ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

Dobooi Dobooies 1st.EP『Ainigma』

日本のインディフォークバンドDobooi Dobooies(ドゥーボーイ・ドゥーボーイズ)が1st.EP『Ainigma』を先日YouTube、各種ストリーミングサービスで公開。世界に誇れる日本製の《フォークロック/プログレ・フォーク》が遂に解禁された。

このブログでは基本的に76年以降のアーティスト/バンドや日本のロックは一切紹介してこなかった。

まず前提としてロックは60's〜70's前半に完成し完結してるという考えを持っているからだ。頑固な60's〜70's前半信者である僕は、イギリスはKing Crimsonの74年『RED』、アメリカはEaglesの76年『Hotel California』、そこをロック黄金時代の終着点と定めてそこに至るロック史と相関図を作り上げようとこのブログを開設した。

日本でも60年代末にはロックを輸入し、以降数々のJ-Rockが作られてきた。日本のミュージシャンは常に海外の音楽の影響を受け続けてはきたものの、日本のロックシーンは明らかに世界からは孤立した独自の市場として成長を遂げていった。そのガラパゴス化しているJ-Rockの良し悪しはさておき、《ロック史》に関与していないのは明白である。

そんなことで76年以降、そして日本のロックはこのブログでは紹介してこなかったわけだ(もちろん76年以降も、日本のロックも好きなのは山ほどある)。

しかし今回紹介するDobooi Dobooiesはこの2021年に世に放たれた日本のバンドである。このブログの頑固なルールを外れてこのバンドを紹介する理由は「僕の盟友のバンドである」ことが大きいが、それ以上に一聴して「ロック史に連なっている」と感じてしまったことに他ならない。

ガラパゴス化する日本の音楽シーン、英米音楽への憧れとコンプレックス、どうしても越えられない国境という壁。そんな英米音楽を愛する全ての日本のミュージシャンが抱える永遠の悩みに対する一つの答えがDobooi Dobooiesの1st.EP『Ainigma』に示されている。

Dobooi Dobooies 1st.EP『Ainigma』

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Dobooi Dobooiesは英国トラッドフォークの影響を強く受けつつ日本独自の要素を取り入れたフォークロックバンドだ。

トラッドフォークを基盤としつつ、古楽バロックにジャズやロックなんかを組み合わせた70年代初頭イギリスの《ブリティッシュフォークロック》勢と同様の志向であり、そこに“日本らしさ”を加えた複合的な音楽性はプログレフォーク》と呼べるだろう。

そんなわけでブリティッシュフォーク好きに刺さるであろうDobooi Dobooiesおよび1st.EP『Ainigma』を紹介したい。プロフィールを含むとかなりローカルな話になるが、どんな偉大なバンドも最初はローカルな世界から始まるもので。特にこのブログではそのローカルな話から相関図を作り上げてきたようなところがあるので、まぁお付き合いください。

日本と英米の接点

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Dobooi Dobooiesの中心人物は作詞作曲、ギターボーカル、アレンジメントを手がけるHiromitsu Nishikawa(以下、ニシカワ)。

ニシカワは元々神戸でVanilla Childrenというプログレッシブロックバンドで活動していて、何を隠そう僕はそのバンドの一員だった。結成は2009年ごろか、4年ほど活動しアルバムを一枚残して解散した。ビートルズ〝A Day in The Life〟とキングクリムゾン〝Red〟のカバーをレパートリーとし、レッドツェッペリン的ギターリフを軸としたYes的構築型長尺曲をプレイしていたローカルバンドだ。バークレイ・ジェームズ・ハーヴェストっぽいと言われたことがあり当時はピンとこなかったが、今となったら言い得ているかもしれない。

とにかく60'sから70's前半の偉大な英米ロックを混ぜ合わせたプログレッシブロックを作り出そうと燃えていたわけだが、それは失敗に終わった。

ニシカワの音楽の趣味はほぼほぼ僕と同じと思ってもらっていい。60's、70'sロックをこよなく愛する男だ。ビートルズから始まる英ロック、英サイケ、プログレ、そしてブリティッシュフォーク、ビーチボーイズから始まる米ロック、米フォークロック、ソフトロック、ウエストコーストロック。あとはギタリストであるので僕よりブルースが好きだ。

それらの影響を形にしようとしたのがVanilla Childrenだった、が志半ばで解散となった。

英米ロックを愛する日本人としてはやはりガラパゴス化した日本の音楽シーンに向けたものではなく、世界基準の音楽を作り出したいと思うもの。

しかしニシカワは“好き”ということ以外日本人である自分と英米ロックには接点がないことに気付き絶望感を覚えることとなる。日本人が英米ロックをやる必然性や背景が足りていないと感じたのだ。

蛍の光に見出した活路

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途方に暮れるニシカワに道を示したのは蛍の光スコットランド民謡である」という事実だった。

