4-12 Skip Bifferty〜スキップ・ビファティ〜(第88話)
前回はアラン・ハルについて書きました。
⬇︎ ⬇︎
ブリティッシュフォークロックバンドLindisfarne(リンディスファーン)のリーダーであり名ソングライターであるアラン・ハルはリンディスファーン結成前の60年代半ばにThe Chosen Fewというバンドを組んでおり、そのバンドがアラン・ハル脱退後の60年代末にSkip Biffertyというサイケデリックロックバンドへと変貌し数枚のシングルと1枚のアルバムを残した、という話を前回軽く書いたが今回はそのSkip Biffertyを!
前回前々回とリンディスファーン、Jack the Lad、アラン・ハルとイングランド北東ニューカッスルのブリティッシュフォークロック界隈について触れてきたが、ニューカッスルにはアニマルズというビッグなロックバンドが存在しそしてサイケブーム下、サージェント症候群下に生まれたSkip Biffertyというサイケバンドも存在している。『アランハル関連』として5章ブリティッシュフォークの続きでSkip Biffertyをさらりと書こうとも思ったが、この度CDを入手したこともあり4章ブリティッシュサイケの枠で書こうかと!
4-12 Skip Bifferty〜スキップ・ビファティ〜(第88話)
Skip Biffertyは数々あるマニアックUKサイケの1枚としてちょろちょろYouTubeで嗜んでいたが、この度Amazonで検索をかけたら1枚見つかったので購入。手にしたのは〈Essex Records〉による再発CDであるが年式は不明。〈Essex Records〉というレーベルは見覚えがなかったが調べてみるとマジックカーペットやJulyやPleaseなんかの再発もしているようなのでマイナーUKサイケ専門の再発レーベルって感じだろうか。しかしPleaseとNeon Pearlはずっと探してるんだけどなかなか見つからない、いや見つかるけど高い、が正しいか…
こういう見知らぬレーベルからの再発CDのブックレット(歌詞カード)というのはほんとにペラ紙1枚でジャケットの裏は白紙、なんてのもザラにあるので期待していなかったがこの〈Essex Records〉は非常に優良レーベルのようで有難いことに数ページにわたりバンドの成り立ちやメンバーのその後の情報などをブックレットに書き記してくれている(歌詞はないが)。WikipediaにもSkip Biffertyの項目はあるがその前身バンドであるThe Chosen Fewの項目はなく、Alan Hullを調べてもMick Gallagherを調べてもThe Chosen FewからSkip Biffertyに至る細かい情報を得ることができなかったのでその辺のことをこの再発CDのブックレットに記してくれていることは本当に有難い。
なわけでさっそく仕入れたての情報を元に前身バンドThe Chosen Fewの話から少し。
The Chosen FewからSkip Biffertyへ至るまで
アランハルとアニマルズに短期加入したミックギャラガーを中心にThe Chosen Fewは65年から66年ごろに活動し、アランハルが脱退した代わりにグラハム・ベルが加入したことでSkip Biffertyへ、メンバーのコリン・ギブソンとジョン・ターンブルは70年代のアランハルのソロにも参加した。
ってくらいが前回書いたとこであるがこの度手にしたライナーノーツによると、始まりは62年にアランハルとミック・ギャラガーが結成したThe High Fiveというバンドでありそこからアランハルとミックギャラガーはいくつかのバンドを共に歩んだそう。65年頭、〝朝日のあたる家〟を大ヒットさせイギリスを代表するバンドとなっていた同郷ニューカッスルのアニマルズのキーボーディストアラン・プライスが脱退し、その代わりにミックギャラガーが当時18歳で加入。アニマルズとのツアーを終えてニューカッスルに帰ったところで相棒アランハルとThe Chosen Fewを結成。他の結成メンバーはロッド・フッド(ボーカル)、アラン・ブラウン(ベース)、トミー・ジャックマン(ドラム)。〈パイ・レコード〉との契約に成功し、66年に2枚のシングルを残した。Chosen FewのシングルはYouTubeで聴いた程度でブリティッシュビートとフォークロックの狭間のような印象でパッとしないがアランハルの最初期の楽曲を聴ける点では貴重だ。
