ケンジロニウスの再生

関連図を元にロックサーフィンを繰り広げたい所存。

7-1 グレイトフルデッド〜花のサンフランシスコ〜

ママス&パパスという男女混成フォークボーカルグループはカリフォルニアにおいて非常に重要なグループである。彼らは《フラワームーヴメント》の象徴でありながらソフトロックへと続くカリフォルニアポップの役割も果たしたのだから。彼らの代表曲に65年12月のデビューシングル〝夢のカリフォルニア(California Dreamin')〟があるが、この曲は全米でヒットし、以降カリフォルニアを象徴する曲となった。

この〝夢のカリフォルニア〟は実は東海岸ニューヨークで書かれた曲であり、カリフォルニアで出会ったジョン・フィリップスミシェル・フィリップスが駆け落ちの如くニューヨークへ向かい、寒い冬のニューヨークで故郷カリフォルニアを夢見て作った曲である。そして見事カリフォルニアに戻ってママス&パパスを結成し、〝夢のカリフォルニア〟でデビューを果たすわけだ。

 

ジョンフィリップスはヒッピームーヴメント、サマーオブラブ、フラワームーヴメントの象徴となる67年の野外フェスモントレーポップフェスティバル』の開催にも関わっており、同フェスのプロモーション用の曲として〝花のサンフランシスコ(San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair))〟を書き上げ、スコット・マッケンジーがこれを歌い、この曲は当時ヒッピーの聖地であったサンフランシスコを象徴する曲となった。

 

夢のカリフォルニア〝花のサンフランシスコ〟。この二つのフォークロックをジョンフィリップスがどれくらいの関連性を持たせて書いたかはわからないが、この邦題をつけた翻訳家とそれを受け取った日本人の僕にとってはアメリカ西海岸を象徴する曲としてセットになっている。

 

泥沼化していくベトナム戦争を背景に『銃より花を』をテーマにサンフランシスコを中心に巻き起こった《サマーオブラブ》、そしてジョンフィリップスの〝花のサンフランシスコ〟

そんな《花》のイメージが強いヒッピーの聖地サンフランシスコからUSサイケを見て行こうと思う。

 

『サンフランシスコのヒッピームーヴメントとその中心でサイケデリックロックを鳴らしたグレイトフルデッドとジェファーソンエアプレイン』

という類いの文章はこのブログを始めてからもううるさいくらいに何度も何度も登場させてしまってるんだけど、その中身はあまり書けていなかったのでまずはその辺から。

 

64年に《ブリティッシュインヴェイジョン》によってイギリスからロックが持ち込まれて《アメリカンロック》が誕生した、というのも何度も書いてるんだけど、その影響を受けたアメリカのミュージシャンのほとんどがフォーク界隈にいた人間であった。そんなわけでアメリカの第一世代のロックバンドというのは《フォークロック》バンドがほとんどである。

 

バーズママス&パパスなどがまさにその例であるがサイケデリックで知られるサンフランシスコの面々も元々はフォークロックバンドであったのだ。

 

この第一世代のサンフランシスコの代表的なバンドがグレイトフルデッド、ジェファーソンエアプレイン、クイックシルバーメッセンジャーサーヴィス、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー、モビーグレープ辺りであるが、フォーク時代には

ポール・カントナ(ジェファーソンエアプレイン)とデヴィッド・フライバーグ(クイックシルバーメッセンジャーサーヴィス)がデュオを組んでいたり、ジェリー・ガルシアグレイトフルデッド)やデヴィッド・クロスビー(バーズ)らも同じ界隈で活動していたようだ。

 

そんな彼らが《ブリティッシュインヴェイジョン》の影響でそれぞれロックバンドを結成しだしたわけだ(デヴィッドクロスビーはロサンゼルスに移りバーズ結成)。

やはり早いのはロサンゼルスのバーズで、65年に〝ミスタータンブリンマン〟でデビュー、66年に〝霧の8マイル〟で世界初のサイケデリックロックを放つ。サンフランシスコ勢は音楽的にはそれを追いかける形にはなるが、ヒッピー、サイケの一大ムーヴメントを巻き起こしたのはサンフランシスコ勢であり、その中心にいたのがグレイトフルデッドであった。

 

7-1 グレイトフルデッド〜花のサンフランシスコ〜

f:id:kenjironius:20191015015121j:image

さて7章まできてようやくアメリカンロック最重要バンドの一つグレイトフルデッドだが、実は図ではこのブログのスタート、第1章で登場している。

f:id:kenjironius:20191015063058j:image

CSN&Yの名曲〝Teach your children〟にてスチールギターでゲスト参加したのがグレイトフルデッドの中心人物ヒゲ魔神ジェリー・ガルシアであった。という繋がりで登場。

 

サンフランシスコのみならず西海岸において広い交友関係を持っていたジェリーガルシア及びグレイトフルデッドであったが、ヒットチャートとはほぼ無縁のバンドであった。であるなら何がそんなにすごいのか、ということをバンド結成から順を追いながら書いて行こうと思う。

とはいえ《60年代後半〜70年頭至上主義》の僕はやはりその時期のグレイトフルデッドしかちゃんと聞いていないので、初期の話に偏る文章となるがお許しを。

 

ワーロック

f:id:kenjironius:20191016113009j:image

65年にサンフランシスコのベイエリアにあるパロアルトという都市でジェリーガルシアボブ・ウェアを中心に結成したバンドは当初ワーロックス〟と名乗っていた。

しかし東海岸にて同名バンドがレコーディングしたという情報を聞きつけ、〝グレイトフルデッド〟にバンド名を変えることとなる。

なんとこの東海岸ワーロックスが後のThe Velvet Undergroundである。

アメリカ東西を代表するサイケバンドが元々同じバンド名を名乗っていたこの話は有名であるが、この奇跡すぎる話は何度噛んでも味のする好きな話だ。

 

グレイトフルデッドと名を変えたバンドはケン・キージーのアシッドテストにてホストバンド的立ち位置でライブを始める。

 

LSD研究室

f:id:kenjironius:20191015215201j:image

サンフランシスコのサイケデリック及びLSDの普及には2人の重要人物が絡んでいる。

1人がケン・キージーという作家である。

62年に『カッコーの巣の上で』という小説で作家としてデビューしたケン・キージー〝メリー・プランクスターズ〟と呼ばれるヒッピーコミューンのリーダーであった。彼とプランクスターズはまだLSDがまだ合法であった64年に〝ファーザー〟と呼ばれる虹色にカラーリングされたバスに乗って全米にLSDを広めるツアーを行ったのだ。それは〝アシッドテスト〟と呼ばれ、ビートルズ〝マジカルミステリーツアー〟のモデルとなったことでも有名である。

そのアシッドテストの一環として行われたライブのいくつかでグレイトフルデッドはライブをし、LSDサイケデリックの普及に貢献したのだ。66年1月にはサンフランシスコにてアシッドテスト『トリップ・フェスティバル』が開かれ、入場者全員にLSDが配られるそのフェスでグレイトフルデッドはジミヘンと共に即興演奏によってヒッピー達をトリップさせた。このフェスティバルはサイケデリックロックの始まりと位置付けられている(曲としてのサイケデリックロックは数ヶ月後のバーズ〝霧の8マイル〟が最初)。

そしてサンフランシスコのLSDを取り仕切っており、アシッドテストへのLSDの供給を行っていたのが《アシッドキング》と呼ばれるサウンドエンジニアのオウズリー・スタンリーという男であった。

グレイトフルデッドサウンドの要という立場でありながら《アシッドキング》であるオウズリー・スタンリー、スタンリーの作るLSDと共にグレイトフルデッドの存在を広めるアシッドテストを行ったケン・キージーの2人はデビュー前のグレイトフルデッドにとって切っても切れない重要なパイプであった。

この時期のことをジェリーガルシアはこう語っている。

私たちは当時オウズリーの恩寵を受けて生きているだけだった...(彼の)トリップは私たちのための機材をデザインしたかったことであり、そして私たちは彼がそれをするために研究室の状況でいなければならないつもりだった。(Wikipedia)

LSD実験、アシッドテストの研究室としての役割を果たしていたグレイトフルデッドはその副産物としてサイケデリックロックを生み出し、《デッドヘッズ》と呼ばれる密接なファンを獲得していく。

 

デッドヘッズ

f:id:kenjironius:20191016113218j:image

 

グレイトフルデッドのバンド運営方法から学ぶ現代の会社経営』みたいな記事を読んだことがあるが、グレイトフルデッドのバンド運営は他のバンドとは一味違っていた。

その最大の特徴は客にライブの録音とその音源の共有を許可したことにあるだろう。海賊盤にシビアであった当時の音楽界では考えられないことである。録音と共有を許可したことで放っておいてもファンが勝手に宣伝してくれるわけで、そのことが目先の金より将来的な成功を生んだのだ。

ライブ音源や写真を交換し合うことでファン同士に仲間意識を芽生えさせ大きなコミュニティを形成していき、そのヒッピー集団は〝デッドヘッズ〟と呼ばれ、今でもそのコミュニティは根強く存在している。

デッドヘッズ達は車に生活品を詰め込んで車上生活をしながらタイダイ染めのTシャツを着てグレイトフルデッドのツアーに着いて回った。

 

グレイトフルデッドはデッドヘッズを客としてではなく仲間として扱っていた。初期の頃のサンフランシスコのヘイト・アシュベリーでは身を削りデッドヘッズに無料の食事、宿泊、音楽、そして健康管理をも提供していたという。さらにはチケットの売買にもバンドがしっかりと関わり、貢献度の高いデッドヘッズにはライブにて良い席を用意するなどデッドヘッズを競わせることでコミュニティを拡大していったのだ。計算高いのか、ラブ&ピースすぎた結果上手くいったのか、ハッキリとは言えないがバンドサイドにかなり優秀な策略家が居たことは間違いないだろう。インターネットのない時代に強いネットワーク力で見事にファンを繋ぎ止めることに成功したのだ。

 

しかしライブ録音を許可したからといって普通はここまでファンの熱が燃え上がることはないだろう。ヒットチャートにほぼ無縁でありながらアメリカで常にトップのライブ動員を誇ってこれた理由はやはり彼らの音楽性にあるだろう。

 

ジャムバンド

f:id:kenjironius:20191016113410j:image

デッドヘッズ達が録音に夢中になり、そのコレクションを共有したのはグレイトフルデッドのライブが常に即興演奏で成り立っていたからだろう。彼らは同じ内容のライブを2度とすることがなかったので、全てのライブの音源に価値が生まれた。

 

グレイトフルデッドは67年に「The Grateful Deadでレコードデビューし、68年に2nd「Anthem Of The Sun 」、69年に3rd「Aoxomoxoa」をリリースした。音楽性はカントリー、フォーク、ブルース、ブルーグラス、ジャズなど他ジャンルを混ぜこんだものである。良質なフォークロック、ブルースロックであると思うし2nd以降はサイケデリックな音使いも見られ芸術的発展も見受けられるが、彼らの真骨頂はやはりライブ演奏であった。

彼らはスタジオ音楽を曲の完成形とみなさず、ライブでの即興演奏による発展にてその日その日の曲の姿を示した。サイケデリックの賜物と言える音への没入をライブにて試みることで、3分弱の曲が20分を超えることも珍しくなく、ライブの総時間は8時間にも及ぶ日もあったらしい。

 

そんな彼らのサイケデリック全盛期のライブ盤が69年の「Live Dead」である。

f:id:kenjironius:20191016120215j:image

グレイトフルデッドがどんなバンドかを知りたければまずこのアルバムを聞くべきだと紹介される名盤だ。69年頭のフィルモアエストとアヴァロンボールルームでのライブ音源で構成されている。23分に及ぶ〝Dark Star〟やギターのフィードバックのみによるセッション〝Feedback〟などグレイトフルデッドの真骨頂といえるサイケデリックジャムを聞くことができる。ドラムが2人いるのも大きな特徴だ。

 

正直僕は「ジャム最高!やっぱジャムが1番!」と言える性格ではなく、しっかり作品として試行錯誤を重ねたサイケデリックソングの方が好みであるが、やはりグレイトフルデッドにはシビれる。真のサイケデリック、真のヒッピーは間違いなくこのバンドであるだろう。真のサイケデリックが最高のサイケデリックであるかは置いといてね。

 

ではグレイトフルデッドにしっかりとした〝作品〟としての音源はないのかというとそうでもなくて、この次の70年4th「Workingman's Dead」と5th「American Beauty 」がそうであると言えるだろう。

f:id:kenjironius:20191016122053j:image

特に「American Beauty 」は僕も好きなアルバムで、70年となると世間のサイケデリック熱も落ち着き始めたころでそれに合わせてか落ち着いたカントリーロックやフォークロックに仕上がっている。ソングライティング能力と美しいハーモニー、ジェリーガルシアのクリーンなギターなどいい意味で〝普通のバンド〟っぽいアルバムだ。ちょうど結成したCSN&Yっぽい音楽と言えばわかりやすいだろうか、まさにタイトル通りの〝アメリカ〟なアルバムである。

 

その他偉業

で、僕が把握してるのはその70年「American Beauty 」までであるんだけど、他にも偉業はある。

まず自身のマスターテープと出版権を所有するバンドの先駆けとなったこと。これは当時珍しいことで、この事と20年30年経っても揺るぐことない絆で結ばれたデッドヘッズ達によって70年代も80年代も90年代もアメリカでトップクラスのライブ動員があったことで、グレイトフルデッドは《ビートルズより稼いだバンド》とも言われている。

 

あとはライブのPAシステムの発展に貢献したこと。《アシッドキング》オウズリー・スタンリーは70年についにLSD製造の罪で逮捕されることになるが、彼の仕事はLSDの売人だけではなくサウンドエンジニアであった。

ライブ命のグレイトフルデッドにとってライブ音響は非常に重要な事項であり、当時劣悪であったライブ音響技術を試行錯誤を繰り返し改善していった。その結果《ウォールオブサウンドと呼ばれるPAシステムを作り上げ、ライブPAシステムの改善に貢献したわけだ。詳しい内容は分野ではないのでわからないが、それは現代のシステムにも繋がるものであるようだ。

《ウォールオブサウンド》と言えばフィルスペクターのスタジオワークが有名であるが、ライブ版《ウォールオブサウンド》の発明はグレイトフルデッドによるものなのである。

 

 

終わり

ま、こんなとこだろうか。

とにかくグレイトフルデッドのライブが堪能できる名盤「Live dead」は必聴。

あと「American Beauty」かな!良きカントリーロック、フォークロックが聞けます!

