハーツクラブバンド》と呼ばれることもあり、やはりこれも『サージェント症候群』の内の一枚。B級感は漂うものの独創的なサイケロックをプレイしている。アルバムには未収録だがシングル「Postcard」は極上のサイケポップ。

69年2nd「If Only for a Moment」は激しいサウンドデスボイスと呼べるボーカルなど大幅に音楽性を変え、プログレと呼べるものになったが、70年には解散。ポリパーマーは途中加入で2ndにて1曲だけドラムを叩いた後にファミリーに加入する。

 

Kaleidoscope

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もはや図を繋いでまつわることができなくなってしまった。

Kaleidoscope(カレイドスコープ)、《万華鏡》の名を持つバンドだが、アメリカに同時期に同名のサイケバンドが存在するので正直ややこしい。やはりサイケで《万華鏡》は被るか。

67年デビュー作Tangerine Dreamはこれぞ英国サイケ!な抜群のカラフルサイケ。フォークロックの香りをしっかり残したハーモニーも気持ちいい。69年2nd「Faintly Blowing」もフォークサイケといった感じの1stと同じ方向性の作品であるが、これに収録されている「Music」という曲がドラムの音にフェイザーかましたりかなり実験的でエグ味の強いサイケソングでクルクルパーで面白い。

70年にはメンバーは同じでバンド名をFairfield Parlourに改めて再デビューしている。唯一作の2枚組アルバム「From Home to Home」はプログレッシブロックに数えられることが多いが、音楽性はカレイドスコープ時代とあまり変わっていなくて70年にサイケロックが聴ける珍しいバンドでもある。ヴァーティゴレーベルからリリースされたことも注目ポイント。

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彼らはこのFairfield Parlourでワイト島音楽祭に出演。

 

Andwella's Dream

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天才メロディーメーカー、デイブ・ルイス率いる北アイルランド出身のAndwella's Dream(アンドウェラズドリーム)。68年にロンドンへ移りデビューとなった69年1st「Love & Poetry」がとにかく傑作サイケ。アイルランド人特有のアイリッシュな雰囲気とサイケが融合した音楽性は他で聞けない。

70年にAndwellaに改名し、2nd「World’s End」ではプログレ、ラスト作となった71年3rd「people's people」ではスワンプロックの傑作を残す。

 

Nirvana(uk)

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アイルランド人のパトリックキャンベルを中心に67年にロンドンで結成されたソフトサイケバンドNirvana。90年代にアメリカに出現したカートコバーンのニルバーナが有名になると同名のバンド名を使うなとゆーことで裁判を起こすがあっけなく負けている。カートコバーンのニルバーナが有名すぎることで(UK)とつけられてしまうことの多い可哀想なバンドである。

しかし音楽は素晴らしく、正直B級感漂うバンドが多数存在するサイケブームの中で超S級のクオリティを誇るバンドである。「何故これが売れないんだ…」と思うバンドはたくさんいるんだけど、その中でも特に思うバンドである。

67年デビュー作の「The Story of Simon Simopath」はサイモンサイモパスの物語というタイトル通りのコンセプトアルバムであるが、ストリングスを効果的に使った素晴らしいサイケポップを繰り広げる。

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「ソフトロック」というジャンルは未だに定義が曖昧であり日本と欧米とでも捉え方が違うようだが僕は

  1. 60年後半から70年前半
  2. スタジオワークに重点を置いたもの
  3. ブルースからの脱却
  4. ギターロックからの脱却

みたいな定義をなんとなく持っていて、そこにサイケのニュアンスが足されたニルバーナを「ソフトサイケ」と分類している。

68年2nd「All of Us」,70年3rd「 To Markos III 」と極上のソフトサイケ及びソフトロックを製作し、ヴァーティゴレーベルに移ってからの72年4th「局部麻酔」、73年5th「愛の賛歌」はプログレとして知られている。

90年代にコンピレーションアルバムを出す際に先ほど言ったカートコバーンのニルバーナ(US)に対する裁判を起こしており、負けると今度はカートニルバーナの「リチウム」をカバーしてみたりオッサンになってからの明らかな売名行為には苦笑いするしかない(でもこのリチウムがまた彼ららしくて面白い)。

僕は好きなバンドTop10にこのバンドを入れるくらい好き。

 

The Zombies

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ソフトサイケで忘れてはいけないのがゾンビーズの68年2nd「Odessey and Oracle(忘れかけてた)。

ゾンビーズは64年デビューのブリティッシュビートバンドでありブリティッシュインヴェイジョンの一員にも数えられる。64年デビューシングル「She's not there」や65年2ndシングル「Tell her no」が英米で大ヒットし、同年1stアルバム「The Zombies」をリリースするが人気は低迷。

67年にデッカレコードからCBSレコードに移籍して制作された2nd「Odessey and Oracle」がソフトサイケの名盤である。「Time of the seoson(2人のシーズン)」という曲がヒットしたことでとにかく有名であるがこのアルバムではこの曲だけ異色であり、もしこの曲だけでゾンビーズを聴き終えた人がいれば彼らのカラフルサイケを聴き逃していることになる。

全編に渡って活躍するメロトロンが特徴でメロディもキャッチーで名曲揃いのアルバム。アビーロードスタジオでレコーディングされ、エンジニアはジェフエメリック。非の打ち所がない。

このアルバムを作ってゾンビーズは解散となるが「2人のシーズン」のヒットにより、ツアーで金を稼ぎたい会社側の思惑から偽ゾンビーズが生まれたりもしたという逸話もある。

 

中心人物のキーボーディスト、ロッドアージェントはゾンビーズ解散後自らの名前を冠したArgentというバンドを結成。

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ラスバラードというヒットメイカーも在籍し、70年代にプログレッシブバンドとして活躍した。74年5th「Nexus」が僕は好き。KISSのヒット曲である91年「God Gave Rock and Roll to You Ⅱ」のオリジナルである「God Gave Rock and Roll to You」も73年にヒットしている。

 

 

まとめ

まぁひとまずこんなとこ。重要なバンド山ほど忘れてる可能性もあるし、何よりペチャクチャ偉そうに語ってるけど僕なんかが知ってるブリティッシュサイケ作品なんて全体の10%、いや5%くらいでしょうし。まっだまだコアなブリティッシュサイケが山ほどあるんだけど、僕がオススメできるのはこれくらいかな。

 

紹介したバンドのいくつかを図で繋げれないのが悔しいんだけど、またどっかで繋がれば繋げるってことで!ヴァーティゴからリリースしたNirvanaとFairfield Parlour(その前身のカレイドスコープ)だけ繋いどこうかな!

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またヴァーティゴレコード特集もやりたいな。ロックが多様化していく70年前半の中でもヘンテコな奴らをいっぱい抱えた面白いレーベルなんだよな。

 

全体図

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(図をエクスポートしようとしたらアプリが落ちるのでスクリーンショットで…何がなんやら)

 

 

はい、4章ブリティッシュサイケ、ひとまず完!

4-5 サイケの貴公子“ドノヴァン”

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前回はプロコルハルムについてであったが、最後にドラムのB.J.ウィルソンが参加したジョー・コッカーの69年デビュー作「With a Little Help My Friends」について触れて終わったのでそこから続きを。

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「With a Little Help My Friends」にはB.J.ウィルソンの他に同じくプロコルハルムのマシュー・フィッシャー、レッドツェッペリン結成前のジミー・ペイジトラフィックティーブ・ウィンウッドなど名だたる面子が参加している。中でもジミーペイジの功績は大きく、ビートルズの曲である「With a Little Help My Friends」を三拍子にしゴスペル調のパワーバラードにアレンジしたのはジミーペイジであり、イントロのダブルチョーキングも印象的だ。なわけで少しジミーペイジについて。

 

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ジミーペイジはセッションギタリストとして63年ごろにキャリアをスタートさせており、様々なレコーディングに参加した後66年にヤードバーズに加入。67年に「Little Games」をリリースした後ヤードバーズは空中分解、68年に新たなバンド、ニューヤードバーズ(レッドツェッペリンを始動させる為メンバーを探している最中でのジョーコッカー「With a Little Help My Friends」への参加であった。前回も言った通りそこで一緒だったB.J.ウィルソンをレッドツェッペリンに誘うがすでにプロコルハルムで成功していたので叶わなかった。

ボーカルにはテリー・リード(めちゃくちゃいいのよテリーリード)を誘ったがこれも叶わずリードによる推薦でロバート・プラントが加入。ドラムはプラントの友人であったジョン・ボーナムに決まる。ベースはペイジとセッションミュージシャンとして交流のあったジョン・ポール・ジョーンズに決まり、レッドツェッペリン結成、69年にデビューとなる。

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69年になるとサイケデリックブームは終わりを迎えており、やはりレッドツェッペリンにサイケ臭はほぼなく、ご存知の通りハードロック、プログレッシブロックといった路線で大成功をおさめるわけだ。

 

お、今回はツェッペリンの話をしたいのか。とお思いかと思うが、そうゆうわけでもなくて。結局どこへ話を運んでいきたいかというと、サイケデリックのイメージのないレッドツェッペリンだけど、60年代前半からセッションミュージシャンとして活動していたジミーペイジ、ジョンポールジョーンズもちゃんと例に漏れず66〜68年ごろにサイケ作品に携わってるってこと。

ジミーペイジ在籍時唯一作のヤードバーズ67年「Little Games」はしっかりサイケしてるし、ジョーコッカー「With a Little Help My Friends」もちゃんと香りが残っている。

