ケンジロニウスの再生

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6-17 バーバンク・サウンド②〜アメリカンルーツのさらなる追求〜(第102話)

6-17 バーバンク・サウンド②〜アメリカンルーツのさらなる追求〜

バーバンク・サウンド、前回は66年にワーナーブラザーズのA&Rとして入社したレニー・ワロンカーの初仕事について書きました。

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オータム・レコードを買収したことで自動的に移籍となったオータムレコード勢の再プロデュースを行い67年に《バーバンク・サウンド》の夜明けとなる作品をリリース。今回はその続き、68年から!

ヴァン・ダイク・パークスランディ・ニューマン両名のソロ・デビュー

ひとまず67年にオータム勢の再プロデュースに成功したレニー・ワロンカーは68年に裏方として彼を支えるヴァン・ダイク・パークスランディ・ニューマンをソロデビューさせ表舞台に立たせる。


二枚とも今では名盤として語り継がれているが、当時は全くと言っていいほど売れなかった。特に『Song Cycle』は売れなさすぎて「どれほど売れてないか」を逆広告としてワーナーが出したのは有名な話。この2枚はバーバンクサウンドの核ともいえる作品であるが、面白いことにソフトロックと呼べるものではない。それは〈ブリティッシュインヴェイジョン〉の影響が皆無に等しいからだろう。オータム勢はブリティッシュビートに影響を受けたアメリカン・フォークロック/ガレージロックバンドと、古いアメリカ音楽を目指す裏方のアレンジが混ざり合い独特のソフトロックとなったが、この2枚は完全に古いアメリカポピュラー音楽に迫りすぎた作風になっている。つまりはロックと呼べるか疑わしかったりする。パークスはポピュラー音楽の再解釈、ニューマンは映画音楽風の楽曲をSSWスタイルで、とただ古いだけではなく斬新なスタイルを2人とも提示したが、中々世間には受け入れられなかった。ま、またこの2人それぞれのことはまた次回詳しく触れます。とにかくバーバンクサウンドの本質を示している2枚!

他にもいるバーバンクの精鋭達

前回書いたようにレオン・ラッセルハーパース・ビザールの67年1stに大きく貢献したが、《バーバンクサウンド》の一員には留まらなかった。同じようにいわゆる「外注」的な立ち位置でバーバンクサウンドに関わったミュージシャンは他にもいる。

例えばソフトロック界隈の重要アレンジャーであるニック・デカロペリー・ボトキンJr.ジャックニッチェもハーパーズ・ビザールをはじめとした作品で貢献。作曲者としてはお馴染みのバート・バカラック&ハル・デヴィッドはもちろん、ニルソンロジャー・ニコルス&ポール・ウィリアムスもハーパーズ・ビザールに楽曲を提供した。そんな精鋭達の手を借りて作られたハーパース・ビザール68年3rd『The Secret Life Of Harpers Bizarre』69年4th『Harpers Bizarre 4』はバーバンクサウンドの真骨頂と言える仕上がりになっている(特に3rd)。

ヴァンダイクパークスとランディニューマンの他にバーバンクサウンドの主軸と言えるのはボー・ブラメルズのギタリストであるロン・エリオットハーパース・ビザールのギターボーカルであるテッド・テンプルマンだろう。ロン・エリオットはボーブラメルズ以外の作品でもギタリスト、アレンジャー、作曲者として活躍しバーバンクサウンドに欠かせない存在となった。テッド・テンプルマンはハーパースビザール解散後の70年代にワーナーのA&Rマンとなりレニー・ワロンカーの右腕として働きドゥービー・ブラザーズヴァン・ヘイレンを世に送り出すこととなる。元オータムレコード勢から偶然この2人を手に入れれたことはレニー・ワロンカーにとって非常に幸運なことだっただろう。

もう1人忘れてはならないのがスライドギターの名手ライ・クーダーライ・クーダーキャプテン・ビーフハートの67年1st、タージ・マハールの68年1st、ニール・ヤング68年1st、モンキーズ68年『Head』、そしてローリング・ストーンズ69年『Let it Breed』のセッションに参加した後くらいから、ランディ・ニューマンの2ndやロン・エリオットの唯一ソロ作など、バーバンクサウンド作品に参加しまくることとなり、70年にはレニー・ワロンカー&ヴァンダイクパークスプロデュースの元Ry Cooderリプリーズからソロデビューする。以降ライ・クーダーは70年代頭のバーバンクサウンドを支える存在となっていく。

Ry Cooder

Ry Cooder

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この70年付近になるとバーバンクサウンドは当初の古いアメリカポピュラー音楽志向からカントリーやスワンプ寄りのルーツ志向になり始める。それがドゥービーやリトルフィートら70年代ワーナー勢に繋がっていくわけだ。このスタイル変化の兆しとなったのがボーブラメルズの68年2nd『Bradley’s Barn』で同年のByrds『ロデオの恋人』やThe Band『ミュージック・フロム・ビッグピンク』と並んでカントリーロック/ルーツ・ロックの先駆け的一枚となっている。

Bradley's Barn

Bradley's Barn

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このアルバムを、ワーナーのスタジオであるらしいジャケットの赤い建物から僕は勝手に〈ビッグ・レッド〉と呼んでいる。

その他のバーバンク・サウンド

ヴァン・ダイク・パークスランディ・ニューマン、ロン・エリオット(ボーブラメルズ)、テッド・テンプルマン(ハーパースビザール)、ライ・クーダーといったミュージシャンを使い《バーバンク・サウンド》に染め上げた作品は他にもいくつかある。

