ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

8-4 The West Coast Pop Art Experimental Band〜西海岸大衆芸術実験楽団〜

Strawber Alarm Clockと並べてLAサイケ代表だと思ってるのがThe West Coast Pop Art Experimental Band(WCPAEB)である。これが一般的な意見であるかどうかは実は自信がなくて、恐らくは2バンドともバンド名が長いことから何となく僕の中でセットになってしまったんだろう(LAソフトサイケにはLoveだっているわけだから)。

The West Coast Pop Art Experimental Bandという長ったらしくも非常に直接的なこのバンド名に対しては意見が分かれるところだろうが、名前通り《ポップでアートで実験的》な素晴らしいバンドである。しかし《ポップでアートで実験的》って、一言で言えば《サイケ》ってことなんです。なわけで、WCPAEBを【ポップアートエクスペリメンタルロック】とジャンル分けする人なんていなくて、【サイケロック/ソフトサイケ】にしっかり分類されるわけだ。

 

WCPAEBは66年〜70年までに6枚のアルバムをリリースし、その内の2nd〜4thがソフトサイケの名作と呼べるものだと思っている。さらにマイケル・ロイド(ギター、キーボード)が67年〜68年辺りに別プロジェクトであるOctober CountryThe Smokeで残した作品も非常にお気に入りのLAソフトサイケ。

その辺を踏まえてWCPAEB及びその関連について書いてみようと思う。

 

8-4 The West Coast Pop Art Experimental Band〜西海岸大衆芸術実験楽団〜

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マイケル・ロイド(ギター、キーボード)とショーン・ハリス(ベース)、ダニー・ハリス(ギター)のハリス兄弟によって活動していたLaughing Windというフォークロックバンドにボブ・マークリーが加わる形で65年にロサンゼルスにて結成。

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まずWCPAEBを語る上でこの結成の話、というかボブ・マークリーという男について触れておかなければならないだろう。

 

石油王の息子ボブ・マークリー

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とにかくWCPAEBに関する記事でボブ・マークリーのことを良く書いてある記事を見たことがない。

彼は1935年生まれであり石油王の息子(養子)であり弁護士免許も持っている、という超がつくほどのボンボンである。

60年ごろにロサンゼルスの高級マンションに移り住みシンガーとしてシングルデビューするが失敗。その後自らのレーベルを持ちいくつかのミュージシャンをプロデュースした。

65年にマークリーは主催パーティーを開き、そこにはジャーナリストやDJ、そして若い女の子達が集まった。そのパーティーではバンドの生演奏もありアル・クーパーヤード・バーズが出演したらしい。マークリーは若い女の子達がバンド演奏に熱中するのを見て「おれもロックバンドやってモテたい!」と思い立つ。この時30歳である。

マークリーはキム・フォウリーという友人の紹介で当時17,18歳のLaughing Windと出会い、バンドへの加入を申し出る。フォークロックバンドLaughing Windとして既に活動していたマイケル・ロイドとハリス兄弟はマークリーの持つ多数の音楽機材や業界のコネを無視することはできず、マークリーをバンドに迎え入れる。

まぁ僕はバンドに歳の差なんて関係ないと思うが、問題はマークリーは〝何もできない〟ということであった。歌も楽器もダメ、詩もダメ、でもステージに上がりたい。結果他メンバーよりひと回り歳上の彼はまるでリズム感のないタンバリンをステージで叩いてるだけの人だった。

そんな哀れな男だがバンドの実権を握り、バンド名をWCPAEBに変更させ、ほぼ全てのオリジナルソングの詩を書くこととなる。Laughing Windのメンバーはひと回りも歳上の金持ちの男に逆らう術はなかった。

そしてドラムにジョン・ウェアを加えて66年にマークリーのローカルレーベルから1st「Volume One」でデビューする。

1st「Volume One」

このアルバムはディランやキンクスなどのカバー曲を中心としたバーズ風のフォークロックアルバムとなった。ディランの〝She Belongs to Me〟のカバーなどで実験的要素は垣間見ることができるがまだこの1stではLaughing Windの延長であると言えるだろう。

※ちなみにWCPAEB以前のLaughing Windやマークリーのソロなどは2011年にリリースされた「The West Coast Pop Art Experimental Band Companion」というコンピレーションアルバムで聴くことができる。

リリース後、バンドはフランク・ザッパやThe Seeds、ヤードバーズ、アイアンバタフライらと共にツアーを行った。バンドの音楽性は高く評価されたものの、マークリーのステージでのタンバリンパフォーマンスとステージ外での振る舞いにはバンドメンバーもメディアも不満を感じたよう。しかしマークリーは持ち前のコネと交渉力でRepriseレコードとの契約に成功する(こーゆーとこは流石)。