ジョンポールジョーンズはヤードバーズ「Little Games」にベース、チェロ、オーケストラのアレンジャーとして参加したり、ローリングストーンズ極上のカラフルサイケ曲「She's a Rainbow」にてストリングスアレンジを担当したりとマルチプレイヤーとしてしっかりサイケ作品に貢献している。

そして2人が66〜68年にたびたび参加しているのがサイケの貴公子Donovanの作品なのである。66年3rd「Sunshine Superman」にジミーペイジ、67年4th「Melloy Yellow」でジョンポールジョーンズ、68年6th「The Hurdy Gurdy Man」に2人揃って参加している。

2人は以前にも共に仕事をしたことがあったが「The Hurdy Gurdy Man」での再会がレッドツェッペリンにジョンポールジョーンズが参加するきっかけになったと言われている。

後にツェッペリンを結成する2人をバックに従えてサイケデリックロック作品を世に放ったドノヴァンという男について今回は見ていこうと思う。

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4-5 サイケの貴公子“ドノヴァン”

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4章はロンドンサイケ!なんだけどスコットランド人のドノヴァンを。

彼は《イギリスのディラン》と言われフォークシンガーに位置付けられることが多いが、僕は完全にサイケの人だと思っていて。確かにディランとよく似たスタイルのフォークシンガーとしてデビューしたんだけど、この《イギリスのディラン》というキャッチコピーが彼への評価を狂わせている要因となってしまった。

ドノヴァンが1番世間的にヒットしたのは66年〜68年ごろのサイケ期であり、初期のフォーク時代はイギリス国内のみの人気に留まっていた。なので、「あのサイケのドノヴァンって初めはディランみたいなフォークやってたんだよ。」が普通のはずなのに《イギリスのディラン》という印象のせいで「フォークシンガーのドノヴァンも時代の流れに乗ってサイケをやってたんだよね。」程度に捉えられがちなのだ。

いやいやいやいや、いかに彼のサイケデリアが美しく素晴らしいものであるか。

とはいえ十分評価されてはいるので「過小評価されている」という表現を使うのは難しいところではあるが、それでも過小評価されていると言いたくなるのがサイケの貴公子ドノヴァンという男なんだよな。

 

まぁしかしやはりフォーク時代のデビューから見ていきましょうか。

 

フォークシンガー“ドノヴァン”デビュー!

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1946年スコットランドグラスゴー生まれのドノヴァン・フィリップス・レイッチは家族の影響でスコットランドイングランド民謡を愛する少年であった。14歳でギターを始めフォークソングを演奏し始める。

65年デビュー作の「What's Bin Did and What's Bin Hid 」と同年2nd「Fairytale」アコースティックギターの弾き語りとハーモニカのまさにディランなスタイルに、まさにディランな楽曲、まさにディランなフォークサウンド(裏方も明らかに意識している)である。2枚のアルバムからは「Catch The Wind」「Colours」などのシングルがヒットし本国イギリスですぐさま人気者となる。

ディランと違い政治色の強い反体制的な歌詞ではなく恋についてのものが多く、そう難しくもない。優しい歌声も相まってかプロテスト派のフォークファンからはやや軟弱な印象を持たれたようである。やはりディランの「Blowin' in The Wind(風に吹かれて)」と並べて見てしまうデビュー曲「Catch The Wind」では女性への想いを連ねるがそれは〝風を捕まえるくらい難しいことだ〟と恋が叶わないことを歌っている。

僕はサイケサイケとうるさく言っているがこの時期のドノヴァンも大好きで、まさにディランなのにどこかディランとは違う優しさを持ったドノヴァンの歌は本当に心地いい。

 

メディアも面白がって2人を比較していたこの時期のドノヴァンとディランの貴重な2ショット映像がディランのドキュメント映画「Don't Look Back」に残っている。この67年に公開されたこの映画はディランの65年イギリスツアーに密着したドキュメント映画でありその中でのワンシーンにホテルなのか楽屋なのかわからないがとある部屋にディランが仲間といるところにドノヴァンが訪ねてくるシーンがある。ドノヴァンは堂々と振舞っているがかなり物怖じしてるような印象、いや実際のとこはわかんないんだけど、変にハイなディランと弱々しい喋り口調のドノヴァンが対照的で。

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(左がドノヴァン)

ギャング集団の中に善良な市民が放り込まれたかのような雰囲気の中、ドノヴァンが1stアルバム収録の「To Sing For You」を歌い始めるんだけど、これがめちゃくちゃいいのよ。人がわちゃわちゃいる落ちつきのない部屋なんだけど、曲が始まるとみんな大人しくなりディランもちゃんと座って聞いてて、ディランは曲の途中で「It's a good song!」と声をあげる。なんだろう、なんか泣きそうになるんだよな。

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曲が終わると今度はディランがギターを取るわけ、そしたらドノヴァンが「It's all over now,baby blueを歌ってよ」と少し挑戦的(しかし声は弱々しい)に言い、ディランは「It's all over now,baby blue」を歌いだす。

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明らかにギターも歌もドノヴァンの方が丁寧で上手なんだけど、ボブディランという男は恐ろしい。空気を全部持っていくのよ。ディランの歌に聞き入ってるドノヴァンの弱き表情も良いし。

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ほんとに何度も見ても感動するシーンなんだけど、カメラを意識してるのかしてないのかわからないがドノヴァンが1曲歌ってディランが1曲返すというこんな出来事が実際にあったんだなぁって。

 

ディランのこの65年4月のイギリスツアーは全編弾き語りのフォークスタイルで歌う最後のツアーになった。3月にはすでにエレキギターを持ちバンドをバックにつけたフォークロックアルバム「Bringing It All Back Home」をリリースしており、このツアーを最後にフォークの王様ディランはロックの王様への道を進むことになる。この音楽的変化はビートルズストーンズなどイギリスのロックバンドがアメリカへ侵攻した、所謂ブリティッシュインベイジョンの影響によるところが大きい。

フォークの王様を動かすほどの衝撃をアメリカに与えたイギリスのロックだったが、今度は逆にベトナム戦争を背景にアメリカで生まれたカウンターカルチャーがイギリスへ持ち込まれることとなる。ヒッピー文化、東洋思想、ビート文学、LSDなどがその内容であった。この65年のディランのイギリスツアーにはビート作家の代表格であるアレン・ギンズバーグが同行しており、アメリカからイギリスへのカウンターカルチャーの輸送屋としてディランが1枚噛んでいるとも言える。

ディランがロックの道へ突き進むのと同じように66年、ドノヴァンもロックバンドを従えていくことになるが、そこにこの新たに輸入されたカウンターカルチャーの風も受け、ドノヴァンはサイケデリックロックへの道へ進むわけだ。

 

イギリス最初のサイケロック

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世界初のサイケデリックロックはアメリカ合衆国西海岸のフォークロックバンドThe Byrdsが66年3月にリリースしたシングル「霧の8マイル」だと言われている。(バーズについては前に書いたので詳しくは→「1-2 元祖フォークロック"The Byrds"‼︎」https://kenjironius.hatenablog.com/entry/2019/03/12/083330

それではイギリス初のサイケデリックロックは一体誰の作品だったのか。前に言ったように、67年8月に「夜明けの口笛吹き」でデビューしたピンクフロイドがイギリス初のサイケデリックバンドだと言われている。しかしサイケデリックバンドだという認識はないがサイケデリック作品を残していたブリティッシュロックバンドはそれ以前に存在し、66年8月リリースのビートルズリボルバーがイギリスで最も早いサイケデリックアルバムであると言えるだろう。ビートルズ以外のブリティッシュインヴェイジョン勢のサイケ作品でいうと67年5月プリティシングス「Emotions」、67年6月ホリーズ「Evolution」、67年8月ヤードバーズ「リトルゲームズ」、67年11月ローリングストーン「サタニック・マジェスティーズ、67年12月The Who「セル・アウト」などがサイケデリックアルバムと言えるだろう。そんな中、ドノヴァンのサイケデリックアルバム「Sunshine Superman」のリリースが「リボルバー」と同じく66年8月であることに強く注目したい。

 

*実はよくよく調べてみるとジェフベック在籍時のヤードバーズ66年7月「ROGER THE ENGINEERが最初のブリティッシュサイケなんじゃないかって説が僕の中で浮上していて。やはりブルースロック中心であるがすでにインド音楽を取り入れているし、何より邦題が「サイケデリックのエース」……僕このアルバム持ってないんだよね……サイケ好きを公言しときながらイギリス初のサイケアルバムを持ってないなんて恥ずかしいので、やはり「リボルバー」が最初ということにしときます。笑

「ROGER THE ENGINEER」はブルースロックだブルースロック!

