ケンジロニウスの再生

関連図を元にロックサーフィンを繰り広げたい所存。

10-8 続・Space Oddity(第69話)

10-8 続・Space Oddity(第69話)

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さて前回から引き続き69年7月にリリースされたボウイ念願の初ヒットシングル〝Space Oddity〟を。

前回はYESのリック・ウェイクマンペンタングルのテリー・コックスなどこの曲に参加したメンバーについて、そしてボウイが自ら演奏した12弦とスタイロフォンについて書きました。

『10-7 Space Oddity〜通算10枚目にして念願の初ヒットシングル!〜(第68話)』

https://kenjironius.hatenablog.com/entry/2020/05/17/062311

今回は歌詞についてから!

 

アポロ11号人類初の月面着陸と英5位の大ヒット

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アポロ11号打ち上げの5日前、69年7月11日にリリースされTVの特集などで度々流されてイギリスで最高5位のヒットとなった、とあるが実際にはアポロ11号が7月24日に地球に帰還した後にやっとBBCで曲が流されるようになりスロースタートで5位まで登ったというのが正しいらしい。

というのも世間の宇宙への関心と〝Space Oddity〟のリリースタイミングは確かに合致していたものの〝Space Oddity〟という歌がアポロ11号に寄り添っていたかというと決してそんなことはない。

〝Space Oddity〟の歌詞は《Ground Control(地上管制塔)》《Major Tom(トム少佐)》との通信のやり取りで展開していく。

Ground Control to Major Tom,
Ground Control to Major Tom,
Take your protein pills and put your helmet on.

「管制塔からトム少佐へ。

プロテインを服用しヘルメットを装着せよ。」

Ground Control to Major Tom, 
Commencing countdown, engines on 
Check ignition and may God's love be with you. 

「管制塔からトム少佐へ。

カウントダウン開始、エンジン点火、点火確認、神の御加護を。」

これが冒頭の歌詞で、ロケット発射前の時点から物語は始まる。この歌のバックで「10...9...8...」とカウントダウンが始まり「...3...2...1...lift off!」でロケット発射を表す楽器の轟音が鳴り響きサビへと向かう(シビれるのよこれが)。この轟音パートは〝A Day in the Life〟を彷彿とさせるよね。

This is Ground Control to Major Tom
You've really made the grade
「管制塔からトム少佐へ。

やりました!発射成功です!」

サビでは発射成功を伝える声から始まる。その後記者がどんなシャツを着ているか知りたがってることを伝え、カプセルの切り離し開始を告げたところでやっとトム少佐の返信パートへ。

This is Major Tom to Ground Control
I'm stepping through the door
「トム少佐より管制塔へ。

ドアを出て外に出たところだ。」

と無事な様子で宇宙へ飛び立った感動を述べる。

こんなふうに管制塔とトム少佐のやりとりを元に展開していくが、

Ground Control to Major Tom

Your circuit's dead, there's something wrong
「管制塔からトム少佐へ。

回線異常です、何があったのですか?」

Can you hear me, Major Tom?
Can you hear me, Major Tom?
Can you hear me, Major Tom?

Can you hear…

「トム少佐、聞こえますか?トム少佐、聞こえますか?トム少佐、聞こえますか?トム少佐、聞こえ……」

と何らかのトラブルで通信が途絶え

And I'm floating around my tin can

Far above the Moon
Planet Earth is blue

And there's nothing I can do.

「いまわたしはブリキ缶のまわりを漂っている。

月のはるか真上だ。

地球は青い、

だけどできることはもう何もない。』

とトム少佐は宇宙で遭難、漂流。で終わる。

 

つまり簡単に言うとこの曲は「宇宙飛行士のトムが事故により宇宙で遭難する歌」であり、どちらかというと「文明の過度な発達へのアンチテーゼ」ともとれる内容だ。

なので世間の宇宙への関心とはマッチングしたものの、人類初の月面着陸と乗組員の安全を願うムードの中ボウイは何とも不吉な歌をリリースした反逆児とも言える。今の時代なら大炎上ものの案件となりかねないリリースだが、デビューから長らくヒットを出せないボウイの奇抜な試みだったのだろう。なのでこの曲はリリースから2週間後の7月24日に乗組員が無事帰還してから放送されることとなりスロースタートでイギリスチャート最高5位を記録した。

しかし不謹慎な事を言うが、もし仮にアポロ11号が事故に遭っていれば英5位どころではなくもっと爆発的に売れていたはず、たぶん。

アメリカでは124位に留まったが73年に再リリースした際にはビルボードチャートで15位を記録し、これがアメリカでの初ヒットとなった(実は〝Changes〟Starmanってアメリカではあんまり売れてないのね)。

 

トム少佐のその後

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ボウイは70年代に《ジギー・スターダスト》、《ハロウィーン・ジャック》、《シン・ホワイト・デューク》といったペルソナを次々と被りそのカメレオンっぷりを見せつけるわけだが〝Space Oddity〟で登場した宇宙飛行士《トム少佐》というキャラクターはこの後もボウイ作品に何度か登場する。

70年代はそのカメレオンっぷりに加えて実験的な《ベルリン3部作》をリリースしカルト・スターとしてロック界に君臨するわけだが、その一連の流れに終止符を打ったのが80年スケアリー・モンスターズであり、そこで過去と決別し次作83年「レッツ・ダンス」で健全なポップ・スターへと転身する。その決別作「スケアリー・モンスターズ」の中心となった〝Ashes to Ashes〟という曲でボウイは《トム少佐》を蘇らせたのだ。

〝Space Oddity〟で宇宙の遭難者となってしまった《トム少佐》のその後の話となる〝Ashes to Ashes〟、【灰は灰に】と名付けられた曲の冒頭がこうだ。

Do you remember a guy that's been
In such an early song
I've heard a rumour from Ground Control
Oh no, don't say it's true 

だいぶ昔の曲に出てきた男を覚えてるかい?
わたしは地球管制塔からの噂を聞いていた。
あぁどうか事実だと言わないでくれ。

《トム少佐》にまつわる噂を聞いた男の視点の話だ。その噂の内容がこう。

We know Major Tom's a junkie
Strung out in heaven's high
Hitting an all-time low

わたしたちはトム少佐が麻薬中毒だって知ってる。

天国ほど高い場所でラリりながら

常に低く打ちのめされている。

オーラスがこう。

My mama said, "To get things done
You'd better not mess with Major Tom." 

母は言った「終わったことなの、
トム少佐にかかわらないで。」

 

これは明らかに70年代のボウイ自身を《トム少佐》に見立てて歌われたものだろう。現にボウイは70年代半ばから麻薬中毒に苦しめられ、そのリハビリを兼ねて拠点をベルリンに移しブライアン・イーノと《ベルリン3部作》を作った。カルトスターという名声を得るために被り続けたいくつかのペルソナも当時のボウイにとっては精神を圧迫する重荷となっており、その全てを捨て去りたいという思いが〝Ashes to Ashes〟に表れているように感じ取れる。

「高いところにいながら常に低いところでぶつかっている」-いくら富と名声を得てもドラッグでハイになっても根本的なところが解決していない、というのがボウイが過去との決別を決めた大きな理由なのだろうが、その現状を11年ぶりに《トム少佐》を登場させ表現するあたりは流石のセルフプロデュース能力。宇宙へ飛び立ち月のはるか上で遭難した《トム少佐》と、〝Space Oddity〟のヒットを皮切りに〈高い位置〉へ昇り名声と苦悩の末にジャンキーになった自身をリンクさせ、《デヴィッド・ボウイ》の10年に及ぶ物語を完成させたと同時にそれを否定した。あっぱれ。

とはいえ《トム少佐》はこの後95年〝Hallo Spaceboy〟2015年〝★(Black Star)〟のMVにも登場することになるが、その辺はまた(そこまで書けるだろうか)。80年「スケアリー・モンスターズ」についても詳しくはまた(そこまで書けるだろうか)。

〝Ashes to Ashes〟という曲自体は「これがニューウェーブか!」と僕にニューウェーブ》の定義を植え付けた一曲である。かっこいい。しかし僕はニューウェーブ自体はほとんど通ってなくてこの曲と荒井由実〝中央フリーウェイ〟ニューウェーブだという認識。

 

〝Space Oddity〟ついに宇宙へ!

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僕は宇宙が好きだ(特別勉強したわけではないが)。壮大なスケールや未だ明らかにならない神秘性にもちろん惹かれるわけだが、1番はその現実感のない途方もない話の数々が《現実であること》を体感する瞬間が好きだ(体調によれば言いようのない恐怖に襲われる)。月や星を見て思うことはいつも「綺麗」とかではなく「あれがあそこにある!本当に!」だ。

地球が丸くて、1年かけて太陽の周りを周り、1日かけて自転することを知ってはいるが体感することは毎日を生きていてあまりない。太陽と同じほどの大きさに見える月が地球の衛星であり夜空に無数に輝く星々が太陽と同じ恒星であることを、知ってはいるが体感することはあまりない。そんな小学校で習うようなことを《現実のこととして体感する瞬間》がたまらなくて、世界の真理が顔を覗くような、そんな瞬間を求めながら宇宙に想いを寄せている。

しかし日々の生活で宇宙を体感することは難しく、やはり賢い専門家様の宇宙探査活動を通してその感覚を得ることが多い。1番簡単なのがUstreamISS国際宇宙ステーション)からの生配信をひたすらぼーっと見ながら酒を飲むこと(ほんまにオススメ、地球を約90分で一周してるから星が見える夜と青い地球が見える昼がばしばし繰り返すのよね。これも現実。)なんだけど、とりわけ興奮して鳥肌立ちまくったものの一つがカナダの宇宙飛行士のクリス・ハドフィールドが2013年5月にISS内で〝Space Oddity〟を歌った映像だった。もうちょうど7年前か。

これは宇宙で作られた初めてのMVであり歌とギターと映像をISSで、他は地上でレコーディングされたようだが、これが少し歌詞を変えてるが歌も上手くてアレンジも良くてISSの窓から地球見えたりで鳥肌もんなのよ。ボウイも大喜びで、許可を得て期間限定での配信だったと思うんだけど今探してみたら普通にあった!

https://youtu.be/KaOC9danxNo

 

僕にとっては音楽が1番現実に密接していて、それが宇宙で録音されたってんだから《宇宙を現実として体感する》のには1番の組み合わせなわけで。ボイジャーがゴールデンレコードを積んで今も尚宇宙を飛び続けてることとか、NASA50周年でビートルズ〝Across the Universeを乗せた電波を遥か宇宙めがけて送信したこととかにも胸躍るが、このクリス・ハドフィールドによるISSでの〝Space Oddity〟のMVは特に感動的だ。リアル《トム少佐》の誕生!!遭難はしなかったけどね。

 

B面〝フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年〟

最後にシングルB面曲〝Wild Eyed Boy from Freecloud(フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年)〟について軽く。

この曲も2ndアルバムにおいて重要な曲であるが、先行してリリースされたシングルバージョンではほぼボウイの弾き語りとポール・バックマスター(〝Space Oddity〟でストリングスアレンジ)による弓弾きのウッドベース(チェロ?)のみのアレンジに収まっている。アルバムバージョンでは派手なストリングスアレンジで〝Space Oddity〟同様ドラマチックなアレンジに仕上がっていているところを見るとこのシングルバージョンでは時間が足りなくて質素なままリリースしてしまったようにも取れるが、これが妙に中世吟遊詩人的で良い。

フリークラウドと呼ばれる山から来た少年を主人公にしたなかなか狂った物語だが《ジギー・スターダスト》に通じる世界観をすでに表現している(大袈裟なビブラートも)。主人公は長年ヒットが出なくて苦しむボウイ自身を重ねていると言われている。

 

以上!

