6-4 カート・ベッチャー〜コーラスの魔術師〜
ハーモニーの消失の謎
僕はハーモニーというものがほんとに好きで、豊かさと美しさを生み出すハーモニーはなるべくあればあるだけいいと思ってるくらいなんだけど。
ところで僕は最近12弦のアコースティックギターを買って、想像以上のその〝鳴り〟に強く感動して毎日有名な12弦ロック曲を弾いてみてはニンマリしている。12弦の素晴らしさはもちろん知ってはいたが、自ら弾いてみると想像の何倍もの衝撃であった。正直〝反則〟とも言える12弦ギターの響きに虜になった僕にある疑問が浮上する。
「え、なんでみんな使わないの?」
ジョージ・ハリスンやロジャー・マッギンを始め60年代半ばから70年代にかけてのロックにおいて大活躍した12弦ギターだが、70年代後半、80年代以降とだんだんと使うミュージシャンの数は減って行く。豊かで美しく幻想的でもあり、僕からすれば欠点のない12弦ギターをなんで使わなくなったんだろうって考えてたら、そう言えば12弦の衰退と同じようにボーカルハーモニーも時代と共に減っていくんだよな。
イギリスはビートルズ、アメリカはビーチボーイズ、それぞれ素晴らしいハーモニーを持ったバンドから始まったロックは当然のようにハーモニーと共に60年代を駆け抜けていった。バンドメンバーの内複数人が曲によってメインボーカルを回し華麗なハーモニーを響かせるのは当初の《ロック》の典型的なスタイルだったはずだ(もちろんザ・フーやストーンズみたいなれっきとしたボーカリストがいるバンドもたくさんいるが)。
ハーモニーの消失と12弦の衰退には同じ理由があるんじゃないかなぁなんて思ってて(まぁハーモニーのイメージのないツェッペリンが12弦をバリバリ使ってるから一概にそうとは言えないけど)、時代が必要としなくなっていったその理由を考えても12弦の虜になってハーモニー大好き(得意とは言ってない)な僕にはなかなか納得行く答えは出ずで…まさか〝あんまり良くない〟なんて理由じゃないよね?ハーモニーが素晴らしいって感覚は〝人それぞれの好み〟の範疇を超えてると信じてるんだけど、まさかそうでもないのか…
1章にてバーズについて書いた時に12弦について冗談まじりに《弦が2倍であるので、ミスタータンブリンマンなんかのフォークロック曲は豊かさが倍になるし、エイトマイルハイなんかのサイケソングは奇妙さが倍になる》なんてアホみたいな理論を提示したが、半分マジで。そしてボーカルハーモニーにも同じようなことを思っている。ハッピーなハーモニーソングはハッピーさを増幅させるし、聖歌のハーモニーは神聖さを増幅させている。ハーモニーは増幅装置みたいなものであるのだ。増幅できないのは〝孤独〟くらいなもんで、それは初期のディランやニールヤング辺りの弾き語りスタイルの特権なのかもしれない。
僕はビートルズのようなメインメロディに対しての2声,3声のコーラス(所謂ハモり)やUh...やOh...やAh...やLa...やNa...なんかの複声のバッキングコーラスを《ハーモニー》として捉えているんだけど、ビーチボーイズのブライアンウィルソンはさらに《声》の使い方を広げ、パーカッション的な使い方、メインメロディと同時に別メロディ(カウンターメロディ)を歌わせたりと楽器的に《声》を使うコーラスワークを提示した。ブライアンウィルソンのコーラスワークは豊かな《ハーモニー》というより複雑な《アンサンブル》と言ったほうがいいだろう。これは明らかに《ドゥー・ワップ》の影響である。ハーモニーの歴史の元はそりゃ聖歌とかになるんだろうがロックにおけるハーモニーの元は《カントリー》《ドゥー・ワップ》《ゴスペル》といったアメリカ音楽にあるのだろう。ビートルズが影響を受けたエヴァリー・ブラザーズのハーモニーは《カントリー》のハーモニーであるしね。
そんなわけでアメリカには多数のハーモニーグループが存在するわけだが、特に60年代半ば〜後半の西海岸は素晴らしいコーラスグループの宝庫だ。バーズを筆頭としたフォークロック勢、ビーチボーイズやママス&パパスといったカリフォルニアポップ勢、そしてソフトロック勢。
そのソフトロック勢の中で一際コーラスワークにおいて異彩を放ったのがカート・ベッチャーという男であった。彼のコーラスワークは今ではブライアンウィルソンに引けを取らないと考えられており、そのマジカルな技からよく〝コーラスの魔術師〟と呼ばれ賞賛されることが多い。