アメリカの人気と日本での人気の格差が大きい代表的なバンドでもあるので、アメリカでの異常なほどの人気は日本ではピンとこないが、ヒッピー文化と共にグレイトフルデッドを1度体感してみてみるのもいいんじゃないでしょうか!

 

グレイトフルデッドのメンバーはサンフランシスコ界隈、西海岸界隈にて様々なバンドと関わっているので次回サンフランシスコサイケデリックを見ながら図を繋げていけたらと思います、さいなら!

6-6 ソフトロックまとめと次章

6-6 ソフトロックまとめと次章

f:id:kenjironius:20191009012250j:image

さぁ次のソフトロック、とCD棚を眺めてたんだけど見つからないのよね。これはもちろん僕がまだまだ無知であることが1番の要因であるが、やはり最初に言った通りソフトロックはそんなに多くない。というか、僕の《ソフトロック》の定義が狭すぎたのか…

ブルースの匂いがしないこと

ギターロックではないこと

ウィスパーボイス多し

コーラスワーク強し

ライブを想定しない緻密なスタジオワーク

主に西海岸カリフォルニア

60年代後半〜70年代前半

ドトールで流れる

 

こんなところで縛った結果、ロジャニコ関連、カートベッチャー関連、マーゴガーヤン、で尽きてしまったわけだ。とはいえその関連だけでも中々のメンツが登場した。

Roger Nichols&The Small Circle of Friends

The Parade

クロディーヌロンジェ

ハーパースビザール

The Peppermint Trolley Company

後期モンキーズ

The Millennium

サジタリアス

アソシエイション

Eternity's Children

トミー・ロウ

マーゴ・ガーヤン

Spanky&Our Gang

 

くらいだろうか。十分すぎる。

こうして見てみるとほとんどがアメリカで言うところの《サンシャインポップ》に属していることがわかる。

〝Soft Rock〟を英語版wikiで調べるとビリージョエルやエルトンジョン、Totoなんかが出てくるし、やはりまだまだ国内外で認識のズレがあるジャンルではあるんだけど、僕の言う《ソフトロック》は日本で認識されている《ソフトロック》とほぼほぼ同じだと思う。ただし、ゾンビーズホリーズなどのイギリスのバンドは除外させてもらった。

つまりは日本で言う《ソフトロック》はアメリカで言う《サンシャインポップ》とほぼ同意義だ。

ってなわけで他に誰かいないかなーって〝Sunshine pop〟をwikiで検索したところ、ほとんどは上記のバンドと一致する中、一つだけよく知るバンドが載っていた。それはStrawberry Alarm Clockというバンドであり、僕の中ではしっかり《USサイケ》の認識であったバンドだ。ソフトロックと思ったことは1度もない!

へぁ〜こりゃまたわからなくなったな…ソフトロック=サンシャインポップというのも違うようだ…

なわけでソフトロックは一旦ここまでにしときます。保留保留。

 

ちなみに60年代のハリー・二ルソンってソフトロックなんじゃない?ってしばらく考えてて、また二ルソンについてもどこかで書けたらいいなぁと思っている。個人的にはイギリスのドノヴァンとアメリカの二ルソンって目立たない天才って感じでダブるんだけどどうでしょう?

 

 

USサイケへ

とりあえずソフトロックは保留にしといて次章ではUSサイケへと行こうと思うんだけど、僕は〝アメリカンサイケそんなに好きじゃない〟というスタンスで、ブリティッシュサイケが好きだ!ってスタンスで生きて来たんだけど、持ってるCDをよくよく見てみると多数のUSサイケが出てきて、「あれ?ブリティッシュサイケより多いんじゃないの?」ってなりまして。

僕の〝USサイケ〟のイメージは《ガレージサイケ》や《ヘヴィサイケ》のイメージが強くて「うっせぇ!」って思ってて、やっぱりブリティッシュサイケのカラフルさや浮遊感とポップさの方が好みだ。なんて思ってたんだけれど、広大なアメリカという国にはたくさんの〝サイケの形〟が存在していることをCD棚を見ていて思い出さされた。

 

普通に考えて人口的にイギリスよりアメリカが断然多いわけで、バンド数もそりゃアメリカの方が多い。そりゃかっこいいやつもダサいやつもたくさんいる。

西と東ではもはや別の国ってくらい距離があり文化も違うし、西海岸だウエストコーストだとここまで書いてきたが、西海岸だけを切りとってもロサンゼルスとサンフランシスコには600キロの距離がある。ついつい大阪と神戸くらいに思っちゃうんだけどね。

 

USサイケ代表と言えばグレイトフルデッド、ジェファーソンエアプレイン、ドアーズ、13th Floor elevators、ヴェルベッツ、ストゥージーズ、ジミヘン、ラヴ、辺りになるんだろうか。

この代表的バンドの中でも

ジャムサイケなグレイトフルデッドは好き

ヘヴィ気味なジェファーソンエアプレインは苦手

ドアーズはブルース色強めだが好き

ガレージサイケ代表13th Floor elevatorsは苦手

ヴェルベッツもガレージに分類できそうだが大好き

ストゥージーズはヘヴィサイケだが微妙なところ

ブルースサイケのジミヘンはそこまで好きではない

ソフトサイケ気味なラヴは好き

 

と自分でも正直好みの基準がわからない。ジェファーソンエアプレインは苦手だけど、丸パクリバンドであるArt of Lovinってバンドは好きだったりするし…

 

そんな僕の中で今までしっかり整理してこないまま何となく〝あんまり好きじゃない〟と言っていたUSサイケを次章、7章では整理しながら見ていけたらと思う!よく考えればUSサイケに好きなバンドたくさんいたのよ!

 

ロサンゼルスで密かにソフトロックが作られていた同時期にサンフランシスコでグレイトフルデッドやジェファーソンエアプレインを中心に盛り上がったUSサイケデリックムーヴメント、ガレージサイケ/ヘヴィサイケ。ニューヨークにはヴェルベッツやバニラファッジ。ロサンゼルスにはソフトサイケと呼べる奴らもいる。United state of Americaって前衛サイケも。

 

どこから攻めるべきか全く見えないが、まぁ適当に7章を進めていけたら!

 

 

 

6-5 マーゴ・ガーヤン〜永遠の恋人〜

f:id:kenjironius:20191002023835j:image

 

ドトールというソフトロックの宝庫

f:id:kenjironius:20191002024008p:image

僕はコーヒーがそんなに好きではなくむしろ苦手であり、基本的にコーヒーは飲まない。なので必然的にカフェや茶店に行くこともあまりないんだけど、心に余裕が有り余っている時や調子に乗っている時にたまーに行く。そこが気持ちの良い場所であることは知っているのだ。

洒落たカフェに魅力を感じる感性も人並みに持っているし、個人経営のこだわりの強そうなカフェやログハウスチックな茶店なんか見かけたら「おっ」とはなるんだけど、僕が心に余裕が有り余っていて調子に乗っている時にまず探すのはチェーン店であるドトールコーヒーである。

 

あれはもう6,7年前くらいだろうか、よく晴れた日でその日は友人の結婚式であった。僕は今でもそうだが非常に時間にルーズで、いつもギリギリでバタバタと余裕なく生活している(もちろん逆に家では余裕)。しかしその日は結婚式の余興で弾き語りをすることもあってか異常に早く家を出て、なんと式の受付まで2,3時間あるという状況。気候もよく、めでたい日でもあったし調子に乗った僕はドトールコーヒーで時間を潰すことにした。普段カフェに行かない僕は初めてのドトールコーヒーだった。コーヒーとサンドイッチを注文して緩やかな時間を過ごそうかとBGMに耳を傾けた。

 

話は変わるが僕は生まれつきの片耳難聴で、左耳が全く聞こえない。もし片耳難聴の人がいればわかると思うんだけど、基本的に店なんかのBGMはほぼほぼ聞こえないのだ。周りの人の話し声や生活音やらとBGMが全て混ざって片耳に飛び込むので中々聞き取るのが難しいのだ。ま、周りがうるさけりゃ聞こえないなんてのは両耳聞こえたとて同じことだけど、特に、ね。

 

ところがその日僕が座った喫煙席は人がおらず静かな空間で、BGMがすんなり耳に入ってきた。したら深いリバーブの効いたボーカルに鳥の鳴き声、よく知ってる曲じゃないの。The MillenniumIslandじゃないの。正直ロック好きにはミレニウムなんてもはや全くマニアックではないんだけれど、それでも街で耳にすることはそうそうないのでビックリで、なんか今日はいい日になりそうだなぁなんて苦手なコーヒーを飲んでたらロジャニコハーパースビザールクロディーヌロンジェ、と次々素晴らしきソフトロックの名曲が流れてくるじゃないの。そう、ソフトロックが流れるカフェ、それがドトールコーヒーなのだ。正直全然知らないソフトロックが流れてきてそれを『SoundHound』で曲名調べて新たなソフトロックを教えてもらったくらい。

音楽仲間でも中々ソフトロックを共有できる人がいないってのに、大手チェーンのカフェでそれが普通に流れてることにとにかく興奮したんだけど、ネットで調べるとやはり僕と同じようにはしゃいでいるソフトロック好きはたくさんいて、ソフトロックファンの間ではドトールが熱いというのは有名な話のようで。

 

詳しく調べたら少し前の記事だけどBGMのリストまで載ってる完璧な記事があったので気になる方は是非。

https://www.google.co.jp/amp/s/www.excite.co.jp/news/article-amp/E1434071926281/

 

なるほど、時間帯で違うみたいでAORやブラジル音楽なんかの時間帯もあるみたい。ソフトロックは11~14時なんだって!今もそうかは知らないけど…

かなりの音楽好きのドトールのBGM担当とUSENの担当が相談を重ねて決めてるみたいで、素晴らしい選曲ですね。

 

 

さて、今回はマーゴ・ガーヤンという天使を紹介したいんだけど、前にも言ったようにジャンルの定義って難しくて。正直僕がハッキリとソフトロックだと言えるのは前回前々回に書いたロジャニコ関連、カートベッチャー関連だけで…

ギターロックじゃないこと、ブルースの匂いがしないこと、ウィスパーボイス気味であること、などに加えて西海岸、カリフォルニアのアーティストであること、と僕は定義付けたんだけれど、マーゴ・ガーヤンは東の人なのよね。

しかしここにもう一つ定義を付け足そうと思う。

ドトールで流れてくること》

そうマーゴ・ガーヤンもドトールで流れてたんだな(流れてきた時はつい立ち上がってしまった!)。ってことでドトールで流れてたんだからマーゴ・ガーヤンもソフトロックだ!

 

6-5 マーゴ・ガーヤン〜永遠の恋人〜

f:id:kenjironius:20191003024216j:image

ソフトロックファンの永遠の恋人マーゴ・ガーヤン。もちろん僕も見事に恋に落ちた。

好きな女性ミュージシャンはたくさんいる。ジャニスだっているし、サンディ・デニーパティ・スミスも。特にジュディ・シルなんかはもう尊敬を通り越して畏怖を覚えているくらいだ。しかし恋に落ちたのはマーゴだけだろう。

 

そういえばミュージシャンではないがパティ・ボイドに惹かれた時もあった(ロックファンなら誰もが一度はあるよね)。ジョージハリスンとエリッククラプトンの前妻であり2人の名曲の題材にもなったファッションモデル、パティ・ボイドの可愛さにはやられた。ちょっと出っ歯なのも良し。

f:id:kenjironius:20191002053019j:image

(パティボイド)

ジョージの東洋思想傾倒のガイドであり、ビートルズインド訪問の立役者でもあるんだよね。彼女の自伝、読みたいと思い続けて読んでないな…2008年に出版された本でジョージやクラプトンとの恋についてもしっかり書かれているようなんだけど、『ワンダフル・トゥデイ』ってタイトルであり、クラプトンがパティボイドとの愛を歌ったWonderful Tonightをあからさまにもじったタイトルで、「おい!ジョージはどうした!!」って思ったのを覚えてる。

 

さて、パティボイドの魅力はジョージ、クラプトンが恋に落ち、ジョンレノンやミックジャガーまでもが惹かれていたと言われるその可愛らしさであるが、シンガーソングライターであるマーゴガーヤンの魅力はもちろん見た目もあるが可愛らしくも知的な彼女の音楽にあるだろう。元々はジャズで育った人であり、その知的な音楽性を土台に天使のウィスパーボイスで恋を歌う。その空気感はまさに《映画のような恋》であり、僕は彼女の曲をサントラにしたラブコメディ映画を製作するべきだとずっと思っている。

僕はカフェの持つ魅力の一つに《映画のような空間》というものがあると思っている。日常にありながら日常から切り離されたカフェという空間。そこで流れるBGMはまるで映画のBGMのようだ。ドトールのBGMリストにマーゴガーヤンをチョイスした担当者はえらい!