エヴァリー・ブラザーズ

ビートルズらブリティッシュロック勢に多大な影響を与えたことでも知られるカントリー/R&Rデュオ、エヴァリー・ブラザーズ。57年にデビューし、ワーナーには60年からいたわけだが、60年代末ともなるとロックの勢いに完全に飲まれて人気は下火に。そんなエヴァリー・ブラザーズの再起をかけてレニーワロンカーチームがプロデュースしたのが68年『Roots』

Roots

Roots

  • Warner Records
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このアルバムも最初期のカントリーロックとして挙げられることが多く、ロン・エリオットやランディ・ニューマンの楽曲もエヴァリーハーモニーで歌い上げている。1世代前のミュージシャンとしては古いイメージを払拭したいのに、バーバンクお得意の古いアレンジをかまされた、といったところだろうか。再起とはならなかったが、バーバンクサウンドを形成する歴史的一枚ではある。

アーロ・ガスリー
Alice's Restaurant

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アメリカン・フォーク・リバイバルの立役者、ウディ・ガスリーの息子であるアーロ・ガスリーもバーバンクサウンドに数えられる作品をいくつか残している。アーロは父ウディがこの世を去った67年にリプリーズから『アリスのレストラン』でデビュー。18分を超える風刺トーキングブルース〝アリスのレストランの大虐殺〟はアーロの代表曲となった。それを元にニューシネマ『俺たちに明日はない』の監督であるアーサー・ペンが『アリスのレストラン(69年)』映画化し、アーロは主演&音楽を務めた。デビューアルバムはビルボードチャートで最高17位まで昇り、69年には〈ウッドストックフェスティバル〉にも出演している。

アリスのレストラン [DVD]

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  • アーロ・ガスリー
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そんなこともあって良くも悪くもデビュー作である「アリスのレストラン」のイメージが大きすぎるアーロだが、69年2nd『Running Down the Road』から74年6th『Arlo Guthrie』まではレニー・ワロンカーによりプロデュースされている。

ホーボーズ・ララバイ

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参加メンバーはライ・クーダーの他、カントリーやフォーク畑のミュージシャンにサポートされており、やはりルーツ志向のフォークロックといった仕上がり。ヴァンダイクパークスやランディニューマンがほとんど絡んでないのでバーバンクサウンドと呼べるかは正直難しいのかも。

まとめ

まぁこんなとこでしょうか。レニーワロンカーは70年代に他にもゴードン・ライトフットジェームス・テイラー(70年代半ば)マリア・マルダーなんかもプロデュース。ちなみにマリア・マルダーはジョー・ボイドとの共同プロデュース。ピンクフロイドを発掘し、英フォークロックの礎を築いたジョー・ボイドは70年代には帰国してワーナーで働くんだよな。それでジミヘンのドキュメンタリー映画を撮ったりするわけなんだけど、バーバンクサウンドとの絡みもここにあったり。

分家としてテッド・テンプルマンがヴァン・モリソン(70年代頭)ドゥービー・ブラザーズリトル・フィートなどをプロデュース。

他にはラス・タイトルマンによるプロデュース作品もバーバンクサウンドに含まれるだろうか。ラス・タイトルマンは70年代以降のレニーワロンカーチームで大きく貢献したプロデューサー兼スタジオミュージシャン

前回にも書いたように、ワーナー/リプリーズからリリースされたレニーワロンカーチームによるプロデュース作品をまとめて《バーバンクサウンド》と呼ぶわけで、それはレニーワロンカーがワーナーの社長となる80年代以降も脈々と受け継がれていく。

ただ、69年以降は元来の「古いアメリカポピュラー音楽(グレートアメリカンソングブック)志向」から「ブルース/カントリー等のルーツ志向」へとシフトチェンジし、ランディニューマンの楽曲やヴァンダイクパークスの楽曲、アレンジが全面に出た作品は徐々に少なくなっていく(まぁ2人が表の人間として活動をし始めたこともあるんだろうが)。

ルーツ回帰というのは69年〜70年代にかけて英米で大きくブーム化したので、バーバンク特有のものとは言い難いものがあり、やはりバーバンクが唯一無二の特殊なサウンドを作り上げていたのは67,68年の作品群になるだろう。モジョ・メンのシングル、ボー・ブラメルズの『トライアングル』、ハーパース・ビザールランディ・ニューマンヴァン・ダイク・パークスの1st。これらグレートアメリカンソングブック、古いアメリカポピュラー音楽の要素を蘇らせたサウンドはやはり独特でイギリスにはない「アメリカらしい」サウンドだ。そしてビーチボーイズやその他アメリカのソフトロック/ソフトサイケ勢の中にもその要素は少なからず含まれたりしていることを気づかせてくれる。アメリカンロックを聴く時の背景にグレートアメリカンソングブックを置いてみると「アメリカらしさ」の印象が少し変わってくる。例えば僕は元々『ペット・サウンズ』をイギリスっぽいアルバムだと思っていたけど、今はアメリカそのものだと思っていたり。

バーバンクサウンドはブルースやカントリー等ルーツミュージックが持つ「アメリカらしさ」とはまた別の「アメリカらしさ」を教えてくれるサウンドなのだ!終わり!

ちなみにのコーナー

ちなみにレニー・ワロンカーの息子ジョーイ・ワロンカーはセッションドラマーで、BeckR.E.Mで叩いたり、レディオヘッドトム・ヨークレッチリのフリーのスーパーバンドAtoms for Peaceのドラマーなのよね。R.E.Mはワーナーだけど、他は違うか…まぁそんなの親子とはいえ関係ないか!レニーワロンカー自体が親のレーベルを継がずにワーナーに行ったんだから。

では!

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