6-4 カート・ベッチャー〜コーラスの魔術師〜
カート・ベッチャーは前回のRoger Nichols&The Small Circle Of Friendsと共にソフトロックの代表バンドであるThe Millenniumの中心メンバーであり、ソフトロック/サンシャインポップ界隈でコーラス・アレンジャーとしても活躍した重要人物である。
自身が作曲し自身が歌う活動をいくつかのバンドでしながらコーラスアレンジャーという裏方の仕事もこなしたカートベッチャーであるが、その彼のマジカルにかかった作品とグループを彼の歴史と共に見ていきたい。
まず彼のキャリアはThe GoldeBriars(ゴールドブライアーズ)というフォークカルテットから始まった。
The GoldeBriars
カートベッチャーは元々東海岸、ニューヨークで活動していたミュージシャンであり、ゴールドブライアーズもニューヨークのグループである。男2女2のカルテットで構成されたフォークグループであるゴールドブライアーズはカートベッチャーをリーダーとし、ジャズコーラスグループから影響を受けた斬新なハーモニーを響かせた。64年に2枚のアルバムをリリースした後カリフォルニアへと本拠地を移して3rdアルバムの制作に入るも解散。
ほんとに64年という時期からは考えられない洗練されたコーラスワークを武器に独特の世界観を放ったゴールドブライアーズは大きな成功は得ることはなかったが同じく男2女2のカルテットであるママス&パパスに影響を与えたと言われている。
解散後カートベッチャーはコーラスアレンジの才能を買われ66年にプロデューサー、アレンジャーとして仕事をし始める。
the Association
こちらもソフトロックの代表的なバンドであるアソシエイションのデビュー作「And Then... Along Comes the Association」のプロデュースをカートベッチャーが務めた。アソシエイションは6人組であったので4人組であったゴールドブライアーズよりもさらに複雑なコーラスアレンジを施した。66年であるのでまだカートベッチャー自身のThe millenniumもロジャニコもデビューしていないのでソフトロックと呼ばれる作品群の中ではかなり最初期のアルバムであるが、リードボーカルが埋もれるほどの声の重なりはこの後に続くソフトロックの一つの特徴となっていく。
アソシエイションは正直あまりピンとこないというか、好みではなくて…ただ68年4th「Birthday」は最高傑作と名高く、時代からかサイケニュアンスも絡まり好きなアルバムである。
カートベッチャーがプロデュースしたのは1stだけであったが、その1stがヒットしたことでカートベッチャーの才能が世に出るきっかけとなった。
トミー・ロウ
トミー・ロウは62年デビューのアメリカのポップ歌手であり俗に言う《オールディーズ》と呼ばれる類の人気歌手である。僕はオールディーズにあまり興味がないのでカートベッチャーが関与してなければ聞くことがなかっただろうと思うんだけど、カートベッチャープロデュースのアルバム、66年「It's Now Winter's Day」がソフトロックアルバムである。オールディーズが持つ〝ダンディ〟な雰囲気とソフトロックはまさに真逆の方向性であると思うんだけど、プロデューサーが違うとこんなに違うのかとびっくりするくらいのソフトロックである。とにかくカートベッチャーのコーラスマジカルが炸裂。めちゃくちゃ良い。
アソシエイションとトミーロウのプロデュースで業界での知名度を上げたカートベッチャーは同66年にようやく自らのバンド、The Ballroomを結成。ボールルームはコロンビアレコードでプロデューサーとして仕事をしていたゲイリーアッシャーの目にとまりコロンビアレコードと契約する。
ゲイリー・アッシャーとカートベッチャー
ビーチボーイズの回で少し触れたが、ゲイリーアッシャーは初期のサーフィン/ホットロッド期のビーチボーイズの楽曲のいくつかをブライアンウィルソンと共作した男である。
