基本的には僕の知るロックは英米がほとんどで、それ以外のヨーロッパ諸国や南米、アジア(日本のロックを除く)等のロックには詳しくない。
それでも少しは愛聴しているものはあって、11章では英米外のロックについても触れてみようかと。
ロックの輸入度合い
ロックはイギリスとアメリカのものだ。厳密にはアメリカのR&R、ブルース、ソウルなんかを下地に60年代頭にイギリスで誕生し、以降英米でキャッチボールを繰り返しロックは発展していった。なので僕は英米がロックの生産国、輸出国であり、その他の国はロック輸入国であるという認識を持っている。
ではその輸入度合いが1番高いのはどこだろうかと考えてみると案外難しい。我が国日本はもちろんかなり輸入している方だと思うがヨーロッパ諸国と比べてどうだろう、オーストラリアは、カナダは、南米はどうだろう。日本では60年代からしっかりロックを輸入し国内でもJロック文化というのは発展してきたが、それでも世界的に成功した日本人はほとんどいない。それに比べると例えばオーストリアにはAC/DCがいる。「でもAC/DCの他にバンドおる?」となるかもしれないが、逆にオーストラリア人からしたら「日本ってロックあるん?」かもしれない。
なんとなく、なんとなくだが日本人は日本がロックにおいて英米に次いで3位だと思ってる人が多いように思う。それが合ってるか間違ってるかは置いておいて、同じように自国が〝英米に次いで3位〟だと思ってる国がたくさんある、というのが英米外ロックの現状なんじゃないかと思ったり。
ヨーロッパ諸国でも特に盛んなのがドイツ、フランス、イタリアだと言われいる。この3国は3大映画祭の開催国であることから文化的にも発展していることもしばしば理由として挙げられる。ヨーロッパの持ち物であるクラシックを背景としたプログレやメタル、実験音楽を強く打ち出したクラウトロック、自国のトラッドを大事にしたフォークロックなんかが目立つ。
英米の隣国であるのも大きい。イギリスではアイルランド、アメリカではカナダ、この2国はかなりロック輸入度が高いだろう。メキシコもロックが盛んだって話を聞く(ほとんど知らないが)。
南米はどうだろう、ボサノヴァをアメリカポピュラーミュージック界に放り込んだブラジル、あとペルーのロックバンドもいくつか聴いたが素晴らしい。
ロック輸入を禁じられた中国やロシアら社会主義国はどうだろう。抑制されるからこそ育つということもある。中国には〝中国のボブディラン〟と呼ばれる崔健(ツイ・ツェン)って反逆児がいるし、ロシアの〝ボーンレコード〟も熱い歴史だ。
後、最近考えさせられるのが《イギリス連邦》というもの。元々世界史には疎く細かいことはわからないので適当なことは言えないがオーストラリアやニュージーランド、南アフリカ共和国へのロック輸出やインド音楽(インド)やレゲエ(ジャマイカ)なんかをロックに取り入れた背景には《イギリス連邦》が関係しているんじゃないかとか思ったり。そうなると東南アジアのシンガポールやマレーシアなんかのロックももしかして?
そうなると強さが浮き彫りになるのがアメリカの隣国でイギリス連邦であるカナダ。そう、11章《英米外ロック》はロック史に残る重要ミュージシャンを数人輩出しているカナダから!そんなに知らんが!
ま、完全にザ・バンドの流れからです…
11-1 カナダの偉人達(第85話)
「アメリカにとってのカナダはイギリスにとってのアイルランドのようなもの」というのを誰かが言っていたと思うんだけど、誰だっけな。アイルランドというと精霊、森といった神聖で神秘的な印象を持つが同じようにカナダはアメリカ人にとって〝精霊の地〟というようなイメージがある、というニュアンスの話だったと思う。
さてそんなカナダ出身のミュージシャンだが、その首領はレナード・コーエンになるだろうか。
レナードコーエンは34年生まれのカナディアンフォークシンガー。60年ごろから詩人、小説家として活躍し彼の詩の一つである〝スザンヌ〟をジュディ・コリンズが取り上げたことからボブ・ディランのプロデューサーだったジョン・ハモンドの目に留まり67年にレコードデビュー。1stアルバム「レナード・コーエンの唄」は翌年にザ・バンドを手掛けて有名になるジョン・サイモンがプロデュースした。ジョン・サイモンってとにかくザ・バンドのプロデューサーの印象が強いが、その前にレナード・コーエンの1st、さらにその前の66年にThe Cyrkleの「Red Rubber Ball」もプロデュースしてるのね。68年にはBig Brother And The Holding Companyの「チープ・スリル」も。ほぇー。
代表曲はやっぱり84年の〝ハレルヤ〟だろう。
ティム・バックリィの息子であるジェフ・バックリィが94年にカバーしたバージョンが有名で僕もそちらの方が先だったが、レナードコーエンのオリジナルは声低過ぎて笑ってしまった。この名曲はディランもカバーしてたと思う。
しかしレナードコーエンはほとんど聴けてない。
おそらくカナダが産んだロック史に最も影響を与えたミュージシャンはニール・ヤングだろう。
45年トロント生まれ。母国カナダでのThe Squires、マイナーバーズを経てからアメリカ西海岸へ。66年ウエストコースト最重要バンドBuffalo Springfield(1-4 西海岸最重要バンド Buffalo Springfield!! - ケンジロニウスの再生)を結成し、69年にはスーパーグループCSN&Y(1-1 スーパーグループCSN&Y! - ケンジロニウスの再生)にも参加。同69年からソロ活動を始めフォークやカントリーを基盤に70年代には「After The Gold Rush」「Harvest」「On The Beach」「Tonight's The Night」などの名盤をリリースした。ソロ活動は現在まで続くが、〝グランジの祖〟と言われることになるハードな姿やテクノにも接触するなど時代によってスタイルを変えながらアメリカンロックに多大な影響を与えてきた男。
