ケンジロニウスの再生

関連図を元にロックサーフィンを繰り広げたい所存。

4-2 狂ったダイヤモンド シド・バレット

4章はロンドンサイケということで、ひとまず前回はロンドンのカウンターカルチャーアンダーグラウンドサイケデリックの誕生をシドバレットとピンクフロイドを絡めて見てみました。

 

『4-1 ロンドンアングラとシド・バレットhttps://kenjironius.hatenablog.com/entry/2019/05/17/082700

 

65年にアメリカから襲来したカウンターカルチャーによって生まれたロンドンアンダーグラウンドとロンドンサイケは66〜67年にかけて劇的な盛り上がりを見せ、もはや「アングラ」とは言えないくらい注目を集めていた。その最中67年3月に「アーノルドレーン」でデビューするピンクフロイドとシドバレットも『ロンドンアングラのヒーロー』という狭い枠組みを抜け出し、世界への第1歩を踏み出したのだ。

 

4-2 狂ったダイヤモンド シド・バレット

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《ドラッグによって成功の道を閉ざされた天才》といったニュアンスで知られ今なおカルト的な人気を誇るシドバレットだが、彼を語る上でドラッグや狂気じみた逸話はもはや切っては切れないものである。もちろん僕もそれらの伝説に惹かれて彼に夢中になったんだけれども、僕ももう10年以上彼を愛し続けて来たのだからそろそろ少し伝説的な部分は置いておいて彼の本質に触れてみたいと思うようになってきた。何故彼は音楽を辞めなければならなかったのか…そんなことは僕なんかにわかるわけもないだろうが、73年に完全に表舞台から姿を消すまでの軌跡を振り返りながらロジャーキースバレットという男の本質に迫りたいと思う。

 

あと図を繋ぐ(これがメインなはずなのに)!

 

ピンクフロイドデビュー!アングラのヒーロー、地上へ!

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ロンドンアングラシーンの頂点に君臨し、ロンドンサイケの起爆剤とも言える活躍を見せたピンクフロイドが67年3月についにシングル「アーノルドレーン」でEMIからデビューし、地上に姿を見せる。

プロデュースはUFOクラブ時代から交流のあるジョーボイドであり(彼については2章で少し書いた→https://kenjironius.hatenablog.com/entry/2019/04/06/183144)全英20位を記録。デビューシングルとしては上々な滑り出しだった。

「アーノルドレーン」はシドのポップセンスが光るサイケナンバーであるが、ピンクフロイドをアングラ時代から知るファンには「丸くなった」という印象を与えた。確かに長々と続く即興演奏や、実験的でアヴァンギャルドなスタンスで人気を得ていた彼らにしては3分弱にまとまったこの曲は「らしくない」かもしれない。とはいえ奇抜さはないもののオリジナリティに溢れた曲で、「彼にしか作れない」と感じさせられる。

奇抜な発想や既存の形式にとらわれないスタンスは彼の持ち味であるが、真骨頂はオリジナリティ溢れるポップセンスとリズムセンスだと僕は思っている。独特のコード進行とメロディラインとリズム感覚で一聴すると奇をてらってるように思うが、そこに明確にキャッチーさを感じることができる。

 

65年のピンクフロイド発足時の頃の音源が2016年に発売された「Pink Froyd Early Years 1965-1972」というCD10枚+DVD9枚+ブルーレイ8枚という鬼のボックスセットで聞けるが(8万円ほどする、多分これでしか聞けないよね?聞けるの?)、65年の段階ではまぁカッコいいけどどこにでもいるブルースバンドといった感じである。ストーンズに憧れていたのがよくわかるし、初期ビートルズのようなブリティッシュビートリィな曲もある。影響受けまくりのパクリバンド、は言い過ぎにしても「天才」とは言えない印象だ。そこから2年でどうすればこんなにオリジナリティ溢れる楽曲を産むことができるようになるのか。その答えはやはりLSDなのか、という事になる。

 

LSDとシド

マリファナは高校時代に経験済みであったが、LSDは65年に友人宅でヒプノシスのストームソーガソンらと共に使用したのが初めてで、元々新しいものに積極的であったシドはLSDがもたらす非日常的体験に深く興味を持ちハマっていくことになる。

「ロッカーは不良だからドラッグをする」と思ってる人が多いが、この時代に限っては彼らはいたって真剣に「ドラッグが世界を変える」と信じていた。真理の探求、自身の解放、そしてその先にある平和や幸福というものを真剣に見据えていたのだ。快楽のためだけではなく、彼らはドラッグを目的のための道具として使用していたとも言えるだろう。

シドも同じく「LSD服用中の音楽」の実験に夢中になった。酩酊状態での自身を客観視し目的のために使用できている、という時期が彼にも確かにあった。中毒ではなく必需品として常にそばに置いていたのだ。

「ドラッグをやるといい曲が書ける」という認識もよく持たれるが、僕はあくまで「自己が解放される」だけであり、空っぽの人間がドラッグをやったって何も生み出さないと思っている。65年から67年にかけてシドの作曲能力が桁違いに上がったのは間違いなく、それはLSDを服用し自分の中に眠るものと向き合う膨大な試行実験の結果であるだろう。

67年春、ピンクフロイドは1stアルバム「夜明けの口笛吹き」と2ndシングル「シーエミリープレイ」のレコーディングをしていた。この頃に地元ケンブリッジ時代からの友人で後にシドの代わりにピンクフロイドに加入するデヴィッドギルモアとシドの妹のローズマリーがそれぞれシドを訪れている。傍目から見てシドの異常に初めて気づいたのがこの時期で、ギルモアもローズマリーも共にシドに対して「まるで別人」であるという印象を抱いたことを語っている。

この67年春はアーノルドレーンでメジャーデビューし反応は良好、デビューアルバムと2ndシングルのレコーディングとかなりの頑張り時であった。そして出来上がったものは結果的にシドの全盛期といえる、抜群のポップセンスと非凡なアイデアが交わった極上のサイケポップだ。この時期に何故あちら側の世界に行ってしまうようなことがあったのだろうか。

やはりプレッシャーだろうか、共感覚の持ち主であったと言われるほどの敏感な感性が心を圧迫したのか、元々アスペルガー症候群であったとも言われている。

8月のドイツ公演はキャンセル。10月のアメリカツアーではステージで何もせず宙を見つめたりギターの弦がだるんだるんのまま演奏を始めたり、アメリカの重要なTV番組に出演した際も司会者の質問に虚ろな様子をしたまま返事をせず、と手に負えない状態になってしまっていた。

とはいえマネージャーのピータージェナーは「狂ったフリをしている」と軽く捉えてるレベルであり、シド自身も70年辺りのインタビューで「方向性の違い」的なニュアンスの発言をしている。アメリカツアーでのシドはアングラ時代からの延長の、型にはまらない「フリーフォーム」のスタンスを意図してとっといた可能性もあり、「デビューして人気も出てきたし責任もあるしちゃんとやろうぜ」って感じの他メンバーとの方向性のズレが彼を追い込んでいったという見方もできる。狂い始めたとされるこの時点ではまだLSDによる実験の最中であったのかもしれない。

 

2ndシングルそして1stアルバム

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そんな危うい状態の中、6月に2ndシングル「See Emily Play(エミリーはプレイガール)」をリリース。プロデュースはジョーボイドからEMI専属のノーマンスミスに代わった。全英6位のヒットとなったこの曲はアーノルドレーンよりも更にポップさを強め、尚且つ実験的要素も強めた名曲である。

この曲は大のシドバレットファンであるデヴィッドボウイが73年「ピンナップス」でカバーしたことでも有名。ちなみに2006年にシドが死んだ際の追悼イベントでボウイとギルモアによって演奏された「アーノルドレーン」もシングル化されている。T-REXマークボランもシドに憧れてカーリーヘアーにしたと言われ、シドはボウイとボランというグラムロックを代表する2人のアイドルであった。

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(ボウイ、ピンナップス)

 

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8月には1stアルバム「夜明けの口笛吹き」をリリース。全英6位、サイケデリックロックの金字塔と呼ばれる名盤である。シドは寓話、SF、東洋思想などを散りばめ、他に類を見ない独自の世界観を世間に叩きつけた。

夜明けの口笛吹きについてはピンクフロイドの回でも書いたので、とにかくシドのピークは間違いなくここだ!ということだけを伝えておこう。

 

3枚のシングル

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(アップルズ・アンド・オレンジズ)

ピンクフロイドは67年に「アーノルドレーン」「シーエミリープレイ」「アップルズ・アンド・オレンジズ」の3枚のシングルをリリース(この3曲は「夜明けの口笛吹き」に収録されていない)している。

シドは「シングル曲制作は嫌いじゃなかった」と後のインタビューで語っているが、シドの異常さにより途中で中断となったアメリカツアーから帰国後の11月にリリースされた3rdシングル「アップルズ・アンド・オレンジズ」がチャートインしなかったことがシドをさらに狂わせた要因だったのではないかと思う。この頃になるとシドは明確なアイデアが出なくなっていたようなのだ。「LSDによる音楽実験」の限界にぶちあたってしまったわけだ。フラワームーブメントもサイケデリックブームも70年になるころには終わってしまうわけだから「LSDによる音楽実験」は頭打ちになるわけで、LSDは万能薬ではなかったという答えが出されるわけなんだけど。シド個人も67年の段階で限界にぶちあたったのだろう。自分はジョンレノンのようになれないと失望したシドは2ndアルバムに向けての曲も書けなくなっていく。人一倍敏感な男なので、自分が天才じゃないと気づいた時に襲いかかる不安や、周りの目と評論に耐えきれなくなったり狂ったふりをしていたという見方もできる。

アーノルドレーン、シーエミリープレイ、夜明けの口笛吹きは紛れもなくシドの天才さを立証できる証拠であると思うが、もしかするとシドは「ドラッグにより狂った天才」ではなくて「天才じゃなかったからドラッグにより狂った」のかもしれない。

あ、「アップルズ・アンド・オレンジズ」、僕は全然素晴らしい曲やと思うけど粗いのは粗いよね。

 

追放なのか脱退なのか

ライブにも顔を出さないなど不安定な状態が続き、メンバーは打開策として68年1月にシドの旧友であるデヴィッドギルモアを迎えて5人編成でライブを数回こなした。

そして1月26日にロンドンからライブ先に向かう車中で誰かが「シドを迎えに行こうか?」と言い、ロジャーウォーターズが「いや、やめとこう」と答えた。といった感じでそれから二度と迎えに行くことはなくなったらしい。

2月にギルモアの正式加入が発表され、3月にソングライターとして在籍する案(ビーチボーイズのブライアンウィルソンのように)が出されたが4月にシドの脱退が発表される。

 

「シドがドラッグにより精神崩壊してバンドから追放」という見方が一般的であるが、シド自身は後のインタビューで「方向性が違った、奴らの構築的な音楽は僕は好きじゃない」と決裂であるというような発言をしている。

一方ピンクフロイドのメンバー側はあらゆるタイミングでシドへの罪悪感みたいなものを吐露しているが、この罪悪感に少し疑問があって、ドラッグに溺れて周りに迷惑をかけまくる廃人をバンドから脱退させたことに罪悪感を感じる必要ってある??って思ってしまう。

脱退直前にレコーディングを開始していた68年2ndアルバム「神秘」にはシド作曲の曲が1曲だけ収録されている。その「ジャグバンドブルース」は本当によくできた素晴らしい曲で、70年のソロ「帽子が笑う、不気味に」の狂人具合と比べると100倍まともだと感じる。あきらかにピンクフロイド脱退後にシドは激しく狂っていっていて、「狂って脱退」じゃなくて「脱退させられて狂った」が正しいんじゃないかって思うのだ(シドの肩持ち過ぎな気もする)。

「追放したことは正しかったのか?」という疑問が残るからこその罪悪感であるんだろうか。自分たちが想像以上の成功を手に入れてしまったことも乗っかっているんだろうが。

何にせよこの罪悪感が70年のシドのソロアルバムの手助けへと繋がっていく。

 

脱退後

シドの脱退と同時にマネージャーのピータージェナーもピンクフロイドを去ることになる。元々シドの才能に惚れたピータージェナーはシドが去ったピンクフロイドに魅力を感じなかったようだ(見誤った経済学者ジェナー!!)。

正式に脱退してすぐの68年5月,6月にシドとジェナーはソロ活動のための軽いデモレコーディングを始める。この時にジェナーは初めて「あ、シドほんとにおかしい」となる。結局使える素材はほとんど録ることができなかった。

この時のシドはヒプノシスのストームソーガソンと同居していたが(ウォーターズとの同居は66年に破綻)、LSDをシドと同じくらい愛していたソーガソンから見てもシドは「イきすぎ」だったらしく恋人に暴力を奮うこともあったようだ。発狂→脱退→続く発狂なのか、実験期→脱退→発狂なのか答えは本人にしかわからないが、脱退によって精神に大きな影響を及ぼしたのは間違いない。シドはこの後精神科での治療のために一時的にケンブリッジに帰っている。

 

「帽子が笑う…不気味に」

しばらく消息を絶ったシドは69年3月に突然「レコーディングがしたい」とEMIに電話をかける。電話を取ったのは23歳の社員で新人バンドとの契約を担当していたマルコムジョーンズという男であり、彼はこの時期にディープパープルやティラノサウルスレックス(T-REXの前身バンド)などと契約を果たしている将来有望な若手社員であった。音楽界から忽然と姿を消したシドを求めるファンの声はたくさん上がっていたこともあり、この契約を何とか実現させたいマルコムジョーンズは急いでプロデューサーを探す。2ndシングル以降のピンクフロイドのプロデューサーであったノーマンスミスはピンクフロイド3rdアルバム「ウマグマ」の制作で忙しく、シドをよく知るピータージェナーもすでに多数のマネージメントを抱えており暇がなかった。結局シドの「君がやれよ」の一言でプロデューサー経験の全くないマルコムジョーンズがプロデュースすることでレコーディングが始まった。そして69年4月にレコーディングを開始し70年1月にリリースしたのがアシッドフォークの名盤として名高い「The Madcap Laughs(帽子が笑う…不気味に)」である。

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1.カメに捧ぐ詩- "Terrapin"
2.むなしい努力- "No Good Trying"
3.ラヴ・ユー- "Love You"
4.見知らぬところ- "No Man's Land"
5.暗黒の世界- "Dark Globe"
6.ヒア・アイ・ゴー- "Here I Go"
7.タコに捧ぐ詩- "Octopus"
8.金色の髪- "Golden Hair"
9.過ぎた恋- "Long Gone"
10.寂しい女- "She Took a Long Cold Look"
11.フィール- "Feel"
12.イフ・イッツ・イン・ユー- "If It's In You"
13.夜もふけて- "Late Night"

 

シドのピンクフロイド脱退の経緯と今の状態の噂をもちろん聞いていたマルコムジョーンズだが、シドと会ってみると案外まともだという印象を受けている。シドが披露した新曲とピータージェナーから受け取ったデモを聞き「全然いける」と判断しレコーディングが始まった。68年5月のピータージェナーとのデモからは13曲目の「夜もふけて」が使われた。

基本的にはシドのアコースティックギターの弾き語りであり、そこに伴奏をオーバーダブしたものと裸のままのもので構成されている。

 

69年4月にレコーディングを開始し、シドはまず始動したばかりのハンブルパイのドラムであるジェリーシャーリーを連れてきて4「見知らぬところ」と6「ヒアアイゴー」のドラムを叩かせた。ハンブルパイはスモールフェイセズのスティーブマリオットが69年に新たに結成したバンドである。

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2「むなしい努力」と3「ラブユー」ではソフトマシーンのロバートワイアット、マイクラトリッジ、ヒューホッパーが揃って参加。シドのよれよれのリズムにかなり手こずりながらも彼ららしい演奏を披露している。シドも「ソフトマシーンの奴らがきて、楽しかったなぁ、ケヴィンエアーズはいなかったけど」と振り返っていて、そのケヴィンエアーズの曲のセッションにこの辺りの時期にシドが参加しているのも面白い。

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あとは1曲目の「カメに捧ぐ詩」が4,5月の時期に録られているが、オーバーダブの詳細は不明。がしかし抜群のアシッドフォーク。

以上の6曲がレコーディング開始から1か月ほどで完成したところで、「ウマグマ」のレコーディングを終えたギルモアとウォーターズが駆けつけ残りのプロデュースを引き受けることとなる。

7「タコに捧ぐ詩」はシングルとしても発売され主にギルモアによる伴奏によって彩られた。

8「金髪の女」はジェームスジョイスという詩人の詩に曲をつけた不気味な雰囲気の曲であり、9「過ぎた恋」はトラッドっぽい暗いフォーク。この2曲はリズムもブレることなくオーバーダブも上手く重なり、独特の雰囲気を持った素晴らしいテイクだと思う。

 

5「暗黒の世界」と10〜12の4曲はシドの弾き語りとなっているが、彼を「狂人」と世間に印象付けたのはこの部分だろう。特に10〜12の3曲。

5「暗黒の世界」は僕がシドのソロで1番好きな曲で《僕がいなくて寂しくないの?》と叫ぶ姿は後の75年のピンクフロイドの《あなたがここにいてほしい》と呼応する形となり悲しみに満ち溢れている。この曲は間違いなく彼に悲しく寂しいイメージをつけたであろう。

