ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

映画『ザ・ビートルズ:Get Back』を観て(Part1 ②)

完全に乗り遅れた感はありますが、約2か月遅れで『ザ・ビートルズ:Get Back』の感想を!

前回↓

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ドキュメンタリー映画『Get Back』

ゲットバックセッション》には元々3つの目的があった。オーバーダヴ無しのアルバム制作、ライブ再開、そしてドキュメンタリーTV番組のため撮影だ。そのドキュメンタリー番組の素材とするためにマイケル・リンゼイ・ホッグが総指揮を取りゲットバックセッション及びルーフトップコンサート中カメラを回し続けた。リンゼイホッグ自身も映像に登場しビートルズと意見を交わす姿も多く見られる。結果的にTV番組の話は流れ、映像の一部が70年のビートルズ解散後に映画『Let It Be』として公開。それは非常に暗いビートルズ崩壊の物語として認知されることとなった。マイケルリンゼイホッグとビートルズは〝ペーパーバックライター〟や〝Hey Jude〟等のPVで既に仕事してる仲。リンゼイホッグはこのゲットバックセッションのほんの1か月前にストーンズのTV企画ショー〈ロックンロールサーカス〉の監督も担当したが、悔しくもこれもお蔵入りとなっている。

それから約50年の時が経ち半ばタブー扱いを受けていたゲットバックセッションの映像を引っ張り出してきたのはロード・オブ・ザ・リングシリーズの監督として知られるピーター・ジャクソンだった。ピータージャクソンは大のビートルズファンであり、その約60時間のお宝映像に大興奮。そしてその秘蔵映像の中に『Let It Be』の残した暗いイメージを払拭できる要素を感じ、3年の月日をかけて編集し、出来上がったのが此度の『Get Back』だ。

ドキュメンタリー映画は過去の映像と現在のインタビューを交えて物語を進めていく構成がポピュラーであるが、この『Get Back』は過去映像のみで構成されており、その分現場の空気感がリアルに伝わってくる。ただ、眠っていた未公開映像は約60時間と膨大であったが、未公開音源は150時間以上とさらに膨大。なので音声のみ残されている重要な会話や音源を使う際、映像は会話とは関係のないシーンをあてがっている、という編集も少なくない。まぁもちろんだが丸っきり全てがありのまま、というわけでもないわけだ。それでも『Let It Be』よりも真実に近づいた内容であるのは間違いないし、もうゲットバックセッションに対してこれ以上のものはおそらく出てこないだろう。当然多くの発見と感動が詰まったものであった(まだ1話しかみてない)。

そんな『ザ・ビートルズ:Get Back』の第1話を見た感想をだだだだっと書いていこうと思う。

映画『ザ・ビートルズ:Get Back』の観て(Part1 ②)

メンバーのやる気問題

ゲットバックセッションに対するメンバーの向き合い方は『Let It Be』を見る限り、張り切りポール、ふてくされジョージ、うわの空ジョン、呆れリンゴといった印象だった。そして次第にポールvs3人という構図になり崩壊していった感じだ。

此度の『Get Back』ではトゥイッケナム映画スタジオでのゲットバックセッションの特殊性についてもう少し詳しく描かれていた。まず今までとレコーディングセッションの時間帯が違ったこと。特にジョージとジョンは朝起きて日中セッションすることに苦痛を感じていた様子。あとは言われてきたとおりやはり常に回り続けるカメラへのストレス。そして音楽スタジオではなく撮影スタジオであることからの、機材の不足と音響への不満。アルバムを作ることには基本的にみんな肯定的であるが、このセッションのやり方自体にポール以外は不満を感じている様子。

メンバー間ではっきりと方針が固まってないのにプロジェクトが進行していく感じ。『マジカルミステリーツアー』同様ブライアン・エプスタイン不在の影響がまさに出てしまっている。

ライブ問題

レコーディングのためのセッションをするのと同時にライブをどうするのかの話し合いがずっと行われていた。それがとにかく全く進展しない。

これもやはり肯定的なのはポールだけで、特にジョージはライブ案自体を辞めた方がいいというスタンス。リンゴも前向きではなくて、ジョンは〝Hey Jude〟のPVや過去の特番のようにトゥイッケナムスタジオに客を入れてライブをする案には少しノリ気になりセットのデザインを積極的に考える。が、監督のマイケル・リンゼイ・ホッグはアフリカ、リビアのサブラタ円形劇場を謎のゴリ押し。豪華客船に客を一緒に乗せてロシアに行くだとか、国会議事堂でやるだとか、現実味のない案まで飛び出し、孤児院でチャリティ的なことをやるだとか、とにかく話がまとまらない。

スタッフ側はもちろんプロジェクト自体を成功させるために集まっているので、どうにかライブ決行に向けて話を進めようとするわけだが、その説得文句がとにかく「世界中のファンが待っている」という言葉。その言葉に3人は胸を打たれるどころか、むしろ飽き飽きしている様子。愛想の良いリンゴがマイケル・リンゼイ・ホッグの「君たちは世界最高のバンドだ」「ファンが待ってる」という必死の説得にうんざりしている様子は印象的だった。

とにかくこのライブ問題は最終的に1月30日のアップル事務所屋上でのルーフトップコンサートに着地するわけだが、第1話(1月2日〜10日)では話し合いは完全に膠着状態。

ポールのワンマン問題

この69年1月当時、年長者のジョンとリンゴが28歳、ポールが26歳、ジョージが25歳である。ポールはビートルズの多くの責任を背負ってまとめ役を買って出たが、まだ26歳だ。多くの大人が絡み、多くの金が動く中、メンバーはやる気なし、そりゃ厳しい。