 

ファンタジーとメルヘンとサイケデリア

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イギリスのサイケデリックロックブームはアングラとメインストリームの両方向からアプローチによって盛り上がることとなる。

65年ごろにアメリカからヒッピー文化、東洋思想、ビート文学、LSDなどのカウンターカルチャーが輸入され生まれたロンドンアンダーグラウンドシーン。ロンドンヒッピーの愛読誌となるアート誌「IT」関連、UFOクラブ、テクニカラードリームなど、熱気溢れるロンドンアングラの渦の中でピンクフロイドやソフトマシーン、ムーブやトゥモロウなどのサイケバンドが誕生し、ピンクフロイドのデビューによってアングラの枠を飛び越え世界中に広がることとなる。

一方メインストリーム勢もアメリカ西海岸で起こったフラワームーブメントにすぐさま反応しサイケデリックにのめり込んでいく。そのイギリスメインストリーム勢のサイケ道をビートルズと並んで先導し、英米問わず後続の様々なバンドに多大な影響を与えたのがドノヴァンであった。

 

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66年8月リリース「Sunshine Superman」でフォークシンガードノヴァンはサイケロッカーへと変貌を遂げる。

セッションマン時代のジミーペイジがギターで参加。4曲参加して13ポンドの支払いを受けたらしい。その内の1曲でありアルバム1曲目、アルバムタイトル曲「Sunshine Superman」は66年6月にシングルリリースされ全米1位を獲得した。この曲ではジョンポールジョーンズがベースを弾いている、みたい(不確か)。ドノヴァンの代表曲の内の1曲である最高のサイケロックだ。

2曲目の「Legend Of A Girl Child Linda」ではハープシコード、ストリングス、リコーダー、鉄琴など多数の楽器を用いたアンサンブルに優しい歌を乗せた美しい曲。

3曲目「Three King」ではフォークであるがディランのフォークではないブリティッシュトラッドの独特の暗さを持ったアシッドフォークを聴ける。

5曲目「Bert's Blues」はウッドベースが印象的なジャス風味の曲だが「Bert」とは友人であるアコースティックギターの名手バートヤンシュのことであり、彼に送った曲のようだ。バートヤンシュが結成し68年にデビューするジャズフォークバンドペンタングルを思わせるジャズフォークを66年にすでに披露している。

6曲目、これも代表曲である「Season Of The Which」は67年にデビューするヴェルベットアンダーグラウンドへ続いていく匂いのする名曲である。ルーリードは間違いなく影響を受けているはず。

ラストの「Celeste」もヴェルベッツの雰囲気を持った曲でハープシコードが美しい名曲であるが、この美しいメロディなんかに似てるなーなんて考えてたらSagittariusの「Song to the magic frog」だわ。ソフトロックの重要人物カートベッチャーもドノヴァンの影響下にいたのかも、《魔法のカエル》なんていかにもドノヴァンワールドな感じだし。

このアルバムではサイケの代名詞であるインドの弦楽器シタールも導入している。65年ビートルズノルウェーの森」でジョージハリソンがシタールを弾いたのがロックで初めてシタールを使用した曲であり、ジョージハリソンにインドの有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカール(実はノラジョーンズの親父)を紹介したのはバーズのロジャーマッギンとデヴィッドクロスビーであるし、ストーンズも66年に「Paint It, Black」でブライアンジョーンズが使用しており、サイケデリックロック以前にすでにラーガロック(インド音楽+ロック)は誕生していた。ドノヴァンはこの時期からビートルズやブライアンジョーンズと交流を持っており、そんな流れでのシタールの導入だったのかもしれない。

ロック界に衝撃を与えた素晴らしいアルバムなんだけど、何がすごいって本当にディランの影が1ミリもないのね。まだサイケブームがさほど広がっていない言わばパイオニア的な立ち位置で以前演っていた音楽から完全に逸脱したものをやってるってのは恐ろしい。アルバムは全米11位を記録。

 

このサイケ化と同時に詩もメルヘンワールドに突入し始める。ここからドノヴァンは《おとぎの国から来た王子様》みたいなイメージがついていくのだが詩の世界感もさることながら可愛げのあるメロディとどこかファンタジー感のあるアレンジメントでカラフルサイケはカラフルサイケでも『メルヘンサイケ』、『ファンタジーサイケ』と呼べるような独特の世界観を作り出しビートルズともバーズともピンクフロイドとも一味違う魅力を持った存在へとなっていく。

 

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67年には4thMellow Yellowをリリース。タイトル曲ではジョンポールジョーンズがアレンジを担当。この「メロウイエロー」という曲は恐らく彼の1番の代表曲であるだろう。ビートルズの「イエローサブマリン」と同じ雰囲気を持った可愛いメロディのサイケポップだが、実はイエローサブマリンの歌詞の一部をドノヴァンが手伝っており、そのお返しにポールがこの曲に参加している。間奏部分のホーンソロの後ろでワーワー言ってる〝ガヤ〟のどれかがポールであるのだがどれかはわからない。それとは別にアルバムのどれかの曲でポールがベースを弾いてるようだがそれもクレジットがないのでどれかわからない(マニアなら知ってるのか?教えて!)。

歌詞はサフランやら電気バナナがどーとか訳の分からないことを歌っているが、この〝電気バナナ〟というワードがサイケの重要ワードとなり、ヴェルベッツのアンディウォーホル作のバナナジャケットに繋がって行くという話もある(ほんまかいな)。ちなみにメロウイエローのシングルは66年10月、ヴェルベットアンダーグラウンドのバナナは67年3月。

 

アルバムには「House of Jansch」という曲があり、これまた友人のバートヤンシュに捧げている。前作では「Bert's Blues」で今作は名字のヤンシュ。どんだけ好きなのよ。

 

この辺りでLSDにどっぷり浸かっているドノヴァンなんだけど、ドノヴァンがイギリスのミュージシャンでドラッグで逮捕された最初のミュージシャンだって話をどこかで読んだ気がするんだけど調べてもわかんないなぁ…

 

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そんなLSD真っ盛りの中67年12月にリリースしたのが2枚組の5thアルバム「A Gift From a Flower to a Garden」

 

この時アメリカでの人気は絶頂に達していたんだけど、本国イギリスではどうだったのかというと、もちろん人気は人気なんだがとにかくリリースがアメリカより半年くらい常に遅いのね。イギリスではパイレコードってレーベルと契約してて、キンクスとかがいたレーベルみたいなんだけど、そこがダメなのかなんなのかその辺の事情はよくわからないんだけど。3rd「Sunshine Superman」と4th「Mellow Yellow」にいたっては「Sunshine Superman」が遅れすぎて「Mellow Yellow」とリリースが被るってゆーんで二枚の半分ずつをチョイスして1枚にしてリリースしちゃったり。

 

てなわけでイギリスでは68年4月にリリースとなったこの2枚組なんだけど僕は1番お気に入り。「ドノヴァンの贈り物」という邦題がぴったりなドノヴァンワールド全開のアルバム。と言っておききながらおススメ!とは言えない。「Sunshine Superman」や「Mellow Yellow」のようなポップなヒットソングはなくて、しかも2枚組という大ボリューム、多分パッとしないと思われるだろうなぁと人に推める時に思ってしまう。でも本当に素晴らしいんだよね。同じ2枚組のビートルズの「ホワイトアルバム」みたいな感じ、と言えばこのニュアンスは伝わるだろうか。実験的アイデアがたくさん詰まったドノヴァンからの贈り物なのだ。

今作はペイジもジョンジー(ジョンポールジョーンズの愛称)も不参加でありギターよりオルガン等の鍵盤がメインのアレンジとなっている。ドノヴァンのメルヘン度はピークに達しもはやメルヘンというか宗教じみてきている。歪んだギターもなくわりと大人しく可愛い曲が並ぶが僕はこのアルバムが1番ドラッギーだと思う。

Disc1,1曲目のシングルとしても出された「Wear Your Love Like Heaven」は至極のアシッドフォーク。この曲が個人的にドノヴァンベストソングだ。Disc1最後の曲「Someone Singing」も何をどうしたらこんな曲が作るのか、素晴らしい。この「Someone Singing」ではジャックブルースがベースを弾いている。

 

フォークシンガーからサイケに転身したドノヴァンだが「Sunshine Superman」,「Mellow Yellow」と順に聴いて「あー時代に完全に順応してるなぁドノヴァン」となりこの2枚組を聴いて「あ、あかんこいつ本物や」となる。このアルバムを聴いてから《イギリスのディラン》という印象は僕の頭の中から消えたのだ。

 

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ビートルズとのインド訪問、ポールの隣の黄色がドノヴァン)

ドノヴァンの幅広い交友関係は彼の特徴であるがその様々な関わりの中でやはり1番有名なのは68年2月にビートルズマイク・ラブビーチボーイズ)等と共にインドを訪問したことだろう。数週間の滞在中彼らが体験したものは非常に有意義なものであったであろうことがビートルズとドノヴァンの68年のアルバムに表れている。ビートルズの「ホワイトアルバム」は全30曲からなる2枚組アルバムだがその大半はインド滞在中に書かれたものであり、同じくドノヴァンの6th「The Hurdy Gurdy Man」もインド滞在中に書いた曲を中心に制作された。マイクラブもビーチボーイズ「フレンズ」にてインド体験を曲にしている。この時にドノヴァンはジョンとポールにギターのスリーフィンガーのアルペジオ奏法を伝授しており、そのアルペジオパターンは面白いくらい「ホワイトアルバム」で聴くことができる(ジュリアやディア・プルーデンスなどなど)。ヘルタースケルターのアイデアもマイクラブによるものだと言うし、インドでの静かな日々の中で共作とまでは言わないがビートルズとドノヴァンとマイクラブがアコースティックギターを弾きながら楽しくやってる姿が想像できる。

 

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そんなインド訪問の賜物であるドノヴァン6th「The Hurdy Gurdy Man」は68年9月にリリース。僕が最初に買ったドノヴァンのアルバムで思い入れのあるアルバムだ。

タイトル曲「Hurdy Gurdy Man」はジョンジーがベースで参加しており、ドノヴァン曰くジミーペイジとジョンボーナムも参加しほぼツェッペリンをバックにレコーディングされたらしい。そう言われて聴くと正にツェッペリンサウンドだ!と思うが、ジョンジー曰くペイジもボーナムも参加していないという。ドノヴァンとジョンジーどちらを信じるか…となるとジョンジーの方が何となく正確そう(笑)。