問題は10〜12の3曲で、3曲とも素晴らしいフォーク曲であるのだが、10「寂しい女」では途中で譜面をパラパラとめくる音がそのまま録音されており曲の終わりも中途半端なところで演奏を止めてまた譜面をパラパラとめくる音で終わる。

11「フィール」はボブディラン調の美しいメロディが光る曲だが、ギターのミスがとにかく多いしリズムもとても不安。この曲はほんとに名曲の香りがするのでどうにかいいテイクを録ってほしかった。

1番酷いのが12「イフイッツインユー」。日ごとに精神の調子が変わるシドだったようだが、この日は特に酷かったのか歌い出しからつまづいてやり直したのをそのまま使用されている。まだ次の小節が来てないのに歌が何度も先走ってしまったり(ドモりみたいな感じ)、歌もギターもめちゃくちゃ。まるで幼児のようで、僕はこの曲を聴くと「頑張れ、頑張れ、ハイッハイ」と手拍子をしながら応援して泣きそうになってしまう。

 

問題なのはギルモアとウォーターズが途中からプロデュースを買ってでときながらこの3曲に何も手を加えなかったこと。これで世間の人間はシドを完全に「狂人」として認識してしまうことになる(カルトファンは増加しただろうが)。ギルモアは「ありのままの姿を見てもらう必要があると思った」と述べたがこの公開処刑とも取れる措置を「正しくなかったかもしれない」と反省している。ウォーターズは「もう誰もシドをプロデュースできない」と何にもしてないくせに見放した。

 

シドの旧友でありシドと交代でピンクフロイドに加入することになったギルモアは、ずっとシドを気にかけていたんであろう行動や発言が見られる。続く2ndアルバム「その名はバレット」でも進んでプロデュースを申し出、制作中にはベーシストとしてライブもしている。時は流れてソロのライブでも「暗黒の世界」を涙を浮かべて熱唱している映像もある。シドが死んだ時はボウイと共にアーノルドレーンなどを歌った。シドの代わりに入った彼に成功に対する野心などなく、親友が空けてしまった大きな穴を何とか埋めようと必死であったらしい。しかし思いがけないバンドの大成功に後ろめたい気持ちがずっとあったようなのだ。

 

ウォーターズはというと(もちろん僕はウォーターズも好きなんだけど、シド側に立って偏見で言わしてもらう)シドを追放した本人であり、その後ピンクフロイドの実権を完全に握った男である。ソロ1作目はプロデュースに加わるが「誰もシドをプロデュースできない」と見限り2作目では参加しなかった。80年以降ごろケンブリッジの実家隠居中のシドの隣人(この隣人はこの時期まだ子供でシドの経歴も知らずただ恐怖しかなかったらしい)の証言によると「昼夜問わず言葉にならない奇声や叫び声が響いていた。そんな中なんとか聞き取れる言葉はいつだって《ロジャーウォーターズ!ぶっ殺してやる!》という類のものだった」らしく、そのことからシドがウォーターズに対して特別憎しみを抱いていたことがわかる。ウォーターズはシドの2歳年上であり、シドが主導権を握る状態に嫌悪感を感じていたのかもしれないしバンド追放もドラッグ云々もあるが個人的な感情もあったのかもしれない(ここまじでめちゃくちゃな推測やから鵜呑みにしないでね!)。

まぁ僕はやっぱりロジャーウォーターズが気に入らないみたいだ。音楽も思想も素晴らしいし、「狂気」も「あなたがここにいてほしい」も本当に素晴らしく最高のアルバムであるがシドを思うとこの2枚がより一層シドが「伝説の狂人である」という印象を強めたことにもなる。

いや、好きなんだよウォーターズ。彼のすごさはピンクフロイドの回で存分に書いたので、うん、好きなんだ。

 

はい、帽子が笑う…不気味に。

シドはこのアルバムについてのインタビューでアルバムの出来に納得がいってる様子を見せる一方で「アコスティックギターと歌、それだけなんだ」とみんなが必死で頑張ったオーバーダブがなかったかのような発言をしている。この日、調子悪かったのかな。しかし「まだ曲はたくさんあるんだ」と次作に対しての意欲を示した。TV番組にも出演し、アルバムについてのインタビューにも答えている。

 

「帽子が笑う…不気味に」という邦題は実は全くの誤訳であり、「Madcap」とは「向こう見ずな男」という意味であり直訳すると「向こう見ずな男が笑う」といった意味となる。そう言えば、シドが帽子被ってる写真なんて見たことないな…なのに帽子のイメージ着いてた。言葉って怖いぜ!

 

縞々に塗った自室の床に1人座り込むジャケットデザインはヒプノシスによるもので、床はバレット自身が塗ったものである。写真はミックロック(ボウイやイギーポップ、クイーンなどを撮ったことで有名な写真家)が撮ったものである。彼が2002年に出したこの時期のシドを撮った写真集が限定950部で発売され、そのうち320部になんとシド直筆のサインが書かれた。シドが隠居後こうした世間に向いた行動をしたのはこの一度きりじゃないだろうか。ちなみにこの写真集のほとんどをデヴィッドボウイが買い占めたという噂がある。つまりまず手に入らない。やりすぎだよボウイ。

 

その名はバレット

70年1月に「帽子が笑う…不気味に」をリリースし全英40位を記録すると、2月にはすぐに次作の制作に入った。プロデュースはデヴィッドギルモア。バンドにはギルモアと前回も参加したハンブルパイのジェリーシャーリー、そしてピンクフロイドのリチャードライトも加わった。シドとリチャードライトの関係は概ね悪くなかったようで、脱退後もライトの家を何度か尋ねていたという話もある。前作では多数の人間が関わり何とか組み立て組み立て出来上がったアルバムであるが、今回はギルモア主体のチームで一体となってサポートしサウンド的にはまとまりのあるアルバムとなった。70年11月に2ndソロアルバム「Barret(その名はバレット)」をリリース。

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1.ベイビー・レモネード- "Baby Lemonade"

2.ラヴ・ソング- "Love Song"
3.ドミノ- "Dominoes"
4.あたりまえ- "It Is Obvious"
5.ラット- "Rats"
6.メイシー- "Maisie"
7.ジゴロおばさん- "Gigolo Aunt"
8.腕をゆらゆら- "Waving My Arms in the Air"
9.嘘はいわなかった- "I Never Lied to You"
10.夢のお食事- "Wined and Dined" -
11.ウルフパック- "Wolfpack"
12.興奮した象- "Effervescing Elephant"

 

ジャケットの昆虫の絵はシド自身によるもの。

1stはシドの弾き語りにオーバーダブで何とか装飾したという感じだったが、今回もほぼ同じ手法を使っているものの全曲しっかり「バンドサウンド」という印象を受けることができる。シドの歌やギターも前作ほどヘロヘロさを感じさせず、素直にシドのメロディセンス、作曲センスをしっかり堪能できる仕上がりになっている。ギルモアは本当に頑張ったんであろう。やはり一般的にシドの狂人具合が見て取れる1st「帽子が笑う…不気味に」が目立ちがちだが、アルバムとしての仕上がりは間違いなく2ndのほうが良いだろう。リチャードライトのオルガンが入ったことも大きな変化で、アシッドフォークというよりもサイケポップと言えるのかもしれない。

 

アルバムはギルモアによるギターのソロプレイから始まる名曲「ベイビーレモネード」から幕を開ける。

2曲目「ラブソング」では常にどこか暗い雰囲気を醸し出していたシドから聖なる雰囲気が滲み出ている。

3曲目「ドミノ」でのシドのフィードバック奏法とライトのオルガンの交わりはピンクフロイド時代のシドの復活を感じさせるし、独特の節回しは秀逸。僕はこのアルバムで1番好き。

 

…あれ?シド、復活したんじゃないの?って思うんだけど、これはギルモアらによる頑張りの賜物であり実際にはシドの演奏と歌はほぼ1テイクのみしか録れていない(7曲目の「ジゴロおばさん」は例外で15テイクまで行っていて、なるほど完成度がより高い)。その1テイクに全力でオーバーダブして作り上げたのがこのアルバムである。前作では「ありのままの姿(狂人)」を見せたが2ndではしっかりパッケージングしてシドの音楽的能力をアピールできた結果となったと思う。

実際のところシドの状態は以前よりも悪くなっていたようで、6月にギルモアとジェリーシャーリーを従えてソロ後初となるライブを行うが4曲目が終わると突然「ありがとう、さようなら」と言い残しステージを降りた。これがロンドンでの彼の最後のライブとなった。

この時期のルームメイトはポップ・アートの画家ダギー・フィールズであり(2003年のドキュメント公開時はまだ同じアパートに住んでいた!)、彼によるとこの時期のシドは部屋に篭りっきりで異臭がするほどであったらしい。

70年秋には「その名はバレット」のリリースを待たずしてケンブリッジの実家に帰ってしまう。周りからすれば突然の出来事で、この後二度とロンドンの音楽シーンに戻ってはこなかった。この時恋人を連れてケンブリッジに帰り、その後婚約をするが破綻している。

 

スターズ

シドはしばらく実家の地下に引き篭もった。唯一71年3月にインタビューを受けているが、それがまた意外とまともなのだ。

72年に突然ライブをする機会が訪れる。エディバーンズというブルースギタリストがケンブリッジに来た際のセッションに参加したのだ。この時の音源が「The Last Minute Put Together Boogie Band‬」というバンド名の「Six Hour Technicolor Dream」というアルバムとして2014年にリリースされている。そのセッションで一緒になった元デリヴァリーのジャックモンクと元トゥモローのトゥインクと3人で「スターズ」というバンドを結成し5回ほどライブを行ったというのだ。

おっ、デリヴァリーもトゥモローもすでに図に出てますねっ!

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スターズは今のとこ音源が明らかにされていないが、ファンの間ではシドが最後に組んだバンドとして有名である。いやしかし「The Last Minute Put Together Boogie Band‬」に関してはたった今これを書きながらスターズについて調べてたら情報が出てきたので正直ビックリ。僕が夢中になって調べてた10年ほど前の時にもエディバーンズのライブのアンコールに参加した、という話は見たことがあったがまさかセッション音源が2014年にリリースされてるなんて…こーゆーことあるんだよなー。

 

ジャックモンクの奥さんがシドの元恋人だったようで、その縁でセッションに呼ばれてスターズを結成することになるんだけど、ドラムで参加した元トゥモローのトゥインクって男がまたロンドンサイケの重要人物でイカれた男なのでまた紹介したい。

 

スターズはピンクフロイドの曲を中心に演奏したそうだが、シドの状態は悪く出来は最悪であったらしく、その酷いライブの様子はメロディメーカー誌に掲載された。シドはその雑誌を手にしてトゥインクのもとを訪れ「もうやめたい」と言ったらしい。このライブがシドの最後のライブとなった。

 

隠居とその後

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(Opel)

その後のシドの知られているアクションとしては

73年にケンブリッジでクリームの作詞家であったピートブラウンが朗読会をしたときに伴奏で来ていたジャックブルースと少し楽器を鳴らしたという話(ほんとに鳴らした程度)。

74年にピンクフロイドの成功によってさらにシドのカルトファンが急増したことをEMIが嗅ぎ取りシドに新作要請をし、レコーディングを行う運びになった。が、シドは弦の張ってないギターを持ってスタジオに現れ、音源と呼べるものは一切録れることなく終わった。

あと有名な、75年にピンクフロイドがシドをテーマに作ったコンセプトアルバム「あなたがここにいてほしい」をレコーディングしている最中にふらっとスタジオに現れた話。これはピンクフロイドの回でも書いたので省略、悲しい話。

 

その後は完全に音楽から離れ、チェルシーにアパートを借りて暮らしたり慈善施設で過ごしたりするが、80年代には再びケンブリッジの実家に戻り絵を描いたりしながら2006年に糖尿病の合併症で死ぬまで暮らした。

このケンブリッジの実家で過ごしている時期になっても彼のカルトファンは減ることはなく、パパラッチは何度も彼を直撃していて、彼の見る影もない姿を世間に晒した。

88年に「オペル」という未発表音源集がリリースされたり、90年代に「帽子が笑う…不気味に」と「その名はバレット」がCD化された際にはボーナストラックに未発表テイクが追加された。ファンとしては未発表音源を聴けることは僕ももちろん嬉しいが、やはりこれも醜態を晒しているようなものだと思ってしまう。しかしこうした音源を聴いていると本当にまともなテイクはごく僅かしか残せていなかったんだなぁということを痛感する。

 

ケンブリッジでの暮らしは主に母が面倒を見ていたが91年に亡くなった後は妹のローズマリーが面倒を見ていた。シドがギターを触ることも音楽の話をすることもほとんど無かったようだが、たまにピンクフロイドの事について言及する時は「うちのバンド」という表現をしていたらしい。

この時期の彼の様子を語った隣人の回顧録(2006年)があるので興味のある方は是非。http://killshot.blog65.fc2.com/blog-entry-50.html

 

晩年は現代美術について自分なりにまとめた本の執筆に没頭していたという話もある。

生活は質素なものであったが、彼は死後兄妹に4億円もの遺産を残した。

 

 

 

まぁこんなとこだろうか。やっぱり人生というのはとてつもなく複雑なものであるので、「ドラッグで狂った天才」なんて単純に片付けるべきではないなぁなんて思ったりして長々と書いたけど、結局何が言いたいんだっけ……まぁ僕、シドバレットが好きなんです。

 

 

 

次はトゥモローからトゥインク関連へと行きましょうかね!

 

 

 

 

 

 

 

 

4-1 ロンドンアングラとシド・バレット

ファン

『ファン』という言葉に少しばかりの抵抗があって、「めちゃくちゃ好きだけどファンではない」って言い張る事が多々あるんだけれど。

ではファンになるとはどんな状態になることなのかと考えると僕は「下敷きが欲しいか」だと思っている。シャーペンでもクリアファイルでもいいけど。いわゆるグッズ、音楽そのものに全く関係ないものまで欲しいかどうかである。

僕はほんとに数えきれないほどのバンドやミュージシャンが好きだけど、グッズを欲しいとはあまり思わないということだ(デヴィッドボウイ展に行った時にタコス屋でビールを買ったら付いてきたアラジンセインのコースターだけは持ってる)。

 

そんな僕でもファンであると言えるんじゃないかってミュージシャンが3人いる。つまり文房具屋にその人の下敷きがあったら買っちゃうかも、って3人。それがジョンレノン、ボブディラン、そしてシドバレットである。

 

音楽を聴いて、感動した、好きだ、なんてミュージシャンは腐るほどいるが「この人になりたい」と憧れてしまったのはこの3人くらいである。ジョンはカリスマとして、ディランは男として、シドバレットは狂人として、それぞれ若き日の僕のアイドルとなったのである。

 

4-1 ロンドンアングラとシド・バレット

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さて前回までの3章ではプログレッシブロックの代表的なバンドを見てきましたが、3章での繋がりからブリティッシュサイケ、ロンドンサイケに行けるんじゃないかと思って4章ではそっちへ。

てなわけでひとまずは僕のアイドル、シドバレットとロンドンアングラについて。

ピンクフロイドの回で少し触れたように、シドバレットは初期ピンクフロイドの中心人物であり、LSDの過剰摂取によりバンドを追放された後もピンクフロイドのメンバーに影響を与え続け、後に世界的に成功することになるピンクフロイドの原動力となったとされる男である。

 

僕が彼を知ることにかるきっかけはやはりピンクフロイドの「狂気」であり、ピンクフロイドに夢中になる中で当然シドバレットへとたどり着くわけだ。そこからシドバレット作品や彼の過去に触れ始め、気づいたら僕のアイドルになっていた。

 

若い日の僕はロックスターがドラッグで狂っていく様やその破滅的な人生にどこか美意識みたいなものを感じていた。そのことがある種人生に対してピュアであると感じていたのだ。

なのでもちろんローリングストーンズのブライアンジョーンズやドアーズのジムモリスン、ジミヘン、ジャニスジョプリンなんかのいわゆる「27クラブ(27歳で死んだミュージシャン達の総称)」にも夢中になった。ちなみにシドバレットは60歳まで生きたが、彼が完全に音楽を離れて実家に帰った73年ごろの彼の年齢は27である。おぉ。

60年代後半、サマーオブラブ、ヒッピームーブメント、サイケデリック、ドラッグカルチャー…そんな時代に生きたロッカーはやはり魅力的な狂人だらけであるがその中でもシドのポップセンスや言葉、様々な逸話や異常性に僕は1番惹かれてしまったわけである。

 

そんなシドバレットを作った少年時代とロンドンアングラシーンを今回は見ていこうと思う。

 

少年時代

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ロジャー・キース・バレット(本名)は46年にケンブリッジの割と裕福な家庭に生まれ、10歳のころにはロックンロールに夢中になり音楽探求に目覚め始める。家に友達を招待してレコード鑑賞をするなどしていたが、後にシドの代わりにピンクフロイドに加入するデヴィッドギルモアはこの頃からの友人である。

60年代になるとロックンロールは卒業し、マイルスデイビスやジミースミスなどのジャズにも興味を持ち地元ケンブリッジのアマチュアジャズマンが集まるパブにも出入りするようになる。そこには「シドバレット」というドラマーがいて名字が同じだということでロジャーキースバレット少年も仲間から「シド」と呼ばれるようになる。シドバレットの誕生だ。