アランハルとベースのアラン・ブラウンが脱退し、その代わりにコリン・ギブソン(ベース)とジョン・ターンブル(ギター)が加入。2人は幼いころからの友人でありThe Primitive Sectというバンドをやっていたそう。コリンギブソンとジョンターンブルは後にアランハルのソロにも参加することから前回「Chosen Few時代の仲間」という紹介の仕方をしたが、アランハルと入れ替わりでChosen Fewに入ってたのね。
その数ヶ月後グラハム・ベルがボーカルとして加入しバンド名をSkip Biffertyに改める。グラハムベルはThe Graham Bell Trendというグループを解散させ地元ニューカッスルに帰ってきたところでミックギャラガーに誘われてChosen Fewに加入。ミックギャラガーとグラハムベルはミックギャラガーがアニマルズにいる65年ごろに知り合っており、バンドに誘われた時点でグラハムベルはすでにソロ名義でシングルをリリースしソロ活動を始めていたにもかかわらず誘いを受けた。
これがChosen FewからSkip Biffertyに至る流れのよう。Skip Bifferty改名時のメンバーはグラハム・ベル(ボーカル)、ミック・ギャラガー(鍵盤)、コリン・ギブソン(ベース)、ジョン・ターンブル(ギター)、トミー・ジャックマン(ドラム)であり、この5人で67,68年に3枚のシングルと1枚のアルバムを残すことになる。
ではその辺も踏まえて図を作成しておきます。まず前回サボってたブリティッシュフォーク図のリンディスファーン、アランハル周り
こんな感じでしょうか。ブリティッシュフォーク全体図は
今んとここんな感じ。だいぶ広がってきた!
でUKサイケ図の方にもSkip Biffertyを加えていきます
でUKサイケ全体が
こんなの。(北東イングランド界隈ってことでどっちの図も右上に配置してみた…)
さて前置きが長くなりましたがSkip Biffertyの素晴らしき唯一作を!!
「Skip Bifferty/Skip Bifferty(1968)」
RCAから68年にリリースされた唯一作「Skip Bifferty」。これぞUKサイケというような素晴らしきサイケポップだ。ピンクフロイドやトゥモロウやムーブに匹敵するサイケポップ、ゾンビーズやニルバーナUKばりの美しきソフトサイケ、は言い過ぎか…しかしB級感はあるものの作曲面も演奏面もハーモニーも素晴らしい。
アルバム収録曲は14曲であるが僕が手にした再発CDには有難いことにSkip Biffertyがリリースしたアルバム未収録の3枚のシングルがボーナストラックに収録されておりこれ1枚でSkip Biffertyのほぼ全てが聴けることになる。アルバムに先立ってリリースされたその3枚のシングル曲から先に触れておこう。
67年デビューシングル〝On Love/Cover Girl〟
印象的なギターリフが刺さるハードなバンドサウンドと美しいコーラスパートが絶妙なデビュー曲〝On Love〟はライナーノーツに【parfect song】と書かれている通りの名曲。B面の〝Cover Girl〟もめまぐるしい展開が素晴らしいサイケ/プログレな怪曲でデビューシングルからセンスの高さを見せつけている。この2曲は〈Essex〉からの再発CDの16,17曲目にボーナストラックとして収録。
67年2ndシングル〝Happy Land〟
少しハード気味だったデビューシングルに続くこの〝Happy Land〟はソフトで軽やかなサイケポップ。Skip Biffertyは少しハードで展開が面白い挑戦的なサイケロックや小気味の良い王道サイケポップに妖しくも美しいソフトサイケとサイケのおいしい所が詰め込まれているバンドだ。この曲がCDのラスト18曲目にボーナストラックとして収録。B面の〝Reason To Live〟はボーナストラックに収録されておらずおそらくこの曲だけが再発CDで聴けないSkip Biffertyの楽曲。
68年3rdシングル〝Man In Black〟
Skip Biffertyは悪名高いマネージャーとして有名なドン・アーデンに見出されてRCAとの契約に成功した。ドン・アーデンはスモール・フェイセスやムーブ、ブラック・サバスをマネージメントしたことで有名であるが(オジーと結婚するシャロン・オズボーンの親父でもある)その繋がりからかこの3rdシングル〝Man In Black〟はスモール・フェイセスのスティーブ・マリオットとロニー・レーンによってプロデュースされた。マリオット/レーンのプロデュースと言えば同68年のビリー・ニコルスの名サイケポップ〝Would You Believe?〟が思いつくがこの〝Man In Black〟はそこまでの出来ではないか…再発CDの15曲目にボーナストラックとして収録。B面の〝Money Man〟はアルバム1曲目に収録された。
(図:Skip Biffertyとマリオット/レーン)