そして67年にギタリストのロン・モーガンが加わり6人体制となって作られたソフトサイケ、いやロックの歴史的名盤となる2nd「Part One」をRepriseからリリースする。

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2nd「Part One」

サイケロックファンなら必需品クラスの名盤である2nd「Part One」

※1stが「Volume One」で2ndが「Part One」…ややこしいがまぁ音楽性も変わりレーベルも変わったので心機一転ということでこれはよしとしてこの後の3rdが「Volume 2」で4thが「Volume 3」なのよね。なんでまた《Volume》に戻ったのか、1stが《One》とアルファベットなのに3rd,4thは何故数字なのか。シングルの選曲なんかもマークリーに全権限があったってほどなのでアルバム名もマークリーが決めたはず。うん、多分ボブ・マークリーってアホなのよね。

フランク・ザッパヴァン・ダイク・パークスの楽曲を含むが、非常にオリジナリティに溢れたアルバムである。それにしてもヴァン・ダイク・パークスはこの時期のワーナー関連に恐ろしいほど名前が出てくるな(Repriseはワーナー傘下)。

オリジナリルソングの作詞は全てマークリーが担当したが、不気味で実験的な音楽性とマッチングしないその稚拙な詩(若い女の子に向けた)がWCPAEBが売れなかった要因であると言われている。だが音楽は本当に洗練されたものであり素晴らしい。

1.〝Shifting Sand〟は60年代頭からマークリーのパートナーであるベイカー・ナイト作曲。心臓の鼓動のようなビートの2.〝I Won't Hurt You〟は1stに収録されたものの再録。この2曲は暗く不気味だが爽快で美しいというWCPAEBの真骨頂と言える世界観。どこかペンタングルが持つフォークの暗さと神聖さに似たような雰囲気があり、ドアーズの地べたにへばりついたような重さもあるが、スペーシーな浮遊感もある。すんごい。

3.〝1906〟4.〝Help I'm Rock〟ではマークリーのポエトリーリーディング(Spoken word)的なものが目立つ前衛的なサイケデリック。恐らくはマークリーの見せ場を作るためのものだろうが、こういったアヴァンギャルドな面がWCPAEBのフックとなっていて面白い。〝Help I'm Rock〟はフランクザッパ作でThe Mothers of Inventionの66年デビュー作Freak Out!」に収録されたものがオリジナルであるが、WCPAEBのバージョンも良い。

フォークロックな6.〝Transparent Day〟もあったりでまさに《ポップでアートで実験的》なものが程よく詰まったWCPAEBを象徴するアルバムであるだろう。

素晴らしきサイケデリアに到達したWCPAEBであったが、マイケル・ロイドはマークリーの独裁に嫌気が差して一時的にバンドを離れることになる。

マイケル・ロイドのソフトサイケ

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ロイドがWCPAEBに再び戻るのは69年5thアルバムであり、そのバンドを離れた間に彼が関わった作品がLAサイケの名作であるので紹介したい。特にロイド本人がほぼ全ての作曲と楽器と歌を担当したソロプロジェクトと呼べるThe Smokeは極上のソフトサイケである。

「Part One」でのオリジナルソングの作曲はほとんどダニー・ハリスが行っておりロイドはメインボーカルもとっていないが、アレンジ面で強い影響力を持っていたのは間違いなく、ロイドはWCPAEBを脱退するとアレンジャーやプロデューサーとしてその才能を使い始める。驚くべきはこの時期ロイドは18,19歳であることだ。もちろんロック史には若き天才は山ほどいるが、10代でプロデューサーとして活躍したという話はあまり聞いたことがない。

そんなマイケル・ロイドという男について、ここまでの話と重複する点もあるが簡単に。

 

ロイドは1948年ニューヨークで生まれた。13歳までに音楽理論と作曲のレッスンを受け、60年代頭にはロサンゼルスに移りthe New Dimensionsというバンドでサーフミュージックのレコーディングに参加、14,5歳である。the New Dimensionsには後にスリー・ドッグ・ナイトを結成するジミー・グリーンスプーンもいたらしい。

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この頃にロイドは後にMGMレコードの社長となるマイク・カーブ、プロデューサー兼ソングライターのキム・フォウリーと出会っている。