シドは62年にデビューしたブッカー・T&ザ・MGズ、ボブディランなどにもいち早く反応した。ディランがイギリスでヒットするのは64年になってからであり、62年のデビュー時はまだ知る人ぞ知るフォークミュージシャンであったことからシドはかなりの音楽通であったことが伺える。この頃にはギターを弾き始めるようになり63年に「ボブディランブルース」という曲も作っている(未発表音源として近年公開された)。

自国イギリスのブリティッシュビートにも敏感に反応し、62年デビューであるビートルズにもちろん夢中になり、63年にはローリングストーンズがケンブリッジでライブを行った際に見に行っている。

ほんとにどこにでもいるような少年だったのだ。特徴としては新しいものに対する反応の早さであり、こうした直感的な感覚が初期ピンクフロイドの活動へと繋がっていくのだろうか。

 

ピンクフロイド結成

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64年、16歳になったシドはアートカレッジに通うためにロンドンへ移り住む。この時の下宿先で部屋を分け合ったのが同郷のケンブリッジ出身であり建築学校に通う2学年年上のロジャーウォーターズだった。シドはロジャーのバンドに加入し、ストーンズのカバーなどを中心に活動する。

画家を目指してアートカレッジに進学したシドだが、65年にはもうすでに学校に興味を失っていた。自分の絵の才能では卒業してもせいぜい美術教師にしかなれないと悟ったためのようだ。画家への道を挫折したシドはこの頃から本格的に音楽活動にお熱になる。

バンド内では1番歳下であったが、リーダーシップをとり徐々にバンドはアート志向に変貌していく。この時期にバンド名の「ピンクフロイド」もシドによって命名された。

どこにでもいるありふれたR&Bバンドだった彼らは65年が終わる頃には独自性を持った斬新なバンドへと変貌していた。シドのアート志向(リキッドライトによる照明、独自のギターチューニングや演奏方法など)によるところが大きいが、この型破りなスタイルが徐々に受け入れられていくことになる。

 

ロンドンアンダーグラウンドの誕生

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(65年ロイヤルアルバートホールでのアレンギンズバーグの詩の朗読)

 

60年代半ばにアメリカで生まれたカウンターカルチャーが海を越えてイギリスに渡って来たのがちょうどこの頃であり、東洋思想、ビートニク文学、前衛芸術、ヒッピー・ファッション、そしてLSDが、アメリカから続々と持ち込まれイギリスのアンダーグラウンドシーンを形成していった。同65年にはアメリカのビート作家であるアレンギンズバーグらがロイヤルアルバートホールで詩の朗読会を行ったが、会場を埋め尽くすイギリスの若者はギンズバーグ達の型破りな詩に衝撃を受け、「既存の形式にとらわれない」アートや人生観を持つようになる。

こうした流れをいち早く察知し吸収したシドはバンドをガラリと変貌させたのだ。

 

アメリカのカウンターカルチャーに触発されたのはミュージシャンや芸術家だけではなく、若いインテリにも影響を与え始める。若き経済学者であったピータージェナーアンダーグラウンドに興味を持ち始め、66年にマーキークラブにて開催された「スポンテイニアス・アンダーグラウンド(自然発生したアンダーグラウンド)」というイベントに足を運ぶ。これまでロックをまともに聞いたことがなかったピータージェナーだがこのイベントでのピンクフロイドに衝撃を受けマネージャーになることを申し出る(インテリとロックを結びつける役割も果たしたカウンターカルチャーの輸入であるが、同じようにクラシックやジャズの界隈にいたインテリミュージシャンもロックにガンガン参入してくるようになりこの事が後のプログレッシブロック誕生のきっかけになったとも言えるだろう)

 

ピータージェナーは友人でありエレクトラレコードの社員だったジョーボイドピンクフロイドのテープを持ち込むことにした。ボイドは気に入り、エレクトラレコードの上司に推薦するがこの時は認められなかった。レコードデビューのチャンスを逃したものの、ピンクフロイドの人気は着々と高まっていく。

いやしかしピンクフロイドのマネージャーになる経済学者ピータージェナーと67年にピンクフロイドのデビューシングルのプロデュースを務めるジョーボイドだが、なんと当時23、4歳である。裏方の人間も若いというのはこうした新たなカルチャーの誕生の特徴だなぁ。

 

66年10月にジョン・"ホッピー"・ホプキンズというロンドンカウンターカルチャーの象徴である写真家がアート誌「インターナショナル・タイムズ(IT)」を発刊し、これがロンドンヒッピー達の必読誌となる。

その創刊記念イベントがラウンドハウスで開かれるわけだが、そのイベントの目玉がピンクフロイドソフトマシーンであった。

このイベントにはポールマッカートニーもアラブ人の格好をして参加している。後にカウンターカルチャーの象徴となるのはジョンレノンの方だが、ロンドンのアングラの動向に先に興味を示したのはポールの方でITの発刊にも積極的に支援した。雑誌のインタビューでLSDの服用を認めるなど、この時期のポールはカウンターカルチャーにかなりお熱だったのだ。

とにかくこのイベントでのピンクフロイドの圧倒的パフォーマンスは新聞でも報じられ、これがロンドンサイケデリックシーンの幕開けとなる。

 

このITというアート誌の資金調達目的でオープンしたのが「UFOクラブ」というライブハウスである。ジョンホッピーホプキンスとジョーボイドによって66年12月に開かれた。UFOは「アンダーグラウンド・フリーク・アウト」の意である。

ピンクフロイドを始めとしてソフトマシーン、プロコルハルム、トゥモロウなどの名だたるバンドが出演しロンドンサイケが爆発する。他にも前衛的なダンサーや詩人がパフォーマンスを行うなどロンドンアングラの聖地となる。

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(一応図を、図のためのブログやのに図を忘れがち…)

シドもこの時期を「みんながステージを使って思い思い好きなことを表現してて楽しかった」と後に振り返っている。

雑誌ITの資金調達を目的としてUFOクラブの運営の他にロンドンサイケの伝説のイベントとして有名な「14アワー・テクニカラー・ドリーム」が67年4月に行われた。この模様は「ア・テクニカラー・ドリーム~ロンドン・サイケデリアの幻想」というDVDで見ることができるのでサイケとは何ぞやって人は是非見ていただきたい。

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テクニカラードリームにはソフトマシーン、プリティシングス、ザ・ムーブ、アレクシスコーナー、アーサーブラウン、オノヨーコなど総勢41組が出演し、そのトリをピンクフロイドが務めた。この時点でピンクフロイドはロンドンアングラの頂点に君臨していたと言える。

 

ホッピーが麻薬所持で逮捕されたことでUFOクラブは67年10月に閉店することになる。結局1年もたたずでの閉店であった。

そんな65年に輸入されたカウンターカルチャーを発端に始まった66〜67年のITの発刊イベント、UFOクラブ、テクニカラードリームというロンドンサイケの流れの中心にシドバレットとピンクフロイドはいたのだ。

その熱気溢れるロンドンサイケブームの最中の67年3月にシングル「アーノルドレーン」でピンクフロイドはデビューしている。プロデュースはエレクトラレコードを退職したジョーボイド。全英20位を記録し華々しいデビューを飾った。

 

LSD

以上がロンドンアングラとピンクフロイドデビューまでの簡単な関わりであるが、アメリカから輸入されたカウンターカルチャーの一つであるLSDもロンドンアングラに深く関わっている。66年に非合法となるLSDだが、ポールマッカートニーも合法化を訴え、ピンクフロイドのマネージャーであるピータージェナーや、ITの創刊者であるホッピーもLSDを推奨しておりロンドンアングラの中心にいて、新しい物に敏感なシドももちろん虜になった。シドが初めてLSDを使用した際には友人であるヒプノシスのストームソーガソンも一緒であったという。

そんなLSDを推奨する空気感を持ったロンドンアングラシーンであるが、みんながみんなやっていたわけではなくロジャーウォーターズは2回しかやったことがないと後のインタビューで語っている。そんなわけで67年のデビュー時の段階ですでに奇行が目立ち始めるシドバレットとピンクフロイドのメンバー間にズレが生じて68年にはシドがバンドを追放されることになるわけだ。

 

 

ん…このままシドのソロまで書くと超絶長くなりそうなので、とりあえずここまで!次回はシドとデビュー後のピンクフロイド、70年のソロアルバム、そして音楽業界からの完全撤退を見ていきます。

4章はロンドンサイケ!UFOに出演していたイエスのスティーブハウがいたトゥモロウや、青い影で有名なプロコルハルムなんかにも触れていけたら!前回までプログレについて熱く語っていたがサイケロック、アシッドフォークが1番好きなのよ僕。楽しみ楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3-7 ソフトマシーンとカンタベリー

アヴァンギャルドとはフランス語で「前衛的」という意味であり、「プログレッシブ」とは英語で「革新的」という意味である。

「前衛的」と「革新的」って伝統や保守的なものから逸脱した「目新しい」もの、的なニュアンスをどちらも含んでいて似たような言葉だなぁと思うんだけど、不思議なことに「アヴァンギャルド」と「プログレッシブ」という言葉はこと音楽において感覚的に上手く使い分けられているように思う。アヴァンギャルドサウンドアヴァンギャルドサウンドだし、プログレッシブなサウンドプログレッシブなサウンドだと何となく区別できるのだ。これは音楽好きの友人と話していても、様々な音楽レビューや記事を読んでいても大きなズレは無く、自然と感覚的共有ができているように思う。

「フーガ」や「ブルース」などのように音楽的な形式を表す言葉は当然ハッキリとした音楽的根拠を持って区別できるが、音楽が持つ感覚的な部分を表した言葉の区別は非常に難しい。そんな感覚的な「アヴァンギャルド」という言葉について少し自分なりに考えこんでみると、「今までにはなく目新しい」のはもちろんだけど、少し「無法者」というか荒々しいニュアンス、いわば「破天荒」といった感じが含まれている気がする。これは「アヴァンギャルド」という言葉の「ヴァ」と「ギャ」と「ド」の濁音が持つエグ味を感じとっているのか、「プログレッシブ」という響きが持つどこか洗練された感じとはやはり違うのだ。

プログレッシブロックは洗練された「革新的」な表現方法で「ロック」を限界点まで進めたが、ロックにおいて「アヴァンギャルド」と称されるやつらは「ロック」すらもぶち壊しにかかる異端者という解釈を僕は持っている。という前置きから今回の話に入ろうと思う(ちょっと、おれうっさい?)。

 

3-7 ソフトマシーンとカンタベリー

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(ソフトマシーン)

そんなこんなで僕が最もアヴァンギャルドなバンドだと感じているのがSoft Machine(ソフトマシーン)」である。いや厳密にはアヴァンギャルドな奴が3人いたバンド」と言ったほうが正しいかもしれない。今回は主にその3人について書こうと思うが、ソフトマシーンを語る上で避けては通れないのがカンタベリーという地方、そしてそこにいた「ワイルドフラワーズ」というバンドである。

 

ワイルドフラワーズが生んだ2つのバンド

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(ワイルドフラワーズ)

カンタベリーとはイングランド南東部にある地域であり、そこで64年に「ワイルドフラワーズ」というバンドが結成された。このバンドを祖として数々のバンドが誕生し、後に「カンタベリーロック」と呼ばれる1つのジャンルにまでなっていくわけだ。

カンタベリーロック(カンタベリー系ともいう)はプログレッシブロックの中の1つの派閥みたいなものであり、ジャズを強く取り入れた音楽性が特徴。

 

ワイルドフラワーズというバンドは90年代になってようやくデモ音源が発掘されたようなくらいで(僕は手に入れれてない)全く知名度もないバンドであるが、そこに在籍していたメンバーが「ソフトマシーン」と「キャラバン」の2つのプログレを代表するバンドに分かれたことで有名である。

64年から67年まで活動をしたがその期間の中でメンバーの変動は多々あるが、在籍していた人物が

ケヴィンエアーズ→ソフトマシーン

ロバートワイアット→ソフトマシーン

ヒューホッパー→ソフトマシーン

ブライアンホッパー→ソフトマシーン(サポート)

リチャードシンクレア→キャラバン

デヴィッドシンクレア→キャラバン

パイ・ヘイスティング→キャラバン

リチャードコフラン→キャラバン

 

といった感じに2つに分かれていく。66年にソフトマシーンが、68年にキャラバンが結成された。

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初期ソフトマシーン(デビュー前、アレン期、サイケ期)

まず60年代初頭にオーストラリア人の放浪者であるデヴィッド・アレンというヒッピー野郎がいた。彼はパリでビート文学の巨匠ウィリアム・バロウズと出会い(ソフトマシーンというバンド名は同名のバロウズの著書からとられたもの)、バロウズとラジオなどで仕事をするがその当時にロバートワイアットと顔見知りになる。イギリスに渡った際にはワイアットの母が営む下宿に世話になり、そこでマイク・ラトリッジという男、そして同じく放浪者であるケヴィンエアーズと出会う。そうして1つのサークルが出来上がり、ロバートワイアットとケヴィンエアーズはワイルドフラワーズを結成、マイクラトリッジは大学へ戻り、デヴィッドアレンは再びヨーロッパ各地へ放浪の旅に出る。64年のことである。

 

66年にワイルドフラワーズを脱退したワイアット(ドラム)とエアーズ(ベース)、ロンドンへ帰ってきたアレン(ギター)が新バンドを結成。そこに大学へ行っていたラトリッジ(鍵盤)が合流し、バロウズに電話にてバンド名の使用の快諾を得た後に「ソフトマシーン」が誕生する。

 

この時期はやっぱり時代通りサイケデリックロックをやっていてUFOクラブを中心に活動し、当時UFOクラブに出入りしていた同世代のピンクフロイドやジミヘンと親交を深めた。ピンクフロイドとの交流は後々まで続き、シドバレットのソロ作品を手伝ったり、逆にワイアットのソロ作品ではニックメイスンがプロデュースを手掛けた。

このデビュー前のサイケデリック期のデモ音源は後に発売される「Jet Propelled Photographs」というコンピレーションアルバムで聞くことができるがいわゆるサイケポップといった感じでソフトマシーンらしさはまだ無いが、それでも才能の片鱗はしっかり感じられる。

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(Jet Propelled Photographs)

 

バンドはロンドンに収まらずヨーロッパ各地をライブで訪れるが、パリ公演からの帰りにアレンが麻薬所持でイギリスへの入国許可が降りずそのままパリに留まりバンドも脱退となる。

 

デヴィッドアレンとGong

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アレンは取り残されたフランスにて後に妻となるジリ・スマイスらと共に「Gong」というサイケデリックバンドを結成。彼のヒッピー思想を反映した独特な音楽は人気を呼び72年には英ヴァージンレコードと契約し無事に?イギリスへ帰っている。彼の71年のソロアルバムであり名盤である「バナナムーン」ではワイアットがドラムで参加している。ゴングからは後に「ゴング・グローバル・ファミリー」と呼ばれる様々なゴングと言う名を冠するバンド(プラネットゴング、ニューヨークゴング、マザーゴング、ゴングジラなど…)が誕生するんだけど、そんな感じもヒッピーっぽくて面白い。

アレンはオーストラリア人であるし、ゴングはフランスで結成されたバンドであるがソフトマシーンの関係から「カンタベリーロック」に数えられることが多い。75年にアレンが脱退するまでのいわゆる「クラシックゴング」はサイケファンなら必聴!73〜74年の「The Radio Gnome Invisible (見えない電波の妖精の物語)三部作」と呼ばれる『フライング・ティーポット』『エンジェルズ・エッグ』『ユー』はまさにアヴァンギャルドな3枚である。

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(you)

ソフトマシーンのアヴァンギャルドなヒッピーサイケ野郎デヴィッドアレンとゴングは要チェック!

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ソフトマシーンデビュー

アレンを失ってイギリスに帰国したエアーズとワイアットとラトリッジの3人は代わりのギターを補充することなくキーボードトリオとして活動を続け、ラトリッジのジャズ志向からかサイケポップからジャズロックへと動き始める。

68年に「ソフトマシーン」でデビュー。

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ジャズとサイケが融合したサウンドで一聴滅茶苦茶だけどクール。だいたいジャズ自体を僕は「無法」な音楽だと思っていて、そこに彼らのサイケデリックが不気味に混ざり合った異端っぷりはまさにアヴァンギャルドの極みである。

ラトリッジのファズの効いたオルガンもカンタベリー系の特徴である。ワイアットの凄まじいドラムと弱々しいボーカルのアンバランス具合も癖になる。

 

このアルバムの制作と並行してジミヘンの長期アメリカツアーに同行しており、その時のライブでは後にポリスに参加するアンディサマーズがギターを弾いている。この60年代末ごろにアンディサマーズは後期アニマルズでもギターを弾いてるがポリスといえば80年代のイメージなので年齢を調べたらポリスデビュー時36歳なのね、びっくり!