 

そんなマーゴガーヤンの音楽キャリアは作曲者としてスタートしており、58年まで遡ることになる。

 

ジャズピアニストマーゴ

f:id:kenjironius:20191003002616j:image

(クリス・コナー)

マーゴガーヤンは1937年生まれで、ロック史の中でもかなりの年長者である。ビートルズでもジョンが40年生まれでポールが42年生まれ。ソフトロックは60年代後半に活躍するが、裏方の人間が活躍するからか年齢層は割と高めでビートルズ辺りと同年代か少し下くらいであることが多いが、マーゴはさらに上。ソフトロック連中でもロジャニコが40年生まれ、カートベッチャーが44年生まれだからね。マーゴは68年に「Take a picture」でソロデビューするわけだけど、31歳でのデビューというわけだ。今の僕と同じくらいか……まぁ31歳の女性を天使だ天使だと20歳そこそこの僕が夢中になってたと思うとおかしな話だけど。

 

1937年ニューヨーク生まれのマーゴは幼少期からクラシックピアノを習いボストンの大学に進むとジャズに興味を持つようになる。

大学を卒業した年の夏に《Lenox School of Jazz》という講習に参加する。これがどれくらいの期間なのかとかどんな内容なのかとかはよくわからないんだけど、講師陣はMax RoachBill Evansといったすごいメンツで、若手のジャズプレイヤーを育てる割と大きな講習であったよう。

この時マーゴはサックスプレイヤーのOrnette Colemanオーネット・コールマンとクラスメイトであり、一緒にプレイした二人はMJQのJohn Lewisに才能を認められ、彼の音楽出版社と契約しプロのジャズプレイヤーとなることに成功する。

58年にジャズシンガーであるChris Connor(クリス・コナー)〝Moon Ride〟という曲を提供したのが作曲家としてのデビューである。61年には同じくクリス・コナーが「Free Spirits」というアルバムでオーネットコールマン作曲の〝Lonely Woman〟に歌詞をつけて歌った際の作詞もマーゴが担当しているよう。

※恥ずかしながら僕はジャズに疎くて、ここまで出てきたジャズミュージシャンをほとんどわかってない。かろうじてビル・エヴァンスがわかるくらいで…

 

こんな感じでジャズ界隈で作曲、作詞、ピアニストとして仕事をしていたマーゴだが、66年に友人に勧められた1枚のレコードに大きな衝撃を受ける。そのレコードというのがビーチボーイズ「ペットサウンズ」であり、その中でも特に〝God Only Knows〟に衝撃を受けたらしい。

アメリカの大人気バンドビーチボーイズを友人に勧められるまで知らなかったとしたら元々よっぽどロックやポップスに興味がなかったんだなぁと思うんだけれど、この衝撃を期にマーゴはポップス曲を作るようになるわけだ。

 

〝Think of rain〟と〝Sunday morning

f:id:kenjironius:20191003002532j:image

(Spanky&Our Gang)

「ペットサウンズ」によってロック、ポップスに目覚めたマーゴはこれまで同様作曲家として曲を提供していくが、その提供先はジャズ界隈ではなく、ソフトロック/サンシャインポップ界隈となる。

ペットサウンズを1000回聞いた後に作ったと言われる〝Think Of Rain〟ボビー・シャーマンジャッキー・デシャノン、そしてクロディーヌ・ロンジェによって67年に歌われた。同じ年に3人のシンガーが同じ曲を歌うなんて変だなぁなんて思うんだけど、当時は珍しいことではなかったのかな?

僕はクロディーヌ・ロンジェを『マーゴガーヤン好きならオススメ!』的な特集で知ったんだけど、確かに2人の歌は同じ雰囲気を持っていて共通する部分がある。ただしクロディーヌロンジェはシンガーであり、マーゴはシンガーソングライターであるのでまぁマーゴに軍配は上がるだろう。

クロディーヌロンジェには同67年にクリスマスソングである〝I Don't Intend To Spend Christmas Without You〟も提供している。

 

続いてSunday morningを多重コーラスが特徴のソフトロック/サンシャインポップのバンドであるSpanky&Our Gangが67年にシングルリリースしヒットする。これによってマーゴの名はロック界に轟くことになった。68年にはボビー・ジェントリーとグレン・キャンベルのデュオもこの曲をカバーしており、〝Sunday morning〟はマーゴの代表曲と言える曲である。

 

そしてついに68年にSpanky&Our Gangのメンツをバックに従えてシングル〝Spanky&Our Gang〟でマーゴ自身もソロデビューし、同年アルバム「Take a picture」をリリースする。

 

 

Take a picture/margo guryan

f:id:kenjironius:20191003023658j:image

1. Sunday Morning

2. Sun

3. Love Songs

4. Thoughts

5. Don't Go Away

6. Take A Picture

7. What Can I Give You?

8. Think Of Rain

9.Can You Tell

10. Someone I Know

11. Love

 

このジャケットと〝Think Of Rain〟によって《雨の日の恋人》なイメージが強いマーゴガーヤン。《雨》のイメージであるが決して暗くはなく穏やかで可愛らしい曲ばかりだ。ただしやはり《サンシャインポップ》とは少し違い、《雨のソフトロック/ソフトサイケ》といったところだろうか。

 

基本的に彼女のバックボーンにあるジャズ的ニュアンスが効果的に機能して非常に知的で洒落たポップソングを作り出している。ジャズのニュアンスを確かに感じるが、決して《ジャズロック、ジャズポップ》にはならず《ソフトロック、バロックポップ》に仕上がっているのがすごい。おそらくは本人とプロデューサーも強く意識したところではないだろうか。

1曲目〝Sunday morning〟のセルフカバーではSpanky&Our Gangのバージョンとは違った軽快なアレンジを施してある。Spanky&Our Gangの〝Sunday morning〟は彼らの多重コーラスの特徴もあってか中々大げさで壮大な仕上がりとなっていたがマーゴのバージョンでは室内的でコンパクトなアレンジとなった。彼女の音楽に封入されている世界は《街》であったり《部屋》であったり《カフェ》であったり、彼女の極々身の回りの世界であるように感じる。ウィスパーボイスもそれをより一層際立たせる要因だろうか。その実に内向的でミニマムな世界感が彼女の恋や日常を《映画的》に映し出していく。

 

音楽的特徴はとにかく変拍子の使い方が自然体で素晴らしい。変拍子をさらりと曲に混ぜ込むのが頻繁に見られるが決して《キメ》として大げさにしないバンドアレンジもお洒落だ。

68年、ブーム真っ只中のサイケデリックニュアンスも十分に詰め込んであるが思想やドラッグといったものではなく、音楽としてのサイケデリックを吸収し反映させているといった感じか。

 

ほんとに頭から最後まで名曲揃いで、〝Love songs〟タイトル曲〝Take a picture〟なんかは癒し系ソングの極みである。〝Take a picture〟は全カメラ女子のテーマソングとなるべき曲だろう。

そんな中で僕が1番好きなのは10曲目〝Someone i know〟

バッハの『主よ人の望みの喜びよ』を絶妙に取り入れた素晴らしいバロックポップである。バッハを曲に取り込んでおきながら壮大な雰囲気にさせないアレンジにしびれる。ドラムが特に好きで、僕の知る全ロック曲の中でも好きなドラムだ。

11曲目ラストは〝Love〟というアホほどサイケな曲で締めくくられる。前半はほとんど壊れたかのように自由すぎるセッションの連続、後半はノリはいいのに浮遊感溢れるという不思議な曲。

 

discogで調べたところ96年に日本で初CD化!マーゴも日本発掘なのね、すげぇな渋谷系

僕がもってるのは2000年のUS盤かな?ボーナストラックの〝Timothy Gone〟って曲がまたいいのよ。

 

その後

マーゴは「Take a picture」リリース後ツアーの打診をされるが断っており(ライブ一回もやってないんじゃないかな)、その後目立った活動をせず、ピアノの先生をして生活していたよう。このピアノの先生ってのが音楽学校の教授なのか、街の子供向けの音楽教室の先生なのか詳しくわからないんだけど後者であってほしいな。なんとなくね。

 

2001年にリバイバルブームを受けて「25Demos」というマーゴのデモ音源集がリリースされるが、デモといってもしっかりとアレンジが施されておりファンを喜ばせた。2014年に「27Demos」、2016年に「29Demos」と2曲ずつ追加されてはリリースしており、まだあるんじゃないかと楽しみにしている。

 

マーゴ自身も2007年に動きを見せて「16words」というシングルを発表している。

f:id:kenjironius:20191003060959j:image

これがソフトプログレバロックプログレと言えるような過去の印象とは違う雰囲気を持った曲であるが、


歌詞は

「THE BRITISH GOVERNMENT HAS LEARNED THAT SADDAM HUSSEIN RECENTLY SOUGHT SIGNIFICANT QUANTITIES OF URANIUM FROM AFRICA」という、ジョージブッシュ氏が発言した16個の単語にそのままメロディを付けるというなんとも凄まじい曲。

 

意味はサダムフセインがアフリカからウランをどうたらこうたらイギリス政府がなんちゃらかんちゃら、あんまりよくわからないんだけど、とにかく激しく怒って批判しているんだろう。ってのは伝わってくる。

とにかくブッシュの発言をそのままそれだけを歌詞にして、タイトルが16wordsだなんて、なんて洒落てるんだろうか。

PVも政治批判満載で鳥肌ものなので是非!このPVアイデアすごい!

https://youtu.be/Q7soN6HNU3Y

 

 

2009年にはThe Chopsticks Variations」というピアノインストアルバムもリリース。

f:id:kenjironius:20191003061043j:image

詳しくわからないんだけど《チョップスティック》というのは両手の人差し指一本ずつで箸のように弾くピアノのことらしくて、そういう弾き方のことなのか、それで弾く曲の名称なのか勉強不足でわからないんだけど、マーゴがそれをやってるみたい。ジャケットもピアノの教本風だし、生徒用なのかなんなのか、とにかく不思議な人だ。

 

 

終わり!知的でありながら可愛いソフトロックファンの永遠の恋人マーゴガーヤンを是非(今82歳か…)。僕は《無人島に持って行く10枚》的なやつを心の中で頻繁にアップデートしてるんだけど、この「Take a picture」というアルバムは出会ってから今日までランクインし続けています。前回のミレニウムの「Begin」もね!ロジャニコは50枚以内には入ってるって感じかな…ソフトロック強し!

 

では図だけ軽く繋いどきますー

f:id:kenjironius:20191003081517j:image

 

 

6-4 カート・ベッチャー〜コーラスの魔術師〜

 

ハーモニーの消失の謎

僕はハーモニーというものがほんとに好きで、豊かさと美しさを生み出すハーモニーはなるべくあればあるだけいいと思ってるくらいなんだけど。

 

ところで僕は最近12弦のアコースティックギターを買って、想像以上のその〝鳴り〟に強く感動して毎日有名な12弦ロック曲を弾いてみてはニンマリしている。12弦の素晴らしさはもちろん知ってはいたが、自ら弾いてみると想像の何倍もの衝撃であった。正直〝反則〟とも言える12弦ギターの響きに虜になった僕にある疑問が浮上する。

「え、なんでみんな使わないの?」

ジョージ・ハリスンやロジャー・マッギンを始め60年代半ばから70年代にかけてのロックにおいて大活躍した12弦ギターだが、70年代後半、80年代以降とだんだんと使うミュージシャンの数は減って行く。豊かで美しく幻想的でもあり、僕からすれば欠点のない12弦ギターをなんで使わなくなったんだろうって考えてたら、そう言えば12弦の衰退と同じようにボーカルハーモニーも時代と共に減っていくんだよな。

イギリスはビートルズアメリカはビーチボーイズ、それぞれ素晴らしいハーモニーを持ったバンドから始まったロックは当然のようにハーモニーと共に60年代を駆け抜けていった。バンドメンバーの内複数人が曲によってメインボーカルを回し華麗なハーモニーを響かせるのは当初の《ロック》の典型的なスタイルだったはずだ(もちろんザ・フーストーンズみたいなれっきとしたボーカリストがいるバンドもたくさんいるが)。

ハーモニーの消失と12弦の衰退には同じ理由があるんじゃないかなぁなんて思ってて(まぁハーモニーのイメージのないツェッペリンが12弦をバリバリ使ってるから一概にそうとは言えないけど)、時代が必要としなくなっていったその理由を考えても12弦の虜になってハーモニー大好き(得意とは言ってない)な僕にはなかなか納得行く答えは出ずで…まさか〝あんまり良くない〟なんて理由じゃないよね?ハーモニーが素晴らしいって感覚は〝人それぞれの好み〟の範疇を超えてると信じてるんだけど、まさかそうでもないのか…

 

1章にてバーズについて書いた時に12弦について冗談まじりに《弦が2倍であるので、ミスタータンブリンマンなんかのフォークロック曲は豊かさが倍になるし、エイトマイルハイなんかのサイケソングは奇妙さが倍になる》なんてアホみたいな理論を提示したが、半分マジで。そしてボーカルハーモニーにも同じようなことを思っている。ハッピーなハーモニーソングはハッピーさを増幅させるし、聖歌のハーモニーは神聖さを増幅させている。ハーモニーは増幅装置みたいなものであるのだ。増幅できないのは〝孤独〟くらいなもんで、それは初期のディランやニールヤング辺りの弾き語りスタイルの特権なのかもしれない。

 

僕はビートルズのようなメインメロディに対しての2声,3声のコーラス(所謂ハモり)やUh...やOh...やAh...やLa...やNa...なんかの複声のバッキングコーラスを《ハーモニー》として捉えているんだけど、ビーチボーイズのブライアンウィルソンはさらに《声》の使い方を広げ、パーカッション的な使い方、メインメロディと同時に別メロディ(カウンターメロディ)を歌わせたりと楽器的に《声》を使うコーラスワークを提示した。ブライアンウィルソンのコーラスワークは豊かな《ハーモニー》というより複雑な《アンサンブル》と言ったほうがいいだろう。これは明らかに《ドゥー・ワップ》の影響である。ハーモニーの歴史の元はそりゃ聖歌とかになるんだろうがロックにおけるハーモニーの元は《カントリー》《ドゥー・ワップ》《ゴスペル》といったアメリカ音楽にあるのだろう。ビートルズが影響を受けたエヴァリー・ブラザーズのハーモニーは《カントリー》のハーモニーであるしね。

 

そんなわけでアメリカには多数のハーモニーグループが存在するわけだが、特に60年代半ば〜後半の西海岸は素晴らしいコーラスグループの宝庫だ。バーズを筆頭としたフォークロック勢、ビーチボーイズやママス&パパスといったカリフォルニアポップ勢、そしてソフトロック勢。

そのソフトロック勢の中で一際コーラスワークにおいて異彩を放ったのがカート・ベッチャーという男であった。彼のコーラスワークは今ではブライアンウィルソンに引けを取らないと考えられており、そのマジカルな技からよく〝コーラスの魔術師〟と呼ばれ賞賛されることが多い。

 

 

6-4 カート・ベッチャー〜コーラスの魔術師〜

f:id:kenjironius:20190925022049j:image

カート・ベッチャーは前回のRoger Nichols&The Small Circle Of Friendsと共にソフトロックの代表バンドであるThe Millenniumの中心メンバーであり、ソフトロック/サンシャインポップ界隈でコーラス・アレンジャーとしても活躍した重要人物である。

自身が作曲し自身が歌う活動をいくつかのバンドでしながらコーラスアレンジャーという裏方の仕事もこなしたカートベッチャーであるが、その彼のマジカルにかかった作品とグループを彼の歴史と共に見ていきたい。