何故こんな誰が弾いてるか分からないような事態が起こるのかというと、ペイジがセッションに参加していたのは間違いないみたいだが、当時は演者側、セッションマン側、プロデューサー側それぞれに守秘義務があり、誰のどのプレイがどこで使用されているのかセッションマン本人にも知らされないことも多かったようなのだ。よくわからんシステムである。

ペイジも無数のセッションをこなして覚えてないんだろうし、ドノヴァンはメルヘンの住人だから記憶怪しいし、多分ジョンジーはそうゆうのしっかり覚えてそうだなぁ…って感じ。

この1曲目のタイトル曲こそハードだが他の曲は穏やかな曲が並んでいる。ドローン音を多用しインド帰りを感じる面もしっかりあり、ジャズ風のクールな5曲目「Get Try Bearing」、メルヘン全開真骨頂の8曲目「Jennifer Juniper」など聴いていて飽きないアルバム。

全米20位、イギリスではリリースされなかった。

 

サイケの終焉

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69年7th「Barabajagal」ではロッドスチュワート以外のジェフベックグループをバックに従えた1曲目のタイトル曲「Barabajagal」がヒット。サウンドはジェフベックグループなのにボーカルが違うとこんなに雰囲気変わるんだなってゆー面白い曲。この曲と9曲目の「Trudi」にジェフベックグループが参加。その2曲以外もかなり実験的なサウンドが目立つアルバムだけど前作までと雰囲気が違う、そう、69年、サイケデリックが終わったのだ。ほんとに69年にみんなしっかりやめるんだよな。ブルースやフォークへ回帰した感じだがドノヴァンの個性的なニュアンスが新たな面白味を出している。

 

ここからはサラッと。

 

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70年にはリンダ・ローレンスと結婚。リンダには連れ子がいて、ドノヴァンはその子の養父となるわけだが、このジュリアンという少年の父親は誰なのかというと69年に死んでしまった元ローリングストーンズのブライアンジョーンズである(リンダと結婚はしてない)。ブライアンとドノヴァンは友人であった。

 

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70年「Open Road」ではOpen Roadという同名のバンドを結成し、バックミュージシャンを固めての作品となった。サイケからは一切離れ、ブルースやフォークを基盤としたスタンダードなバンドサウンドに仕上がった。メルヘンを離れ地に足をつけた印象。

 

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71年HMS Donovan」は2枚組28曲の不思議の国のアリスなどの児童文学をモチーフにしたメルヘン、ファンタジーに振り切ったトータルアルバム。「Barabagajal」,「Open Road」とサイケの終焉と共にメルヘンさも失われたかと思いきや復活。サイケを省いた完全なるメルヘンはもはや童謡。バンドサウンドも最小限に抑え、ドノヴァンのトラッドフォークを基盤とした弾き語りを中心にセリフなんかも絡めながら物語が進行していく。この70年前半はプログレフォークと呼ばれるトラッドフォークを基盤としたTreesやMellow Candleのようなブリティッシュフォークバンドも多数存在していたので案外ズレてはいない。

この完全なる童謡、童話作品はドノヴァンのメルヘン世界の完成形とも言えることからドノヴァンの最高傑作と捉える人もいる。

 

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73年「Cosmic wheels」グラムロックといえる作品である。ボウイやマークボランにも影響を与えたと言われるドノヴァン自身もグラムロックへと進むのは自然なことかもしれない。個人的にハードなサウンドはやはりドノヴァンには似合わないと思うが、先入観を抜きにすると抜群のグラムロック

ジェフベックグループのコージーパウエル、世に出る前のスージークアトロが参加。

 

 

ここまでドノヴァンの人気は継続していたが、このアルバムを最後にチャートとは無縁になる。2013年までコンスタントにアルバムをリリースしているが話題にならないといった感じである。

 

まとめ

とにかくドノヴァンについては「《イギリスのディラン》がサイケブームに乗っかった」のではなく、むしろブリティッシュサイケブームを作り出し引っ張った男であるということを伝えたい。

ビートルズストーンズと交流を持ち、後続のミュージシャンに多大な影響を与えたドノヴァン。「Mellow Yellow」などのヒット曲で知られてはいたが、実は90年代になって再評価された類のミュージシャンであるんだよね。そしてまだ評価足りてないぞ!って思う。

 

1st,2ndのフォークシンガー期はディラン好きなら是非!

重要なサイケ期の3rd「Sunshine Superman」,4th「Mellow Yellow」,6th「The Hurdy Gurdy Man」は必聴。ツェッペリンファンもペイジとジョンジーを楽しめるかも!

アシッドフォークが好き、もしくはドノヴァンが気に入ったなら5th「A Gift From a Flower to a Garden」を聴いてほしい!最強!

7th「Barabagajal」,8th「Open Road」はジェフベックグループやハードロック、ブルースロック好きに!

9th「HMS Donovan」は童謡好き、トラッドフォーク好きも是非、あとお子さんに!

10th「Cosmic wheels」はグラムロック好きに!

 

以上!

ドノヴァン周りの図はこんな感じ

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ロンドンサイケとは言えないんだけど、4章はブリティッシュサイケということに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4-4 プロコルハルムにまとわりつく“青い影”

 

今回は「青い影」で有名なProcol Harum!

プロコルハルムってどこに括られるバンドなんだろうか問題ってのが僕の中で長らくあって(別に括る必要がまずない)、明らかにプログレ臭はするけどプログレバンドに数えられないとゆータイプのバンドで。プロコルハルムの初期、つまりは67年「青い影」の頃は何に分類されるのか…時期的にはサイケ真っ盛りなんだけどサイケと呼ぶには少し不安。恐らくは67年と早い段階でアートロックと呼ぶべき領域の音楽性に辿り着いているんだろうけど、いやしかしあのオルガンと歌はシンフォニーロックと言えるだろう、とか難しいところではあるんだけど、ある1点の根拠によって初期プロコルハルムはサイケデリックバンドであると決め付けてしまおうと思う。プロコルハルムもロンドンアングラの聖地、サイケのメッカ、UFOクラブでライブをしてたのだ。ならロンドンサイケバンドでしょう。

 

4-4 プロコルハルムにまとわりつく“青い影”

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プロコルハルムを語る上で避けては通れないのがご存知「a Whiter Shade of The Pale(青い影)」という名曲で、67年のデビューシングルでありながらイギリスのヒットチャートで6週連続1位を獲得し、アメリカで5位を獲得するなど、全世界でヒットを記録した曲である。イギリスのBBCラジオ2が2009年に発表した「過去75年UKで最もプレイされた曲トップ10」ではビートルズやクイーンをおさえて第1位に選ばれたらしい。イギリスで1番ラジオで流れた曲ということだ。

ジョンレノンが「人生でベスト3に入る曲」とか「今の音楽業界でこの曲以外聴く価値がない(67年当時)」とまで言ったとされる曲であり、後進の、特にプログレッシブロックに多大な影響を与えた。ジョンは「LSDをキメながら聞くと最高」という類の発言もしており、これでやっぱりプロコルハルムはサイケバンドだと再認識。

日本でも松任谷由実が「この曲で全てが始まった」と公言しており、特にユーミンのデビュー作「ひこうき雲」なんかは影響がモロに出ている。(2012年には実際にプロコルハルムをバックに青い影をレコーディングしていて、そのドキュメントでのユーミンはまさに乙女であった。)

 

とにかく誰もが一度は聞いたことがあるであろう「青い影」だが、この曲のせいでプロコルハルムの他の作品が過小評価されているという問題が発生している。彼らは常に世間から「青い影」を求められ続けられ、その後リリースした素晴らしい作品も「青い影じゃない」ことで正当な評価を受けていない(そこそこ売れてはいるが)。

「青い影」は67年当時、誰も思いつかないアイデアを使った前衛的な曲であった。ダブル鍵盤という編成、クラシックの引用、作詞家をバンドメンバーとして迎える、という試みは実に斬新である。プロコルハルムは常に「斬新さ」を持ったバンドであり、68年だって69年だって常に時代の先を行っていた偉大なバンドであるのだ。つまりは「青い影」を『斬新さの塊』であると捉えるならプロコルハルムは常に「青い影」を作り続けていたと言える。

そんなプロコルハルムについてバンドの始まりから見ていこう。

 

パラマウンツというビートバンド

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59年に「The Paramounts」というR&Bバンドがイギリスエセックス州にて結成される。後にプロコルハルムを結成するゲイリー・ブルッカー(ピアノ)は当時14歳である。パラマウンツ結成メンバーにロビン・トロワー(ギター)、クリス・コッピング(ベース)がいた。

63年にB.J.ウィルソン(ドラム)が加入しシングル「Poison Ivy」でデビュー。以降66年に解散するまで6枚のシングルをリリースした。パラマウンツはミックジャガーに「最高のR&Bバンドだ」と賞賛されたがヒットには恵まれなかった。

 

このパラマウンツというバンドに在籍したゲイリーブルッカー、ロビントロワー、クリスコッピング、B.J.ウィルソンが後にプロコルハルムのメンバーへとなっていくわけだが、実はオリジナルメンバーではない。

66年、パラマウンツを解散した後ゲイリーブルッカーはキースリードという作詞家と出会う。2人は共同制作を始め、そこにオルガニストマシューフィッシャーが加わり残りは適当なメンバー(失礼。)を集めてプロコルハルムを結成。

