6-12 うわさの男、ハリー・ニルソン②(第97話)
前回に引き続きニルソンを。
ところでニルソンの名義問題だが、最大のヒット曲〝Without You〟及び収録アルバム「Nilsson Schmilsson」が【ニルソン】名義であったこともあり一般的にはファーストネームなしの【ニルソン】で浸透しており、【ハリー・ニルソン】というフルネームはそこまで浸透していないようだ。これはドノヴァンのフルネームはドノヴァン ・レイチなんだぜ?みたいなことではなくて、ニルソンの場合【ハリー・ニルソン】名義でもアルバムを割と出しているんだけど〝うわさの男〟と〝Without You〟くらいしか一般的に知られていない日本では【ニルソン】としてしか知られていないということだろう。しかしこの名義、どう使い分けているのだろうか。明確にどこかのタイミングで改名したというわけではなく、アルバムによってハリーを付けたり付けなかったりで。非常にモヤモヤするポイントであり、何か明確なルールがあってほしいと願うばかりだ(特にないんだろうな)。
さて前回はニルソンの簡単なバイオブラフィ、62年スコット・ターナーとのセッション(「Early Times」として後にリリース)、64年の変名でのシングルデビュー、フィルスペクター作品等ソングライターとしての活躍、銀行員として働きながらの〈タワーレコーズ〉期(64〜66年)、RCA移籍後ビートルズ絶賛の67年2ndアルバム「Pandemonium Shadow Show」、まで書きました。
続きを!
6-12 うわさの男、ハリー・ニルソン②(第97話)
64年のタワーレコーズ期から71年のピークまでニルソンサウンドを支えたのがアレンジャーのジョージ・ティプトンであるが、このタッグが最も機能したのが68年3rd「Aerial Ballet(空中バレー)」であり、これが内容的には間違いなくニルソンの最高傑作と言えるだろう。今回はここから!
68年3rd「Aerial Ballet(空中バレー)」
前作に引き続きニルソンの持ち味である宅録の走りとも言える歌の多重録音、様々な声色を使い分けるカメレオンボイス、自由自在に踊り回るスキャットが申し分なく発揮された3rd「空中バレー」。前作では約半数がカバー曲だったが今作ではフレッド・ニールの〝うわさの男〟以外は全てオリジナル曲となった。ジョージ・ティプトンのブラスを中心にストリングスや鍵盤を使ったアレンジはアメリカン・スタンダード、《グレート・アメリカン・ソングブック》を彷彿とさせ、ニルソンの楽曲もサーカスやヴォードヴィル調のショーソングの匂いが散りばめられている。アルバムタイトルの「Aireal Ballet(空中バレー)」はサーカスの空中演技のことを指すようで、これにはサーカス団員だった父方の祖父母の影響が大きいようだ(正しくは【空中バレエ】だと思うんだけど、まぁ邦題あるあるか…)。
古いアメリカ音楽からの影響、ブラスを効果的に使ったアレンジ、とビーチ・ボーイズ66年「ペット・サウンズ」との共通点がいくつか見られる。前作が不振だったため制作費は限られていたとされるが参加ミュージシャンは豪華で、アル・ケイシー、ラリー・ネクテル、マイク・メルヴァワン、ジム・ゴードン、ジム・ホーンなど「ペット・サウンズ」にも参加したレッキング・クルーの主要メンバーがバックを務めている。さらに「ペットサウンズ」との共通点を挙げると声を楽器として使った点だろうか。ビーチボーイズは声をリズム楽器として効果的に使ったが、ニルソンはリード楽器として、時にはバイオリンのように、時にはトランペットのように凄まじいスキャットを響かせている。
楽曲、アレンジ共にアメリカンスタンダードな要素が強いがドラムのビートやダブルトラックボーカルが非常にビートルズ的、ブリティッシュロック的で古臭さを感じさせない絶妙な仕上がりになっている。
ニルソンという男はカバー曲がヒットし、カバーされた曲がヒットし、自作自演の曲はさほどヒットしない、という星の元に生まれた男であるが「空中バレー」でもその習性はしっかりと見ることができる。
まずアルバム唯一のカバー曲でありシングルリリースもされた〝Everybody's Talkin'(うわさの男)〟。フレッド・ニールによるオリジナルは66年2ndに収録されたが、それをジョージティプトンが見事なアレンジで爽やかなフォークロックに仕上げ、ニルソンの代表曲の一つとなった。
個人的には『北の国から』の挿入歌〝都会のテーマ〟はさだまさしがこの曲から着想を得たんじゃないかと思っている。北の国からサントラで1番好きな曲だ。
(R.I.P 田中邦衛)