 

まず彼のキャリアはThe GoldeBriars(ゴールドブライアーズ)というフォークカルテットから始まった。

 

 

The GoldeBriars

f:id:kenjironius:20190925024546j:image

カートベッチャーは元々東海岸、ニューヨークで活動していたミュージシャンであり、ゴールドブライアーズもニューヨークのグループである。男2女2のカルテットで構成されたフォークグループであるゴールドブライアーズはカートベッチャーをリーダーとし、ジャズコーラスグループから影響を受けた斬新なハーモニーを響かせた。64年に2枚のアルバムをリリースした後カリフォルニアへと本拠地を移して3rdアルバムの制作に入るも解散。

ほんとに64年という時期からは考えられない洗練されたコーラスワークを武器に独特の世界観を放ったゴールドブライアーズは大きな成功は得ることはなかったが同じく男2女2のカルテットであるママス&パパスに影響を与えたと言われている。

f:id:kenjironius:20190925044901j:image

解散後カートベッチャーはコーラスアレンジの才能を買われ66年にプロデューサー、アレンジャーとして仕事をし始める。

 

 

the Association

f:id:kenjironius:20190925045507j:image

こちらもソフトロックの代表的なバンドであるアソシエイションのデビュー作「And Then... Along Comes the Association」のプロデュースをカートベッチャーが務めた。アソシエイションは6人組であったので4人組であったゴールドブライアーズよりもさらに複雑なコーラスアレンジを施した。66年であるのでまだカートベッチャー自身のThe millenniumもロジャニコもデビューしていないのでソフトロックと呼ばれる作品群の中ではかなり最初期のアルバムであるが、リードボーカルが埋もれるほどの声の重なりはこの後に続くソフトロックの一つの特徴となっていく。

アソシエイションは正直あまりピンとこないというか、好みではなくて…ただ68年4th「Birthday」は最高傑作と名高く、時代からかサイケニュアンスも絡まり好きなアルバムである。

カートベッチャーがプロデュースしたのは1stだけであったが、その1stがヒットしたことでカートベッチャーの才能が世に出るきっかけとなった。

 

 

トミー・ロウ

f:id:kenjironius:20190926003529j:image

トミー・ロウは62年デビューのアメリカのポップ歌手であり俗に言う《オールディーズ》と呼ばれる類の人気歌手である。僕はオールディーズにあまり興味がないのでカートベッチャーが関与してなければ聞くことがなかっただろうと思うんだけど、カートベッチャープロデュースのアルバム、66年「It's Now Winter's Day」がソフトロックアルバムである。オールディーズが持つ〝ダンディ〟な雰囲気とソフトロックはまさに真逆の方向性であると思うんだけど、プロデューサーが違うとこんなに違うのかとびっくりするくらいのソフトロックである。とにかくカートベッチャーのコーラスマジカルが炸裂。めちゃくちゃ良い。

 

アソシエイションとトミーロウのプロデュースで業界での知名度を上げたカートベッチャーは同66年にようやく自らのバンド、The Ballroomを結成。ボールルームはコロンビアレコードでプロデューサーとして仕事をしていたゲイリーアッシャーの目にとまりコロンビアレコードと契約する。

 

 

ゲイリー・アッシャー

f:id:kenjironius:20190926003748j:image

ビーチボーイズの回で少し触れたが、ゲイリーアッシャーは初期のサーフィン/ホットロッド期のビーチボーイズの楽曲のいくつかをブライアンウィルソンと共作した男である。

60年代前半はサーフィン/ホットロッド界隈で活躍していたが65年にコロンビアレコードにてプロデューサーの仕事をし始める。プロデューサーとしてはThe Byrdsの67年「Younger Than Yesterday」、68年「The Notorious Byrd Brothers」、68年「Sweetheart Of The Rodeo」をプロデュースしたことで知られている。

ビーチボーイズやバーズと関わった彼もまた60年代のカリフォルニアにおいて重要な人物の1人であるが彼の1番の功績はやはりソフトロックにおけるカートベッチャーとの仕事だろう。

 

ゲイリーアッシャーは66年にThe Ballroomとカートベッチャーに出会い、コロンビアと契約させデモ音源を録らせた。しかしカートベッチャーはボールルームを発展させる形で新たにThe Millenniumミレニウムを結成する。

ミレニウムは68年にソフトロックの金字塔となる「Begin」をリリースし、ゲイリーアッシャーはエグゼクティブ・プロデューサー(ってよく見るけど一体何なのか)としてそれに関わる。

その一方でゲイリーアッシャーとカートベッチャーのプロジェクトとしてThe Ballroomのデモ音源を元にスタジオミュージシャンを起用して作品を組み上げ、同68年にSagittarius(サジタリアス)という名義で「Present Tense」というアルバムをリリースする。

 

このミレニウムの「Begin」、サジタリアスの「Present Tense」の2枚は後にソフトロックにおいて非常に重要なアルバムとなるんだけれど、少しだけ早くリリースされたサジタリアスの方から紹介しよう。

 

Sagittarius「Present Tense」

f:id:kenjironius:20190926013652j:image

プロデューサーであるゲイリーアッシャーのプロジェクトであるサジタリアスの「Present Tense」は感覚的に同じくプロデューサーであるマーク・ワーツティーネイジ・オペラ」とダブるんだけど、「ティーネイジ・オペラ」におけるキース・ウエストの立ち位置が「Present Tense」におけるカートベッチャーの立ち位置であると僕は把握している。しかしカートベッチャーは歌い手でありながらプロデューサー的要素も強くもった人物であるので、もうかなりカートベッチャー色に塗られているとは思うけど。

カートベッチャーのバンドとして知られるミレニウムは実は複数の作曲者と歌い手が在籍するバンドであり、カートベッチャーのコーラスワークは堪能できるが決して彼のワンマンバンドではなかった。しかしサジタリアスの元となったボールルームのデモ音源はほとんどがカートベッチャーの曲であるのだ。なのでカートベッチャーのソングライティング能力と歌声を堪能できるのは実はこのサジタリアスの方なのである。

 

特に好きなのが2曲目Song To The Magic Frogであり、その美しさはソフトロック随一。カートベッチャーはポップス色の強いロジャニコに比べるとだいぶロック寄りの人だと思っていて、時折《ソフトサイケ》とも言える音楽性を見せることもある。最高。

このアルバムに先立ってシングルリリースされたMy World Fell Downを歌ったのは一時期ビーチボーイズのツアーメンバーとして加入していたグレン・キャンベルである。さらにSpecial Thanksとしてミレニウムのメンバー、グレン・キャンベルに加えてブルース・ジョンストンの名もクレジットされており、ここにもビーチボーイズとの繋がりが見られる。

f:id:kenjironius:20190926021839j:image

ゲイリーアッシャーのプロジェクトでありながらこのアルバムはかなりカートベッチャー色が

強いが69年の2ndアルバム「The Blue Marble」ではカートベッチャーの出番も少なく、ブライアンウィルソンとゲイリーアッシャーの共作である初期ビーチボーイズの名曲In My Roomを収録するなどこちらのほうがゲイリーアッシャープロジェクトといった感じである。まぁこの2ndも素晴らしいんだけどな…

とにかくサジタリアスの68年「Present Tense」はカートベッチャーという才能を堪能できるソフトロック必須アイテムであるのだ。

 

The Millennium「Begin」

f:id:kenjironius:20190926023120j:image

さぁミレニウム。何故かミレニアムじゃなくてミレニウムと呼ばれてることが多いソフトロックの代表バンドであるんだけど。

簡単に言うとThe BallroomとThe Music Machine(ミュージックマシーンというバンドが合わさって出来たバンドである。

f:id:kenjironius:20190926024207j:image

ミュージックマシーンシーン・ボニウェルという男を中心としたカリフォルニアのガレージロックバンドでありソフトロックとはまるで違うが中々奇天烈な音楽性で面白いバンドである。そのミュージックマシーンでドラムを叩いていたのがロン・エドガーという男であるが、彼はカートベッチャーのフォークカルテット、ゴールドブライアーズの解散間際にドラムを叩いていた人物である。さらにオルガンのキース・オルセンはカートベッチャーの大学の同級生であった。

そんな繋がりもあってミュージックマシーンからロン・エドガー(ドラム)、ダグ・ローズ(ベース)、キース・オルセン(プロデューサー)の3人がミレニウムに参加した。

残されたシーンボニウェルはThe Bonniwell Music Machineと名を改めて1枚アルバムを残した。

ボールルームというバンドが一体どういう構成であったのかは詳しく知らないが、カートベッチャーを含む5人の作曲家兼ボーカルにミュージックマシーンのリズム隊の2人を加えた7人組がミレニウムというバンドであり、プロデューサーがカートベッチャーとキースオルセン、エグゼクティブプロデューサーがゲイリーアッシャーという布陣で68年の傑作「Begin」が作られた。

 

当時最先端であった16トラックレコーダーを導入したアルバムであり、68年にして素晴らしい音質クオリティをもったアルバムである。16トラックを初めて使ったのがサイモン&ガーファンクル「ブックエンド」であり、この「Begin」が2枚目であると言われていて、そうした最新技術の導入と完璧主義者であったカートベッチャーのこだわりによって引き延ばされたレコーディングによってコロンビアレコードの財政が傾いたとまで言われている(売れなかったからね)。

 

最新録音環境に加えてカートベッチャーの真骨頂であるコーラスワークは言うまでもないが、さらにバンドアレンジやサウンドも突き詰めており、その証拠というわけでもないがこのアルバムはPreludeというインストナンバーから始まる。この曲の最後に出てくるベースフレーズのリフレインが小節の頭を変えて2曲目To Claudia On Thursdayのイントロへと繋がっていく(言葉で説明しづらいな)あたりは圧巻。こういうアレンジはかなりロック的でバンド的であると思う。ポップとロックの中間に位置していると言えるソフトロックだが、ミレニウムとカートベッチャーはロックの流れの中に確実にいる。

そもそもカートベッチャーはビートルズvsビーチボーイズのロック戦争に加わるべくこのアルバムを作ったと言われていて、「リボルバー」のサイケデリックと録音方法の革命や「サージェント」のトータルアルバムという感性、ブライアンウィルソンのサウンドへのこだわり、双方のコーラスワーク、などを十分に吸収している。「Begin」は〝ソフトロックの名盤〟と名高いが、〝ロックの名盤〟と言われてもいいアルバムだと僕は思っている。

 

色んな意味で革新的なアルバムであるが、それより何より曲が見事に全部良いというのがすごいとこで、カートベッチャー作のIslandThere is nothing more to sayはもちろんだが、リー・マローリーI'm with you,Sing to me,It's Youサンディ・サリスバリィ5 A.Mなど他の作曲家兼歌い手も大活躍である。ミレニウムはこのアルバム1枚のみを残して解散してしまうわけなんだけど、この有能なミュージシャン達のそれぞれのその後はまだ未チェックで、ソロ活動してるみたいなんだけど、まだまだ僕には楽しみが残されてる。

 

アルバム最後Anthem(Begin)は鬼の逆再生の後にこの素晴らしいアルバムのために多額の資金を出してくれたコロンビアレコードに対しての感謝のつもりなのか「こーろんびーあ、こーろーんびあ…」と賛美歌風の合唱で締めくくられるのも遊び心満載で素敵。

〝始まり〟という意をもつアルバムタイトルに裏ジャケには〝To be continue〟の文字。しかしこれ以降ミレニアムは続くことはなかった。

 

何故売れない!!

何故売れないのかと思うアルバムは腐るほどあるがこの「Begin」ほど思うアルバムもない。

 

そんなわけでミレニウムは解散するわけだが、この後カートベッチャーはキースオルセンと行動を共にする。

 

キース・オルセン

キース・オルセンは全盛期フリートウッド・マックのヒットアルバム75年10th「ファンタスティック・マック」をプロデュースしたことで後に有名プロデューサーとなる。

フリートウッドマックはイギリスのブルースロックバンドであるが、74年頃にカリフォルニアに拠点を移し、それ以前とそれ以降で大きく音楽性が変わる珍しいバンドである。その変化の最大の要因は〝バッキンガム/ニックス〟というカップルがメンバーとして加入したことであるが、それを促したのがキース・オルセンであった。

f:id:kenjironius:20190927143722j:image

その後、フォリナーサンタナホワイトスネイクなんかのビッグネームのアルバムをプロデュースする人気プロデューサーとなるわけなんだけど、68年にミレニウムにてカートベッチャーと共同プロデュースした後70年ごろまで2人はタッグを組んでいくつかのプロデュースを行った。

 

The Oracle“The Night We Fell In Love”

f:id:kenjironius:20190927133253j:image

これが67年で、まだミレニウムの前なんだけどカートベッチャー、キースオルセンのプロデュースであるらしい。このオラクルというバンドはこのシングル1枚のみしかリリースしてないらしく、こんなのはYouTubeでしか聞いたことないんだけど、この1曲が素晴らしいソフトロック/サンシャインポップ。

山下達郎がこのシングルをラジオで紹介したらしくて、恐らくそのおかげで広まった1曲。シングル1枚のみのバンドなんて普通誰も知らないもんね。

 

Eternity's Children

f:id:kenjironius:20190927130655j:image

eternity's childrenの68年1st「eternity's children」。これが極上のソフトロック。ロジャニコよりもミレニウムよりもこのバンドがソフトロックで1番好きだって人がネット見てたら結構いるんだよね。

カートベッチャーのコーラスマジックはもちろん炸裂。エタニティズチルドレンも割とロック寄りのバンドで、ビートルズ好きにも響くソフトサイケ、バロックポップって感じである。ボサノヴァ風のMy happiness day、サイケ調のMrs.bluebirdなど名曲多数!

