ヒッピーアート集団The Fool
関連関連を辿って図を広げながらのロックの旅はCSN&Yからの繋がりを第1章として始めたんだけど、中々ウエストコーストから抜け出せず、飽きてきたこともあり一度締めて別の方角へ。
CSN&Yのグラハムナッシュが在籍していたThe Holliesの回でちらっとでてきたThe Foolというアート集団、サイケデリックムーブメントの中でカラフルに輝きサイケデリックの終焉と共に消えていった彼らから第2章を始めようと思う。
現在の全体図のここ。
シーモン・ポシュマとマーレイケ・コーガーというオランダ人カップル、バリー・フィンチとヨースエという英国人とオランダ人のカップル、この2カップル、4人で形成されていたヒッピーアート集団The Fool。
ビートルズが設立した会社「アップルコア」の事業の1つであった「アップルブティック」のデザイナーとして起用されたことや、後期ビートルズの衣装のいくつかを手がけたことで有名なフールだが他にもホリーズ、インクレディブルストリングバンド、The Moveのジャケットデザイン、プロコルハルムのステージ衣装、クリームのステージ衣装と楽器ペイントなど名だたるバンドと仕事をしている。
ホリーズのジャケットを手がけた縁もあり68年にはグラハムナッシュプロデュースでアルバム「The Fool」を発表し、ミュージシャンとしてもデビューしている。
The Fool/The Fool(1968)
(もちろんジャケットデザインは自らが)
これがまた極上のアシッドフォークであり曲の完成度、楽器演奏レベルがかなり高い。とはいえデザイナーである4人に音楽的素養がどれほどあったのかは疑わしいところで実際にはプロデューサーのグラハムナッシュ始め、プロのミュージシャンがかなり手伝ってるはず。それでももちろん4人の男女混成カルテットもこのアルバムにおいて重要な点であり、いかにもヒッピーな雰囲気を演出している。後のインクレディブルストリングバンドに影響与えたんじゃないかってくらい。
まぁ売れ行きは散々なものでグループは解散。バリーフィンチとヨースエは結婚してオランダに帰ってしまった。
元々オランダから流れ流れてロンドンへ辿り着いたシーモンとマーレイケは2人で再び放浪の旅にでる(2人は72年に再びグラハムナッシュプロデュースで「The Son Of America」というデュオ作品をリリース、ごめんなさいこれ聞いてない)。
そんなThe Foolがジャケットを手がけた3枚のアルバムから繋げていこうかと思う。
2-1 The Foolがジャケットを手がけたカラフルな3枚
ホリーズの67年「Evolution」
このアルバムに関しては第1章で紹介したので省略。
The Incredible String Bandの67年2nd「The 5000 Spirits or the Layers of the Onion」
「5000の魂、もしくは玉ねぎの層」という訳の分からんタイトルの名盤。ジャケットは正にフールなカラフルサイケ!
インクレディブルストリングバンドという長いグループ名の彼らは英国を代表するアシッドフォークバンドである。僕も大好きなバンド。この2ndと次の「The Hangman's Beautiful Daughter」が特にお気に入りだが、このアルバムでは5曲目のLittle Cloudが可愛くて好き。
アシッドフォークってのはサイケデリックフォークと同意義であるがサイケデリックフォークって言いかたはほとんどされることはなくて、何故かフォークの場合は「アシッド」フォークと呼ばれるんだな。
ほぼマイク・ヘロンとロビン・ウィリアムスという2人のデュオと認識してもらって構わないだろう(後に2人の恋人が加入して男女混成カルテットとなるがそれも素敵)。
とにかくヘロヘロとにかく自由という印象の彼らだが「incredible string」というだけあって驚くべきギターを中心とした弦楽器をプレイし聞き手を飽きさせない(所謂バカテクとかではないので注意)。
彼らを発掘したのが英国フォーク界の重要人物ジョー・ボイドというプロデューサーである。
このジョーボイドから英フォークへ広がっていこうと思うが、ひとまずフールがジャケットを手がけたもう一枚を。
The Moveの68年1st「Move」
まさにサイケデリックという渦巻きのジャケットでデビューしたムーブは「Electric Light Orchestra(通称ELO)」の前身バンドとしても有名なブリティッシュサイケバンド。
ギターボーカルでありソングライターであるロイウッドの天才的なポップセンスとサイケデリックなアレンジで英国のサイケムーブメントを支えた。1stアルバムからは「Flower in the rain」や「Fire Brigade」がヒットし、同年68年のシングル「Blackberry Way」は全英1位を取った。
70年、3rd「Looking On」からジェフ・リンが加入し、プログレッシブな要素も加わり後期ビートルズ的な作風になる。
ムーブとしては最後のスタジオアルバムである4th「Message from the Country」の頃にはメンバーはロイウッド、ベブベヴァン、ジェフリンの3名になりムーブと「Electric Light Orchestra」と2つのバンド名を使い分けて活動するようになり、ELOの1stアルバムをリリースして再デビューしてからはムーブの名は消えていく。
ELOはメンバーにバイオリン1人とチェロ2人を加えたストリングスとロックの融合を果たした偉大なバンドである。ジェフリンのメロディセンスが爆発し、1970年代の米国で最も多くの(ビルボード40位以内の)ヒット曲を放った。
ストリングスとロックの融合というのは後期ビートルズでよく見られ、もしビートルズが70年代に活動を続けていたら……がまさにELOだと僕は思っている。
ELOについてはまた次回しっかり書くつもり。このELOからどんどん繋げていこうと思う。
インクレディブルストリングスバンドから英フォーク界隈へ、ムーブからELO、そして英ロック界隈へ。
第2章はThe Foolがジャケットを手がけた3枚の内、すでに紹介したホリーズを除く2枚から広げていこうかと。