ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

6-15 アメリカにおける《バロックポップ》の範囲(第100話)

ロック史シリーズ再開(図はひとまず断念)

R&R以前、1920〜50年代のアメリカポピュラー音楽《グレート・アメリカン・ソングブック(アメリカン・スタンダード)》とソフトロックの関係を書こうと思い、手始めにニルソンについて書き始めたのが今年の3月。図の作成に挫折したこともあり、ニルソンについて4回にわたり書いたところで止まってしまってました。

図を絡めてロック史を振り返るのがこのブログの大きなテーマで、99話まで書いたところで止まってしまっていたわけで。半年以上放ったらかして、雑記やらクリムゾンのライブレポやら書いていたわけですが、再び再開します!記念すべき100話、ここ以降はひとまず図を捨てます。笑

バロック・ポップ》

バロックポップ》とは簡単に言えばバロック音楽(1600〜1750年ごろ)的要素を取り入れたロックミュージック。バロック特有の対位法的なアンサンブルだったり、バロック時代に使われた楽器(ハープシコードオーボエやホルン、もちろんストリングスも)を導入したものだ。ビートルズは65年〝Yesterday〟でストリングスカルテットを導入し、〝In My Life〟ではハープシコード(っぽい音色)で「パッヘルベルのカノン」を崩したソロを。66年〝Eleanor Rigby〟バロックポップの代表的な曲だろう。まぁ完全にジョージマーティンが持ち込んだエッセンスだ。

これらビートルズの楽曲に続いて、プロコルハルム〝青い影(67年)ゾンビーズ『Odessey and Oracle(68年)』を筆頭に60年代半ば〜末にかけて多くのバンドがバロック的要素を取り入れた楽曲を作り上げた。

ヨーロッパの伝統的なバロック音楽とロックを融合させた《バロックポップ》は非常にヨーロッパ的な音楽だと言えるだろう。

その影響はアメリカにも渡り、モンキーズタートルズも素晴らしきバロックポップを展開。マーゴ・ガーヤンはバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を引用し、バロックポップの完成系とも言える〝Someone I know〟を残した(R.I.P.マーゴガーヤン…)。

バロックポップ》はバロック音楽室内楽)のサイズ感と60'sミュージックのサイズ感の絶妙なマッチングが生んだものだったのかもしれない。70年代になり楽曲のサイズが大きくなっていくとバロックポップは身を潜め、今度は古典派以降(1750年〜)のクラシック音楽と融合していくこととなる(プログレッシブロックやメタル)。

『Pet Sounds』はバロックポップ?

バロックポップの代表作と言われるものの一つにビーチボーイズ66年『ペット・サウンズ』がある。ビーチボーイズは64年『All Summer Long』収録の〝I Get Around〟ですでにハープシコードを導入しており、そこからストリングスや管楽器も盛り込んでいくことからバロックポップの走りとも言われている。ブライアン・ウィルソンがクラシック畑のスタジオミュージシャンを多く起用し始めたのはやはりフィル・スペクターからの影響が大きく、元を辿ればフィルスペクターがバロックポップの生みの親という見方もできる。

だがしかし、フィルスペクターの作品群やビーチボーイズの楽曲はヨーロッパ的ではなく、アメリカ的だ。これは実のところヨーロッパのバロックポップ勢とはルーツが違うからなのではないかと僕は考えている。

アメリカにおける《バロックポップ》の範囲に疑問を感じ続けていた僕を納得させたのが《グレート・アメリカン・ソングブック》の存在だった。1920年代から50年代のR&R誕生までのアメリカ最初期のポピュラーミュージック群だ。それは主にティン・パン・アレーで作られたブロードウェイのためのミュージカル曲やハリウッドのミュージカル映画音楽やジャズ・スタンダードと呼ばれるものたちだ。

正直この辺には詳しくなく、把握できてないところがあるが、その成り立ちにはアメリカ初の大衆芸能「ミンストレルショー」、19世紀末のラグタイム、そして20世紀頭のジャズの誕生が関わっているようだ。加えてガーシュインの功績が極めて大きいとのこと。

