ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

映画『ザ・ビートルズ:Get Back』を観て(Part 1 ③)

映画『ザ・ビートルズ:Get Back』の感想をゆるりと書いております。他の方の感想もいくつか読んだりしてますが、みんなそれぞれ感じ方が全然違うんですよね。ゲットバックセッションの真実が明らかに!と言えどもその真実を受け取れる人間はどれだけいるのか、そもそもそんな人間いるんだろうか。

前々回↓

kenjironius.hatenablog.com

前回↓

kenjironius.hatenablog.com

続きを!

オーバーダヴ無しのコンセプト

ポールはゲットバックセッションでオーバーダヴ無しの一発録りスタジオライブアルバムを提案した。その案にはジョージも賛成のようで「オーバーダヴ無しというのはいいと思う」と発言している。

ポールがオーバーダヴ無しにこだわったのは「昔のように」戻るためだった。60年代半ばからビートルズジョージ・マーティンによるストリングスやブラスアレンジ、ジェフ・エメリックによる逆再生等の音響効果をふんだんに使用しサイケデリックロック/アートロックの領域に踏み込んだ。66年『リボルバー』の後ビートルズがライブを辞めたこと、ブライアンウィルソンがスタジオワークに専念したことの賜物と言えるビーチボーイズ『ペット・サウンズ』が同66年にリリースされたことはスタジオ主義時代の幕開けを告げるものとなった。4トラックしかなかったレコーダーも8トラックとなりさらなるオーバーダヴを可能とし、楽曲アレンジの幅はより広がり素晴らしいスタジオ作品が多く生まれた時代だ。サイモン&ガーファンクルやミレニウムは68年に16トラック(8トラック×2)を使用し、素晴らしいスタジオ作品を作り上げている。

そんなスタジオ主義時代を終わらし、再び昔のように一発録りで仲良くやろうぜ、ってのがポールが掲げたゲットバックセッション。つまりはビートルズの原点回帰」への動きだった。

そして同じ時期、ロック界全体にも「回帰」の波が押し寄せる。この震源となったのはザ・バンド68年1st『ミュージック・フロム・ビッグピンク』だった。このサイケの終焉、そして「ロックのルーツ回帰」の波にいち早く反応したイギリス人がエリック・クラプトンジョージ・ハリスンで、ジョージはディランとザ・バンドの元を訪れた後『ビッグピンク』を大量にイギリスに持ち帰り仲間に配った。さらにこの69年ゲットバックセッションの後ごろから、デラニー&ボニーとの出会いによりクラプトンやジョージは《スワンプ・ロック》へと傾倒していくわけだ。

そんな流れをポールも察知していたのかしてないのか「オーバーダヴ無し」という点ではポールとジョージは同じ方向を向いていたのだ。

ただ「ビートルズの原点回帰」と「ロックのルーツ回帰」では回帰する場所が厳密には違う。〝Don't Let Me Down〟のアレンジシーンがあるが、そこでポールが提案したのは「陳腐な歌詞のシンプルなカウンターコーラスアレンジ」だった。この時ポールがしきりに言う【陳腐な】の真意ははっきりとわからないが、もしかするとポールは65年『ラバーソウル』以降手に入れた文学的で精神世界へ向いた複雑な歌詞をも「昔」に戻したがっていたのかもしれない。そしてこのアレンジ案はジョージに一蹴される。

ザ・バンド等が提示したルーツ回帰はルーツへの「探究」であり、ポールの原点回帰は言葉通りの「回帰」だった。ジョージは探究、試行錯誤を繰り返して正解を見つけるべきだと主張する。ポールは自分は正解(昔のビートルズ)を知ってるんだから時間ないし言う通りにしろ、といったところか。オーバーダヴ無しという意見は一致しているが、やはり2人は噛み合わない。

時間がなく焦るポールは「せめて自分の言う通りの土台となる演奏を覚えてから探究すればいい」と主張するがジョージは「おれは探究しながら自分のパートを体に馴染ませるタイプ」だと反論。ここで大問題なのはジョージがその正解のギターアレンジの片鱗も提示できていないこと。それならポールの言うことが正論になってしまう。

ジョージにしてもリンゴにしてもポールが「こんな感じ」と伝えるギターフレーズの鼻歌や口ドラムに即座に反応できないのは割と意外だった。ジョンはコードが分からないようだし、やっぱその辺はポールがずば抜けて長けていたのか。