この曲も68年シングルリリース時は話題にならなかったが、翌69年の映画『真夜中のカウボーイ』のテーマ曲に抜擢され再リリースするとビルボードチャート5位を記録しニルソンは一躍人気歌手の仲間入りとなる。ちなみに『真夜中のカウボーイ』のテーマ候補にはランディ・ニューマンの〝Cowboy〟とボブ・ディランの〝Lay Lady Lay〟が挙がっており、それらの名曲を抑えてのニルソン抜擢となった。
このアルバムからカバーされてヒットしたのが69年にスリー・ドッグ・ナイトがカバーし米5位を取った〝One〟。アル・クーパーも同年のソロデビューアルバムで取り上げ、ニルソンは69年にシンガーとしてもソングライターとしても一気に成功することになる。この曲の〈One is the loneliest number〉という歌詞は誰もが知る名フレーズとなった。
アルバムのオープニングを飾った〝Daddy's Song〟はモンキーズの68年末問題実験映画『Head』にカバーバージョンが収録された。幼い頃去った父について歌った曲であり、ブラスアレンジも素晴らしくスキャットも冴え渡るキラーチューンであるがモンキーズが『Head』で使用した際に権利を買い取られてしまったため68年7月にリリースされた「空中バレー」オリジナル盤のみ1曲目に収録され以降は取り除かれてしまった曲。再発CDでも取り除かれたままのものが多いが、アルバム屈指の名曲なので再発CDを買うなら絶対この曲が入ったものを買うべき。
2.〝Good Old Desk〟は美しきソフトロックだが、この曲に何度か出てくるメインフレーズをThe Moveが68年末リリースの大ヒットサイケポップソング〝Blackberry Way〟の間奏で引用している。68年時、世間的にはまだ無名に近いが業界からの評価は高く、このMoveによる引用はブリティッシュロック勢にも影響を与えていた証拠でもある(ニルソン、ムーヴ共に別の既存の曲からこのフレーズを引用した可能性はあるが)。
カバー曲は〝うわさの男〟のみで他はオリジナル、と言ったが実はもう一曲カバー曲がある。アルバムの中でも一際美しい5."Little Cowboy"は幼少期にニルソンの母が歌ってくれた子守唄を元にした曲であり、言わばオリジナルはニルソンの母だ(もちろんそんなクレジットはない)。そんな美しきララバイにビートルズ的らんららんコーラスを付けた名カバー曲。
他にも3.〝Mr. Richland's Favorite Song〟や6.〝Together〟、10.〝Mr. Tinker〟などアルバム通して素晴らしい曲が並び、アメリカンスタンダードやショーソング風の楽曲を軸にソフトロックやサイケデリックを散りばめた絶妙なバランスを持ったアルバムだ。が、カナダで60位になったくらいで英米ではチャートインせず、翌69年に成功を収めた後再評価されることになる。
ちなみにエアロ・スミスのドラマーであるジョーイ・クライマーはこの「Aerial Ballet」からエアロ・スミスというバンド名を付けたと言われている。元々Aerial〜でバンド名を考えていたが、気づいたらそれがAero〜に変わっていき、エアロスミスに着地したとか。
ニルソンとサウンド・トラック
サウンドトラック作品を多く残しているのもニルソンの特徴の一つであり、それには相棒であるアレンジャーのジョージ・ティプトンがTV番組やドラマの作曲家としても活動していたことが大きく影響している。ニルソン最初のサウンドトラックとして68年アメリカンコメディ映画『Skidoo』の音楽をニルソンが担当。69年にはジョージ・ティプトンが音楽を担当したシットコム『The Courtship of Eddie's Father』のテーマソングとしてニルソンの〝Best Friend〟が使用された。70年にはアニメーションフィルム『The Point!』の音楽とナレーションを担当しサウンドトラックをリリース。74年にはリンゴ・スター主演&監督でアップルが製作したミュージカル映画『Son of Dracula 』にリンゴとW主演として出演しサウンドトラックを、80年にはポパイの実写ミュージカル映画『Popeye』のサウンドトラックを手掛けた。
中でも70年「The Point!」はアルバムとしても評価が高いが、サウンドトラックってナレーションが入ってたりコマーシャルが入ってたりでなかなか聴き込むことが出来ないのが正直なところ。
69年4th「Harry(ハリー・ニルソンの肖像)」
サウンドトラックを手掛けながらもニルソンはコンスタントにオリジナルアルバムを製作し、69年に4thアルバム「ハリー・ニルソンの肖像」をリリース。先述したようにこの69年に『真夜中のカウボーイ』のテーマソングに〝うわさの男〟が起用されたこと、スリードッグナイトがニルソンの〝One〟をカバーしヒットさせたことでニルソンは一気に人気シンガーの仲間入りとなる。〝うわさの男〟はシングルとして再リリースされ全米6位を記録し、ニルソンはシンガーとしてグラミー賞を受賞した。そんな追い風の中リリースされたのがこの「ハリーニルソンの肖像」であり、4枚目にしてようやくビルボード200にチャートインした(といっても120位)。