参加したミュージシャンだけ図に繋いでおきます!素晴らしい面子。皆この後11月リリースの2ndアルバムにも参加しています。

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2話続けてボウイの念願のヒットシングル1969年7月11日リリースの〝Space Oddity〟に触れてみました。サポートした面子、ボウイによる12弦のストロークとスタイロフォン、アポロ11号と歌詞、トム少佐のその後、ISSで歌われた感動、B面について、そんな感じで。〝Space Oddity〟は個人的にも思い出深い曲なのでこの機会に再び向き合うことができて楽しかった!

では!

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10-7 Space Oddity〜通算10枚目にして念願の初ヒットシングル!〜(第68話)

ボウイ。前回は69年頭に撮影された(84年までお蔵入り)ボウイの自己紹介フィルム『Love You Till Tuesday』の話とフェザーズの話、そして69年春に恋人ヘルミオーネと別れてベックナムにて《アーツ・ラボ》に参加するところまで書きました。続きを。

 

King Beesで初めてシングルをリリースしレコードデビューしたのが64年、それから65年にマニッシュボーイズで1枚、66年にThe Lower 3rdで2枚、The Buzzを従えたソロ名義で2枚、67年デラムレコードに移り3枚のシングルと1枚のアルバム、64年〜67年7月までに計9枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしどれも鳴かず飛ばずだったボウイ。

67年,68年はチベット仏教に傾倒したり映画『The Image』に出演したり、リンゼイ・ケンプと出会い舞台に出演したりと音楽から離れていくかのように見えるが、68年末にフェザーズを結成。69年頭に自己紹介フィルム『Love You Till Tuesday』の撮影とレコーディングをし、春にはフェザーズのジョン・ハッチンソンと共にデモを録音、これをマーキュリーレコードへ持っていき契約成立、そして69年7月に2年ぶりとなるシングル〝Space Oddity〟をリリースしこれがボウイの音楽キャリア通算10枚目のシングルにして念願のヒット曲となるわけだ。

今回はこの会心のシングル〝Space Oddity〟について!

 

10-7 Space Oddity〜通算10枚目にして念願の初ヒットシングル!〜(第68話)

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68年公開のSF映画の金字塔2001年宇宙の旅からインスピレーションを受け作られ、69年世界中が注目したアポロ11号人類初の月面着陸に合わせてリリースされた〝Space Oddity〟!!

 
「Mercury Demos」と《ベックナム・テープ》

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The Buzzからのメンバーでフェザーズでもボウイの相棒だったジョン・ハッチンソンとの69年春のデモ録音をマネージャーのケネス・ピットがマーキュリーレコードに持ち込み契約が成立しこのシングルがリリースされるわけだが、この時のデモがThe Mercury Demos」として去年2019年にLPでリリースされたんだけどこれが前回最後に紹介した《ベックナムテープ》と同じなのか別なのかよくわからない。《ベックナムテープ》の音源は様々なタイトルで存在しているがその全てが非公式であり、その公式盤が去年「The Mercury Demos」としてリリースされた、と僕は解釈してるんだけど、曲目も同じだし。

何にせよこのデモには2ndアルバムDavid Bowie(Space Oddity)」に収録されることになる曲のアコースティックデモが多数収録されており、当時のボウイの音楽性はかなりフォーク寄りだったことがわかり、2ndアルバムは紛れもなくフォークロックアルバムであると証明する材料となっている。

もちろん〝Space Oddity〟も収録されており、一際異才を放つこの曲をアポロ11号人類初の月面着陸に合わせてシングルリリースする作戦が持ち上がったわけだ。

 

〝Space Oddity〟誕生!!

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2001年宇宙の旅

68年に公開されたスタンリー・キューブリックによるSF映画2001年宇宙の旅から着想を得てボウイは〝Space Oddity〟を生み出した。『2001年宇宙の旅』の原題は『2001: A Space Odyssey』であるがボウイは【Odyssey(放浪、旅)】【Oddity(奇人、変人)】に文字り、〝Space Oddity(宇宙奇人)〟とした。

最古の弾き語りデモは69年1月(たぶん)であり、前回書いたように2月に『Love You Till Tuesday』用にレコーディングとPV撮影、4月に「マーキュリーデモ」、《ベックナムテープ》でデモ録音、英フィリップス、米マーキュリーと契約成立し、7月にシングルリリース、11月にアルバムリリース。ボウイほどのスターになるとほんとにたくさんのバージョンが存在していて大変なんだけどシングルバージョンはアルバムバージョンを少しカットした編集音源でクレジットは同じよう。

『Love You Till Tuesday』に収録された初期バージョンを僕は前回割と褒めたと思うんだけど、やっぱり正式にリリースされたバージョンと比べると見劣りしてしまう。シングル〝Space Oddity〟のレコーディングは後にそれぞれ名を残すすんごい面子で行われた。69年6月にレコーディングを行ったその布陣を見て行こう。

 

70年代にエルトン・ジョンのプロデューサーとして有名になるガス・ダッジョンがプロデューサーさとなった。ボウイの67年デラム期2枚目のシングル〝The Laughing Gnomeでエンジニアとして奇妙なノーム(妖精)ボイスを作り上げた絡みもある。

『Love You Till Tuesday』の初期バージョンの時点で歌詞とコードワーク、曲の構成、スタイロフォンと12弦アコギはほぼ出来上がっておりボウイのアレンジ力とセルフプロデュース能力の高さに驚くが、ガスダッジョンはそこにさらなる装飾を施し宇宙の壮大さと奇妙さと孤独を表現することに成功した。素晴らしい。

 

同年11月の2ndDavid Bowie(Space Oddity)」、70年3rd「世界を売った男」《ベルリン三部作》など長きに渡ってボウイをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティだが、この〝Space Oddity〟に限ってプロデューサーをガスダッジョンに委任している。理由は僕の翻訳が正しければ「歌に圧倒されたため」とある。

フルート、木管楽器、としてこの曲にクレジットがあるがずっとどこで吹いてるのか不明だったんだけど公式にこの曲のマルチトラック音源が公開された(最高。)こともあってYouTubeにフルートを抜粋した音源を発見。冒頭から確認するとずっと無音でおかしいなぁと思ったらアウトロでむちゃくちゃ適当に吹いてるだけで笑ってしまった。なのでこの曲に関してはほぼノータッチと言っていい。

トニー・ヴィスコンティT-REXのほぼ全てのアルバムをプロデュースするなどグラムロックにおいてめちゃくちゃ重要なプロデューサー(ボウイのグラム全盛期は離れるんだけど)なのでまた後にどこかでまとめて触れます!

 

  • string arrangement:ポール・バックマスター

なわけでストリングスアレンジなんかもトニー・ヴィスコンティは担当せずポール・バックマスターがストリングスアレンジと指揮を担当。後述するがシングルB面の〝Wild Eyed Boy from Freecloud〟ではウッドベースを弓弾きで演奏した。

この後ストリングスやホルンのアレンジャーとして70年〝Your Song〟を含むエルトン・ジョンの楽曲やストーンズ71年スティッキー・フィンガーズの数曲、バッド・フィンガーのカバーで大ヒットしたハリー・二ルソンの71年〝Without You〟なんかも手がけた偉大な男。

 

後に鍵盤の魔術師と呼ばれロック界を代表するキーボーディストとなるリック・ウェイクマンがセッションミュージシャン時代にメロトロンで参加。《ベックナム・アーツ・ラボ》にも参加していたという話があるが詳細は不明。

リック・ウェイクマンはこの後、英フォークロックバンドストローブスに加入した後に71年にYesに加入しプログレ黄金期を駆け抜けるがセッションマンとしての活動は続け、ボウイ作品では〝Space Oddity〟を含む69年2nd、71年4thハンキー・ドリーにもピアノで参加(〝Life on Mars?〟の素晴らしきピアノ、ウェイクマンなのね)、72年5th「ジギー・スターダスト」でも〝It Ain't Easy〟でピアノを弾いている。

エルトン・ジョン71年4thでオルガン、T-REXの71年〝Get it On〟でピアノ、ルーリードの1st「ルーリード」でも鍵盤を弾いていて、ボウイ、エルトン・ジョンT-REX、ルーリード辺りは裏方の面子が被ってることが多いんだな。

 

  • Bass:ハービー・フラワーズ

英国で最も有名なセッションベーシストと言われる(wikiによると)男。

ボウイでは69年2nd「Space Oddity」74年8th「Diamond Dogs」に参加。他にもやはりエルトン・ジョンの初期作品やハリー・二ルソンのアルバムなどで活躍するがルーリード72年2nd「トランスフォーマー」収録の〝ワイルドサイドを歩け〟での印象的なベースプレイが1番有名だろう。末期T-REXには正式メンバーとして加入するなど、やはりこの界隈での活躍が目立つ。80年代にはジョージやリンゴのアルバムにも参加。

自らのバンドとしては69年にBlue Minkを結成し〝Melting Pot〟などのヒット曲を残した。

 

  • Guiter:ミック・ウェイン

元々はthe Tickleというサイケバンド(知らぬ)のギタリストだったミック・ウェインは68年にJunior's Eyesを結成。デビューシングルをトニー・ヴィスコンティがプロデュース、ピアノでリック・ウェイクマンが参加した繋がりからボウイの〝Space Oddity〟でミック・ウェインがギターを弾いた。ディレイを駆使した宇宙的なギターはこの曲かなり重要なパーツである。

Junior's Eyesはそのまま69年から70年頭までのボウイのバックバンドとなり、BBCラジオショーなどで演奏。ベースのジョン〝ホンク〟ロッジはトゥインクの70年「Think Pink」に参加。ドラムのジョン・ケンブリッジは元The Ratsでバンドメイトだったミック・ロンソンをボウイに紹介し、ケンブリッジ、ロンソン、ヴィスコンティThe HypeがJunior's Eyesからボウイのバックバンドを引き継ぐことになる。

Junior's Eyesは69年にアルバムを1枚リリースしてるがちゃんと聴けてないのよね…

 

  • Drums:テリー・コックス

冒頭、遠くから静かに聞こえる12弦にスネアの「スタタタン」で〝Space Oddity〟の世界観に誘われるがそれを叩いてるのがペンタングルのテリー・コックス。ペンタングルでのグロッケンを叩きつつドラムを叩くスタイルがクールで好きなドラマーの1人。

元々アレクシス・コーナーバンドの出身でペンタングルやシャーリー・コリンズ、チューダー・ロッジなどブリティッシュフォーク界隈での活躍が目立つが69年ボウイの2ndエルトン・ジョンの初期作品でも活躍。

〝Space Oddity〟ではちょっっとサビでの金物がうるさいけれども凄まじくかっこいいドラムを叩き散らしている。

 