60年代前半はサーフィン/ホットロッド界隈で活躍していたが65年にコロンビアレコードにてプロデューサーの仕事をし始める。プロデューサーとしてはThe Byrdsの67年「Younger Than Yesterday」、68年「The Notorious Byrd Brothers」、68年「Sweetheart Of The Rodeo」をプロデュースしたことで知られている。
ビーチボーイズやバーズと関わった彼もまた60年代のカリフォルニアにおいて重要な人物の1人であるが彼の1番の功績はやはりソフトロックにおけるカートベッチャーとの仕事だろう。
ゲイリーアッシャーは66年にThe Ballroomとカートベッチャーに出会い、コロンビアと契約させデモ音源を録らせた。しかしカートベッチャーはボールルームを発展させる形で新たにThe Millennium(ミレニウム)を結成する。
ミレニウムは68年にソフトロックの金字塔となる「Begin」をリリースし、ゲイリーアッシャーはエグゼクティブ・プロデューサー(ってよく見るけど一体何なのか)としてそれに関わる。
その一方でゲイリーアッシャーとカートベッチャーのプロジェクトとしてThe Ballroomのデモ音源を元にスタジオミュージシャンを起用して作品を組み上げ、同68年にSagittarius(サジタリアス)という名義で「Present Tense」というアルバムをリリースする。
このミレニウムの「Begin」、サジタリアスの「Present Tense」の2枚は後にソフトロックにおいて非常に重要なアルバムとなるんだけれど、少しだけ早くリリースされたサジタリアスの方から紹介しよう。
Sagittarius「Present Tense」
プロデューサーであるゲイリーアッシャーのプロジェクトであるサジタリアスの「Present Tense」は感覚的に同じくプロデューサーであるマーク・ワーツの「ティーネイジ・オペラ」とダブるんだけど、「ティーネイジ・オペラ」におけるキース・ウエストの立ち位置が「Present Tense」におけるカートベッチャーの立ち位置であると僕は把握している。しかしカートベッチャーは歌い手でありながらプロデューサー的要素も強くもった人物であるので、もうかなりカートベッチャー色に塗られているとは思うけど。
カートベッチャーのバンドとして知られるミレニウムは実は複数の作曲者と歌い手が在籍するバンドであり、カートベッチャーのコーラスワークは堪能できるが決して彼のワンマンバンドではなかった。しかしサジタリアスの元となったボールルームのデモ音源はほとんどがカートベッチャーの曲であるのだ。なのでカートベッチャーのソングライティング能力と歌声を堪能できるのは実はこのサジタリアスの方なのである。
特に好きなのが2曲目Song To The Magic Frogであり、その美しさはソフトロック随一。カートベッチャーはポップス色の強いロジャニコに比べるとだいぶロック寄りの人だと思っていて、時折《ソフトサイケ》とも言える音楽性を見せることもある。最高。
このアルバムに先立ってシングルリリースされたMy World Fell Downを歌ったのは一時期ビーチボーイズのツアーメンバーとして加入していたグレン・キャンベルである。さらにSpecial Thanksとしてミレニウムのメンバー、グレン・キャンベルに加えてブルース・ジョンストンの名もクレジットされており、ここにもビーチボーイズとの繋がりが見られる。
ゲイリーアッシャーのプロジェクトでありながらこのアルバムはかなりカートベッチャー色が強いが69年の2ndアルバム「The Blue Marble」ではカートベッチャーの出番も少なく、ブライアンウィルソンとゲイリーアッシャーの共作である初期ビーチボーイズの名曲In My Roomを収録するなどこちらのほうがゲイリーアッシャープロジェクトといった感じである。まぁこの2ndも素晴らしいんだけどな…
とにかくサジタリアスの68年「Present Tense」はカートベッチャーという才能を堪能できるソフトロック必須アイテムであるのだ。
The Millennium「Begin」
さぁミレニウム。何故かミレニアムじゃなくてミレニウムと呼ばれてることが多いソフトロックの代表バンドであるんだけど。
