前回に引き続き《英米外のロック》。
何度も言うようにロックの原産国はイギリスとアメリカ。なので好きなロックアルバムを挙げろと言われるとどうしたって英米のものに偏ってしまう。英米以外で好きなのは?と問われるとひとまず挙がるのはニール・ヤングやジョニ・ミッチェルやザ・バンドといったカナダ勢だろうか。ちょっとカナダのこの辺のメジャーどころは正直ズルい。では英米カナダ以外で、となるとどうだろうと考えてみた。前回書いたベルギーのウォレス・コレクションやMad Curry、ドイツのアモン・デュールやタンジェリン・ドリーム、フランスのゴングやマグマ、数少ないながらもいくつか挙がるが、英米カナダ以外で1番好きなアルバムは?という自問自答の末僕が出した答えはペルーのロックバンドWe All Togetherの72年1stだった。
僕は頭が固いので《英米外》というだけで〝特殊〟だと思ってしまい、「ロックの別の形」みたいな番外編的な感覚で聴いてしまいがちなところがある。その特殊さがあるから日本を含む英米外のロックは独特で面白いわけで、ペルーで言うとアンデスな雰囲気と南米特有のラテンのノリをロックにミックスした面白いバンドがいたりするわけなんだけどWe All Togetherはペルーらしさ南米らしさ皆無の完全ビートルズ影響下のブリティッシュロックをやっている。これが英米の70'sビートルズフォロワーに引けを取らない出来であり、いや、個人的には1番なんじゃないかと思うくらいの素晴らしさなのだ。アレンジや演奏、録音環境あたりは少し不安を感じるがとにかく楽曲と歌は《南米ロック》に収まらないレベルの水準。
今回はそんなWe All Togetherを中心にペルーのロックバンドを!
11-3 ペルーのロック(第92話)
ビートルズフォロワー
ビートルズフォロワーでパッと思いつく代表的なのは70年代だとバッド・フィンガー、ELO、チープトリック、あとバークレイ・ジェームズ・ハーヴェスト、クラトゥあたりだろうか。あと思いつくのは90年代だけどジェリーフィッシュとかだろうか。
こうやって挙げてみると全てではないがほとんどが《パワーポップ》と呼べるバンドになっている。パワーポップが何たるかを書くのはこれまた難しいが、ポップなメロディにハードロック的ダイナミクスを取り入れたもの、って感じだろうか。情緒よりもダイナミクスを優先し、爽快で壮大なサウンドにポップなメロディを乗せる。個人的には60's後半の内向的で繊細なサウンドと比べると幼稚で単純だと感じてしまう。そんなパワーポップというジャンルは70年代に突入し、ポール・マッカートニーやバッド・フィンガーが発明したものだと僕は思っていて、そう考えると上に挙げたビートルズフォロワーバンドというのはほとんどポール・マッカートニーフォロワーとも言えるのかもしれない。
ペルーのWe All Togetherというバンドは72年1stアルバムでポール&ウイングスの71年1st「Wild Life」から2曲、バッド・フィンガーの70年1st「Magic Christian Music」から2曲カバーしてることから、まさしくパワーポップ系バンドと言えそうなものだがそうはならず。演奏の問題かリズムの微妙なズレの問題か〝パワー〟な印象はなく、絶妙なゆるさを演出している。オリジナル曲ではポールやバッドフィンガーの他にもジョンのソロ、ジョージのソロ風の曲が登場するがそのどれもが〝70年代のビートルズメンバーが本来あるべき姿〟のように思うのだ。ポール、ジョン、ジョージのソロ活動にそこまでケチをつけるつもりはないが、なんだかそう思わせられるような魅力がWe All Togetherにあるのだ(ちょい褒めすぎか)。
さて72年に1stをリリースしたWe All Togetherであるが、このバンドは60年代末のLaghonia(ラゴーニア)というサイケバンドから発展して生まれたバンドである。そのあたりから遡ってペルーのロックを見ていきたいと思う。
ペルーのロック
