6-10 グレート・アメリカン・ソングブック(第95話)
『ブリティッシュロックとアメリカンロックどっちが好き?』
このテーマだけでロック好きなら朝まで酒を飲めるだろう。繊細だからイギリスとか、男らしいからアメリカとか、ブリティッシュフォークやプログレが好きだからイギリスとか、ソフトロックやルーツロックが好きだからアメリカとか。材料は山ほどあり、そしてそのどれもが明確に核心をつけたものではないからこの論争は飽きない。
僕は今までずっとブリティッシュ派を気取ってたわけだが、先日また友人とこのテーマについて話す機会があったので再び考え直してみることにした(なんて不毛なことを…)。ビートルズの存在、カラフルなUKサイケ、神聖なブリティッシュフォーク、そしてプログレ…やはりイギリスは強い。対してアメリカはビーチボーイズ、USフォークロックやUSサイケやソフトロックも強いが70年代前半のUKプログレへの対抗馬がウエストコーストロックだけでは足りない。やはりイギリス優勢か、なんて思ったところで逆にイギリスに対抗馬がいない奇才がアメリカにいた事に気付いた。それはハリー・ニルソン、ヴァン・ダイク・パークス、ランディ・ニューマンといった20世紀前半のアメリカポピュラーミュージック、いわゆる《グレート・アメリカン・ソングブック》を60年代のシーンに蘇らせようとした猛者達である。
〝アメリカらしさ〟
68年ザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグピンク」を皮切りにロックのルーツ(ロックンロール、ブルース、R&B、カントリー)に立ち返ろうとする流れが生まれ、60年代末から70年代にかけてアメリカではサザンロックやカントリーロック、スワンプロックといったルーツ志向のロックバンドが台頭し始める。サイケデリックロックやソフトロックでの緻密なスタジオワークによる装飾を脱ぎ去り、〝アメリカらしさ〟を取り戻すためルーツに立ち返ったわけだ。
ロックが生まれたのはイギリスで、そしてその元になったのは確かにアメリカ音楽だ。そのルーツに立ち返り〝アメリカらしさ〟を取り戻すことは確かに素晴らしいことである。ただ同時期にトラッドやクラシックをロックに融合させてブリティッシュフォークロックやプログレッシブロックといった新たな〝ヨーロッパらしい〟音楽へと突き進んだイギリスに対して、アメリカは原点回帰することでしか〝アメリカらしさ〟を得れなかったのだろうか。否、アメリカにはロックンロール以前の、20世紀前半の大衆音楽があるではないか。68年、ザ・バンドが登場しルーツロックへと舵を切るのとほぼ同時期に西海岸で別の方法で〝アメリカらしさ〟を追求した男達がいた。《グレート・アメリカン・ソングブック》と呼ばれる1920年〜50年代のまさに〝商業大国アメリカ〟なアメリカ大衆音楽をロックシーンに蘇らせようとした男達が。
6-10 グレート・アメリカン・ソングブック(第95話)
《グレート・アメリカン・ソングブック》は別名アメリカン・スタンダーズとも呼ばれるが、ソングブックの熱烈な支持者であるラジオパーソナリティのジョナサン・シュワルツによるとソングブックは《America's classical music(アメリカのクラシック音楽)》であるらしい。移民によって成り立ち歴史の浅いアメリカという国においてこの表現は非常にしっくりくるものだ。
《グレート・アメリカン・ソングブック》とはレコードが誕生し、音楽を商品化することを発明し始めた頃の、1920年〜50年代のアメリカ流行歌やジャズ・スタンダードの総称であり、そのほとんどがティンパンアレーで作られたブロードウェイのためのショーソングやハリウッドのミュージカル映画のために作られた映画音楽である。50年代後半にロックンロールの登場で新たな時代へと突入するまでアメリカポピュラーミュージックを支え、〝アメリカらしさ〟の土台となった音楽達だ(ロックンロール世代からは保守的と捉えられはするが)。