簡単に言うとThe BallroomとThe Music Machine(ミュージックマシーン)というバンドが合わさって出来たバンドである。
ミュージックマシーンはシーン・ボニウェルという男を中心としたカリフォルニアのガレージロックバンドでありソフトロックとはまるで違うが中々奇天烈な音楽性で面白いバンドである。そのミュージックマシーンでドラムを叩いていたのがロン・エドガーという男であるが、彼はカートベッチャーのフォークカルテット、ゴールドブライアーズの解散間際にドラムを叩いていた人物である。さらにオルガンのキース・オルセンはカートベッチャーの大学の同級生であった。
そんな繋がりもあってミュージックマシーンからロン・エドガー(ドラム)、ダグ・ローズ(ベース)、キース・オルセン(プロデューサー)の3人がミレニウムに参加した。
残されたシーンボニウェルはThe Bonniwell Music Machineと名を改めて1枚アルバムを残した。
ボールルームというバンドが一体どういう構成であったのかは詳しく知らないが、カートベッチャーを含む5人の作曲家兼ボーカルにミュージックマシーンのリズム隊の2人を加えた7人組がミレニウムというバンドであり、プロデューサーがカートベッチャーとキースオルセン、エグゼクティブプロデューサーがゲイリーアッシャーという布陣で68年の傑作「Begin」が作られた。
当時最先端であった16トラックレコーダーを導入したアルバムであり、68年にして素晴らしい音質クオリティをもったアルバムである。16トラックを初めて使ったのがサイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」であり、この「Begin」が2枚目であると言われていて、そうした最新技術の導入と完璧主義者であったカートベッチャーのこだわりによって引き延ばされたレコーディングによってコロンビアレコードの財政が傾いたとまで言われている(売れなかったからね)。
最新録音環境に加えてカートベッチャーの真骨頂であるコーラスワークは言うまでもないが、さらにバンドアレンジやサウンドも突き詰めており、その証拠というわけでもないがこのアルバムはPreludeというインストナンバーから始まる。この曲の最後に出てくるベースフレーズのリフレインが小節の頭を変えて2曲目To Claudia On Thursdayのイントロへと繋がっていく(言葉で説明しづらいな)あたりは圧巻。こういうアレンジはかなりロック的でバンド的であると思う。ポップとロックの中間に位置していると言えるソフトロックだが、ミレニウムとカートベッチャーはロックの流れの中に確実にいる。
そもそもカートベッチャーはビートルズvsビーチボーイズのロック戦争に加わるべくこのアルバムを作ったと言われていて、「リボルバー」のサイケデリックと録音方法の革命や「サージェント」のトータルアルバムという感性、ブライアンウィルソンのサウンドへのこだわり、双方のコーラスワーク、などを十分に吸収している。「Begin」は〝ソフトロックの名盤〟と名高いが、〝ロックの名盤〟と言われてもいいアルバムだと僕は思っている。
色んな意味で革新的なアルバムであるが、それより何より曲が見事に全部良いというのがすごいとこで、カートベッチャー作のIslandやThere is nothing more to sayはもちろんだが、リー・マローリーのI'm with you,Sing to me,It's Youやサンディ・サリスバリィの5 A.Mなど他の作曲家兼歌い手も大活躍である。ミレニウムはこのアルバム1枚のみを残して解散してしまうわけなんだけど、この有能なミュージシャン達のそれぞれのその後はまだ未チェックで、ソロ活動してるみたいなんだけど、まだまだ僕には楽しみが残されてる。
アルバム最後Anthem(Begin)は鬼の逆再生の後にこの素晴らしいアルバムのために多額の資金を出してくれたコロンビアレコードに対しての感謝のつもりなのか「こーろんびーあ、こーろーんびあ…」と賛美歌風の合唱で締めくくられるのも遊び心満載で素敵。
〝始まり〟という意をもつアルバムタイトルに裏ジャケには〝To be continue〟の文字。しかしこれ以降ミレニアムは続くことはなかった。
何故売れない!!