 

Song

f:id:kenjironius:20190927133647j:image

 Songというバンドの唯一作、70年「Song album」もカートベッチャーとキースオルセンのプロデュース。

これがバンド名とアルバム名共に非常にネットで検索しづらく、中々情報が掴めなくてyoutubeでしか聞いたことなかったんだけど、なんと去年2018年にCD化!買わねば!

f:id:kenjironius:20190927144421j:image

カートベッチャーのその後

僕が把握しているカートベッチャープロデュース作品はこんなもんです(たぶんまだある)。

70年頃にキースオルセンと離れた後、72年にソロアルバム「There's An Innocent Face」をリリース。

f:id:kenjironius:20190927134227j:image

素晴らしいんだけど、僕の思うソフトロックとは少し違うんだよな。カートベッチャーの毒っ気もあまり感じないし、丸くなったというか、時代か…

 

70年代後半には一時期ビーチボーイズを離れていたブルースジョンストンと交流があり、ビーチボーイズ79年「L.A. (Light Album)」にてブルースジョンストンが復帰した際にHere Comes the Nightという曲にプロデューサーとして関わっている。

 

87年に死去。日本でのソフトロックブームはその直後であるのか…

 

まとめ

カートベッチャーはこんな感じ!

彼自身の曲と歌が聴けるのはミレニウムサジタリアスゴールドブライアーズ、72年ソロアルバム、辺りだが68年ミレニウム「Begin」とサジタリアス「Present Tense」はロック好きなら必聴。

コーラスの魔術師っぷりが堪能できるプロデュース作品の中ではトミーロウ「It's Now Winter's Day」eternity's childrenがオススメかな!

 

以上!

 

カートベッチャー周りの図

f:id:kenjironius:20190927144530j:image

 

ソフトロック周辺図

f:id:kenjironius:20190927144644j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6-3 ロジャー・ニコルズと小さな友達の輪

ロックと自作自演

《ロック》の定義とは一体なんなのか。僕も未だにはっきりとは答えを出せてはいないんだけど、ファッションや精神論的な話ではなく音楽ジャンルとしてはっきり定めたいなぁと思っている(あくまで自分の中でね)。とはいえ精神論的な目線が僕の中に全くないかと言えばそういうわけでもなくて。

よく《反抗(カウンター)》こそが《ロック》である、と言われる。まさに60年代末のヒッピームーブメントや70年代半ばのパンクムーブメントは《反抗》そのものであるし、この二つは《ロックファッション》としても一般的にイメージが強い。確かにロックは既存の何かに反抗し続けることで受け継がれていったと言えるだろう。ただ僕はもっと大まかで単純で最低限の精神論をずっと持っていて、それは《自己表現》こそが《ロック》であるということだ。これは定義でもなんでもなくて大前提のことだけどね。

そんなのロックに限らず芸術全般そうじゃんって言われるかもしれないが、まさにその通りで、言い換えればロックは芸術であるべきだと思っている。そんなわけでより芸術的であり、より自己の内面の深いところを表現したといえる、サイケデリックロック、アートロック、プログレッシブロックあたり、即ち60年後半から70年前半あたりをロックのど真ん中と僕は位置付けているわけだ。

 

さて、そんな風にロックに熱中しはじめて間も無く《自己表現》が《ロック》であると超大まかな精神論を打ち出した僕にとって、重要になる、というか気にしてやまないのがそのバンドが《自作自演》であるかどうかであった。作詞作曲をバンドメンバーがしているのか、しているなら誰がしているのか、僕の好きな曲は誰の世界を表現したものであるのか、それは僕にとってかなり重要なことであった。こういう自作自演、作詞作曲を気にする傾向は特に日本人に多いって話を聞いたことがある。欧米の人は「誰が作ったとしてもいい曲なのは変わりないじゃない」って感覚なんだろうか、なんかその方が正しそうだし理解はできるけどやはりどうしても僕は気になる。

そんなわけで僕にとってのロックアイドルはいつも作曲家で表現者であったわけだ。ギターヒーローや名プレイヤーにあまり興味がなく、曲構成の縛りの強いブルースに疎いのもそんな理由からだろう。

 

そんなロックキッズだった僕はほぼ同時期に2つのジャンルにハマることになる。それが前章で熱くなっていた《ブリティッシュフォーク》と今回の《ソフトロック》である。

この2つは僕がインターネットを使い出してからの劇的な情報革命がもたらした最高の音楽達であるが、この2つが《自作自演》を根底に持っていないジャンルとも言えるものなんだな。

アメリカンフォークは《自作自演》の象徴ともいえるが、ブリティッシュフォークは伝承歌、トラディショナルソングを強く重んじるジャンルであるし、ソフトロックはプロの作曲家やアレンジャー、プロデューサーが活躍を見せるジャンルである。

この《自作自演》が主体ではない2つのジャンルを《ロック》に含めるかはどうかは正直難しいところで、今回見ていくソフトロックなんかはかなり《ポップス》に近いところにあるんだろうけど…

 

僕は常にロック好きという立ち振る舞いをしてきた。ロックが音楽的に幼稚であると軽視される傾向にあることを自覚しても尚。尊厳を守るために「ロックと言っても僕が好きなのは…」とブライアンウィルソンがバッハの域まで到達したことやピンクフロイドの絵画的とも言える表現力の極みを説明することは可能であるが、なるべく「ロックが好きだ」とのみ言うようにしている。「ロックと言っても…」という発言は自らロックを幼稚だと認めてしまっている気がするからだ。「ロックと言っても60年代後半〜70年代前半は芸術的で表現豊かなんだよ」ではなく、「ロックは芸術的で表現豊かだ!好きだ!」と言いたいのだ。僕の尊厳ではなくロックの尊厳を守るために!

 

で、そんなロック好きな僕が《ブリティッシュフォーク》と《ソフトロック》に強く惹かれてるんだから、「《自作自演》が《ロック》の大前提だ!」という自論から外れはするが、《ブリティッシュフォーク》と《ソフトロック》は《ロック》に含まれるのだということにさせてもらう(何言ってんだか)。ま、《ロック》に含まれないにせよロック史を語る上で避けては通れないので行かせていただきます。

 

6-3 ロジャー・ニコルズと小さな友達の輪

f:id:kenjironius:20190918081238j:image

フリッパーズギターピチカートファイブら日本の《渋谷系》は《ソフトロック》が元ネタであることを公言し、その存在を世に広めた。』

このことは6章の初めに書いたが、正直なところ渋谷系の音楽性は"ソフトロックの影響"というより9割このロジャー・ニコルズ及びRoger Nichols&The Small Circle Of Friendsの影響下にあると言えると思う。

 

ロジャーニコルズ(通称ロジャニコ)は作曲家としての活躍がより有名であり、"ロジャニコ作曲&ポール・ウィリアムス作詞"という名コンビで70年代初頭にカーペンターズスリー・ドッグ・ナイトらにヒット曲を提供した。

バート・バカラック&ハル・デヴィッドキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンといったアメリカンポップスの名コンビに負けないくらい重要な作詞作曲コンビの片割れであるロジャニコであるが、彼も元々は《自作自演》のミュージシャンであった。

 

作曲家としてはかなりの有名人であったが、その音楽キャリアをスタートさせたバンド、Roger Nichols&The Small Circle Of Friendsについてはあまり認知されてなく、それが遥か遠くの島国日本で《渋谷系》の偉人達のおかげで《ソフトロック》として再評価され、唯一作であった68年1stアルバムが87年にCD化されたわけだ。アメリカより日本で先にCD化されてるんだからすごいよね。これはロック史において日本が誇れる数少ない偉業であるだろう(発掘が数少ない偉業ってのも悲しいけど)。

 

Roger Nichols&The Small Circle Of Friends

f:id:kenjironius:20190918174432j:image

マレイ・マクリオード、メリンダ・マクリオードの兄妹とロジャニコの3人組のフォークボーカルグループは当初"ロジャーニコルズトリオ"という名前でカリフォルニアを中心に活動しており65年頃にA&Mレコードと契約する。

そして"Roger Nichols&The Small Circle Of Friends"と名前を改めて68年にようやく1stアルバムRoger Nichols&The Small Circle Of Friendsをリリース。

f:id:kenjironius:20190918181855j:image

ヴァイオリンのピチカート奏法から始まるロジャニコワールド全開のDon't Take Your Timeで幕を開けるこのアルバムはミレニウム「Begin」と共にソフトロックの金字塔と絶賛されている名盤であるが全12曲の内半分がカバー曲である。

ビートルズが2曲、ラヴィン・スプーンフルが2曲、バート・バカラック&ハル・デヴィッドの作品とキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンの作品が1曲ずつの計6曲がカバーであるが全てが柔らかく優しい《ソフトロック/サンシャインポップ》に仕上がっている。特にビートルズI'll be backのアレンジは凄まじいものがある。アレンジャーとしてニック・デカロ、ボブ・トンプソン、マーティ・ペイチ、モート・ガーソンの4人の名前がクレジットされているが、恐らくはストリングスや管楽器のアレンジを担当しており、全体的な指揮権はロジャニコにあったものだと考えられる。

 

さてオリジナル6曲だが、内4曲の作詞をトニーアッシャーが担当。トニーアッシャーは前回紹介したビーチボーイズの66年名盤「ペットサウンズ」に参加した作詞家である。

f:id:kenjironius:20190918225401j:image

このトニーアッシャー、作詞家でコピーライターであるようなんだけど「ペットサウンズ」でwoudn't it be nicegod only knowsといった歴史的名曲の詞を書いたことでとにかく有名で、他の情報はよくわからない。そんなに幅広く活動していた作詞家ではないようで、ロジャニコも間違いなく「ペットサウンズ」での仕事ぶりを見て作詞を任せたのであろう。

 

ロジャニコのキュートで浮遊感溢れるオリジナル曲はほんとうに素晴らしい。転調が多いのも特徴であるが、ポップセンスが光り過ぎて全く聞きにくくない。コーラスワークについてはブライアンウィルソンやカートベッチャーのほうがよく取り上げられるがロジャニコの3人のコーラスもすごいのよね。変なとこいくというか。まさに《渋谷系》そのものなのが6曲目のLove So Fineで、ピチカートファイブにこんなに同じでいいのか、っていうくらい丸パクリの曲があるくらいで。曲はほとんどが3分未満の長さであり、このコンパクトさはソフトロックの特徴でもある。

 

ソフトロックの代表作でありながらこのアルバムみたいな他のソフトロックって実はなくて、独特なんだよな。気持ちいい。

オリジナル曲6曲の内2曲がメンバーのマレイ・マクリオードが並行して活動していたThe Paradeというバンドが関わっていて、このバンドも素晴らしきソフトロック/サンシャインポップである。

f:id:kenjironius:20190918235034j:image

f:id:kenjironius:20190918235642j:image

このパレードも3人組であり、67年のシングル「Sunshine Girl」は割とヒットしたようである。キーボードのジェリー・リオペルフィル・スペクターのフィルズレコードで仕事をしていた人物であるよう。レッキングクルーではないのかな…?

 

 

さぁロジャニコ、今となれば特に日本では名盤中の名盤であるが当時は全く話題にならずスモールサークルオブフレンズは解散。ロジャニコはその作曲能力を買われA&Mレコードに職業作曲家として契約することになる。

 

ロジャー・ニコルズとポール・ウィリアムス

f:id:kenjironius:20190919003813j:image

A&Mは作詞家ポール・ウィリアムスと作曲家ロジャニコというコンビを組ませた。ロジャニコは学生時代バスケでかなりの成績を残したらしく巨人であり、ポールウィリアムスは小柄な男だ。この凸凹コンビが作った曲を70年にカーペンターズがヒットさせ、人気作曲家の仲間入りとなるんだが、その前、68年69年に作ったいくつかの曲と提供したバンドがソフトロックと呼べるものである。少しだが把握している分だけ。

 

クロディーヌ・ロンジェ

f:id:kenjironius:20190919031328j:image

フランス出身の女性ポップ歌手であるが、カリフォルニアに移り住みA&Mからデビューしていることからフレンチポップではなくソフトロック/サンシャインポップとして再評価されたクロディーヌ・ロンジェ

表現豊かで可愛らしい彼女の歌声だが幻想的な雰囲気を持っていてソフトロックと呼べる音楽に仕上がっている。特に68年3rd「Love is blue」がソフトロックど真ん中!

f:id:kenjironius:20190919170223j:image

このアルバムの最後の曲It's hard to say good byeがロジャニコ&ポールウィリアムスの曲である。

 

Harpers Bizarre

f:id:kenjironius:20190920015332j:image

67年にサイモン&ガーファンクルの59番街橋の歌のカバーでワーナー・ブラザース・レコードからデビューしたソフトロック/サンシャインポップバンド、ハーパース・ビザール

ワーナーの名プロデューサーレニー・ワロンカーがプロデュースを務め、ワロンカーの親友であるランディ・ニューマン、ワーナーに入社したばかりのヴァン・ダイク・パークスビーチボーイズ「スマイル」作詞)らが関わっている。このレニーワロンカー周辺のアレンジャーやスタジオミュージシャンが作り出す音楽はワーナーの所在地から《バーバンク・サウンドと呼ばれることとなるが、この60年代後半の頃の《バーバンク・サウンド》はほぼほぼソフトロックと呼べるものである。

そんなハーパース・ビザールに68年にロジャニコ&ポールウィリアムスがThe Drifterという曲を提供している。

これが本当に名曲で、ロジャニコはスモールサークルオブフレンズでビートルズWith a little help from my friendsをカバーしてるんだけど、それをよりソフトによりポップにしたのがこのThe Drifterって感じ。ハーパース・ビザールの歌も見事にマッチしていて最高です。この曲が収録されている68年3rd「The Secret Life of Harpers Bizarre」は《サージェント症候群》の香りも漂う名盤。

f:id:kenjironius:20190920015320j:image

 

Peppermint Trolley Company

f:id:kenjironius:20190920020535j:image

ロジャニコは68年にハーパース・ビザールに提供したThe Drifterを69年にRoger Nichols&The Small Circle Of Friends名義でセルフカバーしてシングルリリースしている。そのシングルのB面の曲がTrustという曲で、こちらもセルフカバー。初出はPeppermint Trolley Companyというバンドに提供したものである。

Peppermint Trolley Companyはソフトロック界隈では、特にロジャニコ界隈では珍しくバンド色が強いサウンドで、サイケ色も見え隠れするロックバンドである。

Trustを収録した68年唯一作「Beautiful Sun」はソフトロックファンにもサイケファンにも響く傑作。

f:id:kenjironius:20190920022605j:image

バンドは70年代にBonesと名を改めて2枚アルバムをリリースしているようだがこちらは未聴。聞かねば。

 