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この長いアメリカツアーの中でリリースされた1stアルバムは評判もよくレーベルは次作を望んだが疲弊しきったメンバーはもはや解散状態にあった。そしてケヴィンエアーズはバンドを脱退し、イタリアのイビサ島へと隠遁する。エアーズの代わりに同じくワイルドフラワーズ出身のヒューホッパーが加入する。

 

自由人ケヴィンエアーズ

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ケヴィンエアーズは元来放浪者であり、ワイルドフラワーズ結成前の16歳のころからスペインのイビサ島マヨルカ島、モロッコなどを何度となく放浪したとされ、これらの土地で身に着けたある種の無国籍的で自由な感性は彼の音楽スタイルの特徴でもある。

そして68年に長期にわたるツアーに精神的に疲れてソフトマシーンを脱退すると、ガールフレンドと共にかつて訪れたイビサ島へ隠遁する。イビサ島は当時ヒッピー達の聖地として知られており彼の心を癒すにはぴったりの場所だったのだろう。結局エアーズは90年代半ばにイギリスに帰るまで25年ほどイビサ島で生活をする。

イビサ島に移り住むとすぐに自らのペースを取り戻し曲を書き始め、69年に1stソロアルバム「Joy of a toy」をリリース。

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サイケやアシッドフォークに分類されるだろうが、彼が持つ独特の「ゆるさ」と自由な感性はシドバレットと繋がるところがあり、僕はエアーズのことを「ハッピーなシドバレット」だと思っている。好き。

このアルバムはソフトマシーンのワイアット、ラトリッジ、新たに加入したヒューホッパーらが手伝っており、アルバムには収録されなかったが1stシングル「Singing a Song in the Morning」ではキャラバンのリチャードシンクレア等が参加、さらにその曲のセッションにシドバレットが参加しているバージョンが「Religious Experience [take 103] (Singing a Song in the Morning)」として1stアルバム「Toy of a joy」がCD化された際にボーナストラックに収録されている。シドが他人の作品に関わってるのは本当に珍しく貴重な音源である。

 

ケヴィンエアーズは細々と作品を出し続け一部の層からカルト的人気を得た。

2nd以降の彼のバックバンド"The Whole World"にはマイクオールドフィールド(映画「エクソシスト」の曲、チューブラーベルズで有名)がいて、2ndと3rdに参加。74年のライブアルバムにはブライアンイーノ、ジョンケイル、ニコの名もあり、エアーズの交流関係の広さが伺える。

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ヒッピーの聖地イビサ島で緩やかな時間を過ごし、たまにイギリスに出ていって音楽をする。いや、実際どんな生活だったのかは知らないけど理想的な音楽ライフだなぁ。アヴァンギャルドな自由人ケヴィンエアーズ、おすすめ!エアーズのソロも決してジャズロック的なものではないがカンタベリーロックに数えられることがしばしば。

 

ジャズ期ソフトマシーン

ケヴィンエアーズが脱退してヒューホッパーが加入しさらにジャズ色を強めていくソフトマシーンは69年に2nd「Vol.2」をリリース。

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このアルバムにはヒューホッパーの兄であり、ワイアットやヒューホッパーと同じくワイルドフラワーズ出身のブライアンホッパーもホーン奏者として参加。アレンとエアーズというサイケ路線の2人がいなくなり、ラトリッジ主体のジャズ路線へと大きくシフトしていくことになるが、このアルバムも絶妙に不安定な危ういバランスを持っていて僕はお気に入り。ソフトマシーンとしてはこの後くらいから全盛期と呼ばれる時期に入るが僕はやはり1stと2ndの「危うさ」が真骨頂だと思っている。

 

70年にはシドバレットのソロ「帽子が笑う、不気味に」にメンバー3人揃って数曲参加。同年3rd「3」,71年4th「4」をリリースするが、徐々にメンバーも増え、シリアスなジャズロックへと変化していく中で居場所を失ったワイアットが脱退。ドラムでありボーカリストでもあったワイアットだったが「4」の頃になるとソフトマシーンは完全なインストゥルメンタルバンドと化していた。

 

悲劇の男ロバートワイアット

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ワイアットはソフトマシーンを脱退してすぐにキャラバンのデヴィッドシンクレア、「デリバリー(これもカンタベリー系)」のフィルミラー等と「Matching Mole(マッチングモール)」を結成。

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72年に1st「そっくりモグラ」,2nd「そっくりモグラの毛語録」の2枚をリリース。2ndはなんとキングクリムゾンのロバートフリップがプロデュースした。

 

73年3rdアルバムの制作中の時期にワイアットはパーティの席で酔ったまま4階から転落し、その後遺症で下半身不随となりドラムの道を断たれる。

周りの助けを得てキーボードを弾き歌うシンガーソングライターとしてカムバックし、74年に「ロックボトム」をリリース。プロデュースはピンクフロイドのニックメイスン、サポートメンバーにヒューホッパー(ソフトマシーン)、マイクオールドフィールド、リチャードシンクレア(キャラバン)と豪華なメンツで作られたこのソロアルバムなんだけどこれがすごいのよ。

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(ロックボトム)

内容は実験音楽的要素を持った美しい曲達って感じなんだけど、ブライアンイーノ参加してるんじゃないの?って感じのサウンド(ちなみに75年の次作でしっかりイーノ参加)。全曲ワイアットの作曲であり、ビョークやトムヨークに繋がっていくような病的な不安感とそこにある美しさは圧巻である。声にエフェクトをかけてのスキャットが時おり出てくるが嘆きなのか祈りなのか、下半身不随という情報も相まってかとにかく不安にさせられるが、何度も聞いてしまうという中毒性のあるアルバムだ。

これもいわゆるプログレカンタベリー系とは毛色が違う音楽であり、ソフトマシーンのオリジナルメンバーであるデヴィッドアレン、ケヴィンエアーズ、ロバートワイアットの3人はカンタベリーロックを代表する人物でありながらカンタベリーロックの異端児でもあるのだ。しびれる。

 

ソフトマシーンのその後

とにかくアレン、エアーズ、ワイアットの3人のことを書きたかったのでもう後はさらっと。

ソフトマシーンは次々とメンバーを変えてフリージャズ、そしてフュージョンへと進んでいくわけだが、オリジナルメンバーのマイクラトリッジはずっと在籍している。ラトリッジはミスターソフトマシーンと言えるだろう。

 

キャラバン

ソフトマシーンと同じくワイルドフラワーズから派生したキャラバンだが、アヴァンギャルドなソフトマシーンと比べれば穏やかで聴きやすいジャズロックバンドである。

キャメルと並んで叙情派プログレの代表とも言われている。

3rd「In the Land of Grey and Pink」は名盤。

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その他のカンタベリー

基本的にはソフトマシーンかキャラバンのメンバーが関わっているのがほとんどで、というか関わるとそれだけでカンタベリー系と呼ばれる傾向にある。

例えば、ワイアットのマッチングモールにいたフィルミラーの「Delivery」のメンバーとキャラバンのリチャードシンクレアが結成した「Hatfield and the North」。Hatfield and the Northと「Gilgamesh」が合体する形で「National Health」誕生。ナショナルヘルスにはビルブラフォードが参加してたこともある。

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この今出てきたバンドの中にゴングに参加した人もいたりケヴィンエアーズのバンドに参加した人もいたりで、カンタベリー系は本当に狭いところで盛り上がったシーンである。それがプログレを細分化した1つのジャンルとして知れ渡るようになるんだからすごいよね。

 

はい、終わります。こんなん突き進んだらあかん、しんどい!図を繋げるのがメインで、ついでに書き書きしてるつもりなんだけど…

 

ソフトマシーンは1と2はロックファンなら聴くべし!それ以降と他のカンタベリー系はジャズ好きなら!

ゴング、ケヴィンエアーズはサイケ、アシッド好きは聴くべし!

ロバートワイアットの「ロックボトム」は映画音楽、実験音楽好きならチェック!レディオヘッドビョーク好きにも響くかも…

 

ひとまずプログレはここまで3章完!結局ムーディーブルースと5大プログレカンタベリーで終わったけど、また他はいずれ書きます!

 

3章

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全体

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この図製作アプリが重くなってきてたまに落ちるねんな…この先不安だぜ!次回はどこにいこうか、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3-6 プログレ5大バンド?ジェネシスの二面性

 

3-6 プログレ5大バンド?ジェネシスの二面性

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この順番で来たらやっぱりジェネシスにも触れておくべきだなぁとここ1週間ほど頑張って聴いてました。ブログ書こう!って思わないと多分ちゃんと聴くことももうなかっただろうし、いい機会でございました。

ピンクフロイド、キングクリムゾン、イエスELPと並んで5大プログレバンドの1つであるジェネシスだけど、彼らを省いてプログレ四天王なんて言われることも実はよくあって、まぁそれも納得という感じで。

 

ジェネシスには大きく2つの時代があり、ピーター・ガブリエル(通称ピーガブ)がボーカルの70年代前半シアトリカル期とフィル・コリンズがボーカルの80年代ポップス期であるが、ポップス期のほうが爆発的にヒットしたので知ってる人は多いと思う。

僕のジェネシスとのファーストコンタクトは全世界でヒットした86年の「invisible touch」である。ブックオフで250円で買った。多分15,6歳の頃で、まだ自分がどんなタイプのロックが好きなのかわからなかった頃だ。良質なポップスといった感じで聴きやすかったので、同じく250円で並んでいた91年「We Can't Dance」も購入。

そんな感じでしばらくは80年代のポップスバンドという認識だったんだけどプログレにハマりだした時に元々はジェネシスプログレバンドであると知って、名盤と紹介されていた72年4th「Foxtrot」と73年5th「月影の騎士」を購入。けどすでにピンクフロイドとキングクリムゾンにボコボコに殴られていた僕にはジェネシスのパンチが弱く感じてしまい、この良さがあまりわからずパッとしない印象であった。

 

ってなわけで僕が持ってるのはピーガブ期の72年4th「Foxtrot」と73年5th「月影の騎士」、フィルコリンズ期の86年「invisible touch」91年「We Can't Dance」の計4枚だけなんだけど、ここ1週間で全14,5枚あるオリジナルアルバムをApple Musicでざっと聴いてみたけど僕の持ってる4枚がなんとまさしくベストな4枚なんじゃないのか?となり、「え、じゃぁやっぱジェネシスって…」という思いと「いやこの4枚ちゃんと聞けば結構いいじゃない」って思いが同時に湧き上がってきたのだ。

 

僕なんかはついついジェネシスに対して酷い物言いをしてしまうんだけど、もちろん大人気バンドだしロック界に多大な影響を与えたバンドの1つなのは間違いない。僕だってプログレ期はムーディーブルースと一緒くらいいいと思うし、ポップス期はスティングと一緒くらいいいと思ってる(どうやろ)。

 

ピーガブ期(プログレ期、シアトリカル期)

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(ピーガブ)

とにかく75年にピーターガブリエルが脱退するまでジェネシスはピーガブのバンドであったと言えるだろう。彼の元祖ビジュアル系?とも言える奇抜な衣装とシアトリカル(演劇的)な世界観が初期ジェネシスの特徴である。

 

デビューは69年であり1st「創世記(From Genesis to Revelation)」ではまだ個性は芽生えていない様子。それでもふんわり漂うサイケ臭とピーガブのメロディセンスは普通に良くてサイケポップバンドとしては全然悪くない。初期のピンクフロイドやムーディーブルースの感じもある。ウィキペディアによると「Bee Gees的サウンド」らしいが、それも別に悪い方向ではないと思うし、むしろ僕がジェネシスに対して持つ嫌な要素が無くて良し(Apple Musicにないんだよな1st)。

 

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(侵入)

70年に2nd「侵入(Trespass)」をリリース。1stの評価が芳しくなかったことからアートロックへの方向性を強め、より作品を作り込んでいくようになる。この1stから2ndの音の変化はほんとに69年と70年、サイケからアートロックへの流れを表していて、時代の流れを表す教科書のようである。鍵盤のトニーバンクスはメロトロンを導入し(多分1stでは使ってないように思う)、ギターのアンソニーフィリップスは主に12弦を使いブリティッシュフォーク的なサウンドを作り上げている。ピーガブのシアトリカルな要素も少し見えだし、聴きごたえがある。このアルバムも僕は嫌いじゃない。

 
アンソニーフィリップス

この「ジェネシスらしくない」1stと2ndだが、その要因はギターのアンソニーフィリップスにあると思われる。フォーク的要素を強く持っていた彼は2ndリリース後[ステージ恐怖症]という理由で脱退する。

脱退後はクラシックギターを学び数々のソロ作品をリリースし、81年には「スノーグース」で有名な叙情派プログレバンドCamel(キャメル)の「The Single Factor」に参加している。

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Camelは73年デビューの元祖叙情派プログレと言われるバンドであるが、僕はそんなに好みではない。70年代後半にはカンタベリーロックの代表格である「Caravan」のメンバーが合流したりもする。

カンタベリーロック」とはイギリスのカンタベリー地方でソフトマシーンとキャラバンを中心に栄えたプログレッシブロックの呼称であり、ジャズ色が強いのが特徴。またソフトマシーンを書くときに触れます!

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ティーハケット、フィルコリンズ加入

さてジェネシスだが脱退したギタリスト、アンソニーフィリップスの代わりにスティーハケットが加入。そして新たなドラマーとしてフィルコリンズが加入する(前任ドラマーは実力不足での解雇)。

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ピーガブ(ボーカル)、トニーバンクス(鍵盤)、マイクラザフォード(ベース)のオリジナルメンバーにスティーハケット(ギター)、フィルコリンズ(ドラム)が加わったこの5人でジェネシスプログレ黄金期を突き進むわけだ。

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71年3rd「怪奇骨董音楽箱(Nursery Cryme)」リリース。この頃からピーガブの容姿も奇抜になり始め、シアトリカルロックバンドとしての評価を確立する。特にその演劇性がイタリアで人気となりイタリアのチャートで4位をとる。そからヨーロッパへ広がり、イギリスでは39位でありながらヨーロッパで人気を獲得した。

ピーガブの変化以上に2人の新メンバー加入によるサウンド面の変化が大きいが、その変化の内容については次のアルバムで語ろうと思う。

 

フォックストロットと月影の騎士

72年4th「Foxtrot」、73年5th「月影の騎士(Selling England by the Pound)」ではそれぞれ全英12位、3位とプログレッシブロックバンドとしての地位と評価を確立していくこととなるわけだが、この2つの名盤とともにジェネシスの特徴を見ていこうと思う。

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(foxtrot)

ピーターガブリエルのシアトリカルな面は同時期に活躍していたデヴィッドボウイと重なるところがあって(というかまず声が似てる)、ボウイが死ぬほど素晴らしいのは言うまでもないがそれに比べるとジェネシスは…ってのが正直なところである。これは単にピーガブVSボウイというものではなくてバンドの表現力の差だろうか。

まるで演劇のように物語を展開していく中でその場面場面の表情を表現していくわけだけど、特に僕みたいな英語がわからない人間にとっては音による表現が大事で、悲しいのか怒りなのか1人なのか賑わってるのか外なのか室内なのか、そんな何となくの絵がボウイなんかは聴いてると見えてくる。ジェネシスは見えづらいし、やはり見えづらいと聴きづらい。

そもそもジェネシスのメンバーはピーガブの奇抜な格好を嫌がっていたらしく、なんならコンセプトの共有すらできていたのか怪しいところだ(ぼろくそ)。

 

フィルコリンズのドラムの音がとにかく「硬い」のが表情を無くしている原因の1つだと思うんだけど、のちにフィルコリンズ主体のポップスをやる時にその「硬さ」がしっくりくるんだから音楽って難しい。

演劇的であるからには「静と動」のメリハリはとても大事になるが、ジェネシスは「静」においては素晴らしい世界観を持ってるバンドだと思う。硬いドラムは鳴ってないしスティーハケットのクリーントーンのギターや12弦ギター、トニーバンクスのメロトロンなどは表現豊かだ。「Horizons(フォックストロット5曲目)」なんかはクラシカルなギター主体のインスト曲であるが美しい。

一転「動」になると硬いドラムと歪みギターとシンセ、オルガン、のっぺらぼうになるんだよなーなんでだろう。フォックストロットの最後の曲である23分にも及ぶ大曲「Supper's Ready」なんかは序盤ひたすら静のパートが続きピーガブのメロディセンスが光る素晴らしいアレンジであるが後半激しくなるとやっぱりしんどい。もったいない。

 

音質もそうだがアレンジにも疑問点があって「Watcher of the Skies(フォックストロット1曲目)」なんかは斬新なリズムで他であまり聞いたことのないような雰囲気の独特な曲だけど、歌のリズムと伴奏のリズムが「ん?これ成立してる?」ってなっちゃう感じがある。イエスを聞いててもそんな時が山ほどあるんだけどイエスの場合は「ん?これ成立してる?でもかっけー!!!」ってなる。

 

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(月影の騎士)

5th「月影の騎士」ではピーガブのメロディセンスは更に進化し、2曲目の「I Know What I Like」はシングルとしてもヒットした。3曲目「Firth of fifth」なんかも他で聞けないすごい曲。でも全体的にアレンジの嫌なとこはやっぱり同じ感じ。

いや、この2枚いい曲はほんとにたくさんあるんです。だからこそなんかもったいないなぁって思ってしまう。

 

ピーガブ脱退

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(眩惑のブロードウェイ、ジャケはヒプノシス

74年6th「眩惑のブロードウェイ(The Lamb Lies Down on Broadway)」をリリース。コンセプト色がより強まりほぼピーガブのソロとも言えるものになった。2枚組の濃い内容でピーガブ期の集大成とよく言われるが、難解すぎ。僕にとっては唯一心を寄せていたピーガブすら理解できなくなった感じ。たまたま隣のスタジオでレコーディングしていたブライアンイーノがゲスト参加し、ボーカルエフェクトを担当している。