何故売れないのかと思うアルバムは腐るほどあるがこの「Begin」ほど思うアルバムもない。
そんなわけでミレニウムは解散するわけだが、この後カートベッチャーはキースオルセンと行動を共にする。
キース・オルセン
キース・オルセンは全盛期フリートウッド・マックのヒットアルバム75年10th「ファンタスティック・マック」をプロデュースしたことで後に有名プロデューサーとなる。
フリートウッドマックはイギリスのブルースロックバンドであるが、74年頃にカリフォルニアに拠点を移し、それ以前とそれ以降で大きく音楽性が変わる珍しいバンドである。その変化の最大の要因は〝バッキンガム/ニックス〟というカップルがメンバーとして加入したことであるが、それを促したのがキース・オルセンであった。
その後、フォリナー、サンタナ、ホワイトスネイクなんかのビッグネームのアルバムをプロデュースする人気プロデューサーとなるわけなんだけど、68年にミレニウムにてカートベッチャーと共同プロデュースした後70年ごろまで2人はタッグを組んでいくつかのプロデュースを行った。
The Oracle“The Night We Fell In Love”
これが67年で、まだミレニウムの前なんだけどカートベッチャー、キースオルセンのプロデュースであるらしい。このオラクルというバンドはこのシングル1枚のみしかリリースしてないらしく、こんなのはYouTubeでしか聞いたことないんだけど、この1曲が素晴らしいソフトロック/サンシャインポップ。
山下達郎がこのシングルをラジオで紹介したらしくて、恐らくそのおかげで広まった1曲。シングル1枚のみのバンドなんて普通誰も知らないもんね。
Eternity's Children
eternity's childrenの68年1st「eternity's children」。これが極上のソフトロック。ロジャニコよりもミレニウムよりもこのバンドがソフトロックで1番好きだって人がネット見てたら結構いるんだよね。
カートベッチャーのコーラスマジックはもちろん炸裂。エタニティズチルドレンも割とロック寄りのバンドで、ビートルズ好きにも響くソフトサイケ、バロックポップって感じである。ボサノヴァ風のMy happiness day、サイケ調のMrs.bluebirdなど名曲多数!
Song
Songというバンドの唯一作、70年「Song album」もカートベッチャーとキースオルセンのプロデュース。
これがバンド名とアルバム名共に非常にネットで検索しづらく、中々情報が掴めなくてyoutubeでしか聞いたことなかったんだけど、なんと去年2018年にCD化!買わねば!
カートベッチャーのその後
僕が把握しているカートベッチャープロデュース作品はこんなもんです(たぶんまだある)。
70年頃にキースオルセンと離れた後、72年にソロアルバム「There's An Innocent Face」をリリース。
素晴らしいんだけど、僕の思うソフトロックとは少し違うんだよな。カートベッチャーの毒っ気もあまり感じないし、丸くなったというか、時代か…
70年代後半には一時期ビーチボーイズを離れていたブルースジョンストンと交流があり、ビーチボーイズ79年「L.A. (Light Album)」にてブルースジョンストンが復帰した際にHere Comes the Nightという曲にプロデューサーとして関わっている。
87年に死去。日本でのソフトロックブームはその直後であるのか…
まとめ
カートベッチャーはこんな感じ!
彼自身の曲と歌が聴けるのはミレニウム、サジタリアス、ゴールドブライアーズ、72年ソロアルバム、辺りだが68年ミレニウム「Begin」とサジタリアス「Present Tense」はロック好きなら必聴。
コーラスの魔術師っぷりが堪能できるプロデュース作品の中ではトミーロウ「It's Now Winter's Day」、eternity's childrenがオススメかな!
以上!
カートベッチャー周りの図
ソフトロック周辺図