以上、そりゃヒットするだろうって感じの申し分ない面子が集まったが、これだけのメンバーが集まるきっかけとなった「マーキュリーデモ」を共に作った相棒ジョン・ハッチンソンが消えているのが気になる。僕はボウイに冷たい非情なイメージはないんだけどね。

 

さてボウイ自らが担当したのが12弦アコギとスタイロフォンである。

 

12弦アコギのストローク

「ロックの革命というのはほとんどリズムの革命である」的なことをどこかで聞いたことがある。僕はこれについて考え始めてから「ロックにおけるほとんどの発明はビートルズがすでにやっている」という誰もが知る文句を一旦封印している。

〝Space Oddity〟及び2ndアルバムでボウイが多用している12弦ギターのストロークビートルズにはないものだ。学がないので説明の仕方があってるか難しいが、16分のストロークで2拍目と3拍目の間がシンコペーションしてるストロークである。「ジャ〜ジャ/ジャ〜ジャジャ/〜ジャジャ〜/ 〜ジャジャジャ」である(わかりにくい)。これって今ではめちゃくちゃ普通なんだけど実は60年代にないストロークだと思うんだな(いや、よく考えれば山ほど出てくるかもしらんけど)。

ボウイが発明したとは言わないけど、どこから来たリズムなんだろうか、こーゆーのん辿ってみるのも面白いかも…

なわけで〝Space Oddity〟及び2nd「David Bowie(Space Oddity)」って60年代ロックな感がなくて、サイケとも言い難くフォークロックとも言い難くオルタナティブな空気感を持ってるのよねん。

 

スタイロフォン

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やはりスタイロフォンの使用は特殊な効果を生んでるだろう。

スタイロフォンは金属製のキーボード部分をスタイラス(タッチペンのようなもの)で触れると内臓スピーカーから音が鳴る当時イギリスで登場したばかりの小型電子楽器で、ボウイがこの曲で使用した他クラフト・ワークが使用したことでも知られる。

元々は子供用の玩具として設計されたものであり操作が簡単で非常にローファイなオルガンのような音(ファミコンみたいな)が特徴的だが、これを〝Space Oddity〟でボウイが効果的に使用した。ローファイな電子音が交信の不具合を表現してるかのよう。

これもマルチトラック音源公開によってスタイロフォンのみの音源を聴くことができる。なかなか面白いので興味ある方は是非。

 

続く!

ちょいと予想以上に長くなりそうなので2回に分けます!次回は歌詞についてとシングルB面〝Wild Eyed Boy from Freecloud〟にも触れれたら!

図は次回まとめて進めます!では!

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(シングル〝space oddity〟直前までの全体図)

 

1-6 The Lovin'Spoonful〜グッド・タイム・ミュージック(第67話)

なんとなしにジョン・セバスチャンの70年ソロ1st「John B. Sebastian」を聴いてて。

正直ジョン・セバスチャン及びLovin'Spoonfulって何か掴みどころがないというか、《都会的》と言われる割に土臭かったり、《東のByrds》と呼ばれる割にはフォークロックフォークロックしてないし、ただグッド・タイム・ミュージック》と称されるように〝古き良きアメリカ〟な曲を書くのは確かで、長年ずっとそんな印象で。

加えて「アメリカンロックはウエストコースト!」と頭の硬い僕はあんまり深くは歩み寄れず2枚ほどCDを持っているが好んで聞くわけでもなかったんだけど、ジョン・セバスチャンラヴィン・スプーンフルを抜けて西海岸に移ってCS&Nらのサポートの元作ったソロアルバム「John B. Sebastian」を聴いてから最近ここにきてラヴィン・スプーンフルに軽くハマって(その「John B. Sebastian」には大してハマってないんだけどね)。なわけでラヴィンスプーンフルを!

 

1-6 The Lovin'Spoonful〜グッド・タイム・ミュージック(第67話)

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まず図を繋いでおこう。ラヴィン・スプーンフルはニューヨークのバンドであるので《1章CSN&Y関連》で囲うのはなかなか無理矢理ではあるんだけどそこから。

ジョン・セバスチャンは68年にラヴィン・スプーンフルを抜けて西海岸へ移り、そこでCS&Yのサポートを受けて1stソロアルバム「John B. Sebastian」をレコーディングするわけだが、知らなかったんだけど逆にジョン・セバスチャンはCS&Nの結成秘話に関わってるようで。

僕がこのブログをスタートさせた1章で書いたCS&N結成秘話では単に「ジョニ・ミッチェル宅でクロスビーとスティルスとナッシュが顔を合わせた」という風に書いたと思うんだけど、その場にはジョニ・ミッチェルの他にジョン・セバスチャンとキャス・エリオットもいたらしく、さらには場所はジョン・セバスチャン宅だって話もあって。場所がどちらかわからないが、クロスビーとスティルスがナッシュ、ジョニ、キャス、ジョンセバの前でセッションを始めてそこにクロスビーが即興で加わったのが結成秘話であるらしい。

CS&Nを結成した3人は更なるメンバーとしてジョン・セバスチャンを加えようとした、という話もあるようだがそれは叶わず結局ニール・ヤングを加えCSN&Yになったようだ。

もしジョンセバが加入したとなると、バーズのクロスビー、バッファロー・スプリング・フィールドのスティルスホリーズのナッシュに加えてラヴィン・スプーンフルのジョンセバの4人になるわけだからこりゃまたスーパーもスーパーなグループになってたわけだ。それは叶わなかったものの互いの交流は継続され68年ジョンセバの1stにクロスビーとスティルスとナッシュが参加、CS&Nでドラムを叩いたダラス・テイラーはジョンセバが紹介、CSN&Yの70年「デジャヴ」の〝デジャヴ〟でジョンセバがハーモニカで参加している。CS&Nにはキャス・エリオットがバッキングコーラスで参加してるし、ジョニミッチェルとCSN&Yの関わりは以前書いた通りで、CS&N結成時に立ち会った面々はその後も密接な交流を持つこととなる。

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こんなところから遡る形でジョン・セバスチャンラヴィン・スプーンフルの話を少し。

 

ラヴィン・スプーンフルとママス&パパスを産んだマグワンプス

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(マグワンプス)

ラヴィン・スプーンフルの話をするならやっぱりマグワンプスママス&パパスについて触れなければならないだろう。

マグワンプスはニューヨークにて64年に活動し、1枚のアルバムを残したフォークロックグループでありそのメンバーに後にカリフォルニアでママス&パパスを結成するキャス・エリオットデニー・ドハーティと後にラヴィン・スプーンフルを結成するジョン・セバスチャンザル・ヤノフスキーが在籍していたことで知られる。もう1人のメンバーであるジム・ヘンドリックス(ジミヘンじゃない)はキャス・エリオットの夫でありマグワンプス解散後はカリフォルニアでフォークロックバンドThe Lamp of Childhoodを結成した(こりゃしらん)。ジム・ヘンドリックスとキャス・エリオットはマグワンプス以前の62〜63年にThe Big 3というフォークグループで活動していた(これも聴いてない)。

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ママス&パパスとラヴィン・スプーンフルという東西の名グループを産んだ点でマグワンプスは非常に重要なグループである。64年にレコーディングされたアルバムは解散後の67年にリリースされたが、これにはジョンセバは不在でジョンセバ以外の4人の写真が上のジャケット写真というわけだ。それにしてもキャス・エリオットのデカさはすごいな。

ちなみにThe Big 3での写真も強烈!

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マグワンプスは豊かなコーラスを響かせるフォークグループであるが、同じ64年ニューヨークのフォークコーラスグループであるカート・ベッチャー率いるゴールドブライアーズと比べるとパッとしない印象。ママス&パパスがゴールドブライアーズに影響受けたって話だから、まぁ当然と言えば当然か。

マグワンプス分裂後65年にママス&パパスもラヴィン・スプーンフルも始動。

 
西のバーズと東のラヴィン・スプーンフル

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64年に結成されたバーズより少し遅れをとるものの、《ブリティッシュ・インヴェイジョン》の影響下で始まった黎明期アメリカンロックバンドとして西のバーズと肩を並べる東のラヴィン・スプーンフル

バーズとの比較やフォークグループ出身であることからラヴィン・スプーンフル《フォークロックバンド》と紹介されるが、どことなく洒落た雰囲気は《都会的》とよく言われ〝古き良きアメリカを思わせる〟心地よいサウンドグッド・タイム・ミュージック》と称される。

都会的だとかグッドタイムミュージックだとか言われるがその内容はフォークよりもブルースやジャズの影響が強く、特にブルース色の強い曲では都会的というよりも土臭くて、結局どっちなんだかと掴みどころがないというのが長年の印象であった。

結論から言うとラヴィン・スプーンフルの音楽の根底には《ジャグバンド》がある。60年代のフォークリバイバルの中、1920年代のジャグバンドを蘇らせようとしたイーブン・ダズン・ジャグ・バンドというジャグバンドがいて、ジョン・セバスチャンはマグワンプス加入前にそのジャグバンドに参加していた。そのバンドでジョンセバはジャグバンドの演奏方法や彼らが演奏した戦前のブルースやジャズやカントリーを学術的に研究し、それらを60年代半ばにブリティッシュインヴェイジョンと混ぜ合わせたのがラヴィン・スプーンフルである(大まかに)。あくまでロックバンドというスタイルをとりながら当時のトレンドとは外れた音楽性を持っていたことが妙に都会的でありつつ〝古き良きアメリカ〟を思わせる《グッドタイムミュージック》としてアメリカのみならずイギリスでも人気を得たわけだ。

ジャグバンドのリバイバルと言える《スキッフル》が50年代にイギリスで流行し、その影響下に生まれたブリティッシュインヴェイジョン勢、特にビートルズキンクスに近い匂いを持つが、スキッフルをすっ飛ばした20年代ジャグバンドからの影響を直で表現したラヴィン・スプーンフルビートルズキンクスともやはり一味違う。

とはいえビートルズらブリティッシュインヴェイジョン勢やビーチボーイズ、フィルスペクターや当時のポップス、フォークリバイバルの影響もしっかり受けており、それらはシングル曲で特に感じることができる。

そんなわけで20年代リバイバルなジャグバンドのブルースやジャズとシングル曲とではかなり音楽性に違いが見られるのが掴みどころのない原因だとは思うんだけど、その影響が上手く混ざり合った曲は〝都会的〟に化け、中には《ソフトロック》と呼べそうな曲もある。

アメリカンロックはフラワームーヴメントが終わりサイケデリックが滅びた70年付近になるとルーツミュージック回帰の方向へ向かっていく。その時期に出現した代表的な《ルーツロックバンド》といえばザ・バンドCCRなんかがいるが、ラヴィン・スプーンフルは早すぎた《ルーツロック》と言えるだろう。

フォークロック、サイケデリックロック、カントリーロックと常に先駆者であり続けたバーズと20年代リバイバルに魂を燃やしたラヴィン・スプーンフルを《東西2大フォークロックバンド》と括ってしまったことがラヴィン・スプーンフルを理解するのにしばらく時間がかかった理由なんだろう。ま、当時同じくらいの人気とヒットを飛ばしてたからそう張り合わされたんだろうけど。

 