67年5月にシングル「青い影」でデビューするが、この大ヒットによりマネージメント的にごたごたが起きてギターとドラムを解雇し、元パラマウンツのロビントロワーとB.J.ウィルソンに声をかけて加入させる。ベースのデイヴィッド・ナイツはしばらく残ったが、70年にクリスコッピングと交代し結局プロコルハルムはほぼほぼパラマウンツとなるわけだ。ゲイリーブルッカーにとって14歳の頃からの付き合いである気心の知れたメンバー達へと戻っていくわけだ。

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つまりプロコルハルムのオリジナルメンバーでのレコーディングというのはシングル「青い影」のみであり、この曲の特徴はやはりオルガンであるが、それを際立たせる全く主張のないシンプルすぎるギター、ベース、ドラムも特徴と言えば特徴である。この後に加入する元パラマウンツのロビントロワーは後に「第2のジミヘン」と呼ばれるギタリストであるし、B.J.ウィルソンはジミー・ペイジツェッペリン結成時に声をかけていたと言われる中々のパワー系ドラマーである。この2人がメンバーとなって「青い影」を求められてもそりゃ難しいか。

とにかくまずは青い影を。

 

青い影

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ゲイリーブルッカーと詩人のキースリードがまず型を作り、そこにマシューフィッシャーがオルガンを付け、さらにコードをいじって出来上がった曲である。クレジットはブルッカーとリードになっていたが、その事に対して2005年にフィッシャーが裁判を起こして今は3人の作曲となっている。やれやれ。とはいえ明らかにマシューフィッシャーのオルガンが核となる曲であり、オンコードで降りていくコードもフィッシャーがアレンジしたものであるなら印税をもらうべきであると考えるのは妥当であろう。

 

さてこの曲を包み上げるそのオルガンだがバッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア』を明らかに引用したものである。丸々引用ではなくメロディは変えてあり、オルガンの暖かみのある素朴な雰囲気を全体的に演出している。僕はこの素朴さが肝であると思っていて、クラシック音楽が持つ「神聖さ」や「重さ」そして、ある種の「緊張感」を省いてその「美しさ」のみを見事に抽出したところが親しみやすさを生んで大ヒットに繋がったんじゃないかと思っている。クラシックをロックに引用する手法はこの曲以降様々なロックバンドにて使われるがやはり緊張感が抜けない場合が多い。そしてその緊張感はプログレというジャンルそのものが持つ緊張感と同種であり、ロックを高尚なものへと高めて行くと同時にどこか「鼻につく」感じもしてしまうものとなっていく。しかし「青い影」はクラシックを取り入れながら決して嫌味のない素朴で軽ささえあるポップソングなのである。そして先程も書いたようにシンプル過ぎるギターベースドラム(ドラムは意外とシャンシャン?うるさいけど)、ゲイリーブルッカーの優しいピアノにソウルフルな歌声、キースリードによる詩、全てが上手く噛み合って名曲が誕生した。

 

難解だと言われる詩であるがまずタイトルの「青い影」は誤訳で「a Whiter Shade of The Pale」の「Shade」は影ではなく色調の意で、「青白い色調」という意味である。サビ終わりでは「that her face, at first just ghostly,turned a whiter shade of pale」とあり「彼女の顔はしだいに青ざめていった」となる。では何故彼女が青ざめていったのか、であるがその直前が「as the miller told his tale」である。ん…鏡が物語を語ったら彼女は青ざめたのか…あ、鏡はrか…わからん…と英語力皆無の僕にはちんぷんかんぷんだったが素晴らしい和訳を発見。

http://studio-webli.com/article/lyrics/277.html

この人によると「the miller」とは「粉屋」のことでこれは「カンタベリー物語」の「粉屋の物語」を指しているというのだ。そしてその「粉屋の物語」とは「粉屋の主人が若者に妻を寝とられる話」であるらしく、つまりは「粉屋の物語(浮気の話)を語ると彼女の顔はみるみる青ざめていった」という詩になっているらしい。

浮気された男の歌だったのだ、知らなかった!

冒頭では

『We skipped the light fandango/

turned cartwheels 'cross the floor

僕らは軽やかにファンダンゴを踊っていた/フロアを車輪が横切るように』

と仲睦まじい様子が歌われているのに…

そうやって聴くと美しく素朴で尚且つ切ない曲に聞こえてきた。やっぱり詩を知ることも大事だな。

 

「青い影」がチャートで1位を記録したこの時期にUFOクラブに出演したという文章がUFOクラブの海外wikiに記載されているがメンバー入れ替わり後なのか前なのか一回きりなのか何度か出たのか細かな詳細は不明。また細かなことがわかり次第追記したい大事なところである。

 

2ndシングル「ハンバーグ」?

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67年9月に2ndシングル「Homburg」をリリース。この曲ですでにギターとドラムがロビントロワーとB.J.ウィルソンに変わっている、はず。

とにかく「青い影」だけでプロコルハルムを終えている人はこの曲を是非聞いてほしい。方向性的には完全に「青い影」に近いものがあるが、オルガンをフィーチャーした「青い影」に対して「Homburg」ではピアノをフィーチャーしている。その他の楽器の身の潜め具合も似ていて、ピアノ版「青い影」とも言える曲である。美しいピアノのフレーズには明らかに「悲しみ」や「切なさ」といったものが含まれるが重たく暗くはならずこれまた絶妙な「軽さ」を持っている。この軽さがどういうわけか余計感動を生むんだよな。僕はなんだったら最近は「青い影」よりもこの2ndシングル「Homburg」のほうが好きだったりする。やはり「青い影」と同じ方向性だということもあってか全英6位と上々の売り上げだった。

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「Homburg」とはハンバーグでもハンブルクでもなく「ホンブルグ」という帽子のことのようでハットの真ん中の部分が凹んでるやつのことらしい。

歌詞の内容はまたもや男女の別れをテーマにしており、今度は女に振られて落ち込んでる男を諭す友人の視点で書かれている。

サビの部分は「もう君はホンブルグハットを頭から取った方がいい。彼女と折り合う背丈にあわせるためにはオーバーコートは、あまりに長すぎる」と歌われており、去っていった女に見合った服装の象徴がホンブルグハットであり、もうそれを取りなよ、と友人を諭す歌である(しかし何回聞いてもハンバーグに聞こえる)。いいねぇキースリード

少しキースリードについて。

 

ロックバンド専門の作詞家

ロックバンド専門の作詞家はプロコルハルムの前にも「クリーム」のピート・ブラウンの例があるが、バンドメンバーとしてクレジットされたのはプロコルハルムのキースリードが初ではないだろうか。この方式はキングクリムゾンも使用し、ピート・シンフィールドを作詞家としてメンバーにしている。

面白いというか何というか、ゲイリーブルッカーの79年のソロアルバムでピートシンフィールドが作詞してたり、ロビントロワーが81年に元クリームのジャックブルース「B.L.T」というアルバムを作ったり、2017年にプロコルハルムがデビュー50周年を記念して作った12作目のスタジオアルバム「乙女は新たな夢に」の作詞をピートブラウンが担当したりと、演奏メンバーとは別に作詞家を抱えていたプロコルハルム、クリーム、キングクリムゾンに何かしら関わりがあったりする。

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デビューアルバム「プロコルハルム」

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「青い影」の爆発的ヒットによりバンドが急激に売れ、3日間でアルバムを製作しなければならない事態に陥って出来上がったのが67年「Procol Harum(プロコルハルム)」である。発売当初UK版には「青い影」は収録されなかったが、US版と再発版からは1曲目に収録されアルバムタイトルも「a Whiter Shade Of The Pale(青い影)」と改められたが、ここはあえて「プロコルハルム」で。

 

とにかく「青い影」を求めていた世間はこの1stでいきなり裏切られることになる。「青い影」にてまさに大英帝国!な美しさを披露した彼らは1stアルバムでおもいっきりブルースロックをぶちかました。「ホンブルグ」では大人しくしていたロビントロワーとB.J.ウィルソンも存在感を出しまくり、ゲイリーブルッカーのソウルフルな歌声とピアノも爆発。そして何より「青い影」と「ホンブルグ」にて穏やかで暖かいオルガンを奏でたマシューフィッシャーの超絶的なロックオルガンプレイに驚かされる。

基本的にブルースロックであるので目新しさはないが、やはりダブル鍵盤の利を活かしたプレイは他バンドでは聞けない面白味がある。「征服者」や「万華鏡」などの名曲も収録されているが、ラストの「ヴァルプルギスの後悔」が秀逸。インスト曲であるがプロコルハルムの特徴が全て詰まっており、この後続いて行くプログレッシブロックへの道が垣間見える(この曲でも実はバッハのピアノを引用している)。

しかし3日間しかレコーディング時間がなく雑さは確かに感じる仕上がり。全てモノラル録音であったことも失敗として語られることが多い。完全にマネジメントミスである。

それにしても「青い影」も「ホンブルグ」も収録しないという無謀さ、先に進むんだというバンドの意思には脱帽である。

 

2ndアルバム「月の光」

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68年に2ndアルバム「Shine On Brightly(月の光)」をリリース。3日で作った前作を反省して2ndアルバムはしっかりと時間をかけて作られた。ブルースロックの要素は身を潜めつつもそれぞれが自分の持ち味をしっかり主張し、バンドとしてこのアルバムで完成したとも言える。キースリードの詩も色恋のテーマからより深いテーマへと変わり、重く暗く神聖な雰囲気が全体的に漂よっている。ジャンルとしてはすでに完全にプログレッシブロックである。クラシックの要素は強く感じれるもののこれは「青い影」とは全く違うベクトルの音楽性であるだろう。

「In Held 'Twas in I」は5章からなるロック組曲であり、既にプログレッシブバンドと呼ばれるバンドはムーディーブルースやナイスなど存在していたが、この曲が初のロック組曲であるとされている。