そして75年のツアーを終えるとピーガブは脱退してしまう。ピーガブはソロ活動に入り、80年代には「スレッジハンマー」などのヒット曲を飛ばす。

 

フィルコリンズ期(ポップス期)

(ここからは例の如く急ぎ足で…)

ピーガブを失い4人となったジェネシスインストバンドとして活動する案も出るが、ドラムのフィルコリンズがボーカルをとることで落ちつく。ピーガブよりもフィルコリンズは力強く伸びのある声であり、味はともかくしっかりとしたボーカリストだと言える。

 

76年7th「トリックオブザテイル」、8th「静寂の嵐」はまさに僕の嫌な《プログレバンドの70年代後半》といった感じで、ハードロックとポップスとプログレの名残りを足したようなスタジアム臭のするサウンドであった。

この後スティーハケットが脱退。ハケットはソロ活動を続けた後86年にイエスのスティーブハウと「GTR」を結成。

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3人になったジェネシスは78年にその名の通りの9th「そして3人が残った」をリリース。ギターはベースのマイクラザフォードが兼任する形で進んでいくこととなった。

それぞれのソロ活動を挟み2年後の80年に10th「デューク」をリリース。ここからドラムマシンを使用するようになりポップ路線に磨きがかかる。この振り切り方がジェネシスの大成功の鍵だと思っていて、「プログレブームの残骸」から「新たなポップバンド」へと変貌を遂げることになる。このアルバムは初めて全英1位を記録し、ここから81年11th「アバカブ」、84年12th「ジェネシス、86年13th「インヴィジブルタッチ」、91年14th「we can't dance」と出すアルバムが次々1位を獲得することになる。

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(invisible touch)

世界的にも大ヒットしたインヴィジブルタッチの頃になるともはやロックの「ロ」の字もないというようなサウンドであり、全く好みではないが個人的にはここまでやると逆に好印象。曲自体の構成も流石といった感じだし、並行して行っていたソロ活動でも大成功を収めたフィルコリンズの歌声は自信に満ちたものであり、一流のボーカリストのオーラを醸し出している。

 

フィルコリンズはジェネシスとソロでのポップスターとしての活躍とドラマーとしてはツェッペリンやスティング、クラプトンと共演したり一時期はジャズ、フュージョンバンド「ブランドX」に参加したりで『世界一忙しい男』と呼ばれたこともある。

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ま、そんなこんなで他の5大バンドと比べるとやっぱり別に聞かなくてもいいかなって感じだけど、デヴィッドボウイが好きな人はピーガブ期聞いても面白いと思うし、『とくダネ』及び小倉さんが好きな人はインヴィジブルタッチ聞けばいいでしょう。

 

次回はソフトマシーンからカンタベリーを軽く!

 

3章

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全体

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3-5 最強のトリオバンドELP!

バンドの構成っては様々な形があって。

  • ビートルズのようなギター2人にベースドラムの4人編成
  • それにボーカリストを加えたローリングストーンズのような5人編成
  • ボーカル、ギター、ベース、ドラムのLed Zeppelinのようなスタイリッシュな4人編成
  • そこに鍵盤を加えた5人編成
  • ギター、ベース、ドラム、鍵盤の4人編成

などなど。

プロコルハルムやザ・バンドのようにダブル鍵盤のバンドもいれば、イーグルスのようにトリプルギターのバンドもいるし、サックスやバイオリンやフルートやパーカッションのメンバーを加えるのも珍しくはないので組み合わせなんてごまんとあって、それぞれが表現したい音楽に合わせて必要な楽器と人数を揃えるわけだ。

 

トリオの魅力

ロックバンドを表現する上での最小人数(ホワイトストライプスのような異端児もいるが…)とも言える3人編成、トリオバンドもたくさんいて典型的なのはやはりギター、ベース、ドラムのトリオである。エリッククラプトンの「クリーム」、ジミ・ヘンドリックスの「エクスペリエンス」、ジェフベックとヴァニラファッジのリズム隊の「ベック・ボガート&アピス」、ポリスにニルヴァーナなどが代表的なバンドである。

トリオの特徴はやはりその音数の少なさにあるだろう。音数が少ないから単純、と捉えられがちだが音数が少ないからアイデアが必要で各パートが複雑な絡みをみせる。

三角形の角ってのは図形の中で1番鋭くて、だから何なんだって話だけどトリオってのはどこか刺さるものがあるんだよな。これは一種の美学やロマンみたいなものなのかもわからないけど、やっぱり人数が少なければ少ないほど思想や感情の純度が増していくような、そんな感じがするんだ。

 

友人と飲んでて「デブってめっちゃいい奴かめっちゃ悪い奴しかおらんよな」って話になって。確かに、なんて酔っ払ってなんやかんや言いながら「デブってそれだけでveryってことなんだよ」って答えに落ちついて。これは例えばガリガリにもノッポやチビにも貧乏にも金持ちにも言えることですでに何かしらの特殊性を持ってるとそれが「very」になっちゃうんだな。って。ほんとにどうでもいい話なんだけどトリオバンドってやっぱり特殊だし、当てはまるような気がしたんだけどなんだか馬鹿馬鹿しいからこの話なし!

 

さてトリオはギタートリオが典型的だと言ったが鍵盤、ベース、ドラムのキーボードトリオバンドもあって、ロックバンドにおけるキーボードトリオの代表的バンドが「エマーソン・レイク&パーマー」なのだ。

 

3-5 最強のトリオバンドELP

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Emerson, Lake & Palmer」はその頭文字をとって通称ELPと呼ばれるプログレ5大バンドの1つである(僕は普段「エマーソン」と呼んでいるがそれだとよくわかんなくなっちゃうのでここではELPでいきます)。

前にこのブログでも紹介したELO(Electric Light Orchestra)と活動時期も被ってるし、ELOも初期はプログレと言える音楽性だしややこしいんだけど、日本にはELT(Every Litlle Thing)もいるし…今回はELP

すでに人気と知名度のあった「The Nice」のキースエマーソン、「キングクリムゾン」のグレッグレイク、「アトミックルースター」のカールパーマーの3人で70年に結成した5大プログレバンドに数えられるスーパーバンドである。

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ロックというジャンルにおいて、ギターというのはかなり重要な楽器であり、60年代後半にはエリッククラプトンやジミヘン、ジェフベック、ジミー・ペイジなどのギターヒーローが注目の的であった。それに異を唱える型で現れだすキーボードトリオだが(ジャズとかではピアノトリオはよくある)ELP以前にももちろん存在していて、エマーソンとパーマーが元々いたナイスもアトミックルースターもそうだし、1stの頃のソフトマシーンもキーボードトリオである。しかし後に(主にプログレ界隈で)大量発生するキーボードトリオバンドに1番影響を与えたのは間違いなくELP及びキースエマーソンだろう。

 
「鍵盤のジミヘン」キースエマーソン

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ギタリストのように派手な動きができず、ロックにおけるパフォーマンスに不向きだとされていたキーボーディストだが、キースエマーソンはハモンドオルガンを燃やしてみたり、鍵盤にナイフを突き刺してみたり、激しく揺すってみたり、倒してみたり、下敷きになってみたりするなど過激なパフォーマンスを行い、「オルガンのジミヘン」と形容されることもあった。キースエマーソンはロックキーボーディストのイメージを180度変えたのだ。

 

シンセサイザーモーグシンセサイザー)をステージで使用した第一人者も彼である。シンセサイザー自体は1960年くらいから存在しており、レコーディングでは69年にビートルズも「アビーロード」にて使用しているがシンセサイザーはライブで使えるものではないという認識であった。それをキースエマーソンがステージで使いまくったことでシンセサイザーを世界に知らしめることとなる。モーグシンセサイザーの製作者であるロバートモーグは「ロックという分野においてシンセサイザーをどう使うかという方法論を提示した最初の人物」とキースエマーソンを評している。偉大な男なのだ。

 

前にプログレにおいて重要な楽器だと言ったメロトロンだがエマーソンは嫌っている。ELPでもほんの少しメロトロンが登場することがあるが、その際はレイクが弾いている。

そんなキースエマーソンという男の特異性を踏まえてELPを見ていこうと思う。

 

ELP始動

69年末にキースエマーソンのナイスとグレッグレイクのキングクリムゾンが共演する機会があり、その時に2人は意気投合しバンド結成を目論む。70年頭に2人はそれぞれのバンドを離脱し、アトミックルースターからカールパーマーを引き抜きELP結成。結成発表と同時に「スーパーグループ誕生!」と話題になった。ちなみに結成の際にレイクがモーグシンセサイザーの使用をエマーソンに勧めたらしい。

70年末にデビューアルバムエマーソン・レイク&パーマーリリース。

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1stにてバルトークの「アレグロ・バルバロ」やヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、バッハの「フランス組曲第1番」のロックアレンジを試みている。クラシック曲をロックアレンジするこのスタイルはELPの特徴であるが、これはエマーソンのナイス時代からのスタイルである。

キーボードトリオというと大人しそうに思うがELPは超激しいバンドで、ゴリゴリに歪ませたエマーソンのオルガンとレイクのベースがギター不在の穴を埋めていくのだ。

B面1曲目「運命の3人の女神」はエマーソン作のピアノによる組曲。クラシックピアノとジャズピアノの両方を聞くことができる。オルガンとシンセサイザーのイメージが強いエマーソンであるが、本人曰く「一番ピアノに思い入れがある」らしい。1stではシンセサイザーはまだほんの味付け程度の使用であり、本格導入は2ndからとなる。

最後の曲「Lucky man」ではレイクがアコースティックギターを弾いて歌う曲があり、その際エマーソンとパーマーは打って変わって伴奏的な振る舞いをするが、この趣向の曲はたまにアルバムに1曲でてくるが、これもファンから人気である。レイクはギターの腕もピカイチで、彼の万能さもELPの特徴である。

セールスは全英4位、全米18位。キングクリムゾンよりアメリカで受け入れられるバンドをする、というのがグレッグレイクのELP結成の動機の1つであったので「クリムゾンキングの宮殿」の全米28位を上回り、当初の目的は達成された。

 

海賊版問題

1stをリリースして71年に入るとすぐに2ndアルバムの制作に入る。リハーサルとレコーディングをしながらも3月のライブでムソルグスキー作曲のピアノ組曲展覧会の絵」を大胆にアレンジしそれをライブ録音する。ライブアルバムとしてのリリースを考えていたが、2ndアルバムのレコーディングも進みそっちのリリースを優先し「展覧会の絵」は出せず終いといった状況だった。そんな中、ELPの人気に火がつき需要が高まるにつれて「展覧会の絵」を含むライブ音楽の海賊版が出回るようになってしまった。この海賊版問題にこの時代のバンドは中々苦しめられて、アルバムをリリースするまでライブで新曲をやらないなどの対処をしたバンドも少なくない。今は今で「違法ダウンロード」とか大変だけど、昔は昔で大変だったのだ。

結局71年10月に海賊版を回収し、11月に正式にライブアルバム「展覧会の絵」をリリースすることになる。

が、リリース的には先の71年5月リリースの名盤2nd「タルカス」から先に見ていこう。

 

アルマジロ戦車「タルカス」

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1stでバルトークやバッハ、ライブでムソルグスキーの「展覧会の絵」やチャイコフスキーなど、クラシック音楽のロックアレンジを繰り広げてきたELPだが2ndでは打って変わって全曲オリジナルになっている。

A面丸々20分にも及ぶ7楽章からなる組曲「タルカス」はジャケットに描かれているアルマジロに戦車が合体したみたいな想像上の怪物・タルカスが火山の中から現れ、地上のすべてを破壊し尽くし、海に帰っていくというストーリーになっている。意味不明。エマーソンのこの発想にはレイクも最初理解出来ず「ソロでやれば?」と言ったらしい。

しかし70年にはすでにピンクフロイドが「原子心母」をリリースしていたので[意味不明なジャケット][A面丸々使った組曲]という2つの点はもはや当時のファンにとってすんなり受け入れられる要素であった。逆に言えば原子心母の二番煎じであるのだが、ピンクフロイドが大々的にオーケストラを導入したのに対してELPは最小人数の3人だけでクラシック顔負けの大曲を表現した点は大いに評価できる点である。そんなタルカスを。

 

"Tarkus"

1.Eruption(噴火)

2.Stones of years

3.Iconoclast

4.Mass(ミサ聖祭)

5.Manticore

6.Battle field(戦場)

7. Aquatarkus

 

第1楽章の「噴火」は10/8拍子という変拍子を基本ビートに繰り広げられるタルカスの登場テーマである。10/8と8/8を見事に操る3人のプレイは緊張感に溢れている。パーマーの銅鑼(どら)も必聴。この「噴火」は日本のクラシック作曲家である吉松隆が2010年にオーケストラバージョンに編曲しており、なんと2012年の大河ドラマ平清盛』の劇中歌にて使用された。さらに2013年の「吉松隆 還暦コンサート」にはキースエマーソン本人が聴きに足を運んだそうだ。

 

第2楽章「Stones of years」はレイクによる歌が入ってくるパートだが「ソロでやれば?」と冷たく言った割にはめちゃくちゃいい仕事をしている。リハーサル重ねていって乗ってきたんだろうな。レイクの歌メロだが「クリムゾンキングの宮殿」に通ずるものがあって元キングクリムゾンという説得力を強く感じる。「talk to the wind」という歌詞も出て来て、クリムゾンの「I talk to the wind」をどうしても思わざるを得ない。オルガンソロが秀逸でオルガンのアタック音のみを出し、まるでマリンバのような音の響きで気持ちいい。タルカス誕生後の話なんだろうが、とにかくなんか静かに怒っている。作詞をしたレイクはインタビューによると、タルカスを軍産複合体(military-industrial complex)の象徴だと捉えたらしく何かしらの人類に対する批判、宗教批判、戦争批判などを含んだ内容となっていると思われる。

 

第3楽章「Iconoclast」。再び10/8拍子に戻ってくる。僕はこの10/8を何となくタルカスの移動中のビートという風に捉えていて、戦車のキャタピラでゴロゴロと進んでいってるような…で8/8で何かアクション起こして破壊してる、みたいな。めちゃくちゃチープなアニメーションが頭に浮かぶんだよなー、アルマジロ戦車が荒野を移動してるのを真横から撮ってみたり真上から撮ってみたりズームしてみたり引いてみたりしてるアニメみたいな。

イコノクラストとは偶像破壊(主義)者の意であり、タルカスが宗教を破壊し尽くすといった感じなんだろうか。

 

第4楽章「ミサ聖祭」

宗教批判ととれる歌入りパート。

「The weaver in the web that he made!」という歌詞が何度か登場する。直訳すると「自分が作った織物の中にいる織り手め!」みたいな感じだろうか。宗教含め、人類が作ったものの中に自らが閉じ込められている、みたいなニュアンスで僕は捉えてます。

軽快なリフから始まるパートで、レイクによるギターもここで登場。組曲であるので当然全楽章繋がっているんだけどほんとにぶっ通しで繋がっていくのがこの曲とELPの凄さで、だいたいイエスとかピンクフロイドなんかはどこかで「箸休め的」な鍵盤がファーーってなってるだけみたいな楽章と楽章の繋ぎ目の時間があるんだけどELPにはない。ずっと弾き倒してる。ま、しんどいっちゃしんどいけど決して誤魔化さない姿勢は好き。

 

第5楽章「Manticore」

なんかいきなりマンティコアという伝説上の生物が出現。次の楽章が「戦場」であるので恐らくタルカスとマンティコアが戦うんだろうけど。一応歌詞カードの中のページにイラストがあって。

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真ん中のやつがマンティコアだよね。恐らく左上から右に物語進んでて、火山の中の卵からタルカス登場→次の未来都市みたいなやつは不明→何かしら殲滅→鳥みたいなん登場→鳥殲滅→わけわからん爬虫類系のやつ登場→殲滅→マンティコア襲来→タイマン→タルカス海に帰る(完)

となっている。この楽章はマンティコア襲来の場面で、そう思うと緊迫感がある。

 

第6楽章「戦場」

レイク作曲パート。歌詞は戦争批判的なもの。オルガンの音色もこれまでと変わり教会的に。印象として歌メロやらドラムやらめちゃくちゃピンクフロイドっぽいパート。レイクによるギターソロもフロイドのデヴィッドギルモアを明らかに意識してるなぁって感じ。

最終楽章アクアタルカスで主題となる鍵盤のフレーズが何度か登場し、最終楽章へと移行していく。マンティコアとの戦いは勝ったのか負けたのかもよくわからない。

 

第7楽章「aqua tarkus」

モーグシンセが大活躍する最終楽章。海へと還っていくタルカス。最後に「噴火」が再登場しエンディングを迎える。

 

とまぁそんな20分なんだけど、普通にかっこいい!ってなる箇所が山ほどあるので是非一度!

