『George Harrison: Living in the Material World』を観て
TSUTAYAプレミアム
最近友人の引っ越しを手伝い32型のテレビを貰った。元々持っていたのが15インチとかなので2倍以上のデカさ、テンションはうなぎのぼり、感謝感謝持つべきものは友である。とはいえ我が家はテレビを契約しておらず、ネット環境もなく、この32型テレビの使い道はDVD鑑賞のみである。
今どきならみんなAmazonプライムやらHuluやらNetflixやらのサブスク動画サービスを利用しているのだろうが、ネット環境がないので僕はもっぱらTSUTAYAを利用している。みなさんはご存知だろうか、TSUTAYAは近年のサブスク動画サービスの勢いに押されて〈TSUTAYAプレミアム〉という月1100円で旧作DVD/ブルーレイ借り放題というサービスを実施している(店舗による)。僕はこれを2年ほど利用しており、一度に借りれるのは5枚(これも店舗による)であるので最低でも週1回はTSUTAYAに通いDVDを借りる生活を続けている。それならテレビを繋ぐかサブスク契約する方がいいじゃない、という声も多数寄せられるがテレビの契約料やネット契約料を考えると「見たいものだけ見ればいい」というスタンスならこのTSUTAYAプレミアム生活が1番安上がりだと今のところは信じている。
「見たいものだけ見る」なんてカッコ良さげな信念を掲げてはいるが基本的には借りるものはバラエティDVD。TSUTAYAのバラエティDVDは多くはないが少なくもなく、ひとまず我が地元尼崎の神として君臨する〝ダウンタウン〟関連を借り尽くし今は〝さまぁ〜ず〟関連に手を伸ばしている感じだ。ま、飯食ってる間のBGM代わりになれば(飯と音楽は合わないので)、というつもりであったが《笑うこと》にかなりの時間を浪費してしまっているのが現状。
元々映画には疎かったがバラエティばかり見ていては堕落してしまいそうなので5本中1本は映画を借りることにしてる。映画は去年から『スターウォーズシリーズ』や『マーベルシリーズ』を見始めて、今年は『北の国から』を全作品網羅、今は『男はつらいよ』が気になっている。なのでまぁ毎週毎週TSUTAYAに入るとバラエティコーナーと洋画SFコーナー、昭和ドラマコーナーをするりと周るのみで滞在時間は5分にも満たない。もう2年になるので習慣になってしまっている。
それが先日我がTSUTAYAルーティンが崩れた。本当に一体どうして何故か今まで音楽DVDという選択肢が頭になかった。小さいがそのコーナーが視界の端に入って二度見した。「その発想はなかった!」とびっくりした。
音楽ドキュメンタリー映画
ライブDVDもいいがそれよりもドキュメンタリーが見たい!と思い音楽DVDコーナーに歩み寄った。
こんなブログを書いているが実のところドキュメンタリーもミュージシャンの自伝もほとんど触れたことがない。ドキュメンタリーで言うとウッドストック、ジミヘン、シドバレット、ドアーズ、ブライアンジョーンズ、そして最近の『ボヘミアンラプソディ』くらいだろうか。
ドキュメンタリーといっても〝実際の映像やインタビューなどを中心に展開していくもの〟と〝激似俳優による再現もの〟とあるが僕はどっちかというと〝実際の映像やインタビュー〟派で、上記で言うとウッドストックとジミヘンとシドバレットがそうだったかな。ドアーズやブライアンジョーンズもほんとに役者が似過ぎておもしろかったが。
そんなことで〝実際の映像やインタビュー〟系のドキュメンタリーを探していたら目に入ったのがジョージ・ハリスンのドキュメンタリー『George Harrison: Living in the Material World』。ジョージが死んだ2001年から10年後の2011年に発表されたドキュメンタリー映画だ。Discを2枚に分けて計208分、約3時間30分という大ボリュームでジョージの人生を様々な著名人のインタビューを交えて追っていくドキュメンタリー。
これを手に取り、借りて、観て、ビートルズ愛が再熱、スワンプ寄りで深くハマれてなかったジョージソロに重い一歩を踏み出し、スワンプロックに遂に熱くなれる兆しが見え、興奮。そんなわけでこのドキュメンタリー映画の感想でも書いてみよかという次第です。
『George Harrison: Living in the Material World』を観て
僕はもちろんビートルズが好きだが全くもってマニアではない。知ってるようで知らないことが多い。例えば僕が所持して聴いてるのはオリジナルアルバムと「1」くらいで「アンソロジー」も昔はiPod,今はApple Musicで聴いてるくらいで未だに手にしていない。「パストマスターズ」もちゃんと聴いてなくて、つまり知らない曲もたくさんあるのだ。
各ソロにしてもジョン・レノンは全作聴いたが、ポールはソロもウィングスも何枚か、ジョージに至っては「All Things Must Pass」くらいで、リンゴも「Ringo」くらい…
「ラバーソウル」「リボルバー」「サージェントペパーズ」「マジカルミステリーツアー」「ホワイトアルバム」の65〜68年、中期〜後期にかけてが好きで実のところ「アビーロード」を皆様ほど愛してなかったりもするのだ。
そういえばドキュメンタリー映画で言うと『A Hard Day's Night(ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!)』や『Help!(4人はアイドル)』は観た。いやあれはドキュメンタリーじゃないか。『Let It Be』も友人が入手した海賊版DVDで観たな。『Let It Be』は未だに正式にソフト化されてないようだがこの海賊版はちゃんと和訳もついてて、ポールとジョージの口喧嘩のシーンとかの和訳が生々しくて笑った思い出がある。まぁ笑ったが『Let It Be』での崩壊していくビートルズの姿にショックを覚えるほどにはビートルズが好きだ。追記:なんとまぁゲットバックセッションの真実が明らかになるとは(『Get Back』公開しましたね)!