スコットランド民謡である〝Auld Lang Syne〟に日本語詞を付けた蛍の光は我々の心に根付く国民的唱歌として完全に日本人のDNAに刻み込まれている唱歌だ。蛍の光の他にもイングランドスコットランド民謡を集めた『チャイルドバラッド』を筆頭に、アイルランドウェールズ民謡を含むブリテン諸島に伝わる民謡に日本語詞を付けた多くの曲が日本の伝統的な歌として存在している。仰げば尊しスコットランド民謡説があったり。

重要なのは元々ブリティッシュ製であったとしてももはやそれらが日本人の血肉となっている、ということ。現時点ではまだどこまでいっても“真似事”で終わってしまう《ロック》とは違い、《英トラッド》には日本人がプレイする必然性と背景がある。ニシカワは《ロック》に対して見出せなかった日本人としての繋がりを《英トラッド》に見出したわけだ。

現代のボブ・ディラン&ザ・バンド

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(ビッグピンク)

自分の進むべき音楽性を定めたニシカワは新バンドを結成する。それがDobooi Dobooiesである。

元々神戸で活動していたGreat Spritsというオルタナティブフォークバンドを母体とする幽谷響(やまびこ)のメンバーがニシカワと合流し、Dobooi Dobooiesが結成された。

結成後メンバーは兵庫県西宮の山奥に一軒家を借り、共同生活を始めることに。神戸や大阪といった街から離れ、山に篭りスタジオを作りリハーサルを繰り返したのだ。まるで1967年、都会を離れ田舎町ウッドストックのビッグピンクに篭ったボブ・ディランザ・バンドのように。

ニシカワと合流した幽谷響のメンバーはDobooi Dobooiesと並行して幽谷響の活動を継続している。幽谷響はTomohiko Kawano(以下:カワノ)を中心とする日本古来の神秘を封じ込めたフォークバンドであるが、このバンドにニシカワが参加しているためDobooi Dobooiesと幽谷響は同一メンバーで動いていることになる。ニシカワがディランだとすれば、幽谷響がザ・バンド、カワノがロビー・ロバートソンといった感じだろうか。

(火の国/幽谷響)

幽谷響はMVや自宅でのライブ映像などをコンスタントに公開していたが、Dobooi Dobooiesの方は本当に長い間リハーサルが繰り返され、この度待ちに待ったEPリリースとなった。

ニシカワの完璧主義は僕の知る著名な完璧主義者に匹敵するものがある。例えばフィル・スペクターブライアン・ウィルソンのような。そのせいか長らく世に出ず山奥に封印されていた音楽がこの度ようやく解放されたわけだ。本人はまだまだ納得していない様子だが、その素晴らしき日本製の《トラッドフォーク/プログレフォーク》を紹介したいと思う。

1st.EP『Ainigma』

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1.Kimigayo

2.Five Elements Mantra

3.Sunayama

4.Echoes of Praying

5.Ainigma

6.Inside of Fire

EPジャケットは初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスが描いた三連祭壇画『快楽の園』の一部を切り抜いたものになっている(三連祭壇画右翼パネルの右上)。

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日本と英国を繋ぐ《英トラッド》に想いを馳せつつ、そこに《ジャパニーズ・トラッド》と呼べる日本独自の個性を詰め込んだEP。「世界標準」となる音楽を目指すのではなく、あくまで日本人としてどう世界に発信していくのかを考え抜いて作られている。

その姿勢を顕著に示したのがオープニングトラック〝Kimigayo〟

我が日本国歌である君が代無伴奏多重コーラスでEPは幕を開ける。

君が代の歌詞は『古今和歌集』の和歌から取ったものであり、世界中の国歌の中でも最も古い作詞であるといわれている。まさに《ジャパニーズ・トラッド》と呼ぶに相応しい楽曲だといえるだろう。

多重コーラスワークはDobooi Dobooiesの特徴の一つであるが、ビートルズ等カントリー由来のハーモニーではなくバロック音楽古楽に見られるポリフォニーを参考としたものになっている。そもそも君が代1880年にドイツ人音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声によって編曲したものが1930年に正式に国歌となったという成り立ちがある。日本国歌にも西洋音楽の血は流れているのだ。

2曲目〝Five Elements Mantra〟は特に田園風景の浮かぶブリティッシュフォーク然としたフォークロック。そこに平仮名による謎のマントラを合わせることにより唯一無二の世界観を構築している。このマントラは反転させると五行思想の流れを表した文になっており、それでタイトルが五行思想マントラとなっているわけだ。

《トラッドフォーク》を基調とした上で楽器は基本的に《ロック》で使われる楽器、ギター、ベース、ドラムが使われている。そこにオルガンやストリングスにマンドリンなどを加えて構築されたアレンジはSteeleye Span等ブリティッシュフォークロックバンドと同じスタイル。いわゆるロックで使われるビートやフレージングを排除してはいるが、ロックで使われる楽器を使用していることにより《フォークロック》と呼べるものになっている。

3曲目〝Sunayama〟インストゥルメンタル曲。

これも《ジャパニーズ・トラッド》だ。オリジナルは北原白秋が作詞した童謡〝砂山〟山田耕筰作曲、中山晋平作曲の2つのバージョンが広く伝わっている。

アメリカの現代音楽家であるサミュエル・ヘイゾ日本民謡による幻想曲』と題して1997年にこの〝砂山〟を主題とした吹奏楽曲を発表しており、Dobooi Dobooiesはそれをヒントにこの曲を取り上げた。