アルバム本編
とにかくこれぞUKサイケって感じのポップなメロディとカラフルなサウンドで曲数も14曲と非常に満足度の高いアルバム。パーカッションと歌のみで構成されタイトルからもラーガ風な4.〝Guru〟やラスト14.〝Clearway 51〟のような実験的なものもあったり、9.〝Orange Lace〟のような超ソフトなものもあったり振り幅もある。
可愛らしく美しい7.〝Gas Board Under Dog〟でのコリン・ギブソンのベースは秀逸。素晴らしきサイケポップ6.〝Time Track〟でのドライブ感のあるジョンターンブルのギターリフも素敵。ミック・ギャラガーの鍵盤は全体的に大活躍だが特にB面11.〝Your For At Least 24〟や12.〝Follow The Pass Of The Stars〟なんかのピアノは印象的。個人的に1番好きなのが10.〝Planting Bad Seeds〟、これもピアノがフィーチャーされた曲であるが素晴らしきサイケポップ。メロディやフレージングの気持ちよさに初めて「夜明けの口笛吹き」を聴いた時を思い出す。UKサイケの良さが存分に詰まっている。
その後
(Skip Bifferty関連のリリース表)
アルバムリリース後Skip Biffertyは解散となるがその後の関連音源に少し触れてみようかと。
68年 Heavy Jelly〝I Keep Singing That Same Old Song〟
解散しドン・アーデンと離れた後Skip BiffertyはHeavy Jellyという名で〈Island〉から1枚のシングルをリリースしている。その経緯についてもライナーノーツに書かれているが、ちょっと和訳がしんどいので………とにかくこのHeavy Jellyという名でリリースされた〝I Keep Singing That Same Old Song〟という曲をYouTubeで聴いてみたが、これが7分を超える大曲で素晴らしいサイケアンセム。シングルレコードを手に入れたいとこだがこりゃまたすごい値がついてんだろうな…
(図:変名バンドHeavy Jelly)
69年 Griffin〝I Am The Noise In Your Head〟
その後グラハム・ベルとコリン・ギブソンはGriffinという新たなバンドを結成。他のメンバーはアラン・プライスがプロデュース/マネジメントしていたHappy Magazineのピート・カートリー(ギター)、ケニー・クラドック(鍵盤)、アラン・ホワイト(ドラム)である。
アラン・プライスはアニマルズのキーボードで、彼の代わりに65年の短期間ミック・ギャラガーがアニマルズに参加したのは上で書いたが、ま、ニューカッスルのお話だから絡み合ってくるのか。そのアランプライス関連のHappy Magazine(知らない)からのメンバーだがまずケニー・クラドック。73年にリンディスファーンに加入しアラン・ハルのソロでも活躍した男であるがここで早くもSkip Biffertyメンバーと絡んでいたのね。そしてアラン・ホワイト。プラスティック・オノ・バンド、そしてビルブラの代わりにYesでドラムを叩くことになるあのアラン・ホワイトがGriffinのドラムなのである。
1枚のシングルのみで解散したが、当時無名のアラン・ホワイトがプラスティック・オノ・バンドに抜擢されたのはこのGriffinのライブをジョンが見たからって話だ。ほぇー。
(図:Griffin→アランホワイト→プラスティックオノバンド→クラプトンへと繋がりました)
70年 Ginger Baker's Air Force
ブラインドフェイス解散後の69年にジンジャーベイカーが結成したGinger Baker's Air Forceはブラインドフェイスで一緒だったスティーブ・ウィンウッド(元トラフィック)とリック・グレッジ(元ファミリー )を始め、クリス・ウッド(元トラフィック)、デニー・レイン(元ムーディーブルース)などなど10数人の名だたるメンバーが集結したビッグバンドである。70年に2枚のアルバムを残したが、その2ndにコリン・ギブソンとケニー・クラドックが参加。アルバムには未参加であるがアラン・ホワイトもバンドに短期間参加してたよう。
(図:今度はジンジャーベイカー及びブラインドフェイス界隈と繋がる)
71年 Brian Davison's Every Which Way
元ナイスのドラマーブライアン・デヴィソンのBrian Davison's Every Which Wayにグラハム・ベルが参加。ボーカル兼コンポーザーとして大活躍のようだがこれは未聴。〈カリスマレコード〉から71年に1枚のアルバムをリリース。聞かねば!