The Monkees

f:id:kenjironius:20190920124714j:image

今やセブイレのテーマソングになってしまっているDaydream Believerの原曲を歌ったモンキーズは、僕の中で《自作自演》じゃないバンドの代表である。ビートルズのようなバンドをアメリカでも作ろうというTV番組で作られたバンドであり、僕は「ビートルズになりたかったら自分で曲書かなきゃ。ロックじゃねぇ!」と長らく無視していたんだけど。

しかしこの「目指せビートルズ」なプロジェクトのためにアメリカの選りすぐりの作曲家が曲を書き、演奏はレッキングクルーの面々、であるので楽曲は素晴らしいものが多いんだな。

69年にシングルのB面として収録されたSomeday Manがロジャニコ&ポールウィリアムス作曲で抜群のソフトロックである。ロジャニコ得意の転調が炸裂、モンキーズデイヴィ・ジョーンズの声も見事にマッチしている。

f:id:kenjironius:20190920125728j:image

69年の7th「Instant Replay」がCD化された際に追加されたボーナストラックでSomeday Manを聞くことができる。この頃になるとようやくモンキーズのオリジナルも増え始めていて、後にカントリーロックのパイオニアと呼ばれることとなるマイク・ネスミスもその片鱗を見せている。そんなこともあってアルバム全体はソフトロックと呼べるものではないが、モンキーズを見直したアルバムとしてお気に入りのアルバム。

 

カーペンターズ

f:id:kenjironius:20190920131108j:image

ロジャニコ&ポールウィリアムスは国民的人気バンドであったモンキーズに名曲Someday Manを書いたわけなんだけど、69年の頃は最早モンキーズブームは終わっており、やはり2人の作曲家としての成功はカーペンターズとの出会いであるだろう。

ロジャニコが作ったカリフォルニアの銀行のCMソング(30秒くらいのものだろうか)をリチャード・カーペンターが気に入り「これのフルバージョンはないのか?」と要請があり作り上げ70年に提供したWe've Only Just Begun(愛のプレリュード)が大ヒット。 同70年にはスリードッグナイトにもOut in the Countryを提供し、人気作曲家の仲間入りを果たす。その後カーペンターズの代表曲であるRainy Days And Mondays(雨の日と月曜日は)Let Me Be the One(あなたの影になりたい)I Won't Last A Day Without You(愛は夢の中に)を提供し栄光を手にする。

カーペンターズもソフトロックに数えられる場合もあるようだが、やはり僕の中でカーペンターズはピアノ中心のポップスでありソフトロックとは言えないかな。やはりバロックポップ的な要素がソフトロックには必要なんだよな。カーペンターズはもちろんめちゃくちゃ素晴らしいけどね。

なわけで68年〜69年のスモールサークルオブフレンズと提供作品がロジャニコのソフトロックにあたるのかな。そう考えるとソフトロックの時期は60年後半〜70年前半と書いたけど、70年以降はあんまりないのかも…

 

ポール・ウィリアムスのデビューとコンビ解消

f:id:kenjironius:20190920134851j:image

70年に2人はROGER NICHOLS & PAUL WILLIAMS名義で「WE'VE ONLY JUST BEGUN」というアルバムをリリース(見たことない、このアルバム)。

カーペンターズに提供したタイトル曲、ハーパースビザールのThe DrifterやモンキーズのSomeday Manなどのセルフカバーを中心に70年までの2人の集大成とも言えるアルバムである。

f:id:kenjironius:20190920135119j:image

同70年にポールウィリアムスはアルバム「Someday Man」でソロデビュー。

この後シンガー、さらに俳優としても活躍し忙しくなりロジャニコとの関係も悪化、72年に2人の作詞作曲コンビは解消となる。

ポールウィリアムスは活躍を続けるが、ロジャニコは音楽業界から姿を消してしまう。

 

スモールサークルオブフレンズ再結成

f:id:kenjironius:20190920135625j:image

その後ロジャニコが世間に姿を見せるのは95年になってからで、Roger Nichols and a Circle of Friends(Smallが抜けてる)名義で「Be Gentle With My Heart」をリリース。これは渋谷系による日本でのロジャニコブームが彼を動かしたものである。これは名義も違うし、ロジャニコのソロとして扱うべきアルバムだろう。

そして2007年にRoger Nichols and The Small Circle of Friends(Small有り!)で実に39年ぶりの2ndアルバム「Full Circle」がリリースされた。こちらはマクリオード兄妹も参加し、正真正銘のスモールサークルオブフレンズの2ndアルバムだということで日本のソフトロックファンを喜ばした。やはりThe Drifterカーペンターズ関連のセルフカバーが目立つが書き下ろしも何曲かあり、相変わらずなロジャニコのポップセンスに大満足。

2012年には3rd「My heart is home」をリリースしてるが、こちらはまだしっかりは聞けていないが軽く聞いた感じ「あれ…思ってたのと違う」って印象。

 

 

まとめ

ロジャニコ、こんな感じです。曖昧な表現になるけど〝良い曲〟を聴きたいなぁって時はロジャニコの曲聴いとけば満たされます。

まず68年スモールサークルオブフレンズは必聴!気に入ったらパレードも!

不思議系女性ボーカルが好きならクロディーヌ・ロンジェはオススメ!

《サージェント症候群》好きならハーパース・ビザールも!

ペパーミント・トローリー・カンパニーはサイケロック好きにも!

僕と同じくモンキーズを軽視してるなら60年代後半のブームを終えた後のモンキーズも!

カーペンターズスリードッグナイトは言うまでもないよね!

 

図を繋いどきます!

f:id:kenjironius:20190920144545j:image

では次回はコーラスの魔術師カート・ベッチャー!

6-2 ビーチボーイズ〜天才ブライアン・ウィルソン〜

 

ロック史におけるウエストコースト

アメリカ西海岸、ウエストコーストというのはロック史において本当に重要な場所であるということはここまで書いてきた範囲だけでも十分伝わっているかと思う。

60年代半ばに世界初のサイケデリックロックとフォークロックの二冠を達成したとも言えるThe Byrdsが誕生したこと。ベトナム戦争公民権運動を背景にアメリカ中で発生したカウンターカルチャーと共に生まれたヒッピー達は67年に《サマーオブラブ》と呼ばれる社会現象を巻き起こし、その聖地が西海岸サンフランシスコであり、その中心にいたのがGreatful DeadJeffason Airplaneであったこと。その他にもBuffalo SpringfieldDoorsなど60年代末のウエストコーストには重要バンドが山ほどいる。

東海岸(って言いかたあんましないよね…)ニューヨークがアメリカ最大の都市であることは間違いないが、当時の若者文化の中心地であったのは西海岸であった(ニューヨークにはディランヴェルベッツがいたけれど)。

コロンブスアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ人が東海岸に上陸し、ゴールドラッシュでカリフォルニアへ向かって西部開拓が始まって、鉄道が走り街ができ…って、ほんとに中学生レベル以下の世界史知識しかないんだけど西海岸はアメリカの夢の終着駅ってイメージがあって。アメリカの国としての中心は東なんだろうけど夢と自由が西にはある、みたいな。

そんな西海岸で生まれたヒッピーカルチャーやドラッグカルチャーはアメリカのみならずイギリスにも多大な影響を与え、ロック史において重要な起点となったと言えるだろう。

 

そんな夢と自由のイメージの西海岸だが、もう一つ重要なイメージがあって、それが《海》である。東海岸も《海岸》であるのでもちろん大西洋とゆー海はあるがやはりニューヨークというとビル群のイメージであり《ビーチ》としての海のイメージはあまりない(もちろんたくさんビーチはある)。太陽!ビーチ!ビキニ!サーフィン!なイメージはやはり西海岸に強く、そうしたイメージは60年代のサーフィン映画及び《サーフミュージック》そして《カリフォルニア・ポップ》へと繋がっていく。

そしてその中心にいたのがビーチボーイズであり、ビートルズボブ・ディランと同じくロック誕生年(僕の認識では)の62年にデビューした彼らは西海岸のみならずアメリカ全土において最初期のアメリカンロックを支えた重要なバンドなのである。

 

 

6-2 ビーチボーイズ〜天才ブライアン・ウィルソン

f:id:kenjironius:20190905082659j:image

ではビーチボーイズのバイオグラフィを軽く。歴史がありすぎてキリがないのでほんとに軽く…

ビーチボーイズは61年結成から今現在も活動中でありもうすぐ結成60年にもなる。同じく長寿バンドである62年結成のローリングストーンズよりも1年長い御長寿バンドである。

 

カリフォルニア州ホーソンのウィルソン家の長男ブライアン・ウィルソン(ベース)、次男デニス・ウィルソン(ドラム)、三男カール・ウィルソン(ギター)、従兄弟であるマイク・ラヴ(ボーカル)、ブライアンの高校の友人アル・ジャーディン(ギター)の5人で結成された。当初はウィルソン兄弟の父マレー・ウィルソンがマネジメントを行っており、ほぼウィルソン家で構成されたバンドである。

f:id:kenjironius:20190906101145j:image

 

ビーチボーイズは大きく分けると4つの時期に分けることができるだろう。

1.《サーフィン/ホットロッド》期(62〜64年)

2.《カリフォルニア・ポップ》期(64〜65年)

3.ペットサウンズ、スマイル期(66〜67年)

4.ブライアン以外のメンバー頑張り期(67年〜)

 

僕はビーチボーイズが大好きであるがマニアでは全くなく、全てを熟知しているわけではないが順を追って見て行こうと思う。

 

1.《サーフィン/ホットロッド》期(62〜64年)

f:id:kenjironius:20190905093553j:image

デビュー時のビーチボーイズは《サーフィン/ホットロッド》と呼ばれる音楽性であった。《サーフィン/ホットロッド》とはいったいどういった音楽かというとロックンロールに乗せて「サーフィン・車・女の子」についての歌を歌う、というものである。なのでつまるところ音楽的にはロックンロールであり、僕はロックンロールとロックを区別するスタンスであるのでやはりビートルズアメリカへ上陸した64年以降にビーチボーイズもロック化するという見方である。

サーフミュージックはビーチボーイズデビュー以前にも西海岸に存在していたようだがそれはインストゥルメンタルであり、ビーチボーイズは西海岸の若者を象徴する「サーフィン・車・女の子」を歌詞にのせて歌い新しいサーフミュージックを切り開いたと言えるだろう。さらにこの初期の時期から彼らの後年の代名詞となるコーラスワークはしっかりと機能している。

 

初期のビーチボーイズのアルバムリリースのスパンは異常な早さであり、62年1st「Surfin' Safari、63年2nd「Surfin' USA」、3rd「Sufer Girl」、4th「Little Deuce Coupe」、64年5th「Shut Down Volume 2」

という感じである。

3rdアルバム「Sufer Girl」から早くもブライアン自身がプロデュースを務め、以降ブライアン率いるビーチボーイズ、という形で進んで行くこととなる。この3rdの頃からブライアンはスタジオミュージシャンを起用し始め、後にブライアン以外のメンバーは歌以外演奏にほぼほぼ参加しないところまでいってしまうのだがそれはまた後ほど。

結成メンバーのアル・ジャーディンであるが、デビュー前に一時脱退しており63年に復帰、代わりにギターで加入したデヴィッド・マークスは1stから4thまで参加し、脱退している。

63年4th「Little Deuce Coupe」はホットロッドの決定盤と言えるアルバムであるが、前作までにすでに発表済みの曲と新曲とが混在しておりコンピレーションアルバムとも捉えることができるが新曲が8曲もあるのでここでは4thアルバムと数えさせてもらう。

 

ゲイリー・アッシャー

f:id:kenjironius:20190906095218j:image

全ての曲の作曲にブライアンが関わっているがマイク・ラヴとの共作もいくつかある中、バンド外の作曲家との共作もこの頃は目立つ。その共作相手がゲイリー・アッシャーロジャー・クリスチャンという男であり2人ともサーフィン/ホットロッド界隈の人間である。初期の作品のいくつかの重要な曲の作曲に関わった2人だが、このゲイリーアッシャーという男が後にソフトロックの重要人物となるのでチェック。

f:id:kenjironius:20190906101207j:image

 

ブライアンのアイドル、フィルスペクター

f:id:kenjironius:20190906101333j:image

難解だと言われる全盛期(66〜67年)に比べると何も考えずに聞ける爽やかさを持った初期であるが、順に聴いていくと徐々にブライアンウィルソンの才能が開花していくのがわかる。64年5th「Shut Down Volume 2」こそコンピっぽいタイトルだけど正真正銘のスタジオアルバムであり、fun,fun,fundon't worry babyといった初期の代表曲が収録されており、サーフィン/ホットロッドの完成形でありながら次のステージの匂いも感じる名盤である。don't worry babyビーチボーイズ全キャリアの中でも僕の好きな曲であるが、この曲の元ネタとなったのが女性ボーカルポップグループ、The RonettesBe my babyである。ブライアンが「1000回以上聴いた」というこの曲をプロデュースしたことで有名なのがかの有名なフィル・スペクターである。

 

フィルスペクターは60年代前半のアメリカのポピュラーミュージックを支えた音楽プロデューサーである。彼の恐るべきサウンドへの執着は異常であり、多数のスタジオミュージシャンを起用してオーバー・ダヴを繰り返し作り上げる重厚なサウンド「ウォール・オブ・サウンドと呼ばれ、そのレコーディング方法と音楽制作者としてのストイックな姿勢は英米問わず多大な影響を与えた。

ロネッツを初めとして数々のポップスアーティストをプロデュースし、60年代半ばまでにヒット曲を量産するフィルスペクターだが、70年にビートルズ「Let It Be」を手がけたことでも有名である。ジョンとジョージはその手腕に感動し、その後ソロ作品でもプロデュースを任している。

かなりの変人、というか狂人であり、レコーディング中にジョンレノンと意見が対立した際に拳銃で脅した話は有名。マスターテープをもって雲隠れした話も。

80年代になると音楽業界から身を引くが、2003年に女優ラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕され、現在も服役中である。

ちなみに近年の写真↓

f:id:kenjironius:20190906145010j:image

 

なんにせよ60年代前半のフィルスペクターのプロデュース作品はブライアンウィルソンに大きく影響を与え、フィルスペクターの代表曲とも言えるロネッツBe my babyを元にブライアンはDon't worry babyという名曲を作り上げた。ちなみにさらにそのDon't worry babyサウンド作りを元にThe byrdsMr. Tambourine Manの豊かなフォークロックサウンドが作られたという。この3曲の流れは西海岸サウンドの系譜と言えるだろう。

