ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

5-13 Alan Hull〜アラン・ハル〜(第87話)

5章《ブリティッシュフォークロック》、前回はリンディスファーンについて書きました。

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非トラッド系フォークロックではあるがニューカッスル・アポン・タインにて結成されたリンディスファーンには北東イングランドの独特の空気感が含まれており、その根源を知るべく少し北東イングランドのトラッド界隈にも触れてみました。

リンディスファーンと北東イングランドトラッドとの繋がりは英1位を獲った71年2nd「Fog on the Tyne」に収録されシングルでも5位を記録し、彼らの代表曲となった〝Meet Me on the Corner〟を作曲したベースのロッド・クレメンツがリンディスファーン脱退後の73年に結成したJack the Lad方面の方が強く見ることができる。しかしリンディスファーンの楽曲のほとんどを書いたのはアラン・ハルであり、そのアラン・ハルはフォークリバイバルの影響下から出てきた人物というよりは正統なロックフォロワーとして出てきた男である、と前回書いてみた。

トラッドフォークというのはどちらかと言えば学術的な領域の音楽で、ロックはもちろんポピュラーミュージックの領域で、このバランスで成り立った音楽ジャンルが70年付近の《ブリティッシュフォークロック》であると僕は考えている。そういう意味ではリンディスファーンというバンドはかなりポピュラーミュージック寄りのフォークロックを鳴らしたバンドだろう。それはアラン・ハルがポップセンス溢れるソングライターであり過ぎたことが要因だろうか。

今回はそのアラン・ハルにもう少し焦点を当ててみようかと!

5-13〜Alan Hullアラン・ハル〜(第87話)

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さてリンディスファーンのリーダーとソロ活動で知られるアラン・ハル。リンディスファーンの話は前回書いたので省略しつつ、彼のリンディスファーン前とソロ活動、そのあたりのことを!

〜リンディスファーンまで〜

アラン・ハルは1945年にイングランド北東ニューカッスル・アポン・タインに生まれた。9歳でピアノを習い始め12歳でギターを持ち、すぐに曲を書き始めたという。

The Chosen Few(ザ・チューズン・フュー)というバンドで活動を始める(同名のレゲエバンドがいるが別物)。この時期がはっきりとはわからないが、このバンドで鍵盤を弾いたのがミック・ギャラガで、彼は65年に同じくニューカッスル出身のアニマルズで鍵盤を弾いており(ちなみに2003年から現行メンバーのよう)、彼はその後The Chosen Fewを結成したとのことなので65年か66年の頃だろうか。

このThe Chosen Fewからアラン・ハルが脱退し、代わりにグラハム・ベルがボーカルに入りSkip Bifferty(スキップ・ビファーティ)と名を変えて67年,68年にシングル数枚とアルバムを1枚リリースしている。Skip Biffertyはいわゆるレアサイケと言われる部類で、これがまた超良いのよ。

Skip Biffertyについてはまた後ほど。

 

The Chosen Fewの後アラン・ハルは窓拭きや看護士や配達員の仕事をしながらフォークシンガーとしてローカルクラブで活動していたようだが、68年にロッド・クレメンツが主導していたBrethrenと出会いそこに加わりLindisfarne(リンディスファーン)が出来上がる。

70年に1st「Nicely Out of Tune」をリリースしリンディスファーンは世に出るが、その前にアランハルは〝We Can Swing Together〟をソロ名義でシングルリリースしており(「Nicely Out of Tune」に再収録)すでにソングライターとしても活躍していたよう。前に書いたAffinity(3-9 Affinity〜キーフとヴァーティゴ〜(第78話) - ケンジロニウスの再生の70年唯一作の1曲目〝I Am and So Are You〟やボーナストラックに収録された〝United States of Mind〟なんかはこのソングライター時代に提供した曲だろう。〝I Am and So Are You〟は超絶コーラスプログレバンドCapability Brown(キャパビリティ・ブラウン)も73年2nd「Voices」でカバーしているがCapability Brownはリンディスファーンと同じく〈カリスマ・レコード〉のバンドであるので、よく言われる「アフィニティのカバー」というよりはレーベルメイトのアランハルの楽曲を使った、と言った方が正しそうだ。

アフィニティ

アフィニティ

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アランハルの提供楽曲はこの2組くらいしか思いつかないが、他にもあるんだろうか…

 

〜ソロ活動〜

リンディスファーンはアランハルのソングライターとしての才能が爆発し71年2nd「Fog on the Tyne」で英1位を獲得。バンドは名声を得るが72年3rd「Dingly Dell」の後にオリジナルメンバー5人の内、ロッド・クレメンツ、サイモン・カウ、レイ・レイドローの3人が脱退しJack the Ladを結成してしまう。残ったアラン・ハルとレイ・ジャクソンの2人はメンバーを補充しリンディスファーンを継続すると共に、アランハルはソロ活動を開始する。

 

73年に〈カリスマレコード〉から1stソロアルバム「Pipedream」をリリース。

パイプ・ドリーム

パイプ・ドリーム

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この印象的なジャケットはベルギー生まれの画家でシュールレアリズムの巨匠ルネ・マグリットの作品を使用したもの。巨大リンゴで有名なジェフ・ベック・グループの69年「Beck-Ola」のジャケもルネ・マグリットの作品でありルネ・マグリットはロックジャケとして割と使用されている画家である。

アランハル1stソロアルバム「Pipedream」で使われた鼻とパイプが繋がっているシュールな絵はルネ・マグリットが1936年に発表した「La Lampe Philosophique(哲学者の灯り)」という作品であるようであるが、このジャケットに惹かれてこのアルバムを手にした人は少なくないだろう(僕もそう)。ジャケットに惹かれてこのアルバムを手にした人が期待したのは恐らく《アートロック》だと思うが、このアルバムは王道の《ポップロック》である。