ビートルズの崩壊原因は幾度となくいたる場所で議論され尽くされている。ポールの傲慢さか、ヨーコの介入か、《船長》であったマネージャーブライアンエプスタインの死か、そんなものに一つの答えなどあるはずもなく様々な要因が重なって解散を迎えたんだろうがこのドキュメンタリーを観て〝ジョージの作曲家としての目覚め〟というのがビートルズのバランスを崩す大きな要因であったことを強く感じた。
ジョージの目覚め
《静かなビートル》と呼ばれレノン/マッカートニーの影に隠れていた最年少のジョージの作曲家としてのデビューは63年2ndアルバム「With The Beatles」収録の〝Don't Bother Me〟である。《遅咲き》と言われることもあるが63年2ndの時点で自作を発表している。が本人もこれの出来が良くないことを自覚しており、ここから2年沈黙、本格的に作曲家としてスタートしたと言えるのは65年5th「Help!」からである。そこから次作「ラバーソウル」の頃には〝If I Needed Someone〟というレノン/マッカートニーに引けを取らない曲を書き始め、66年「リボルバー」では〝Taxman〟がオープニングを飾り、〝Love You To〟ではラーガロックを披露し〈ジョージ=インド音楽〉というアイデンティティを手に入れた。67年「サージェントペパーズ」「マジカルミステリーツアー」68年「ホワイトアルバム」ではさらに個性を強めラーガロックとサイケデリックを披露。69年には名曲〝Something〟がジョージ初のシングルA面曲となった。
ジョージの作曲意欲と能力は60年代半ばころから覚醒しビートルズ作品に大きく貢献したが、それでも収録されたのはアルバムにつき1〜2曲、多くて「リボルバー」の3曲。ポールはジョージの成長を認めつつもやはり格下扱いを続け軽視されていた。軽視していたのはポールだけではなくプロデューサーのジョージ・マーティンもで、ジョージの曲のレコーディングにはあまり多くの時間を費やされなかったという。最年少で〝静か〟だったジョージも徐々にフラストレーションが溜まりそれが態度に出始める。
こういった内情がこの映画にて多く説明されており、ビートルズ崩壊の大きな要因であることが感じ取れた。
〝Hey Jude〟のギターフレーズ
(『Let It Be』でのポールとジョージの口論)
印象的だったのはポールのインタビューで〝Hey Jude〟のギターフレーズでジョージと揉めた時の話。歌の合間にギターのオブリを入れるか入れないかという口論だ。ギターをめぐるポールとジョージの喧嘩は上の写真の『Let It Be』の一幕が有名だが〝Hey Jude〟の話は初めて聞いたし、映像なんかには残ってないはず(よね?)。映像が残ってる『Let It Be』の話ならまだしも、ポールがその40年ほど前の些細な口論を語ってるのを聞いて感じたことは「ポールもショックだったんだな、傷ついてたんだな」ということ。ポールはジョージをただ格下扱いして軽視していたわけではなく、ジョージを認めつつもそういう態度を変えられない自分にちゃんと傷ついていたんだろうと感じた。じゃなきゃそんな昔のこと鮮明に覚えてないよ。
こんなこと言うとポールファンに怒られるかもしれないがポールって普通だ。いやもちろん作曲に関しては超が付く天才だが、人間として。イカれてもないし悟ってもない、ごく普通の人間が持つ嫉妬や傲慢もあればごく普通の人間が持つ良心や愛も持ってる。僕は常人に理解できないカリスマ性を持ったジョンに憧れを持つが、ポールに親しみを感じる。つい最近(といってももうしばらく経つか)のポールの来日ライブを京セラドームで観た時、ジョージが死んでしまった今〝Something〟をポールが歌うことを《普通》だと感じたし、普通に号泣した。こういう《普通》のことをできるロックミュージシャンって意外と少ないのかもしれない。もしジョンが生きてたら〝Something〟を歌ったろうか、と思うとわからない。それはジョンが冷たいからではなく、その行為がジョージに対する愛の形ではない、とか考えたりする複雑な感性を持ってるからだ。
ポールはジョンに比べて《薄い》と思ってるジョン派の人はたくさんいると思う。僕も長らくそのようなスタンスであったが、少し歳を取ったのかポールの《普通》さが愛おしくなってきた。〝Hey Jude〟についての短いインタビューシーンを観て、勝手に無駄な憶測をして感情的になるくらいにはポールのことを好きになってきたのだ。
ハンブルク時代から存在したジョージの鋭い感性
ジョージが本格的に作曲活動に取り組むのは65年ごろ22歳ごろと確かに遅かったがその鋭い感性はもっと若いころ、60年〜62年のハンブルク時代からジョージの中にあったことをこの映画で語られている。
