ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

正しい歴史とは何処に〜〝Hey Joe〟問題〜

ちょと雑記をば。

 

ディスクユニオン大阪店に行ってきた!

2015年、5年前に大阪にディスクユニオンがやってきた。関東、主に東京の中古レコード/CDチェーンであるディスクユニオンがついに大阪に進出してきてくれたのだ。

 

神戸にも「りずむぼっくす」という中古レコード/CDチェーンがありかなり世話になってきたがディスクユニオンと比べるとやはり規模は小さい。関東圏以外の人でディスクユニオンに憧れを抱いていた人は僕以外にも少なくないんじゃなかろうか。

ディスクユニオンのオンラインサービスもかなり利用したが、やはり中古レコード/CDというのは店で屈伸運動を繰り返しながら掘り探すのが醍醐味で、兵庫県尼崎市にて生まれ育った僕は本当に数えるほどしか東京に行ったことがないが、結婚式やら友人の引っ越しの手伝いやら自らのバンドの遠征やらで行く際にディスクユニオンを巡り、新宿店、渋谷店、お茶の水店、池袋店辺りを何度か訪れたことがある。

 

そんなわけで大阪にディスクユニオンができる情報が入ってきた時は大興奮であったが、実際にオープンした2015年当時は中古CDに対する熱が少し冷めており(多分レコードプレーヤー壊れたと同時にApple Music始まったんじゃねーかな?あと金欠…はずっとか。)、なんとまぁこの2020年になるまで1度もディスクユニオン大阪店に訪れてなかったのだ。

 

それで先月やっとディスクユニオン大阪店に初めて行ってきた。店舗はそんなに大きくはないがやっぱり楽しい。ひとまずレコードを漁りまくったがめぼしいものは見当たらず、次にCDコーナーに行き何枚かのCDを買って帰った。フリーデザインの1st,ニックドレイクの2nd,ディノ・ヴァレンテのソロだったかな。全部700円ほど、安い!

 

さて、僕とディスクユニオンの話は置いておいて、今回書きたいのはここから。その買ったディノ・ヴァレンテの68年ソロアルバムの95年世界初再発CDのライナーノーツの内容に驚かされた話だ。

 

ディノ・ヴァレンテ

ディノ・ヴァレンテはシスコサイケの代表格Quicksilver Messenger Serviceのメンバーとして知られる男である。

60年代初頭はフォークの聖地ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで活動し(ディランやフレッドニール、カレン・ダルトンなんかとも交流があったとか)、60年代半ばに西海岸へ移りQuicksilver Messenger Serviceを結成するがデビュー前にマリファナ所持で収監。ディノ不在でQuicksilver Messenger Serviceはデビューしスタートを切ってしまったのでディノは釈放後に合流出来ずソロ活動、68年「ディノ・ヴァレンテ」というアシッドなソロアルバムをリリースした後70年にようやくQuicksilver Messenger Serviceに合流した。

というのが簡単なプロフィールである。このブログでも以前Quicksilver Messenger Serviceの回で軽く触れた。

↓↓

アンダーグラウンドのディラン》と称賛されるアシッドなソロアルバムやQuicksilver Messenger Serviceに合流してからの名盤70年「Just For Love」などでの活躍もめざましいが、やはり1番の功績は64年のキングストントリオを皮切りにジェファーソン・エアプレイン、ヤング・ブラッズ、デイヴ・クラーク・ファイブらがカバーしたフォークアンセム〝Get Together〟を作曲したことだろう。作曲したのは西海岸へ移った63年か、64年ごろらしいが、後にマリファナ所持で収監された際の弁護費用を調達するために〝Get Together〟の出版権をキングストントリオのマネージャーに売り渡したという話もある。

ディノ・ヴァレンテは様々な名前を使って音楽活動を行った。〝Get Together〟の作曲クレジットとしてはチェット・パワーズという本名を、Quicksilver Messenger Serviceや68年ソロアルバムではディノ・ヴァレンテ(Dino Valente)、もしくはディノ・ヴァレンティ(Dino Valenti)を、他にもジャッキー・パワーズジェシー・オリス・ファロウなんて名も使ってたようだ。

 

さて、この度手にした68年「ディノヴァレンテ」の95年再発CDのライナーノーツには驚くべきことが書かれていた。ライターは中川五郎なる人物。

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(ディノ・ヴァレンテは)70年代にはQuicksilver Messenger Serviceのボーカリストとして有名でそれ以前の60年代は〝Get Together〟〝Hey Joe〟の作曲者として知られていた。

ん?

ディノは〝Get Together〟をチェット・パワーズという本名で発表してるしー〝Hey Joe〟の場合はビリー・ロバーツという名前でクレジットされている。

んん?

 

これは衝撃的だ!

