ケンジロニウスの再生

ロック史を追いながら関連図を作成(関連図挫折中)

10-3 侮るなかれ1stアルバム「David Bowie」(第62話)

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前回は《10-2 デヴィッド・ボウイになるまで》ということでボウイの少年時代から本名Davy Jones期を含む下積み時代にリリースしたシングル6枚なんかを紹介がてら図を進めてみました。

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しかしながら65年に〈The Manish Boys〉名義でリリースされたボウイの生涯2枚目のシングル、〝I Pity the Fool〟について重要な繋がりを書き漏らしていた(全然知らなかった!)のでまずは前回の補足から。

〝I Pity the Fool〟はボビー・ブランド原曲のブルースソングのカバーであり、B面〝Take My Tip〟と合わせて後のボウイらしくはないが激しく荒々しいガレージ風なR&Bサウンドを聴くことができるが、このA面〝I Pity the Fool〟でギターソロを弾いてるのがセッションマン時代のジミー・ペイジだというのだ。

レッド・ツェッペリン結成前のジミー・ペイジは60年代半ばのイギリスロックにセッションマンとして山ほど顔を出しているが、これは知らなかった!66年にヤードバーズに加入する前ですね。

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さてさて、バンドとレーベルを次々と変えながらリリースした6枚のシングルがどれも失敗に終わった66年末にボウイは新たにデラム・レコードと契約し再び成功へのチャンスを得ることになる。今回はここから!

10-3 侮るなかれ1stアルバム「David Bowie」(第62話)

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結果から先に言っておくと、このデラムレコードからリリースした3枚のシングルと1stアルバムDavid Bowieも前回の6枚のシングルと同じく失敗に終わる。なわけで恐らくは一般的に(かつての僕も含めて)、このデラム期も下積み時代と思われがちだ。なんせこの後69年にフィリップスレコードからリリースされたボウイ初のヒット曲〝Space Oddity〟を含む2ndアルバムのリリース当初のタイトルが1stと同じくDavid Bowieであるのだ(後に「Space Oddity」となる)。ボウイサイドの真意はわからないが、ボウイ自身が1stアルバムを黒歴史とし、2ndアルバムを実質的1stアルバムだと見せたがっているように見えるのは仕方ないだろう。

そんなこともあってボウイの飛躍的な覚醒というのは67年1stリリース後から69年〝Space Oddity〟の間に起きたと信じられている。この時期のボウイに関する文のほとんどでは『彼の【ペルソナ】を打ち立てた時期』みたいなニュアンスで書かれている。

【ペルソナ】とは心理学者ユングが唱えた概念。【外的側面】のことでありボウイについての文章では度々使われる重要なワードである(【仮面】という意味もあるよう)。

その〝ペルソナを育てた〟要因として1番に挙げられるのが英国パントマイムの巨匠リンゼイ・ケンプとの出会いであると言われている。1stリリース後に出会い、彼のダンススクールに通い始めたことで〝表現力が拡張され〟演劇者ボウイに生まれ変わったというわけだ。

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リンゼイ・ケンプ

僕も長らくそう信じてきたが67年1stを聴きこんでいる内に人の歴史というのはそう単純には語れないということが見えてくる。それは押し寄せるカウンターカルチャーの影響なのか、加熱するロンドンアングラの影響なのか、はたまた突如ニューヨークに出現したThe Velvet Undergroundの影響なのか、明らかにすでにリンゼイ・ケンプに出会う前のこの1stの時点で覚醒は始まっているのだ。

だいたい僕はずっと67年〜68年をロックの全盛期だと豪語していたのに、何故ボウイに限っては〝下積み時代〟と認識してしまっていたんだろうか。しっかりとそこには他のバンドと同じようにフォークロックとサイケデリックバロックが詰められているのに!とにかく

侮るなかれ67年1stアルバム!!

 

あい、では66年末デラム移籍後から。

ボウイ、デラムレコードで再スタート!

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66年12月に通算7枚目となるシングル〝Rubber Band〟をリリース。明らかにここから後のボウイの持ち味となる演劇的で感情的な歌唱法が登場している。この時点ではリンゼイ・ケンプとの出会いは果たしてはいないが、ボウイはアンソニー・ニューリーの影響からシアトリカル(演劇的)なスタイルに目覚めたようだ。

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※アンソニー・ニューリーに関しては詳しくないが、イギリスの俳優兼歌手であり『007 ゴールドフィンガー(1964年)』の主題歌の作詞をしたことでも知られる人物であるよう。

スタイルも変化しており、ボウイはここまであくまでロックバンドの一員として活動していたが、デラムレコードは当時ボブ・ディランがイギリスで流行していたこともありシンガーソングライターとして売り出そうという動きになった。