アランハルのポップセンスはリンディスファーンで充分発揮されていたが、あくまでアコースティックなスタイルで《フォークロック》であることにこだわったリンディスファーンとは違いエレキギターやよりロック調なビート感を打ち出し王道なロックサウンドに仕上げることでアラン・ハルという男のポップセンスはポール・マッカートニーエルトン・ジョンやジェフ・リンに引けを取らないことがここで明らかになっている(絶対言い過ぎ)。

1.〝Breakfast〟の冒頭がリンディスファーンさながらの12弦から始まったので「これこれ!」なんて思ってたらいきなりエレキギターのリフが入ってきたので戸惑ったものだ。続く2.〝Justanothersadsong〟はR&Rブギだし割とハードなアルバムなのかと思ったが全体的にはアコースティックなフォークロックもあればピアノ主体のバラードやクラシカルなワルツ曲もあり形にこだわらずとにかくメロディセンスをぶつけたといった印象。

楽曲はビートリーな雰囲気(特にポール・マッカートニー)やディラン的雰囲気が散りばめられており、歌声はジョン・レノン やレイ・デイヴィスのような引っ掛かりのある声。高音を苦しそうに歌い上げるのが心にくる、好きな声だ。

名曲と呼べるのはラスト12.〝I Hate To See You Cry〟くらいかもしれないが、クラシカルなワルツナンバーの3.〝Money Game〟やアフィニティに提供したもののセルフカバーである5.〝United States of Mind〟、サイケポップな11.〝Blue Murder〟など本当に素晴らしい曲が並ぶ。

リンディスファーンでアランハルとハーモニーを響かせる相棒レイ・ジャクソン(ハーモニカ、マンドリン、コーラス)、同年にリンディスファーンを去ってJack the Ladを結成したレイ・レイドロー(ドラム)、去ったメンバーの代わりにリンディスファーンに加入したばかりのケン・クラドック(鍵盤)がリンディスファーン関連から参加。そしてThe Chosen Few→Skip Biffertyとキャリアを積んだジョン・ターンブル(ギター)コリン・ギブソン(ベース)というアランハルのリンディスファーン以前からの仲間が参加しており、恐らくロックテイストなアプローチはこの2人の存在が大きいだろう。

ちなみにアランハルとサポートメンバーのクレジットには担当楽器と共にそれぞれの好む飲食物が記されている。

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ギネスやらオレンジジュースやらテキーラやら(これをサムいと思ってしまう僕は性格が悪いんだろうな……)。エンジニアがケン・スコットであるのも注目。

チャートは英29位とまずまずの結果。UKロックファンなら必ず手にしたい一枚だ。

 

75年2nd「Squire」も素晴らしいアルバム。

Squire (Expanded Edition)

1stも2ndもビートルズボブ・ディランの影響を強く感じるが、1stがポールだとしたら2ndはジョンという印象。ショート・ディレイをかけた歌や軽いブルース要素はジョンのソロを彷彿とさせる。1曲目タイトル曲の〝Squire〟を筆頭にこれまた良曲が並ぶがとにかく5.〝One More Bottle of Wine〟がとにかく名曲。妙なコードチェンジのタイミングが心を揺さぶる。

参加メンバーはレイ・ジャクソン、レイ・レイドロー、ケン・クラドック、コリン・ギブソンが前作から引き続き参加。さらに元Juicy Lucyで後にWhitesnakeでギターを弾くミッキー・ムーディがギタリストとして、イエスのジョンアンダーソンやキング・クリムゾンのイアン・ウォーレスらが在籍したことで知られるthe Warriorsやフィル・コリンズのFlaming Youthにナイスのリージャクソン率いるJackson Heightsとプログレ方面でキャリアを積んだブライアン・シャトンがピアニストとして参加。

この2nd「Squire」が75年、なので例の如く僕はここまでしかしっかり聴けてないがもう少し続きを。

その後

リンディスファーン

リンディスファーンは73年にオリジナルメンバーが3人脱退(jack the lad結成)した後メンバーを補充し新生リンディスファーンで73年74年に2枚のアルバムを残して75年に解散したが、76年にオリジナルメンバーで再結成。以降メンバー入れ替わりつつコンスタントに活動を続け、94年にはアラン・ハルの息子デイヴ・フルも加入するが翌95年にアラン・ハルは冠動脈血栓症で急死。その後はロッド・クレメンツがバンドを率いて現在まで活動中。歴史の長いバンドであるので全アルバム聴くのは大変そうだ。

 

ソロ

75年2nd「Squire」の後アラン・ハルはRadiatorというバンドを結成し77年にエルトン・ジョンの〈ロケット・レコード〉からアルバム「Isn't It Strange」をリリース。Radiatorのメンバーはアランハルソロ1st,2ndをサポートしたコリン・ギブソン、レイ・レイドロー、ケン・クラドックらであるのでほとんどソロの延長と考えてよいだろう。その後再びソロ名義に戻り95年に亡くなるまで数枚のアルバムを残した。この辺も聴けてないがリンディスファーンとソロと長年両立していける作曲者としての多作っぷりには感服。

 

以上!!

アランハルがリンディスファーン前に組んでたThe Chosen Fewのメンバー関連からの繋がりがなかなか面白くて濃いのでまた次回書こうかと!図もその時にまとめます!

 

とにかくポールマッカートニーやジェフリンに引けを取らない隠れたメロディメーカーアラン・ハルはUKロックファン必聴!「Pipe Dream」、「Squire」は聴いて損はない!「Squire」はApple Musicにもあるので是非、〝One More Bottle of Wine〟はまじ名曲。

では!

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