ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

1-6 イーグルス〜ウエストコーストの魂〜(103話)

エストコーストロックの、否、アメリカンロックの代表格として君臨するモンスターバンドThe Eagles。70年代に活躍し、〝デスペラード〟や〝ホテルカリフォルニア〟といった数々の名曲を残し今なお世界中の人々に愛されるロックバンドだ。イーグルスはしばしば「最後のウエストコーストロック」と言われることがある。

エストコーストロック黄金時代

60年代半ばにビートルズらブリティッシュビート勢の影響(ブリティッシュインヴェイジョン)を受けてThe ByrdsDoorsBuffalo SpringfieldらLAのロックバンドが登場しウエストコーストロックは始まった(西海岸にはそれ以前からビーチボーイズがいたが)。サンフランシスコではジェファーソンエアプレイングレイトフル・デッドモビー・グレープらが続々とデビュー。フラワームーヴメントが巻き起こる67年ごろにはアメリカ全土から数々のミュージシャンが西海岸へと移住している。同時期にニューヨークやボストン、デトロイトなんかでも素晴らしいロックバンドが誕生してはいるが、この時代のアメリカンロックの中心地は明らかに西海岸、ウエストコーストであった。このウエストコーストの物語はつい先日ローレルキャニオン映画の感想でも触れたところだ。

kenjironius.hatenablog.com

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そんな60年代半ばから始まった黄金のウエストコーストロック時代の終焉を歌ったのがイーグルス76年『ホテルカリフォルニア』だと言われている。

エストコーストロックの前期後期

Byrdsが誕生した65年から『ホテルカリフォルニア』の76年までがウエストコーストロックの黄金時代だと定義すると、この時代は明らかに二分することができる。それは69年以前以降だろう。69年にヒッピーの最後の祭典ウッドストックフェスティバル〉が開催され、その翌週にはチャールズマンソン率いるカルトヒッピー集団が女優のシャロン・テートらを殺害し、年末には〈オルタモントの悲劇〉が起きた。フラワームーヴメントは夢と終わりウエストコーストロックは70年代へと突入していく。

音楽的に言えば69年以前が「フォークロック/サイケデリックロック時代」、以降が「カントリーロック/SSW時代」になるだろうか。ウエストコーストのバンドは68年ごろから徐々にカントリー/SSW路線へと進み始める。

  • バーズを脱退したデヴィッドクロスビーが68年にジョニミッチェルをLAに連れてきて、ウエストコーストSSWの時代が幕を開ける。一方クロスビーが去ったバーズはグラム・パーソンズを迎え入れ『ロデオの恋人』でカントリーロックの扉を開き、その後パーソンズとクリス・ヒルマンはカントリーロックバンドフライング・ブリトー・ブラザーズを結成した。
  • Buffalo Springfieldは68年に解散し、ティーヴン・スティルスはクロスビーとグラハムナッシュとCS&Nを結成、ニールヤングはSSWの道を歩み始め、リッチー・フューレイジムメッシーナはカントリーロックバンドPocoを結成した。
  • モンキーズは68年にピータートークが脱退した後マイク・ネスミスがカントリーロックへと路線を変更させた。

もちろん皆が皆カントリー/SSW路線へ行ったわけではないが、70年にはジミヘンとジャニスが死に、71年にはDoorsのジムモリソンが死に、Loveもタートルズも70年ごろに解散。60年代に活躍したウエストコーストのロックバンドのほとんどは70年をまたぐ頃にカントリー/SSW路線に進むか、もしくは死んでしまうかフラワームーヴメントの終焉と共に解散してしまったりしている(いやもちろん存続したバンドはいるが)。

エストコーストロックの終わりとは

さて、そんなこんなでウエストコーストのカントリー/SSW時代が始まり、72年にカントリーロックバンドとしてイーグルスがデビューしたわけだけど、イーグルスが「最後のウエストコーストロック」と呼ばれる由縁はイーグルスメンバーの人脈にこそあるんじゃなかろうか、ということをこの度思い、この記事を書き始めた次第だ。