さて、ラヴィン・スプーンフルは〝古き良きアメリカ〟を思い出させる音楽性でヒットしたわけだが、決して〝古き良きアメリカ音楽〟を蘇らせただけでヒットしたわけではない。やはりジョンセバの作曲センスとバンドの演奏技術あってこその成功である。僕もまだ全てのアルバムを聴いたわけではないんだけど、彼らの残した名盤をさらさらっと。

 

Do You Believe in Magic

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先にデビューシングルとしてリリースされ全米9位のヒットを飛ばした〝Do You Believe in Magic〟を含む65年1stアルバム。約半数がトラディショナルのブルースやジャズ、カバーがロネッツ〝You Baby〟フレッドニール、残りがオリジナルという構成。まさにラヴィンスプーンフルを表すアルバムで、真骨頂ジャグバンドリバイバルな面とフォークロックなオリジナルが同居する。

フィルスペクター作のロネッツ〝You Baby〟が収録されていて、ジョンセバはフィルスペクターを好んでいたことがわかる。フィルスペクターらの60'sアメリカンポップスの根っこにはもちろんジョンセバが愛するトラディショナルジャズが存在しているので自然なことで、フィルスペクターのポップスがビーチボーイズへ受け継がれソフトロックへと行き着いたようにジョンセバのポップスはソフトロックへの道筋が見える。ラヴィン・スプーンフルが在籍したカーマ・ストラというレーベルにはイノセンストレード・ウィンドがいてニューヨークのソフトロックの流れの根本にはもしかしてラヴィンスプーンフルがいるのかも、とか思ったり。現に〝Do You Believe in Magic〟はサンシャイン・ポップと呼べる名曲だしね。

フィルスペクターは65年にニューヨークのクラブでデビュー前のラヴィンスプーンフルに出会いバーズとは違う視点からのフォークロックに感動し、熱烈なアプローチを送ったがジョンセバは「ウォール・オブ・サウンドに呑まれてしまうのが怖い」と断った、という話がある。ジョンセバはあくまで我が道を行きこの1stアルバムを作り上げたが好きな曲であるフィルスペクターの〝You Baby〟はちゃんと収録してるのよね。フォークロックに熱を持たされるだけ持たされて振られたフィルスペクターは代わりにモダン・フォーク・カルテットを手に入れるわけだが、このモダン・フォーク・カルテットのジェリー・イエスターが67年にラヴィンスプーンフルに加入するんだから面白い。

ちょっと話逸れついでにラヴィンスプーンフルのベースのティーブ・ブーンとジョンセバはボブ・ディランの65年「Bringing It All Back home」のレコーディングに参加してるのよね。バーズの「ミスター・タンブリンマン」と共にフォークロックの目覚めと言える「Bringing It All Back home」に。スティーブ・ブーンもジョンセバもベースで参加したようで、ジョンセバのプレイはセッション留まりで音源には残ってないようなんだけどね。

えーと、そんなフィルスペクターを振ってディランとも関わった年にリリースされた1st。このアルバムからシングルとしてリリースされた〝Did You Ever Have to Make Up Your Mind?〟は可愛いオルガンの音が心地よい《グッドタイムミュージック》で全米2位を記録しラヴィンスプーンフルは一気に大人気バンドに。

 

Daydream

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66年2ndアルバムはほぼ全曲オリジナルとなった。1stよりもソフトロックやフォークロック的な曲が多くなったが、オリジナルのブルースソングや〝ジャグバンドミュージック〟といういかにもな曲もあり1st同様2面性を持ったアルバム。

1stでもこの2ndでもブルース曲でみせるジョンセバのハーモニカは聞き応えがある。実際彼のハーモニカの腕はかなりのものらしく、CSN&Yの〝デジャヴ〟に参加したのもハーモニカ奏者としてだ。

とにかく1曲目タイトル曲〝Daydream〟は超がつく名曲。ポールはこの曲を聴いてリボルバー〝Good day sunshine 〟を書いたことをインタビューで述べている。ポールいわく〝Daydream〟は《ほとんどトラッドジャズ》でありお気に入りであるよう。

イギリスでいう《トラッドジャズ》とは正に50年代に流行しビートルズらロック誕生に大きく影響を与えた《スキッフル》のことを指すらしい。ふむふむ。ポールの〝Good day sunshine 〟〝When I'm sixty four〟辺りのジャズ風味のポップスはそうゆうところから来てんだな。

フォークロックな〝It's Not Time Now〟やサンシャインポップな〝You Didn't Have to Be So Nice〟などキャッチーな曲が多く聴きやすい。演奏上手い。ザル・ヤノフスキーのギターは地味だけど素晴らしい。ストリングスなどを使わずにほぼギターベースドラムのみでこのポップ感を出せてるのがすごい。

アルバムは米10位のヒットとなった。

 

Hums of the Lovin' Spoonful

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同66年末にリリースされた3rdアルバム。僕が持ってるのがこれで、これを聴いて統一感がなく掴みどころがないと思ってしまった。しかし調べてみるとそれもそのはずでこのアルバムのテーマは「様々なスタイルで演奏しよう!」ってことらしく曲に統一感がないのは当然ってわけだ。

それでもこのアルバムがラヴィンスプーンフルの代表作として紹介されるのは彼らの最大のヒット曲〝Summer in the City〟が収録されていることが大きいだろう。ラヴィンスプーンフルには珍しく激しめでアップテンポな曲だが、とにかくサビの節回しが非常に都会的で現代風でエドシーランみたい(適当)。どこからきた発想なのか、ジョンセバ恐るべし。

〝Summer in the City〟に加えて童謡的フォークな〝Rain on the Roof〟〝Nashville Cats〟〝Full Measure〟とヒットシングル曲が4曲収録されているが、僕が1番お気に入りなのはジャジー〝Coconut Grove〟バッファロースプリングフィールド〝Everydays〟とか、こういう雰囲気のジャズナンバーが結構好き。しかしこの〝Coconut Grove〟誰かカバーしてたな、女ボーカルの…と探してたらAffinityだった。アフィニティ!キーフ傘ジャケットの、ヴァーティゴの、オルガンジャズロックの!忘れてた。このAffinityでのオルガンジャズロックなアレンジバージョンも素敵。

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(affinity)

バーズもそうだけどラヴィンスプーンフルもイギリスロックに影響を大きく与えたバンドなんだな。

 

Everything Playing

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67年末リリースの4枚目のオリジナルアルバム。

ザル・ヤノフスキーがマリファナ所持で逮捕され脱退となり、モダン・フォーク・カルテットのジェリー・イエスターがギタリストとして加入。

ラヴィン・スプーンフルはもちろんブリティッシュインヴェイジョンがもたらしたバンドブームの中で出てきたグループではあるが、その〝古き良きアメリカ〟《グッド・タイム・ミュージック》なイメージから他のロックバンドからは少し浮いた存在であったよう。つまり当時のロックバンドほとんが持っていた〝ドラッグ〟のイメージはラヴィンスプーンフルにはなく清潔な印象であったようで、そういうスタンスが〝都会的〟な雰囲気を作り出したのかもしれない。とにかくザル・ヤノフスキーの逮捕はラヴィン・スプーンフルにとって大痛手で、ここからセールスが目に見えて落ち込むことになりこのアルバムを最後にジョンセバまで脱退してしまいバンドは崩壊へ向かってしまう。

なわけで事実上のラストアルバムとなる本作だが、今までのラヴィンスプーンフルサウンドの要であったザル・ヤノフスキーが抜けたからなのか時代の流れなのかストリングスなどが目立つアレンジに変わっており、元々その要素はあったが完全に《ソフトロック》と呼べるアルバムとなった。ジョンセバのポップセンスが堪能できて普通に良い。

〝Daydream〟を彷彿とさせる〝Money〟では同名のピンクフロイド〝Money〟よりも5年ほど早くレジスターの音によるパーカッションを導入。この曲をヒントにフロイドが〝Money〟を作ったかどうかまでは不明だが、驚いた。

 

ザル・ヤノフスキーは脱退後故郷カナダへ帰りソロアルバムを作ったようだがそれは未聴。聞いてみる。

 

Revelation: Revolution '69

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ジョンセバは前作で脱退しカリフォルニアへ。

69年に残されたメンバーでラストアルバムをリリース。ジョンセバの代わりにドラムのジョー・バトラーがほとんどの曲のメインボーカルをとっている。

悪くないんだけどね。ちなみに僕はそんなメンバー事情も知らずソフトロックっぽいジャケットからこのアルバムも持っている。

プロデュースはジェリー・イエスターと同じく元モダン・フォーク・カルテットでその後タートルズに加入したチップ・ダグラス

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以上!

ラヴィンスプーンフルはこの他に66年と67年にサントラ盤を2枚リリースしていて、これはまだしっかり聞けてないのでこれからじっくり聞こうかと。西海岸へ移ってからのジョンセバのソロも1st以外聴けてないし。ジョンセバはウッドストックにもソロで出演していて、その辺も踏まえてこれからもう少し探ってみようかと。

しかしここにきてラヴィンスプーンフルほどのビッグネームにハマるとは思わなかった。むちゃくちゃいいじゃない!

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(ラヴィンスプーンフル周辺)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10-6 埋もれた自己紹介フィルム『Love You till Tuesday』(第66話)

デヴィッド・ボウイ。前回は67年末にリンゼイ・ケンプの舞台『Pierrot in Turquoise』へ参加したところまで書いたのでその続きを。

 

10-6 埋もれた自己紹介フィルム『Love You till Tuesday』(第66話)

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前回はケンプとボウイが当時恋人関係であった、なんて話にも軽く触れたが、やはりバイセクシャルという特性はボウイを語る上で目立ちがちでミックジャガーイギーポップなどの様々な噂が飛び交う。しかし現実にはボウイはしっかりと女性と2度結婚していて、1度目の結婚は70年にメアリー・アンジェラ・バーネット(アンジー・ボウイ)とであり、71年には後に映画監督となるダンカン・ジョーンズ(ゾウイ)も授かっている。

話は変わるが何やら今ボウイの伝記映画が制作されてるらしく、来年公開なのかな?)その映画に対してダンカン・ジョーンズが否定的でボウイの楽曲を使用することを認めてないらしいのよね。ボウイの曲が流れないボウイの伝記映画って…『ボヘミアン・ラプソディ』に乗っかりたかったんだろうがまさかの遺族に拒否られるという。まぁ公開されるなら見てみようと思うけど、ちゃんとしたのをダンカン・ジョーンズが撮りゃいいんだ映画監督なんだから、撮れ撮れ!

アンジー・ボウイはストーンズ〝悲しみのアンジーのモデルだと言われている女性であるが、ミュージシャンのプライベートには興味がないほうであるので正直あまり知らない。アンジーは93年に『哀しみのアンジーという自伝(暴露本?)を出版していて、そこで80年に離婚するまでのボウイとの日々を赤裸々に語っているようなので暇があったら読んでみようかと思うんだけど、それを読むなら他に優先して読みたい暴露本いっぱいあるなーって感じで。パティ・ボイドのとか。

 

えーと、そう。そのアンジーと出会う前に交際していた女性の話から68年69年のボウイを!