ペルーのロックを見ていくと言っても僕が知るペルーのバンドは4つ、Traffic Sound、Laghonia、Telegraph Avenue、そしてWe All Togetherである。どれもが70年前後に活動したバンドであるが、60年代後半に活動していたTraffic SoundとLaghoniaが《ペルー2大サイケバンド》と紹介されることが多い。Telegraph Avenueは日系ペルー人のボー・イチカワ(市川)を中心に70年代前半に活動したヒップでサイケでラテンなソフトロックバンドで、We All TogetherはLaghoniaから発展したビートルズフォロワーバンドである。ペルーにはこの4バンド以前にも60年代頭からガレージバンドが存在するようだが、だいたいペルーのロックを調べるとこの4つがヒットするはず。どれも当時は国内での小さな活躍であったようだが90年代に再発掘され、世界のロックファンが知ることとなったわけだ。
このペルーのロック勢を知るきっかけとなったのはYouTube漁りをしていたころにWe All Togetherを聴いてからだが、最初は「ペルー〝なのに〟良いロックバンドがいる」と物珍しさで聴いていたんだけど今となればどれもお気に入りのバンドとなっている。レコードはもちろんのこと再発CDもなかなかお目にかかることはなくWe All Togetherの1st以外持ってないんだけどYouTubeで長年愛聴しているアルバム達だ。この度調べてみるとLaghonia以外はApple Musicにもあったので是非。
このペルーロック勢と出会って7,8年は経つと思うが、それでも未だにペルーと言われて思い浮かぶのはマチュピチュ、ナスカの地上絵、インカ帝国、アンデス山脈、くらいでペルーについて全く無知である。のでこの機会にほんの10分ほどペルーという国について調べてみた。
ペルーの公用語はスペイン語、というか南米ってブラジル(ポルトガル語)以外全部スペイン語なのね。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見してからヨーロッパ人が次々入植していったわけだが、最終的には北米をイギリス、カナダをフランス、南米をスペインとポルトガルが制したのね。ふむ。いち早くアメリカ大陸に入植したのはスペインとポルトガルのようで、だからアメリカにはロサンゼルスやラスベガスのようなスペイン語由来の地名が多いとか。無知すぎる、勉強しないとな。
何にせよペルーの音楽というのはアンデス民謡とそこに入植してきたスペイン人の音楽が混ざり合ったもののよう。さらに何やらスペイン・ポルトガルが南アメリカ大陸に侵攻する際に中継地としたのが先に植民地としていたアフリカ諸国であり、そこからアフリカ人を奴隷として一緒に連れていったことからラテン音楽にはアフリカ音楽もミックスされているよう。ラテン音楽は、ペルーの音楽もブラジルのサンバもアルゼンチンのタンゴも〈先住民+スペインorポルトガル+アフリカ〉で出来上がってるみたい。詳しくは色々あるんだろうが、簡単に言えば。
そんな構造で出来た南米の大衆音楽はフォルクローレ(フォークのスペイン語版のようなものか)と言うようで、ペルーのフォルクローレには日本でも有名な〝コンドルは飛んでいく〟などがある。
さて60年代頭にビートルズ等ブリティッシュバンドが誕生し、64年にブリティッシュインヴェイジョンでアメリカ全土に広がり、フォークリヴァイバルやカウンターカルチャーを巻き込んで65年にフォークロック、66年にはサイケデリックロックが誕生、67年夏には〈サマーオブラブ〉が起こり世界中にヒッピーが溢れかえった。その熱が南米ペルーにも伝わり60年代末に2大サイケバンドTraffic SoundとLaghoniaが誕生するに至るわけだ。ペルーと同様に〈サマーオブラブ〉やヒッピームーヴメントの影響で各地で生まれたサイケを《辺境サイケ》と括って再評価する流れも90年代ごろから生まれているが、これが実に面白い。なんたって本家英米がサイケロックとして〝辺境音楽〟である東洋音楽を取り込んだりしたのだから、各地の辺境音楽がロックと融合して辺境サイケとなることはごくごく自然で、サイケデリックロックの1つの形としてすんなり受け入れることができる。
次回へ続く!
ってなわけでペルー2大サイケバンドTraffic SoundとLaghoniaから書いていこうかと思うが、次回に。
ここ最近みるみるブログ更新ペースが落ちてきてまして、決して飽きてきたわけではないんだけどずっと文字数多すぎなのが原因なのは明白で、ちょいと刻んでいきます!妥協です!
では!