それにしても、「ウエストコーストロックが終わる」とは一体何を指しているのだろうか。ウエストコーストロックってのはその言葉通りアメリカ西海岸のロックのことで、76年以降にもTOTOやジャーニー、ヴァンヘイレンなんかが登場し80年代にはLAメタルも出てきて、90年代にはシアトルでニルヴァーナパールジャムといったグランジ勢やレッドホットチリペッパーズなんかも出てきている。西海岸のロックは別に終わってはいない。

それでも76年にウエストコーストロックが終わったとされるのにはやはりアルバム『ホテルカリフォルニア』のテーマ、主にそのタイトル曲〝ホテルカリフォルニア〟の歌詞によることが大きい。

エストコーストの魂

〝ホテルカリフォルニア〟の歌詞は単純に言えば「とても素敵なホテルに迷い込んだ男がそこから出られなくなる」といったものだ。過度な商業主義へと突き進むアメリカを皮肉った曲であると言われているが、その中で特によく知られるのが〈Spirit〉のくだりだろう。

〈So I called up the Captain/“Please bring me my wine” /He said, “We haven’t had that spirit here since 1969”

(責任者を呼んで「ワインをくれ」と頼むと彼は「1969年以降そのようなお酒は置いていません」と答えた)〉

蒸留酒のことをSpiritsと言うが、ワインは蒸留酒ではない。この矛盾がこのパートの肝で、酒の会話ではなく〈魂の意味でのSpirit〉の有無についての歌詞であることが浮かび上がる仕組みになっている(別にワインじゃなくウイスキーテキーラでよかったわけだから)。この曲に出てくる「ホテルカリフォルニア」というホテルはカリフォルニアそのものの比喩(アメリカそのものという説もある)であり、「カリフォルニアは素晴らしく魅力的な場所だが1969年以降スピリットが失われている」ということになる。そして最後はホテルから逃げようとする主人公に対する警備員の

You can check out any time you like
But you can never leave!
いつでも好きな時にチェックアウトできるが、根本的には決して逃れることはできない

という言葉で、20世紀1番美しいと呼び声の高いツインリードギターソロのエンディングへ向かう。

60年代半ばに夢と自由を求めてアメリカ全土からカリフォルニアにヒッピーやミュージシャンが集まってきた。凄まじいエネルギーで一大ムーヴメントを築き上げたが、69年にガタがきて夢が終わってしまう。愛と自由と平和、そして純粋な音楽探究心を持った魂はそこで挫折した。にもかかわらず76年になっても夢のカリフォルニアから抜け出すことができてない自分達(イーグルス及びアメリカ社会全て)が歌われていると僕は解釈している。現にイーグルスはドラッグまみれで夢の続きを見ており、音楽的にもカントリー路線からより商業的な路線へ進み始めていた頃だった。実に自虐的で、だからこそ芯をついている。

歌詞のこういった内容から〝ホテルカリフォルニア〟はウエストコーストロックの終わりを告げた曲として位置付けられているわけだ。いや、「終わってことを告げた」が正しいか。69年にもう終わってんだよ、ってことを。「夢のカリフォルニア」に誘われて60年代半ばに集まった黄金の魂は69年に消失して、にもかかわらずチェックアウトできない、夢から覚めれない、と。

ちょっと話は逸れるが、この度ホテルカリフォルニアについてもう一度調べていたら、「ホテルカリフォルニア問題」という言葉に出会った。何やらパソコン用語的なもののようで、米Apple社のMaciPodが流行ってMacユーザーになった人たちがもう簡単にはWindowsに移行できない(いつでもチェックアウトできるが、根本的には逃れられない)現象のことを「ホテルカリフォルニア問題」っていうらしい。知らなんだ!!