シングルカットされた「Quite Rightly So」やタイトル曲「Shine On Brightly」、美しいピアノが響く「Magdalene」など名曲揃いであるがイギリスではチャートインしなかった。イギリスのラジオで過去75年間で1番多くプレイされた「青い影」を作ったバンドが、その1年後のアルバムでチャートインしなかったんだよ?素晴らしいのに。アメリカでは24位を記録した。

とにかく早すぎたプログレという印象。同時期のムーディーブルースやナイスと比べても完成度は桁違いであるし、個人的にはELO74年の傑作「エルドラド」とオルガンかストリングスかの違いはあるが音楽的に同レベルの域に達していると思っている。

 

3rdアルバム「ソルティドッグ

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69年3rdアルバム「A Salty Dog(ソルティドッグ)」をリリース。個人的には1番好きなアルバムである。タイトル曲「ソルティドッグ」こそプログレッシブロックの重さと緊張感を持っているが全体的に前作に比べて軽く明るくなった。ロック界的にはまさに今からプログレッシブロックの幕開け、という時期にプログレッシブロックを早々と見限ったようにも感じる。ただし芸術的追求の手を緩めたという感じでもなく1曲1曲の完成度は前作に引けを取らない。壮大なスケールの曲はなくなり、コンパクトだがアイデアに溢れた曲で構成されたアルバムとなった。

前作まで作曲に関してほぼゲイリーブルッカーのワンマンであったが、今作ではマシューフィッシャーとロビントロワーも作曲に参加し、ボーカルも担当しているのも特徴である。

さらにマシューフィッシャーはアルバムのプロデュースも担当している。オルガニストのマシューフィッシャープロデュースでありながら、オーケストラの比率が増えていることもフィッシャーのトータルプロデュース能力が垣間見えて面白い。

ルッカー作曲の「Too Much Between Us」は少しサイケデリックな香りを感じる美しく切ない曲であるがアウトロに突如登場する暖かなフィッシャーのオルガンは「大きすぎる2人の距離」をより際立たせ涙腺を刺激するし、フィッシャー作曲の「Wreck of the Hesperus(宵の明星)」なんかは3連で永遠に続くブルッカーのピアノのフレーズが印象的である。ブルッカーとフィッシャーの互いの曲に互いが絶妙な役割を果たし、2人の鍵盤弾きが素晴らしく機能していると感じる。

 

僕は同じダブル鍵盤という編成であるアメリカのThe Bandとプロコルハルムにずっと同じ匂いを感じているが、よくよく考えてみると「青い影」にThe Bandは感じないし、The Bandの68年1st「ミュージック・フロム・ビッグピンク」にプロコルハルムも感じない。僕が同じ匂いだと嗅ぎ取ったのはこのプロコルハルム69年3rd「ソルティドッグ」とThe Band 69年2nd「The Band」の2枚の匂いである。この2枚はかなり近い音楽をやっているように思うのだ。リリースはプロコルハルムが先であり、デビューも先であるので同じダブル鍵盤ということもありThe Bandが何かしらプロコルハルムから影響を受けていた可能性がある。

 

このアルバムを最後にマシューフィッシャーは脱退してしまうわけなんだが、アルバムの最後に「Pilgrim's Progress(巡礼者の道)」というとんでもない名曲を残してバンドを去っている。この曲を僕は「青い影2」と呼んでいるが、まさに皆が求め続けた「青い影」のその先である。これでしょ?これを求めてたんじゃないの?美しく暖かいオルガン、フィッシャーによる優しい歌、完璧でしょう。ブルッカーのソウルフルな歌声もいいが、やっぱり時折「マッチョ」に聞こえてしまって…正直フィッシャーの歌の方が断然好きだ。

イギリスで27位、アメリカで32位を記録。

 

マシューフィッシャー脱退

ソルティドッグ」を最後にマシューフィッシャーとベースのデイヴィッド・ナイツが脱退。ブルッカーはベースも鍵盤も弾ける人物である元パラマウンツのクリス・コッピングを召還し、これでプロコルハルムは作詞家のキースリード以外が元パラマウンツのメンバーになった。そんなわけで原点に帰ったという意味をこめた70年4th「Home」,そして71年5th「Broken Barricades」をリリースする。音楽性は再びブルース色が強まりロビントロワーのギターが特に目立つようになるが、ここでロビントロワーは自分の方向性を定め脱退しソロへ転身、「第2のジミヘン」と呼ばれる活躍を見せ成功を収める。

73年6th「Grand Hotelでは再び鍵盤とオーケストレイションに重きを置いた方向性にシフトしまるで王宮音楽のような英国らしさを取り戻した。これを最高傑作とする声もある。

それから74年「異国の………ダメだ…マシューフィッシャーのいないプロコルハルムなんてプロコルハルムじゃない!あのオルガンがないとダメ!……こんなこと言ってる時点で僕も「青い影」の亡霊に囚われてる1人なんだな。

やはりゲイリーブルッカーとマシューフィッシャーの化学反応こそがプロコルハルムの醍醐味であると思うのだ。ロビントロワーはソロ転身後ギターヒーローとして大成するし、B.J.ウィルソンのボンゾばりのドラムも素晴らしいがプロコルハルムに必要不可欠かと言われると即答

はできない。ブルッカー主体で始まったバンドが「ソルティドッグ」にてようやくブルッカーとフィッシャーのパワーバランスが均等になったのに、ここで脱退はもったいない。やはり2005年に訴訟を起こすこととなる「青い影」の著作権の問題によっての亀裂だろうか。

 

マシューフィッシャーは73年に「旅の終わり」でソロデビュー。ベースドラム以外の楽器を全て自身で演奏するマルチプレイヤーっぷりも見せた。これがまた素晴らしくて、まさにプロコルハルムな雰囲気を持ったアルバムである。

 

てなわけで70年以降のフィッシャー不在のプロコルハルムにはあまりときめかないのが本音である。67年の「青い影」、68年には「月の光」にて早すぎるプログレ、ロック組曲の発案をしておきながら69年にはコンパクトな作風に、ととにかく時代の先を行ったプロコルハルムである。「75年以降聞けない病」の僕がプロコルハルムに限っては70年以降聞けないんだから、そこも5年早いってことだ(73年「グランドホテル」はいいけどね)。

 

プロコルハルムは77年に解散し、ゲイリーブルッカーはソロ活動、アランパーソンズプロジェクトにもゲスト参加した。

90年にB.J.ウィルソンが肺炎にて死去したことをきっかけに再結成し現在まで活動を続けている。

 

図のコーナー

最後にそうだな、少し図を繋いどこうか。

ジミー・ペイジツェッペリン結成にあたり、B.J.ウィルソンをドラムに誘ったという話をしたと思うが、そのきっかけとなったのがジョーコッカーの68年の大ヒットシングル「With a Little Help My Friends」のレコーディングメンバーとして一緒だったことである。

「With a Little Help My Friends」はビートルズの67年「サージェントペッパーズロンリーパーツクラブバンド」に収録されたリンゴスターの歌う可愛らしい曲であるが、ジョーコッカーのカバーバージョンはもはや原曲の原型をとどめていないブルースロックバラードである。これがカッコいいのよ。全英1位を獲得し、69年にはウッドストックフェスティバルでもこの曲を披露しているが僕的にはウッドストックのベストアクトだと思っている(コッカーのエアギターが最高)。

ジョーコッカーはこのヒットシングルを冠したデビューアルバム「With a Little Help My Friends」を69年にリリースするが、そこに収録されているボブディランのカバー「Just Like a Woman」でもジミー・ペイジ、B.J.ウィルソンが参加し、さらにオルガンはマシューフィッシャーが弾いている。マシューフィッシャーはこの1曲、B.J.ウィルソンはタイトル曲と合わせて2曲だが、ジミー・ペイジは5曲参加しており彼らしいギタープレイがしっかり聴けるのもこのアルバムの魅力。他にもなんとスティーブウィンウッド(ブラインドフェイス、トラフィック)がオルガンで数曲参加している。

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レコーディングが68年頭なので、本当にツェッペリン結成直前の時期であるが、B.J.ウィルソンもすでにプロコルハルムに加入しているので2人のバンド共演は叶わなかった。結果ボンゾという最強のドラマーでレッドツェッペリンは突き進むわけだ。

 

まとめ

とにかくプロコルハルムは69年3rd「ソルティドッグ」までがとにかくおすすめ。

2nd「月の光」は素晴らしいがやっぱりプログレッシブで中々の暗さと重さを持っているんだけど、プロコルハルムの良さは「美しく気高いけど軽い」ところだと思うのでやはり3rd「ソルティドッグ」とシングル「青い影」と「Homburg」が特におすすめ。

そしてプログレ好きには「月の光」。

ジミヘンが好きならロビントロワーのソロは要チェック!

プロコルハルムのオルガンにキュンときたならマシューフィッシャーの「旅の終わり」も!

 

おしまい!

4-3 ロンドンを走ったもう一つの自転車「Tomorrow」!

4-3 ロンドンを走ったもう一つの自転車「Tomorrow」!

 

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4章はロンドンサイケ!

ロンドンサイケと言えばピンクフロイド1st!

ピンクフロイド1stと言えばシドバレット !