ジョンが観たThe MoveのTVショー

Move

Move

  • アーティスト:Move
  • Esoteric Records
Amazon

『Get Back』第1話でのメンバーの会話の中には他のミュージシャンやバンドの名前もいくつか登場した。ボブディランにレイチャールズ、ビリープレストン、ビーチボーイズストーンズあたりの名前が登場したが1番「おっ」と思ったのはThe Moveの名が出たことだった。

1月6日〝Don't Let Me Down〟のアレンジを練っている最中にジョンが

マイクは3本だと考えていた

と発言。その直前の会話が抜けていたように感じるが、恐らくは初期の頃のようにマイクをシェアするライブスタイルに対しての意見かと思われる。ジョンは

BBCのTVライブでのThe Moveは3本マイクで上手く声が分離していた

という感想を付け加えた。

ジョンとムーヴの接点は聞いたことがなかったのでびっくり。この69年にムーヴに加入するジェフリンは後にビートルズの〝フリーアズバード〟と〝リアルラブ〟をプロデュースし、ビートルズメンバーと交流するようになるがそれはジョンの死後だし。

さて、ジョンが観たムーヴのTVライブと聞いて1番に思い浮かんだのがYouTubeでよく観たことがある〝Blackberry Way〟のスタジオライブ。

Blackberry Way〟は68年末のヒットシングルなので時期的に有り得るかも、と調べてみたらこの映像はBBCの『Colour Me Pop』という音楽番組での映像のよう。でその『Colour Me Pop』をWikiで調べてみると69年1月4日がムーヴの出演回だった。

(放送リストを見るとすんごいメンツ。ハニーバスやジャイルズジャイルズ&フリップも出てたり)

ジョンの発言が1月6日なので、ジョンはこの『Colour Me Pop』でのムーヴを観たということで間違いないかと。この〝Fire Brigade〟も同じ番組かな?

いやーロイ・ウッド、キマってますねー。

確かに3本マイクでのコーラスは聞くことができる。1月2日木曜にゲットバックセッションが始まって1月4日5日の土日は休み。その休みの4日にジョンはTVでこのムーヴを観て、6日の月曜に言及したわけだ。いやースッキリ!

ジョンの調子

映画『Let It Be』でのジョンは常にヨーコが隣にいて我関せずのうわの空といった印象だった。この当時ジョンとヨーコはヘロイン漬けの日々を送っており、それには直前に2人の子供が流産してしまったことも大きく関係していると言われてきた。

『Get Back』でも基本的にふわふわしていて〝Let It Be〟のコードを覚えなかったり〝Two of Us〟の歌詞を覚えようとしなかったり、ジョージの〝I Me Mine〟を嘲笑してヨーコとワルツを踊ったりなんだけど、ジョージとポールが言い争ったりポールが感情を爆発させた時はしっかりと目を見て話を聞いているのが印象的だった。映画『Let It Be』ではギターフレーズを巡ってポールとジョージが口論する中「レコーダーがあればなぁ…」とか宙を見て全く関係ないことを呟いているように編集されていたが、実際には2人の言い分をしっかりと目を見つめて聞いていた。基本的には皮肉屋で茶化し屋だが、しっかりと年長者としての顔を持っていた。ヘロイン漬けだったのは間違いないがジョンはジョンだった。

ライブ案についてマイケルリンゼイホッグが「孤児院なんてどう?感動するよ?話題になるよ?」的な提案をした際、半笑いだが明らかに怒っている表情(殺意満載)がカメラに抜かれていた。その後ライブやパフォーマンスの意義の話になった際

〝愛こそ全て〟では皆に微笑みかけた、僕の動機はコミニケーションだ

とジョンは語った。これはこの後70年代に見せる反戦運動のカリスマとしての姿やヨーコとのパフォーマンスへ繋がっていく。ブレないジョンはやっぱりかっこいい。

〝One After 909〟の歌詞

時間もなく中々曲が仕上がらないので4人は過去にボツにした曲を掘り返す作業を始める。デビュー前の楽曲に触れ(覚えてるのがほんまにすごい)「やっぱりダメだ」と諦める中、好感触だったのが〝One After 909〟だった。これにはジョージも「この曲をやろう!」と笑った。