僕も長い間ニールヤングを好んで聴いているが、活動期間が長いので未だ全貌を掴めていないミュージシャンでもある(70年代後半以降は特に)。
(Buffalo Springfieldのベーシストのブルース・パーマーはマイナーバーズからのカナダ仲間)
そしてウエストコーストにニールヤング並の影響力を与えたのがジョニ・ミッチェル。
43年フォートマクラウド生まれ。カナダ時代にはニールヤングとも交流があり、ヤングの〝シュガー・マウンテン〟への返答としてジョニミッチェルが〝サークル・ゲーム〟を書いた話は有名。
65年に渡米し、デトロイトやニューヨークで活動を行う。67年にジュディ・コリンズがジョニの〝青春の光と影〟を取り上げるなどソングライターとして注目された後デヴィッド・クロスビーの助けを得て68年にロサンゼルスでデビュー。CS&Nの結成に立ち会い、グラハム・ナッシュと交際、ウエストコーストの中心に降り立つこととなる。抜群のソングライティングと歌声を披露した70年「Ladies of the Canyon」や71年「Blue」はウエストコーストのみならず世界中に影響を与えた。
70年代後半からはジャコ・パストリアスやハービー・ハンコック、ラリー・カールトン、チャーリー・ミンガスなどのジャズマンと組みジャズ化していくが、これもよい。
ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェルと同じくカナダからウエストコーストに拠点を移し成功したバンドがステッペン・ウルフ。
69年の映画『イージーライダー』の挿入歌としても有名な〝Born To Be Wild〟が世界的ヒットしたことで知られるステッペンウルフもカナダバンド。ハードなので個人的にはあまり好みではないがサンフランシスコを盛り上げた重要なバンドだ。
元々はトロントで活動していたThe Sparrowsというブルースバンドであり67年にサンフランシスコに拠点を移しステッペンウルフに名を変えた。65年ごろの初期のThe Sparrowsにはブルース・パーマーが在籍しており、ブルース・パーマーはその後マイナー・バーズでニール・ヤングと出会い、共にロサンゼルスへ渡りBuffalo Springfieldを結成するわけだ。
前回触れたザ・バンドも5人中4人がカナダ人で、カナダから始まった(ホークスとして)バンドである。
カナダバンドでありながら至高のアメリカーナを打ち立てロックの流れをルーツ化へと導いた影響力は計り知れない。ザバンドについては前回『『ザ・バンド〜かつて僕らは兄弟だった〜』を観て - ケンジロニウスの再生』で書いたので省略。
『イージーライダー』はカナダ勢が大活躍だな。
ヤング、ジョニ、ステッペンウルフ、ザバンドなんかはカナダからアメリカに拠点を移して成功したがカナダ・ウィニペグを拠点に活動した正真正銘カナダバンドがThe Guess Who。
カナダグループとしては54年以来16年ぶりとなるUSチャート1位を取った70年〝American Woman〟で知られるゲス・フー。〝American Woman〟以降のハードロックな印象が強いが、その前の69年「Wheatfield Soul」は割と鍵盤等をフィーチャーしたソフトめで渋めなサイケでよかった気が。62年から活動しているバンドのようで70年〝American Woman〟に辿り着くまでに色々変化してるよう。
67年にニールヤング作の〝Flying on the Ground is Wrong〟をシングルとしてリリースしカナダでヒットさせている。ニールヤングも65年頃にウィニペグで活動していたようなのでカナダ時代から何かしらの繋がりがあったんだろうが、詳しくは知らぬ。
3ピースプログレバンドRushも忘れてはいけない。
74年デビューのラッシュ。カナダもアメリカと同じくイギリスから数年遅れて70年代半ばごろからプログレバンドが出始める。アメリカのプログレ、いわゆる《プログレハード》には興味がなくてラッシュもほとんど聴いてない。が、3ピースでありながらの複雑なアンサンブルはプログレファンを熱くさせ、カナダ本国では国民的バンドと言っていいほどの人気っぷりである。
ラッシュの後にカナダでいくつかのプログレバンドが続くがその中で好みなのがKlaatu。
トロントで結成。76年1st「 3:47 EST」がとにかく名盤。スタジオミュージシャンが集まってできたバンドであるのでライブを行わなかったこともあり〈ビートルズのメンバーの覆面バンド〉という噂が当時流れた(それで割と売れた)。そんな噂が流れるのも納得のビートルズ中期サウンド(サージェント、マジカル辺り)を再現しているサイケ/プログレ。〝Calling Occupants of Interplanetary Craft〟は名曲すぎて翌年にカーペンターズがカバーしたほど。
ラッシュとクラトゥはプロデューサーが同じだった気が。またその辺は後ほど。
ま、ひとまずこんなとこです。
ちなみにオルタナ以降だとニッケル・バックやアヴリル・ラヴィーンなんかがカナダ人。シンガーだとセリーヌ・ディオンやジャスティン・ビーバー(知らなかった!)がカナダ人。あ、あとブライアン・アダムスがいるわ。
以上!
(カナディアンロック図)