ガーシュインアメリカポピュラーミュージックの生みの親と言われており、その功績はクラシックとジャズを融合させシンフォニック・ジャズを発明したことにあるよう。ヨーロッパ発祥のクラシックと黒人が生んだジャズを組み合わせたものがアメリカンポピュラーミュージックの芽吹きとなったわけだ。

そうして生まれた《グレートアメリカンソングブック》の曲達はもちろんストリングスや管楽器が多く使われたものになっている。40年代にはハープシコードバロック楽器も使われていたよう。

フィルスペクター及びブライアンウィルソンはこの最初期のアメリカポピュラーミュージックの流れを汲んでいたのではないか、と僕は考えている。そしてそれらを《バロックポップ》とまとめてしまうことに不安を感じているわけだ。

双方バロック音楽で使われた楽器を導入していても、バロック音楽の要素をロックに取り入れたものと古き良きアメリカ音楽のニュアンスを残したロックとでは区別するべきではないだろうか。

Wikipediaにも『ペットサウンズ』は《バロックポップ/チェンバーロック》と書かれているが、僕は言うなれば《アメリカンルーツポップ(もっと良い名称ないかしら)》だと思っている。とはいえブライアンウィルソンの対位法的アプローチは間違いなくバロック音楽からの影響なわけだし、ビートルズ『ラバーソウル』の影響も本人が公言してるわけだけど…

ホーンセクションとビッグバンドジャズ

それでも『ペットサウンズ』がバロックポップではないと思うのにはサックス、トランペット、トロンボーンホーン・セクションの存在が大きい。ビッグバンドジャズ(1910年代〜)に必要不可欠なセクションだ。これらの管楽器はヨーロッパで発明された楽器だが、特にサックスはクラシックとウマが合わず、アメリカに渡りジャズに受け入れられて広まった楽器である。ビーチボーイズにしてもニルソンにしてもホーン・セクションの存在が非常にアメリカらしい空気感を作り出しているように思う。繁栄、娯楽、20世紀頭のアメリカの雰囲気が漂っている。

アメリカンルーツミュージック

フィルスペクター、ブライアンウィルソンによるスタジオミュージシャンを使った緻密なスタジオワークは60年代後半のソフトロックへと繋がっていく。時代的にソフトロックはバロックポップを跨いでいたりするわけだが、それらもバロックポップではなく《アメリカンルーツポップ》と呼べるものであったりする。特に顕著なのが初期ニルソンやレニー・ワロンカー率いる「バーバンク・サウンドだろう。

69年になるとロックはルーツ化へと向かいブルース等南部音楽やカントリーミュージックへと回帰していく。これはロックのルーツとなったR&R、R&Bのそのさらにルーツとなった原点へと立ち返る動きであった。ザ・バンドCCRやスワンプロック勢の動きだ。それに対してほぼ同時期に初期ニルソンやバーバンクサウンドがしたのは「ポピュラーミュージックのルーツへの回帰」と言えるだろう。どちらもアメリカらしさを取り戻す動きであるが、ブルースはもはや英米共通のルーツと呼んでもいいものであり、実はアメリカらしさという意味では後者の方が強いのではないだろうか。

アメリカらしさ

僕はブリティッシュロックとアメリカンロックならブリティッシュロックの方が好きだ、というスタンスを長年とってきた。イギリスは繊細でシニカル、アメリカは大味でマッチョ、そんな先入観が長らく抜けなかったような気がする。

もちろんアメリカンロックにも繊細なものがたくさんあるが、それはブリティッシュロックの影響下にあるものだと思っていた。アメリカンロックの中でも一際繊細なソフトロックというジャンルはイギリス色が強いものだと思い込んでいたのだ。確かにビートルズ等ブリティッシュポップの影響は大きく、ボサノヴァ等当時流行していた音楽も取り入れている。しかしそれらに加えてアメリカポピュラー音楽の出発点である《グレートアメリカンソングブック》の要素を多く含んでいることに最近ようやく気付くことができた。これは英ロックには見られない要素であり、ソフトロックは非常にアメリカらしい音楽であると言えるだろう。

特にそのアメリカらしさ、古き良きアメリカポピュラー音楽を踏襲しているものとしてニルソンを前回書いたわけだ。次回からはレニー・ワロンカー率いる「バーバンクサウンド」、その要だったランディ・ニューマンヴァン・ダイク・パークスへと進んでいこうかと!

では!

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