 
ヘルミオーネ・ファージンゲール

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68年にボウイはヘルミオーネ・ファージンゲールという女性と出会いロンドンで同棲を始める。ヘルミオーネはダンサーでありケンプ繋がりで知り合い2人は恋に落ちた。

64年にKing Beesで初めてのシングルをリリースしてから67年のデラムからの1stアルバムまでボウイは数々のレコードをリリースしてきたが全く売れず、そんな中でリンゼイ・ケンプと出会い演技の世界に魅せられていく68年。そんなわけで68年はケンプの舞台『Pierrot in Turquoise』で演技を磨き、音源のリリースはなく、ミュージシャンとしての活動は諦め役者かダンサーに転身しても全くおかしくない状況であったがそうはならず。ここまで数々のバンドを結成してきては去ってきたボウイは懲りもせず68年の9月に恋人のヘルミオーネとトニー・ヒルという人物とでTurquoiseというグループを結成している。すぐにトニー・ヒルの代わりにジョン・ハッチンソンが加わりThe Feathersと名を改める。ジョン・ハッチンソンはボウイの66年のシングル〝Do Anything You Say〟〝I Dig Everything〟でバックをつとめたThe Buzzのメンバーであったよう。

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フェザーズは音楽はもちろんだがマイムや朗読まで披露するミックスメディアグループであったようで、演劇的な面と音楽を組み合わせたこの時期のボウイをまさに表した活動をしていた。しかし音楽面では1stで見せたシアトリカルな面は抑えフォーキーなスタイルに転じている。

このフェザーズでの姿が69年頭に撮影された『Love You till Tuesday』という28分のボウイの自己紹介フィルムに残っている。67年1stアルバムに収録されデラムからの最後のシングルとしてもリリースされた〝Love You till Tuesday(愛は火曜日まで)〟をタイトルにしたこのフィルムは長い間世に出ず保管され84年にようやく公開されることになるわけだが、この長らくお蔵入りしていたフィルムにはフェザーズ及び当時の恋人ヘルミオーネとの姿や半年後にリリースされボウイの初ヒット曲となる〝Space Oddity〟の初期バージョンのPV(こっちがオリジナルと言えるのか)など貴重な素材が詰まっているのだ。

 

自己紹介フィルム『Love You till Tuesday』

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内容はPV集のようなもので、1stアルバムから〝Rubber Band〟〝Sell Me a Coat〟〝Love You till Tuesday〟〝When I Live My Dream〟の4曲、67年末にデラムからの4枚目のシングルとしてレコーディングしたもののリリースできなかった〝Let Me Sleep Beside You〟、恐らくこのフェザーズ期に作った新曲〝When I'm Five〟〝Ching-a-ling〟、そしてできたてほやほやの〝Space Oddity〟の8曲にマイムパフォーマンス〝The Mask〟を加えた28分。

1stアルバムの曲が半数を占めているので67年の映像と勘違いしがちだが69年の1月〜2月に撮られたものである。ボウイの他にフェザーズのメンバーであるジョン・ハッチンソンと恋人のヘルミオーネが出演していて1stの曲も〝Sell Me a Coat〟なんかはフェザーズバージョンで再録されている。

このフィルムはマネージャーのケネス・ピットの発案で、この先ボウイを売り込むための宣伝材料として作るべきだとボウイに提案した。結果的にめちゃくちゃ金がかかった挙句お蔵入りし大失敗の案になってしまったわけだが、時を越えて84年に公開され今ではDVD化しこうして貴重な映像を見ることができる。本来の目的である〝まだ世に知られていないボウイを紹介すること〟は叶わなかったが世界的スターボウイの〝Space Oddity〟以前の姿やかつて組んでいたフェザーズとの貴重映像を世界中のファンに見せてあげれたのは結果オーライだろう。ありがとうケネス・ピット!

 

さて映像なんだが僕はDVD持ってなくて、YouTubeにも28分フルは見当たらなくて全ては見れてないんだけど、いくつか見つけたのでざっと。

やはりリンゼイ・ケンプとの出会いから全体的に芝居がかったパフォーマンスも見ることができるがほとんどが真っ白なスタジオで撮られており演劇的なのに背景がない世界観が独特で斬新。

まずボウイは69年の『ヴァージン・ソルジャーズ』という映画に兵士役で出演しており、役名もない端役であったようだが役作りのため髪を短く刈っていて、この69年1月から2月の『Love You till Tuesday』の撮影時は全てカツラを着用している。そんなこともあってかこのフィルムでのボウイはあまりイメージにない珍しい格好をしていて、特に〝Rubber Band〟でのハットと口髭はかなり貴重。

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ボウイって髭のイメージ全くないので斬新で、ってかジョージ・ハリソンにそっくり。

〝Space Oddity〟では丸メガネ姿を。

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いやーらしくない。このフィルムと同時に84年にリリースされたサントラのジャケットもこの丸メガネ。

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〝Love You Till Tuesday〟ではケンプ譲りの白塗り。

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〝Sell Me a Coat〟ではフェザーズでの姿が。

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恋人ヘルミオーネとの仲睦まじい〝When I Live My Dream〟

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未発表シングル〝Let Me Sleep Beside You〟は白スタジオで白ギターを弾きながら熱唱。67年11月にレコーディングされ未発表となったこの曲がトニー・ヴィスコンティが初めて関わった曲なんだってね。

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新曲〝When I'm Five〟は巨大キャンドルに囲まれて可愛い仕草やおどけた顔で〝5歳〟のボウイを熱演。この曲がフォークソングにストリングスを味付けしたシンプルな曲だけどいい曲なのよね。舌足らずな歌い回しも子供っぽさを演出していて。

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同じく新曲の〝Ching-a-ling〟は映像見つけれなかったんだけど、これまた童謡チックなフォークロックで名曲。ボウイ、ヘルミオーネ、ハッチンソンの3人で1番2番3番と歌い回すんだけどコーラスの部分がそれぞれ別のメロディを歌っていて、最終的に全部混ざっていく感じはメルヘンさと不気味さを同時に演出していてアシッドな雰囲気すらある。絶対ドノヴァンの影響下にある曲だと思うんだけどどうなんだろ。この曲はバージョンがたくさんあって、どれがこのフィルムで使われたバージョンかははっきり把握してないんだけどね。名曲。この〝チンガリン〟がボウイのフェザーズ期のハイライトだと思う。

最後に7月にシングルとしてリリースされる5ヶ月前に撮影録音された〝Space Oddity〟について。地球の《Ground control(管制塔)》と宇宙へ飛び立った《Major Tom(トム少佐)》との対話を一人二役で展開していく名曲であるが、この最初期のバージョンではリードボーカルをフェザーズのジョン・ハッチンソンとシェアしている。バックバンドも後の正規バージョンとは異なりトニー・ヴィスコンティリック・ウェイクマンはまだ不在であるが、アレンジはほぼほぼ完成していて編曲要らずなボウイの作曲範囲を垣間見ることができる。このバージョンにのみ残ってるボウイによるオカリナやエンディングの悲しみ漂うコーラスは残してもよかったんじゃないかってくらい。映像はGC(Ground control)と書かれたTシャツに丸メガネの管制塔サイドと胸にMajor Tomと書かれたキャッチャーのプロテクターのような宇宙服を着用しているトム少佐サイドのそれぞれの姿ににんまり。

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ま、こんなとこだろうか。マイムパフォーマンスであるらしい〝The Mask〟が見つかんないのよね。DVD買うしかないのか…

 

 

 

ヘルミオーネとの破局と《ベックナム・アーツ・ラボ》

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69年の春にヘルミオーネと別れ、同居していた部屋を飛び出したボウイはロンドン南東の街ベックナムに移り住む。ボウイはそのベックナムで《アーツ・ラボ》と呼ばれる音楽やライトショー、朗読、演劇、ダンスなど芸術の世界で生きる若者の集会に参加する(主催??)。この《アーツ・ラボ》はボウイがフェザーズで行っていた活動の延長線上にあると言えるが明らかにアンディ・ウォーホルの《ファクトリー》の影響下にある活動だろう。

2ndアルバムでメロトロンを弾くことになるリック・ウェイクマンもこの《アーツ・ラボ》に参加していたようで、このベックナムでボウイは新たな曲と新たな音楽仲間を身につけて7月にヒットシングル〝Space Oddity〟を、11月に2ndアルバムDavid Bowie(Space Oddity)」をリリースするわけだ。

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ところでヘルミオーネと別れる直前69年4月にレコーディングされたとされるフェザーズでのアコースティックセッション、通称「ベックナムテープ」と呼ばれるものが残されていて。ヘルミオーネと別れてベックナムに移り住んだって流れだと思うんだけど、このフェザーズでの最後の録音が「ベックナムテープ」ってのが合点がいかないのよね…まだ調べないと詳しい事情はわからないんだけど、とにかくこの「ベックナムテープ」がめちゃくちゃよくて。

『Love You Till Tuesday』に収録された〝When I'm Five〟〝Ching-a-ling〟に加えて〝Space Oddity〟を筆頭に2ndアルバムに収録される曲のアコースティックバージョンが多数残されていて、無装飾のデモを聴くとこの当時ボウイはかなりフォーク寄りだったことがわかるし、2ndアルバムは紛れもなく《フォークロックアルバム》であることが見えてくる。未発表曲も素晴らしくて、発掘音源の中でもクオリティ高い。

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(ベックナムテープ)

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以上!

68年ヘルミオーネとジョンハッチンソンとのフェザーズ→69年頭の自己紹介フィルム『Love you till Tuesday』の撮影→ヘルミオーネとの別れ→ベックナムでの《アーツ・ラボ》

今回はこんな流れでした。

『Love you till Tuesday』の映像はほんとにボウイの珍しい姿が面白くて、いくつかYouTubeにあるので是非!

フェザーズの〝Ching-a-ling〟は名曲!

フェザーズの秘蔵アコースティックセッション「ベックナムテープ」は2nd好きなら必聴!

