未知の無知!
古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「人は世界の全てを知ることはできないのだから全てを知ったような気になってる人より自らが無知であることを〝知っている(自覚している)〟人のほうが少し賢い」と考えた。これは《無知の知》として今でも語られる哲学であるが、この《無知の知》についてこんな会話がたびたび起こる。
A「ふーん、じゃぁ何にも知らないほうが賢いってことなんやー」
B「いや、知らないってことを知ってることが大事なんだよ」
A「おれ何にも知らんって自覚してるよ、自分のことアホやって知ってるもん」
B「んー…」
A「おれは賢いってことなんや!」
B「んー…」
A「知らんままでいいんやー!」
言うまでもなく《無知の知》はこんな単純な話ではない。賢いフリをするより素直なほうがよい、とかそんな話でももちろんない。
僕はソクラテスを支持しているのでなんとかこの《無知の知》を矛盾なきように解釈したいなぁなんて思ってちょっと考えこんでいた時期があって。
ソクラテスは〝全てを知ることはできない〟から自分がまだまだ知らないことがたくさんあると自覚していた。例えば彼は〝死後の世界〟は人間に解き明かせるものではないとし、〝死後の世界〟については自分は《無知》であるというスタンスをとっていた。だから〝死後の世界〟を知った気で語るエセ賢者より《無知》を自覚している自分の方が少し賢いと考えた。
この例でいうとソクラテスは自らの《無知》を自覚しているということはもちろん大事だが、何よりソクラテスが〝死後〟について《無知》であることを自覚していたことがより大事だと僕は考えた。つまりは〝何〟を知らないかを自覚しているかが大事だと思うのだ。
A「おれ何にも知らんねん、でも何にも知らんことは知ってるねん」
B「例えば何についてしらんのん?」
A「んー、全部!何を知らんかも知らんねん。」
これはやっぱり《無知の知》ではないと思うのだ。
例えば相対性理論を名前だけしか知らないAさんと相対性理論をほんの入り口だけ触ったBさんがいるとする。
Aさんは相対性理論の〝何〟を知らないのか問われても本当に名前だけしか知らないので、Aさんは『相対性理論』を全然知らないことだけを自覚している。
一方ほんの少しかじったBさんは相対性理論には特殊相対性理論と一般相対性理論があることは知っているがそれくらいしか知らず『相対性理論』を全く極めたわけではないので無知であることを自覚している。さらに『特殊相対性理論』、『一般相対性理論』ももちろんよくわからない。
この場合Aさんは『相対性理論』を知らないことを自覚しており、
Bさんは『相対性理論』『特殊相対性理論』『一般相対性理論』の3つを知らないことを自覚している。
知らないことが1つのAさんと3つのBさんとは誰がどう考えても相対性理論というテーマにおいてはBさんの方が少し賢いと言えるだろう(Bさんの方が知らないこと多いのに!)。
そして深く学べば学ぶほど《無知》は増えていくと言っていい。何故なら相対性理論というテーマの奥の奥の奥で理解しがたい難題に出会い《無知》を自覚したならば、それは『相対性理論』の《無知》をも自覚しなければならないし、そこに辿り着くまでに出会った《知》に対しても《無知》であることを自覚しなければならない。でなければ「知ったかぶり」となってしまうわけだ。
つまりは「知らないことを自覚していることが賢い」ではなくて、「自覚している知らないことが多ければ多いほど賢い」ということだ。世界一の賢者は恐らく世界一の無知だと自覚するのだろう。
これが《無知の知》の本質であると僕は考えている(異論はもちろん受け入れる、《無知の知》の無知を自覚してるので!)。
なんでこんな話をいきなりしているのかというと、音楽、主にロックの深みに進めば進むほど自分が無知であると感じる今日この頃であるからだ。ロックを全く聞かない人が知らないと自覚できるのは『ロック』だけであるが、少し奥へと足を踏み入れた僕は今無数の無知を抱えている。そして僕なんかよりもさらに深淵にいる人たちはもっとたくさんのまだ見ぬ無知に遭遇してるはず。
ロック史だってきっと全てを知ることなんてできないんだろうけど、未だ見ぬ無知、《未知の無知》(キラーワード爆誕!)を求めて突き進むのみである。
この《未知の無知》論、いつかまとめて論文にしよう。ソクラテスの弁明ならぬケンジロニウスの弁明、《未知の無知》。まぁソクラテスは話し言葉を「生きた言葉」、書き言葉を「死んだ言葉」として一切の著書を残さなかったんだけれどもね(「ソクラテスの弁明」はプラトンが書いた)。