欧米と日本古来の音楽との繋がりを手繰り寄せた“糸”のようなものがこのEPにはたくさん溢れている。

4曲目〝Echoes of Praying〟はタイトル通り森に木霊する祈り。

「森」「祈り」といえばアイルランド民謡。アイルランドの森は妖精や神聖なイメージが強いが、日本の森にはまた違う神聖さがある。「畏怖」という言葉が似合う日本の森が持つ人知を超えた怖さがこの曲には封じられている。

君が代の一節を引用したり、「Just another diamond day」というヴァシュティ・バニヤンをリスペクトした歌詞が出てきたり遊び心にも溢れた楽曲。

5曲目はタイトル曲〝Ainigma〟

膨大な数の声を奇妙に重ねた実験的怪曲。

エニグマと言えばナチスの暗号機やドイツのバンドが想い浮かぶが、その「謎、なぞなぞ」という意味があるenigmaエニグマ)】の元となった古代ギリシャ語が【ainigma】である。【ainigma】には「謎めいた言葉」という意味がある。

タイトル通り謎めいた言葉、声を巧みに使い奇妙な世界観を作り上げている。

ニシカワは徹底した構築能力を武器とする作曲家であるが、こういった感覚的な発想も昔から優れている。

EPのエンディングを飾るのが〝Inside of Fire〟

トラッドフォークとロックの融合である《ブリティッシュフォーク》は学術的領域の音楽とポピュラーミュージックとの絶妙なバランスで成り立つジャンルだといえるだろう。Dobooi Dobooiesにおけるロックニュアンスというのは先述したとおりほとんど使用楽器にのみ残されていて、音楽的にはポピュラーミュージック的要素はかなり少ないものだ。それはペンタングル等のブリティッシュフォークバンドと近い方向性である。

そんな中、この〝Inside of Fire〟はEP中最もポピュラーミュージック寄りの楽曲だといえるだろう。歌、フレーズ、リズムの全てがポピュラーミュージックの枠にぎりぎり収まっている。本人達もそのことを自覚しているようでMVを製作しこの曲をEPの代表曲として打ち出している。

アコースティックなサウンドからもちろんフォークロックと呼べるが、そのオリエンタルな雰囲気とストリングスを巧みに使ったアレンジはスティングのソロに通ずるポップ性を秘めていると思う。

実のところ〝Inside of Fire〟はVanilla Children時代から存在していた曲であり、他の楽曲と少し毛色が違うのも当たり前といえば当たり前。しかしこの曲があることでポピュラーミュージックとの繋がりが守られ、EP『Ainigma』をロックファンにも響く作品にしているのだろう。

《純国産フォークミュージック》の確立

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冒頭でDobooi Dobooiesは「ロック史に連なっている」と書いたが、その理由は日本人としてのフォークミュージックへのアプローチが過去にない方法であることにあるだろう。

日本のフォークミュージックは60年代アメリカのボブ・ディランやピーター、ポール&マリー等トラッドを基調としない《コンテンポラリーフォーク》の影響下で生まれた。米フォークと呼応するようにプロテストフォークが日本語で歌われ、反戦ムードが収まった70年代には吉田拓郎かぐや姫など個人の身近な世界を歌う《四畳半フォーク》が誕生していくことになり商業的にも日本のポピュラーミュージックを支えていった。

それらは欧米サウンドの影響下にありつつもガラパゴス化した日本音楽市場でのみで売買されるものであり、やはり「ロック史」には触れないものであるだろう(もちろん素晴らしい日本フォークソング)。

Dobooi Dobooiesは英トラッドを基調としながら、あくまでその英トラッドを憧れの、好みの音楽としてではなく「日本人としてDNAレベルで繋がりがある音楽」であることを強調している。“日本らしさ”と英トラッドを「斬新な発想」ではなく「自然の成り行き」としてミックスしているのだ。

もちろん様々な音楽の影響を多分に受けて作曲とアレンジが行われているが、その根底にしっかりと日本人としての“純国産フォーク”であるという建前と根拠のようなものが存在しているのがDobooi Dobooiesの強みであるように思う。「日本人が演るブリティッシュフォーク」として世界基準に肩を並べようとするのではなく、「純日本製トラッドフォークロック」として世界に一石を投じようとしているのだ。

常にコンプレックスを抱え「ロック史」「欧米ポピュラーミュージック史」から疎外されてきた日本音楽が世界と繋がる一つの方法をDobooi Dobooiesは提示しているのだ。それが本当に繋がるかどうかはこれからの活躍を期待したいと思う。フルアルバム製作の準備も進めているようだ。

盟友のバンドであることもあるが一ロックファンとして世に紹介すべきであるという使命感から長々と書かせてもらいました。

Dobooi Dobooiesはブリティッシュフォークファンにはもちろん、ロックファンにも響く音楽性を持っているので是非聴いてみてください!

では!

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