 

〝Hey Joe〟問題

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〝Hey Joe〟は何百ものカバーバージョンが存在すると言われるロックのスタンダード曲だ。作曲者はビリー・ロバーツ。一般的に1番有名なのは66年ジミ・ヘンドリックスのデビューシングルだろうか。

最初にレコーディングしたのが65年The Leavesによるガレージサイケなバージョンで、Loveミュージック・マシーンThe Byrdsなんかもこぞってカバーした。

スローバージョンでカバーしたのが66年のティム・ローズでそのバージョンでジミヘンがカバー、ディープ・パープルも68年デビューアルバムでカバーしている。ま、とにかくロックスタンダードだ。

その作者であるビリー・ロバーツとディノ・ヴァレンテが同一人物であるというのだ。

 

実はそういう噂もある、という話は聞いたことがあった。現にいくつかのバージョンのクレジットにはチェット・パワーズの名が使われていたらしい。

 

結論から言うと、ビリー・ロバーツとディノ・ヴァレンテは別人である(多分、いやほぼ間違いなく)。ビリー・ロバーツという人物の存在は確認されているし、70年代にはアルバムをリリースしている。61年か62年かの〝Hey Joe〟のデモバージョン(シャッフルのやつ)もYouTubeで聴いたことがある。ビリーロバーツの恋人の曲をモチーフにビリーロバーツが62年に〝Hey Joe〟を作ったというところまで今では明らかにされている。やはりQuicksilver Messenger Serviceの回でも書いたように、ビリー・ロバーツが作曲しそれをディノヴァレンテとデヴィッド・クロスビーが広めるのを手伝った、というのが正しそうだ。

 

僕が衝撃を受けたのはつまり、〝Hey Joe〟の作曲者を巡る新事実にではなく、ライナーノーツに嘘が書いてあることだ。これはこのライナーノーツを書いた中川五郎を非難してるわけではなくて、それほど僕はライナーノーツを信頼していたということ。

今やネットにはいくらでも情報がある。嘘かホントかわからぬ情報が山ほど。wikiは誰でも編集できるから信頼しすぎないほうがいいとか、素人が書いた記事を鵜呑みにしすぎてはいけないとか、ある程度慎重になりながらロック史を受け取ってきた。

僕にとってネットが非公式な情報なら、ライナーノーツや雑誌は公式情報だった。それらを照らし合わせながら正しい歴史というものを知ったようなつもりでいたのだ。

よく歴史の教科書が訂正されることがある、近年になって明らかにされることは当然たくさんあるからだ。そう、公式情報=正しい歴史ではない。中川五郎というライターはこの再発盤の95年当時でいうとかなり最先端の情報を持っていたに違いないが、それでもやっぱり間違いはある。おいおいおいおい、今まで読んできたライナーノーツ全て馬鹿正直に鵜呑みにしてきたぞ。これはショックだ。怖くなった。

 

このライナーノーツには他にも確認できる間違いがある。〝Get Together〟の作曲時期についてだ。この曲を初めてリリースしたのがキングストントリオの64年であるから作曲はそれ以前なのは当然間違いないのだが、このライナーノーツでは『ディノがマリファナ所持で収監され、釈放された後のモラトリアム期間』とされている。キングストントリオ、知らなかったのだろうか。

 

最後に、面白いのがこのライナーノーツは1994年11月29日に書かれているんだけど中川氏は

いったいディノヴァレンテは今どこでどうしているのやら?

と疑問を投げかけてライナーノーツを締めくくっているが、なんとまぁディノ・ヴァレンテは1994年11月16日に死んでいるのだ。中川氏がこのライナーノーツを書くほんの13日前にディノは死んでたのだ。

正直中川氏の怠慢なのか94年時の情報ネットワークの弱さからなのかわからないが、とにかくライナーノーツは絶対に正しいというわけではないということをこの度思い知った。

 

正しい歴史とは何処に?

過去というのは実体がなく、非常に曖昧なものだ。記憶や記録や痕跡を頼りにやっと過去が〝存在していた〟ことを立証できる。その記憶や記録や痕跡すら『世界5分前仮説』の前では無力と化す。それほどに過去というものは曖昧なものなんだけど、その話は置いておいて…

今やネット上に誰でも〝記録〟を残せる時代だ。それは間違った〝記録〟が拡散して過去が歪んでしまう危険性もあるし、無数の〝記録〟を統合していくことで過去が導き出されてもいく。何か一つの過去の事実を100人の人が目撃したとして、その100人の証言を統合していけば正しい事実が見えてくる、そういうものだ。怖いのは目撃者が少数の場合にその少数の〝記録〟が拡散し多数の〝記録〟になってしまうことだろう。

 

ディノヴァレンテ=ビリーロバーツだとする記事はネット上でもいくつか見た。おそらくその間違った情報の出所は今僕が手にしているのと同じライナーノーツだろうか。僕と同じようにライナーノーツを〝公式記録〟だと思い込んでいた人はたくさんいるんだろう。でもよく考えれば公文書さえ偽造されるような世界だ、文書というのは頼りない記録である。

こうなってくると正しい歴史なんてもんはどこにもないんじゃないかって僕はノイローゼになりそうになるんだけど、人間ってのはすごいもんで写真や映像や音源という記録技術を生み出してて。そう、ここに音源がある!これだけが真に正しい歴史だ!なんてディノ・ヴァレンテの歌を聴きながら心を落ち着かせている。もはや写真や映像や音源も加工できてしまうという事実には目を瞑っておこう…

 

えと、何が言いたいんだっけな。

とりあえず嘘を拡散することになろうとも僕はこのブログでロック史を紡いでいくこと!結局は音源のみが真実であること!そして自分がレコーディングする時はなるべく加工しないでおこうということ(3日前レコーディングしてきました)!自分の人生はなるたけ記録していくこと(正確に)!

 

以上、世迷い言でした。

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