 

B面は6曲の小曲が収録されているが、こちらも様々な音楽性が垣間見れて面白い、大袈裟なことしか出来ないバンドではないことを教えてくれる。B面ラストの「Are you ready eddy?」はロックンロールナンバーであるがこのエディはエンジニアのエディオフォードのことであり、エディオフォードはイエス全盛期のプロデューサーとしても有名。

 

2ndアルバムタルカスは全英1位を記録し、これがELP唯一の、1位獲得となった。

 

展覧会の絵

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タルカスが売れて人気が爆発したことで海賊版が出回ってしまった「展覧会の絵」だが、71年11月に正式にリリース。

ライブ盤でありムソルグスキーの「展覧会の絵」を大胆にアレンジしたものを主体にオリジナルの曲を混ぜ込んだものである。

展覧会の絵」は恐らく誰しもが聴いたことがあるだろうと思う。ターラーラータララータララーラーラーラーラーってやつね。テレビとかでも美術館とか絵画とか出てくるたびにBGMで使われてます。これを壮絶なアレンジで繰り広げるこのライブアルバムは必聴!

アンコールでチャイコフスキーの「くるみ割り人形」から「行進曲」(ちゃっちゃかちゃちゃっちゃっちゃっちゃっちゃーのやつね)をこれまたロック調にアレンジした「ナットロッカー」も収録されている。

イギリス3位、アメリカ10位、日本で2位を獲得。

 

全盛期

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(トリロジー、ジャケはヒプノシス)

僕はタルカスを紹介できて満足してしまったのでさらっといきます。

72年には3rdアルバム「トリロジー」を発表。トリロジーとは3部作の意であり、ジャケットの通り3人の「三位一体」も表している。売れたせいか少しスタジアムバンドの嫌な臭いが漂ってきてるのが気になるが、バンドがノリにノっているがよくわかる名盤。

大規模な世界ツアーを開始し、日本でも後楽園球場と甲子園球場で35000人もの前でライブをしている。ちなみにこの来日の際長嶋茂雄に「トリロジー」をプレゼントしたというエピソードがある。聴いたんかなぁ。

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(恐怖の頭脳革命)

73年にはELP主催のレーベルである「マンティコアレコード」を発足。タルカスとタイマンを張ったあのマンティコアが冠されたレーベル名となった。そのマンティコアレコードから4thアルバム「恐怖の頭脳革命」をリリース。ELPの最高傑作とよく言われる名盤である。が、音の響きが重く、ジャケットもあいまってメタル臭がするので僕は苦手。タルカスの頃のスリリングな演奏がやはり1番だと思う。

リリース後74年にツアーを行い、3枚組のライブアルバム「レディース・アンド・ジェントルメン」をリリース。トリオバンドといってもレコーディングでは多少音を重ねるので、ライブ音源こそがトリオの真骨頂といえるだろう。3人で表現するためにたくさんの工夫がされている(レイクがベースをギターに持ち替えるとエマーソンは左手でベースのフレーズをオルガンで弾く、など)のも聴きどころ。

74年のツアーが終わるとバンドは77年まで停止する。

 

この70〜74年までが第1期ELPと言えるもので僕は好きなんだけど、77年再スタート以降は例の如く聴いてないのよね…

 

なわけで少し繋がりのコーナーへ行って終わります。

 

エマーソン・レイク&パウエル

ELPは80年に正式に解散し、エマーソンとレイクはソロ活動、パーマーはイエスのスティーブハウ、キングクリムゾンのジョンウェットンと「エイジア」を結成した。

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86年にELP再結成の話が持ち上がるが、パーマーがエイジアで忙しかったために代わりに参加したのがジェフベックグループやレインボーなどで有名なコージー・パウエルである。パウエルもPであるので「エマーソン・レイク&パウエル」はELPの再結成として扱われた(パーマーは認めてない)。

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3(スリー)

エイジアを脱退したパーマーが帰ってきて今度こそ本当の再結成かと思われたが、今度はレイクが離脱し結局88年に元「GTR」のロバートベリーを加えて「3(スリー)」として始動。GTRはこれまたエイジアと同じくプログレの残骸が集まってできたバンドであり、ジェネシスのスティーハケットとイエスのスティーブハウの2人のギタリストをフィーチャーしたバンドである。GTRはGuiterの意味。だせー。

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さぁプログレ5大バンドの最後、ジェネシスがやっと登場。はぁ…

 

エマーソン、レイク死去

2016年にエマーソンが拳銃自殺。

同じく2016年にレイクは癌で他界。

エマーソンの年老いてからの自殺は本当にショッキングだった。ELPももうカールパーマーしかいないんだなー。

 

ELPは「タルカス」と「展覧会の絵」はロック好きなら必聴。あとライブ盤もね!

「トリロジー」と「恐怖の頭脳革命」はハードロックやメタルが好きなら…って感じかと。

 

3章

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全体

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3-4 ピンクフロイドの奇跡

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このジャケットも誰しも見たことがあるんじゃないかな。この三角のプリズムのジャケットは「狂気(Dark Side Of The Moon)」という73年にリリースしてからBillboard 200に15年間(741週連続)ランクインし続けた化け物アルバムであり、それを作ったのがPink Floydピンクフロイド)というバンドである。

 

ピンクフロイドも前々回紹介したYES、前回のキングクリムゾンと同じく「プログレ5大バンド」の一角であるのだけれど、「プログレ5大バンド」ってワードをここ数回で何度も使っておきながら言うのもなんだけど、この仕分けを作った人は罪深いなぁと思うんだ。

5大バンド!なんて言い方をされちゃうと何となくその5つのバンドの力関係は拮抗してるように思いませんか?

 

僕は好きなバンドを問われたら「ビートルズ!」と答えるか「ピンクフロイド!」と答えるくらいにはピンクフロイドが好きなんだけど、そしたら「へ〜プログレ好きなんだ、じゃぁイエスとかクリムゾンも?」と来るわけだ。大正解だ、ピンクフロイドプログレッシブロックの代表的なバンドだし、僕はイエスもクリムゾンも好きだ。だけども何か引っかかるなぁ…

プログレッシブロックというジャンルのブームは70年代前半の4〜5年と短命であったし、その特徴である曲の長さや難解なテーマによって今では一般的にはやっぱり少しマニアックな部類のジャンルである。そんなジャンルの5大バンドに括られてしまったことで、「ピンクフロイドってマニアックなプログレってジャンルの中での頂点だよね」って思われんじゃないかって心配で心配で夜も眠れないのだ。ピンクフロイドの偉大さがちゃんと伝わってないんじゃないかって。

「んなことお前に言われんでもわかっとるわ」

「ってか別にプログレマニアックじゃねーよ」

「あなた自身がぁそう思っているからぁそんな心配生まれるんじゃないですかぁ?」

老害乙。」

という様々な皆さんの罵声を無視して進めていきます。

 

世界で最も売れたアーティスト

 

数字の話なんて別にほんとはしたくはないんだけど…

世界中でのレコード、CDの売り上げ枚数(予測込みのおおよその)の1位はもちろん「ビートルズ」であり、5〜6億枚売れてるとされている。

次いで2位が「エルビスプレスリー」5億枚

3位「マイケルジャクソン」3〜3.5億枚

4位「マドンナ」2.75〜3億枚

5位「エルトンジョン」2.5〜3億枚

6位「レッドツェッペリン」2〜3億枚

7位「リアーナ」2.3〜2.5億枚

……おい、ちょっとまてよ!リアーナ?!すごいな。おれ、同い年くらいじゃないかな…最近ってCD売れんくなったってのが常識じゃないん?いきなり時代飛んだからびびったわ。

そして8位が2〜2.5億枚で「ピンクフロイド」である。ちょっとリアーナで霞んじゃったけど、ピンクフロイドがどれだけ偉大かおわかりになるだろうか。ローリングストーンズやイーグルスやマライアキャリーやホイットニーヒューストンよりも売れてんだぜピンクフロイド

 

えっと、何を言いたかったんだか…そう!だからピンクフロイド好きっていうのをマイノリティ扱いすんなって話!いや誰もしてないか。

 

3-4 ピンクフロイドの奇跡

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さて3章はプログレ。もちろん避けては通れないピンクフロイド。僕の最も好きなバンドの1つ(最も好きな〜の1つってゆー英語的言い方矛盾してて好き)である。

図で繋がってるのはブリティッシュフォークの父、プロデューサーであるジョーボイドが開いたロンドンのアングラの聖地「UFOクラブ」で黎明期を駆け抜け、ジョーボイドプロデュースの元、デビューシングルをリリースした。というところまで。

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3章は前回前々回とイエス、キングクリムゾンと見てきてプログレの特徴の1つでもあるメンバー入れ替えの多さに嫌気がさしていたが、ピンクフロイドは比較的メンバー入れ替えの少ないバンドである。

 

始まりは65年、建築大学の同級生だったロジャーウォーターズ、リチャードライト、ニックメイソンが「シグマ6」というバンドを結成したこと。そこにウォーターズの幼いころからの友人であるシドバレットとリードギターのボブクロースが参加してバレットが好きだったピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルという二人のアメリカのブルースミュージシャンの名前からバンド名を「ピンクフロイドサウンド」に。バンドはブルースの他にフーやストーンズのコピーを演奏していたがボブクロースが脱退し「ピンクフロイド」とバンド名を改めた。ボブクロースの代わりにシドバレットがリードギターを担当し、精力的に作曲を始め、シドバレットがバンドを先導していくこととなる。

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デビュー(サイケデリック期)

67年サイケデリック全盛の時代にUFOクラブというアンダーグラウンドシーンで精力的に活動する。この頃、同シーンにはプロコルハルム、ムーブ、トゥモローなどがいた。

ピンクフロイドはシドバレットのサイケデリックサウンド、リキッドライトという照明技法、長時間繰り広げられる即興演奏などで着実に人気と評価を獲得しUFOクラブのマネージャーであったジョーボイドプロデュースの元、1stシングル「アーノルド・レーン」でEMIからデビュー。全英20位とまずまずの結果だったが続く2ndシングル「シー・エミリー・プレイ」は全英6位のヒットを記録。

同年1stアルバム「夜明けの口笛吹き(The Piper at the Gates of Dawn)」をリリース。これがサイケデリックロックを代表する名盤となる。

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(夜明けの口笛吹き)

夜明けの口笛吹きはこの時期のライブの定番曲であった「天の支配(Astronomy Domine)」を筆頭に極上のサイケデリックポップで彩られている。このアルバムをレコーディングしている時に横のスタジオでビートルズが「サージェントペパーズ」をレコーディングしていたのは有名な話で、ポールマッカートニーがピンクフロイドのスタジオを覗きにきて「彼らにはノックアウトされた」と言ったとか言わないとか。

ライブでは20分近くにおよぶアドリブを披露していたというインスト曲「星空のドライブ」も収録されているが、ザ・フーのピートタウンゼント曰く「ライブでの本来の力を発揮できていない」らしく当時のライブがどれほどのものだったか想像できる。

シドによる絶妙なサイケセンスとポップセンスが光る1stだが、この時期は完全にシドバレットのワンマンバンドであり、顔もよく気さくで誰からも愛される存在であったシドはアイドルと呼べるほどの人気であった。しかしその反面通っていた芸術大学の教授と共に自らでドラッグの調合を試み研究するほどの麻薬中毒者であり、過度なLSD摂取により奇行が目立ち始めバンド活動に支障をきたし始める。

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(シドバレット)

68年にシドの役割の代役としてシドの友人であるデヴィッドギルモアが加入する。シドはライブに参加せず、曲作りに専念してもらう(ビーチボーイズにおけるブライアンウィルソンとブルースジョンストンの関係)つもりでのギルモアの加入であったが、シドの状態は想像以上に酷く、結局バンドから解雇されることとなる。

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シドは70年にピンクフロイドのメンバーとソフトマシーンのメンバーの助けを得て「帽子が笑う…不気味に」と「その名はバレット」という2枚のアシッドフォークの名盤となるアルバムを残すが70年半ばには隠居生活に入る。精神病に苦しみながら30年間静かに暮らしていたが2006年に糖尿病からの合併症で死去。60歳だった。

シドバレットについてはまた個別に書きます。スターズのこととか!

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(帽子は笑う不気味に)

 

 

シドバレットを失って「神秘」

さぁ完全なる中心人物を失ったピンクフロイドだが、ギルモアを迎えてバンドは続行。この時周りの人間は「シドなしでどうやって続けるんだよ」と笑ったらしい。それもそのはずでシドはほぼ全曲を作詞作曲していて人気と評価の要因はほぼシドによるものであったのだから。しかしここにピンクフロイドの奇跡がある。

ベーシストのロジャーウォーターズを筆頭にリチャードライト、ニックメイソン、そして新たに加入したデヴィッドギルモアの所謂「モブ」4人はここから2億5000万もの売り上げを誇る化け物バンドへと変貌を遂げるわけだ。誰もそうなるとは想像もしなかっただろう。後に彼らが打ち出していく深く重いテーマはシドの喪失に起因することが大きく、そういったことで伝説化していくシドバレットという男のことばかりを「シド信者」である僕なんかは追ってしまうのだが、それ以前にピンクフロイドはシドバレットに勝るとも劣らない才気を秘めたやつらの集団だったのだ。

 

その才気が爆発するのはもう少し先の話で。まずはシド脱退後から。

68年4月新体制になってからの4人はリチャードライト作曲のシングル「It would be so nice」をリリースし、それ以降79年の「Another Brick in the Wall」までイギリスではシングルのリリースをやめる。68年の段階ですでにアルバムトータルでの作品作りに照準を合わし始めていたのだ。6月に2ndアルバム「神秘(a saucerful of secrets)」をリリース。

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(神秘)

 

1stから繋がるサイケデリック色が残りつつもシドが得意とした直感的な即興演奏スタイルを捨て、建築学校出身の強みを生かした楽曲構成力に磨きをかけた(これよく言われるけど、果たして学校関係あるのか…)。ロジャーウォーターズ曰くピンクフロイドは常に「建築家のロジャーとニック、音楽家のデイヴとリック」という構図になっていたらしい。

3月に脱退したシドバレットだが3曲だけ関わっている。ウォーターズ作の「太陽讃歌」はバレットとギルモアのどちらもがレコーディングに参加しており、5人揃って音を出した唯一の曲で、ライト作の「追憶」、バレット作の「ジャグバンドブルース」はバレット在籍時のレコーディングである。

ウォーターズとライトの楽曲はシドバレットの影を追いつつも後々ピンクフロイドの代名詞となるアンビエントへと通ずる浮遊感と幻想的な雰囲気をすでに持っていて素晴らしいがやはりこのアルバムの目玉はタイトル曲である「神秘」だろう。プロデューサーのノーマン・スミスはレコーディングの終盤になり「レコーディングのご褒美に、アルバムの12分間だけ、自分たちの好きなようにプレイしてよい」と言い、出来たのが12分に及ぶインスト曲「神秘」である。クレジットは4人全員の名前が並べられているが実際の作曲者はデヴィッドギルモアで、ギルモアのアイデアを建築家チームの2人が組み立てた「戦争」がテーマの起承転結の4部構成の組曲である。

僕はこの「神秘」がサイケデリックと後のピンクフロイドの両方の要素を兼ね備えたアルバムとしてお気に入りで、「saucerful of secrets」saucerは受け皿の意であるので、「溜まり溜まった秘密が溢れ出して受け皿に溜まったもの」が即ち「神秘」なんだな、なんてわかったようなわからんようなことを思いながら聞いているのだ。

 

スペースロック、実験音楽

69年にはバルベ・シュローダー監督の映画『モア』サウンド・トラックを制作。サントラではあるが3rdアルバムと数えられるだろう。8日で仕上げたというアルバムだが2曲目の「The Nile Song」なんかはピンクフロイドらしからぬハードな曲で、まるでヴァニラファッジのようである。とはいえ持ち前の浮遊感漂うサウンドは散りばめられており、正直曲自体の力は弱くともスペースロックとも呼ばれるピンクフロイド特有のこの雰囲気さえあれば良し、と思わせられる。この雰囲気を作っているのがデヴィッドギルモアのギターとリチャードライトの鍵盤だろう。リチャードライトは同じプログレ界隈のELPのキースエマーソンやイエスのリックウェイクマンのようなバカテクキーボーディストではないが雰囲気作りがとにかく上手いんだよなぁ。

 

同年2枚組アルバム「ウマグマ」をリリース。

1枚目がライブ音源、2枚目が各メンバーのソロ作品という構成になっている。公式で当時のライブを体感できる貴重な音源であり、ソロ作品ではそれぞれ各メンバー1人のみが演奏しており、内容もかなり実験的なもので実験音楽といえるものである。

 

プログレ期:原子心母とおせっかい

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(原子心母)

1970年に「原子心母(Atom Heart Mother)」をリリース。全英初登場1位となる。タイトル曲「原子心母」はギルモアによるアイデアをバンドが形にしていき、前衛音楽家のロンギーシンによるオーケストラを大胆に取り入れたアレンジによって仕上げられた23分にもおよぶ壮大なスケールのインスト曲であり、この曲によって初めてピンクフロイドは「プログレッシブロックを牽引するバンド」となる。

B面にはウォーターズ作の「if」、ライト作の「サマー68」ギルモア作の「デブでよろよろの太陽」とそれぞれ素晴らしいメロディを持ったフロイドらしからぬ毒気のないあっさりとした曲が収録。これがよりA面「原子心母」の強烈さを引き立てる構成となっている。

 