 

そんな素晴らしいDon't worry babyが収録された64年「Shut Down Volume 2」だったが、ブライアンはこのアルバムを破棄したいと言い出す。そう、ビートルズアメリカに侵攻してきたのだ。

ここからビートルズvsビーチボーイズという構図が67年頃まで続き、ブライアンは精神を蝕まれていき最終的には潰れてしまうわけなんだけど、この時期はビートルズへの対抗心をエネルギーに変えて次のステージへと進むのである。

 

2.《カリフォルニア・ポップ》期(64〜65年)

f:id:kenjironius:20190906151503j:image

前作で垣間見えたフィルスペクターからの影響をさらに強めていくのがこの時期で

64年 6th「All Summer Long」、7thThe Beach Boys' Christmas Album」

65年 8thThe Beach Boys Today! 」、9thSummer Days (And Summer Nights!!)」、10th「Beach Boys' Party! 」

をリリースしている。しすぎである。デビューして3年で10枚のアルバムをリリースしてるんだから、キャピトルレコード鬼である。どブラック企業である。

 

まずこの時期に起きた変化で言うと、サーフィンから卒業すること。元々ブライアンはサーフィンに興味がなかったようであるし、自分の歌を歌うべきであることをビートルズから学んだのかもしれない。

さらにデビューからマネジメントをしていた父マレーウィルソンを解雇にする。やっかいな父親であったみたいだが、実の父親にクビ宣告をするのはなかなか…

そしてスタジオミュージシャンを本格的に起用し始め、そのミュージシャンのほとんどはフィルスペクターの元、仕事をしていた面々であった。

 

レッキング・クルー

f:id:kenjironius:20190907000223j:image

フィルスペクターの狂気的とも言えるサウンド作りに付き合わされた数十人のスタジオミュージシャン達は後に《レッキング・クルー》と呼ばれ、ウエストコーストにおいて非常に重要な存在となる。60年代から70年代に数百のヒット曲を含む数千の曲のレコーディングに参加している。

代表的なのはもちろんフィルスペクター関連、そして60年代半ばのママス&パパスThe 5th Dimensionアソシエイションなどのカリフォルニアポップ、アイドルバンドのモンキーズ

そして先ほどフィルスペクターのBe My baby→ビーチボーイズのDon't worry baby→バーズのMr. Tambourine Manにはサウンド上の流れがあると書いたが、このバーズのデビューシングルMr. Tambourine Manもロジャーマッギンの12弦ギター以外レッキングクルーによるものである。

70年代に入るとカーペンターズを支えたことで有名であるが、レッキングクルーの一員であるレオン・ラッセルグレン・キャンベルはソロ活動でも成功することとなる。

デレク・アンド・ドミノスに加入するジム・ゴードンやジョン、ジョージ、リンゴのソロ作品に参加したジム・ケルトナーレッキングクルーの一員であるが、正直メンバーと活動が多すぎて全然把握しきれていない。のでまとめて《レッキングクルー》としてだけ図に記しておきます。

f:id:kenjironius:20190907012858j:image

 

憧れのフィルスペクターの後を追ってレッキングクルーを起用し始めたブライアンとビーチボーイズは64年に6th「All Summer Long」、7thThe Beach Boys' Christmas Album」をリリース。

クリスマスアルバムは明らかにフィルスペクター63年の「A Christmas Gift for You from Phil Spectorの影響であるが、僕はこの時点でもうブライアンはフィルスペクターを超えていると思う。録音環境が整っていない60年代頭にフィルスペクターが成し遂げた偉業は認めざるを得ないが、《ウォール・オブ・サウンド》、音の壁、とはよく言ったもので妙な圧迫感を感じてしまうのだ。その点ブライアンは影響を消化しつつもクリアにまとめ上げていると思う。

 

しかしメディアと世間による《ビートルズvsビーチボーイズ》の盛り上がり、そしてビートルズの確かな勢いによってブライアンはノイローゼになってしまう。

65年になるとブライアンはライブツアーを断念し、ブライアンの代わりのツアーメンバーとしてスタジオミュージシャンとしてすでに参加していたレッキングクルーの一員グレン・キャンベルが加入するが、グレンキャンベルはすぐに脱退し、代わりにサーフィン/ホットロッド界隈でソロデビューし活躍していたブルース・ジョンストンが加入し以後正式メンバーとしてビーチボーイズを支えていくこととなる。

f:id:kenjironius:20190907015600j:image

 

こうしてメンバーがツアーを行っている間、ブライアンは1人スタジオに残りスタジオミュージシャンと共にアルバムを制作する、という分業制のスタイルとなるわけだ。

そして65年に8枚目のスタジオアルバムとなる名盤「The Beach Boys Today! 」を作り上げ、ライブから離れてレコーディングに使える時間が増えたことでこのアルバムからブライアンの才能が存分に発揮され始める。ビートルズも66年「リボルバー」以降ライブを行わなくなりスタジオワークに専念するが、こうした音源に重きを置いた動きが60年代末のソフトロックへと繋がっていくと僕は考えている。

9th「Summer Days (And Summer Nights!!)」ではキャピトルレコードからの要望で再びサーフィンに引き戻される形となるが、音楽的にはブライアンは勢いを止めはせず、外観はサーフィン色を纏っているが中身は過去のサーフィン/ホットロッドとは似ても似つかないものである。

 

才能が開花していくのと並行して精神が崩壊していくブライアンは最終的に「ペットサウンズ」という奇跡の名盤を残すわけなんだけど、その前にスタジオライブアルバム「Beach Boys' Party! 」というアルバムを残している。

内容はビートルズやボブディラン、フィルスペクターやドゥーワップなどのカバーを中心としたスタジオライブ音源であるが、これはキャピトルレコードによる「あれ?今年のクリスマスアルバムは?」という要望によるものであった。

正直僕はかの有名なペットサウンズ直前の拍子抜けなこのアルバムに長らく興味を示していなかったが、今となると割と元気なブライアンの姿にほっこりするし何よりブライアンを精神的に追い込んだライバルであるビートルズの楽曲を3曲もカバーしていることも感慨深いところがある。

 

ここまでの時期を《カリフォルニアポップ》期だと僕は思っているんだけど、フィルスペクターへの強い憧れから60年代前半にフィルスペクターが作り出したポピュラーミュージック、俗に言う《オールディーズ》的なニュアンスが強くてもちろんビートルズ等《ブリティッシュ・インヴェンション》の影響もあるが、ロックというよりはポップスという印象である。

サウンド的にはビートルズを上回っていると言ってもよいと思うが、楽曲的にはビートルズのオリジナリティに比べると…というのが正直なところで「いつの時代に聴いても新鮮な音楽」という感じはしない。素晴らしいんだけどね。

 

そして66年11枚目のアルバム「ペットサウンズ」がまさに「いつの時代に聴いても新鮮な音楽」どころかロック史史上最高のアルバムに数えられる1枚となるわけだ。

 

3.ペットサウンズ、スマイル期(66〜67年)

f:id:kenjironius:20190907022602j:image

66年「ペットサウンズ」のすごさはもはや語るまでもないが、これまたブライアン1人とスタジオミュージシャンレッキングクルー)によって作られた。他のメンバー、特にデニスウィルソン、マイクラヴ、アルジャーディンの3人(カールウィルソンとブルースジョンストンは割と肯定的であったよう)は難解すぎる歌詞やアレンジ、コーラスワークに疑問を持ちマイクラヴが「こんな音楽誰が聞くんだ?犬か?」と否定したことから「ペットサウンズ」というタイトルが名付けられたという。

 

ビートルズの「ラバーソウル」の影響が強いと言われていて、逆にこのアルバムに刺激を受けてビートルズは「サージェント」を作ったと言われている。

歌詞はブライアンの内面を強く反映した内向的なものであり、かつての「夏、太陽、ビーチ、サーフィン!」な陽気さとは真反対とも言えるものだ。ブライアンは自分の内面に潜む感情の翻訳者として作詞家のトニー・アッシャーを迎え共作という形で作詞を行なったが、このトニーアッシャーは後にロジャーニコルズと組むこととなり、ここにもソフトロックへの繋がりがある。が、ロジャーニコルズはまた次回。

f:id:kenjironius:20190907025924j:image

 

音楽ジャンルとしては《バロックロック/チェンバーロック》と呼べるものであると思う。チェンバーとは室内楽のことであり、つまりは教会や劇場で披露されるオーケストラのような大編成ではなく少数編成の重奏によるアンサンブルによって成り立つクラシック音楽である。《バロックロック/チェンバーロック》の代表曲はストリングを導入したビートルズyesterdayEleanor Rigbyハープシコードを使ったIn My Lifeなどがあり、フィルスペクターのレッキングクルーにも多数のクラシック楽器奏者がおり、ブライアンウィルソンも今作でハープシコードやストリングス、フルートなどの管楽器を存分に使った見事なアンサンブルを作り上げた。

この《バロックロック/チェンバーロック》というジャンルに触れる音楽はどこか《ソフトロック》的であるし、《ソフトサイケ》的でもある。プログレッシブロックにおけるクラシックの導入とは少し種類の違うもので、大袈裟ではなく哀愁を帯びた雰囲気の印象。

プロデューサーとしてのブライアンウィルソンの才気爆発は言うまでもないが作曲家としてのオリジナリティも爆発している。ポップ志向を捨て去り自己の内面と向き合った結果のオリジナリティがポップ志向の時のものより影はあるもののよりポップなものを生み出している。

 

よく難解難解と言われるが曲を構成するアンサンブルやハーモニーのメカニズムは複雑かもしれないが聴きやすいメロディで一聴して「いい曲!」って思える曲達だと僕は思うんだけど、他のメンバーが危惧した通りセールスは全米10位となる。これは当時のビーチボーイズの人気からいうとかなり残念な結果であり、ブライアンの渾身の作品は世間に受け入れられなかったと言ってもいいだろう。以降アメリカではビーチボーイズの人気は低迷していくことになるのだけれど、イギリスでは2位を記録しこの後の数枚のアルバムもイギリスではヒットが続く。

こんなような結果からアメリカ人は何もわかっていない、やっぱりイギリスの方が芸術肌である。って僕なんかは思うんだけど、その分同じような理由で埋もれてしまったソフトロックをはじめとした再発掘の名盤がアメリカにはわんさかあるのよね。

 

ここから人気が低迷していく、と書いたが実はこの「ペットサウンズ」リリース後ビーチボーイズ史上1番売れたシングルをリリースする。それがGood Vibrationという曲であり、サビのテルミンが有名な極上のサイケデリックソングである。僕もやっぱりこの曲が1番好きかもしれないが、複数のパートが複雑に展開していく〝難解な〟この曲がバカほど売れてペットサウンズが売れないんだから不思議。この曲が収録されるであろう次作は「Smile」というタイトルであることが発表され世間の期待は高まったが「ペットサウンズ」の直後にリリースされたビートルズの「リボルバー」の衝撃や様々なプレッシャー、ストレスによりブライアンの精神は限界であった。

作詞家としてヴァン・ダイク・パークスを迎えて制作が始まり、「ペットサウンズ」を超える名盤の予感を感じさせた「Smile」であったが完成せぬままブライアンの精神は崩壊。「Smile」はロック史上1番有名な未発表アルバムとなり、約45年の時を経て2011年に「The Smile Sessons」として正式にリリースされることとなる。

ドラッグも原因の一つであり、気付かぬ内に過度になっていたという。〝火〟をテーマにした曲であるElements:Fireのレコーディング中に近所でたまたま起きた無関係な火事を自分の責任であると思い込んでしまいその事が精神崩壊の引き金となったという逸話もある。

 

すでにライブからは離れていたが、ついにレコーディングもままならなくなってしまったブライアン。苦肉の策としてブライアンの自宅にスタジオが作られ、ブライアンが気が向いた時にいつでもレコーディングに参加できるような体制を作った。Beach Boys Studio、またはBrother Recording Studioと呼ばれるこのブライアン自宅スタジオは67年から72年までのビーチボーイズの6作品で使われることとなる。

 

ブライアン以外のメンバーは「Smile」の残骸を何とか集めて再編集、再レコーディングを施し67年に12th「Smiley Smile」をリリースする。

f:id:kenjironius:20190909131845j:image

3rdアルバム以降ブライアンのプロデュースで進んできたビーチボーイズだがこのアルバムは初のビーチボーイズ名義でのプロデュース作品となった。「Smile」がポシャって、なんとか繋ぎ合わせてリリースされたという経緯から失敗作と言われることが多いが何を隠そうこのアルバムが僕のビーチボーイズで1番好きなアルバムである。

 

スマイルとフィールズ

名曲グッドヴァイブレーションは実は「ペットサウンズ」のレコーディングの終盤に既に録られていた。ブライアンはグッドヴァイブレーションにて辿り着いた新たな音楽制作の手法に可能性を感じ、その手法を存分に使うことを次作「スマイル」のコンセプトにしようと決心する。そんなわけでグッドヴァイブレーションを「ペットサウンズ」のリストから外したわけなんだけど。その手法というのはブライアンが《フィールズ》と名付けた個別にレコーディングした多数の曲の断片のようなものを繋ぎ合わせて曲を組み上げて行くという手法であった。

グッドヴァイブレーションを聞けばわかるが、明らかに全く違う雰囲気の《フィールズ》が曲中に出現してまるで短い組曲のような見事な仕上がりになっている。グッドヴァイブレーションはいくつかの《フィールズ》を繋ぎ合わせて作り上げた曲であり、その誰も聞いたことがない音楽と斬新な作曲方法は音楽業界に衝撃を与えた。

ブライアンはこのグッドヴァイブレーションを《ポケット・シンフォニー》と呼び、「スマイル」のコンセプトを《神に捧げるティーネイジ・シンフォニー》とした。

しかし《フィールズ》を繋いでいく作曲方法、レコーディング方法というのは当時の録音技術、つまりテープの時代には恐ろしく時間と労力を要する方法であった。

ブライアンの精神崩壊、「スマイル」の断念の原因としてブライアンのプレッシャー、ストレス、ドラッグなどがよく取り上げられるが、この《フィールズ》法の難解さも大きな要因であったのだろう。