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次回こそやっと〝Space Oddity〟

 

 

 

 

 

 

 

 

4-9 ピーター・ダントンの出世魚バンド(第65話)

ここんとこデヴィッドボウイが続きましたが僕はボウイマニアでも何でもなくて、ボウイを含めたただのロック好きなので、特にサイケ好きで、今回はちょと別のとこへ。

 
まだサブスクはYouTubeに勝てない

Apple MusicやSpotifyなんかのサブスクはここ数年でかなりマニアックなところまで手の届くようになって、僕もApple Musicをめちゃくちゃ利用させてもらってるんだけどそれでも無いものは無くて。これってマニアックか否かというよりもレーベルがサブスクに乗り出してるかどうかの問題なのか、その辺の事情はちんぷんかんぷんなんだけど、ここんとこApple Music→Bluetoothスピーカーという便利さに甘えた音楽の聴き方をしてる僕なんかはApple Musicにない素晴らしいアルバムを聴かない日々が続いてたわけで。

こりゃいかん!てなわけで先日久しぶりにYouTubeのお気に入りリスト〟を見返していた。これはかつてYouTubeで音楽探索をしていた日々の大事な履歴であり、素晴らしくもコアな60's〜70'sロックフルアルバムの宝庫だ。この〝YouTubeのお気に入りリスト〟はAmazon欲しいものリスト〟とほぼリンクしていてCDを手に入れたら双方のリストから消す、というシステムで密かに運営していた。つまりここにまだ残っているものはCDを買えていないもの、そもそもCD化されてないもの、レコード高すぎるもの、とかになるんだけどそのほとんどはやはりサブスクになくて、つまりは僕が現時点でYouTubeでしか聴けないもの〟である。レーベルがサブスクに流すよりもマニアがアップロードする方が(違法だけどね)やはり何年も早くて、まだまだ音楽探求の最大のホットスポットYouTubeであることを痛感した今日この頃。

 

さて、〝Amazonの欲しいものリスト〟に在籍し続けYouTubeで拝聴するしかない状況が長年続いているものの中にNeon PearlPleaseという素晴らしきブリティッシュサイケバンドのフルアルバムがある。どちらのCDもAmazonにたまに出てくるが1万を超えてるもんで未だ買えず……どちらも60年代末のブリティッシュサイケバンドであり、ピーター・ダントンという奇才が引っ張ったバンドである。今回は60年代末〜70年頭にかけてこのピーター・ダントンが密かに歩んだバンドストーリーを。

 

4-9 ピーター・ダントンの出世魚バンド(第65話)

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ピーター・ダントンはドラムボーカルでありながら鍵盤やギター、そして作曲をこなすマルチプレイヤーでありリーダーとしてNeon Pearl,Please,T2を率いた。この3バンドの流れに僕は典型的な60年代末のロック変動を見て、何となく出世魚的に括っている。ギターサイケなNeon pearl,オルガンサイケなPlease,そしてプログレへと至る70年T2ターミネーター2じゃない)。この中で唯一CDも簡単に手に入りApple Musicにもあるのがプログレファンに愛される最終形態のT2であるが、そこへ行き着くまでのピーター・ダントンを中心とした歴史をこの3バンド以外にもいくつかのバンドを交えながら見ていきたい。

 

さて、久しぶりに図を書き加えていきたいのでひとまず先にGunというハードサイケバンドを全体図に繋いでおくことにしようか。

Gun

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イギリスには90年代に同名のハードロックバンドがいるが、このGunは60年代末に活動していた《ハードロック/ヘビーメタル》の源流とも言えるハードサイケな3ピースバンドである。68年のデビューシングル〝Race With The Devil〟がイギリスでヒットした。68年に1stアルバム「Gun」,69年に2nd「Gunsight」をリリース。

同じく3ピースであり、ハードロックの源流となったクリームと同志向のバンドだがクリームよりもさらにハード。アメリカでいうとブルー・チアーズ的な。個人的には好みではないんだけど繋がりをいくつか。

ポール・ガーヴィッツエードリアン・ガーヴィッツの兄弟とドラムのルイス・ファレルのパワートリオバンドがGunであり、ガーヴィッツ兄弟は70年代にもThree Man Armyジンジャー・ベイカーを迎えたBaker Gurvitz Armyとトリオハードロックバンドにこだわり続けるが、68年デビュー前のGunは鍵盤をメンバーに加えたサイケポップバンドであった。その時期にYes結成直前のジョン・アンダーソンが一度だけのステージであるがGunに参加した話は有名。これで繋いでおきます!

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他にもYesAsiaなどのアルバムアートを手がけヒプノシスキーフと共にプログレ界隈を中心にアルバムアートの代表的なデザイナーとなるロジャー・ディーンが最初に手掛けたアルバムアートが68年Gunの1st「Gun」であったり。Gunの前身バンドの時代なのかわからないがUFOクラブに出演していたとの話も。

このGunがピーター・ダントンと絡んでくるのでひとまず図に繋げておいたが一旦置いといて、やっと本編、ピーター・ダントンのストーリーを。

まずはNeon Pearlから。

Neon Pearl

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https://youtu.be/Rpwx6vVX-_E

Neon Pearlは67年にピーター・ダントン(ドラム・ボーカル)とバーナード・ジンクス(ベース)を中心にロンドンで結成され、西ドイツを拠点に活動したサイケデリックロックバンドである。

67年半ばの半年ほどの活動でリリースもなく人知れず終わったバンドであるが2001年に音源が発掘され「1967 Recordings」としてリリースされた。これが地味ではあるが独特の雰囲気を持っていて超お気に入り。リバーブの効いたドラムにローが強いベースが作り出す重力感とアルペジオ時々ヘロヘロ単音ギターと鬱っ気のある歌の浮遊感が混ざった素晴らしいサイケデリック。キーボードがいるらしいがほぼ3ピースで最低限の音数でのアンサンブルが心地よく、何かが足りない気は常にするんだけど何を足しても蛇足になりそうな、そんな感じ。ピーター・ダントンの世界観とメロディセンスは光るものがあり、重力感と浮遊感が同居する1.〝What You See〟、アコギを使ったフォークロック風味の4.〝Just Another Day〟レディオヘッドへ通ずる透明感のある鬱っ気を持った6.〝Going With The Flow〟7.〝Urban Ways〟など捨て曲なしの全8曲。重いけど軽くて、冷たいけどゆるくて、フォーキーだけどスペーシーで、不思議なバンド。

67年11月に西ドイツから帰国。ギタリストにGun加入前のエードリアン・ガーヴィッツが加入しバンド名をPleaseに改める。

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Please

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https://youtu.be/k5mWIAQ0tUo

https://youtu.be/vroGNa28XZY

エードリアン・ガーヴィッツはすぐに兄ポール・ガーヴィッツが結成したGunに加入し離脱、結局元のギタリストニック・スペンサーが戻ることになりPleaseNeon Pearlのロンドンでの再出発という形になった。

Pleaseは68年69年と活動するがこれまたリリースはなく歴史に埋もれる。時が経ち発掘された音源が98年に「1968/1969」として、2000年に「Seeing Stars」としてリリースされた。

68年半ばに1度解散しすぐに再結成。そのタイミングでメンバーの変動がいくつかあるようだが基本的にはNeon Pearl時代の仲間で編成されている。

ピーター・ダントンのゆるさと鬱さは変わらないが、サウンド的にはオルガンがメインとなった。これはプロコルハルム《プロト・プログレ勢が台頭し始めた68年という時代に沿ったシフトチェンジと言えるがNeon Pearlの独自性のある世界観からは離れ、数々いるオルガンサイケの一つという印象。それでも作曲者兼ドラムボーカルでありながらギター、そしてオルガンまで弾きだしたピーター・ダントンのマルチな才能には脱帽。曲もよくてB級サイケ群の中でも好きな方。

 

69年春にダントンはルイス・ファレルの代わりにGunに加入してPleaseを離脱。残されたPleaseのメンバーはドラムにそのルイス・ファレルを迎えてBulldog Breedとして活動を始める。GunとPleaseは双方のドラムを入れ替えた形になったわけだ。

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Bulldog Breed

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https://youtu.be/Kp0Zo2Y6iyU

ダントンの代わりにGunのルイス・ファレルが加わったPleaseの変名バンドであるサイケバンドBulldog Breed

バーナード・ジンクスニック・スペンサーロッド・ハリソンNeon Pearl時代からのメンバーである。69年半ばにデラムレコードと契約し、唯一作「Made in England」をレコードディング(リリースは解散後の70年)。Neon Pearl,Pleaseではこの時点で音源をリリースしておらず、ダントンが抜けたこのバンドでようやく契約&リリースというのもダントンにとってはなかなか厳しい話。ダントンはGunではレコーディングに参加していないので初リリースは70年のT2になるわけか。

Bulldog Breedは誰が主導権を握って作曲を進めたのかわからないがギターリフもののハードな曲がちらほら見え、Pleaseとは全く別物のバンドという印象。このアルバムに関してはほとんど聴けてない。

レコーディング後にロッド・ハリソンが脱退しキース・クロスというギタリストが加入するが解散。

Gunに行ったピーター・ダントンは69年夏にすぐに離脱し、ルイス・ファレルもGunに戻る形に。ピーター・ダントンはバーナード・ジンクス、ニック・スペンサーというまさにNeon Pearlな3ピースでPleaseを再々結成し結局元の鞘に収まる。少しだけ活動してPleaseはまたもや解散。これが69年9月ごろのようで、この時期の音源が2000年にリリースされた「Seeing Stars」のよう。で、Bulldog Breed以前のPleaseの音源が98年にリリースされた「1968/1969」ということか。そう思って聞いてみると、ハードなバンドであるGunを経たピーター・ダントンとBulldog Breedを経たバーナード・ジンクスとニック・スペンサーの3人での「Seeing Stars」は以前に比べるとハードなオルガンサイケに感じる。

 

Please解散後、ダントンとジンクスはBulldog Breedに参加したキース・クロスと新たな3ピースバンドを結成。バンドはThe Morningとして始まったが70年にはT2と名を改めた。

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T2

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《ハードプログレ》としてプログレファンから愛されるピーター・ダントンの出世魚バンド最終形態T2。70年にデッカレコードから名盤「It'll All Work Out In Boomland」リリース。

曲は長尺になりまさにプログレな全4曲で構成され、特に4〝Morning〟は20分の大曲となった。まずNeon PearlとPleaseでは聴くことがなかったダントンの超絶ドラムに驚く。ライブ音源や映像は見たことないが、これを歌いながら叩いてるとしたら怖すぎる。バーナード・ジンクスのベースもうねりにうねり、キース・クロスの激しいギターと絡む。1.〝In Circles〟こそトリオを強調したハードプログレであるが全体的にはアコギや鍵盤を多用していて、静と動のメリハリがはっきりとしたドラマチックな展開を持つ。ダントンがNeon PearlやPleaseで魅せた鬱っ気は2.〝J.L.T〟なんかに感じられるが独特のユルさは失われた(J.L.Tはクソ名曲)。その点は残念だがこれも時代にピッタリと沿った変化である。

アルバムリリース後にキース・クロスは脱退。ピーターダントンはその後ギタリストを補充しT2で70年代半ばまで活動したり90年代に再結成したりしてるみたいだがほぼ「It'll All Work Out In Boomland」という名盤1枚のバンドと思ってよさそう。

以上が67年のサイケバンドNeon Pearlから70年プログレバンドT2までのピーター・ダントンの物語。

 

その他

Asgaerd

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Neon Pearlの初期段階、Pleaseの再結成、Bulldog Breedでギターを弾いたロッド・ハリソンが72年に結成したプログレバンドAsgaerd【アスガード】指輪物語から取られた名のようで北欧神話に登場する神々の王国のことであり、『マイティー・ソー』アスガルドと同義だろう。

72年に『指輪物語』をテーマにした唯一作「In The Realm Of Asgaerd」をリリース。ツインボーカルという編成でプログレバンドには珍しくコーラスワーク満載。バイオリンとロッド・ハリソンのハードなギターと伸びやかなツインボーカルが特徴で非常に聴きやすいプログレ。まぁ要所要所ダサさが垣間見えるがジャケットも良くて割とお気に入りなB級プログレ

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Keith Cross & Peter Ross

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T2を脱退したキース・クロスが71年にシンガーソングライターのピーター・ロスとフォークデュオKeith Cross & Peter Rossを結成。72年に唯一作となるアルバム「Bored Civilians」をリリース。

T2ではハードで激しいギターを弾き倒していたキース・クロスであるがこのデュオではアコギを中心に情緒あるギターソロやスチールギターなど繊細なギタープレイを披露。サンディ・デニーフェアポート脱退後に結成したフォザリンゲイのカバーも収録されていてブリティッシュフォーク的な面も見えるがCS&Nらアメリカンフォークロックからの影響も強そう。

2人の歌とギターのアンサンブルに加えてピアノ、オルガン、メロトロン、ヴィヴラフォン、フルート、サックス、オーケストレーションなど多数の楽器とサポートミュージシャンにより装飾されており楽曲の構成やキース・クロスの出身バンドからも〝ぎりぎり〟《プログレ・フォーク》と呼べるものになっている。フルート奏者として参加しているのはCaravanのジミー・ハッチングス

プログレフォークは女性ボーカル及び男女混成が多い(僕がそればかり好んでるだけか)ので男性デュオのプログレフォークは個人的に新鮮でこれは割とお気に入りなアルバム。

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以上!