Skip Biffertyメンバーは基本的に成功には恵まれなかったが、ブラインドフェイスやナイスなどの名だたるメンバーと共にプレイしてるのよね。
(図:ブライアンデヴィソン→ナイス→エマーソンへと)
71年 Arc,Bell+Arc
70年にミック・ギャラガーとジョン・ターンブルがArcを結成。71年にアルバム「…at this」をリリース。これもしっかり聴けてないがハードプログレな内容のよう。ここにグラハム・ベルが合流しBell+Arcとしてさらにもう一枚71年にアルバムをリリース。これにはベルがGriffinで一緒だったケニー・クラドックとアラン・ホワイトも参加、ここにコリン・ギブソンも加わればほぼSkip Biffertyだったんだけどな…サイケから発展する形でのプログレは期待できるのでこの2枚は是非とも手にしたいところ。Skip Biffertyの時点でプログレと呼べる曲もいくつかあったし。
(図:ArcはほぼSkip Bifferty)
72年,73年 Glencoe
これも知らなかった。72年結成のプログレバンドGlencoe(グレンコー)。このバンドでギターを弾いたのがジョンターンブル。ライナーノーツの表では74年,75年となっているが、正確には72年,73年に1枚ずつアルバムをリリースしたよう。2ndはApple Musicにもあったのでまた聴いてみます!
(図:グレンコー)
72年「Graham Bell」
Skip Bifferty,Griffin,Brian Davison's Every Which Way,Bell+Arcとフロントマンとしてのキャリアを積んできたグラハム・ベルが72年にソロアルバムをリリース。これも未聴だがグラハム・ベルは味のある良いシンガーなので是非手にしたいところ。イアン・ウォーレスにメル・コリンズと何やらキング・クリムゾン関係の人間が参加してるのも気になる。
そして
73年 リンディスファーン及びアラン・ハルのソロ
73年にオリジナルメンバーが3人脱退してしまったリンディスファーンの新たなメンバーとしてケニー・クラドックが加入。同年から並行して始まったアラン・ハルのソロにはケニー・クラドック、コリン・ギブソン、ジョン・ターンブルが参加。こうしてSkip Biffertyを中心にしたニューカッスル界隈の歴史を見てみると、ここでアラン・ハルのソロに旧友ミック・ギャラガーが参加してないのは意外にも思う。
(図:こうなるとアランハルソロがロック色強いのも頷ける)
多すぎる!!!
ちょっとSkip Biffertyのその後に触れてみようと思ったが多すぎる!Skip Biffertyを含むほとんどがマイナーバンドではあるが数々の関連音源を残しているようだ。続きをさらっと書くと、ミック・ギャラガーは元ハンブル・パイのピーター・フランプトンの73年2ndソロアルバム「Frampton's Camel」に参加し、76年にGlencoeを終えたジョン・ターンブルと合流しLoving Awarenessというバンドを結成、アルバムを1枚残す。そのLoving Awarenessが77年にそのままイアン・デューリーのバックバンドとなりIan Dury&The Blockheadsとしてパンク/ポストパンクを賑わした。僕は全く知らないがブロックヘッズはパンク界隈でよく知られたバンドなのね。ミック・ギャラガーはその勢いでパンク界隈のサポートもいくつかしてるようで78年The Only Onesの1stやクラッシュの79年3rd「London Calling」,80年4th「Sandinista!」なんかでも鍵盤を弾いている。
(図:Skip Biffertyのシングルをプロデュースしたスモールフェイセスのスティーブマリオットが後にしたバンドハンブルパイのギタリストピーターフランプトンのソロでミックギャラガーが鍵盤。巡り巡るのだ。)
以上!!
Skip Bifferty関連、どぼどぼでてきた。ニューカッスルのロックの連なりを少し書いてみました。僕もほとんど未聴ですが、まぁ自分のためのメモも兼ねて書いた次第です。
シングルはまぁ置いといてBrian Davison's Every Which Way、Arc、Bell+Arc、グラハムベルのソロ、Glancoe、Loving Awarenessのアルバムは集めていこうかなぁと思います。そう思うくらいSkip Biffertyは良いバンドだ、ということです。おすすめ!!
リンディスファーン、アランハル、Skip Biffertyと続いたニューカッスルのロック界隈、ひとまず以上です!
では!
(図:Skip Bifferty周辺図)
(図:UKサイケ全体)