とにかく何とかしなければならないと活気づけるポール。しかし張り切れば張り切るほど3人は引いてしまう。ポールvs3人、という構図はずっと語られてきたことだが「ポールのやる気の空回り」と片付けてしまうには可哀想だ、というのが今回1番思ったことだったりする。これは『Get Back』から得た新たな情報によるものなのか、僕が歳をとったからなのか。

ポールの主張はほとんど「やる気出せよ、ちゃんと取り組めよ」という至極もっともなこと。ただ厄介なのは自分の思い描いた通りに進まないと気がすまないポールの性格で、それに協力的ではないメンバーに苛立ちを感じている。まぁ何というかポールをリーダーとして取り組んでいく気がないのだろう。かといって他のメンバーが別の方法を提示するわけでもなく、まぁこの辺はめちゃくちゃ「バンドあるある」だ。僕もこんな空気のスタジオを何度も経験してきた。ポール側、他の3人側、どちらの側にも立ったことがある。で、どちらも悪いし、こうなると中々改善は難しい。

僕は基本的にポールのワンマンなところは好きじゃない。結局ジョンとジョージがこのセッション音源をフィル・スペクターに託したものがビートルズのラストアルバム『Let It Be』として70年にリリースされるわけだが、ポールはそのことに猛烈に激怒し、脱退を表明したことでビートルズは終わった。〝Long and winding road〟の過剰なストリングスが…とか色々言われているが、フィルスペクターの装飾がどうとかより、自分の関与しないところで「勝手」に物事が進められたことが我慢ならなかったんだろう。僕にとってのポールはそんなイメージで、あまり好きではなかったりする。今までジョージやリンゴに相談なしにバンドを進めたことなんて数えきれないほどあっただろう、って。

だからゲットバックセッションは「ポールの空回り」ってことで認識していたわけなんだけど、この『Get Back』を観てポールにも同情の余地ありまくりだなーと考えが変わった。

基本的になだめたり諭したりするような口調でまとめ役に徹しようとするポールだが、何度か感情的になるシーンもあった。ジョージとの口論の末、「カメラの前ではできない(キレれない)」と席を立つが、カメラの前でそのまま思いのたけをぶつけた。

僕が何をいっても「また始まった」って態度で協力してくれない、いつも僕が悪者だ、エプスタインが死んでから僕らはバラバラだ、もうどうしたらいいかわからない

カメラを意識せずに自然な姿を見せよう、と皆んなをなだめていたポールが実は1番カメラを意識していた。落ち着いて全体を見渡せるリーダーになろうとしていた。カメラを無視して感情を吐露したこのシーンが1番情け無く1番共感できるシーンだった。

ポールVSジョージ

67年のエプスタインの死後、ビートルズメンバーの結束は崩れ始める。68年『ホワイトアルバム』はソロプロジェクトの寄せ集めのような状態になり、レコーディングセッション中にはリンゴ・スターが一時的に脱退する事件も起きた。

この69年ゲットバックセッションではさらにメンバー間の衝突が表面化することになった。その中でも一際目立つのがやっぱりポールとジョージの対立だ。ここの衝突は映画『Let It Be』を象徴するものであるが、『Get Back』でも変わらず。

これはジョージの楽曲がないがしろにされてきたり、長く格下扱いを受けてきたり根が深いもので、その辺のことはジョージのドキュメンタリー映画George Harrison: Living in the Material World』で詳しく語られている。

そうした長年の蓄積があり、ジョージの不満が表面化したのがこのゲットバックセッションだ。ビートルズ解散の原因は多く語られるが、その内の一つでもある。

加えてジョージがビートルズ外のミュージシャンとの交流を広げたことも大きい。クラプトンとの縁は言うまでもなく68年にはウッドストックのディランとザ・バンドを訪ねたり。そういった経験の中でジョージは感性を育て、ジョン&ポール信者ではなくなってしまった。ポールの提示するアレンジやフレーズが全て正しいとは思えなくなったんだろう。

永遠の弟分ジョージ

クラプトンがいかに凄いか、ビリープレストンがいかに凄いかをジョージが熱弁するがポールとジョンに全く響かない、というシーンがある。クラプトンのアドリブソロは離れたところにいってもちゃんと帰ってくる、延々とソロを弾き続けられる、とクラプトンのプレイを説明するがジョンとポールは「それはジャズだよ」と一蹴。決して2人がクラプトンを認めてないわけではなく「ジョージの絶賛するクラプトン」を認めていない、そんな風に感じとれた。僕はこのシーンを見た時マーク・ボランがスティーブ・トゥックをクビにした話を思い出した。

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ボランの生活資金のために自身のドラムセットを売り払うほどボランを慕っていたトゥックがシド・バレットやトゥインクと連むようになったことにボランが激怒してティラノサウルスレックスをクビにした話だ。ボランほど極度ではないにせよ、永遠の弟分であったジョージが他のミュージシャンを褒め称え意見することにジョンとポールは不快感を感じている様子だ。これも本当に「人間関係あるある」だろう。自分を慕っていた存在が手元を離れる感じ、大人のように振る舞うことに苛立つ感じ、気をつけても出てしまう人の醜い部分だ。

しかしそんなこんなを鑑みてもさすがにジョージはポールに突っかかりすぎ。もう全てに反発。「離婚」という比喩を使って解散をほのめかす発言も。そして1月10日にとうとう脱退を宣言し、スタジオを飛び出す。

続く!

えー、何も考えずたらたらと書きすぎ!続く!

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