隠れた才人ピーター・ダントン関連でした!

サイケ好きならNeon Pearl,Please

ハードなのが好きならGun,Bulldog Breed

プログレ好きはT2,Asgaerd

フォーク系好きはKeith Cross & Peter Ross

個人的にはNeon Pearlが1番おすすめ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10-5 映画『Image』とケンプとの出会い(第64話)

67年のデヴィッドボウイ、前回はチベット仏教への傾倒、ヴェルベッツとの出会い、The Riot Squadへの参加について書きました。

今回は同67年、ショートフィルム『Image』への出演、そしてリンゼイ・ケンプとの出会いについて!

 

10-5 映画『Image』とケンプとの出会い(第64話)

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67年のボウイの様々な活動の一つがショートフィルム『Image』での映画デビューである。

戦場のメリークリスマスを筆頭に俳優としても大きく活躍することになる役者ボウイの原点となる作品『Image』。公開は69年で撮影が67年とのことで、若々しいボウイの姿を見ることができる貴重な映像だ。あれ?もしかしたら1番古い〝動くボウイ〟なのかな、これ(知らんけど)。

正直なところ僕は〝役者ボウイ〟にはほとんど興味がなくて、というか映画自体あまり見てこなかった人生であるので。戦場のメリークリスマスは見た覚えがあるがほとんど記憶はないし、『ラビリンス』は元祖ホストみたいな見た目にゾッとして見てない。

さらに僕はMVもあまり見る習性はなくて、結局ボウイの〝演劇性〟は音楽の中でしか感じたことはなくて、その音楽に興味があるわけで〝演技〟そのものには興味がないのかもしれない。

そんな僕だがこれを機にボウイ映像を見てみようかと『Image』を観てみたので少しばかり内容と感想を。

 

『Image』

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https://youtu.be/oxh_jkixT0s

 YouTubeにフルで上がってたの。ありがたい。

『Image』は69年公開当時〝X指定(日本のR18指定みたいなもん)〟を受けたらしく、暴力的な表現が使われた14分の白黒無声ショートフィルムである。映画初心者の僕にとって無声映画はかなりハードルが高かったのか何がなんだかサッパリで〝ボウイが出てる〟ってのと〝14分という短さ〟で何とか見れたって感じ。

監督はマイケル・アームストロング。全く知らないが関連映画を調べると70年『残酷!女刑罰史』で監督、87年『悪魔のサンタクロース2』で音楽を担当しておりヤバそうなタイトルからしてカルト映画の人のようで、まさしく『Image』もその類。

演者は画家役(The Artist)のマイケル・バーンと幽霊?役(The Boy)のデヴィッド・ボウイの2人芝居。マイケル・バーンは『インディ・ジョーンズ』、『007』、『ハリー・ポッター』にも出てるようで後にそこそこ有名な俳優になるよう。

 

内容を超簡単に…まず冒頭、タイトルとクレジットが流れるバックでしばらくBGMとしてパーカッションソロが流れるんだけど、これは結構雰囲気あって「何やら実験的な映画が始まりそうだ」という予感はする。無声映画で音楽はパーカッションのみってのは中々粋だなぁと。

夜、画家(マイケル・バーン)が少年の絵を描いてるところから場面は始まる。家(アトリエ?)には誰もいないようだが何やら視線を感じ、窓に目をやると自分が描いた少年そっくりな男(ボウイ)が立っていた。というホラーチックな展開。

そこから家の中にまで入ってくる幽霊のような男をまず撲殺、起き上がる男を次に絞殺、また起き上がる不死身の男をさらに刺殺、と画家がボウイを何度も殺しまくるというだけの10数分。

〝アーティストの精神分裂症の精神内の幻想〟を描いた映画であるようで、アーティスト自らが描いた少年の幻想に精神を狂わされるといった感じか。

これから様々なペルソナを被り作品を作り出していくボウイと〝アーティストの精神分裂症〟は無理矢理こじつけれないこともないのは面白いが、まぁ感想は「なんじゃこりゃ。」であった。14分と短いのでみなさんに是非1度観て欲しいが、観ても特に何もないのはないかな。まぁしかし若々しいボウイの姿を見れるって点はやはり貴重!

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リンゼイ・ケンプとの出会い

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『Image』の撮影が67年のいつ頃だったのかは詳しくわからないが、その後にリンゼイ・ケンプと知り合ったと言われている。ケンプによるとボウイの1stに収録された〝When I Live My Dream〟を聞いてボウイの才能に興味を持ったようなので恐らく1stリリースの6月以降であるだろう。

ボウイはケンプと出会う前からアンソニーニューリーらの影響から音楽にシアトリカル(演劇的)な要素を組み込む発想に至っていたが、前回書いたように長く売れない時期が続き67年頭には〝いっそチベット僧として生きていこう〟という気になっていた。しかしケンプとの出会いによってボウイの演劇の仮面は華々しく作り替えられ、ロックスターへと昇華することになる。その華々しく妖しい姿で放つロックはグラムロックと呼ばれることになるわけだ。

前にも書いたようにデヴィッド・ボウイ〉というキャラクターはケンプと出会う前に誕生していたというのが僕の論であるが、〈ジギー・スターダスト〉というキャラクターの誕生にはやはりケンプとの出会いは必要不可欠である。リンゼイ・ケンプという舞踊者はボウイの文脈でしかほとんど知らないが、彼の日本の能や歌舞伎をも取り入れた英国を代表するパントマイム、奇形なメイクやジェンダーレスな性質は間違いなく〈ジギー・スターダスト〉のベースになっているだろう。

ボウイは67年12月から始まったケンプの『Pierrot in Turquoise』という舞台に曲を提供し出演、その代わりにケンプのダンススクールでマイムやパフォーマンスを学んだ。ケンプのダンススクールは当時非常に人気が高かったようでケイト・ブッシュも時期は76年ごろになるがケンプの生徒だった話は有名。

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ケイト・ブッシュは英国で「ロック史上、誰よりも大きな影響を与えてきた女性アーティスト」と言われている。ボウイ同様、ケンプの影響は明らかでステージでのマイムや舞踊も大きな特徴。日本でも78年デビュー曲である嵐が丘恋のから騒ぎのオープニング曲として有名。全体図の方でもピンクフロイドデヴィッド・ギルモア発掘された繋がりで一応登場している。

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舞台『Pierrot in Turquoise』は69年にスコットランドTVに撮影され70年に放送されたようなので少なくとも69年まで続いたようである。この放送での劇中のボウイの演奏と〝Space Oddity〟を含む当時のデモやアウトテイクを集めたコンピレーションアルバム「Pierrot in Turquoise」が93年にリリースされている。〝When I Live My Dream〟の劇用アレンジや劇のために書き下ろした未発表曲なんかもあって面白い。

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ケンプはボウイの72年〝John, I'm Only Dancing〟のPVに出演、同年の〈ジギー・スターダスト・コンサート〉では振付師とダンサーとしてボウイと共に舞台に上がった。〝John, I'm Only Dancing〟のPVはボウイとスパイダーフロムマーズの演奏シーンとケンプの舞踊シーンが入り混じる構成であるが、これだけを観てもリンゼイ・ケンプが如何にキテレツで素晴らしいダンサーであるかがわかる。

https://youtu.be/lmVVyhpuFRc

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ケンプは70年代以降映画にもいくつか出演しており、98年の『Velvet Goldmine』にもパントマイムの淑女役で出演。『Velvet Goldmine』はボウイの楽曲名から取られたタイトルであり、明らかに〝ジギー時代のボウイ風の男〟を主人公にしたグラムロック映画で〝レッツダンス以降のボウイ風の男〟や〝イギーポップ風の男〟も出てくるが、ボウイが楽曲提供を拒否した映画でもある。それは〝レッツダンス以降のボウイ風の男〟を金に目が眩んだ悪者的に描かれていたことが原因とされている。そんなふうにボウイが拒否した映画に盟友ケンプが出演してるのは少し違和感があるが、2人は〈ジギー〉以降絡みはなくて、98年の時点では疎遠になっていたことが関係しているのかもしれない。

ボウイとケンプは師弟を超えた関係であったことがケンプにより暴露されていて、リンゼイ・ケンプはゲイであることを公言しており、ボウイもまた72年にバイセクシャルであることを公言しているが、68年『Pierrot in Turquoise』の舞台のツアーをやっている間彼らは恋人同士であったことを後にケンプが語っている。さらにボウイはその舞台の衣装担当のナターシャ・コルニロフという女性とも関係を持っており、ケンプは嫉妬からか手首を切り自殺を図り、血が流れたまま舞台でピエロを演じることもあったそうな。重し。72年の〈ジギー・スターダスト・コンサート〉以降2人は疎遠になりこの後ケンプがボウイを見たのは10数年後の1度だけらしい。その時はボウイはスターで屈強なSPに囲まれており遠くから見ることしかできなかったと。それでも会えてよかったと。ケンプのボウイへの愛はなかなかのものである。

そんなことからケンプも昔のボウイに恋焦がれる感情があったのかもしれず、レッツダンス以降に否定的でグラムロック期に肯定的な『Velvet Goldmine』にケンプが出演してるのはとても理解できるし、とても切ないことだ。

ボウイは〈ジギー〉を脱ぎ去り、《グラムロック》を卒業したのと同時にケンプからも離れたわけだが、かつてボウイはしっかりとケンプを賛美するコメントを残している。

化粧から衣装に至るまで、彼の現実を崇高に表現する発想や、ステージの外と内の境界を壊そうとする試みは、僕の魂にしっかり刻まれている。

この魂は〈ジギー〉以降もボウイに根強く残り、生涯〈デヴィッド・ボウイ〉を演じ続けるに至ったわけだ。

ケンプはボウイが死んだ2年後の2018年に死去。

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以上!

ボウイがバイセクシャルであることは彼の特徴の一つでミック・ジャガーイギー・ポップとの関係も噂されたが実際のところは不明で〈キャラクター〉だった可能性も少なくない。まぁ死ぬまで演じ続けたわけだからもはや本当なんだけど、なんにせよ英文では【パートナー】という表現が非常に多くて、これが仕事上なのか私生活なのかわかんないのよね。しかしこのバイセクシャルイメージはやはり70年代前半の《グラムロック期》に強くて彼の被ったペルソナの一部であるように感じられるが、67年から68年の時期にすでにケンプとの交際があったとすれば本物である信憑性は高い。まぁ、正直そんなことはどっちでもいいんだけどね。

 

67年はこんなもんだろうか。1stアルバムをリリースしたデラム期ボウイ、チベット仏教への傾倒、ヴェルベッツとの出会い、The Riot Squadへの参加、『Image』への出演、リンゼイ・ケンプとの出会い。

ボウイにとって激動の1年であったが未だ成功せず。68年は潜伏期間となり、これらの影響を蓄えて69年についに〝Space Oddity〟というヒット曲をリリースするわけだ。次回はそこ!なのかな?