その偉大なる《グレート・アメリカン・ソングブック》をビートルズ等のロックと絶妙に混ぜ合わせたのが60年代末のハリー・ニルソン、架空のハリウッド映画サントラのような作品を残ししたのがヴァン・ダイク・パークス、映画音楽の名家ニューマン一族の血を継いだのがランディ・ニューマンである。特にヴァン・ダイク・パークスとランディ・ニューマンはロックの脈絡で語ってよいものか難しいところだが、彼らの立ち位置と関係性からソフトロックの流れで書いてみようと思う(彼ら自身は決してソフトロックではないが)。
ソフトロックとの接点
まずビートルズ等が始めたロックが斬新だったのは自分達で作り自分達で演奏して歌う、〝自作自演〟をやってのけた点であった。それ以前は作曲者が作り、演奏家が演奏し、歌手が歌うのが普通であり《グレート・アメリカン・ソングブック》と呼ばれる時代のものがまさにそうだった。50年代末のロックンロール登場以降もフィルスペクター等の自作自演ではないポップソングはアメリカにしっかりと残り続け、その精巧な楽曲はブライアン・ウィルソンに大きな影響を与え、ブリティッシュ・インヴェイジョンによってロックと邂逅し、66年にビーチボーイズは「ペットサウンズ」をビートルズは「リボルバー」を作り、ロックに緻密なスタジオワークと芸術性をもたらし、その流れで自作自演を無視してでも精巧なポップソングを作ろうとソフトロックが生まれた。
バート・バカラック/ハル・ブレイン、キャロル・キング/ジェリー・ゴフィンやロジャー・ニコルス/ポール・ウィリアムスなどの作曲家作詞家や、レッキング・クルーを始めとしたスタジオミュージシャンなど裏方の人間が大活躍する60年代末アメリカのソフトロックだが、ハリー・ニルソン、ヴァン・ダイク・パークス、ランディ・ニューマンもソフトロック周りの裏方の人間としてキャリアをスタートさせている。
ハリー・ニルソンは60年代半ばにフィル・スペクター関連のロネッツやモダン・フォーク・カルテットに楽曲を提供、さらにモンキーズやヤード・バーズにも楽曲を取り上げられ作曲家としてキャリアを積んでからSSWとして世に出て行く。
ヴァン・ダイク・パークスは66年からレニー・ワロンカーの元、ワーナー・ブラザーズ・レコードで作曲家、編曲家、スタジオミュージシャンとして働き、ハーパース・ビザールやボー・ブラメルズの作品に貢献。66年バーズ「霧の5次元」にオルガンで参加、ビーチボーイズの「スマイル」に作詞家として要請されるなどした後、68年にソロデビュー。
ランディ・ニューマンもヴァンダイクパークスと同じくレニー・ワロンカーの元でピアニスト、作曲家として働き68年にソロデビュー。
そしてこの3人がそれぞれ60年代末に《グレート・アメリカン・ソングブック》からの影響を昇華したソロ作品を生み出す。やはりレッキング・クルーらスタジオミュージシャンの助けを得て、スタジオワークに凝った〝アメリカらしい〟ポップ作品を生み出したのだ。決してソフトロックと呼べる音楽ではないが、ソフトロックに貢献し、その流れの中で出てきたアメリカの奇才達だ。職業音楽家としての側面を持つ3人が職業音楽家達が活躍した《グレートアメリカンソングブック》に着想を得た作品を作れたのは、自作自演を放棄したソフトロックシーンが60年代末のロサンゼルスに存在していたことが大きく関係していると言えるだろう。
続く!
ってなわけで次回はニルソンから!
ニルソンといえばやはり71年バッドフィンガーの〝Without You〟のカバーが有名だが、67年「Pandemonium Shadow Show」、68年「Aerial Ballet」あたりでは古き良きアメリカンミュージックとビートルズを融合させたような絶妙なアートロックを披露しているのでその辺を!
ジョン・レノン は「エルヴィス以前には何もなかった」と言うくらい完全なるロックンロール世代であるが、ポールはラヴィン・スプーンフルの影響もありトラッドジャズに影響を受けた曲をたくさん書いているので、その辺の匂いもニルソンからは漂ってきます。そうだな、ラヴィン・スプーンフルも古き良きアメリカを復活させた第一人者だな…まぁそこの折り合いはまだ整理ついてません!
ではでは!