64年にハリス兄弟と出会いフォークロックバンドthe Roguesを結成した後Laughing Windに改名、フォウリーと共にデモテープを作成した。そして65年、フォウリーに紹介されたボンクラ御曹司ボブ・マークリーとWCPAEBを結成。ハリス兄弟らと共に唯一無二のサイケデリア、67年2nd「Part One」を作り上げた後WCPAEBを脱退。

同67年にキム・フォウリーの1stソロアルバム(未だCD化してないのよ…)にプロデュースと楽曲提供で関わる。フォウリーはライナーノーツにてロイドを『18歳のアレンジャーで自分のレコーディングスタジオを持ち、9の楽器を演奏するリードシンガーだ』と紹介している。

ロイドはマイク・カーブによって自由に使えるレコーディングスタジオを与えられ、68年にThe Smokeというほぼソロプロジェクトバンドでアルバムを1枚残した。

The Smoke

これが大傑作。僕がこのブログで今まで紹介してきたアルバムの中でも10本の指に入るくらいお気に入り。

バンドというよりスタジオプロジェクトというべきものであり、ミレニウム等《ソフトロック》勢と同じような構造である。ソフトロック、ソフトサイケ、バロックポップと呼べる音楽性でロイドの才能が全て詰まったアルバムだ。これが作曲からほぼ全ての楽器、ストリングスやホーンアレンジまで19歳の若者がやってるってのよ…

1.〝Cowboys and Indiansを筆頭に名曲多数。僕は10.〝Umbrella〟が特に好き。ってかミドルテンポの4分強調のシャッフル曲が好きなんだわ多分。ビートルズ〝Your Mother Should Know〟とかタートルズ〝Happy Together〟とか…

とにかくThe Smokeの「The Smoke」は超絶オススメ!

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Fire Escape

Psychotic Reaction [Analog]

Psychotic Reaction [Analog]

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67年フォウリーとロイドによる共同プロデュースでリリースされたガレージサイケプロジェクトFire Escape「Psychotic Reaction」。これもバンドというよりプロジェクトであり、参加したミュージシャンに不明点が多いがThe Seedsスカイ・サクソンステッペン・ウルフ〝Born to be wildの作曲者として知られるマーズ・ボンファイアが参加したとの説がある。フォウリーが仲の良いミュージシャンを集めて半分お遊びでやったプロジェクトといった感じか。

キム・フォウリーという男は70年代にガールズバンドThe Runawaysを作り出したりKISSへの楽曲提供などで有名プロデューサー/ソングライターとなるが、この60年代末はサイケムーブメントにどっぷりであった。このアルバムに収録されている〝The Trip〟もフォウリーによるサイケデリックソングである。

Count Fiveによるタイトル曲、The SeedsMusic MachineTalk Talkなど、収録曲のほとんどがガレージロックのカバーであるが、ガレージサイケの重要なアイテムの一つである。

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St. John Green

St. John Green

St. John Green

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フォウリーとロイドの共同プロデュースでリリースされた68年LAサイケバンドSt. John Greenの唯一作「St. John Green」。フォウリーが数曲楽曲を提供していてフォウリーによるプロジェクト要素が大きく、ロイドはその補佐といった感じか。

フォウリーはSt. John Greenのベースボーカルで詩人あるエド・ビソを『ジム・モリソンやレオン・ラッセルと並ぶ天才』と評価し、バンドは『バニラファッジのようにタイトだ』と絶賛している。

カルトLAサイケの名盤で2014年にやっとCD化したとこ。

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October Country

ロイドは67年にオクトーバー・カントリーという、フォークロックバンドと出会いプロデュースすることとなった。唯一作「October Country」は全曲ロイド作曲で完全にロイド主導のプロジェクトとなった。タイトル曲〝October Country〟〝Cowboys an Indians〟はThe Smokeと重複するが、October Countryはフランサ兄妹(姉弟?)による男女混成ボーカルが特徴でありThe Smokeとは異なる魅力を持っている。サイケ要素は控えめで、フォークロックの延長のソフトロックという印象だが、〝October Country〟は初期のYesを感じさせるアートロック。

時系列的にはThe Smokeよりこっちのほうが先のようで(逆やと思ってた…)、ロイドはこのOctober Countryでの仕事を認められてThe Smokeプロジェクトを許された、という経緯のようだ。フォークロックファンにもソフトロックファンにもオススメの1枚。