この牛のジャケットは有名であるがヒプノシスによるものである。ヒプノシスピンクフロイドやレッドツェッペリンを始め数々のアルバムのジャケットを手がけたアートチームであるのだが、ヒプノシスの中心人物であるストーム・ソーガソンとシドバレットは高校の同級生であり、ロジャーウォーターズとも友人であった。

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そのことからヒプノシスは68年に「神秘」のジャケットを手がけ(アルバムジャケットとしての初仕事)、それ以降アルバムアート専門で仕事をしていくことになる。

そんなヒプノシスにとっての最大の転機がこの「原子心母」であり、一見意味不明なこの牛のジャケットのアルバムが売れたことにより自由に仕事がやれるようになった。誰も彼らのアートに口出しできなくなったわけだ。

 

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(おせっかい)

71年には「おせっかい(meddle)」をリリース。

前作原子心母ほどセールスは伸びなかったが、プログレッシブロックの代表格としての立ち位置を完全に決定付けた1枚であり、バンドにとって大きな一歩を踏み出した1枚である。というのも68年「神秘」は数曲シドが参加していたし、シド脱退後の69年「モア」はサントラ、「ウマグマ」はライブ音源とソロ曲の構成、70年「原子心母」はロンギーシンによるオーケストラアレンジ、といった感じなのでこの71年「おせっかい」が初めて本当の意味でバンドメンバー4人だけで完成させたオリジナルアルバムになるというわけだ。

そんな「おせっかい」は不気味なインスト曲「吹けよ風、呼べよ嵐(One of these days)」から幕を開ける。この曲は人気プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場テーマとしても有名。

ギルモア作の「A Pillow Of Winds」,ウォーターズ作「Fearless」と暖かみのある名曲が続くがこのアルバムで1番大事なのは「原子心母」と同じく23分にも及び、レコードのB面を丸々占めた大曲「エコーズ」である。バンドにとって「この曲で初めてクリエイティビティを獲得した」と自信を得ることになった1曲である。その反面その自信曲が本国イギリスであまりヒットしなかったことにウォーターズはショックを覚えた。

とはいえ「エコーズ」は「狂気」以前のフロイドの代表曲であり、後に発売されるベストアルバム『エコーズ』のタイトルにもなっている。

響き渡る鐘?の音、印象的なギターフレーズとギルモアとライトにより歌われる崇高なメロディは僕を太古の世界へと誘う。

 

僕はピンクフロイドを聴くと「太古」を思うのだが、神聖さを持つメロディや音色、雰囲気、色々な要因があるのだろうが恐らく1番の要因はイタリアの古代都市遺跡「ポンペイ」で行ったライブ映像のイメージが大きいのだろう。

ポンペイは西暦79年に火山の噴火によって地中に埋もれてしまい、18世紀になってやっと発掘された遺跡である。ピンクフロイドはそんな古代都市ポンペイにて観客0のライブを行った。ウッドストックフェスティバルなどの何万人もの人を動員するコンサートの真反対の方向のパフォーマンスを行った様子は「ライブ・アット・ポンペイ」として72年に公開された。

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この映像はDVD化もされてるし、youtubeにもあるので是非1度。古代都市に向かって叫ぶギルモアの姿は必見。

このライブで「神秘」や「太陽讃歌」などの曲と共に当時新曲であった「エコーズ」を演奏している。この映像により僕はこの時期のピンクフロイドに太古を感じるのだ。

 

ジャケットはもちろんヒプノシスで、耳の写真と波紋の写真を重ねて耳に広がるエコー(波紋)を表現したものである。

 

月の裏側の「狂気」

「おせっかい」ツアーを終えた71年末ごろになるとウォーターズは次作で人間の内面に潜む狂気を表現することを思いつきバンドは組曲を作り始める。72年、「狂気」の制作とツアーの合間を縫って69年にサントラを手がけた「モア」と同じバルベ・シュローダー監督作品「雲の影」のサントラを2週間で仕上げる。そんな多忙なスケジュールの中、半年間をかけてまさに「完璧」なコンプリートアルバム「狂気」を完成させる。

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73年3月「狂気(Dark side of the moon)」リリース。4月に全米1位を記録するとそこからBillboard 200に15年間(741週連続)にわたってランクインし続け、さらにカタログチャート(リリースから2年以上が経過したアルバムのチャート)では30年以上(1,630週以上)に渡ってランクインするというロングセラーのギネス記録を打ち立てた歴史的なアルバムである。日本でも2位を記録し、全世界で5000万枚以上売り上げている(まだ伸びるだろうな)。

 

テーマは人間の内面に潜む狂気であり、このアルバムからロジャーウォーターズが全曲を作詞することになる。狂気、というとかつてのリーダーであり狂人になってしまったシドバレットを思うし、シドについてのアルバムだと考察する人もいるが僕はもっと普遍的なものだと思っていて、人間ならば誰しもがどんな聖人でも心の奥底に持つ狂気を歌ったんだろう。

全10曲であるが全ての曲が繋がっており10部構成の1つの組曲である(A面とB面の切り替わりだけ音が途切れるがそのレコードをひっくり返す時間にすら意図があると言われている)。

10曲もの曲を繋ぐ上で大きな役割を果たしているのがSE(笑い声、会話、爆発音、振り子時計の音、飛行機のSEやレジスター、心臓の鼓動など)であり、サンプラーがない時代なので録音した音をひとつひとつテープに貼り付けるという原始的な手法で組み立てられた。これはエンジニアのアランパーソンズによるところが大きいが、ドラムのニックメイソンが得意とした技法でもある。

 

内容はニックメイソンによるテープコラージュ「Speak to me」から始まり、心臓の音、人の話し声、奇妙な笑い、ヘリコプターの音が重なっていき、最後に発狂したところで生命の誕生、「Breathe(生命の息吹)」へと入る。主人公の誕生から成長していく過程を悲観的に歌いあげると早送りとも巻き戻しともとれるようなシンセのフレーズとSEが4分ほど続く「On the run(走り回って)」。ほんの4分弱の時間だが永遠に感じるほど時が戻ったのか進んだのかどちらにせよ長き時間を超えた先に終わりを告げるのか始まりを告げるのか鐘の音が鳴り響き「Time」が始まる。時の流れの残酷さを歌い、そして一周して「Breathe (Reprise)」へと還ってくるのだ。すると次は世界の虚無を清々しく嘆く「虚空のスキャット」(スキャットしてるのはClare Torryという女性シンガー)。ここでA面完。凄まじいのよまじで細かい気遣いが半端ないなぁって聞くたびに思う。思想はウォーターズによるものだけど、やっぱりTimeでのギルモアのギターソロとか何か世界の真理みたいなもんが乗り憑ってるもん。

 

B面は「Money」から。いきなり場面は現代社会へと移りレジスターの音(ジーガシャン、チャリンチャリンみたいなレジの音、このSEを作るのに約1か月費やしたらしい)が繰り返され、それがリズムとなりバンドが入ってくる。基本はブルースだがアイデアに溢れた名曲。タイトル通り金がもたらす狂気を歌い、続く「Us and them」では「私たち」と「彼ら」、自己と他者との対比から戦争や争いというテーマへそこに絡む金。人間の汚さに触れた重いテーマからそれでも希望はあるのかとインストナンバー「 Any Colour You Like(望みの色を)」、そんなギリギリのところで生きている人間のすぐそばに狂気は身を潜めていると「Brain Damage(狂人は心に)」。ラスト「Eclipes(狂気日食)」では全ての物や事象の調和をとっている太陽が月によって侵食されていると歌い物語は終わる。エンディングにはGerry O'Driscollによる「There is no dark side of the moon really. Matter of fact it's all dark(本当は月の暗い側なんて存在しない。実のところ、すべてが闇そのものだから)」という台詞が入っている。

「マネー」はとにかくレジスターと7拍子のビートの絡みの面白さとベースリフのかっこよさ、そしてギルモアのかっこよすぎるギター、完璧。この曲をきっかけにアメリカでの人気が決定的になった。

「アスアンドゼム」はライト作の美しくもあり感情的でもある名曲。

「狂気日食」でのウォーターズの歌詞は文章ではなく単語を羅列するというスタイルをとっていて、後の作品でも何度かこの作法は出てくる。

 

このアルバムによって頂点を極め億万長者となったピンクフロイドはいくつかライブをこなした後、長期休暇に入りメンバーは各々好きなことをして過ごす。

74年にツアーのため活動を再開し、「Shine on you crasy diamond(クレイジーダイヤモンド)」を含む3曲の新曲も出来上がった。その3曲を軸に次のアルバムの制作に入ろうとしたが、そのツアーでの演奏の海賊盤が出回り15万枚ものセールスを記録してしまう。それによって新たな曲に差し替えることを余儀なくされ、75年に入り始まったレコーディングはメンバーの集中力が切れもあり困難を極めた。

結果的に大作である「クレイジーダイヤモンド」を1曲目と最後の2部に分けて新たに作った3曲を間に挟む構成となった。

75年9月、「狂気」から2年半ぶりとなるアルバム「Wish you were here(炎-あなたがここにいてほしい)」がリリースされた。

 

シドに捧げたアルバム

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このアルバムはシドバレットに捧げたアルバムとして有名である。

13分に及ぶ「クレイジーダイヤモンド パート1〜5」が1曲目、12分の「クレイジーダイヤモンド パート6〜10」がラスト5曲目で、間に「ようこそマシーンへ」「葉巻はいかが」タイトル曲の「Wish you were here(あなたがここにいてほしい)」の3曲を挟んだ構成である。

クレイジーダイヤモンドがシドバレットのことを歌っているのは明白でありサビの部分は特に顕著である。

「遠くで君を笑う声がしても、
君を知る者はいない、君は伝説で、苦しんでいる、それでも輝け!」

「君は自由だ、君は未来を見て、絵を描き、口笛を吹き、捕らわれた、それでも輝け!」

「君は子どもで、勝者でもあり負け犬でもある
君が掘り出すのは真実か、妄想か
それでも輝け」

シド在籍時の唯一のアルバム「夜明けの口笛吹き」から口笛を連想できるし、美術大学出身のシドは絵描きであった。クレイジーダイヤモンド、狂ったダイヤモンドであるシドに向けての悲しみと応援の入り混じった曲である。

この2部合わせて25分に及ぶ大曲の素晴らしい点はたくさんあるのだが、やはり1部冒頭にて何度も「ラ# ↑ファ ↓ソ  ↑ミ…」と響くギルモアによるギターであろう。開放弦を使った不思議な響きを持ったアルペジオを初めて弾いた時のことを「まるで誰かを呼んでるような響きに聞こえたんだ」とインタヴューで振り返っている。

3曲目の「葉巻はいかが」では古くからの友人であり隣のスタジオレコーディングをしていたロイハーパーがゲストボーカルとして参加している。ピンクフロイドの面々の歌は下手ではないしもちろん好きだがロイハーパーが歌ったこの曲なんかを聞くと、「あーやっぱ歌上手いなぁ」って思ってしまう。

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タイトル曲「あなたがここにいてほしい」はウォーターズが先に歌詞を書き、ギルモアが曲を付けた。こちらも今「ここにいない」誰かを悲しみ切望している曲である。イントロのアコスティック12弦ギターとアコスティックギターの

掛け合いが切なさを上手く表現している。

「僕たちはまるで金魚鉢をグルグル回る2つの魂だ」と二度と混じり合うことない悲しみを歌っている、それでもあなたがここにいてくれたらなぁと嘆くのだ。

しかしロジャーウォーターズはシドに捧げたアルバムであることを後に否定している。そこから着想を得たことは間違いないだろうが、もっと普遍的な誰にでもある別れをテーマとしたものだ、と。

ロジャーウォーターズ始めピンクフロイドのメンバーがシドバレットの喪失を歌ったアルバムではなく、1人の人間が別の1人の人間を失うということに関する悲しみを歌ったのである。

ギルモアは優しくて情に熱い男という印象だが、ロジャーウォーターズって正直「いけ好かない奴」って感じなんだけど、彼のこのアルバムについてのインタヴューで彼のことを好きになった。こんなことを言っているのだ。

「(大事な人の喪失について)現代社会ではそれがどんなに悲しくとも完全に心からかき消してしまうという事が唯一の対処法だ。私はそのことがとてつもなく悲しい事であると気づいた。」

失った悲しみよりも、その悲しみを乗り越えるためには忘れることでしか対処できないことが悲しいというのだ。ほんとそうだよロジャー。

 

これは有名な話だが、このアルバムのレコーディング中のスタジオに何の連絡もなしにシドバレットがいきなり訪ねてきたのだ。眉毛を剃り落とし、髪を丸めて、丸々と太った男を最初誰もシドだとは気づかなかったらしい。その男がシドであることを聞かされたメンバーやスタッフは悲しみをこらえ切れずスタジオのあちらこちらでみんなが涙を流していたらしい。一方のシドは何も理解できてない様子で「僕はどのパートのギターを弾けばいいんだい?」と聞いたという。

この辺の話は2003年のシドのドキュメント映画にて詳しく見ることができる。ギルモアはインタヴューでこの時のことを振り返りながらまた涙を浮かべていた。ピンクフロイドのメンバーにとってシドは仲間であると同時に憧れの存在であることがそのドキュメントを見るとわかる。「狂気」を作り上げた奴らが「シドは天才だシドは天才だ」ってずっと言ってるんだから。結局このスタジオでの会合以来2006年にシドが死ぬまでメンバーは誰もシドと会うことはなかったらしい。

アルバムは全英全米共に1位を記録し、全世界で2200万枚を売り上げた。

 

ロジャーウォーターズ独裁期

ちょっと熱くなりすぎて、もう11400文字も書いてる。まだあるんだけどな。さらっと行きます!そして繋がり全然出てこないなピンクフロイド。あ、繋がりでいえば「嵐が丘」(日本ではTV番組「恋のから騒ぎ」のオープニングテーマで有名)で有名なケイトブッシュを発掘したのはデヴィッドギルモアなんだよね。

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あとはシドバレットの母親が実家を貸し出してた時があってそこに下宿してたことがあるのが当時イギリス留学中の元総理大臣小泉純一郎ってくらいかな。

 

バンドの主導権は完全にウォーターズのものとなっていく。77年に人間を動物に例えた社会批判的なコンセプトアルバム「アニマルズ」をリリース。

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犬がビジネスマン、豚が資本家、羊が労働者に例えられている。上で書いた「Wish you were here」リリース前に海賊盤が流出してしまったために「Wish you were here」への収録を見送られた2曲が「ドッグ」「シープ」へと形を変えて収録されている。そこに「ピッグス(3種類のタイプ)」と「翼を持った豚(パート1)」「翼を持った豚(パート2)」を加えた5曲構成。

ウォーターズの独裁によってかピンクフロイド特有の浮遊感漂うサウンドがなくなり、ハードでタイトなサウンドになっている。イメージとして元々ウォーターズとメイスンのリズム隊はタイトなのよ、そこにギルモアとライトの浮遊系上物が乗っかって化学反応起こしてたのに、ここらからギルモアとライトの持ち味が排除されていくのよね、曲はいいのに勿体ない。とはいえ売れた。

この後のツアーの最終日カナダモントリオール公演にて前列の態度の悪い客にウォーターズが演奏中に唾を吐きかける事件が起こる。この自分の行動に対して強いショックを受けながらも「ステージの前に壁を隔てて自分の嫌悪感を表現しよう」というアイデアが湧いてくる。

これをもとに制作に入ったのが学校生活や社会の中での様々な「壁」をテーマとしたロックオペラ「The Wall」である。

 

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1979年リリース。1973年のアルバム『狂気』と同様に基本的にすべての楽曲が繋がっており、2枚組全曲を通してひとつのストーリーになっている。

物語はロックスターと思われる主人公“ピンク”という男の人生についてであり、その過程の中で感じる抑圧や疎外感を「壁」に例えながら進めていく。このピンクは基本的にロジャーウォーターズ自身がモデルであるだろうが、ロック・スターとして成功しながらもドラッグに溺れて精神が破綻していく姿などには、シド・バレットの姿も重ねられている。

このアルバムからのシングル「Another Brick In The Wall (part II)」も全英全米共に1位を獲得し大ヒットした(曲単体でいうとこの曲がフロイドの1番有名な曲なんじゃないかな?)。

「The Wall」は「狂気」以来のメガヒットとなり、ビルボードによると15週連続1位を記録。アメリカだけで2300万枚を売り上げ(2枚組アルバムは1セットで2枚売り上げの換算)、これは同じく2枚組で2000万枚の売り上げている『ザ・ビートルズ1967年〜1970年(通称青盤)』を上回るもので、ウォールは「世界で最も売れた2枚組アルバム」とされている。

 

ウォーターズの独裁は止まらず、メンバーとの溝は深まる。共同プロデューサーとしてボブエズリンを招き、セッションミュージシャンも多数参加した。このレコーディング中にウォーターズはついにリチャードライトを解雇している。

 

このアルバムのコンサートでは実際にステージと客席の間に壁を築くパフォーマンスが行われたがまだ公式に映像はリリースされていない。おれ待ってる!