〝Rubber Band〟はチューバをフィーチャーした曲でありエレキギターは身を潜める形に。徐々に加熱し感情的になっていくボウイの歌に合わせて演奏のアレンジもドラマチックに展開していくこの曲は《アート・ロック》の域に突入しているだろうし、音楽的にはバロックロック》と呼べるものになっている。

ボウイのデラム期のプロデューサーはブルース・ブレイカーズフリートウッド・マックテン・イヤーズ・アフターらギター主体のブルースロックのプロデュースで知られるマイク・ヴァーノンであるが、そんな彼がほぼギターレスのデラム期ボウイをプロデュースしているのも面白い。

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エレキギターは70年代前半のボウイにとって欠かせない楽器であるので、この時期のボウイに戸惑う人もいるかもしれないが音楽的には時代相応の《アート・ロック》であり、そこにシアトリカルな要素を絡めた独特さは評価されるべきものであると思う。当時評価されなかった理由は〝未熟〟だったからではなく〝独特〟だったから、という認識を持つべきだと思うのだ(再評価組のほとんどがそうであるように)。

 

続いて67年4月にシングル〝The Laughing Gnomeをリリース。

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こちらも斬新な曲で、テープに録音した声を高速回転させた甲高い奇妙な声とボウイの歌との対話形式で構成されており、〝笑いながら歌う〟という手法を使ったり、サイケデリックのエッセンスを取り込んだ怪曲である。ボウイファンの間では〝ボウイの1番酷い曲〟として扱われているらしいが、ボウイファン層ってのはサイケ免疫がないのか。確かにかなり挑戦的で特殊は特殊であるが、そんなに酷い曲ではない。

エフェクトを手掛けたエンジニアはガス・ダッジョン。ガス・ダッジョンは69年のシングル〝Space Oddity〟のプロデューサーとして成功し、70年代はエルトン・ジョンのプロデューサーとして有名になる男である。

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そしてついに67年6月1日に1stアルバムDavid Bowieをリリース。

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David Bowie/David Bowie

1967/6/1

ビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」と同じ日にリリースされたこのボウイの記念すべき1stアルバムは一般的に〝失敗作〟と見られている。確かに数字ではUKチャートで最高125位と失敗ではあるが、〝失敗作〟と言われるとやはり反論したくなる。

参考までに各サイトや雑誌のレビュースコアが

All music★★⭐︎⭐︎⭐︎

Rolling stone誌★★⭐︎⭐︎⭐︎

Blender誌★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

である。

ちなみに72年「ジギー・スターダスト」は

全て★★★★★の満点評価である。

もちろん「ジギー・スターダスト」の満点に異論などないし、どちらが優れているかと問われればもちろん100%「ジギースターダスト」と答えるが、さすがに1stの評価は低すぎるだろう。せめて3点は欲しい、申し訳ないがブレンダー誌には〝無能〟の烙印を押させてもらう。

当時を生きていて尚且つよっぽどのロックマニアで無い限り、僕を含めほとんどの人が「ジギー・スターダスト」より後にこのアルバムを聴いたことだろう。

モノの見方というは非常に重要で、72年「ジギー・スターダスト」の側から過去を見返す視点でこの1stを見ると確かに失敗作に見えるのかもしれない。しかし67年、サイケデリックバロックポップにアートロック真っ盛りの、そのアイデアに溢れたロックの全盛期(僕の思う)の中の一枚として見れば、それはそれは面白い作品だと気づくことだろう。

音楽的影響はシングルに引き続きアンソニー・ニューリーからの影響に加えてレイ・デイヴィス(The Kinksの癖のあるブリティッシュ感、シド・バレットPink Floydサイケデリックポップ、可愛げのあるメロディとストリングスやブラスで彩られたDonovanを彷彿とさせるメルヘンさなどが垣間見える。

 アルバムはボウイの持ち味の一つと言える〝可愛さ〟を持ったA-1〝Uncle Arthur〟から始まるが、正直この曲がこのアルバムの評価の足を引っ張ってるんじゃないかと個人的に思っていて、キャッチー気味の曲であるがメロディもアレンジも平凡で。せめてこの曲をB面のどこかに移してれば…第一印象、1曲目はやはり大事。斬新で挑戦的な後々のボウイのスタイルへと繋がる部分を野心的にアピールしながらも、〝そろそろ売れたい感〟が特にA面に現れており、それが〝Uncle Arthur〟に強いように思う。

A-2〝Sell Me a Coat〟A-5〝There Is a Happy Land(幸福の国)〟なんかもそっちよりだが、この2曲は《ソフトロック》の良曲と言える仕上がりになっている。〝幸福の国〟のエンディングの「ぶぶぶよぶよ」ってゆー謎のハミングが堪らんのよ。

