ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

10-5 映画『Image』とケンプとの出会い(第64話)

67年のデヴィッドボウイ、前回はチベット仏教への傾倒、ヴェルベッツとの出会い、The Riot Squadへの参加について書きました。

今回は同67年、ショートフィルム『Image』への出演、そしてリンゼイ・ケンプとの出会いについて!

10-5 映画『Image』とケンプとの出会い(第64話)

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67年のボウイの様々な活動の一つがショートフィルム『Image』での映画デビューである。

戦場のメリークリスマスを筆頭に俳優としても大きく活躍することになる役者ボウイの原点となる作品『Image』。公開は69年で撮影が67年とのことで、若々しいボウイの姿を見ることができる貴重な映像だ。あれ?もしかしたら1番古い〝動くボウイ〟なのかな、これ(知らんけど)。

正直なところ僕は〝役者ボウイ〟にはほとんど興味がなくて、というか映画自体あまり見てこなかった人生であるので。戦場のメリークリスマスは見た覚えがあるがほとんど記憶はないし、『ラビリンス』は元祖ホストみたいな見た目にゾッとして見てない。

さらに僕はMVもあまり見る習性はなくて、結局ボウイの〝演劇性〟は音楽の中でしか感じたことはなくて、その音楽に興味があるわけで〝演技〟そのものには興味がないのかもしれない。

そんな僕だがこれを機にボウイ映像を見てみようかと『Image』を観てみたので少しばかり内容と感想を。

 

『Image』

 YouTubeにフルで上がってたの。ありがたい。

『Image』は69年公開当時〝X指定(日本のR18指定みたいなもん)〟を受けたらしく、暴力的な表現が使われた14分の白黒無声ショートフィルムである。映画初心者の僕にとって無声映画はかなりハードルが高かったのか何がなんだかサッパリで〝ボウイが出てる〟ってのと〝14分という短さ〟で何とか見れたって感じ。

監督はマイケル・アームストロング。全く知らないが関連映画を調べると70年『残酷!女刑罰史』で監督、87年『悪魔のサンタクロース2』で音楽を担当しておりヤバそうなタイトルからしてカルト映画の人のようで、まさしく『Image』もその類。

演者は画家役(The Artist)のマイケル・バーンと幽霊?役(The Boy)のデヴィッド・ボウイの2人芝居。マイケル・バーンは『インディ・ジョーンズ』、『007』、『ハリー・ポッター』にも出てるようで後にそこそこ有名な俳優になるよう。

 

内容を超簡単に…まず冒頭、タイトルとクレジットが流れるバックでしばらくBGMとしてパーカッションソロが流れるんだけど、これは結構雰囲気あって「何やら実験的な映画が始まりそうだ」という予感はする。無声映画で音楽はパーカッションのみってのは中々粋だなぁと。

夜、画家(マイケル・バーン)が少年の絵を描いてるところから場面は始まる。家(アトリエ?)には誰もいないようだが何やら視線を感じ、窓に目をやると自分が描いた少年そっくりな男(ボウイ)が立っていた。というホラーチックな展開。

そこから家の中にまで入ってくる幽霊のような男をまず撲殺、起き上がる男を次に絞殺、また起き上がる不死身の男をさらに刺殺、と画家がボウイを何度も殺しまくるというだけの10数分。

〝アーティストの精神分裂症の精神内の幻想〟を描いた映画であるようで、アーティスト自らが描いた少年の幻想に精神を狂わされるといった感じか。

これから様々なペルソナを被り作品を作り出していくボウイと〝アーティストの精神分裂症〟は無理矢理こじつけれないこともないのは面白いが、まぁ感想は「なんじゃこりゃ。」であった。14分と短いのでみなさんに是非1度観て欲しいが、観ても特に何もないのはないかな。まぁしかし若々しいボウイの姿を見れるって点はやはり貴重!

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リンゼイ・ケンプとの出会い

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『Image』の撮影が67年のいつ頃だったのかは詳しくわからないが、その後にリンゼイ・ケンプと知り合ったと言われている。ケンプによるとボウイの1stに収録された〝When I Live My Dream〟を聞いてボウイの才能に興味を持ったようなので恐らく1stリリースの6月以降であるだろう。

ボウイはケンプと出会う前からアンソニーニューリーらの影響から音楽にシアトリカル(演劇的)な要素を組み込む発想に至っていたが、前回書いたように長く売れない時期が続き67年頭には〝いっそチベット僧として生きていこう〟という気になっていた。しかしケンプとの出会いによってボウイの演劇の仮面は華々しく作り替えられ、ロックスターへと昇華することになる。その華々しく妖しい姿で放つロックはグラムロックと呼ばれることになるわけだ。

前にも書いたようにデヴィッド・ボウイ〉というキャラクターはケンプと出会う前に誕生していたというのが僕の論であるが、〈ジギー・スターダスト〉というキャラクターの誕生にはやはりケンプとの出会いは必要不可欠である。リンゼイ・ケンプという舞踊者はボウイの文脈でしかほとんど知らないが、彼の日本の能や歌舞伎をも取り入れた英国を代表するパントマイム、奇形なメイクやジェンダーレスな性質は間違いなく〈ジギー・スターダスト〉のベースになっているだろう。