ま、半分はマジで言ってますが半分は自分の無知さをどう肯定しようかって苦肉の話なので、適当に流してください。
5-6 Spirogyra〜3種の神器(3)〜
さぁ英フォークロック3種の神器最後の1枚はスパイロジャイラの73年3rdアルバム「Bells, Boots and Shambles」。同じく3種の神器に並べられるメロウキャンドル、チューダーロッジはどちらもただ1枚のレコードを残して解散しており、その唯一作(再結成後出してるけど)が3種の神器の1枚に数えられているのに対してスパイロジャイラは71〜72年の間に3枚のアルバムをリリースしている。
完全に聴き手側が受ける印象の問題であるが《唯一作》というのは強い輝きが宿っている(あとそのバンドを把握しやすい。把握するために聴くんじゃない!おれ!)。とはいえ「もっと聞きたい」と思ってしまうのが正直なところで、スパイロジャイラのように複数のアルバムを残してくれているのはやっぱり嬉しい。
スパイロジャイラは67年にマーティン・コッカーハムとマーク・フランシスのデュオで始まった。デュオで始まって後にバンド化するというのは3種の神器、というか英フォークロックではあるあるなのだろうか(メロウキャンドルは最初トリオだし、チューダーロッジはバンドサポートだけど)。
ちなみに〝spirogyra〟とは〝アオミドロ〟の意でありiをyに変えたSpyrogyraという同音のフュージョンバンドがアメリカにいる(残念ながらこっちの方が有名)。
69年末にコッカーハムが通っていたカンタベリーの大学でバーバラ・ガスキン(ボーカル)、スティーブ・ボリル(ベース)、ジュリアン・カザック(バイオリン)と出会ってバンド形式となる。
カンタベリーといえばソフトマシーンやキャラバンを代表とする《カンタベリーロック》を想像するがジャズでアヴァンギャルドなカンタベリーロックの要素はほぼないと言っていいだろう。しかしバーバラガスキンはスパイロジャイラ解散後いくつかの重要なカンタベリー界隈のバンドでバッキングボーカルを務めた後、カンタベリーの重鎮デイヴ・スチュアートとのデュオで成功を収めることになる。むしろスパイロジャイラというバンドはそこから遡って辿り着くのが正規ルートだったんだろうけど、ガスキンのバンド解散後については後でもう一度触れるとしてスパイロジャイラへ。
71年に彼らの学生寮のあった通りの名を冠した1stアルバム「St. Radigunds」でデビュー。
スパイロジャイラは3種の神器の中でも異色であり特に1stはトラッドを基調としたブリティッシュフォークロックというよりインクレディブル・ストリング・バンドのようなアシッドフォークに近い。
インクレディブルストリングバンドはブリティッシュフォークリバイバルの最重要バンドの1つであるが、トラディショナルの伝統を守る保守的なリバイバリストとは一味違って、アシッドでヒッピーな要素をもった異端的で革新的なフォークグループであった。その異様さと狂気じみたフォークにはどこか中世的な、《古楽》からの影響も感じる。古楽といえばペンタングルのジョンレンボーンでありチューダーロッジにも中世的な雰囲気が漂っている。ブリティッシュフォークロックはトラディショナルフォークと共に古楽も重要な役割を担っているんだな。
古楽(Early music)
さぁこの《古楽》だ。英語で《Early music》。僕はその中世的な雰囲気を演出する《古楽》が何たるかを全くといっていいほど知らない。ペンタングルは正に楽器の歴史の中で淘汰されていった《古楽器》を用いたりしていたのでわかりやすかったが。
僕にとって《古楽》が正に《未知の無知》であったと言える。中世ヨーロッパの音楽であるということ、古楽器を用いた時代の音楽であること、それくらいしか頭になかった。クラシック畑の人なら通る道なのかもしれないけど、ロックで音楽に目覚めた僕は古楽の無知を自覚するのに15年かかったわけだ。
で、無知を自覚しただけでまだ全くなんだけど時代区分くらいは把握しておこうってことでちょっと調べた。
古楽とは中世西洋音楽(6〜15世紀)、ルネサンス音楽(15〜16世紀)、バロック音楽(17〜18世紀半ば)の総称であり、古典派音楽(1730年代〜1820年代)以前の西洋の音楽を指すらしい。
クラシックは一般的にはバロック音楽、古典派音楽、ロマン派音楽(19世紀)を指すらしい(クラシックの無知は自覚していた)。