先にリリースしたシングル〝Rubber Band〟はアルバム用に再レコーディングされ更に完成度を高めA面3曲目に収録されているが〝The Laughing Gnomeの方はアルバム未収録であり、アルバム全体的にもサイケニュアンスは抑え気味ではある。それでも《サイケデリックロック/フォーク》と呼べる曲はいくつかあり、A-6〝We Are Hungry Men〟らがそれにあたるだろうか。

この後にデラムからの最後のシングルとしてシングルカットされるA-4〝Love You till Tuesday(愛は火曜日まで)〟がこのアルバムを代表する曲になるだろうか。シンプルなメロディと鉄琴にシンプルなギターとシンプルなストリングスでアレンジされた爽快な曲。なのにどこか不思議な匂いがする名曲。

A-7〝When I Live My Dream(僕の夢がかなう時)〟B-2〝Silly Boy Blue〟ボウイ全キャリアの中でも上位に食い込むだろうメロディセンスの光る名曲。〝僕の夢がかなう時〟の美しいストリングスの絡みはThe Verve〝Bitter Sweet Symphony〟へ繋がるんじゃないか(ストーンズ〝The Last Time 〟よりも)。

73年にボウイはローリング・ストーンズ〝Let's Spend the Night Together(夜をぶっ飛ばせ)〟をカバーするが、B-4〝Join the Gang(仲間になれば)〟のピアノフレーズは〝夜をぶっ飛ばせ〟を彷彿とさせるもの。さらにこの曲の中盤ではスペンサー・デイヴィス・グループ〝Gimme Some Lovin'〟のリフを引用するなど遊び心満載。

B-5〝She's Got Medals(勲章をもらった女)〟はロックスタンダード〝Hey Joe〟ピンクフロイド風サイケポップを組み合わせたような曲であるが、ここですでに「ジギースターダスト」でのテーマの一つである〝性別〟というをテーマを打ち出している。

B-1〝Little Bombardier〟B-6〝Maid of Bond Street(ボンド・ストリートの娘達)〟はワルツ調の曲でありシアトリカルな世界感と見事なマッチング。

B-2〝Come and Buy My Toys(マーケット・スクウェアの玩具売り)〟はフォークロック風であるが、「ボブディランのようなシンガーソングライターとして売り出したい」というマネジメントの思惑はここで微かに感じるくらいのものだ。

ラストB-7〝Please Mr. Gravedigger(墓掘り人)〟はアルバムに散りばめられたシアトリカルな面をさらに強調した曲である。雨と雷、墓を掘る音、鳥の鳴き声などのSEをバックに、くしゃみや鼻をすすりながらアカペラで歌うという挑戦的な内容でボウイの記念すべき1stアルバムは締めくくられる。

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シングル〝Love You till Tuesday〟

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7月にシングル〝Love You till Tuesday〟をリリース。シングル用にアルバムとは別バージョンで再レコーディングされたが、こちらはブラスが大幅に足され少し大袈裟に。アルバムのシンプルなストリングスバージョンの方が僕は好み。

これでデラムレコードからアルバム1枚シングル3枚がリリースされたが全て鳴かず飛ばず。当時はシングル3枚出して売れなければおしまい、という風潮だったようでこれにてボウイのデラム期は終わりとなる。

DERAM Anthology

DERAM Anthology

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(デラム期リリース図)

 

まとめ

〝売れ線〟狙いな保守的な面と革新的な面を併せ持ったデラム期ボウイではあるが、バロックポップ、サイケ、ソフトロック、フォークロックといった音楽にシアトリカルな歌唱と詩を組み合わせることで独特な《アートロック》を作りだしている。この後ボウイはリンゼイ・ケンプとの出会いで〝奇形な華〟を、ミックロンソンとの出会いでエレキギターを身につけて72年の「ジギースターダスト」へと辿り着くわけだが、根本的な〈デヴィッド・ボウイ〉というキャラクターと詩の世界観はこのデラム期の時点で生まれており、決して《ボウイ史》から省れるべき内容ではない。

『バンドがバンド以外のペルソナを演じてもよい』という発想はビートルズの「サージェント」による発明の一つであるが、「サージェント」と同じ日にリリースされた「David Bowie」で若干20歳のボウイが同じ発想へ到達していることは驚くべき点である。

終わり!

今回はここまで!この67年6月の1stリリース辺りにボウイは『The Image』というショートフィルムへの出演と、The Riot Squadというバンドのセッションに参加している(時系列がどうしてもわからない)。『The Image』は白黒無声ホラーカルト映画でボウイの俳優デビュー作、The Riot Squadのセッションではデビュー間もないヴェルベッツのカバーをしていたり。次回はその辺を!

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(デラム期までの全体図)

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