ボウイは67年12月から始まったケンプの『Pierrot in Turquoise』という舞台に曲を提供し出演、その代わりにケンプのダンススクールでマイムやパフォーマンスを学んだ。ケンプのダンススクールは当時非常に人気が高かったようでケイト・ブッシュも時期は76年ごろになるがケンプの生徒だった話は有名。

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ケイト・ブッシュは英国で「ロック史上、誰よりも大きな影響を与えてきた女性アーティスト」と言われている。ボウイ同様、ケンプの影響は明らかでステージでのマイムや舞踊も大きな特徴。日本でも78年デビュー曲である嵐が丘恋のから騒ぎのオープニング曲として有名。全体図の方でもピンクフロイドデヴィッド・ギルモア発掘された繋がりで一応登場している。

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舞台『Pierrot in Turquoise』は69年にスコットランドTVに撮影され70年に放送されたようなので少なくとも69年まで続いたようである。この放送での劇中のボウイの演奏と〝Space Oddity〟を含む当時のデモやアウトテイクを集めたコンピレーションアルバム「Pierrot in Turquoise」が93年にリリースされている。〝When I Live My Dream〟の劇用アレンジや劇のために書き下ろした未発表曲なんかもあって面白い。

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ケンプはボウイの72年〝John, I'm Only Dancing〟のPVに出演、同年の〈ジギー・スターダスト・コンサート〉では振付師とダンサーとしてボウイと共に舞台に上がった。〝John, I'm Only Dancing〟のPVはボウイとスパイダーフロムマーズの演奏シーンとケンプの舞踊シーンが入り混じる構成であるが、これだけを観てもリンゼイ・ケンプが如何にキテレツで素晴らしいダンサーであるかがわかる。

ケンプは70年代以降映画にもいくつか出演しており、98年の『Velvet Goldmine』にもパントマイムの淑女役で出演。『Velvet Goldmine』はボウイの楽曲名から取られたタイトルであり、明らかに〝ジギー時代のボウイ風の男〟を主人公にしたグラムロック映画で〝レッツダンス以降のボウイ風の男〟や〝イギーポップ風の男〟も出てくるが、ボウイが楽曲提供を拒否した映画でもある。それは〝レッツダンス以降のボウイ風の男〟を金に目が眩んだ悪者的に描かれていたことが原因とされている。そんなふうにボウイが拒否した映画に盟友ケンプが出演してるのは少し違和感があるが、2人は〈ジギー〉以降絡みはなくて、98年の時点では疎遠になっていたことが関係しているのかもしれない。

ボウイとケンプは師弟を超えた関係であったことがケンプにより暴露されていて、リンゼイ・ケンプはゲイであることを公言しており、ボウイもまた72年にバイセクシャルであることを公言しているが、68年『Pierrot in Turquoise』の舞台のツアーをやっている間彼らは恋人同士であったことを後にケンプが語っている。さらにボウイはその舞台の衣装担当のナターシャ・コルニロフという女性とも関係を持っており、ケンプは嫉妬からか手首を切り自殺を図り、血が流れたまま舞台でピエロを演じることもあったそうな。重し。72年の〈ジギー・スターダスト・コンサート〉以降2人は疎遠になりこの後ケンプがボウイを見たのは10数年後の1度だけらしい。その時はボウイはスターで屈強なSPに囲まれており遠くから見ることしかできなかったと。それでも会えてよかったと。ケンプのボウイへの愛はなかなかのものである。

そんなことからケンプも昔のボウイに恋焦がれる感情があったのかもしれず、レッツダンス以降に否定的でグラムロック期に肯定的な『Velvet Goldmine』にケンプが出演してるのはとても理解できるし、とても切ないことだ。

ボウイは〈ジギー〉を脱ぎ去り、《グラムロック》を卒業したのと同時にケンプからも離れたわけだが、かつてボウイはしっかりとケンプを賛美するコメントを残している。

化粧から衣装に至るまで、彼の現実を崇高に表現する発想や、ステージの外と内の境界を壊そうとする試みは、僕の魂にしっかり刻まれている。

この魂は〈ジギー〉以降もボウイに根強く残り、生涯〈デヴィッド・ボウイ〉を演じ続けるに至ったわけだ。

ケンプはボウイが死んだ2年後の2018年に死去。

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以上!

ボウイがバイセクシャルであることは彼の特徴の一つでミック・ジャガーイギー・ポップとの関係も噂されたが実際のところは不明で〈キャラクター〉だった可能性も少なくない。まぁ死ぬまで演じ続けたわけだからもはや本当なんだけど、なんにせよ英文では【パートナー】という表現が非常に多くて、これが仕事上なのか私生活なのかわかんないのよね。しかしこのバイセクシャルイメージはやはり70年代前半の《グラムロック期》に強くて彼の被ったペルソナの一部であるように感じられるが、67年から68年の時期にすでにケンプとの交際があったとすれば本物である信憑性は高い。まぁ、正直そんなことはどっちでもいいんだけどね。

 

67年はこんなもんだろうか。1stアルバムをリリースしたデラム期ボウイ、チベット仏教への傾倒、ヴェルベッツとの出会い、The Riot Squadへの参加、『Image』への出演、リンゼイ・ケンプとの出会い。

ボウイにとって激動の1年であったが未だ成功せず。68年は潜伏期間となり、これらの影響を蓄えて69年についに〝Space Oddity〟というヒット曲をリリースするわけだ。次回はそこ!なのかな?

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(〜67図)

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