音楽の父、大バッハはバロックの最後に位置し、ベートーベンやモーツァルトが古典派、シューベルトやワーグナーがロマン派に位置している。
古典派音楽以前が古楽ということなのだが、僕は何となく古楽はオーケストラやオペラ以前というイメージがある。壮大なイメージは古楽にない。オーケストラやオペラはバロック音楽の時代に生まれているようなので、バロック以前バロック以降で区切ってもらいたいとこだがこれも語るには知識が足りない(バッハがぎりぎりバロックってのも僕の中では大きい)。
オーケストラの導入、ストリングスの導入などでクラシックの持つ壮大さと美しさをロックに取り入れるのは60年代後半から主にプログレッシブロックにおいて多く見られるが、ブリティッシュフォークロックでは古楽の要素を取り入れたバンドが多く見られる。
古楽というのは貴族お抱えの音楽家による聖歌や世俗音楽であるようなのだが、それと民衆の間で伝承されていったトラディショナルソングとの関わりや距離感というのも僕はまだわからないんだけど、共に大衆向けの音楽(オーケストラ、オペラ)以前の音楽であるので、神聖で美しいが壮大さはなくスケールが小さく、少し暗い印象を与えるものである。その神聖で美しいが壮大さはなくスケールが小さく、少し暗いイメージはぴったりとブリティッシュフォークロックに当てはまると言えるだろう。
さぁこれ以上無知を晒すのもアレなので、スパイロジャイラに戻ります。
マーティン・コッカーハムとバーバラ・ガスキン
67年にマーティン・コッカーハムとマーク・フランシスのデュオで始まったスパイロジャイラなんだけど、71年1st「St. Radigunds」リリース時にはマーク・フランシスの名は無い。
作曲は全曲マーティン・コッカーハムによるものでり、コッカーハムが古楽に傾倒していたかどうかは正直わからないんだけど、独特の中世的雰囲気は唯一無二でありメロディセンス、リズムセンス、とにかく奇才。彼の狂気とそれを包み込むバーバラ・ガスキンの神秘の男女混声ボーカルが特徴であるが、コッカーハムの歌声の癖が強すぎるのでガスキンはバッキングボーカルともとれそうな立ち位置でもある。
スティーブ・ボリルのベース、ジュリアン・カザックのバイオリンももちろんスパイロジャイラの世界観を作るために必要であり素晴らしいプレイであるがスパイロジャイラはやはりコッカーハムとガスキン2人のバンドと言ってしまえるだろう。事実、三種の神器の1つである3rdアルバムの時にはスパイロジャイラはコッカーハムとガスキン2人のデュオとなる(ボリルもカザックもサポートで参加してる)。
正規メンバーにドラムはいなくてドラムレスの曲も多いが1st〜3rd通してドラムのある曲でサポートしているのがフェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタックスである。
71年1stアルバムはそこそこ売れたらしく(そりゃろうだろう!素晴らしいもん!)72年には2ndアルバム「Old Boot Wine」をリリース。
スパイロジャイラはやっぱり3rdが目立ちがちなんだけど、僕は1stと2ndもそれぞれの特色があり面白く、本当にコッカーハムは奇才だと思っている。彼はスパイロジャイラ解散後、クリシュナ教(ジョージハリソンが傾倒したアレ)にはまり音楽界から去ってしまうんだけど、ソロキャリアを積んでればなぁ。
2ndではバイオリンのジュリアン・カザックが正規メンバーを離れサポートメンバーとなり、創設メンバーのマーク・フランシスが復帰している。マーク・フランシスによるエレキギター、ドラムのデイヴ・マタックスの参加率も高くサウンドはかなりロック寄りになった印象。カザックのバイオリンも1stほどの凶暴さはなく、鍵盤等をメインに貢献してる様子。スパイロジャイラは一貫して独特の雰囲気を持っているが1stがアシッドフォーク、2ndがフォークロック、3rdがプログレフォークと僕は受け取っている。この2nd「Old Boot Wine」は3作の中では最もブリティッシュフォークロックらしいブリティッシュフォークロックであり、そのことからこの2ndこそがスパイロジャイラ最高傑作であるという意見もちらほら見るが、僕はやはり1stで放っていた異様な狂気が彼らの真骨頂であると思っている。
2ndリリース後にボリルとフランシスが脱退し、スパイロジャイラはコッカーハムとガスキンのデュオとなる。ボリルは前回書いたように解散間際のメロウキャンドルに短期間加入する。