 

今現在、「スマイル」は言わば3つのパターンで聴くことができる。

67年のブライアン以外のメンバーがなんとか形にした「スマイリースマイル」、2004年にブライアンがソロ名義で再レコーディングした「スマイル」、2011年に当時の音源を当時ブライアンが思い描いた姿に限りなく編集した「スマイル(スマイル・セッションズのDisk1)」。

僕がビーチボーイズ、というか「ペットサウンズ」にハマったのが多分2007,8年ごろで、すぐに伝説のアルバム「スマイル」に興味を持った。

67年「スマイリースマイル」を入手して聴いた時の衝撃は忘れられない。英雄と悪漢ベジタブルグッドヴァイブレーション、は僕の中のロックの革命であったし、何より《ポップバンド》ビーチボーイズの印象をガラリと変えるものだった。そしたらこれが全然不完全な「スマイル」で未完成で失敗作だって言うもんで、当時1番本当の姿に近かったであろうブライアンのソロの2004年「スマイル」に手を伸ばした。

…なんだこのサーフズ・アップという曲は!《フィールズ》法の賜物、天才ブライアンウィルソンの全てがつまった名曲だ!この曲が収録されていない「スマイリースマイル」は確かに未完成だと言える。しかしこのソロ「スマイル」を聴いて今まで大して気にしてなかったビーチボーイズ5人の声の重要性に気付かされることとなる。それぞれがそれぞれの特徴をもった5人の声はもはや5つの楽器であり、そのアンサンブルの素晴らしさに気づいたのだ。

となるとビーチボーイズの「スマイル」がやはり聴きたい、とか思ってたら2011年に真の「スマイル」がリリースされた。

ロックにハマった以上、『リアルタイムで』なんて考えは一切頭から消え去り、ただ歴史を漁るだけの人生を覚悟していたもんで、リアルタイムで伝説の「スマイル」が目の前に現れた感動は凄まじいものだった。即タワーレコードに行ってデラックスエディションを購入した。

凄まじいの一言。ポピュラーミュージックの域を悠々と超えた《神に捧げるシンフォニー》がそこにあった。ブライアンリタイア後、68年以降のビーチボーイズで小出しにされ続けた《フィールズ》達が存分に絡み合ったマスターピースアルバムであった。別の《フィールズ》が挟まれている真のベジタブル、ブライアンのトラウマとなったElements、伝説を目の前にできた喜びでいっぱいであった。

 

で、どの「スマイル」が1番好きかと問われると「スマイリースマイル」になってしまうんだな。何故かよくわからないんだけど、恐らく「スマイリースマイル」だけがロックアルバムなんだよね。

ロックはエンタメの域を超えて60年代半ばころから芸術化していくんだけど、「スマイル」は芸術の域すら超えてる感じ。まさに《神に捧げるシンフォニー》で、そりゃ精神壊すわって。人間である僕には「スマイリースマイル」がフィットする、って感じなのかな。曲そのものが持つ力は「スマイリースマイル」でも十分に発揮されているし、他で聞けないオリジナリティを誇っている。「スマイリースマイル」はロック史に残る名盤だと思うし、「スマイル」は音楽史に残る名盤だと思う。とにかく天才ブライアンウィルソンここにあり!って感じ。

 

4.ブライアン以外のメンバー頑張り期(67年〜)

f:id:kenjironius:20190910152816j:image

軽くビーチボーイズの来歴を見ていくつもりだったんだけど、長いな…やっぱりビッグすぎるバンドは書くもんじゃない!

 

さてブライアン隠居後のビーチボーイズはブライアン宅のスタジオでブライアンが調子が良くて気が向いた時だけ参加する、という状態が続く。とはいえ、67年13th「Wild Honeyや68年14th「Friends」はほぼほぼブライアンウィルソンが作曲に関わっていて、作詞は初期のようにマイクラヴが担当している。しかしその後徐々に他メンバーによる作曲が増えてきて、70年代へと突入していくわけだ。

 

やはりあまり熱中することはできない時期ではあるんだけど、14th「Friends」は名盤である。《神に捧げる》ためのとてつもない試練と苦行を超えた後のリラックス感があり、「サージェント」を投下されたことによってビートルズとの戦争にも完全に白旗を上げ、吹っ切れた感もある。

バンドが超越瞑想にハマってる時期でもあり、マイクラヴはビートルズと共にインド訪問に行き本格的にマハリシから学んだほど。時代的にこうした東洋思想はサイケデリックとの繋がりが強かったが、ビーチボーイズ「Friends」はリラクゼーションに振り切ったものである。

バンドとしては難解になりすぎブライアンによる独裁の元作られた「ペットサウンズ」、「スマイル」によるバンド内の確執の平和的解決としての回帰、というテーマもあるようで確かに《海》の匂いが戻ってきている。

僕はもしカリフォルニアに旅行に行くときがあったなら「ペットサウンズ」でも「スマイリースマイル」でもなくまずこの「Friends」をビーチを眺めながら聞くだろう。

僕の世代のサーフミュージックといえばジャック・ジョンソンであり、穏やかな波と爽やかな風が心地よいグッドミュージック、ってイメージがあって。よくよく考えればサーフィンってかなり激しいスポーツであるので《サーフィン/ホットロッド》のロックンロールが正しいサーフミュージックではあるんだろうけどね。

そんな意味で「Friends」にこそビーチとサーフを感じるわけだ。四国巡礼の際(未だ達成できず)に高知の海岸沿いをバイクでひたすら走った時も僕はこのアルバムを聴いていた。

 

ビーチボーイズとソフトロック

 

ブライアンがリタイアした67年、西海岸ではヒッピームーブメントが爆発し、その年の夏に《サマー・オブ・ラヴ》が起こった。デニスウィルソンはチャールズ・マンソン率いるカルトヒッピー集団に出資&共同生活を行い、マンソンファミリーが無差別殺人を犯したことでスキャンダルになったりもするが、バンド的にはこの西海岸フラワームーブメントの渦の中にはいなかったと言えるだろう。

60年代後半に西海岸で盛り上がるヒッピームーブメントとサイケデリックロックの裏で、《ソフトロック/サンシャインポップ》が静かに存在していた。

音に対して全身全霊で向き合ったフィルスペクター、そしてブライアンウィルソン。彼らの血を引くのが《ソフトロック/サンシャインポップ》であると僕は考えている。

そんな《ソフトロック/サンシャインポップ》をビーチボーイズとの関連性から見ていけたらと思う。そのためのビーチボーイズだったんだけど、長くなりすぎた!

 

終わり!

ビーチボーイズは本当に素晴らしいので聴いたことない人がもしいたら是非!

2017年にオアシスのノエルギャラガーが「ブライアンウィルソンは過大評価されすぎ、大したことない、嫌いだ」的な発言をしているがほんまに頭おかしいとしか考えられへん。むしろまだまだ評価足りひんくらいやろ。ま、キャラやからしゃーないけど!キィィ!

 

《サーフィン/ホットロッド》期は「シャットダウンVo.2」

《カリフォルニアポップ》期は「Today!」

あとはもちろん「ペットサウンズ」「スマイル(個人的にはスマイリースマイル)」

あと「Friends」

をオススメしてさよなら!

f:id:kenjironius:20190911005950j:image

ビーチボーイズ周辺)

 

 

 

 

 

 

6-1 ソフトロックというジャンル

音楽を《ジャンル》という箱に入れてしまってカテゴライズすることは正しくないことなんじゃないだろうか。全く同じ音楽なんて2つとないし、例えば僕は《メタル》の箱に固く蓋をしてしまっているんだけど、もしかしたらその中に僕の好みの音楽が密かに眠っているかもしれない。なんてことを日々思ってるんだけど、やっぱり他人との共通認識を得る為に、ましてやこんなブログを書いたりなんかしたらどうしてもジャンル分けが必要となってくるわけで…

 

音楽ジャンルというのは本当に数えきれないほどあって、そして1つのバンドが1つのジャンルにすっぽり収まるというわけでもなく、例えばビートルズで言うと《ロックンロール》、《ブルースロック》、《フォークロック》、《サイケデリックロック》、《プログレッシブロック》、《バロックロック》辺りを跨いでいると言えるだろう。まぁ結局僕はビートルズは《ロック》バンドだ!って言うんだけど。

 

数ある音楽ジャンルのだいたいは音楽ファンの中である程度の共通認識を持てていると思うんだけれども、一際意見が分かれる、というかまだしっかり定まってないジャンルがいくつかあって、今回見ていきたい《ソフトロック》もその内の1つである。

 

 

6-1 ソフトロックというジャンル

数あるジャンルの中でも屈指のメロディアスさとハーモニーの美しさ、プロフェッショナルな演奏とアレンジを誇るソフトロックであるが、その定義は国内外で大きく違うようだ。

 

海外で言うところのソフトロックとは日本でいうAOR《アダルトコンテンポラリー》などのジャンルを指すらしいが、これは僕のソフトロックの解釈とは全く違っていて、僕が認識するソフトロックは日本で作られた《ソフトロック》というジャンルのようである。

 

 

渋谷系

f:id:kenjironius:20190901122349j:image

渋谷系と呼ばれる東京・渋谷を発信地として1990年代に流行した日本のポピュラー音楽(J-POP)のムーヴメントがある。フリッパーズ・ギターピチカート・ファイブといったバンドがその代表であるが、彼らが《渋谷系サウンドを作りあげる上で参考にしたのが60年代末〜70年代頭のアメリカでロジャー・ニコルズカート・ベッチャーなどといったミュージシャンが関わった曲々であった。フリッパーズギター小山田圭吾ピチカートファイブ小西康陽等がその元ネタをインタビュー等で公言したことで再評価され、それらが《ソフトロック》と呼ばれるようになったということだ。

※先に言っておくが僕は《渋谷系》を通ってなくて、フリッパーズギターピチカートファイブも詳しくはないのであしからず…

 

60年代末に活動していたロジャー・ニコルズroger nichols & the small circle of friends、カート・ベッチャーのThe millenniumはソフトロックの代表的な2バンドであるが、《渋谷系》が流行した90年代にはまだCD化もされておらず、海外でも再評価されていなかった。まだ発掘されていなかったのだ。それを90年代に音楽マニアであった小山田圭吾小西康陽ら(忘れてはいけないのが山下達郎)が日本で流行らしてCD化させたのだ。本国アメリカよりも早く日本でCD化されたもんだから、「日本人はなんてマニアックなロックを知ってるんだ!」ってアメリカ人もびっくりだったようで。

その後アメリカでは逆輸入的な形で再評価、CD化され《サイシャイン・ポップ》というジャンルとして親しまれている。

 

《サンシャイン・ポップ》はカリフォルニアで60年代末に生まれた音楽であったがそのほとんどが正当な評価を受けないまま埋もれてしまっていたが日本での盛り上がりをきっかけに本国アメリカでも再評価され、世界中に広まることとなった。

僕はこの《サイシャイン・ポップ》と《ソフトロック》をほぼ同意義で捉えている。ソフトロックは「柔らかいロック」ってことでゾンビーズホリーズなんかを含む人もいるみたいだがあくまでも僕は60年代後半から70年前半のアメリカの《サイシャイン・ポップ》を《ソフトロック》と捉えているのでイギリスのバンドはその箱には入れていないというわけだ。サンシャインポップが持つ〝サンシャイン〟なきらめきは年中曇り空だと言われているイギリスには無い感性なのである。気がする。

 

 

ソフトロックの定義

「ソフトロック、柔らかいロックってことはハードロックの逆なの?」と思う人もいると思うんだけど、その考えは案外間違ってないことに最近気づいた。ので比較しながら僕なりのソフトロックの定義を。

 

・何万人もの客を動員してスタジアムロック化していくハードロックに対してソフトロックはライブを想定していない緻密なスタジオワーク。

・多数のギターヒーロー、アイドルを輩出したハードロックに対してソフトロックはスタジオミュージシャンやプロデューサー等の裏方の人間が活躍。

・ブルースロックを起源とし、ギターの比重の大きいハードロックに対してソフトロックはブルースの匂いがせず、ギターの比重も小さい。

・ハイトーンで力強いボーカルが目立つハードロックに対してソフトロックは基本的に優しいウィスパーボイスで尚且つ多重ハーモニーが目立つ。

 

上記の音楽性を備えていて尚且つ90年代になって再発掘されたアメリカの60年代後半〜70年代前半の音楽が《ソフトロック》である。というのが僕なりの定義なんだけど、やはりこれだけ条件を付けるとなるとソフトロックの総数はそんなに多くはないと思っている。

ゾンビーズ「オデッセイ・アンド・オラクル」、ビーチボーイズ「ペットサウンズ」、あとはビージーズやエルトンジョンなんかもソフトロックと呼ばれているみたいだが、ゾンビーズはイギリスのバンドであるし、ビーチボーイズビージーズもエルトンジョンも超がつくほど有名であり再発掘組ではないのでソフトロックではないということだ。

 

とはいえビーチボーイズブライアン・ウィルソン)は《ソフトロック》の出現に大きく関わっていると言えるだろう。

 

ビーチボーイズ

f:id:kenjironius:20190904024818j:image

正直このブログを進めていく上であまりにもビッグすぎるバンドは避けてきた。ビートルズストーンズ、フーやキンクス、そしてこのビーチボーイズも。ピンクフロイドは頑張って書いたけど…

とにかく情報がありすぎて図が広がりすぎて理解不能になりそうなので避けてきたんだけど、ソフトロックを書く上でやはりビーチボーイズブライアン・ウィルソンという男については触れておくべきかと。

 

てなわけでソフトロックではないと言いつつ6章はビーチボーイズから見ていこうと思うんだけど、今んとこ図ではこんな感じ。

f:id:kenjironius:20190904045852j:image

まだなーんにもないのよ。今まで出てきた繋がりはというとドノヴァンの回でビートルズとのインド訪問の際にビーチボーイズマイク・ラブが同行した件、あとはバーズの「5D」でオルガンで参加したヴァン・ダイク・パークスビーチボーイズの幻(だった)のアルバム「スマイル」に携わったこと、くらいで。まぁ1章はCSN&Yから始まりウエストコーストに触れたけど、2章から5章までずっとイギリスの方に行っていたので…

 

まぁそんなわけで次回はビーチボーイズ、そして次次回からソフトロックへ突入できればと!