ペルーのロック。続きです。
前回↓↓
11-4 Traffic SoundとLaghonia〜ペルー2大サイケ〜(第93話)
60年代末、アメリカで盛り上がったカウンターカルチャー及びヒッピームーヴメントは世界中に影響を与え各地にサイケデリックバンドを誕生させた。各地方の音楽とサイケデリックロックが溶け合った独特なサウンドは《辺境サイケ》として90年代以降に再評価され、ペルーではTraffic SoundとLaghoniaという2つのバンドが《ペルー2大サイケバンド》としてロックファンに密かに愛されている。
60年代末ペルーで活躍したその2バンドに軽く触れてから70年代頭に出てくるTelegraph Avenue、We All Togetherへと続いていこうかと思うが、その前に当時のペルーの情勢について少し。
ペルー革命
また苦手な世界史の話になるが、ペルーは1968年にベラスコ将軍による軍事クーデターによりペルー革命が起こり反米をテーマに掲げた軍事政権時代に突入する(1980年まで)。中国やソ連のようにロックやポップスの輸入禁止、とまではいかなかったようだがそのような状況下で英米ロックの影響を受けて英詞で歌うロックバンドがペルーに誕生したわけだ。異端児である。ペルーの情勢については全く詳しくないので適当なことは言えないが、そんな情勢の60年代末のペルーにロックバンドが誕生したという事実はまさにカウンターカルチャーそのもので、当時世界中のロックバンドが持っていた反骨エネルギーの化身とも言える存在のように思う(当時のペルーが掲げた反米スタンスは政治パフォーマンス的なところが大きいという話もあるが)。
まぁとにかくそんな時代背景と熱いプロフィールを踏まえてペルーのロックバンドを!
Traffic Sound
67年に首都リマにて結成。ペルーの〈MaG〉というレーベルから68年にデビューする。今回紹介する4バンド全てがMaGというレーベルからレコードをリリースいることから恐らくMaGはペルーロックをほぼ独占するレーベルだろうか。
(Traffic SoundとペルーのMaGレコード)
デビュー作68年「A Bailar Go Go」は英米サイケのカバーで占められたアルバムで、クリームの〝I'm So Glad〟、ジミヘンの〝Fire〟、エリック・バートン&アニマルズの〝Sky Pilot〟、アイアン・バタフライの〝Destruction〟など割とハード寄りサイケ志向がうかがえるが、全曲オリジナルとなった70年2nd「Virgin」では割とアコースティックでソフトなサイケワールドを展開する。
これが名盤。バンド名の因果関係はあるのかないのかサックスを加えたサイケサウンドは英Trafficを思わせるところも。ラテンロックといえばメキシコ人であるカルロス・サンタナを中心に69年にデビューしたサンタナが有名であるが、サンタナほど精巧ではないにしろ同じ方向性のパーカッションが全体的に鳴っており南米独特の空気感を纏っている。カリフォルニアに移って活動したサンタナと違いペルー国内に向けてのみ歌われたロックであることは重要なポイントであるように思う。
タイトル曲1.〝Virgin〟は〝Ticket to Ride〟を思わせる12弦ギターに一気に心を掴まれるフォークロック、2.〝Tell The World I'm Alive〟は〝Crimson and Clover〟を思わせるトレモロの効いたドリーミーサイケ、B面4曲目に収録された〝Meshkalina〟はペルー国内でヒットし、ペルーサイケの代表曲となった(ハードでタイトな曲だけど単音のピアノが可愛いのよね)。プログレッシブロックと呼べそうな面も持ち合わせており(スペイン語ではプログレッシーヴォというらしい)、それが同世代の英プログレバンドの影響と言うよりサイケの延長として自然とたどり着いたプログレって感じで何というか正しさを感じる。
続く71年3rd「Traffic Sound」も素晴らしい。
2ndよりもハードなギターやオルガンが目立ち、さらにピアノやフルートなんかも駆使してよりプログレッシブなサウンドに。B面1曲目〝America〟がとにかく超絶ドリーミーでお気に入り。背景に鳴るピアノとリバーヴィな歌が美しい。
71年に4th「Lux」をリリース。
これがめちゃくちゃアンデスでインカな作風。レーベルも代わりメンバーも代わり、ペルー回帰へ向かった感じだろうか。2nd,3rdに比べると個人的に思い入れはないがアンデスロックと呼べる面白さをもったアルバム。レッチリのような曲があったりで、なるほどミクスチャーってのは元々そういうことだよな、と考えさせられる。
Traffic Soundは72年に解散。ペルーのバンドで初めて南米ツアーを行ったバンドであるらしく、ペルーロック最重要バンドである。
Laghonia
元々は65年にサウル・コルネホとマニュエル・コルネホの兄弟を中心にリマで結成されたNew Juggler Soundというバンドが母体。ブリティッシュビートに大きく影響を受けたバンドでいくつかシングルをリリースした後、68年末にバンド名をLaghoniaに改名。メンバーが愛するビートルズの解散が近いという情報に対する悲観(La Agonia)からバンド名が付けられたらしい。
(New Juggler Sound→Laghonia)
キーボーディストのカルロス・サロムが新たに加わり、いかにもブリティッシュサイケな1st「Glue」を69年にMaGからリリース。
カルロス・サロムのハモンドオルガンとデイヴィー・レーヴェンのリードギターを中心に作られたスリリングなサウンドは英米サイケ勢に引けを取らない。特に2.〝The Sand Man〟のギターソロは鳥肌モノ。5.〝My Love〟は美しい歌に浮遊感のあるオルガンが絡む名曲。作曲は基本的にコルネホ兄弟によるものでブリティッシュロックマニアであることがひしひしと伝わってくる。LaghoniaもTraffic Soundと同じくサイケとプログレッシーヴォの中間のような音楽性を持っているが、71年2nd「Etcetera」ではさらにプログレッシブな方向性へ進みブリティッシュロックの枠を超えて唯一無二な音楽へと辿り着く。
サイコデリコとプログレッシーヴォの複雑な混合を高いレヴェルでなしとげ、同時代の権威あるどんなイギリスのバンドにも匹敵するのを示したアルバム
とのこと。全く大袈裟ではなく、ブリティッシュロックからの影響と南米独特のフレーズやメロディが見事に混ざり合いプログレッシブでもはやオルタナティブと言える独自の作風に辿り着いている。
今作もカルロス・サロムの鍵盤が活躍。カルロス・サロムはジャズやブラジル音楽に造詣が深いようで、彼が作曲に関わった1.〝Someday〟と3.〝I'm a Nigger〟は特に南米独特のプログレッシーヴォ。2.〝Mary Ann〟はプログレファンならヨダレが出てしまう展開を持った名曲。
バッキングボーカル/コーラスとしてカルロス・ゲレロが加わったことでコーラスワークの幅が広がったことも前作と大きく違うところだろうか。このカルロス・ゲレロという男がMaGレコードのオーナーであるマニュエル・アントニオ・ゲレロの息子であり( MaGはManuel Antonio Guerreroの頭文字を取った会社名)、Laghoniaはこの後カルロス・ゲレロを主軸にWe All Togetherとして再デビューすることとなる。
(Laghonia+カルロス・ゲレロ→We All Together)
続く!!
LaghoniaはMaGレコードのオーナーの息子にバンドを乗っ取られる形でWe All Togetherへと変身する。その息子、カルロス・ゲレロがまた素晴らしいのよ。次回はそのWe All Togetherと、あともう1バンドTelegraph Avenueを!
サイケ/プログレ好きならTraffic Soundの2nd「Virgin」とLaghoniaの2nd「Etcetera」は必聴!!
では!