73年3rd「Bells, Boots And Shambles」リリース。
これが3種の神器とされるアルバム。脱退しているベースのボリルとバイオリンのカザックもサポートで参加しているので実質メンバー変動はさほどないが、フルート、トランペット、チェロとセッションミュージシャンも参加しアンサンブルが少し豪華になりシンフォニーロックとも呼べるようなサウンドになった。しかし壮大で広がっていくイメージではなく、崇高で閉ざされた中世らしさは維持している。
1st,2ndに比べてバーバラ・ガスキンの歌の比率が明らかに増えていて、そういう意味でメロウキャンドルやチューダーロッジと共にこのアルバムが「女性ボーカルもの」として括られるのは納得できる。
曲調はシンフォニックさが足された感じはあるがアシッドな面もフォークな面も備えていてスパイロジャイラの集大成と言えるが、組曲的な曲があったり、曲展開の仕方からプログレッシブな要素を感じることができ、プログレフォークと呼べるアルバムである。そんなことからサイケ・アシッドファン、フォークファン、プログレファン、女性ボーカルファン、と多方面から愛されるアルバムである。つまりはロックファンなら必聴。
1st,2ndのオリジナルLPも中々の値がついているが、やはりこの3rdはdiscogで見てもその10倍ほどの値がついている。ということは1st,2ndに比べてやはり売れていない。
この傑作が何故?と思うんだけど、この3rdだけドイツのレーベルからリリースされたなんて話もちらほらあったが、実際はちゃんと英ポリドールからもリリースされており、やっぱりただただ売れずに激レアレコードになってしまったようだ。
74年にツアーを行った後スパイロジャイラは解散。
再結成
コッカーハムは解散後長く海外暮らしをしていた、と情報があるがクリシュナ教に没頭していたともあるので、シンガポールとかにいたんだろうか。わからないが何にせよ彼がイギリスに帰ってきたのは2000年代になってからのようである。コッカーハムは創設メンバーのマーク・フランシスとのデュオでスパイロジャイラを再結成し、2009年に「Children's Earth」、2011年に「5 (雄鶏の鳴く時)」と2枚のアルバムをリリースした(聞かねば)。コッカーハムは2018年に死去。
バーバラ・ガスキンとカンタベリー
ガスキンらスパイロジャイラのメンバーが通っていたカンタベリーのケント大学にはスティーブ・ヒレッジというギタリストがいた。ヒレッジはソロキャリアが有名であるがケヴィン・エアーズの作品やゴングに参加したり、カンタベリーロックにおいて重要なギタリストである。スパイロジャイラの2nd「Old Boot Wine」にヒレッジへの賛辞が記されてあり、何かしらスパイロジャイラとも親交があったよう。
そんなヒレッジに紹介されたのがデイヴ・スチュワートであった。 デイヴ・スチュワートはEgg,Hatfield and the North,National Healthとカンタベリーの重要バンドに関わったキーボーディストであるが、エッグの前身のユリエルというバンドでヒレッジとバンドメイトであった。
(デイヴスチュワート)
そんなデイヴスチュワートという男と知り合ったことからガスキンはスパイロジャイラ解散後、Egg,Hatfield and the North,National Healthなどのカンタベリーバンドにバッキングコーラスで参加する。
さらに81年にはスチュワート&ガスキンとしてポップデュオを結成し、以降ヒット曲を量産し世界的に成功する。これが日本でも割と流行ったこともありこのデュオからスパイロジャイラにたどり着いた人も少なくはないだろう。ちなみに去年2018年にも来日しており現在も活動中。
(カンタベリー界隈の図が遠すぎて繋げれないわん)
以上!
英フォーク3種の神器はとにかくおすすめなんだけど中でも僕はこのスパイロジャイラが好き。ってか好きなバンドトップ20には入るくらい好き。
で、実は3種の神器の3rdももちろん素晴らしいが、アシッドで中世雰囲気満載の1stのイカれ具合が好き。2ndは英フォーク好きなら!
ちなみに1st,2ndはAppleMusicにあるが3rdはない。3種の神器は3枚ともAppleMusicにないのだ、さすがである。
3種の神器周辺
終わり!次どうしよう…そろそろアメリカにも行きたいとこはある。まぁ考えます!《未知の無知》をよろしく!