さぁ1-1から1-4までに渡りCSN&Yの4人のルーツを辿って当初の目的が達成されたので、早々とウエストコーストから脱出したいのだが、もう少しだけ。現在図はここまで。
(拡大したらぼやけるな…)
デヴィッド・ゲフィンという男
がいる。彼はマネージャーであり、CSN&Yを世に送り出した人物だ。そんな彼が70年にジャクソンブラウンをデビューさせるためにあらゆるレコード会社を訪ねるが断られ、中々デビュー先が決まらない時に、アトランティックレコードのアーメットアーティガンに「いや、自分でレーベル持てばいいじゃない」と言われたことからアトランティックレコードの出資の元、71年に「アサイラム・レコード」を設立。
アサイラムレコードはまさにウエストコーストなレーベルで、ジャクソンブラウン、イーグルス、リンダロンシュタット、J.Dサウザー、ジョニミッチェル(名盤とされる「Blue」の後から)などウエストコーストを代表するミュージシャンのレコードをリリースしている。
ゲフィンは80年にはゲフィン・レコードを設立。ジョン・レノンの遺作である『ダブル・ファンタジー』を送り出し、エルトン・ジョンやエアロスミスといった大御所を他社から引き抜くと共に、ニルヴァーナ、ガンズ・アンド・ローゼズ、ベックといった若手をブレイクさせた。
さらにゲフィンフィルムを旗揚げし、映画を送り出したり、スピルバーグと映画会社「ドリームワークスSKG」を設立したり、なんとブロードウェイミュージカル「キャッツ」のプロデューサーの1人でもあるらしい。
そんな経営者として偉業を成し遂げるデヴィッドゲフィンの最初のレーベル、アサイラムレコードの記念すべき第1弾アーティストがJudee Sillという女性だった。 ここからゲフィンの快進撃が始まったのだ。
1-5 ウエストコーストに散った花 Judee Sill
ジャクソンブラウン、イーグルス、J.D.サウザー、などのカントリー系やシンガーソングライターを抱えていたことで有名なアサイラムレコードがリリースした記念すべき1枚目がjudee sillの1stアルバムである。
そんな彼女の音楽は簡単に言えばバッハおよび教会音楽とフォークの融合であり、唯一無二の世界観を持った神秘的なものである。彼女は35歳で薬物の過剰摂取で死んでしまうのだが、まずは彼女のバイオグラフィーみたいなものから。
ジュディ・シルの人生
彼女の人生は悲惨なもので、ロサンゼルス生まれの彼女は幼少期に父と兄を事故で亡くし、母親が「トムとジェリー」のアニメーターと再婚してから人生が変わってしまう。アルコール中毒の義父に暴力を奮われ、家出、ヘロイン中毒、強盗と10代にしてかなりヘビーな道へと進むことになる。そして当然逮捕され、感化院で矯正プログラムを受けることになる。その施設の教会で教会音楽とオルガンに出会いゴスペルのコード奏法を学んだのが始まり。退院後はコンテストで優勝するなど音楽的才能が開花し、やっと素敵な人生が始まるのかと思いきや再びヘロイン中毒になり逮捕。
そしてやっとヘロイン中毒を克服しオルガンのみならずピアノ、ギターを習得した彼女は生まれ故郷の西海岸に戻り、タートルズに加入することになるジム・ポンズと出会う。この出会いからタートルズは彼女の楽曲「lady-O」をレコーディングした。タートルズは「Happy Together」などのヒットですでに人気のあったので、これがジュディシルの名を世間に知らしめる第一歩となる。 69年のことである。
しかしタートルズはその後すぐに解散してしまい、ジュディの成功への道は振り出しに。
そんな時にジャクソン・ブラウンをデビューさせようとアサイラムレコードを設立する準備をしていたデヴィッド・ゲフィンに目をつけられデビューが決まった。
デヴィッドゲフィンはジュディシルを第2のジョニミッチェルにしたかったらしく、プロデューサーはジョニと同じヘンリー・ルーイーを起用した。さらにデヴィッドクロスビーとグラハムナッシュがCSN&Y解散後、デュオで活動していたCrosby & Nashのツアーの前座とサポートミュージシャンとしてジュディシルを送り込んだ。ちなみにクロスビーとナッシュは二人ともジョニの元恋人である。
結果的にジャクソンブラウンや同時期にデビューの準備をしていたJ.D サウザーよりも一足早くアサイラムレコードの記念すべき第1枚目としてジュディシルの「judee sill」は世に送り出された。1971年のことである。
Judee sill/judee sill(1971)
この1stアルバムは冒頭のギターとオーボエが美しいフォークソング「crayon angles」から始まりタートルズに提供した「lady-O」のセルフカバーや当時恋仲であったJ.D サウザーに歌ったと言われる「jesus was a crossmaker」が収録され、セールスには結びつかなかったが評論家には称賛されるフォークと宗教音楽を見事に融合させた美しい作品であった。彼女はバッハからの影響の他にレイ・チャールズの名を挙げており、その影響下にあるピアノプレイも少し聞くことができる。