ビートルズの下積み時代として有名なハンブルク時代。ジョージは17歳という若さで西ドイツでミュージシャンとして生活することになる。ポルノ映画館の屋根裏で寝泊まりし、かなりハングリーな生活をしていたことで有名なハンブルク時代。ジョージは皆の前で童貞を捨てたとか凄まじい逸話が山ほどあるが、この映画でのハンブルク時代のチャプターはほとんどアストリッド・キルヒャーとクラウス・フォアマンのインタビューによって構成されている。
(クラウス・フォアマン)
アストリッド・キルヒャーとクラウス・フォアマンはビートルズが60年に知り合い後々までかけがえのない友となるドイツ人の若き芸術家であった。
アストリッドは写真家、このハンブルク時代のビートルズの写真を多数撮りビートルズのマッシュルームカットや初期の服装に影響を与え彼らを見守った女性。当時のベーシストであったスチュアート・サトクリフ(スチュ)と恋仲になる。
クラウス・フォアマンはイラストレーターでビートルズと出会った当初はアストリッドの恋人。アストリッドがスチュの元へ走ってもそれを許し、ビートルズとの友好を深めた。スチュがビートルズを辞め画家として生きることを決めた際にベースを買い取り、66年にはCreamを結成するジャック・ブルースの代わりにマンフレッドマンに加入。70年代にはプラスチックオノバンドやジョージ、リンゴのソロなどに参加して旧交を温めた。ルーリードの「トランスフォーマー」でベースを弾いたことでも有名。イラストレーターとしては「リボルバー」のジャケットを手がけたことで有名だ。
そんな2人が語る若き日のジョージだが、クラウス・フォアマン曰く「ジョージはビートルズの〝触媒〟」で「いつもポールとジョンの間にいた」らしい。この時期はまだリンゴもいないので、ポールとジョンのバランスをとっていたのはジョージであり、2人の化学反応はジョージという〝触媒〟なしには有り得なかったというのだ。【触媒】とは「化学反応においてそのもの自身は変化しないが、反応速度を変化させる物質」であるが、60年代半ばにジョージ自身が急速に成長し〝触媒〟の役目を果たせなくなったためビートルズのバランスが崩れて崩壊に向かったと言える。
しかしそうなる可能性というか素質、感性の鋭さは当時からあり、それについてはアストリッドが語っている。
アストリッド曰く「好奇心旺盛で何でもかんでも質問するポールと対称的にジョージは静かに物事を観察していた」らしく観察して感じ取り吸収する力に長けていたという。
特に印象的な話はスチュのアトリエでアストリッドが撮ったジョンとジョージの写真の話。
(スチュとアストリッド)
元々画家志望だったスチュはアストリッドと付き合い61年にビートルズを辞めて画家の道を選んだ。ビートルズのハンブルク巡業は60年〜62年に3度行われ、その2度目の時期にビートルズを脱退しハンブルク美術大学へ編入しドイツに残った。が、ビートルズが3度目の巡業に訪れる前日62年4月10日に脳出血により急死する。
ジョンとジョージは恋人を亡くしたアストリッドを気にかけ家を訪れ、スチュのアトリエを覗く。そこでアストリッドが撮った有名な写真がこれ。
ジョンは特にスチュと親密だったので、ショックで魂が抜けスチュのアトリエで呆然としていたよう。アストリッドは戸惑うジョージにジョンの後ろに立つよう指示しこの写真を撮った。
『生者と死者を表した写真』とされるがアストリッド曰くジョージは「18歳になったばかりのジョージは瞬時に私の意図を察知した」よう。ジョンと〝スチュの代わり〟を演じたジョージの『生と死』、死人のように魂の抜けたジョンと生気漲る表情のジョージの『死と生』、どちらにも取れる写真だが何にせよ芸術的意図を即座に察知する感性を備えていたことをアストリッドが語っている。
アストリッドにとっては恋人、ジョージにとっては仲間が死んだ状況で芸術的思考へと持っていける2人の感性はなかなか異常だとは思うがこれは素質だ。普通はジョンのように悲しみに暮れるだろう。後にジョージは東洋思想に傾倒し物質世界からの解脱を志すが、この若き時からスチュの〝肉体〟よりも〝魂〟を感じることを自然に行なっていたのかもしれない。
続く!
思った以上に長くなりそうなので一旦ここまで!
TSUTAYAプレミアムは制度として5枚中4枚を返して4枚新たに借りる、ということが可能なのでこのDVDはしばらく持っておこうと思います(買えよ)!
まだまだラヴィ・シャンカールとの話やマハリシとの話、パティボイドとクラプトンの話、ソロのフィルスペクターの話やバングラデシュコンサートの話、死際の話など興味深い話があったのでその辺はまた次回。
では!