そしてポールが「歌詞の意味がやっとわかった」と語り出す。自分で書いた歌詞が時が経ってわかるようになった、と。これって結構作曲あるあるで、ビートルズほどのバンドでも僕らみたいなどうしようもないアマチュアバンドでもスタジオでは同じようなことが起こっているんだなぁ、とにんまり。

歌詞の作り方

とにかくアレンジセッションは中々進まず、ジョンも作曲に手こずっている様子の中、ポールは〝Get Back〟〝Let It Be〟に〝Long and Winding Road〟に〝ゴールデンスランバー〟に〝Another Day〟と名曲を次々に量産。やはり作曲に関しては無二の天才。

それらの曲をスタジオで鼻歌で演奏するわけだが、その横には紙とペンを持つロードマネージャーのマル・エヴァンス。ポールが鼻歌に紛れ込ませて歌うワードをメモっていく係だ。音(おん)が合うようにメロディに言葉をハメていく作詞法。机に向かってここはこう、やっぱりこうか、とやってるイメージだったからちょっと意外。

作詞に関しては皆んな割と協力的で、ジョージの〝All things must pass〟にジョンがアドバイスしたり、おぉ、というシーンが多かった。

ジョージ脱退

第1話は1月10日、ジョージの脱退で幕を閉じる。

〝Get Back〟の歌詞をポールとジョンが相談したり、〝Two Of Us〟を合わせたり、アレンジについて話し合っているシーンと虚なジョージのカットが交互に映し出された後、ジョージがバンドを辞めると言い残しスタジオを去る。

ここは音声と映像が合ってないようなので割と急に差し込まれた形になっていて、直前の流れがカットされてるよう。〝Two of Us〟のセッション音源をバックに流れている映像での会話が気になるところ。『Get Back』の写真集(?)にはその辺の会話が載ってたりするのかね?

マルエヴァンスとジョンとジョージが何か話し合っている映像のスローモーションをバックに

「ジョージマーティンに連絡するか?」「煩わせるな、アップルで解決しろ」

といった業務的な会話の音声。

ジョージが去った後3人はランチに行き、スタジオに戻ると壊れたかのようにイカれたセッションを開始。ヨーコも奇声を上げてカオス状態に。ここ、ふざけて暴れ回ってる素振りを見せているがポール悲しげなのよ。状況的には怒ったり不機嫌になったりしてもおかしくないと思うんだけど、悲しみなんだよな。薄々予感していたビートルズの終わりを確信してしまったのか、それともジョージへの態度を後悔していたのか。

その後話し合いが行われ、ここでジョンの「代わりにクラプトン入れよう」発言や「ジョージの楽器を山分けしよう」といった発言が出るが、これはジョンお得意の茶化しで、内心はかなりショックそうな様子。ジョンはこの一月ほど前にストーンズの『ロックンロールサーカス』にダーティーマックでクラプトンと共演したり、この後プラスチックオノバンドにクラプトンを迎えるわけだが、本気でクラプトンをビートルズに入れようとは思ってないだろう。どちらかというとジョージがしきりにクラプトンクラプトン言ってたから出たクラプトン発言だったんじゃなかろうか。

エンディングはジョージの〝Isn't It a Pity〟をバックに3人を遠くから撮った映像が流れるが、リンゴがポールの腕を抱きなだめるように何かを囁き、そこにジョンが来て2人の背中に手を回す。3人はそれぞれにすがるように頭を寄せ合い何かを話している。そして

3人はジョージと会って復帰を説得しようと決める

とテロップが流れて第1話は終わる。

いやー青春ですよ。

終わり

前回からだらだら長々とすみません。いやね、ビートルズ崩壊の物語であることは『Let it Be』とやっぱり変わらないんだけど『Get Back』は青春映画として観れる、そんな感じです!

あの天下のビートルズを、あんなに憧れたビートルズをバンドあるあるだなぁと少し引いたところから観てしまってる自分にショックを覚えつつも、最後15分は泣けましたね。ポールの表情がいいんですよ、今にも泣き出しそうで。頑張ってるよポール、よくやってるよ!

第2話はジョージ復帰してアップルに移動し、ビリープレストンの参加でかなり明るくなるようなので楽しみだ!ただ中々観る時間がない!ビートルズとインドも観ないとだし、『シャン・チー』も『エターナルズ』も『ホークアイ』も観ないとだし…笑

では!

kenjironius.hatenablog.com

Try Apple Music