ということで2回にわたってシドバレットについて書いたが、気持ち入りすぎてまとまりが悪い結果になったような…

 

気をとりなおして今回は「Tomorrow(トゥモロウ)」というバンドについて見ていこうと思います。

67〜68年の1年弱の活動でスタジオアルバムも1枚しか残していないトゥモロウだが、今んとこ図で繋がっているところはこんな感じ。

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エスのギタリストであるスティーブハウが元々いたバンドがトゥモロウ。

・シドバレットが完全隠居前に最後に組んだバンド「スターズ」でドラムを叩いたトゥインクが元々いたバンドがトゥモロウ。

・ロンドンアングラの聖地でありロンドンサイケバンドが多数生まれたUFOクラブピンクフロイドやソフトマシーンと共に活躍したのがトゥモロウ。

 

以上3点がここまでに繋がった点なんだけれど、「トゥモロウってどんなバンドなの?」って問いに対しての一般的な答えはやはり「イエスのスティーブハウが元々いたサイケバンドだよ。」であるだろう。なので僕も例に漏れずイエスから遡るルートでトゥモロウに辿り着いた。しかしこの「スティーブハウがいたバンド」というのは正しいけれど少し不安な肩書きであり、それはどういうことかと言うと、後のキャリアで1番出世したのは確かにスティーブハウであるがトゥモロウは決してスティーブハウを中心としたバンドではないということである。彼らの唯一のスタジオアルバムとなった68年リリースの「Tomorrow」には()してfeaturing Kieth Westという言葉が付随されており、その言葉が意味する通りトゥモロウはキースウエストという作曲家でありボーカリストのバンドなのだ。

 

Tomorrow

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キースウエス(ボーカル、ギター)、ティーブハウ(ギター)、ジョン"ジュニア"ウッド(ベース)、ジョン"トゥインク"アルダー(ドラム)の4人で67年にトゥモロウが始動するわけだが、そこに至るまで2度の改名を経ている。

まず64年に「Four Plus One」というバンドでキースウエストとジョンウッドが活動を始めるが、同名バンドとの混同を恐れ「The In Crowd」に改名。スティーブハウが加入し、数枚のシングルをリリース。66年にトゥインクが加入し、67年に「Tomorrow」に改名し再デビューとなる。

The In Crowdはモッズ系のバンドだったがトゥインクが加入したころにはサイケバンドへと路線を変更していて、これはデビュー前のピンクフロイドからの影響が大きいと言われている。67年、トゥモロウに名を変えるとピンクフロイドやソフトマシーンと共にUFOクラブにてサイケシーンを盛り上げた。このUFO時代のトゥモロウのライブにジミヘンがベースで乱入したことがあるという話もある。

サイケの祭典「テクニカラードリーム」にも出演しロンドンサイケを語る上で避けては通れないバンドであるが、まるで売れてはいない。トゥモロウそのものよりもスティーブハウのイエスでの活躍を筆頭に各メンバーのその後の活躍の方が有名で、それによって後年見直された類のバンドである。

 

デビューシングル「My White Bicycle」

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ブリティッシュサイケは黄色やピンクや黄緑や青の非現実的カラフルサイケ、アメリカンサイケは黒や赤や紫や茶色や灰色の血と大地の混沌サイケ。これは僕の簡単な仕分けなんだけど(共感覚なんて持ってないぜ)、ならばブリティッシュサイケデリックの金字塔と言われるピンクフロイドの1st「夜明けの口笛吹き」はさぞかしカラフルなんだろう、と思いきや意外にも混沌サイケ寄りの印象を受ける。宇宙を感じる黒もあるし、妖艶な紫もある、ブルースの土の匂いも少しする。しかしながらアルバムラストを飾る「Bike」はまさにカラフルサイケ、カラフルポップ。可愛いポップなメロディに遊園地的な鍵盤の音色はまさにブリティッシュサイケだ。「僕の自転車カッコいいだろう?」って散々自慢しておいて「君にも貸してあげたいけど、借り物だから貸してあげられないんだ」って落とす感じもまさに英国らしいシニカルさ。僕は「Bike」というカラフル自転車ソングにこそピンクフロイドのブリティッシュさを強く感じるわけなんだ。

そして同じくカラフル自転車ソングで67年5月にEMIからデビューしたのがトゥモロウ。曲名は「My White Bicycle」。逆再生を多用しまくったポップなカラフルサイケでトゥモロウの代表曲である。自転車、やっぱりピンクフロイドの影響なのかなぁとか思いつつ、リリース時期的にもそうとも言えない感じ。LSDと自転車に何かしら潜在的に共鳴する部分があるんだろうなぁと思うのが正しそうだ。作曲者はキースウエストと共に「Ken Burgess」という人物がクレジットされており、彼はトゥモロウのほとんどの曲をキースウエストと共作している(キースウエストと元々バンドをやっていた人物らしいが詳細はよくわかんない、勉強不足でござんす)。ちなみにクレジットでは「Hopkins,Burgess」となっており、「あれ?まさかトゥモロウって自作自演バンドじゃないの?」ってビックリさせられたんだけどキースウエストの本名はキースホプキンスなのね。

 

2ndシングル「Revolution」

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67年8月に「Revolution」をリリース。これまたビートルズのレボリューションに影響受けてそうだなぁと思ったがビートルズの方は68年なので違うか。海外wikiには逆にこの曲がジョンレノンにインスピレーションを与えたんじゃないかと書かれているが真相は不明。短い組曲的発想は「Happiness is warm gun」にも通ずる感もあるし、「ホワイトアルバム」の頃のジョンがこの曲に何かしら反応した可能性は確かにあるかも…!

僕個人的にはトゥモロウのベストソングである。先程も書いたようにトゥモロウの曲は基本的にキースウエストとケンバージェスの共作だが、この曲はキースウエストとスティーブハウの共作である。いくつかの曲を組み合わせて1曲にしたかのような曲であり、レボリューションという名の通り革命の如くいきなり展開が変わる場面が何度か登場する。その変わり目がまた雑というか急で不自然さすらあるが「サイケデリック」の名の元に全てが正しいと思わせる強さを持っている。

中盤に出てくる可愛い鍵盤のフレーズが印象的であるが、トゥモロウの曲で鍵盤を弾いているのはプロデューサーのマーク・ワーツであり彼の存在がバンドに及ぼした貢献度はかなり大きい。が、同時にバンドの崩壊を招いたのも彼のせいでもあった。この重要人物マークワーツについて少し。

 

マークワーツとティーネイジオペラ

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EMIの社員であったマークワーツであるが、66年にピンクフロイドを上に推して契約までこぎつけたのがマークワーツであった。そこまでピンクフロイドを推しておきながらプロデュースの方はノーマンスミスに任せて彼は何をやっていたかと言うと、プロデュースの仕事と並行して「A Teenage Opera」というオペラをテーマにしたコンセプトアルバムの制作を企んでいた。ワーツはThe In Crowd時代の頃にキースウエストと知り合い、キースウエストをボーカルとしたティーネイジオペラ用のシングル曲「Excerpt from 'A Teenage Opera(Grocer Jack)」を制作することにする。その繋がりでキースウエストのバンドであるThe In Crowdから改名したTomorrowのプロデュースも務めることとなる。

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余談だがそのままワーツがピンクフロイドをプロデュースしてピンクフロイドを使ってティーネイジオペラ作ってたら面白かったろうなぁなんて。まぁでもティーネイジオペラはフラワームーブメントやカラフルサイケのニュアンスを取り込んだものであるので、ピンクフロイドはドぎつすぎたのかも。それに自分が強くプッシュするほど将来性に溢れたバンドを自分の趣味に使えなかったのか(トゥモロウはええんかい)…でもピンクフロイドティーネイジオペラをやったとしても全くおかしくなかったんだけど、それはまた別の時間軸のお話。

 

さて先に書いたようにマークワーツプロデュースで67年5月に「My White Bicycle」でトゥモロウがデビュー。セールスはイマイチだった。

7月にキースウエストのソロ名義でティーネイジオペラプロジェクトからのシングル「Excerpt from 'A Teenage Opera(Grocer Jack)」をリリース。これがなんと全英2位を記録する。いやしかしまぁそりゃ売れるわって感じの極上のサイケポップ。マークワーツによるオーケストラアレンジも素晴らしいし、少年合唱団を従えてのコーラス部分はあまりにも有名である。

8月にトゥモロウは2ndシングル「レボリューション」をリリース。セールスはイマイチ…

 

こうしたキースウエストのソロ(ティーネイジオペラプロジェクト)とトゥモロウが同時進行で進んでいき、明らかにソロの名前の方が売れてしまうという事態が起きてしまい、結局68年にアルバムを1枚残した後キースウエストはソロ活動を優先しトゥモロウは解散となるわけだ。

解散の原因となった「ティーネイジオペラ」だが、この後何枚かシングルを出すが振るわず結局プロジェクト自体がポシャってしまう。しかし時は流れて約30年後の96年に念願のリリースを果たしている。世界初のロックオペラとして有名なThe Whoの「Tommy」が69年なので、順当にリリースしてればティーネイジオペラが先なんだよなー。

 

1stアルバム「Tomorrow featuring Kieth West」

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  1.My White Bicycle
  2.Colonel Brown
  3.Real Life Permanent Dream
  4.Shy Boy
  5.Revolution
  6.The Incredible Journey of Timothy Chase
  7.Auntie Mary's Dress Shop
  8.Strawberry Fields Forever
  9.Three Jolly Little Dwarfs
10.Now Your Time Has Come
11.Hallucinations

99年CD再発ボーナストラック

12.Claramount Lake
13.Real Life Permanent Dream
14.Why
15.Revolution
16.Now Your Time Has Gone

Aquarian Age

17.10,000 Words In a Cardboard Box
18.Good Wizard Meets Naughty Wizard
19.Me
Keith West solo