最後のウエストコーストロック、イーグルス

えーと、ウエストコーストロックの魂というのはすなわち、60年代半ばに「夢のカリフォルニア」に誘われて集まった黄金の魂のことであり、その消失がウエストコーストロックの終わりということ、でええのかな?んでイーグルスがその「夢のカリフォルニア」に入居した最後の世代で、ヴァンヘイレンやニルヴァーナレッチリは次世代にあたる、ということ。うん。

ここまで書いていて今さらだけど、僕は少年時代からイーグルスを聴いて育ってはいたが、そこまで深くイーグルスにハマったわけでもなく詳しくもない。リンダロンシュタットのバックバンドとして集まったバンドが発展してイーグルスになったことやグレンフライとジャクソンブラウン、J.D.サウザーが同じアパートに住んでいたことは知っていたが、それ以前の60年代の個々のメンバーの話は全く知らなかった。〈Sprit〉の件も「あの時代に憧れている」的な立ち位置で70年代を悲観しているニュアンスで捉えていて、つまりはイーグルスも「夢のカリフォルニア」後の次世代のバンドだと思っていた。72年デビューだから。それがイーグルスはちゃんと「夢のカリフォルニア」組で、かつてウエストコーストロックの魂を持っていたバンドであったことをこの度知ったからこの文章を書き始めたわけで。「最後のウエストコーストロック」と言われることにやっと合点がいったというか。

グリンジョンズの『サウンドマン』を読んで

そのきっかけとなったのはグリン・ジョンズの自伝『サウンドマン』を読んだことだった。ストーンズビートルズの〈ゲットバックセッション〉のエンジニアであったグリンジョンズは初期イーグルスのプロデューサーとしても知られている。

完全に映画『Get Back』を観て自伝を買った流れだ。これが本当に面白くて、他にも目から鱗な話が盛りだくさんだったので色々書きたいが、今回はイーグルス

グリンジョンズはイーグルスの項でイーグルスのハーモニーと出会った時の感動なんかについてももちろん触れていたが、別れについてもかなり詳しく心情を語っていた。それは決して気持ちいいものではなく、喧嘩別れに近いもので「裏切り」という表現まで使われていたり。そんなグリンジョンズがイーグルスメンバーの中で一際誉めていたのがバーニー・レドンだった。

バーニー・レドンは75年に脱退したイーグルスのオリジナルメンバーだ。カントリー/ブルーグラス志向が強いレドンはバンドがロック化(商業化)するにつれ居場所を失い、75年4th『呪われた夜』で存在意義を完全に失い脱退した。

グリンジョンズもイーグルスのカントリーハーモニーに魅せられた男で、バンドがロック色を強め始めた74年3rd『オンザボーダー』のレコーディング途中でプロデューサーを降りている(降ろされている)。

悔しくもイーグルスが商業的に成功をおさめるのは75年4th『呪われた夜』、76年5th『ホテルカリフォルニア』であり、僕もイーグルスといえばこの2枚の印象が強い。なのでイーグルスといえばやはりドン・ヘンリーグレン・フライだし、イーグルスのギターといえばフライ、ドン・フェルダージョー・ウォルシュのトリプルギターになってしまう。恥ずかしながらバーニー・レドンの印象は薄かった。

それでこの度『サウンドマン』の中でグリンジョンズが絶賛しているのを読んでから初めて少しバーニーレドンについて調べてみた次第だ。するとバーニーレドンの60年代時代の多過ぎる人脈を知ることとなった。

バーニー・レドン

グリンジョンズからは特にセッションマンとして力量を絶賛されていたバーニーレドンの最初のバンドは彼がサンディエゴに住んでいた時に加入したスコッツヴィル・スクワイアレル・バーカーズというカントリー/ブルーグラスグループだった。スコッツヴィル・スクワイアレル・バーカーズは後にByrdsのメンバーとなるクリス・ヒルマンがラリー・マレーらと61年に結成したグループで、63年には1枚アルバムをリリースしている。そのアルバムリリース後に脱退したメンバーの代わりにバーニーレドンが加入したようだ。この時若干16,7歳である。