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(〜67図)

 

 

 

 

10-4 1967年のボウイ(第63話)

67年のデヴィッド・ボウイはデッカ傘下のデラムレコードからシングル3枚と1stアルバムDavid Bowieをリリースした。その音楽はほぼギターレスで70年代に彼が牽引していくグラムロックとは程遠いが、67年という時代相応のサイケ、フォークロック、ソフトロック、バロックポップを含む《アートロック》と呼べるものであり、さらにボウイの特徴の一つであるシアトリカル(演劇的)な面もすでに出現しており決して侮れるものではない。

そんな67年デラム期のボウイについて前回書いたが、ボウイはこの67年にその他にもいくつか活動をしている。今回はその辺を!

 

10-4 1967年のボウイ(第63話)

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デヴィッド・ボウイという男は〈カメレオン・ボウイ〉と称されるほど時代や環境によって姿形を変えるが、それは彼の人並外れた〝好奇心〟によるものが大きいだろう。若き頃からスターになってもジジイになっても歳上歳下関係なく多ジャンルの音楽にアンテナを張り続け吸収していった彼の音楽愛は素晴らしいものである。そしてそのアンテナは音楽に留まらず様々な方面へ伸びており、悪く言えば〝やりたがり〟〝飽き性〟に捉えられるかもしれないが彼の場合はちゃんと全部が好きだというのがちゃんと伝わってくるので悪い印象は受けない。〝飽き性〟なのは否定しない。

とにかく〝好奇心旺盛〟で期間が短くともその全てに真っ直ぐ向き合っていく姿勢が〈カメレオン・ボウイ〉の本質であるだろう。何というか〝愛の絶対量が多い〟のだ。小さな愛を様々なものに分配してると〝やりたがり〟に見えるが、彼は違う。溢れんばかりの愛を様々なものにぶつけては去っていく姿は爽快である。男も女も愛せるバイセクシャルであったのも〝愛の絶対量の多さ〟からかもしれない。

 

若干20歳の67年にもその〝気の多さ〟っぷり(良い意味で)を垣間見ることができる。音楽面ではThe Velvet Undergroundの受信、さらにチベット仏教への傾倒、そしてショートフィルム『Image』での俳優デビュー。その辺のことを一つ一つ軽く触れてみようかと。

 

チベット仏教への傾倒

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ボウイは2016年に死んでしまったが、その遺言に「仏教の作法に則って火葬して欲しい」という言葉があったと言われている(その灰はバリ島に撒いて欲しいともあったようだが何故バリ島かは謎)。実際に遺族がどのように弔ったかは不明であるが、土葬ではなく火葬してほしいというボウイの要望の原点は67年のチベット仏教への傾倒にあるだろう。

67年という時期はアメリカに続いてロンドンもカウンターカルチャー真っ盛りの時期で、そのカウンターカルチャーの一つである〝東洋思想〟も流行していた。ビートルズもインドにお熱になり、幾多のミュージシャンが詩に東洋思想を取り入れ、音楽にもシタールなどの東洋楽器を取り入れた時期である。

そんな中でボウイもチベット仏教にお熱になるが、愛が強すぎてチベット原理仏教の修行を経て僧侶の資格を取っている。64年のレコードデビューから鳴かず飛ばずだったこともあり「このまま僧として生きて行こう」という気すらあったらしい。ロンドンでチベット難民救済活動を行うチベットソサエティにも参加するほどの傾倒ぶりであったが、時期的には1stアルバムレコーディング中とのことなので66年11月〜67年2月の間の話である。

1stアルバムに収録された名曲〝Silly Boy Blue〟はこの時期に知り合い、チベット仏教の先生であったラマ・チメ・リンポチェという高僧に捧げた曲である。ちなみにラマ・チメ・リンポチェの生徒リストにはトニー・ヴィスコンティメリー・ホプキンの名もあるらしいが時期や詳細はよくわからぬ。

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(トニー・ヴィスコンティメリー・ホプキン

トニー・ヴィスコンティは69年2nd「Space Oddity」からボウイのプロデューサーとして長年に渡り支え続けた重要人物。メリー・ホプキンビートルズのアップルレコード第一号アーティストとして有名な〈アップルの歌姫〉。71年にこの2人は結婚。トニー・ヴィスコンティについてはまた「Space Oddity」に突入してから触れます!

 

結果的にボウイは僧にはならずロックスターとなるわけだが、チベットへの想いは失ったわけではないようで97年19th「Earthling」でも中国/チベット問題を題材にした〝Seven Years in Tibet〟という曲を歌っている。ボウイが日本、特に京都を好んだのも仏教繋がりもあるのかもしれない。何にせよ自分が死を前にした時、仏教の作法に従って埋葬してもらうよう頼むくらいであるのでこの67年に出会ったチベット仏教とは生涯の付き合いとなったと言えるだろう。

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The Riot Squad

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2月に1stアルバムのレコーディングを終えて6月にリリースされるまで3月〜5月の間、ボウイはThe Riot Squadというバンドに参加している。

The Riot Squadは64年に結成されたロンドンのブリティッシュポップ/R&Bバンドで、60年代半ばにはラリー・ペイジGoogleじゃない)がプロデュースしたシングルをリリースしていたよう(このバンド自体は全然知らぬ)。ミッチ・ミッチェルがドラムを叩いていた時期もあるようでそこそこのバンドだったのかな?

67年頭にはバンドは崩壊し末期であり、そこに第6のメンバーとしてボウイが参加して数ヶ月の間レコーディングやライブを行ったというのだ。上の写真のように顔にペンキを塗ったり奇抜な装いをしたりはボウイの提案らしく、これまたリンゼイ・ケンプと出会う前にこういった発想があったことに驚き。ライブでは鞭でメンバーを叩いたりしてたらしい。

このボウイが参加した時期のレコーディングが時を超え2013年にAcid Jazzというレーベルから「The Toy Soldier」という4曲入りのEPとしてリリースされた。

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  1. Toy Soldier
  2. Silly Boy Blue
  3. I'm Waiting For My Man
  4. Silver Treetop School For Boys

 こんなのはもちろん持ってないがApple Musicで聴くことができる。ありがとうありがとう。

まずやっぱりこのEPにも収録されライブのレパートリーにも含まれていたという〝I'm Waiting for My Manに注目したい。

言わずと知れたThe Velvet Underground(ヴェルべッツ)〝僕は待ち人〟であるが、ヴェルベッツが1stをリリースしたのは67年3月であり当時は本国アメリカでも知る人ぞ知るバンドであったのでイギリスではまず誰も知らないといった状況であった。

イギリスにヴェルベッツを紹介したのはボウイであると言えるが、そのボウイにヴェルベッツを紹介したのは当時のボウイのマネージャーのケネス・ピットである。ケネス・ピットはアメリカに行った際にヴェルベッツの未だリリースされていない音源を手に入れてボウイに紹介したらしく、それからボウイはヴェルベッツに熱中しルーリードを師と仰ぎ、72年のルーリードの名盤トランスフォーマーのプロデュースへと繋がっていくわけだ。

ボウイがルーリードを敬っているのは誰もが知るところであるが、音楽的にはっきりとした影響が見えないと思ってたのが正直なところで。71年「Hunky Doly」がヴェルベッツの影響下にある、という文を見たことがあるが、それもイマイチ納得いかず(〝アンディ・ウォーホル〟という曲はあるが)、逆にトランスフォーマーから滲み出るボウイ感を考えるとルーリードのほうがボウイに感化されてるじゃない。

なんて思ってたんだがこの67年The Riot Squadが完全にヴェルベッツの影響下。影響下過ぎる。

〝I'm Waiting for My Man〟のカバー以外の3曲はボウイの持ち込んだオリジナルである。

 

1曲目〝Toy Soldier〟はヴェルベッツの〝Venus In Fursの影響が強いサイケソング。〝Venus In Fursはヴェルベッツの中でも1、2を争う僕の好きな重力サイケソングであるが、その影響を受けつつイギリス人らしいサイケポップに仕上げている。SEを多様し、謎の豚鼻のような音、グハハハハという笑い声や大爆発のエンディングなどやかましく面白い。何よりボウイの歌い方がまさにルーリード風で、あの何というか語尾が下がる歌い方…ディランもやるような、ギターで言うと最後の音を下にスライドさせるような、音楽用語がわかんないや。とにかくボウイは67年の7月から69年の7月の2年間もの間曲をリリースしてないこともあってサイケ全盛期がすっぽり抜けてしまってるイメージがあるが、ボウイサイケここにあり!といった感じで完成度も高くこの〝Toy Soldier〟は非常に嬉しい1曲だ。

2曲目は1stアルバムにも収録された〝Silly Boy Blue〟。上で書いたようにチベット僧に捧げた曲である。これが導入こそ1stアルバムのバージョンと同様にドラムのフレーズが入るもののあとはギターの弾き語りであり非常にデモっぽい。が、こちらの方が1stのレコーディングより後である。ならばデモっぽいのは意図的なものかと思うんだけど、これまた恐らくヴェルベッツの影響。エレキギターの8分のコードストロークが非常にヴェルベッツ。全体のテンションも。

3曲目(B面1曲目)がヴェルベッツのカバー〝I'm Waiting for My Man〟。ドラムがしっかりあるからか原曲よりも明るくノリのいいアレンジで、イギリス版ヴェルベッツって感じ。カズー?なのかなんなのかの遊びも非常にらしくていい。歌は完全にルーリードの物真似と言っていいが、これがボウイなのか疑っている。The Riot Squadには元々ちゃんとボーカルがいるわけで、そいつなんじゃないかと…いやボウイなのか…それにしてもアレンジにしても演奏にしてもThe Riot Squadは非常に良いバンドだ。どうかこの布陣でアルバムを一枚残して欲しかった。くぅ!

ラスト〝Silver Treetop School For Boys〟は素晴らしきアシッドフォーク。これはヴェルベッツというよりはシド・バレット。オルガンとギターによる4分強調のシャッフルソングだが、時折[チャチャチャチャ]って8分のイーブンが絡んでくるのが「これこれ!!」って感じで最高。ピンクフロイド〝ジャグバンドブルース〟の間奏と似た感じ。しかし〝ジャグバンドブルース〟は68年で、シドのソロはまだまだ先の話で、どこから着想を得たのか…んー、UFOクラブは66年12月〜67年10月に営業していてこの時期にボウイはピンクフロイドに夢中になってたはず…インクレディブルストリングバンドもUFOクラブに出てたのでそこからなのか…あり得るか。いやーしかしいい曲。ボウイはすごいよ、最高ですな。

6月にボウイは1stソロアルバムをリリースし、The Riot Squadを去る。

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終わり

あと俳優デビュー作となるショートフィルム『Image』についても書くつもりだったんだけど、また次回に。

『Image』は笑っちゃうくらいの無声カルトホラー映画でどう評価していいのかわかんないんだけどね……この撮影中にリンゼイ・ケンプとの出会いを果たすわけで、その辺のことも絡めながら!では!

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(〜67図、良い画質での貼り方わかった)