 

83年にファイナルカットをリリース。もはやこれはロジャーウォーターズのソロ作品だと言われることが多い。

リチャードライトも脱退し、ギルモアとメイスンとももう活動できないと感じていたウォーターズはこれをピンクフロイド最後の作品にすると決め、リリース後脱退。そして一方的にピンクフロイドの解散を宣言する。この決裂は国際裁判にまで発展していくことになる(あーもーやだやだ)。

 

ギルモア期

ピンクフロイド」というバンド名の使用について残ったメンバーとウォーターズの間でのガチ裁判がなんとか終わりギルモア主導のピンクフロイドが始まる。解雇されていたリチャードライトは結局サポートミュージシャンという形で復帰し、87年に「鬱」をリリース。

他にもトニーレヴィン(キングクリムゾン)やカーマインアピス(ヴァニラファッジ)、ジムケルトナー(プラスティックオノバンドなど)が参加しておりギルモアの交友関係の豊富さが伺える。

ウォーターズはこのアルバムを酷評し、内容に否定的なメディアも少なくなかったが全英全米3位を記録しシングル「Learning to fly」もヒットした。

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(対)

94年には「対」をリリース。リチャードライトが正式に復帰したこのアルバムは世界で1000万枚を売り上げる結果となる。

ギルモアギター大好きなんだけど、やっぱりウォーターズとギルモアの感性が上手く噛み合ってた時がよかった。ギルモア期は得意の泣きのギターが泣きすぎててどうも。

 

2006年にシドバレット死去。

2008年にリチャードライト死去。

 

リチャードライト追悼の意を込めて93年「対」でのライトのセッション音源を元にしたほぼ全編インストゥルメンタルアンビエント作品「永遠」を2016年にリリース(近々ちゃんと聞きます)。これがピンクフロイドの最後の作品だとギルモアが明言している。

 

ちょっと後半急ぎ足だったけどこんな感じ。ピンクフロイド、熱くなりすぎて14000文字。こんなたくさん文書書いたことかつてない気がするわん。

ピンクフロイド、もしもあんまり聴いたことないならやっぱり「狂気」「Wish you were here」、もっと聞きたいなら「原子心母」「おせっかい」、サイケ期も気になるなら「夜明けの口笛吹き」「神秘」

「アニマルズ」「ウォール」は…まぁロックファンなら一応は聞いとくべきって感じですかね!

 

3章

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全体

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3-3 怪物キングクリムゾン襲来!

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キングクリムゾンを知らなくてもこの絵は誰しも1度は見たことがあるんじゃなかろうか。

この衝撃的なジャケットに負けないくらいの音楽的衝撃をロック界に与えた「クリムゾンキングの宮殿」で69年にデビューしたキングクリムゾンはのちに、誰が言ったか「5大プログレバンド」の一角に数えられることとなる。

 

前回は同じく5大プログレバンドのYESについて触れ、その凄まじいメンバーの流動を見ながら図を進めたが、キングクリムゾンもリーダーでありギタリストのロバートフリップという変わり者のせいか、数々のメンバーチェンジを繰り返したバンドである。

前回も少し触れたが、プログレッシブロックは70年代前半にピークを迎え、熱気とブームが去った70年代後半および80年代になるとプレグレバンドは「良質な(つもりの)ポップス」をやる傾向があって、若者達に「オールドウェーブ」と揶揄されながらもたくさんの元プログレバンドは商業的に成功を収めた。そんなわけで70年代後半以降の売れ線に走っていくプログレバンドには少し「がっかりした」というような気持ちがあるんだけれどクリムゾンだけはちょっと別で。

 

キングクリムゾンも74年にピークを迎え解散するのだが、81年に再結成した際にはプログレ期よりもさらに実験的音楽を追求し、それはある種ニューウェーブと呼べるものであった。90年代に入るとヌーヴォメタルと呼ばれるような音楽性へとなっていくわけで、今現在まで一切世間に媚びない姿勢を貫いている。アルバムチャートにおいてもプログレ5大バンドで唯一1位を獲得したアルバムが1枚もない。にもかかわらず世界的に超有名なバンドであり、その世間に目もくれず音楽追求を続ける姿は「カッコいい」と思わざるを得ない(といってもやっぱり81年の再結成後は大して聞いてない、すまん)。

 

3-3 怪物キングクリムゾン襲来!

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3章はプログレ。ムーディーブルース、YESときて今回はクリムゾン!すでに図に名前があるのはグレックレイク、ジョンウェットン、そしてYESを脱退して72年に加入するビルブラフォード。果たしてすでに混雑してる図をまとめられるのか心配だが、進めてみようと思う。

 

キングクリムゾンはデビューから50年が経ち、メンバーは目まぐるしく変わっていったが常にロバートフリップという男は在籍している。クリムゾンはロバートフリップという男のバンドといってもいいだろう。

 

ロバートフリップとジャイルズ兄弟(マイケルジャイルズ、ピータージャイルズ)の「Giles, Giles and Fripp」というバンドが原型であり、68年にデラムレコードから1枚アルバムをリリースしているがデラムレコードが68年に出したアルバムで最低の売り上げであったらしい。

そこにキーボード、メロトロンからサックスやフルート、クラリネットまでを演奏するマルチプレイヤーであるイアンマクドナルドとフェアポートコンベンションのボーカルであったジュディ・ダイブルが加入(1stのボーカル。2ndからがサンディデニー)。

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ジュディダイブルはほんの1カ月程で脱退したので、デモ音源すら残ってないようだ。

さらに作詞とライブ時の照明という役割でピート・シンフィールドが加入する。作詞家を正式にメンバーとして抱えた斬新なスタイルは初期キングクリムゾンにおいて重要な点である。

バンドはアルスチュアートのバックで演奏したりしながらホームレコーディングを繰り返したがジャイルズ兄弟の弟ピータージャイルズが脱退。代わりにフリップは昔からの友人であるグレッグレイクをベースボーカルとして迎え入れ、バンド名を改め、キングクリムゾンが誕生する。

 

「クリムゾンキングの宮殿」

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1.21st Century Schizoid Man including Mirrors(21世紀の精神異常者)
2.I Talk To The Wind(風に語りて)
3.Epitaph including March For No Reason and Tomorrow And Tomorrow(エピタフ)
4.Moonchild including The Dream and The Illusion(ムーンチャイルド)
5.The Court of the Crimson King including The Return Of The Fire Witch and The Dance Of The Puppets(クリムゾンキングの宮殿)

(いや曲名、インクルーディングしすぎ)

 

69年10月にリリースされたキングクリムゾンによるデビュー作「クリムゾンキングの宮殿」。

このアルバムは《ビートルズアビーロードをついに1位から転落させたアルバム!》ということで有名だが、それは都市伝説で実際には全英5位が最高である。しかしその都市伝説を信じてしまうほどのクオリティと衝撃をこのアルバムが持っていることは確かだ。

 

キングクリムゾンはロバートフリップのバンドだとは言ったがこの1stに関してはイアンマクドナルドが作曲面でも演奏面でもかなり主導権を握っていると思われる。

「21世紀の精神異常者」こそあまりにも有名なディストーションギターのリフや中盤の凄まじいインストゥルメンタルパートを持ったプログレッシブソングだが他の曲はマクドナルドによるメロトロンやフルートなどをフューチャーした浮遊感のある幻想的なサウンドに仕上がっている。

この頃のクリムゾンは「シンフォニックロック」というジャンルに分類されることが多い。シンフォニックロックはムーディーブルースなどによってすでに開拓されていたジャンルではあるがムーディーブルースとは比べものにならないほどの完成度の高さである。

グレッグレイクの歌声もシンフォニックロックを形造る大きな要因で、この後彼が結成する「エマーソン、レイク&パーマー」でもこのアルバムと共通するものを聞くことができる。

全体的に幻想的で神秘的な雰囲気を漂わせるが、ピートシンフィールドの歌詞が持つ世界観を見事に表現したサウンドである。

このアルバム最後の曲でありアルバムタイトル曲の「クリムゾンキングの宮殿」は壮大でまさに「宮殿」という表現にぴったりの曲だが、マクドナルドとシンフィールドによる共作で、まずこの曲が先にあってそこからキングクリムゾンというバンド名が決まった。

 

そんなマクドナルド主導で始まったクリムゾンだが、このアルバムリリース後、早々とマクドナルドとマイケルジャイルズが脱退する。2人は「McDonald and Giles」として71年に同名のアルバムをリリース。ピートシンフィールドとピータージャイルズも手伝っており、「クリムゾンキングの宮殿」の続きとも言えなくもない音楽性で商業的には今ひとつだったがめちゃくちゃいいので是非!(CD持ってたのに見当たらん悔しい!)

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いきなりのバンド崩壊

クリムゾンは新たなアルバム製作のためサックス奏者メルコリンズを加入させる。メルコリンズはサックスの他にフルート、メロトロンをプレイした。彼はセッションマンであり数々のミュージシャンやバンドに参加している。78年ローリングストーンズ「ミス・ユー」でのサックスソロなどが有名。

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さらに脱退しているジャイルズ兄弟をサポートメンバーとして2nd「ポセイドンのめざめ」のレコーディングをなんとかスタートさせるがレコーディング最中に今度はベースボーカルのグレッグレイクがELP結成のため脱退。

そんな状況で作られた「ポセイドンのめざめ」は全英4位を記録(これが結果的にキングクリムゾン史上1番売れたアルバムである)。まだグレッグレイクがボーカルであるためシンフォニックロックと呼べる。

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ちなみに原題は「In The Wake Of Poseidon」である。「wake」は「航跡」を意味し、実際は「ポセイドンの跡を追って」的な意味であるが当時の和訳者が同じスペルの「目覚め」と誤訳してしまい日本では「ポセイドンのめざめ」となってしまっている。

 

早くも作詞家ピートシンフィールドはいるものの演奏するオリジナルメンバーがロバートフリップと1人になってしまったクリムゾンは2nd「ポセイドンのめざめ」でボーカルとして一曲参加したゴードンハスケルをベースボーカルに、キースエマーソンの紹介で当時キースエマーソン邸宅に部屋を間借りしていたアンディマカロックをドラムに迎え3rd「リザード」をリリース。ジャズの要素を取り入れシンフォニックジャズロックなるものに。

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この頃YESはギターのピーターバンクスが脱退しておりギタリストを探していたジョンアンダーソンはロバートフリップにYES加入の話を持ちかけるが、フリップは「お前のほうこそキングクリムゾンに入れ」みたいな返しをしており、それがきっかけでこの「リザード」でジョンアンダーソンが1曲ゲストボーカルで参加している。

 

リザード」リリース後ライブツアーを考えていたが、ゴードンハスケルとアンディマカロックが続けざまに脱退。またもベース、ボーカル、ドラムを探すハメになる。オーディションにてボーカルにボズ・バレルを、ドラムにキースエマーソンの紹介でアンディマカロックと同じくキースエマーソン邸宅を間借りしていたイアン・ウォーレスを加入させ、ベース初心者であるボズバレルをスパルタ教育でベースボーカルにする形でメンバーを揃えた。

イアンウォーレスは「ウォーリアーズ」というバンド出身であり、ウォーリアーズにはYES結成前のジョンアンダーソンも在籍していた。

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1度目の解散

フリップ、コリンズ、バレル、ウォーレス、シンフィールドの5人で4th「アイランズ」の製作とツアーに入るがバンド内の仲は最悪。芸術的な詩を全く理解できないバレルとコリンズとウォーレスに対してシンフィールドが怒りをあらわにした「レディースオブザロード」が険悪さを物語っている。さらにバンドのブレーンであるフリップとシンフィールドの仲も最悪で、71年リリースの「アイランズ」完成後、フリップはシンフィールドを解雇。シンフィールド作詞による世界観を表現するキングクリムゾンはここで終わるのだ。

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僕はジャズって音楽はもちろんオシャレではあるが、それ以上に狂気的な側面を存分に含んだ音楽だって思うんだけど、そのジャズの狂気を強く感じる「アイランズ」。クリムゾンはこの後ピークを迎え、即興音楽期に入っていくんだけどもうすでにその片鱗が見え始めている。これまでのフリップは音楽を構築していく構造主義的なタイプといった感じだったが、この頃からすでに本能に身をまかせる即興音楽的考え方にシフトしかけている。

ボズバレルのボーカルは細く弱いが神秘的で、僕は好き。クリムゾン脱退後バレルはボーカルをやめてしまうのだがもったいない。

 

バンドはツアーに入るがその途中でフリップは解散を発表。残りのツアーを消化して、72年4月に解散。

 

解散後、シンフィールドはグレッグレイクの誘いからELPに作詞で参加したり活動を続け、

メルコリンズ、イアンウォーレス、ボズバレルは「スネイプ」というバンドを経た後、コリンズとウォーレスはスタジオミュージシャンの道へ(ウォーレスはディランやクラプトンなど名だたるミュージシャンのバンドでドラムを叩く)、バレルは元「フリー」のポールロジャース、サイモンカークと元「モットザフープル」のミック・ラフルスと共に「バッドカンパニー」を結成し、大きな成功を収める。ボーカルとしてクリムゾンに入って、初心者なのにベースやらされて、結果バッドカンパニーでベーシストとして成功することになるんだから面白いよね。

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この後バレル、コリンズ、ウォーレスのクリムゾン外でのプレイは山ほど聞けるんだけど、「あ、こういうとこクリムゾンっぽいな」と感じることはほぼ皆無である。そもそもブルースやファンクが好きな3人なので、クリムゾンが持つ狂気や芸術性を担っていたのはやはりフリップなのか。

 

インプロビゼーション期クリムゾン

72年春、北米ツアーが終了しクリムゾン解散後イギリスに帰国したフリップはすぐにクリムゾンの再結成に向けて動く。YESからビルブラフォードを引き抜き、「ファミリー」のベースボーカルでありフリップの大学時代の友人であるジョンウェットン、さらにパーカッショニストのジェイミー・ミューア、そして新鋭のバイオリニストのデヴィッド・クロスが集結し、同年10月から再始動。初期はシンフォニックロックバンドで、3rd,4thではジャズやクラシックの奇妙なエキスを取り入れたクリムゾンがこの再スタートで完全に即興音楽(インプロビゼーション)の超技巧派集団に生まれ変わり、バンドのピークを迎える。

73年3月に「太陽と戦慄」リリース。

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5thアルバム太陽と戦慄(Larks' Tongues in Aspic)。原題の直訳は「雲雀の舌のゼリー寄せ」。なんじゃそりゃ。

今でもファンから人気の高いタイトル曲「太陽と戦慄」は「動と静」で構成された凄まじい即興演奏が聴ける。この曲の動と静、そしてジャケットの太陽と月から「雲雀の舌のゼリー寄せ」を「太陽と戦慄」と訳した日本の翻訳者は本当にいい仕事をしたと思う。ビルブラフォードのドラムはYES時代はポリリズムを駆使し数学的で美しいものだったが、クリムゾンでの即興プレイは鬼気迫るものがある。ずっと子どもみたいに口を開けながら叩いてる姿がまたカッコいいのよ。

ちょい脱線。前からビルブラフォードの名前の発音に関してはブラッフォードであるとか、ブルッフォードであるとか色々言われてたが調べてみると本人公認で「ブルーフォード」が正解らしい。なんか嫌!ビルブラビルブラって呼んでたのに!

 

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74年には6th「暗黒の世界」をリリース。ライブ音源とスタジオ音源を組み合わせた珍しいものになっている(ライブでの即興演奏にスタジオで歌入れたり)。パーカッションのジェイミーニューアは仏教修行のため脱退している。

 

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同年74年ラストアルバムとなる「レッド」をリリース。バイオリンのデヴィッドクロスも脱退し3人となった。レコーディングにはかつてのメンバーであるイアンマクドナルドとメルコリンズもサックスで参加。

タイトル曲レッドはヘビーなギターリフが印象的なインスト曲で彼らの代表曲であるがクリムゾンらしくないっちゃらしくない名曲。「スターレス」はデビュー作「クリムゾンキングの宮殿」の頃のシンフォニックさを感じさせる美しい曲であるが、後半になるとサックスとギターの即興演奏パートが繰り広げられるクリムゾンの集大成とも言える曲である。このアルバムでフリップは解散を宣言し、キングクリムゾンは一旦終結する。

解散後ジョンウェットンはロキシーミュージック、ユーライアヒープと多ジャンルのバンドでベースを弾き、ビルブラフォードはナショナルヘルス、ゴングとカンタベリー系で叩いたりジェネシスのツアーメンバーとしてドラムを叩く。そして78年にウェットンとブラフォードは「U.K」を結成し、ついに彼らもオールドウェーブの仲間入りしてしまう(なんだろう、あー金ね、って思っちゃうんだよなー)。

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ディシプリン

7年後の81年にフリップはビルブラフォードと「ディシプリン」というバンドを結成するため動き出す。んだけど大人の事情で結局バンド名はキングクリムゾンになり再結成となるわけなんだけど、やっぱりやってることが全く別の音楽だし、エイドリアンブリューとトニーレヴィンというアメリカ人がメンバーにいることからもこの先はもはやキングクリムゾンとは呼べないので、また改めてディシプリンとして書きます。ってかちゃんと聞いときます。

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いやもうクリムゾン聞きながら書いてるとほんと疲れた。プログレに足を踏み入れたことを若干後悔してます。なんせ基本寿命長いし、メンバー変わりすぎだし、難解すぎて文字で書けるもんでもないし。

おすすめはやっぱり1st宮殿、太陽と戦慄、レッドくらいかな。僕はアイランズが意外と好きなんだけど。

 

3章図

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全体

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