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California Spectrum

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ロイド脱退後のWCPAEBは3rdアルバムをリリースした後、少しの間活動休止状態になっていた。原因はロイドの損失よりもリードギターで「Part One」でのメインの作曲者であったダニー・ハリスの鬱によるものが大きかったようだ。WCPAEBの休止の間、ダニーの兄であるショーン・ハリスはロイドとジミー・グリーンスプーンスリードッグナイト)と共にCalifornia Spectrumというプロジェクトで68年に2枚のシングルをリリースする。ほぼショーンのソロプロジェクトと捉えるのが正しそうだが、California Spectrumは元々ハリス兄弟がWCPAEBと並行して67年ごろからライブ活動をしていたという話もあるがイマイチ不明。

このCalifornia SpectrumのシングルはLaughing Windやマークリーのソロなどと共に2011年にリリースされた「The West Coast Pop Art Experimental Band Companion」というWCPAEB関連のものを集めたコンピレーションアルバムで聴くことができる。

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とまぁ67年と68年のロイドプロデュース関連はこんなとこだろうか。素晴らしい。

このロイド関連のレコードはほぼマイク・カーブが関わっているレーベルからリリースされており、69年にカーブがMGMレコードの社長に就任した際にはロイドは20歳にして副社長に任命されるなど、よほどカーブから信頼されていたようだ。

70年以降もプロデューサーとして活躍したようだがその辺は追っていないので、ロイドについてはここまでにしておいて、ロイドが脱退後のWCPAEBに少し触れておしまいにします。

 

ロイド脱退後のWCPAEB

ロイドが去った後のWCPAEBは67年に3rdアルバムとなる「Volume 2 (Breaking Through)」をリリース。

作曲ショーン・ハリス、作詞ボブ・マークリーでほぼ全曲が作られている。WCPAEB作品の中で最も実験性の強いアルバム。ボブ・マークリーによるボーカル曲(恐らく)が増え、特にA面はハーモニー皆無のヘヴィエクスペリメンタル。実験サイケ要素を引き立てるエフェクト音等はギターのロン・モーガンによるもので2ndに引き続き非常に重要な役割を担っている。だが実はまだこの3rd時はノンクレジットでの参加であり、次作4thから正式にメンバーとしてクレジットされることになる。ロン・モーガンは69年に解散間際のThe Electric Prunesに加入し、5thアルバムに参加したことでも知られる。

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ダニー・ハリスが病気のため脱退となり、マークリー、ショーン・ハリス、ロン・モーガンの3人となったWCPAEBはライブ活動をストップさせスタジオバンドとなる。

68年に4thアルバムとなる「Volume 3: A Child's Guide to Good and Evil 」をリリース。

3人編成となったが、サイケの追求は止まらずよくWCPAEBサイケの到達点と評されるアルバムである。前作はもはや《ポップでアートで実験的》というにはあまりにも実験的過ぎたが、今作で再び《ポップでアートで実験的》なWCPAEB独特の世界観に立ち返った印象。

一曲目〝Eighteen Is Over the Hill〟はソフトサイケを代表する名曲と言っても過言ではないだろう。「Part One」と並べて僕もお気に入りの1枚。

この素晴らしいジャケットを手掛けたのはジョン・ヴァン・ハマーズヴェルドというデザイナーであり、ビートルズ「マジカルミステリーツアー」ストーンズ「ならず者のメインストリート」などを手掛けた人物である。

こうしてRepriseレコードから契約であった3枚のアルバムをリリースしたWCPAEBだったが、セールス的には今一つであり契約更新とはいかなかった。WCPAEBはインディレーベルであるAmosレコードと契約し69年に5th「Where's My Daddy?」をリリース。ここで病気のため抜けていたダニー・ハリスと、2nd以降脱退していたマイケル・ロイドがカムバックする。

ダニーも病気から立ち直り、ロイドも武者修行を終えて最強のラインナップが復活したわけなんだけど、69年、やはりサイケデリックは終焉を迎える。ホームレスの少女を主人公にしたコンセプトアルバムであり、もちろん良いロックアルバムであるが、WCPAEBの独特なサイケデリックは聞くことはできない。〝Free as Bird〟は名曲。

70年にラストアルバムとなる「Markley, A Group」をマイク・カーブのForwardレコードからリリースするが、これは聞けてない。アルバム名からして少し不安なので…笑

終わり

WCPAEB関連についてはこんな感じ!

2nd「Part One」と4th「Volume 3」は素晴らしきソフトサイケ!3rd「Volume 2」はフランクザッパ並のエクスペリメンタルロック!

ロイドプロジェクトではThe Smokeは必聴(僕は正直WCPAEBより好き)!October Countryもオススメです!

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(LAサイケ周辺図)

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