これも前作と同様古き良きアメリカ音楽色が色濃く出たアルバムであるが、やはり69年、過度な装飾を避けたシンプルなサウンドに仕上がっている。本当にロック史における68年と69年の間にはサウンドに明確な違いがある。英米問わず見事に。前作でサポートしたブラス隊やストリングス隊は排除され、サックス、ピアノ、フルート、そしてギター、ベース、ドラムという少数編成で歌をフィーチャーしたシンプルなティンパンアレー風ジャズサウンドに、さらに2nd,3rdではダブルトラックだった歌もシングルトラックになった(いくつかダブルもあるが)。あぁ69年。
個人的にはやはり67,68年のサウンドが好みではあるが、これも人気が高く傑作とされるアルバムである。
1曲目〝The Puppy Song〟はメリー・ホプキンのために書き下ろしたもののセルフカバー。ビートルズが発足したアップルレコードからの第一号アーティストとしてデビューした《アップルの歌姫》ことメリー・ホプキンはポール・マッカートニーのプロデュースで69年に1stアルバム「Post Card」をリリースしたが、そこにポールの要請でニルソンが書いた〝The Puppy Song〟が収録された。ニルソンはジョンとの交流が有名だが、音楽性的にはポールの方が近いものがあるのでこの曲は「Post Card」に非常に馴染んでいる。
10.〝I Guess the Lord Must Be in New York City(孤独のニューヨーク)〟はシングルとしてリリースされ、自身が書き自身が歌った曲としては初のチャートインとなった(米34位)。この曲は〝うわさの男〟と同指向の爽やかなフォークロックであるが、そもそも『真夜中のカウボーイ』用に最初に提出したのはこの曲であった。結果カバー曲である〝うわさの男〟が選ばれ自作の〝孤独のニューヨーク〟はボツとなったわけだが、4thアルバムに収録しシングルとしても名誉挽回のチャートインとなった。
ラストに収録された〝Simon Smith and the Amazing Dancing Bear〟はランディ・ニューマンによって書かれ、67年に元アニマルズのアラン・プライス率いるAlan Price Setがイギリスでヒット(英4位)させていた曲のカバーである。ランディ・ニューマン直近のハーパース・ビザールの67年デビューアルバムにもしっかり収録されているが、何にせよニルソンがランディ・ニューマン作のこの曲を取り上げたことから2人は接近し次作70年「Nilsson Sings Newman」へと繋がっていく。
70年5th「Nilsson Sings Newman(ランディ・ニューマンを歌う)」
全曲ランディ・ニューマン作品で構成されたアルバム。ランディ・ニューマンもピアノで参加しており連名作品としてリリースされてもおかしくない内容となっている。前作でやっとアルバムがチャートインし、自作の〝孤独のニューヨーク〟もヒットしたのにここでカバーアルバム。後にニルソンは「自分の曲より優れた曲をたくさん書いていると思った」とランディ・ニューマンに対する尊敬の念を語っており、自作か他作かよりもより良い作品を作ることを優先した結果生まれたアルバムと言えるだろう。
ランディ・ニューマンは60年代頭からソングライターとして活躍し、68年にSSWとしてデビュー。ミュージカル曲のようなドラマチックな展開を持った楽曲と独特な歌詞が彼の持ち味であるが、なんせ歌の癖が強いので好みが分かれるのが正直なところ(僕は好き)。それを何色もの声色を持つニルソンが多重録音し歌うことで、ポップソングとして成立する作品となりニューマンの作曲センスがより浮き彫りになっている。
ヴァン・ダイク・パークスやハーパース・ビザールが歌った怪曲〝Vine Street〟やランディ・ニューマン自身もデビューアルバムで歌った名曲〝Love Story〟、『真夜中カウボーイ』のテーマ曲の座を〝うわさの男〟と争った〝Cowboy〟などを見事に歌い上げニルソンはシンガーとしての評価をさらに得ることになった(といってもやはり売れない)。
続く!!
次回は71年ついに世界的ヒットとなる〝Without You〟を含む《シュミルソン3部作》と70年代半ば以降を交友関係を中心に見ていければ!
今更ながらリンクやyoutube動画の埋め込み方がわかったのでガンガン埋め込んでいきたいと意気込んでいます!
では!
続き
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