バーニーレドンが参加して短期間でバーカーズは解散、64年にレドン家族はフロリダに引っ越し、ゲインズビル・ハイスクールに通うことになる。そこでドン・フェルダー(後のイーグルスと出会い、フェルダーが組んでいたコンチネンタルズに加入する。このバンドはちょうどティーヴン・スティルス(後のバッファロースプリングフィールド、CS&N)が脱退したところだった。ちなみに同時期にバーニーレドンの弟はトム・ペティとバンドを組んでいたらしい(この辺のフロリダ界隈の話も面白そう)。

67年にバーカーズでバンドメイトだったラリーマレーの誘いでHearts&Flowersに加入しカリフォルニアへと移り住んだ。このバンドがまさに「夢のカリフォルニア」を追い求めて結成された多くのサイケデリック/フォークロックの一つである。

68年にはByrdsを脱退したジーン・クラークブルーグラスバンジョー弾きのダグ・ディラードと結成したディラード&クラークに参加。レドンは1stアルバムでギターだけでなく、ベース、バンジョー、さらに作曲者としても大きく貢献したらしい。聴かねば。

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69年にまたしてもByrdsを脱退したクリス・ヒルマンとグラム・パーソンズが結成したフライングブリトーブラザーズに加入し、70年2nd,71年3rdに参加した後、脱退。

そしてリンダロンシュタットのバックバンドを経て、イーグルスを結成した。

 

いやーすごい経歴、知らなんだなー。こうして見てみると、イーグルスが終着駅であるのがよくわかる。カントリー/ブルーグラス界隈にいたレドンは60年代初頭にクリスヒルマンと出会っていて、フラワームーヴメントの頃に夢を追ってカリフォルニアへ、主にByrds界隈のメンバーと共にカントリーロック黎明期を体験した後にカントリーロックの完成系ともいえるイーグルスを結成したわけだ。

ランディ・マイズナー

イーグルスのオリジナルベーシストであるランディマイズナーも60年代半ばに夢を追ってカリフォルニアに移っており、68年に元バッファロースプリングフィールドリッチーフューレイジム・メッシーナと共にポコを結成。ポコを1stのみで脱退した後はリッキー・ネルソンのバンド、ストーン・キャニオン・バンドに参加。

ランディマイズナーもまたカントリーロック黎明期の重要バンドを経てイーグルスへと辿り着くわけだ。

グレンフライはデトロイトで、ドンヘンリーはテキサスでそれぞれ活動した後、70年ごろにカリフォルニアへと移ってきたよう。

まとめ

まぁとにかく、バーニーレドン(とランディマイズナー)は60年代半ばからカリフォルニアに移り住み、Byrdsやバッファローのメンバーと共にウエストコーストロック黄金時代を生きていた。そのことを知った時、イーグルスが「最後のウエストコーストロック」と呼ばれていることに非常に納得がいった。それだけのことでござんす。

カントリー/ブルーグラス界隈は全く知らなかったので、見落としていた繋がりでした。ウエストコーストロックの発端バンドByrdsのクリスヒルマンと最後のウエストコーストロックバンドEaglesのバーニーレドンが63年から繋がってるのは驚き。それにしてもByrdsとバッファローは本当にウエストコーストロックの核ですな…

そういう意味では真の最後のウエストコーストロックは74年結成のサウザーヒルマン・フューレイ・バンドとも言えるか。Byrdとバッファローで始まったウエストコーストロックの終着点。

 

よし、カントリー/ブルーグラス界隈に足を踏み入れてみよう!ウエストコーストロックは「フォーク界隈×ブリティッシュインヴェイジョン」で始まったと思っていたけど、カントリー/ブルーグラスも超重要ね!

イーグルスの話というよりも、ウエストコーストロック全体の整理みたいな回になっちゃいましたね。

では!

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