シングルとしても発売されたjesus was a crossmakerはグラハムナッシュによるプロデュースである。皮肉なことにこの曲をナッシュ脱退後のホリーズが後にカバーしている(あんまし良くない)。
完璧主義者であるジュディシルはたっぷりと時間をかけて73年に彼女の独特の世界観をさらに深めた2nd「Heart Food」をリリースする。
Heart food /judee sill(1973)
Side one
1.There's a Rugged Road
2.The Kiss
3.The Pearl
4.Down Where the Valleys Are Low
5.The Vigilante
Side two
6.Soldier of the Heart
7.The Phoenix
8.When The Bridegroom Comes
9.The Donor
73年発表の2ndアルバムである「Heart food」はさらに信仰深く光に満ち溢れたものに仕上がった。あとはリリースを待つのみであったがジュディがインタビューでデヴィッドゲフィンがホモであることを暴露してしまうという事件が起き、それに憤慨したデヴィッドにHeart foodのプロモーションを一切行わないという仕打ちをされ1stよりも売れないという結果になった。
この後結局ゲフィンの機嫌は直らずアサイラムとの契約は打ち切られることとなる。
不運にも、というか「ホモ事件」は自分が招いたものであるが、悪いことは重なり彼女は交通事故にあってしまう。この痛みから解放されるために再びヘロイン中毒になり、79年に35歳という若さでオーバードーズで他界。
judee sillの再発掘
ご覧の通り彼女の人生は悲惨なものであった。だからこそキリスト教とその宗教音楽に救いと安らぎを求めたのだろう。この憧れこそがジュディシルであると思うのだ。全うな純粋な教徒では作り出せない世界観なのかもしれない。憧れという力はすさまじい。
Judee sillが当時注目を浴びなかったのにはいくつかの理由があり、まず当時の女性シンガーソングライターにはもっと華があった。僕はジュディの神秘的な雰囲気が大好きなのだが。さらに70年前後の若者はラブ&ピースの時代から個人主義の時代への移り変わりの時期であり、そこにキリスト教はマッチングしなかった。
そんな感じであまり認知されていなかった彼女が注目を浴びるのは死後20数年後、2000年代になってからでありXTCのアンディ・パートリッジやジムオルークが称賛したことがきっかけである。それから3rdアルバム用に録音されたデモ音源などを集めた幻のアルバム「Dreams Come True」やライブ音源などが発売され、今ではかなりの人気者である。この人気をジュディにどうにか知らしてあげたいものだ。
ジムオルークはソニックユースに「道楽」というパートで参加していたことでも知られる。
ジムオルークはDreams Come Trueのミックスを手がけ、アンディパートリッジは「この世で最も美しい曲」とHeart food収録の「the kiss」を絶賛した。ジュディのピアノ弾き語りにストリングスが絡む美しい曲だ。この曲はyou tubeにライブ映像も残っているので是非一度。
とにかく2ndがすごい
1st「judee sill」は優しいフォークサウンドを宗教音楽の光で包みあげたようなソフトな気持ちいい仕上がりになっていたが、2nd「Heart food」は暗い。暗いが故に光が強い。そんな印象だ。ピアノやギターが冷たく響き、そこに救いの光が痛いくらいに降り注ぐ。すると美しい世界が具現化される。
1stはグラハムナッシュなどの助けがあり作り上げたアルバムであったが、Heart foodではなんとコーラスからオーケストレーションまで全てのアレンジを一人で行っている。
このアレンジを一人で?と仰天してしまうのが僕に雷のような衝撃と感動を与えてくれたHeart foodのラスト曲「donor」という曲である。とにかくコーラスの重なりがものすごい塊になって押し寄せてくる。神聖過ぎるものは恐怖に近いものを感じる、と思わされる曲で、正直怖い。すさまじい緊迫感を最後までキープし続け、しかし聞いていてしんどくはない、むしろ安らぐ。言葉で説明するのは正直難しい。言葉で説明できないものが感動となるのだから。
アンディパートリッジはハートフードのCDリイシューのライナーでこんなことを言っている。
「『ハート・フード』を聴くと、今でもぼくを完膚なきまでに幸福に破壊してくれる。音楽のハードルを上げてくれた彼女がぼくは大好きだ。ソングライターとして、ぼくが決して越えることのできない高さにハードルを上げた彼女が大嫌いだ。」
素晴らしい音楽に感動する反面、これを聞かされておれはどんな音楽を作ればいいのだ。という絶望的な気持ちにさせられるのはほんとによくわかる。
それくらいすごい作品なので、ジュディシルの1st,2ndは是非一度聞いてもらいたい。
女性シンガーソングライターの最高峰だと思う。
図はここまで。
次回はCSN&Yから広げていったアメリカ西海岸から抜け出し、イギリスのほうへ行こうかと。