20.On a Saturday
21.The Kid Was a Killer
22.She
23.The Visit

 

そんなこんなでキースウエストの名が売れたこともありトゥモロウの最初で最後のスタジオアルバムには「featuring Kieth West」の文字がついた。68年2月リリースである。プロデューサーはマークワーツ、エンジニアがビートルズを手がけたことでも有名なジェフエメリックであることも重要な点だ。

いかにもブリティッシュなカラフルサイケで彩られたアルバムだがジャケットは白黒、それもまた良し。

先に1stシングルとしてリリースした「My White Bicycle」から幕を開け、2ndシングル「Revolution」も5曲目にしっかり入っている。

全曲メロディセンスに溢れたサイケポップであり特に3.「Shy Boy」や11.「Hallucinations」なんかは素晴らしい。

基本的に後のイエスで聴けるスティーブハウの変態的ギターはまだ身を潜めているが、10.「Now Your Time Has Come」は明らかにイエスの雰囲気が漂っているのが面白い。

ビートルズの「Strawberry Fields Forever」のカバーが収録されているがこれはイマイチ…いやマークワーツこの曲こそ鍵盤弾かなきゃ!って感じ。

 

キースウエストのメロディセンス、マークワーツの色付け、ジェフエメリックの職人技(エゲツない逆再生はエメリックの技だろう)が存分に機能し、申し分ないブリティッシュカラフルサイケだとは思うのだが、これもセールス的には今ひとつであった。しかし後年見直され99年にCD化された際に追加されたボーナストラックがとにかく豪華。シングルB面曲や別テイクの音源はまぁ当たり前だが(byrdsの「why」のカバーは嬉しい)、「Aquarian Age」というトゥモロウ解散後のジョンウッドとトゥインクによるプロジェクトの音源とキースウエストのトゥモロウ解散直後のソロ音源が収録されており、計12曲のボーナストラックを聞くことができる(本編より多いやん)。

 

ボーナストラックについて少し!

 

Aquarian Age(ボーナストラック)

「アクアリアンエイジ」はトゥモロウのベースのジョンウッド(通称ジュニア)、ドラムのジョンアルダー(通称トゥインク)のプロジェクトでこれもマークワーツがプロデュース。ニッキーホプキンスが鍵盤で参加している(ニッキーホプキンスは色々参加しすぎなので図はとりあえず放置…)。

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トゥインクという男はロンドンサイケにおいてとても重要な人物となるサイケ野郎なんだけど、トゥモロウにおいてはキースウエストとスティーブハウの影に隠れがちだった。そんなトゥインクが最初に牙を見せたのがこのアクアリアンエイジ(といってもシングル1枚でポシャった)。

17.10,000 Words In a Cardboard Box
18.Good Wizard Meets Naughty Wizard
19.Me

と3曲がボーナストラックに収録されているが恐らくこれがアクアリアンエイジの全て、しかしこれが化け物級のサイケデリック。特に「10,000 Words In a Cardboard Box」はサイケデリックアンセムとして語り継がれるべき名曲。「Good Wizard Meets Naughty Wizard」は怪しい演奏をバックに演劇調の狂った会話を永遠聞かせられるイカれっぷりであり、「Me」は「United States Of America(アメリカの実験的電子サイケバンド、バンド名はアレだが死ぬほどいいのでまた紹介したい)」を思わせる実験的サイケ。

多分このアクアリアンエイジの唯一のシングルを単体で手に入れようとしたらすげぇプレミアついてんじゃないかな?知らんけど。とにかくこれがトゥモロウのボーナストラックで聴けるのはかなり優しい。

 

キースウエストソロ(ボーナストラック)

20.On a Saturday
21.The Kid Was a Killer
22.She
23.The Visit

と4曲収録。このソロのバックで演奏してる人間だが、ギターはスティーブハウ、ベースはなんとジェフベックグループや後にローリングストーンズに加入するロンウッドである。

「On a Saturday」は68年に発売されたシングルであり、96年にようやく完成した「ティーネイジオペラ」にも収録されている。本当にキースウエストという男は美しいメロディを作る。残りの3曲はそのB面なのかなんなのか勉強不足でわからないが少し方向性が変わったような印象を受ける。ロンウッドの名の先入観からか、少しブルース色が強まってハードロックに近づいたような印象。

 

とにかくこの再発CD1枚で67〜68年のトゥモロウ関連の音源をほぼ全て聞けるんだから豪華。「ティーネイジオペラ」関連も入ってたら完璧だけどそれは欲張りすぎか…

 

トゥモロウ解散後

68年2月にこの1stをリリースして4月に解散。

 

キースウエス

キースウエストは解散理由となったソロ活動へ。

 

ティーブハウ

ティーブハウは70年にイエスに加入するのだが、その前に「Bodast」というプログレバンドを結成している。「ディープパープル」の前身バンドとして知られる「ラウンドアバウト」の元メンバーと結成したバンドであり、キースウエストによるプロデュースで69年に1stアルバムが制作されたが所属レーベルの倒産という不運で発売中止となった。その音源は80年代になってようやくリリースされている。

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図を繋げたいがスティーブハウの周りが混在しすぎてボダストもディープパープルもラウンドアバウトも書く余地なし。薄々気づいてたけど、図のやり方間違えてるんかも…

 

ジュニア

ベースのジュニアことジョンウッドはトゥインクと共にアクアリアンエイジで1枚シングルを残した他、68年当時「クリエイション」と掛け持ちをしていたロンウッドの代わりに「ジェフベックグループ」でサポートをしたこともある。ジュニアはそれくらいかな?

キースウエストのソロでロンウッドがベース、アクアリアンエイジにニッキーホプキンス参加、ジュニアがジェフベックグループサポート、

とトゥモロウとジェフベックグループの関わりが多くみられる。仲良かったんだな。

 

Twink

さて奇人、ジョン・トゥインク・アルダー。サイケ界の重鎮となる彼のその後を。

68年ジュニアと共にアクアリアンエイジで1枚のシングルを残した後、「The PrettyThings」に加入する。

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プリティシングスのリードギターであるディックテイラーはデビュー前のローリングストーンズのメンバーであったことで有名である(ブライアンジョーンズ加入によりベーシストにさせられて脱退)。そのことから《ストーンズになり損ねたバンド》として舐められがちだが《元祖ガレージバンド》とも言われるバンドでもある。やはりストーンズと同じくブルースやR&Bを基調とした音楽性だったがTwink加入後の68年にサイケ色の強いコンセプトアルバム「S.F.Sorrow」をリリース。これがとてつもない名盤であるが、このあからさまな音楽性の変化は時代の流れももちろんあるがTwink加入の影響であると思わざるを得ない。

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S.F.ソロウの「S.F」は「サイエンスフィクション」ではなくセバスチャン・Fという人名であり、その主人公の物語というコンセプトを持っている。そのことから世界初のロックオペラであると言われることもあるが、一般的には翌年69年リリースのThe Whoの「トミー」の方が世界初のロックオペラとして語られることが多い。ティーネイジオペラが完成してたらそれが世界初のロックオペラだったってゆーし、何やらトゥモロウ関連から「ロックオペラ」ってワードが多発するねぇ。

このアルバムを残しただけでトゥインクはプリティシングスを脱退する。

 

70年にはソロアルバム「Think Pink」をリリース。

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これもサイケの名盤として名高い。アクアリアンエイジでの「10,000 Words In a Cardboard Box」が再録されており、ジュニアも数曲ベースで参加している。トゥインク自身はボーカルともちろんドラムとアコギを少し弾いているが、彼の醸し出すサイケ感は鬼気迫るものがある。

 

「シンクピンク」に参加した「The Deviants」の3人のメンバーにTwinkが加わり「Pink Fairies」を結成。

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71年にアルバム「Never Never Land」をリリース。

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ファンタジーRPGゲームみたいなジャケットであるがサイケパンクバンドと呼べるサウンドである。曲によればもはや早過ぎたオルタナであり、71年にこの音楽をやってるバンドはまずいなかっただろう。アンダーグラウンドシーンを賑わした。このアルバムでTwinkは脱退。ピンクフェアリーズは3枚のアルバムを残している。元祖パンクロックといってもいいバンドである。

 

そして72年に前回書いたようにケンブリッジにて「The Last Minute Put Together Boogie Band‬」のセッションに参加した後、元Pink Froydのシドバレットの最後のバンド「Stars」を結成(今んとこ音源なし)。

 

とにかく「Pink」が目立つTwink。ピンクは「ピンクエレファント」なんつってドラッグとの関わりが強いもんね。とにかくトゥモロウから始まりロンドンサイケに深く関わった奇人ドラマーTwink関連はとりあえずこんなもんかな。

 

 

まとめ

はい、トゥモロウ関連を見てきましたが

もしこれを見てトゥモロウに興味持って1stのレコードを買おうとする人がいたとしたら(そんな人おるかい)、再発CDの方を強くオススメします。ボーナストラックがとにかく豪華。トゥモロウはこれ1枚で全部いけます。

ティーネイジオペラ」はロックファンなら一度は聞いてほしい。キースウエストのポップセンスとマークワーツのアレンジが見事。

Pretty Thingsの「S.F Sorrow」はロックファン必聴レベルの名盤。ストーンズ好きなら「ストーンズになれなかった男」の会心作を是非。

Twinkの「Think Pink」はサイケ好きなら必聴。

Pink Fairiesはサイケ好きにもパンク好きにも響くかも!

多分全部AppleMusicにもSpotifyにもあるはず!

 

Tomorrow周りはこんな感じ。

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次はどしよ。